Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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阪田知樹
 1993年名古屋に生まれ、現在ハノーファー音楽演劇メディア大学のピアノ科修士課程に在籍中の若きピアニスト阪田知樹には、以前からさまざまな媒体でインタビューを行ってきた。
 今日は、彼が2016年フランツ・リスト国際ピアノコンクール(ハンガリー・ブダペスト)で優勝、併せて6つの特別賞を受賞した記念のリサイタルが浜離宮朝日ホールで開催された。
 プログラムは、オール・リスト。
 まず、シューベルト/リストの「連祷」からスタート。シューベルトの歌曲の美しく荘厳な旋律を、リストがピアノに置き換えた作品。この祈りの歌を、阪田知樹はやわらかな響きで、静けさを重視するように淡々と紡いでいく。
 次いで、ピアノ・ソナタ ロ短調が登場。プログラムの前半にこの大作をもってくることから見ても、今回のリサイタルに対する意気込みがうかがえる。
 このソナタは、革新的で劇的で、新たなピアノ作品の可能性を追求したリストの意欲作。単一楽章で書かれ、全編に物語性が色濃く打ち出されている。
 阪田知樹は、ここでリスト・コンクール優勝の底力を遺憾なく発揮した。楽器を豊かに大きく鳴らし、文学的な要素を示した。主題を幾重にも変容させていく手法をていねいに紡ぎ、超絶技巧を前面に押し出さず、リストの奥深さを追求した。
 後半は、ハンガリー狂詩曲第12番、パガニーニによる大練習曲第3番「ラ・カンパネッラ」、スペイン狂詩曲、愛の夢第3番と続け、緩急を付けたプログラミングの妙を示した。
 そして、フィナーレは、リスト・コンクールの審査員と聴衆が大絶賛したと伝えられているベッリーニ/リストの歌劇「ノルマ」の回想が登場。この難曲を華々しく名技性あふれる演奏で披露し、まさに会場は大喝采となった。
 若き才能に触れると、その未来に大きな期待を抱くものだが、阪田知樹の前途も洋々だ。
 まだ23歳。これからが本当の勝負、正念場である。ずっと聴き続けていきたいと思わせるピアニストが、またひとり現れた!
 今日の写真は、終演後の楽屋での1枚。照明のためか、ちょっとピンが甘くなってしまった。阪田さん、ごめんね。次はカッコよく撮るからね(笑)。



| アーティスト・クローズアップ | 23:44 | - | -
ベアトリーチェ・ラナ
 最近、J.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」を演奏する若手ピアニストが多い。
 先日は、ジャン・ロンドーがチェンバロでとても個性的で印象深い「ゴルトベルク変奏曲」を披露したばかりだが、明日はトッパンホールでベアトリーチェ・ラナが日本初リサイタルにこの作品を選んでいる。
 ベアトリーチェ・ラナは、イタリアから世界の舞台へと飛翔した若き逸材。2011年に18歳でモントリオール国際音楽コンクールに優勝し、2013年にはヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで第2位に輝いた。
 2012年には浜松国際ピアノアカデミーのでコンクールで第1位(牛田智大と同位を分け合う)となり、日本でもおなじみの存在となった。
 今日は、来日中のラナにインタビュー。ピアノを始めたきっかけからピアニストの両親のこと、コンクールに関すること、レパートリー、「ゴルトベルク変奏曲」に関して、アントニオ・パッパーノ指揮サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団とのプロコフィエフとチャイコフスキーのコンチェルトの録音に着いてなど、幅広く話を聞いた(ワーナー)。
 ラナはとても落ち着いた話し方をする人で、表面は淡々としているが、その奥にイタリア人らしい情熱を秘めているタイプ。
 録音に聴く演奏も、情熱と若々しいエネルギーに満ちあふれ、しかも知的で楽譜の裏側まで読み込む洞察力の深さを感じさせる。
 ここしばらく、イタリアからは若き女性のピアニストの出現はなかったため、彼女に注目が集まっている。パッパーノや、今回N響との共演でタクトを振ったファビオ・ルイージをはじめとするイタリアの指揮者たちが絶賛している。
 今日のインタビューは、「CDジャーナル」に書く予定である。
 写真は、インタビュー後の1枚。とても美しい人で、うたうように、あるリズムをもった話し方をする。さすがイタリア人である。
 明日の「ゴルトベルク変奏曲」では、どんな世界が広がるだろうか。録音とは、またひと味異なった新たな世界が展開されるに違いない。

| アーティスト・クローズアップ | 22:40 | - | -
ジャン・ロンドー 
 いま、東京を訪れる海外の観光客や仕事で来日している人は、桜を観ることを楽しみにしている人が多い。
 先日、ジャン・ロンドーのインタビューの日にも、お父さんとお兄さんと一緒にインタビュー前に桜を観に出かけたとか。
「大丈夫かなあ、ちゃんとレコード会社の場所がわかるだろうか」と、みんなで心配していたのだが、時間通りにインタビュー会場に現れた。
 インタビューでは、チェンバロを始めたきっかけからその後の歩み、恩師の教え、コンクールのこと、レコーディングに関すること、趣味、現在の時間の使い方、今後のレパートリーや録音計画まで幅広く聞いたが、もっとも印象に残ったのは、彼の人生観だった。
 フランス人は、こうした精神性の高い話や哲学的な内容になると、一気に雄弁になる人が多い。ジャン・ロンドーも、長く伸ばしたあごひげを手で触りながら、ひとことひとことかみしめるように話す。
「ところで、どうして髪を伸ばしたの?」と聞いたら、「まだ、髪が薄くなっていないので、大丈夫かなと思って伸ばしている」という答え。ここで、インタビューに同席した関係者一同、大爆笑となった。
「忙しすぎて、自宅にもほとんどいられないし、床屋さんにいく暇もない」というのが本音らしい。
 このインタビューは、「日経新聞」、私のHP「音楽を語ろうよ」に書く予定である。先日のリサイタルの公演評は、「公明新聞」に書くことになっている。
 私がステージでズラタン・イブラヒモヴィッチのような髪型をしていたけど、というと、「ああ、大嫌いなんだ。サッカーはとにかく嫌い」とひとこと。あらら、そうですか、それば残念。
 彼はチェンバロのレパートリーは300年分あるから、弾きたい作品が山ほどあるといい、作品論も語ってくれた。
 自宅にある楽器はフランスのエムシュのレプリカだそうだが、先日弾いた楽器はドイツのミートケのレプリカのようだった。
 今日の写真は、インタビュー後の1枚。「リラックスしてね」といったら、「僕はいつでもリラックスしているよ」との答えが戻ってきた。



| アーティスト・クローズアップ | 23:04 | - | -
ナタリー・デセイ
 ナタリー・デセイのリサイタルが近づいている。私が今春、とても楽しみにしていた演奏会である。
 今日は、彼女に話を聞くために宿泊先のホテルに出向き、インタビューを行った。
 このインタビューは、「日経新聞」「intoxicate」と私のHP「音楽を語ろうよ」に書く予定にしている。
 ナタリー・デセイは4月12日(水)に東京文化会館大ホール、16日(日)に福岡シンフォニーホール、19日(水)に東京オペラシティ コンサートホールで盟友のピアニスト、フィリップ・カサールと組んでリサイタルを行う。今回はモーツァルト、シューベルト、ドビュッシー、グノーなどの作品が組まれている。
 今日は、初めてシューベルトの「歌曲集」(ソニー)を録音した新譜に関して、じっくりと話を聞いた。
 実は、東京オペラシティの冊子に記事を寄せている。ナタリー・デセイのことがよくわかると思うので、下記に貼りつけた。興味のある方は、ぜひ全部読んでくださいな。


 ナタリー・デセイが待望の初来日公演を行ったのは、2004年9月のことだった。コンサートでは、マスネ「マノン」、トマ「ハムレット」のオフェリア、ベッリーニ「夢遊病の女」のアミーナの各アリアが凄みを帯びたすばらしい歌唱でうたわれ、驚異的な集中力に支配されたドニゼッティ「ランメルモールのルチア」では、会場が息を殺したように静まり、みな「狂乱の場」に酔いしれた。
2010年のトリノ王立歌劇場の日本公演では、ヴェルディ「椿姫」のヴィオレッタを熱演。これまでのヴィオレッタ像をくつがえす新しいヒロイン像を生み出した。         
 デセイは子どものころにバレエを習い、やがて女優を目指したというだけあって、演技力抜群。舞台狭しとはだしで走り回ったり寝転びながらうたったりする。どんな姿勢をとろうが、完璧に磨き上げられた歌唱はゆるがない。高音はコロコロところがる真珠の粒のようであり、また大空に飛翔していくかろやかな鳥の羽ばたきのようでもある。
 しかし、ヴィオレッタでは、幾重にも表情を変えていく中音域の表現力の多彩さが際立っていた。これは全幕にわたってほとんどうたいっぱなしの難役。それを幕ごとにあたかも異なった人物のように表情を変化させ、その場のヴィオレッタになりきり、聴き手の心にひとりの女性のはげしい生きざまを強烈に植え付けた。彼女は2001年以降、幾度か声帯の外科手術を受け、声域や声質を考慮し、レパートリーを見直さなくてはならなくなった。
 来日公演は病が癒え、声に負担をかけぬよう表現力により磨きをかけた時期だったが、大きな試練を乗り越えた人だけがもつ、心を揺さぶるような説得力にあふれた歌声だった。
 デセイが舞台に登場すると、そこだけ空気が変わるようだ。顔の表情からからだ全体が醸し出す雰囲気まで、すべて作品の主人公そのもの。この演技力と表現力を兼ね備えた「奇跡の声」は聴き手の心を強くとらえ、もっと他の役を聴きたいと切望させる。
 日本でリサイタル・デビューが行われたのは2014年。フィリップ・カサールと組み、さまざまな作曲家の色とりどりの歌曲を選んで熱唱、各曲で圧倒的な歌声を披露した。彼女は作品の雰囲気に合わせて衣裳も変え、前半は人魚姫のようであり、後半は天女を思わせ、聴き手を別世界へといざなうような歌を聴かせた。それにはカサールのピアノが大きく影響している。声とピアノが見事に一体化し、創造的な世界を作り上げ、ふたりの音楽は完璧な形で融合していたからである。
 カサールはドビュッシーの解釈者として知られ、ピアノ曲全曲演奏を行うなど作品に精通している。デセイともドビュッシーの歌曲集を録音している。それゆえ、彼らはドビュッシーの歌曲をプログラムに登場させることを好み、今回も選曲している。このデュオは、詩的で絵画のような衣をまとった歌声をピアノが幻想的な美で包み込む。香り高きエスプリを感じさせる名演が生まれるに違いない。

 今日の写真は、インタビュー後のワンショット。彼女は最初はとっつきにくい性格だといわれるが、一度親しくなると、ずっと親密なつきあいが続くタイプとか。
 髪をシニヨンにまとめ、フランスのエスプリを感じさせた。話は知的でエレガントで率直。シューベルトの録音は、いまようやく自分が成熟した時期だから、挑戦したのだという。リサイタルが楽しみである。




| アーティスト・クローズアップ | 22:17 | - | -
セドリック・ペシャ
 すみだトリフォニーホールが2006年のマルティン・シュタットからスタートし、シリーズとして行っている「ゴルトベルク変奏曲」。
 第10回目の昨夜は、フランスとスイスの国籍をもつ、ローザンヌ生まれのセドリック・ペシャの登場。ジュネーヴ音楽院、ベルリン芸術大学で学び、2002年のジーナ・バッカウアー国際ピアノ・コンクールで第1位を獲得したピアニストだ。
 現在は、国際コンクールの審査員や室内楽シリーズの芸術監督を務め、欧米各地でマスタークラスも開催している。2012年にはジュネーヴ高等音楽院のピアノ科教授に就任した。
 セドリック・ペシャの「ゴルトベルク変奏曲」は、これまで聴いていた演奏とはまったく異なる。このシリーズでは、革新性を発揮したり、即興的な演奏をしたり、J.S.バッハの作品をあたかも「旅」のようにとらえたり、ジャズのイディオムを加えたりするなど、毎回個性的な「ゴルトベルク変奏曲」が登場してきた。
 しかし、ペシャの演奏は、あくまでも流麗でおだやかで、闘いの表情は微塵も顔を見せず、作品の美質を浮き彫りにする奏法。初の「リピートしない」奏法でもある。
 プログラムは、前半にフレスコヴァルディの「パッサカリアによる100のパルティータ」、ウェーベルンの「ピアノのための変奏曲」、ブラームスの「主題と変奏」「創作主題による変奏曲」という変奏曲をもってきて、しかも「曲間の拍手はご遠慮ください」というアナウンスがあり、4曲を集中して演奏。流れる清らかな水のような、春を待ち焦がれる人々の気持ちを代弁するような、また、舞曲を静かに舞い踊っているような空気を生み出した。
 そして、後半はリピートなしの「ゴルトベルク変奏曲」。非常に個性的な組み立てである。
 この日は、午前中からずっと打ち合わせやインタビューが続き、その足でホールに出向いたため、攻撃的な演奏を聴く体調ではなかった。セドリック・ペシャのピアノは、そんな私の心にゆったりと静かに語りかけてきた。約41分の「ゴルトベルク変奏曲」。シンプルな素描画のようなバッハだった。
 今日の写真は、コンサートのチラシ。

| アーティスト・クローズアップ | 23:07 | - | -
大宮臨太郎&藤村俊介
 ともにNHK交響楽団のフォアシュピーラーを務めながらソロや室内楽で活躍しているヴァイオリンの大宮臨太郎とチェロの藤村俊介が、「パッサカリア〜ヴァイオリンとチェロのための作品集」(マイスター・ミュージック)をリリースしたのは2010年のことだった。
 そのふたりが第2弾に選んだのは、コダーイの「ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲作品7」。これにベートーヴェン、バッハの編曲版を加え、新譜を作り出した。
 今回は「CDジャーナル」のインタビューで、ふたりにプログラムの選び方、録音の様子、お互いの音楽性と人間性の違い、また共通項などを聞いた。
 彼らはふだんはオーケストラで演奏しているが、こうした室内楽を演奏する機会があると、相手の音に注意深く耳を開くことになり、とても有意義だと語った。
 実は、今回とても興味深い話があった
 藤村俊介が以前飼っていたパグ犬が、コダーイの「無伴奏チェロ・ソナタ」を練習していると、遠吠えするのだそうだ。
 他の作曲家の作品ではそうしたことはまったくなく、コダーイだけに反応するという。
「きっと、コダーイのアジア的な何かが犬の感性を刺激し、遠いルーツを思い出すのではないでしょうか」
 そうなんだ、すごいワンちゃんだよね。いまだったら、録画しておいてほしかったけど、かなり前のことで、もうそのワンちゃんは亡くなってしまったとか、う〜ん、残念。
 インタビューでは、各々の収録作品に関して聞き、さらに今後の抱負も語ってもらった。
 今日の写真は、インタビュー後のふたりの表情。CDは、弦2本のシンプルな音の対話がかえって臨場感を生み出し、緊迫感もただよう。

| アーティスト・クローズアップ | 22:22 | - | -
長富彩
 ベートーヴェンのピアノ作品だけでリサイタルのプログラムを組むのは、若きピアニストにとって、大きな挑戦となる。
 1月22日、長富彩は東京オペラシティリサイタルホールで、オール・ベートーヴェン・プログラムでリサイタルを行った。
 前半はピアノ・ソナタ第8番「悲愴」でスタート。次いで「創作主題による32の変奏曲」、ピアノ・ソナタ第24番「テレーゼ」と続けた。
 最初は緊張感がただよい、会場も多分に堅い空気に満ちていたが、演奏が自由闊達になるにつれ、ホールの空気感もほぐれてきた。
 後半は「エリーゼのために」がゆったりと清涼な雰囲気で紡がれ、これで一気に長富彩の個性と本領が発揮される形となった。
 最後はピアノ・ソナタ第30番。このソナタは、ピアニストにとって高い頂ともいうべき難度の高い作品。彼女は作品が内包する厳格さ、ロマン的な要素に加え、自由と幻想と平穏な表情ものぞかせ、ベートーヴェンの魂に近づいていった。
 長富彩には、CDデビューをしたころからインタビューなど会っているが、一本芯の通った考えの持ち主。ほんわかとした美しい容姿からは考えられないほど、根性が座っている。
 それがこのピアノ・ソナタ第30番の凛とした演奏に現れていた。
 この公演評は、「公明新聞」に書くことになっている。
 終演後、楽屋に顔を出すと、「ウワーッ、伊熊さ〜ん、お会いしたかったんです。聴きにきてくれてありがとう!」と満面の笑顔を見せてくれた。
 この日はリサイタル後に新譜の「Aya Nagatomi plays Beethoven」(テレビマンユニオン)のサイン会が行われたが、彼女には根強いファンがいるため、長蛇の列となった。
 今日の写真は、久しぶりに会うことができた長富彩。この日のステージ衣裳は清楚さと華やかさが入り混じった、とても美しいドレスだった。

| アーティスト・クローズアップ | 23:49 | - | -
新春懇親パーティ
 今日は、毎年恒例の音楽事務所―ジャパン・アーツの新年懇親パーティがANAインターコンチネンタルホテルで行われた。
 このパーティには毎年ジャパン・アーツ所属の音楽家が多数参加し、今年の抱負や演奏予定などが発表される。
 今日もさまざまなアーティストが壇上に並び、紹介された。



 そして途中から、世界各地で幅広い活躍を展開しているフィンランドの指揮者、ピエタリ・インキネンが参加。2016年9月より日本フィルの首席指揮者に就任したが、その初公演として、20日と21日にサントリーホールでブルックナーの交響曲第8番を振ると語り、2017/18年のシーズンからはザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルの首席指揮者に就任する予定だと発表した。
 次いで、リサイタルのために来日しているピアニストのキット・アームストロングが壇上であいさつ。今回のプログラムについて自身の考えを話した。
 キットには前にインタビューをし、その後も彼は近況をいつもメールで知らせてくれる。
「いつ日本に着いたの?」と聞いたら、なんと、「今朝だよ」といっていた。
 1月もあっというまに、もう20日だ。この新春懇親パーティが新年の幕開けの意味をもっているはずなのに、はや仕事は全開となってきた。
 もたもたしていると、すぐに2月になってしまう。2月にはまた海外出張の予定が入っている。まだ詳細は明らかになっていないが、そうこうしているうちにすぐに春が巡ってくるのではないだろうか。
 本当に日が経つのは早いよねえ。今日は仕事仲間とその話になり、ため息をついた。華やかなパーティなのに、ため息。困ったもんだ(笑)。
 写真は、挨拶するピエタリ・インキネンとキット・アームストロング。





 このパーティでは、いつも新人も紹介される。今日は、まだ12歳という若きピアニスト、奥井紫麻(おくいしお)に会った。彼女は2月からモスクワ音楽院付属中央音楽学校に留学するそうだ。ロシアが大好きで、モスクワで勉強できることに大きな期待を寄せていた。



 もうひとり、3月にCDデビューを果たすピアニスト、尾崎未空(おざきみそら)とも話し、前向きな姿勢に好感をもった。



 最近の若いアーティストは、本当に個性的な名前の人が多い。このふたりも、一度聞いたら忘れない名前の持ち主。ぜひ、大きく羽ばたいてほしい。
 
 
 
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:17 | - | -
赤松林太郎
 ハンガリーと日本を往復し、ピアニスト、教育者、コンクールの審査員、エッセイストなど多彩な活動を展開している赤松林太郎。
 今日は、今年最後のインタビューとなる彼に会いに、レコード会社に出かけた。
 赤松林太郎は、さまざまな「鐘」の音楽を集めた「そして鐘は鳴る〜And the Bell tolls」(キングインターナショナル)と題した新譜をリリースした。
 ここにはアルヴォ・ペルト、ヘンデル、モーツァルト、シューマン、グラナドス、ジャン・フランチェスコ・マリピエロ、ドビュッシー、スクリャービン、ラフマニノフ、マックス・レーガーの作品が収録され、多種多様な「鐘」にまつわる響きが凝縮している。
 インタビューでは、留学中の話や恩師のユニークな教え、コンクール審査員として思うこと、ピアニストとしての方向性など広範囲な話が次々に飛び出し、さまざまな面に飛び火するため、限られたインタビュー時間では到底聞ききれないほどの内容の詰まった取材となった。
 彼は「虹のように」(道和書院)と題する単行本も出版しており、今日は帰りにその本をいいただいた。
 年末年始のお休みにじっくり読みたいと思う。
 このインタビューは次号の「intoxicate」に書く予定になっている。
 音楽も訴える力が強いが、話し方も実に戦闘的で情熱的で、すこぶる雄弁。まだ話し足りないという表情をされたが、私も聞き足りなかった。
 次回は、もう少しゆっくり時間をとって、戦闘モードの話にじっくり耳を傾けたい。そしてリサイタルも聴きたい。
 今日の写真は、インタビュー中、いろんな表情を見せる赤松林太郎。
 私が「初めまして」と名刺を出したら、「いつも記事をいろんなところで読んでいます。お会いできてとてもうれしいです」と、開口一番にこやかな笑顔を見せながらいわれ、一気に距離が縮まった感じがした。
 彼は「美しいキモノ」でモデルを務めたこともあるそうだ。
 そういえば、着物が似合いそうだよねえ。今度、着物を着てきてくれないかなあ、バチバチ写真を撮るのに(笑)。




 
| アーティスト・クローズアップ | 22:05 | - | -
リュカ・ドゥバルグ
 リュカ・ドゥバルグは、超個性的なピアニストである。以前もブログに綴ったが、演奏もステージマナーも、ほとんど独学で始めたというピアノも、みな型破りな感じだ。
 前回の初来日時には、スケジュールがあまりにもタイトでインタビューができなかったが、今日は初めてインタビューをすることができた。
 このインタビューは「レコード芸術」に掲載される予定である。
 リュカは、ひとつの質問に対してものすごく長く、熱心に答えてくれる。時間は1時間と決められているから、数多くの質問をしたいのだが、あまりにも雄弁に話してくれるため、質問を制限しなくてはならなくなった。
 しかし、チャイコフスキー国際コンクールを受けたときの話、ギドン・クレーメルとの出会いと共演、初来日公演のこと、コンクールで話題沸騰となり、録音も行ったラヴェルの「夜のガスパール」とメトネルのピアノ・ソナタ第1番に関して、ショパンに対する深い思い、スカルラッティへの愛、恩師のレナ・シェレシェフスカヤの教えなどさまざまな話をじっくり聞くことができた。
 リュカは、一筋縄ではいかないタイプで、ひとつのことに没頭するタイプ。ある話題について興が乗ると、話は一気に熱を帯び、手の表情が増え、前のめりになり、止まらなくなる。
 12月1日のリサイタルが、ひたすら楽しみになった。
 彼の話は哲学的で、独断的な面もあり、自分の考えに対して自信をもって語るため、説得力がある。
 このインタビューをそのまま綴っただけで、リュカ・ドゥバルグの人間性が描き出されると思う。それゆえ、何の演出もいらない。ただ、自然な流れで書いていけば、そこから彼の音楽が浮かび上がるのではないだろうか。
 没頭型の彼は、インタビューが終わり、写真撮影の途中からピアノに向かって弾き出した。すると、もう他のことはいっさい目に入らない感じ。ずっと音楽のなかに入り込んでいる。
 そこで、取材陣はみんなお別れのあいさつもできずに、静かにその場を辞した。本当にピアノと一体化している。
 今日の写真は、そうやって演奏に没頭しているところ。写真を撮られようが、まわりに人がいようが、おかまいなし。自分の世界に入り、集中していた。



  
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:59 | - | -
中木健二
 チェリストにとって、J.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」全6曲は、バイブルのような存在である。
 多くのチェリストが「生涯に一度はこの無伴奏作品6曲を録音したい」と語るが、今回は、中木健二がセカンドアルバムとしてバッハの「無伴奏チェロ組曲全曲録音」を行った(キングレコード 11月23日リリース)。
 中木健二はパリ、ベルン、シエナなどで学び、2005年にルトスワフスキ国際チェロ・コンクールで第1位を獲得している。この他にも受賞歴は多数あり、2010年フランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団の首席奏者に就任した。
 先日のインタビューでは、フランス時代のこと、バッハの作品のこと、恩師であるアントニオ・メネセスのこと、2014年日本に帰国してからの活動、東京藝術大学での後進の指導に関して、現在の楽器1700年製ヨーゼフ・グァルネリについてなど、幅広い話に花が咲いた。
 中木健二は、ソロ、弦楽トリオ、弦楽四重奏団などさまざまな活動を行い、そうした話を聞くたびにメネセスの教えが顔をのぞかせる。
 きっと、彼にとっては「メンター」的な存在なのかもしれない。
 このインタビューは、次号の「CDジャーナルWEB」に書く予定になっている。
 彼は11月29日(火)に、王子ホールでリサイタルを開く(19:00開演)。プログラムはバッハの「無伴奏チェロ組曲」第1番、第4番、第5番である。
 いまもっとも集中的に取り組んでいるバッハ。「全身全霊を傾けて演奏する」という彼の気概を演奏から受け取りたい。
 今日の写真は、インタビュー後の中木健二のリラックスした表情。あらゆる話題に話が広がり、とても有意義なインタビューとなった。記事をぜひ読んでくださいね。
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:18 | - | -
清塚信也
 国内外のコンクールで数々の受賞歴を誇り、ロシアに留学し、現在はピアニスト、俳優、映像作品のサウンド・トラックの作曲や音楽監督を務めるなど、3つの顔をもつ清塚信也が、ユニバーサル・ミュージック移籍第1弾のアルバムをリリースした。
 題して「KIYOZUKA」(12月7日発売)。
 今回のアルバムは、小栗旬主演のHuluオリジナルドラマ「代償」(11月18日1話&2話同時配信、以降毎週金曜配信、日米同時配信全6話)のエンディング・テーマ「代償」を含み、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」第3楽章やラフマニノフのピアノ協奏曲第2番より第2楽章(ピアノ・ソロ・ヴァージョン)、ドビュッシーから「日本の四季」をテーマとしたさまざまな作品まで、多彩な曲を収録した、「あなたのために奏でたい」というコンセプトに基づく新録音。
 そのインタビューのため、先日久しぶりに会った清塚信也は、以前と変わらず一途に目標に向かって突っ走っていくスタイルを維持しながらも、スタッフや共演者にこまやかな気遣いをする「大人のピアニスト」に変容を遂げていた。
「そうですか、大人になったといわれるとうれしいですね。いろいろ苦労していますから(笑)。でも、今回のアルバムは、いまのぼくがもっともしたいことを思う存分させてもらうことができた、納得いくアルバムなんですよ。ピアニストとして、俳優として、作曲家として、ここ数年は日々3時間ほどの睡眠時間で、ひたすら仕事をして積み上げてきたものが一気に出せた、そんアルバムなんです」
 いつも清塚信也に会うと、前向きで、人生を肯定的にとらえ、夢に向かってひたすら走り続けている姿に驚きを隠せないが、今回もその人生哲学に「おそれいりました」という感じだった。
 彼は常に周囲に気を配り、ある面においてはその道のプロに任せ、自分の意見は最小限に留めてよりよい方向を見定める。
 とかく、人は自分の意見を通し、一緒に仕事をしている人にこまかく注文を出してしまいがちだが、彼はそれを極力抑えるという。
 今回のインタビューは、ヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に情報的なことを早めに書くことにし、のちに私のHP「音楽を語ろうよ」でじっくり綴ろうと思っている。
 今日の写真は、インタビュー後の清塚信也。ショートスリーパーの彼は、私とはまったく逆。私はしっかり睡眠をとらないとダメなタイプ。3時間で大丈夫なんて、うらやましい。1日の時間の使い方がすごく違うだろうな。
 もうひとつ、すごく健康だというのも彼のバイタリティあふれる仕事の源泉。「昔から丈夫なんですよ」と笑っていた。これもうらやましい限りだ。


| アーティスト・クローズアップ | 23:22 | - | -
アリサ・ワイラースタイン
 昨夜は、王子ホールにチェロのアリサ・ワイラースタインのリサイタルを聴きにいった。
 彼女には2014年2月の初来日時にインタビューをしたことから、「Oji Hall Magazine」2016年秋号に原稿を書いている。
 プログラムは、無伴奏作品で統一。前半は、ブリテン「ザッハー」、ゴリホフ「オマラモール」、J.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲第3番」、後半はコダーイ「無伴奏チェロ・ソナタ」というチェロの多様性が味わえる選曲。
 アリサ・ワイラースタインは、バレンボイムに見出された新星。演奏はエネルギッシュで推進力に富み、深々とした低音をじっくりと聴かせる。
 この公演評は、「公明新聞」に書く予定になっている。
 とりわけコダーイのソナタが彼女の持ち味を存分に表現していたが、いつも耳にしているようなほの暗さ、もの悲しさ、悲壮感、悲痛な響きではなく、むしろ慟哭に近い音色とでもいおうか、胸に鋭く突き刺さってくるようなはげしい表現だった。
 ここにもう少し弱音のしなやかさが増えれば、彼女のチェロはより聴き手の心の奥深い部分に強い印象をもたらすに違いない。
 以前、インタビューしたときにも感じたが、とても前向きで努力家。きっと次回演奏を聴くときには、より磨き抜かれた演奏に変貌を遂げているのではないだろうか。
 今日の写真は、王子ホールの冊子のアリサのページ。それにしても、ドメニコ・モンタニャーナの名器は、すばらしい音色をしている。


| アーティスト・クローズアップ | 23:41 | - | -
反田恭平
 アーティストのなかには、なかなかインタビューや取材の日程が合わず、長い間会えない人がいる。
 いま、人気沸騰の若きピアニスト、反田恭平もそのひとり。これまでさまざまな雑誌からインタビューのオファーがあったものの、どうしてもスケジュールが合わず、ご本人に会うチャンスがなかった。もちろん、演奏は聴いている。
 そんななか、今日初めてインタビューで会うことができ、結構話が弾んだ。このインタビューは次号の「intoxicate」に書く予定になっている。
 反田恭平は現在モスクワ音楽院でミハイル・ヴォスクレセンスキー教授に師事している。その音楽院の勉強の様子、ロシアの現状、2015年に優勝したチッタ・ディ・カントゥ国際ピアノ協奏曲コンクールのこと、今後の抱負まで、幅広い話に花が咲いた。
 もちろん、新譜のアンドレア・バッティストーニ指揮RAI国立交響楽団と共演したラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、Pianoとオーケストラのための「パガニーニの主題による狂詩曲」(11月23日発売、コロムビア)の話がメインとなったが、話術に長けている彼は、とても話題が豊富でユニークな話がポンポン飛び出す。
 コンクールを受けにイタリア北部のカントゥに行ったときの話が滅茶苦茶おもしろく、ロシアから行ったためユーロがなくてルーブルしかもっていなかったこと、イタリア語がわからないこと、ミラノからカントゥまでの行き方がわからず四苦八苦したこと、コンクールの会場にぎりぎりに着いたことなど、まさにひとつのストーリーが出来上がっている感じ。それにもかかわらず、古典派部門で優勝したのだから、肝がすわっているというか、逆境に強いというか…。
 そしてレコーディング時のバッティストーニとの息はピッタリだったそうで、この話になるとさらに雄弁になった。
 彼はすでにファンクラブもあり、人気がものすごい。演奏のみずみずしさに加え、個性的なキャラクターも人気に拍車をかけているのだろう。
「髪は、いつごろから伸ばしているの?」
 と聞いたら、数年前からで、実は額のところがちょっと後退してきたので切ろうかどうか悩んでいるとか。ここでまた、大笑い。
 こんな若さで悩むとはね。でも、ロングヘアをうしろで無造作にゆわえているこの髪型も人気のひとつ。
「目立ちたくて…」
 こう正直に語るところも、またユニーク。破竹の勢いでスター街道を突っ走っている若き新星。来年からまた新たな方向を目指すという。乞うご期待!
 今日の写真は、珍しいスーツ姿の彼。Tシャツでラフに現れるかと思ったら、まったく違っていて、これも驚きだった。 

| アーティスト・クローズアップ | 23:06 | - | -
ジョフロワ・クトー
 新たな才能に出会う喜びは、何ものにも代えがたい。フランスのピアニスト、ジョフロワ・クトーは、その喜びを運んできてくれた。
 2005年、ブラームス国際コンクールで優勝したジョフロワ・クトーは、ブラームスの作品を自身のレパートリーの根幹に据えている。
 そんな彼が、「ブラームス:ピアノ独奏曲全集」(キングインターナショナル)という6枚組のセットをリリースした。
 クトーは、13歳のときに「6つの小品 作品118」を弾いたのがブラームスとの最初の出会いだったそうだ。
 パリ国立高等音楽院の入試では、ブラームスの「7つの幻想曲 作品116」を演奏して難なく入学が許されたという。
 そしてここに、ブラームスのピアノ独奏曲全集が登場した。クトーはこれらを作曲年代順に録音した。ここでは、聴き手とともにブラームスの作曲様式の変遷をたどり、作品の理解とブラームス自身の変遷を深めていこうという意図が感じられる。
 クトーのブラームスは、重厚で渋く荘重で、北国特有のほの暗さに包まれているという従来のブラームス観をくつがえす演奏である。リリカルで情感にあふれ、タッチもリズムも特有の繊細さが身上。ひとつひとつの音の奥に、えもいわれぬ静けさが宿る。
 きっと、ブラームス国際コンクールの審査員たちは、これまで聴いたことのない個性的な表現のブラームスに驚き、新たなブラームス像を見出し、優勝の栄冠をクトーの手に授けたに違いない。
 とりわけ美しいのは、CD6に収録されている作品116から119の「7つの幻想曲」「3つの間奏曲」「6つの小品」「4つの小品」。
 こうした小品こそ、クトーの本領発揮だ。季節の移ろいを感じさせ、美しい詩が浮かび、絵画的世界へと心が浮遊する。
 本当に、新たな才能に出会う喜びは、心を高揚させてくれるものである。
 今日の写真は、ブラームスのジャケット写真。6枚組ゆえ非常に聴きごたえがあり、ブラームスの世界にどっぷりと浸ることができる。

| アーティスト・クローズアップ | 23:51 | - | -
DUO 5 岡崎慶輔&伊藤恵
 CDのライナーノーツはひと月に何枚か原稿を書いているが、ライナーの依頼が入ると録りたてのほやほやの音源が送られてくるため、繰り返し何度もじっくりと演奏を聴くことになる。
 最近、担当したライナーのなかで、特に繰り返して聴いているのが、ヴァイオリニストの岡崎慶輔とピアニストの伊藤恵による「DUO 5」(フォンテック)である。
 2008年にスタートしたふたりのコンビによるこのシリーズ、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを必ず1曲収録し、さまざまな作曲家の作品と組み合わせるというコンセプトのもとにプログラムが組まれている。
 第5作は、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第3番、サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ第1番、ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタという組み合わせだ。
 岡崎慶輔は、2005年にミュンヘン国際音楽コンクールの優勝者となり、日本人では21年ぶりの快挙となった。ドイツ留学を経て、ソリストとして内外で活躍していたが、2010-2011年シーズンよりチューリヒ歌劇場管弦楽団のコンサートマスターを務めている。
 伊藤恵は、ザルツブルク、ハノーヴァーで研鑽を積み、1983年にミュンヘン国際音楽コンクールで優勝を果たした。以来、多くの著名な指揮者と共演を重ね、録音ではシューマン、シューベルトをレパートリーの根幹に据えている。
 ふたりはこれまで何度も共演を重ね、お互いの呼吸を呑み込んだデュオを聴かせているが、ここに聴く3曲も、情感豊かな歌と熱意と前向きな精神を映し出すもの。何度聴いても、また最初から聴きたくなる、引力の強さを備えている。
 ヴァイオリニストは、本当に自分とピタリと合うピアニストを見つけるのは至難の業で、世界中のヴァイオリニストが生涯この問題と戦っている。
 音楽性と人間性の両面で合う人を探すのは本当に難しく、インタビューでもそうした苦労話を何度も耳にしてきた。
 岡崎慶輔は、その意味で伊藤恵という最良のパートナーに巡り会えて、実に幸せである。
 彼らのデュオは作品との真っ向勝負であり、その気概がビシビシと伝わってきて、痛快ですらある。
 今日の写真は、新譜のジャケット写真。次なる第6弾も楽しみ…。



| アーティスト・クローズアップ | 22:18 | - | -
横坂源
 初録音にJ.S.バッハの「ガンバ・ソナタ集」をレコーディングするのは、とても勇気のいることである。
 若きチェリスト、横坂源が9月14日にこの作品でワーナーから録音デビューを果たすことになった。
 2002年、チェリストの登竜門として知られる全日本ビバホール・チェロコンクールで最年少優勝(15歳)を遂げ、2009年には全ドイツ学生音楽コンクール第1位(室内楽)を獲得、そして2010年ミュンヘン国際音楽コンクール・チェロ部門で第2位入賞に輝いた。
 先日、横坂源にインタビューしたが、彼はデビューCDは絶対にバッハのガンバ・ソナタにしようと決めていたそうである。
 現在は、ドイツでジャン=ギアン・ケラスに師事。
「ケラスはとてもリーダーシップのある人で、生徒をみんな引き連れて、見聞を広めるためにいろんなところに連れて行ってくれます」
 この話を聞き、ケラスのあとに生徒たちがチェロを携えてぞろぞろついていく様子が 目に浮かび、「なんだかカルガモの行進みたいねえ」といったら、横坂源も「そうそう」といって大笑いしていた。
 ケラスはやわらかく自然で温かい音を保持し、それを弟子たちにも伝授してくれるそうだ。
 このインタビューは、「CDジャーナル」に書く予定である。
 とても人あたりがよく話しやすいタイプで、ドイツで学んだすべてをこのバッハの録音に投入したと語る。
 数年前にNHKの企画でピアニストの藤井一興と共演し、そこで演奏したバッハのガンバ・ソナタが横坂源の目を新たに拓くことになり、今回の録音につながったそうだ。
「録音でも藤井さんとの共演が実現し、かけがえのないすばらしい体験となりました」
 横坂源は、各作品を徹底的に探求し、バッハの奥深い部分に肉薄し、イマジネーション豊かでみずみずしい歌心にあふれる演奏を生み出している。
 新譜がリリースされるのが待ち遠しい。
 今日の写真は、愛器1710年Pietro Giacomo Rogeri 制作のチェロとともに(サントリーホールディングスより貸与)。




 
| アーティスト・クローズアップ | 23:20 | - | -
ビートルズ狂想曲
 50年前の今日、私は初めて動いているポールを見た。
 10代の最大にして、最高の思い出である。
 当時、ビートルズに熱狂していた友だち7人ほどで日記をつけていて、自分の好きな人のことをフィクションで綴り、みんなで回覧して楽しんだ。
 私はポール・マッカートニー。ポールが学校にきたとか、我が家に食事にきたとか、英語を教えてくれたとか、たわいもない話を作り出し、みんながそれを読む。
 定例会もしていて、新譜が出るとすぐに集まってキャーキャー叫びながら聴き、当番になった家の親はあまりにもうるさくて逃げ出す始末。
 そのときに日記のなかで、一番おもしろいことを書いた人は、みんなの前で朗読をする、なんていうこともしていた。
 そこへビートルズ来日のニュースが飛び込んできた。映画はもう全部の台詞を暗記するほど何度も観ていたが、実際のポールに会えるなんて…。
 それからチケット争奪戦が始まった。ひとりで何枚も往復はがきを出し、ようやく当選したのが4人。Mちゃんと、その妹Yちゃんと、Fちゃんと私。外れた人の落ち込みようはひどかった。
 私たちが当たったのは7月2日の最終公演。私の年の離れた姉が、キャーキャー騒ぎまくる4人のギャルの責任者を任され、武道館の送り迎えを担当した。
 そのときの警備のすさまじさは、ことばにならない。警官や警備の人たちがものすごい数で、少しでも列から離れたり余分な動きをすると、大変なことになった。
 武道館に入ってからも、通路にずらりと屈強の若者が並び、おそらく体育大学の学生ではないかと思うが、にらみをきかせていた。
 ただし、ビートルズが登場してからは、何も目に入らなくなった。
 ギャー、ポールが動いている〜。私は隣の「ジョージ!」と叫んでいるFちゃんと、抱き合いながら叫び続けた。
 実際のところ、音楽は何も聴こえなかった。
 ポールの栗色のマッシュルームカットの髪が左右に揺れているのが印象的で、ジョンのがっちりした体型と、ジョージのしなやかなギターの弾き方と、リンゴのリズミカルなスティックの動きが目に飛び込んできて、もう我を忘れ、こんなに興奮したことはないと思うほど、泣き叫んだ35分間だった。
 あっというまに演奏は終わり、アンコールもなく、夢の世界は一瞬にして終幕を迎えた。
 それからが大変だった。
 Fちゃん、Yちゃん、私は約束通り、姉が待っている出口にたどりついたのだが、どこを探してもMちゃんがいない。
 姉は真っ青になった。
 みんなで必死になって探したのだが、なにしろすごい人で、警備の人に注意されるため、自由に動けない。
「大丈夫。きっとフラリと戻ってくるから」
 個性的で奔放で、人と同じことをするのが嫌いなMちゃんのことをよく知っている妹のYちゃんは、茫然自失となっている私の姉に「大丈夫、大丈夫」といい続けた。
 だが、いま考えてみると、姉は親たちに合わせる顔がなかったに違いない。携帯などない時代である。Mちゃんは忽然と消えてしまったのだから。
 その夜はみんなで集まり、一睡もせずに泣き明かした。よくもあんなに涙が出たものである。
 ところが、明け方すぎに、Mちゃんはひょっこり帰ってきた。
「ヒルトン・ホテルにもぐりこんだの。よし子ちゃん、これ、ポールの髪の毛だよ」
 こういって、茶色のウェーブのかかった髪を2〜3本見せてくれた。
「ええっ、うそー。飛びついて引きちぎったの? まさかあ」
 みんなが口々に「うそー」といって信じようとしないため、彼女はプンとむくれてしまい、それ以後、いっさいその夜の武勇伝を口にしなかった。
 Mちゃんは、のちにアメリカ人と結婚し、ボストンに住んでいた。私は出張でボストンにいったときに、彼女に街を案内してもらったのが最後となった。
 Mちゃんは、若くして不慮の事故で亡くなってしまったからである。
「Mちゃん、ごめんね。あのとき、ポールのこと、もっと話してほしかったのに、信じようとしないでごめん。若かったというか、幼かったというか、きっとその行動力と冒険心がうらやましかったのだと思う。私にはできなかったから」
 私のビートルズの思い出は、悲喜こもごも。7月2日が巡ってくるたびに、複雑な思いに駆られる。 
 もう50年経ったなんて、信じられない。昨日のことのように、ポールのうたっている姿が鮮やかに脳裏に蘇ってくる。


 
| アーティスト・クローズアップ | 22:48 | - | -
ドミトリー・マスレエフ
 今年は、昨年の国際ピアノ・コンクールの優勝&入賞者の演奏を聴く機会が多い。
 今日は、チャイコフスキー国際コンクールの優勝者、ドミトリー・マスレエフのリサイタルを聴きに、浜離宮朝日ホールに出かけた。
 彼には昨年の来日時にインタビューを行い、今回の来日公演のチラシをはじめ、さまざまなところで記事を書いてきた。
 昨年8月に聴いたのは、ゲルギエフ指揮PMFオーケストラとの共演によるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番で、リリカルな面と楽器を大きく豊かに鳴らす面の両面を披露し、優勝者としての底力を見せつけた。
 さて、デビュー・リサイタルはどうだろうと、大きな期待を抱いてリサイタルに臨んだ。
 まず、オープニングのJ.S.バッハのパルティータ第1番で、私は彼の真の実力を知る思いに駆られた。
 1音1音が磨き抜かれ、説得力があり、バッハの様式をピアノで見事に表現していたからである。
 次いでシューマンのピアノ・ソナタ第2番、シューベルト/リストの「水に寄せて歌う」、リストの超絶技巧練習曲集第8番「狩」と続く。
 まさにロシア・ピアニズムを体現し、隅々まで神経を張り巡らした繊細で情感豊かな表現と、けっして鍵盤を叩くことなくピアノを豊かに鳴らす術を遺憾なく発揮。「新たな才能の発見」に心が震えた。
 昨年のチャイコフスキー・コンクールは、輝かしい未来を予感させる才能が多く現れ、多くの入賞者が個性を生かし、コンクール後の活躍が目立つ。
 だが、優勝者のマスレエフは、特別な才能の持ち主のようだ。
 ベレゾフスキーもゲルギエフも絶賛しているように、彼の磨き抜かれたバランスのとれたテクニックは比類ない。何より、音に説得力があり、迷いがない。
 後半は、チャイコフスキーの18の小品から4曲、メトネルの「忘れられた調べ」第1集より第1番「追想のソナタ」と続き、最後はサン=サーンス/リスト/ホロヴィッツの「死の舞踏」でヴィルトゥオーソ的な演奏を繰り広げた。
 そのあとが、またすごい。アンコールを6曲も演奏したのである。
 私はのこのなかで、とりわけスカルラッティが心に響いた。ものすごく速いテンポで演奏されたため、あっというまに終わってしまったが、本当はもうちょっとゆっくり弾いてほしかったな(笑)。
 マスレエフの演奏は、とにかくテンポが速い。しかし、どんなに急速なパッセージも弾き飛ばすことはなく、音がクリア。もっとも印象的なのは弱音の美しさで、叙情的な曲想の奏法が際立っている。
 近年、若手ピアニストの演奏はずいぶん聴いてきたが、ラファウ・ブレハッチを初めて聴いたときの衝撃に次ぐ感銘を受けた。
 ぜひ、近いうちにまた異なる作品をたっぷりと聴きたい。
 今日の写真は、演奏後のマスレエフ。終演後、楽屋に戻るなり、「メガネ、メガネ」といいながらメガネを探しに部屋に入っていった。
 どうやら、ふだんはメガネが離せないようだ。
「写真撮りたいけど、メガネをかけたままでいいの?」と聞くと、「うん、もちろん」との答え。これがふだんの表情です。
 もう1枚は、アンコールの曲目リスト。ねっ、すごいでしょう。時間に余裕があれば、まだまだいろんな曲を弾きたい、という感じだった。
 スリムなからだのどこにそんなエネルギーが??




 
| アーティスト・クローズアップ | 23:19 | - | -
リュカ・ドゥバルグ
 ギドン・クレーメルは、国際コンクールで優勝を逃したものの、すばらしい才能を持ち合わせている新人を見つけ出すのが得意である。
 以前、ジョージア(旧グルジア)出身のピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリにインタビューしたとき、2008年のルービンシュタイン国際ピアノ・コンクールで彼女の第3位入賞が決まった直後、クレーメルが直接電話をかけてきて、共演したいといったという話を聞いた。
 カティアは優勝したわけではなかったため、この申し出にはかなり驚いたという。クレーメルはインターネットのライヴ配信でコンクールの演奏を聴いていた。
「ギドンは優勝、入賞は関係ない。私はきみの演奏が気に入ったから、一緒に演奏したいと思ったんだといったの。本当に感激したわ」
 以後、クレーメルはカティアと何度も共演し、トリオも組み、日本でも演奏を披露し、新人である彼女が世に出ていくために力を尽くした。
 そして今度は、2015年のチャイコフスキー国際コンクールで、優勝の呼び声が高かったものの第4位という結果に終わったフランスのピアニスト、リュカ・ドゥバルグとの共演である。
 リュカは、コンクールの全部門参加者のなかで、唯一モスクワ音楽評論家賞を受賞した。演奏曲目のなかでは、第1次予選で演奏したラヴェルの「夜のガスパール」が衝撃的な演奏としてとらえられ、一気に人気が高まった。
 リュカのもとにも、クレーメルからコンクール直後に電話が入り、共演が決まったという。
 リュカのデビューアルバム「スカルラッティ・ショパン・リスト・ラヴェル」(ソニー)は、まさに新たな光に照らされているような輝かしいアルバムで、私は冒頭のスカルラッティのソナタ イ長調K208(L238)の柔軟性に富む詩的で官能的な弱音にまいってしまった。
 今日は、クレーメルとリュカのデュオ・リサイタルがサントリーホールで行われ、ラヴェルのヴァイオリン・ソナタ、同「夜のガスパール」、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番、フランクのヴァイオリン・ソナタが演奏された。
 スリムな容姿のリュカは、指もものすごく長い。そのしなやかな指から紡ぎ出される弱音は、録音で聴いた衝撃を上回るもので、演奏はかなり個性的。主題のうたわせ方、強弱のバランス、音と音との絶妙の間などが特有のこだわりに基づいている。クレーメルのヴァイオリンとの丁々発止のやりとりでも、一歩もひけをとらない。
 クレーメルは真の天才ゆえ、いずれの作品もいつもながらの完璧な奏法と表現力に根差したものだが、リュカはそこに新鮮な空気を送り込んでいく。
 よく、ステージから楽屋に戻るとき、若手演奏家は大先輩に遠慮して自分はさっとうしろに身を引くものだが、リュカはクレーメルの肩に手を置いたり、ふたりで話ながら、スタスタと前に歩いていったりする。
 まったく臆することなく、自然にふるまう様子は、すでによきパートナーとしての地位を確立しているように見えた。
 今日の写真は、新譜のジャケット。リュカは11歳という遅い年齢でピアノを始め、まったくピアノを弾いていない時期もあり、理学や文学を学んでいたそうだが、レナ・シェレシェフスカヤ教授と巡り会い、ピアニストを目指した。いまやゲルギエフをはじめとする偉大な指揮者からも共演のオファーが絶えないという。
 ぜひ、近いうちにリサイタルを聴きたい!


| アーティスト・クローズアップ | 22:49 | - | -
エマニュエル・パユ
 ベルリン・フィルの首席フルート奏者、エマニュエル・パユは、完全なるワーカホリックである。
 自他ともに認める仕事人間の彼は、今回の来日でもベルリン・フィルの演奏のみならず、室内楽、マスタークラスとさまざまな活動を日々精力的に行っている。
 以前から、インタビューのたびにその超多忙さに驚き、「いつ休んでいるの?」と質問するのだが、「中学時代から1日も休んだことはないよ」とケロリ。
 でも、今日は「ストレス解消はどうしているの?」と聞いたところ、「ストレスって何?」と聞き返された。
 もちろん笑いながらだが、人間関係のストレスは感じている暇もないほど、演奏に没頭しているとか。
 いいよねえ、天才的な才能の持ち主で、性格は陽気で人なつこくて、常に前向きで研究熱心、フルートを吹くことがたまらなく楽しいなんて…。
 こういう人に会うと、爪の垢を煎じて…ということばが脳裏に浮かぶ。
 今日は、今秋リリースされるパユとトレヴァー・ピノック&カンマーアカデミーポツダムの新譜について、さまざまな角度から話を聞いた。
 というのは、このライナーノーツを担当することになっているため、作品について、録音の様子、ピノックとの共演、カンマーアカデミーポツダムの演奏などに関してあれこれ質問を試みた。
 パユは、いつも感じることだが、どんな曲でも楽々と演奏できる才能の持ち主であるにもかかわらず、練習魔であり、作品をとことん調べる探求派である。
 もう何年も前のことになるが、初めてピノックと共演することになったときの彼の喜びようったらなかった。
「トレヴァーは、すごい人なんだよ。あんなにすばらしいチェンバロの名手であり、バッハに精通しているのに、それをすごく自然に美しく、いま生まれた作品のようなみずみずしさで演奏する。彼と一緒に演奏していると、私のなかからどんどん新たな感覚や発見、奏法の創意工夫が湧き出てきて、流れる水は止まらなくなるんだ。トレヴァーは、共演者の内部に潜むものの扉を開け、その人が気づいていなかった新たな面を引き出してくれるんだよね」
 今日も、ピノックへの敬愛のことばが止まらなかった。
 カンマーアカデミーポツダムは古楽の合奏団だが、このグループとの共演も楽しくてたまらないそうだ。
 ピッチの話にもなったが、録音ではモダンピッチ(A=442)を採用しているという。
 また、新譜情報が解禁になったら、インタビューの内容を詳しく紹介したいと思う。 
 今日のインタビューは、「CDジャーナル」に書く予定になっている。リリースは秋になるため、11月締め切りの12月号になりそうだ。
 パユは、今秋の10月のレ・ヴァン・フランセのメンバーとしての来日が決まっており、このスケジュールがまたまたびっくり。
 10月21日から29日まで各地で9回の公演があり、休みなしで全国行脚を行う。
 う〜ん、さすが仕事人間!
「でも、私にとって、演奏は仕事じゃない。自己表現であり、大いなる楽しみであり、人生になくてはならないもの。いつも、“さあ、これから何をしようかな”と、次なる計画に目が向き、新たな企画で頭がいっぱい」
 ホント、いいよねえ、ポジティブで。やっぱり爪の垢煎じかな。
 今日の写真は、インタビュー後のワンショット。実は、「CDジャーナル」の編集担当のAさんが、「ぜひ、その写真、共有させてください」というので送ったら、惚れ惚れとして、パユの顔を穴があくほど見つめているとか。
 いいよねえ、そこまで女性に愛されて(笑)。


 
| アーティスト・クローズアップ | 22:07 | - | -
ライジングスター
 いま、新譜評を書きながら、さまざまな録音に耳を傾けている。
 最近はこだわりの選曲によるCDが多く、いずれも聴きごたえ十分。しかも、アーティストたちがすこぶる個性的だ。
 まず、2015年のショパン国際ピアノ・コンクール第2位入賞のカナダ出身のシャルル=リシャール・アムランの「ショパン:ピアノ・ソナタ第3番/幻想ポロネーズ」(東京エムプラス)から。コンクールの5カ月前の録音で、ソナタ賞(ツィメルマン賞)を受賞したピアノ・ソナタ第3番がまさに“大人の演奏”。成熟したまろやかでゆったりした音色が持ち味で、ガンガン強音ですっ飛ばす演奏とは一線を画す。
 インタビューしたときにも感じたが、やわらかく自然体で素のままの音楽は本人の人間性が表れたもの。5月23日には東京オペラシティコンサートホールでデビュー・リサイタルが行われる。このプログラムの最後を飾るのも、ソナタ第3番である。
「スカルラッティ・ショパン・リスト・ラヴェル」(ソニー)と題するCDでデビューしたのは、2015年のチャイコフスキー国際コンクール第4位入賞のフランスのピアニスト、リュカ・ドゥバルグ。オープニングを飾るスカルラッティのソナタ イ長調K208は、一度耳にすると忘れられない音の記憶となって、ずっと脳裏に居座る。ラヴェルの「夜のガスパール」はコンクールでも絶賛された作品。ほとんど独学という稀有なピアニストの登場である。
 前回のチャイコフスキー・コンクールで第2位を獲得したフランスのチェリスト、エドガー・モローは「ジョヴィンチェロ〜バロック協奏曲集」(ワーナー)で、しなやかな美音とのびやかな表現によるハイドン、ヴィヴァルディ、ブラッティ、ボッケリーニ、グラツィアーニを聴かせている。
 これはガット弦とバロック弓を使用するスペシャリストの集まり、イル・ポモドーロとの共演で、モローは1711年製のテックラーのチェロを用い、ピリオド・オーケストラとの音の融合を図っている。
 2012年のブルージュ国際古楽コンクールの覇者、フランスのチェンバリスト、ジャン・ロンドーの「イマジン〜J.S.バッハ:チェンバロ作品集」(ワーナー)は、新世代のチェンバリストの到来を強く印象付けるもの。これまで聴き慣れたバッハの演奏とは趣を異とし、斬新で驚きに満ちた創意工夫が随所に顔をのぞかせる。彼は音楽院での勉強以外に、ソルボンヌでも学んでいて、ジャズにも情熱を傾けているという。
 スペインの古楽界に彗星のように現れ、「若き鬼才」と称されているのは、ヴィオラ・ダ・ガンバのファミ・アルカイ。「思いのままに〜ア・ピアチェーレ ヴィオラ・ダ・ガンバのための音楽」(東京エムプラス)は、ガスパール・サンスからジャン・フィリップ・ラモー、マラン・マレまで非常に興味深いプログラム。打楽器やヴォーカルなども加わり、自由で創意に富むアンサンブルを展開している。
 今日の写真は、5枚のライジングスターの新譜。いまどきのアーティストはディレクターをしたり、ライナーノーツを執筆したりと、多芸多才。さまざまなバリアを軽々と飛び越えていく。


 
| アーティスト・クローズアップ | 23:50 | - | -
MUSIC BIRD
 今日は、TOKYO FMの高音質「音楽専門」衛星デジタルラジオMUSIC BIRDの収録にいった。
 番組名は「ウィークエンド・スペシャル」で、タイトルは「エリソ・ヴィルサラーゼ〜ロシア・ピアニズムの継承」である。
 放送は2016年6月12日(日)16:00〜22:00、再放送は6月18日(土)12:00〜18:00の予定となっている。
 5時間半に渡る演奏は、やはりヴィルサラーゼの得意とするシューマンやシューベルト、ショパンを中心に選んだ。
 その曲の間に、4分ほどのトークを入れていく形で収録が進められた。全部でトークは8箇所くらいである。
「伊熊さん、ラジオで話すの、慣れていますね」
「すごくわかりやすい解説で、時間もバッチリです」
「何度もラジオ収録していますか」
 担当のスタッフ、渡邊未帆さんと篠崎めぐみさんにいわれ、「ええ、何度か出演しています」と答えた。
 実は、中学時代に、学校放送のアナウンサーをしていたことがある。
 そのときは原稿を読むだけだったが、マイクに向かうことだけは慣れた。
 ヴィルサラーゼに関しては、これまで取材やインタビューをしたときの内容や彼女の素顔、演奏のスタイルや表現などを話し、プロフィールにも触れ、曲を進めていった。
 ヴィルサラーゼは、以前インタビューでとても内容の深いことを話してくれたため、時期を見て、「インタビュー・アーカイヴ」で紹介したいと思う。
 最近、ナマの演奏を聴いたのは、2015年11月21日のすみだトリフォニーホールのリサイタル。2014年には11年ぶりに来日し、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を披露した。
 これらの来日公演は、胸の奥にいつまでも感動が残る演奏で、いまだ忘れることができない。
 今年の来日は予定されていないようで残念だが、ぜひ近々来日してほしいピアニストである。
 今日の放送は、リスナーからのリクエストがあったために実現したそうだが、その人はヴィルサラーゼの来日公演を聴いたのではないだろうか。
 今日の写真は、収録後のワンショット。渡邊さん(右)と篠崎さん。
 マイクがオフのときには、いろんなアーティストの話や取材時のこぼれ話で盛り上がってしまった。 




 
 
| アーティスト・クローズアップ | 23:15 | - | -
テディ・パパヴラミ
 私たちは、アルバニアという国をどれだけ知っているだろうか。 
 共産主義独裁政権下のアルバニアからパリに移り、パリ国立高等音楽院でピエール・アモイヤルに師事したヴァイオリニスト、テディ・パパヴラミは、その国と日本の架け橋的な存在となった人である。
 パパヴラミは、「ひとりヴァイオリンをめぐるフーガ」という本をフランスで出版し、その邦訳が刊行された(藤原書店)。 
 新譜はバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番(エマニュエル・クリヴィヌ指揮ルクセンブルク・フィル、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ、パガニーニの無伴奏ヴァイオリンのための「24の奇想曲」、スカルラッティのソナタ編曲版(パパヴラミ編)などが収録された6枚組(マーキュリー)。
 今日は彼のインタビューがあり、22歳までの人生を綴った本に関して、ハイフェッツの録音を聴いた衝撃、アモイヤルの指導、ヴィクトリア・ムローヴァとの出会い、バッハの無伴奏作品について、ボウイングの話、今後の課題と夢など、多くを語ってくれた。
 パパヴラミは演奏ばかりではなく、文筆家としても才能が豊かで、翻訳も編曲も俳優業もこなす。
 素顔は、まさに俳優のよう。話をしながら表情が幾重にも変化し、顔を見ているだけで感情が読み取れる。
 その後、出版記念のミニパーティがあり、そこではJ.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのバルティータ第2番」から「シャコンヌ」が演奏された。
 使用楽器は、LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトン貸与の1727年製ストラディヴァリウス「Reynier」。とてもこぢんまりとした部屋だったため、ごく間近にストラドの音を聴くことができ、その演奏の奥に宿るパパヴラミの波乱万丈の人生が伝わってくるようだった。
 今日のインタビューは、「CDジャーナル」に書く予定である。
 なお、4月7日にはHAKJU HALLで、ピアノの萩原麻未との共演によるリサイタルが開かれることになっている。
 今日の写真は、インタビュー中のテディ・パパヴラミ。とてもスリムで黒ずくめの服装がよく似合う。
 インタビュー中はとても真摯な表情をしているが、笑うと目がおだやかな光を放ち、温かな人柄を思わせる。



 
 
| アーティスト・クローズアップ | 23:47 | - | -
金子三勇士
 ピアニストの金子三勇士は、音楽も語りもまっすぐストレート。正統派で勝負するピアニストであり、リストゆかりのハンガリーの血を受け継ぐ逸材として、リストを得意としている。
 今日3月30日は、ユニバーサルから「ラ・カンパネラ〜革命のピアニズム」でメジャー・デビューを果たした記念の日。ハンガリー大使館でCD売記念レセプション・パーティがあり、ハンガリー政府関係者、CDショップ関係者、マスコミ関係者など大勢が集まった。
 まず、CD収録のショパン「革命のエチュード」、そしてドビュッシー「月の光」、リスト「ラ・カンパネラ」「ハンガリー狂詩曲第2番」がトークを交えて演奏され、最後にアンコールとしてモーツァルトの「きらきら星変奏曲」の一部が披露された。
 金子三勇士は、「世界の舞台を目指したい」と熱く語った。デビュー当初から聴き続けているが、日本とハンガリーというふたつの祖国をもつからか、やはり大陸的なスケールの大きさを感じさせるピアニズムである。
 当初の演奏は若きエネルギーが爆発する直球型だったが、徐々に作品への思いが深くなり、現在は変化球も見せ、多様性が伺える。
 この記念CDの曲目解説の原稿を書き、9月18日に東京オペラシティコンサートホールでのリサイタルのチラシ原稿も担当したため、今回の録音とコンサートに関しては、並々ならぬ思いを抱く。
 今年はリスト没後130年。ハンガリー大使館では、リストの頭部の彫像に見守られながら演奏し、思いのたけを鍵盤にぶつけた。
 今日の写真は、演奏の合間にていねいな美しい日本語でトークを行う様子。記念のケーキをプレゼントされて笑顔に。パティシエ、大使ご夫妻と。ピアノの横に置かれたリストとバルトークの頭部彫像。「伊熊さ〜ん、きてくれてありがとう」と、満面の笑顔を見せてくれた金子三勇士。みんなに好かれるナイスガイである。










 
| アーティスト・クローズアップ | 22:42 | - | -
吉川隆弘
 インタビューの場合、そのアーティストが部屋に入ってきた瞬間、「今日のインタビューはうまくいくな」と、直感するときがある。
 今日は、ミラノ在住のピアニスト、吉川隆弘のインタビューが音楽之友社で行われた。この記事は「レコード芸術」に書く予定である。
 彼が入ってきたとき、この直感があった。
 まず、あいさつを交わし、名刺交換をしてインタビューに入ろうとしたら、彼が「伊熊さんのブログを読んだら、オリーブオイルがお好きと書いてあったので、これをもってきました」
 なんと、ワイナリーをもっているイタリアの友人がいて、そこはオーガニックのワイナリーだそうだが、オリーブオイルも収穫できるという。
 ふつうは、オリーブオイルというと、割に小さめのボトルに入っているが、いただいたオイルはワイン用のボトルに入っている。
「おおっ、これは!」
 私は、一瞬絶句。
 エクストラヴァージンオリーブオイル、オーガニック、イタリアと聞いただけで、ワナワナ震えがきてしまった(笑)。
 インタビューは、吉川隆弘がミラノに留学したいきさつ、当地で受けた指導法、大好きだというコルトーとミケランジェリのこと、ミラノ・スカラ座でのオーケストラとの共演など、さまざまな話へと広がっていった。
 もちろん「レコード芸術」のインタビューゆえ、これまでの録音について聞き、新譜のベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、第13番「幻想曲風ソナタ」、第26番「告別」、第31番についてもあれこれ聞いた。
 この新譜は、彼が設立したレーベル「イプシロン」の制作による第1弾である。
 吉川隆弘は昔からFM放送をエアチェックし、CDも山ほどもっていて、「レコード芸術」の愛読者だったとか。
「ですから、この場所で、その雑誌のインタビューを受けるなんて、本当に光栄です」
 と、感慨しきり。
 音楽の話からやがてミラノの話に移り、いろんな話題が出た。私もミラノは大好きな都市だが、ひとつ新発見があった。
 私は旅に出たり、出張にいったりすると、寸暇を惜しんでその土地の美術館に足を運ぶ。ミラノでは、もっとも優雅な邸宅美術館と称されるポルディ・ペッツォーリ美術館が大好きである。
 ここはミラノの貴族、ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリの美術収集を一般公開しているところ。ピエロ・デル・ポッライオーロの「若い貴婦人の肖像」、サンドロ・ボッティチェリの「聖母」などが有名だ。
 その話をしていたら、彼に「アンブロジアーナ図書館&絵画館は、行きましたか」と聞かれた。
 実は、このドゥオーモから徒歩圏にあるところには、残念ながらまだ行ったことがない。ここにはラファエロの有名な、バチカンのラファエロの間を飾っている「アテナイの学堂」の原寸大の下絵があり、とても見事だそうだ。
 レオナルド・ダ・ヴィンチのデッサンや書物、「楽師の肖像」もあり、私がとりこになっていて、その絵が見られればどこにでも行く覚悟はある、カラバッジョの「果物かご」も展示されている。
 さて、また1枚の絵を求めて行くという、旅の構図が出来上がってしまった。
 音楽と美術の話は尽きるところがないが、やがて話はおいしい食の話へと移り、これまたイタリアならではの話をいろいろ聞くことができた。
「とても楽しかったです。ぜひ、コンサートにもいらしてください」
 こういわれ、インタビューは無事に終了。なんだか、イタリアの空気を全身にまとった気分がした。
 今日の写真は、インタビュー後の吉川隆弘。話しているときは、とてもリラックスしたいい表情をしていたのだが、写真を撮るとなったら、ちょっと真面目な顔付きになってしまった。
 いや、これが彼の真の表情かも。音楽もそうだが、真摯でまっすぐに進んでいくタイプ。さて、また彼のベートーヴェンをじっくり聴きますか。
 もう1枚は、とっておきのオリーブオイル。いやあ、見ているだけで幸せな気分になれますなあ(笑)。グラーツィエ!
 なお、吉川隆弘のピアノ・リサイタルは、関西公演 5月25日(水)19:00 西宮市プレラホール、東京公演 6月3日(金)19:00 イタリア文化会館アニェッリホールで行われる予定だ。




 
 
 
| アーティスト・クローズアップ | 21:12 | - | -
ニコラス・マッカーシー
 今日は、すばらしく心に残ることばを聞いた。
「Anything is possible」
 すべては可能だ、不可能はない、という意味だろうか。
 1989年ロンドン郊外に生まれた「左手のピアニスト」、ニコラス・マッカーシーのモットーとすることばである。
 マッカーシーは2015年9月、「ソロ〜左手のためのピアノ編曲集」(ワーナー)でデビューした。このアルバムは、マッカーシーが夢中になったというルドヴィコ・エウナウディの曲からスタート。有名なオペラのアリアが続き、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、リストの「愛の夢」、ショパンの「別れの曲」や練習曲などが収録されている。
 彼は先天的に右腕がひじの下の長さまでしかなかったが、子どものころから電子ピアノで遊び、やがて苦労の末にロンドンのギルドホール音楽演劇学校、王立音楽大学に進み、ピアニストとして活動するようになる。
 1月20日には日本盤がリリースされ、今日はブルーローズ(サントリー小ホール)でコンベンションが行われた。
 新譜のなかからショパンやリストの作品などが演奏されたが、左手による演奏はとてもエネルギッシュでパッションにあふれ、ひたむきさが感じられた。
 彼はステージ上のインタビューで、ピアノを始めたころから現在にいたるまでの話をしたが、苦労したこととか、辛かったことなどはまったく口にせず、「いま、ここで演奏できることがとてもうれしい」と語った。
 その話のなかで、上記のことばが出てきたわけだが、障害をもって生まれてきたものの両親がとても強い人間ゆえ、自分もまっすぐに前を向いて歩み、何でも可能にしてきたという。
 マッカーシーは、「ぼくがピアノを弾くのは、聴いてくれる人とコミュニケーションを取りたいから」と話した。そして、「音楽にはその力がある」と信じているようだった。
 まさに、音楽の力に触れたひとときとなった。
 子どものころ、「ニコラス、自転車には乗れないねえ」と友だちにいわれると、必死で練習して自転車に乗れるようになったとか。「コンサート・ピアニストにはなれないかも」といわれると、絶対にコンサート・ピアニストになると心に誓い、ものすごい練習を自分に課したという。
 これまで3つのうれしいことがあり、ひとつは王立音楽大学の130年の歴史のなかで、初めて左手だけでピアノ科を卒業した学生となったこと。
 ふたつ目は、2012年にロンドンで行われたパラリンピックの閉会式で、約8万人の観客の前でコールドプレイと一緒に演奏したこと。
 そして3つ目は、「今日、こうして日本のみなさんの前で初めて演奏できたこと」と語った。なんと感動的なのだろう。このことばを聞いて、またもや感極まってしまった。
 コンベンション終了後に、彼とじかに話をしたのだが、私が今日のブログに登場してもらうと話したら、人なつこい笑顔で「ウワーッ、うれしい。ありがとう」といっていた。
 今日は、いろんな音楽事務所の人たちが聴きにきていた。ぜひ、近いうちに来日公演が実現することを願う。
 今日の写真は、演奏後のニコラス。この人の顔、だれか俳優に似ているんだけど、思い出せないなあ。だれでしょう?



 
 
| アーティスト・クローズアップ | 23:24 | - | -
Nana
 チェロ界に彗星のごとく、若きスターが登場した。
 台湾出身の15歳、Nana(欧陽娜娜)である。
 彼女は6歳でチェロを始め、10歳のときに18都市で40以上のコンサートを成功させた。そして12歳で台湾のチェロ・コンテストで第1位を獲得し、リサイタルも行っている。
 その後、13歳で全額奨学金を取得してカーティス音楽院に留学。現在は、チェリスト、女優のふたつを両立させながら活動を展開している。
 昨日は、Hakuju Hallでコンベンションが行われ、デビュー・アルバム「Nana 15」(4月6日発売 ユニバーサル)のなかから数曲が演奏された。
 本人はとても緊張していたそうで、トークでは「これから毎年1枚ずつアルバムが出せればうれしい」と語った。
 伯母にあたる欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)も、デビューCDをとても喜んでくれたそうだ。
 その欧陽菲菲のヒット曲「「ラヴ・イズ・オーヴァー」を演奏したものが、日本盤ではボーナス・トラックとして収録されている。
 Nanaは、この曲を「男女の愛情についてうたわれた曲だけど、チェロの演奏では歌詞がないから難しい。私は初恋みたいな感じで弾いている」と話した。
 CDの選曲は、メンデルスゾーンの「無言歌」やエルガーの「愛の挨拶」、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、シューベルトの「アヴェ・マリア」などの人気曲がずらりと勢ぞろい。のびやかな弦の響きを聴かせている。
 そして今日は、彼女にインタビューをするために宿泊先のホテルに出向いた。
 15歳とは思えぬほどしっかりした考えをもち、質問に対してことばを尽くして語り、ひたむきさが感じられる。
 とても素直な性格で、キュートな顔立ちも相まって、会った人みんなを引き付けてしまう強烈な魅力を備えている。
 このインタビューは、「CDジャーナル」に書く予定になっている。いろんな話を幅広く聞くことができたので、できるだけ詳しく紹介したいと思う。
 今日の写真は、かわいい笑顔のNana。チェロを弾くときは真剣そのもののクールな表情だが(当然ですよね)、素顔はにこやかで人なつこい。
 中国のさまざまなソーシャル・メディアを合計したフォロワーは550万人に上るというのも、うなずける。


 
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:24 | - | -
實川風
 10月22日から27日にかけてパリで開催されたロン=ティボー国際コンクール2015において、第1位なしの第3位入賞を果たしたピアニストの實川風(じつかわかおる)は、併せて「リサイタル賞」と「新曲賞」も受賞している。
 今日は、彼にコンクールのこと、近況、子ども時代のこと、ピアノを始めたころのこと、今後の予定と抱負など、さまざまな話を聞いた。
 このインタビューは、来年1月末公開予定のヤマハのWEB「ピアニストラウンジ」のアーティスト・インタビューに書く予定である。
 實川風は、質問に対してじっくり考え、ゆっくり話すタイプである。ちょっとシャイで、実直。
 こういう人は本音を引き出すまでに時間がかかるが、一度信頼を得ると、あとはスムーズに話が弾む。彼の場合も徐々にエンジンがかかってきて、さまざまな話題に話が広がり、笑いも交えて、楽しい時間となった。
 今年は国際コンクールの重なる年で、とりわけピアノ部門のあるコンクールが次々に行われたが、日本人の入賞が難しいなか、實川風の第3位入賞は貴重である。
 その入賞記念コンサートが、2016年3月17日(木)に銀座・ヤマハホールで開催される(19時開演)。
 得意とするベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」をはじめ、チャイコフスキーやリスト、ショパンの作品が組まれている。
 今日聞いた話のなかでもっとも印象に残ったのは、ショパンとモーツァルトが大好きなのに、なかなかその作品の真意に近づいていけないと語っていたこと。このふたりの作曲家は、無駄な音符がひとつもなく、純粋無垢な気持ちで対峙しなくてはならないからだろう。
 これからの課題も多く、もっともっと勉強しなくては、と自分にいいきかせるように話していた。来年は留学も視野に入れ、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを極めたいと意気込む。
 今日の写真は、インタビュー後のワンショット。カメラマンがライティングしてくれたため、少し顔に影ができて、とてもいい感じに撮れた。
 實川風さん、これからも応援しています。前向きに歩みを進め、いつの日か、ベートーヴェンはもちろんのこと、ショパンとモーツァルトの神髄に迫った演奏を聴かせてくださいね。

| アーティスト・クローズアップ | 22:13 | - | -
レオン・フライシャー
 レオン・フライシャーは、私が大好きなピアニストである。
 これまで何度かインタビューをしたことがあるが、いつも質問にていねいに答えてくれ、なごやかな雰囲気に包まれる。
 今日は練習の合間を縫って、「intoxicate」のインタビューが行われた。
 フライシャーは、11月11日に「フォー・ハンズ」(2014年5月録音)と「トゥー・ハンズ」(2004年のリイシュー)の2枚がリリースされた(ソニー)。
 両手ピアニストとして復帰後にリリースされた「トゥー・ハンズ」に関しては、当時インタビューで話をじっくり聞いたため、今回は夫人のキャサリン・ジェイコブソンとの連弾による「フォー・ハンズ」について、いろいろ話を聞いた。
 これはブラームスのワルツ集「愛の歌」、シューベルトの「幻想曲」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」に加え、1938年アメリカ生まれの作曲家、ウィリアム・ボルコムの「グレイスフル・ゴースト・ラグ(優雅な幽霊のラグ)」というプログラム構成だ。
 フライシャーによると、「すべての作品に舞曲の要素が含まれ、それがこのアルバムのコンセプト」とのこと。
 今日は、アルバムに関してはもちろんのこと、現在の体調、指揮活動のこと、4手の演奏についてなど、さまざまなことを聞いた。
 とりわけ印象的だったのが、ブラームスの「愛の歌」をルドルフ・ゼルキンとの連弾と歌手4人という構成で収録した1960年のレコーディング時の話。彼は昔をなつかしむように、録音のいきさつから収録時の様子までことこまかに語った。
 フライシャーは、私の「アーティスト・レシピ」の本に登場しているアーティストのひとり。今日はインタビュー後、本にサインをしてもらった。
 フライシャーのレシピは、「きのこのリゾット」。本とレシピの説明をすると、「ほおーっ」といって写真を眺め、「うれしいねえ。このリゾット、作り方が難しいんじゃないかい」といっていた。
 今日の写真は、コワモテ風の迫力のある表情のフライシャー。私が「ちょっとシリアスすぎるから、もう1枚撮りますか?」と聞くと、「いやいや、これでいいよ、よく撮れている」と、OKが出てしまった。
 でも、話しているときの表情は、もっとやわらかいんですよ。


 
| アーティスト・クローズアップ | 21:50 | - | -
ダニール・トリフォノフ
「コンクールはスタート台。以後の活動いかんで、そのアーティストの人生が決まる」と、よくいわれる。
 1980年代半ばから国際コンクールの優勝者、入賞者を数多く取材してきたが、まさにコンクール後の数年間で道は大きく分かれる。
 ダニール・トリフォノフは、2011年のチャイコフスキー国際コンクールでグランプリを獲得した後、大きな飛躍を遂げたピアニストである。
 来日のたびに演奏も成熟し、いまや若手のなかでも飛びぬけた存在として、国際舞台で大活躍している。
 今日は、その彼に久しぶりにインタビューを行った。
 コンクール後の活動の様子、新録音について、2016年の新たなコンサート・シリーズに関して、恩師から受けた影響、こよなく愛すラフマニノフについて、偉大なる共演者たちのこと、作曲と編曲についてなど、雄弁に語ってくれ、「日本の食べ物は健康的でおいしい」と、最後に付け加えた。
 いまは年間120回のコンサートを入れているが、もうこれは限界とのことで、今後は減らしていくそうだ。健康法は、水泳やジョギングやウォーキング。
「最近は、ツアーで各地を回るときに食べ物に気をつけるようにしているんだよね。食事に気を配らないといけないと、感じるようになったので」
 そのことばに続けて、和食の話が出たわけである。
 このインタビューはHPのリニューアル後のインタビュー・コンテンツと、ヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に書くつもりである。
 彼は国際的な指揮者、器楽奏者との共演があとを絶たないが、彼らから「ことばでは表現できないほど多くの物を得ている」と語る。加えて、現在アメリカで師事しているセルゲイ・ババヤンから学ぶと同時に、ロシアに戻ると、子どものころから師事していたタチヤーナ・ゼリクマンのところに必ず顔を出し、演奏を聴いてもらうという。
 こうした姿勢が、いまの成功につながっているのだろう。
 まだ現段階では詳細を発表できないそうだが、来シーズンからも各地で大きなシリーズや企画が目白押し。「ちゃんと時間をとって、しっかり練習しなくちゃ」と、気を引き締めていた。
 今日の写真は、インタビュー後のワンショット。インタビュー時はかなり改まった服装をしていたが、終わるとジーンズと革ジャンに着替え、黒縁のメガネをかけて、別人のように変身していた。


 
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:50 | - | -
小林美樹
 2011年、5年に一度ポーランドで行われる第14回ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールで第2位入賞を果たした小林美樹は、これまで2枚のCDをリリースしている。
 これらは協奏曲とソナタという組み合わせだったが、3枚目の新譜では、サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ第1番をメインに、フランス作品を組んでいる(オクタヴィア 11月20日発売)。
 今日はその録音の話を聞きに、レコード会社まで出かけた。
 この新譜では、ピアニストの田村響と共演している。
「田村さんは私が弾きやすいように、あまりこまかいことはいわず、美しい響きでピタリと合わせてくれました」
 こう語る小林美樹は、レコーディングのときの様子、コンクールを受けたときのこと、恩師の徳永二男のきびしいレッスン、現在ウィーンで師事しているパウェル・ヴェルニコフの集中的なレッスンなど、さまざまなことを語ってくれた。
 このインタビューは、「CDジャーナル」に掲載される予定である。
 彼女は、幼いころにザハール・ブロンのレッスンを受け、そのすさまじいロシア語と通訳の早口の日本語にはさまれ、頭が真っ白になったそうだ。
 ヴィエニャフスキ・コンクールのときの話もとても興味深く、その詳細も記事に書こうと思っている。
 以前、ピアニストの姉、小林有沙とともに一度会ったことがあるため、今日は最初からスムーズに話が進んだ。
 新譜の話では、それぞれの作品にまつわる思い出や印象に残るエピソードも飛び出し、あっというまに1時間が経過した。
 11月から来春にかけて、アルバム発売記念リサイタルやインストアイヴェントなどが目白押し。多忙な日々が待っている。
 ウィーンに住んで5年目。練習に疲れると、近くの公園でゆったりと過ごすのが、最高の息抜きだそうだ。
 今日の写真は、おだやかな笑みを浮かべるインタビュー後のワンショット。「運動するのも大事だとわかり、ときどきプールにいっています」といっていた。


 
| アーティスト・クローズアップ | 22:47 | - | -
サラ・オレイン
 人は、その分野で大成功を遂げても、必ずしも自信に満ちた元気いっぱいの状態にはならないようだ。
 今日は、「ポスト・サラ・ブライトマン」といわれる3オクターブを超える歌声と絶対音感をもち、ヴァイオリンも作詞・作曲もこなすサラ・オレインにインタビューを行った。
 クラシカル・クロスオーバーというジャンルはすっかり定着したようだが、サラ・オレインもこのジャンルに属する。新譜は「f(エフ)」と題するアルバムで、クラシックの名曲の編曲ものから自作曲、癒しの名曲まで多種多様な曲が収録されている(ユニバーサル)。
 もちろん、インタビューは新譜について、これまでの活動の経緯、子ども時代から現在までの音楽とのかかわり方などについて聞いていたのだが、ふとしたことから自身の生き方についての話になり、そのなかで「自分に自信がない。私はとても弱い人間で、それを克服するために必死で勉強してきた」と語りはじめた。
 オーストラリアでは優秀な成績を収め、ヴァイオリニストとしても活躍、日本の東京大学の留学生に選ばれ、来日6年目にして歌手として日本で大ブレイク。それなのに、自信がないとは…。
 彼女はとても繊細な神経の持ち主で、傷つきやすく、これまでいじめなどにも遭い、それを必死で乗り越えてきたという。
 話を聞いていると、大変な努力家で、完璧主義者。語学にも興味があるため、日本語を「ちょっとできる」程度では納得できず、ふつうに話せるまで勉強したという。実際、流暢な日本語で、熟語や難しい表現も楽々と話す。
 サラ・オレインの歌声は、ヒーリング的な要素もあるが、説得力もある。それは彼女が完璧に納得いくまで歌を磨くからだろう。
 このインタビューは、HPのリニューアル後のインタビューページに掲載する予定である。
 今日の写真は、ノーブルで繊細な表情を見せるサラ・オレイン。フィギュアスケートの羽生結弦をはじめとする選手たちとの共演は、とても楽しかったと語る。
「羽生選手は本当に完璧主義者で、負けず嫌い。本当に自分が納得いくまで練習を続け、本番で最高の状態を披露する。ある意味で、似ているところがあると感じました」とのこと。


| アーティスト・クローズアップ | 22:22 | - | -
小林愛実
 ワルシャワではショパン国際ピアノ・コンクールの本選がこれから始まるところだが、日本人で唯一このラウンドに進んだ小林愛実は、14歳のころから知っているピアニストである。
 彼女は当時からYoutubeの演奏映像視聴数がクラシックの分野でダントツ1位を記録し、話題を集めていた。ひたむきに鍵盤に向かい、完全に音楽のなかに没入し、全身全霊を傾けて演奏する姿は一瞬たりとも目が離せなくなるもので、ほとんど目を閉じ、からだ全体を楽器に預けるようにして弾く姿に、みな驚きの表情を隠せなかったものだ。
 1995年生まれの彼女は、さまざまなコンクールの最年少記録を次々に塗り替え、10代でパリ、ニューヨーク、モスクワ、ワルシャワでも演奏し、高い評価を得ていた。そして2010年、愛してやまないバッハ、ベートーヴェン、ショパンの作品でEMIからCDデビューを果たした(2008年6月ニューヨークで録音)。題して「小林愛実 デビュー!」。そのライナーノーツを書き、このころから彼女にインタビューを行い、演奏を聴き、食事をするなど、親しくおつきあいをすることになった。
 この新譜では、特に「ワルトシュタイン」が新鮮な響きで迫ってくる。
「ベートーヴェンのこのソナタはすごく難しいけど、弾くたびに好きになる。一番好きなのは第1楽章。最初の8分音符の刻みからベートーヴェンのすばらしい世界にスッと入っていける感じがします。第3楽章もスピード感あふれ、華やかでフィナーレまで一気に突っ走ることができるので魅了されます。でも、この曲はいつもテンポが速くなってしまい、先生に注意されてばかり(笑)」
 山口県出身の彼女は3歳よりピアノを始め、2007年より桐朋学園大学音楽学部付属「子供のための音楽教室」に特待生として入学。8歳から名教師として知られる二宮裕子に師事している。
「いまは4時半に学校から戻り、夕食をはさんで9時まで先生にレッスンを受けています。私は練習嫌いなのでいつも怒られてばかりいるけど、ステージで弾くのは好きなの。録音もハードだったけど、すごく楽しかった」
 当時、中学生だった彼女はこう語っていた。あっけらかんとした性格で、趣味は「食べることと寝ること」。さらに「背が高くてカッコいい男の人が好き」などといって笑っていたが、いったんピアノに向かうと表情が一変し、集中力に満ちた演奏が展開された。
「目を閉じて弾くのは自分では意識していない。曲のなかに入ってしまうと、どんな顔をして弾いているかわからなくなる。ショパンも大好きで、自分の心が素直に表現できる気がして、もっともっと弾きたくなるの」
 新譜ではショパンのスケルツォ第1番、第2番、ノクターン第20番が収録されているが、マズルカも好きで、さらに今後はバラード第1番に挑戦するといっていた。
「バラード第1番はすごくカッコいい曲なので早く弾きたかったけど、先生にまだ早いといわれ続けてきた。ようやく今年OKが出たの。うれしくて譜読みするのが楽しみ。ステージで演奏する日が待ち遠しい」
 彼女の演奏は聴いていると元気が湧いてきて前向きに物事を対処しようという気持ちになる。演奏からみずみずしいエネルギーが伝わり、自然に内なる活力が湧いてくるのがわかるのである。日本を元気にしてくれる、そんな若き逸材の誕生にクラシック界も活気づくのではないかと思った。
 そんな彼女は、2013年9月からアメリカのカーティス音楽院に留学、さらなる研鑽を積んでいる。そして今年、ショパン国際ピアノ・コンクールに参加しているのである。現在、20歳。コンクールの映像を見ると、大人っぽくなり、演奏も成熟し、深みが増している。
 ぜひ、本選で実力を発揮し、いい結果を残してほしいと願う。
 今日の写真は、デビューCDのジャケット。今夏、ワーナーから再発売されたばかりだ。

| アーティスト・クローズアップ | 21:39 | - | -
福間洸太朗
 福間洸太朗に会うと、いつもフィギュアスケートの話題に花が咲く。
 彼はスイスのステファン・ランビエルと友人で、2014年12月ジュネーブで「アイス・レジェンド」、2015年6月、7月日本で「ファンタジー・オン・アイス」に招待され、ランビエルや安藤美姫、鈴木明子と共演している。
 こういう場でのピアノの演奏は寒さとの戦いで、指が動きにくかったり、照明が急に自分にも当たって驚いたり、スケーターとのアイコンタクトが必要になって鍵盤から目を離さなくてはならなかったりと、ふだんの演奏とはまったく異なることを要求され苦労するようだ。
 だが、いつも新しいことに挑戦し、ポジティブな性格の彼のこと、この共演はとても楽しいと語る。
 今回は、これまでステージで演奏し、録音を希望されていたスメタナの「モルダウ」(福間洸太朗編曲)をメインに据えた「モルダウ〜水に寄せて歌う」と、山田和樹指揮横浜シンフォニエッタとの共演によるモーツァルト:ピアノ協奏曲第9番《ジュノーム》&シューマン:ピアノ協奏曲」(コロムビア)の2枚の新譜がリリースされたため、インタビューを行った。
 このインタビューは次号の「intoxicate」に掲載予定である。
 話題はやはり「モルダウ」が中心となったが、海外でのコンサートのこと、ベルリン在住10年になったこと、コンチェルトの録音に関してなど、幅広く聞くことができた。
 この「モルダウ」は、一度耳にすると絶対にナマの演奏を聴きたくなる。小さな流れから大河に成長していく水の流れをピアノ1台で表現するさまは、とても視覚的で、想像力を喚起するから。
 そして、もちろん大好きだというフィギュアスケートの話題も登場。彼によると、以前インタビューのことをブログに書いたら、多くのフィギュアスケートのファンの方たちが読んでくれたそうで、私のブログが思いもかけないところで話題になったそうだ。
 今日の写真は、そんなさまざまな話題を楽しそうに語る福間洸太朗。もう1枚は、ドイツのエージェントが製作してくれたという福間洸太朗の2015年のコンサート記録のパンフレット。ミュンヘン、トゥールーズ、マルタなど、各地のホールの写真付きだ。こんなにすばらしいパンフレットを作ってくれるなんて、恵まれているよねえ。
 ベルリンに住んで10年、ここから各地へと演奏に出かけていく。会うたびにたくましくなっていく姿に、エールを送りたくなる。




 
| アーティスト・クローズアップ | 23:35 | - | -
セドリック・ティベルギアン
 パリ音楽院出身で、1998年のロン=ティボー国際コンクールで優勝の栄冠に輝き、合わせて5つの特別賞も受賞したピアニスト、セドリック・ティベルギアンは、ヴァイオリニストのアリーナ・イブラギモヴァと組んでヴァイオリン・ソナタを数多く演奏している。
 明日から3日間、王子ホールでふたりのデュオが行われ、今回はモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会(全5回)の3回が予定されている。
 それに先駆け、今日はヤマハの銀座店のアーティストサービスの部屋で、セドリックにインタビューを行った。
 朝10時からのインタビューで、彼はアリーナとともに11時から練習に入るという。その前の1時間をもらったわけだが、部屋を訪れるとアリーナもいて、以前インタビューしたのを覚えていてくれた。
 さて、セドリックへのインタビューは、このモーツァルトの来年の2回、2016年3月24日と、25日の第4回と第5回に向けての内容となった。
 彼はひとつの質問にさまざまなことばを尽くしてじっくりと答えてくれ、モーツァルトのシリーズの前に行ったベートーヴェンやシューベルトのシリーズのこと、アリーナとの出会いのこと、ソリストとしての活動、子ども時代のピアノとのつきあい、室内楽と協奏曲が好きなことなど、多くを語ってくれた。
 もっとも印象的だったのは、何かひとつの作品の楽譜を見始めると、早く達成したいという気持ちが募り、初見がきくため、あっというまに最後まで弾き通してしまうといったことだ。
「昔からこの性格は変わらず、いつも何か新しい作品に出合うと、早く早く全部弾きたいと思ってしまうんです。最後まで弾かないと、気が収まらないんですよね」
 こう笑いながら話すが、この才能と性格、初見の早さは、音楽家にとってとても重要なことであり、特質である。
 セドリックの子ども時代の話もとてもおもしろく、こうしたいわゆる秘話は、インタビュー記事でどんどん紹介していきたいと思う。ちなみに、今回のインタビューは、HPのリニューアル後のインタビューページに掲載する予定である。
 今日の写真は、おだやかな笑みを見せながらインタビューに応じるセドリック・ティベルギアン。彼のピアノは、美しい弱音が最大の特徴。その弱音は、一度聴いたら、忘れられないインパクトの強さ。「弱音は、聴き手の集中力を促す」と語っていた。


 
 
| アーティスト・クローズアップ | 21:35 | - | -
デジュー・ラーンキ
 ハンガリーのピアニスト、デジュー・ラーンキは、マイペースを貫く人である。1969年にドイツのロベルト・シューマン・コンクールで優勝を果たした後、国際舞台で広く活躍するようになり、日本でも甘いマスクと情感豊かな演奏に人気が集まった。来日公演では花束攻勢にあい、大変な人気だったことを覚えている。
 8日のリサイタルはHakujuホールで15時と19時30分の2回行われ、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第16番と、ショパンの「24の前奏曲」が演奏された。
 ラーンキの演奏は、みずみずしく自然体のエレガントなピアニズム。それはいまも昔も変わらぬ彼の個性で、特にショパンの弱音の美しさを際立たせる曲が印象に残った。
 昨日行われたインタビューでは、プログラムの組み立て、選曲の難しさを熱心に語った。ラーンキは、若いころの人気沸騰にはまったく興味がなかったそうで、そういう状況でも自分をきちんと見つめていたという。
 このインタビューも、HPのリニューアル後のインタビュー・ページで紹介する。
 レコーディングが好きではないこと、プログラムを考えるのにものすごく長い時間がかかること、派手な活動よりも、本当に自分のことをわかってくれる聴衆の前で演奏することを好むことなど、静かにじっくりと語った。
 こういう人は、思索する時間をとても大切にするのだろう。読書が好きで、自宅には膨大な数の書籍があるそうだ。
 趣味は本の収集で、ハンガリーのある時代の本を徹底的に収集しているそうで、その話がとてもおもしろかった。私がその話題になると、こまかいことを聞いたため、彼は携帯で自宅の本棚の写真を探し始めた。そして見つけると、得意な表情をして見せてくれた。
 でも、インタビューの間も終始物静かで落ち着いた話し方。表情もあまり変えず、あくまでもマイペース。これがラーンキの性格なのね。
 今日の写真は、インタビュー後の1枚。笑顔を撮りたかったけど、ご本人はこういう表情の方が好きみたい。



| アーティスト・クローズアップ | 22:30 | - | -
アレクサンダー・クリッヒェル
 久しぶりに、若手ピアニストで響きが心にぐっとくるピアニストを見つけた。1989年ハンブルク生まれのアレクサンダー・クリッヒェルである。
 ソニー・クラシカルとの専属契約による第1弾として登場したのは、シューマンやシューベルトの歌曲のリスト編で、メンデルスゾーンの「無言歌集」からの選曲も含まれている。
 この録音を聴き、繊細なタッチと豊かにうたう表現に魅せられ、昨日はインタビューでその奏法についていろいろ聞いた。
 クリッヒェルは名教師として知られるウラディミール・クライネフに師事し、彼の最後の弟子となった。恩師からは「ピアノをうたわせる」ことを徹底して学び、その教えがいまの奏法の基礎となっているという。
「本当に最後の弟子なんです。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をレッスンしていただいたのが最後で、直後に急逝してしまった。もう大きな衝撃を受け、2カ月ほどピアノがまったく弾けない状態に陥ってしまったほどです」
 だが、そのころソニーから録音の話を持ちかけられ、「クライネフ先生の導きだと感じた」そうで、この時点で立ち直り、再びピアに向かうことができるようになったという。
 今日は王子ホールでリサイタルがあり、モーツァルトが19歳のときに書いたピアノ・ソナタ第6番からスタート。かろやかに、躍動感あふれる響きで、ロココ的な空気を編み出した。
 次いでショパンの「モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》の『お手をどうぞ』による変奏曲」が登場。主題と変奏を鮮やかに対比させ、また絢爛豪華なピアニズムと素朴な歌のコントラストも見せ、ショパンの名人芸を前面に押し出した。
 前半の最後はシューベルト/リストの「セレナード《白鳥の歌》より」、「魔王《12の歌》より」が演奏され、ここでは超絶技巧が遺憾なく発揮され、「魔王」ではホール全体に鳴り響く強靭な音が印象的だった。この音量は、もう少し大きなホール向きかな(笑)。
 後半はラフマニノフの「楽興の時」全6曲。クリッヒェルはクライネフの後、現在はロンドンの王立音楽大学でドミトリー・アレクセーエフに師事しているが、ロシア人の先生たちから学ぶロシア作品は特別とのことで、このラフマニノフも、楽器の鳴らし方、レガート奏法、ぺダリング、主題のうたわせ方などにその教えが生きていた。
 アンコールは、サポートしてくれた南アメリカの支援者が亡くなり、その人に捧げるために作曲したという「ララバイ」をしみじみと演奏。さらに大好きだという、クララ・ロドリゲスの「エル・ディアブロ・ウェルト」というリズミカルな曲を弾き、リサイタルの幕を閉じた。
 今回のインタビューは、とても内容が濃いものとなった。これもHPのリニューアル後のインタビュー・ページで紹介したいと思う。
 今日の写真は、インタビュー時の“アレックス”。食べても太らない体質だそうで、とてもスリム。ドイツ人にしては珍しく、ビールは好まずワイン党だとか。



 
| アーティスト・クローズアップ | 23:17 | - | -
アンティ・シーララ
 先日、7年ぶりにインタビューしたアンティ・シーララは、ひとつずつの質問にていねいに答える姿勢と、ことばを尽くして自身の考えをじっくり伝える様子がまったく変わることがなく、演奏と同様の清新な雰囲気を醸し出した。
 音楽一家に生まれたシーララは、幼いころからピアノを始めたが、確固たる信念をもった子どもだったようで、自分の考えを貫き通す面があった。
「頑固な面があるんです。いい出したらきかないといった子どもでしたね。両親はピアノの練習を強いることなく自由にさせてくれましたし、幼いころの先生もぼくの性格を受け入れて根気よく指導してくれましたが、やがてマスタークラスを受ける年代になると、自分の考えとは違う解釈や奏法を押し付けられると、よく反発したものです」
 いまでは笑いながら語るが、子どものころからすべて自分で決めることが好きだったという。国際コンクールを受ける年代になると、先生の意見には一応耳を傾けるものの、参加するコンクールはすべて自分で決めた。
 17歳でウィーン・ベートーヴェン国際コンクールで優勝してからというもの、ロンドン、ダブリン、リーズとすべての国際コンクールにおいて優勝を果たしているのだから、自身の選択はまちがっていないことになる。
「ベートーヴェン・コンクールは絶対に受けたかったのです。子どものころからベートーヴェンが大好きでしたので。ここで賞をいただいて、大きな自信になりました」
 いまやベートーヴェンのピアノ・ソナタはシーララのメインを成すレパートリーとなり、世界中で高い評価を受けている。
 このインタビューは、HPのリニューアル後のインタビュー・ページに掲載する予定である。
 シーララは、ピアニストとの夫人の間にふたりの子どもがいるため、「いまは趣味に費やす時間もなく、子どもの世話をするのが精いっぱい」と幸せそうな笑顔を見せた。
 ずっとヘルシンキに住んでいたわけだが、2013年よりゲルハルト・オピッツの後任としてミュンヘン音楽大学の教授に就任したため、現在はミュンヘン在住。「この町は清潔で美しく秩序もあり、大都会で何でもあるし、とても住みやすい」と気に入っている様子だ。
「ミュンヘン音大は、とてもレヴェルの高い生徒が多く、自分の勉強にもなる。ぼくはベートーヴェンのソナタや高度な作品を子どものころから弾きたいといっては先生に早すぎるといわれてきたけど、生徒たちには難しい作品でもどんどん自由に弾かせているよ」と太っ腹なところを見せていた。
 風貌は以前とあまり変わっていなかったが、すっかり教授職が板に着いた感じで、生徒の話をするときはやわらかな表情になった。きっといい先生なのね。
 今日の写真はインタビュー後の1枚。おだやかな笑顔でしょ。

 
| アーティスト・クローズアップ | 21:21 | - | -
津田裕也
 いま、津田裕也の新譜のライナーノーツを書いている。
 彼は2007年に仙台国際音楽コンクールで優勝の栄冠に輝き、その後ベルリン芸術大学に留学。つい先ごろ、日本に拠点を移したばかりだ。
 コンクール後、何枚かCDをリリースしているが、今回の新譜は事実上のソロ・アルバムとしてのデビュー作となり、オール・メンデルスゾーンというプログラムになっている(フォンテック)。
 まず、あまり演奏される機会に恵まれないピアノ・ソナタ第1番からスタート。次いで「幻想曲」作品28へと進み、メンデルスゾーンの代表作のひとつである「無言歌集」から9曲が選ばれ、最後は「厳格なる変奏曲」で幕を閉じるという趣向だ。
 最近、国際コンクールなどで鍵盤をエネルギッシュにガンガン叩き、ダイナミックな音量で勝負するピアニストが多いなか、津田裕也のピアノはその対極にある。彼の作り出す音楽は、おだやかで柔軟性に富み、抑制された感情が息づく静謐なピアニズムである。
 その特質が、今回のメンデルスゾーンでも全面開花し、やわらかくうたい、語りかけ、各曲の絵画的で詩的な響きがしっとりと胸に染み込んでくる。
 先日、久しぶりにインタビューで会い、いろいろ近況を聞いた。やはりドイツに留学してから、ドイツ作品の奥深いところに目覚めたとのことだった。
 津田裕也は、話し方も謙虚で誠実でおだやか。その性格はヨーロッパで暮らすことで少しずつ変化し、「自分を主張することができるようになり、音楽面でも自分のいいたいことを最初の音から出せるようになった」という。
 今日の写真は、インタビュー中の1枚。「眉毛が太くて、理髪店で細くしたらといわれますが、やめています」といって、笑っていた。そうそう、眉剃りなんか、しないでね(笑)。







| アーティスト・クローズアップ | 22:12 | - | -
ラルス・フォークト
 私は、ネクラな人を乗せるのが得意なようだ。
 今日はラルス・フォークトのインタビューがあったが、彼は本人いわく「ネクラ」だそうで、昔は目立つことや人前に出ることが苦手だったという。
 しかし、ピアニストになり、最近は指揮活動も行っているため、性格が徐々に変化してきたようで、いまは感情を外に出すようにしているそうだ。
「昔から指揮には興味があったんですよ」
 最初は弾き振りを行っていたが、やがて本格的な指揮を行うようになり、2015/16シーズンからノーザン・シンフォニアの音楽監督に就任し、指揮活動の時間が多くなっている。
 室内楽奏者としても知られるフォークトは、1998年6月にケルン近郊のハイムバッハで室内楽音楽祭「シュパヌンゲン音楽祭」を創設し、その活動も多忙を極める。さらに教育プログラムも設立し、教えることにも時間を割いている。
「もう、時間が足りなくて足りなくて。本当にどうやったらすべての活動に力を注げるのか、そればかり考えている」
 もちろんピアニストとしてのソロ活動がもっとも重要だが、その時間のやりくりや指揮に関しては、友人であるラトル、ハーディング、P.ヤルヴィらがアドヴァイスをしてくれるという。
 フォークトはひとつの質問に対して、ことばを尽くして一生懸命答えてくれたが、その目力の強いこと。このインタビューは、次号の「intoxicate」に掲載される予定である。
 いろんな話に話題が広がったが、7月3日にサントリーホールで新日本フィルとの共演で演奏するブラームスのピアノ協奏曲第2番に関し、私が「もうこのコンチェルトは、自分の曲といってもいいくらい弾き込んでいるでしょう」といったところ、目を大きく見開いて「とんでもない!」と大声を上げた。
「このコンチェルトを弾くときは、いつも生か死か、というくらいの切羽詰まった気持ちで対峙しているんだよ」
 これを受けて私が「シェイクスピアのようですね」といったところ、急に芝居がかった調子で「生きるべきか死ぬべきか」と台詞のように語り、すぐに「へへへっ」と照れくさそうに笑った。こういうところが「ネクラ」なのかもね。ネアカな私が乗せてしまったのかしら(笑)。
 このインタビューでは、著名な指揮者たちとの交流、子どものころにモーツァルトに魅せられたこと、ノーザン・シンフォニアは家族だと思っていること、ようやくショパンを録音したこと、リーズ国際コンクールの思い出、サッカー少年だったときのことといま応援しているチームについてなど、多岐に渡ることを話してくれた。
 今日の写真は、その目力の強いラルス・フォークトの一瞬の表情。顔も大きくて立派、からだもがっしりしている。サッカーの話のときに「いまは走っていないの」と聞いたら、急に立ち上がって走り出すまねをし、「う〜ん、無理」といってすわりこんだ。結構、お茶目かも。これも私が乗せたせい?


| アーティスト・クローズアップ | 23:26 | - | -
ヴァレリー・アファナシエフ
 ヴァレリー・アファナシエフの音楽は、聴き手に「自由とは何か」「自己表現とは何か」「生きる意義とは」ということを考えさせる。彼は常に何かを模索し、可能性を追求し、自己表現の方法を考え、それが自身のなかで完璧な形となった段階で世に送り出していく。
 ムソルグスキーの「展覧会の絵」では、アファナシエフが書いた戯曲をもとにステージを構成し、作曲家に扮した人物をステージに登場させて彼と対話しながら演奏を進めたり、シューベルトのピアノ・ソナタを特有のゆったりしたテンポを保ちながら延々3時間近く弾き続けたりと、そのプログラムは超個性的。活動はピアノを弾くことのみならず、詩や随筆、小説の執筆などの広範囲に及び、最近は指揮も行うようになった。
 ときに人を驚かせ、とまどわせることもあるこれらの活動は、すべてアファナシエフの精神の解放であり、究極の愉悦の世界である。彼はステージで演奏以外のことをすることに対し、「あんなことはやめろ」と周囲からいわれているにもかかわらず、「これは私の楽しみ。これからも自分の可能性を貪欲に求めていくつもり」と語る。その表情のなんと楽しそうなことか。口調は静かでエレガントだが、芯の強さを感じさせる。
 彼は子どものころから自由を愛し、自由のためならなんだってする覚悟ができていた。亡命したことも、ヴェルサイユ郊外の家でひとりで暮らしていることも(2年前にベルギーに居を移したが)、音のみならず文で何かを表現することも、自分が音を出さずにタクトで音楽を表現することも、すべては自由のため。その自由を渇望する精神を演奏から受け取ることができたとき、私たちは初めてアファナシエフの音楽と一体になれるのである。
「私はシューベルトの作品に潜む孤独と沈黙を愛し、ベートーヴェンが他から遮断された世界で書いたソナタに魅了されます。彼らはプライベートな王国を築いた。その王国に入り込み、そこで感じた私の心の叫びを演奏に託したい。それが限りない自由を生み、生きる喜びをもたらしてくれるわけですから」
 今日は久しぶりにアファナシエフにインタビューで会い、また新たな彼の考えに接し、リサイタルが楽しみになった。
 今回の来日公演では、6月25日にトッパンホールでJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」第1巻より第1番、第8番、第22番、シルヴェストロフのオーラル・ミュージック、サンクトゥス/ベネディクトゥス、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」第2巻より第5番、第7番、第8番、第9番、第14番、第16番を演奏。27日に紀尾井ホールでベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、第14番「月光」、ショパンのポロネーズ第1番〜第6番を演奏する。
 今日のインタビューでは、新譜のベートーヴェン:「悲愴・月光・熱情」(ソニー)にまつわる話をメインに聞いたのだが、いつもながらの思慮深く洞察力に富む語り口で、しかもときおりユーモアを交えて雄弁に語ってくれた。
 なんでも、ベートーヴェンのソナタとの出合いは3歳のときに母親が弾いてくれた「月光」の第1楽章だそうで、私が「それでは、そのときにお母さまが弾いてくれたのがいまのアファナシエフさんのあのゆっくりとしたテンポのルーツなのですか」といったら大笑いして、「母のテンポは、まったく私の演奏とは関係ありませんねえ」といっていた。
 さて、演奏会ではどんな「月光」が登場するだろうか。
 今日の写真は、話している間に次々に表情が変わるアファナシエフの一瞬にんまりしたワンショット。この人、私の話の間、よく笑ってくれるんですよ。それも「フフフッ」と不思議な笑い方で…。


 
| アーティスト・クローズアップ | 20:37 | - | -
徳永二男
 2011年から宮崎国際音楽祭の音楽監督を務めているヴァイオリニストの徳永二男は、今年20周年を迎えた音楽祭に関し、万感の思いがあるようだ。
 今回の音楽祭では、宮崎国際音楽祭管弦楽団のコンサートマスターを務め、ソロや室内楽でも活躍し、さらにオーケストラの指揮も務めた。
 リハーサルの合間にインタビューを行ったが、いつもながらのおだやかな笑みをたたえながら、音楽祭に対する熱い思いを語ってくれた。
「私は船頭役で、ひとりで何でも決めているんですよ。その代わり、すべての責任も負っています」
 演奏者やプログラムからこまかいことまで、1年間かけてじっくり練っていくという。このインタビューは、ヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に書こうと思っている。
 徳永二男は、生まれたときに双子で、もうひとりの男の子はすぐに亡くなってしまったため、ふたり分生きてほしいという親の願いで、「二男(つぎお)」と名付けられたそうだ。
 彼はとても人当りがよく、ひたむきな話し方で、音楽に対する限りない熱意を感じる。
 今回、私が楽屋の部屋におじゃましたら、「何か飲まれますか。どんな物がいいですか。ああ、これいいんじゃないかなあ。女性には向いていると思うけど」といって、宮崎特産だというポリフェノールたっぷりのグレープジュースに似た味わいのジュースを冷蔵庫から出してくれた。
 そのおいしいことといったら…。こういうこまやかな心配りがさらりとできるところが、みんなに好かれる理由ではないだろうか。
 こうした地方の音楽祭を20年間続けるというのは、大変なことである。当初は、アイザック・スターンが顔となり、華々しく開幕したが、その後ウラディーミル・アシュケナージ、シャルル・デュトワへと受け継がれ、2011年に徳永二男が音楽監督に就任した。ただし、第1回から彼は音楽祭のオーケストラのコンサートマスターを務め、その人選も行っている。
 これから21年目に向かって、また新たな歩みを続けることになるわけだが、すでに新しいプロジェクトも考えているとか。
 今日の写真は、ことばを尽くして音楽祭の今後の展望を語る徳永二男。ごちそうになったジュースがあまりにもおいしかったため、いろんなところで探したが、ついに手に入れることはできなかった。
 銘柄を聞いておけばよかったなあ。食いしん坊の私は、後悔しきり(笑)。

 
 
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:16 | - | -
ヴィットリオ・グリゴーロ
 イタリアのテノール、ヴィットリオ・グリゴーロが待望の初来日を果たした。今日はインタビューに行き、短時間ながら集中的にいろんな話を聞くことができた。
 昨日の午後、成田に着き、すぐにインタビューをこなし、今日も複数のインタビューに応じるというタフな彼。時差ボケで大変だったようだが、ナマあくびをこらえて、一生懸命ことばを尽くして質問に答えてくれた。
 ヴィットリオ・グリゴーロは「ルチアーノ・パヴァロッティの再来」「ロランド・ヴィラゾンの後継者」といわれる逸材。現在37歳で、もっとも脂の乗っている時期だ。
 トスカーナのアレッツォに生まれ、ローマで育った。幼いころから音楽に才能を示し、美しい高音をもつ声を見出されて11歳から14歳までバチカンのシスティーナ礼拝堂聖歌隊に入隊。オーディションでボーイ・コントラルトに入れられたという。
 ボーイ・コントラルトの方が、ボーイ・ソプラノより変声期後にテノールになるチャンスが多いからだそうだ。
 ソリストを務めたヴィットリオは、変声期後しばらく声を休ませ、17歳からダニロ・リゴーサのもとでレッスンを開始。それまでの歌い方をすべて忘れろといわれ、一から勉強し直したという。
 23歳で史上最年少テナー歌手としてミラノ・スカラ座の舞台に立ち、大成功を収めた。そして2010年、大きな成功が未来への道を拓くことになる。
 コヴェントガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスで「マノン」のデ・グリュー役をうたい、「いままでロイヤル・オペラ・ハウスで聴いたもっともすばらしいデビュー」と絶賛されたのである。
 その後は各地の歌劇場から引っ張りだことなり、レコーディングも開始。「イタリア・オペラ界の至宝」と称されるようになった。
 待望の初来日公演は、4月5日と4月10日に東京オペラシティコンサートホールで行われる。息の合ったピアニスト、ヴィンチェンツォ・スカレーラとの共演だ。
 ベッリーニ、ロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、トスティ、レオンカヴァッロ、ダンニバーレの作品がプログラムに組まれている。
 来日記念盤として、美しい宗教曲のアリアを収録した「アヴェ・マリア」、もっとも自分の声が作品に適していると語るフランス・オペラのアリアを集めた「ロマンティック・ヒーロー」(ソニー)がリリースされており、今日のインタビューではその作品についてもいろいろ聞くことができた。



 このインタビューは「日経新聞」とヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に書く予定である。
 実は、「ロマンティック・ヒーロー」のCDにはメイキング映像のDVDが付いていて(初回生産限定盤)、そのなかで聖歌隊時代のヴィットリオ少年がソロをうたっている。これがすこぶる自然で清涼で美しい歌声。私は一度でこの声にはまってしまった。
 彼に子ども時代の映像もっとないの、ぜひまとめて発表してほしいんだけど、といったところ、「おっ、気に入ってくれたんだ。じゃ、ソニーに交渉してみるよ」と笑っていた。
 今後はコヴェントガーデンでアントニオ・パッパーノ指揮により、マスネの「ウェルテル」をうたう予定だそうだ。その後はプッチーニの「トスカ」も控えているという。
 情感豊かで繊細で、情熱的でありながらせつなさも表現できる歌声は、まさにフランス・オペラにピッタリ。6歳からフランス語を学んだそうだが、これは父親の薦めだったという。その父親が今回の来日に同行していた。
 お父さんは人とのコミュニケーションの手段として、言語の習得が大切だと息子に教えたようだ。そのおかげで、ヴィットリオは現在6カ国を話せる。
 今日の写真は、ヴィットリオがセルフィー(自撮り)で写したもの。私がインタビューが終わって「ブログ用に写真撮っていい?」と聞いたら、「そのスマホ、ちょっと貸して」といって私とのツーショットをセルフィーで撮ったため「そうじゃないの。アーティストだけなのよ」といったら、自分でピアノの前にすわり、撮影した。
 アーティストがセルフィーで撮ったのは初めて。ちょっとピンが甘いけど、公開しちゃいます。
 さて、4月5日はコンサート初日。どんな歌声が披露されるだろうか。待ち遠しい限りだ。彼はカリスマ性もあり、カッコいい。きっと舞台姿も美しいに違いない。

| アーティスト・クローズアップ | 20:24 | - | -
マレック・シュパキエヴィッチ
 今夜、チェロ好きの私は、王子ホールにマレック・シュパキエヴィッチの演奏を聴きにいった。
 シュパキエヴィッチはポーランド出身で、現在はロサンゼルス在住。生地で教育を受けた後、アメリカに渡り、数々の国際コンクールで優勝、入賞を果たした。
 現在はカリフォルニアのアズサ・パシフィック大学音楽学部で教鞭をとり、室内楽のディレクターを務めている。2008年には、アメリカ政府から永住権を授与された。
 今日のプログラムは、まずドヴォルザークの「スラヴ舞曲ホ短調作品72-2」が演奏されたが、これは長年シュパキエヴッチが編曲したいと願っていた作品。今回は、スラヴ民族音楽の哀感あふれる旋律を生かしながら、チェロを豊かにうたわせるアレンジを披露した。
 2曲目はポーランド人ならではのショパンのチェロ・ソナタ ト短調作品65。ピアノのジアイ・シーとともにショパンの名技性あふれる作品をロマンあふれる響きで聴かせ、ときに両楽器がはげしい音の対話を見せながら、スリリングなフィナーレへと突入した。
 後半は、シュパキエヴィッチが作曲者の精神に深い共感を得るという、ショスタコーヴィチのチェロ・ソナタ ニ短調作品40が演奏された。これこそ、チェロが慟哭の調べを奏でる作品。ショスタコーヴィチ独自の世界へと聴き手をいざない、作曲家が置かれていた辛い状況を浮き彫りにした。
 最後は、打って変わってピアソラの「グラン・タンゴ」が登場。シュパキエヴィッチの哀愁ただよう音色は一変し、躍動感あふれるタンゴのリズムがホール全体を満たした。
 今日は、東日本大震災の被災地で生まれ育った木材で中澤宗幸氏が製作したチェロが、アンコールなどで奏された。これは世界中の1000人の演奏家が、奇跡の一本松や大切な思い出のつまった家屋の床柱や梁で製作されたヴァイオリン、ヴィオラ、チェロをリレーのように奏でていくプロジェクトの一環。「千の音色でつなぐ絆」と題されている。
 シュパキエヴィッチは、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」などでその楽器を演奏し、絆の一翼を担った。
 今日の写真は、終演後のシュパキエヴィッチ。彼を知る全員が口をそろえて「マレックはすごくいい性格の持ち主」というが、その笑顔が性格のよさを物語っている。演奏もとても温かい音色で、その奥にえもいわれぬ哀愁の表情が潜む。



 今日はCDもいただいたが、これはショパンのチェロ・ソナタとブロッホの「ヘブライ狂詩曲《シェロモ》」が収録されているものである。


 
| アーティスト・クローズアップ | 22:19 | - | -
グリゴリー・ソコロフ
 日本はヨーロッパからもアメリカからも遠いため、飛行機嫌いのアーティストはなかなか来日がかなわない場合がある。
 長年「幻のピアニスト」と呼ばれてきたロシアのグリゴリー・ソコロフも、そのひとりだ。
 ソコロフは、いま世界中でもっともナマを聴きたいといわれるピアニストではないだろうか。もちろん来日公演はないため、海外公演を聴くしかないのだが、これはとても難しいことである。
 1950年サンクトペテルブルク生まれ。16歳のときにチャイコフスキー国際コンクールで優勝の栄冠を手にし、審査委員長を務めていた20世紀を代表するソ連のピアニスト、エミール・ギレリスに絶賛された。しかし、海外で演奏することは制限され、ようやくソ連崩壊後に西側で演奏できるようになる。それゆえ、長年「幻のピアニスト」と呼ばれていたのである。
 そんな彼の待望の新譜がリリースされた。「ザルツブルク・リサイタル2008」(ユニバーサル)と題されたCDで、スタジオ録音を嫌う彼の貴重なライヴ録音である。2枚組で、1枚目はモーツァルトのピアノ・ソナタ第2番と第12番。2枚目にはショパンの「24の前奏曲」が収録されている。さらに音楽祭のライヴゆえ、アンコールも6曲入っていて、スクリャービン、ショパン、ラモー、J.S.バッハの作品が演奏されている。
 ソコロフの演奏は、いずれもピアノが豊かにうたい、感情がほとばしり、多彩な色彩が描き出されるもの。モーツァルトのピアノ・ソナタはかろやかで自由闊達で、聴き手に至福のときを与えてくれるが、もっとも印象的なのはショパンの「24の前奏曲」。これまでこの作品は多くの録音を聴いてきたが、こんなにも表現力にあふれ、ストーリー性に富む前奏曲は聴いたことがない。各曲がみずみずしい生命力を放ち、聴き手の胸の奥深いところにストレートに語りかけてくる。
 聴き込むほどに心が高揚し、ソコロフとともに呼吸しているような感覚に陥る。まるで魔術にかかったように、何度も繰り返して聴いてしまうのである。
 とても臨場感ある録音ゆえ、あたかも自分がザルツブルク音楽祭の会場で聴いているような思いにとらわれ、目を閉じるとすぐそばでソコロフが演奏しているように感じられる。
 アンコールも特筆すべきで、特に最後のバッハ「主イエス、われ汝を呼ぶ」は心に染み入る演奏だ。深い打鍵と弱音の美しさが際立ち、つい頭を垂れて聴き入ってしまう。
 これを聴くと、なおさらナマの演奏を聴きたいと思う気持ちが募る。でも、日本にはきてくれないんだよねえ。ヨーロッパに出張するときには必ずその都市でのコンサートの有無を確認するのだが、そううまくいくわけもない。
 ショパンの「24の前奏曲」の絶妙のルバート、モーツァルトのソナタにおける自然な装飾音など、すっかり演奏にはまってしまって容易に抜け出せない(笑)。 
 今年前半の私のイチオシです!!
 今日の写真は、ソコロフのジャケット。ライナーノーツには、ストイックで論理的で誠実で完璧主義者のソコロフの素顔が綴られている。そういう人間性にも、無性に惹かれる。


 
| アーティスト・クローズアップ | 21:55 | - | -
移動中のインタビュー
 いま、ブレンデルから「私が出会ったもっとも類まれなる才能」と評された若きピアニスト、1992年ロサンゼルス生まれのキット・アームストロングが来日している。
 3月5日には浜離宮朝日ホールでリサイタルがあり、J.S.バッハの「コラール前奏曲集」よりとバルティータ第6番、リストのメフィスト・ワルツ第1番などの間に自作も盛り込み、個性的なプログラムを披露した。
 いずれも自信あふれる堂々とした演奏で、みずみずしい音色と確固たる構成感が息づく奏法だが、ときおり大家のような風格ある響きを醸し出す。
 幼いころから作曲も手がけ、ブレンデルに師事し、現在では欧米各地で活発な演奏活動を展開している。
 新譜はキット・アームストロング「ブレイズ・J.S.バッハ+リゲティ+アームストロング」(ソニー)。




 実は、今回インタビューのスケジュールがなかなか合わず、結局、彼が帰国するその日に行われることになった。というのは、明日である。
 ただし、そのスケジュールがすさまじいことになっている。キットは先週のリサイタル後にオフとして母親と一緒に京都を訪れている。そして明日のお昼ごろ東京に戻ってきて、午後羽田から帰国する予定。その合間を縫って、タクシーで移動する最中にインタビューすることになったのである。
 以前、ヨーヨー・マのインタビューで、やはり時間がなく、東京から名古屋に向かう新幹線のなかでインタビューをし、私は折り返し名古屋から戻ってきたことがあるが、明日もそれに近い状態になりそうだ。
 そうそう、もうひとつ思い出した。指揮者のマリス・ヤンソンスのインタビューも、羽田に着いたときからホテルまでのタクシーのなかだった。
 さて、心臓がハクハクしてくる状態だが、明日はいったいどうなるだろうか。
 明日のブログでそのいきさつを紹介しま〜す。うまくいくことを願って…。
| アーティスト・クローズアップ | 22:49 | - | -
佐藤久成
 先月22日、個性派ヴァイオリニストの佐藤久成のリサイタルが東京文化会館小ホールで行われた。この日はちょうど日田の講演とぶつかり、演奏を聴くことができなかった。
 私はこのリサイタルのチラシに原稿を寄せている。佐藤久成は音楽評論家の宇野功芳氏が大絶賛しているヴァイオリニストで、このおふたりからチラシの原稿を依頼されたのである。もちろんマネージャーを通して。
 その文章が宇野さんの目に留まり、彼からお手紙を頂戴してしまった。「ここまで書くか、と驚くとともに感動した!」と書いてあり、熱い文章を書くことで知られる先生にそういわれて、恥ずかしいやら恐縮するやら…。その文を以下に紹介します。

[佐藤久成のヴァイオリンは魂の叫びである]

「1音聴いたら、すぐにその人の名前が浮かぶような演奏をしたい」
 多くのアーティストがこう語る。「自分の音」を奏でたいと。声楽家はそれが可能だが、器楽奏者の場合は非常に困難である。
 しかし、ここに冒頭の音を聴いただけですぐにその人だとわかるヴァイオリニストがいる。佐藤久成である。彼の生み出す音は、胸の奥から絞り出すような、からだを震わせるような、すべての感情を音楽に託すような、まさに魂の叫びである。知られざる作品を披露するときも、名曲と称される小品と対峙するときも、その姿勢はいっさい変わらない。
 佐藤久成のヴァイオリンは、聴き手を瞬時に異次元の世界へと運び去る。日常から離脱し、天上の音楽に酔い、身も心も新たに生まれ変わるような思いにとらわれる。そこでは、喜怒哀楽の感情がほとばしり、慟哭、嗚咽、苦悩、歓喜、至福などさまざまな感情が渦巻く。自分がこんなにも豊かな感情の持ち主だったことに驚くことになる。それはすべて久成節を全身に浴びたことにほかならない。
 彼のヴァイオリンは平常心で聴くことはできない。胸がざわつき、涙腺がゆるみ、目を閉じると自分の人生のひとこまが浮かんでくる。音楽がなつかしい感情を引き起こすからだ。 
こんなにも人の感情に強く訴えるヴァイオリンは珍しい。しかもこよなく官能的で立体的。独創的なルバート、テンポ、主題のうたわせ方など、いずれも癖になる。一度演奏にはまると抜けられなくなる。罪深い音楽家だ!!

 とまあ、こんなことを書きました。
 その佐藤久成に、今日インタビューをすることになった。「intoxicate」の次号に掲載されるインタビューである。
 新譜の「HISAYA 魔界のヴァイオリン供廖淵ングインターナショナル)のこと、子ども時代の音楽とのかかわり方、留学中のこと、海外で秘曲に出合い、それを捜し歩いたこと、ヴァイオリニストとしての生き方、楽器のこと、今後の視点まで、多岐にわたる話を聞き、有意義な時間を過ごすことができた。
 彼はあんなにヴァイオリンでは雄弁に語るのに、話すのはちょっと苦手のようで、とてもシャイで朴訥で、ことばを選びながらゆったりと話す。
 よく、自分の音楽のことをことばで話すよりも演奏で伝える方が楽だという人がいるが、彼もそのタイプのようだ。
 それでも私はどんどん質問し、いろんな切り口を探し、相手の話を少しでも多く引き出していくよう努力する。時間は限られているから、さまざまなことを聞いておかないと、いい記事は書けないからである。
 新譜はエルガーの「愛のあいさつ」から始まり、名曲がずらりと登場し、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」でフィナーレとなるが、まさに饒舌で官能的で情熱的な演奏が全開。濃密な時間が流れる。
 また次回、時間があるときにゆっくりいろんな話を聞きたい、と思わせるヴァイオリニストである。秘曲の話も興味深いし…。
 今日の写真は、インタビュー後のワンショット。「ブログ用にお写真1枚いいですか」といったら、ハンカチを出して顔をごしごし拭きだした。笑っちゃいけないけど、その仕草、いいよねえ。朴訥で率直でほほえましいです。


 
| アーティスト・クローズアップ | 23:06 | - | -
ネルソン・フレイレ
 昨年、ピアニストのネルソン・フレイレにインタビューし、そのときの様子を10月16日のブログに綴った。
 このとき動物好きの彼はスマホで自身のペットの動画を探し、それを見せてくれたのだが、「CDジャーナル」2月号にそのインタビュー記事が掲載され、編集部の方がYou Tubeの動画を調べ、そのアドレスを載せてくれた。
 リオデジャネイロのフレイレの自宅にいるボクサー犬が、彼の演奏するヴィラ=ロボスの曲を聴いて目がウルウルになるというのは、「Nelson Freire with his dog,plays Villa-Lobos」で視聴可能。
 なお、フレイレのドキュメンタリー映像は、「Nelson Freire-Documentary(Complete)」で視聴可能だ。
 フレイレのインタビューは短時間ながら、とても有意義な内容だったが、とにかく時間が短かすぎた。
 というのは、彼はこの来日時の共演者である指揮者のワレリー・ゲルギエフとランチを食べていて、つい話が長くなり、インタビューに遅れてきたのである。
 部屋に入ってくるなり、「申し訳ない、申し訳ない」と平謝り。私はフレイレが大好きなので、「大丈夫、すぐ始めましょう」といったのだが、インタビューの途中でこのペットの話題になり、動画を探す方に一生懸命になってしまったという次第。
 インタビューに不測の事態はつきものだが、このときも冷や汗をかいたものだ。
 でも、それによって動画が見られることになったので、まあ、終わりよければ、ということだろうか。許してあげましょう(笑)。
 ぜひ、フレイレの動画、見てくださいね。とてもおもしろいので。
 
 
| アーティスト・クローズアップ | 21:57 | - | -
ヴァシリー・ペトレンコ
 出張前は、留守中の原稿を先に入稿していかなくてはならないため、いつもドタバタ状態になる。
 特に、今回は月末ゆえ、いつもよりなお一層あわただしい。
 でも、今日はインタビューとコンサートがあり、その時間を空けるために朝から飛ばしに飛ばして、夕方サントリーホールに駆け付けた。
 今日はヴァシリー・ペトレンコ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートで、ソリストとして辻井伸行が参加する。
 プログラムはストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」で、そのリハーサルと本番の合間にペトレンコがインタビューに応じてくれた。
 彼は1976年サンクトペテルブルク生まれ。いまや若手世代の注目株のひとりで、その指揮はしなやかで躍動感に富む。ロシア作品を得意とし、欧米の主要オーケストラや歌劇場にも招かれているが、現在はこのロイヤル・リヴァプール・フィルとオスロ・フィルの首席指揮者を務め、さらに他のポストもいくつか務めている多忙な身。
 来日記念盤としてラフマニノフの交響曲全曲録音がリリースされたため(ワーナー)、その話題にも触れた。ペトレンコはロシア作品をもっと世に紹介したいといい、特にあまり知られていない作品に光を当てたいと熱く語った。ラフマニノフも、ピアノ作品の方が有名だが、ペトレンコは交響曲のすばらしさを広めたいのだそうだ。
 彼は辻井伸行の才能を高く評価し、もっともっとロシアのピアノ協奏曲を演奏してほしいといっていた。
 190センチはあろうかという長身だが、笑顔が親しみやすく、性格がとてもいい。オーケストラのメンバーに好かれそうな、温かで真摯でまっすぐな性格が話の端々にのぞく。
 このインタビューは、「日経新聞」とヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に書く予定である。
 子どものころの話、師事した偉大な指揮者のこと、指揮者としての仕事に関して、各地のオーケストラのこと、今後の方向性まで多岐にわたることを話してくれ、短時間ながら有意義なインタビューとなった。
 私がラフマニノフの交響曲第1番の新譜の解説書をテレコの横に置いて話を聞いていたら、最後に自分からサインをしてくれた。
 これまで多くの指揮者に話を聞いてきたが、頼んでいるわけではないのに、ペンをもってサインをしてくれた人は初めてである。本当にいい人なのね(笑)。
 その後、コンサートを聴き、生き生きとしたみずみずしいストラヴィンスキーに、オーケストラとの絆を深さを感じた。彼はこのオーケストラとの「結婚」はうまくいっているといっていたが、まさにそれが音楽に生命を与えていた。
 さらに、プロコフィエフを演奏した辻井伸行の一途なピアニズムは、いつもながら私を元気にしてくれた。今日は疲れていたが、このコンサートのおかげで、明日からの仕事に対するエネルギーが湧いたような気がする。
 今日の写真は、インタビュー中のマエストロ・ペトレンコ。ロイヤル・リヴァプール・フィルのポストに就いたとき、「英国のオーケストラのトップを目指そう。そうあるべきだ」と、みんなにゲキを飛ばしたそうだ。上昇志向の強さは、気持ちいいほど。指揮者として、ぐんぐん高みを目指して進んでいくに違いない。

| アーティスト・クローズアップ | 22:39 | - | -
ネルソン・フレイレ
 ようやくすべての原稿が終わり、旅支度に取り掛かることができた。
 しかし、まだやることが山ほどあって、心ここにあらず状態。きっと何かを入れ忘れているに違いないと思うと、気ばかり焦り、きちんと用意ができない。
 本当は、もっと余裕を見て準備をすれはこんなことにはならないのだろうが、どうしても時間がなくてできなかった。
 14日はサントリーホールにワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団のコンサートを聴きにいき、すばらしい演奏にいまだ感動冷めやらない。
 とりわけ、ブラームスのピアノ協奏曲のソリストを務めたネルソン・フレイレが印象深かった。
 そして翌日のインタビューではフレイレにいろんな話を聞くことができ、とても有意義な時間を過ごすことができた。このインタビューは「CDジャーナル」に書く予定になっている。
 オーケストラの演奏によるショスタコーヴィチの交響曲第8番も、圧倒的な迫力と存在感のある演奏で、ショスタコーヴィチの作品に込められた悲劇性、暗澹たる様相、戦争の最中に書かれた重く暗い空気が全編をおおい、それらをゲルギエフとオーケストラは命を賭けて演奏しているような緊迫感をただよわせた。
 この公演評は公明新聞に書くことになっていたため、帰宅してからすぐに原稿を書き上げた。
 そんなこんなで、ドタバタとしているうちに出かける日が近づいてしまった。明日は午前中の出発ゆえ、朝早く家を出なくてはならない。
 何か忘れ物をしている気がするが、いまは頭のなかが飽和状態で集中力がなく、トランクの中身に気がいかない。ホント、こういう時間に追われているのって、嫌よねえ。
 といいながら、あるところまでいくと、「エーイ、あとはなんとかなる」と割り切ってしまうのがいつもの私のパターン。
 それでは、行ってきま〜す。いっぱい写真も撮ってきますよ〜。
 今日の写真は、インタビュー中のフレイレ。短時間ながら、すごく内容が濃いインタビューだった。それはまたゆっくり紹介します。
 写真は、私が以前フレイレが犬と猫を飼っていて、そのワンちゃんたちがフレイレのピアノに静かに耳を傾けるという話を聞いたのを思い出して、その後彼らは元気?と聞いたら、スマホでワンちゃんとニャンコの画像を探し始めてしまった。ようやく見つかって、すごくかわいい様子を見せてくれたのだが、とにかくこの話になると一気に話が盛り上がり、時間がどんどん過ぎてしまった。
 その話はいずれまた…。

| アーティスト・クローズアップ | 22:58 | - | -
デュオ・ガッザーナ
 ヴァイオリニストは常に自分と音楽性、人間性が合うピアニストを探しているが、姉妹だったら問題はすべて解決、自分の目指す音楽を存分に発揮することができる。
 イタリア出身のデュオ・ガッザーナは、ヴァイオリンのナターシャ・ガッザーナ(妹)とピアノのラファエラ・ガッザーナ(姉)のデュオ。公式なデビュー・コンサートは1990年代中頃だが、幼いころからずっと一緒に演奏してきた。
 今日は、そんなふたりのミニ・リサイタル&トーク・イベントがHAKUJU HALLで開催され、その後インタビューを行った。
 彼女たちは2011年にECMレーベルからデビュー・アルバム「Five Pieces」をリリースし、2014年3月にはセカンド・アルバム「プーランク、ウォルトン、ダルラピッコラ、シュニトケ、シルヴェストロフ作品集」をリリースしている。
 今日はそのアルバムからシュニトケの「古い様式による組曲」から第3曲「メヌエット」と第4曲「フーガ」、シルヴェストロフの「J.S.Bへのオマージュ」、プーランクの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」から第3楽章が演奏された。
 長年、姉妹で共演しているよさというのは、まさにこういう演奏をいうのだろう。あうんの呼吸で、すべてがごく自然に流れていく。
 インタビューでも、お互いを本当に理解し、信頼しあっている様子が伝わってきた。
 現在はラファエラがベルリンに住み、ナターシャはフィレンツェにいるそうだが、ひと月のうち20日は別々で10日間は一緒に演奏しているという。
 姉妹といわれなければわからないほど顔も性格も異なり、それがお互いを補い合ったり、異なる行動をしたりというメリットにつながっているそうだ。
「私たち、本当にキャラクターが違うの。でも、その個性の違いが音楽ではいい結果を生み出す。他の人との共演は考えられないわね」
 彼女たちはスイスで学び、日本の歴史や文化に深い興味を抱き、読書が趣味で、さまざまな言語にも挑戦している。
 今日のインタビューはヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に書く予定にしている。
 写真は、演奏風景とインタビュー後のショット。向かって左がラファエラ、右がナターシャ。ラファエラが母親似で、ナターシャが父親似だという。ホント、似ていないよねえ(笑)。声や話し方もまったく違うんですよ。でも、みずみずしく推進力にあふれた演奏は、同質のものがある。





| アーティスト・クローズアップ | 23:36 | - | -
ピエール=ロラン・エマール
 フランスの名手と称されるピアニスト、ピエール=ロラン・エマールのリサイタルを聴くと、いつも心が浮遊し、異次元の世界へと運ばれ、日常の雑事から離脱していくことに気づく。
 聴き進むほどに心身が浄化されていき、至福の時間を過ごすことができるのである。
 もちろん、演奏は緊迫感にあふれ、類まれなる集中力に富み、一瞬たりとも耳を離すことができない内容の濃いものだが、テンポもリズムも旋律のうたわせ方も、すべてがごく自然で実に心地よい。
 今日はそのエマールにインタビューするため、レコード会社に出向いた。
 彼は2008年にJ.S.バッハの「フーガの技法」(ユニバーサル)をリリースして大きな話題となったが、新譜はバッハの第2弾にあたる「平均律クラヴィーア曲集第1巻」である。この録音のために7カ月間サバティカルをとり、集中して練習に取り組み、バッハと真摯に対峙したという。
「コンサートをしながら、世界中を回りながらこの作品を練習することは不可能だと思ったのです。もちろん学生のころから勉強はしていましたが、その後の人生経験、ピアニストとしての積み重ねがあり、ようやくいま自分のなかで録音できると感じたのです」
 エマールはステージでの緊迫感とは異なり、素顔はとてもおだやかでゆったりと話し、知的でエレガントである。
 私は聞きたいことがあまりにも多くありすぎて、次から次へと話題を変え、エマールのあらゆる面を引き出そうとしたが、彼はひとつずつの質問に熱心に耳を傾け、思慮深い答えを戻してくれた。
 このインタビューは、次号の「日経新聞」とヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に書こうと思っている。
 エマールは、作曲家のメシアンとの絆が深い。私もメシアンに一度だけインタビューをしたことがあるため、メシアンに関してもあれこれ聞いた。
 さらに今回の来日公演は、10月6日(紀尾井ホール)が「カーターへのオマージュ(室内楽コンサート)」と題されたエリオット・カーター(1908〜2012)の作品を取り上げたプログラムで、10月8日(同ホール)は「バッハとヴォヤージュ(ピアノ・リサイタル)」となっている。
「私は古い音楽と新しい音楽の両方を愛しているのです。この両面がずっと私の人生を形成してきました」
 エマールの話し方は、その演奏を連想させる。静かな口調とおだやかなリズムが全体を支配し、よどみなく流れていく。ひとつひとつのことばに無駄がなく、しかも相手が理解しやすいように、難解な言い回しや比喩などは極力避け、あくまでも平明。だが、そのことばは心にゆっくりと染み入り、インパクトが強く、忘れがたい印象をもたらす。
 目の表情も彼の人間性をよく表していて、優しく温かい光を放ち、包容力の大きさを感じさせる。
 エマールは、バッハはとても大切な作曲家で、いまだからこそ弾くことができるという。時間をかけ、じっくりと練り上げてきたからと。
 これからしばらくは、また現代の作曲家の新作演奏が続くそうだ。
 彼と話していたら、私の脳裏にはメシアンの姿、バッハが「平均律」を書いたワイマールやケーテンの町などが蘇り、さらにエマールが19歳で加わったという現代音楽の精鋭グループ、アンサンブル・アンテルコンタンポラン(昨年パリで取材した)の人たちの顔までもが浮かんできた。
 エマールとは、そうした相手の想像力を強く喚起する人のようだ。帰路に着く途中も、そしていまも、私の頭のなかはエマールの話が渦巻いている。演奏も感動が長く続くが、話術も同様。
 でも、本人はけっして声高に話しているわけでも、何かを強調するわけでもなく、流れる水のようにさらりとしている。なんとも不思議な魅力を備えた人である。
 今日の写真はインタビュー後の1枚。ねっ、おだやかな笑顔でしょ。


 
| アーティスト・クローズアップ | 23:12 | - | -
アンドレア・バッケッティ
 こんなにユニークな人だと思わなかった。もう笑いが止まらないというか、本人はいたって真面目なため、余計におかしい。
 今日は、4月に「イタリア協奏曲 バッケッティ・ブレイズ・バッハ」(ソニー)と題したCDがリリースされたイタリア出身のピアニスト、アンドレア・バッケッティのリサイタルを聴きにトッパンホールに出かけた。
 プログラムは前半がJ.S.バッハのトッカータ ホ短調 BWV914からスタート。次いで「ゴルトベルク変奏曲」をリピートなしで演奏。これだけで、すでにバッケッティの非凡な才能が存分に伝わってきた。
 4月の「音楽の友」の「今月の注目盤」に私はこう記している。
「イタリアからユニークなピアニストが彗星のごとく現れた。中略。かろやかで歌心にあふれ、色彩感豊か。”カンタービレ”というのはこういう演奏を表すことばなのだろう」
 まさにナマで聴くバッケッティのピアノは、輝きに満ちた明るさが特徴で、芯のある音なのだが、実にかろやか。「ゴルトベルク変奏曲」はこれまでさまざまなピアニストの演奏を聴いてきたが、そのだれとも似ていない個性的な演奏で、ぜひリピートをした完全なるバージョンを聴いてみたいと思わせた。
 彼はまるでピアノと遊んでいるような楽しさに満ちた表情で演奏し、バッハを弾き出したら止まらないという感じ。ひらめきと創造性に富み、装飾音がごく自然に入ってくる。
 後半はモーツァルトの「幻想曲」ニ短調 K.397とピアノ・ソナタ第10番 ハ長調 K.330という組み合わせ。耳慣れた作品がまたもや新たな空気をまとって目の前に現れ、どこか夢見心地になった。
 バッケッティは、細身で小柄。黒のシャツに黒のパンツというごくふつうの格好でステージに前かがみで登場。演奏中は首をかなり前に突き出し、顔を動かしながらからだ全体でリズムを取りながら弾く独特のスタイル。
 演奏が終わると、手を合わせておじぎをしながら、ひょこひょことステージをあとにする。
 すべてがユニークで、ピアニストとは思えない。究極は、その声だ。
 アンコールの曲目を語り出した途端、私は腹話術かと思ってしまった(笑)。それほど高く、想像もしていなかった声で、しかも話し方まで上質なコメディアンのよう。いやあ、これほどとは…。まいりましたなあ、おかしくて、笑いをこらえるのに苦労したほどだ。
 ああ、失敗したあ。インタビューを申し込んでおけばよかった。きっとものすごく楽しい話を聞くことができたのに、失敗失敗、すでに遅し。
 アンコールもまた、実に凝っていて、「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」より「ただ愛する神の摂理にまかせて」、プレリュード ハ長調、メヌエット ト長調、フランス組曲第5番を続けて演奏。この音楽帳の手稿譜は1722年と1725年のものがあるが、それらから選曲し、ひとつの有機的な流れを作り出した。
 さらにヴィラ・ロボスの「パンク」を超絶技巧を物ともせずにさらりと弾いたかと思うと、最後にショパンの「黒鍵のエチュード」を披露。このショパンがまたまた目からウロコ。こんな透明感のある雄弁なエチュードは聴いたことがない。もっとショパンを聴きたかった。
 本当に、わくわくするような才能が出現したと思って、うれしくなった。インタビューをすることができなかったから、ぜひ近いうちに再来日を果たしてほしい。アンドレア、待っていますよ〜。
 今日の写真は新譜のジャケット写真と、終演後のサイン会でのバッケッティ。ホント、ユニーク。演奏の高貴な輝きにあふれた味わい深さと、あの頭声発生のような声のギャップがたまらない。う〜ん、ちょっとはまりそう…。





 
| アーティスト・クローズアップ | 23:40 | - | -
福間洸太朗
 どこか雰囲気がフィギュアスケートの選手に似ているなあ、と感じてしまった。
 先日、ピアニストの福間洸太朗と話していて、なぜかそう感じたのである。容姿とか、具体的にどこかが似ているわけではない。あとで編集の方と話していたら、彼の凛とした、背筋をビシッと伸ばした姿勢がそう感じさせるのではないか、ということになった。
 福間洸太朗は1982年生まれ、東京都出身。パリ国立高等音楽院とベルリン芸術大学・同大学院、コモ湖国際ピアノアカデミーで学び、2003年クリーヴランド国際コンクールで優勝に輝いた。以後、多くのコンクールにも入賞を果たし、南北アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアの5大陸で活発な演奏活動を行い、各地のオーケストラとも共演している。
 スケジュール表を見せてくれたが、各地でのコンサートがびっしり詰まっていて、まさに超多忙なピアニストの日程となっていた。
 その彼が9月に「展覧会の絵(仮題 日本コロムビア)」をリリースする。そしてCDを記念したリサイタルを10月24日に浜離宮朝日ホールで行うことになっている。
 こうした内容に関するインタビューを行ったのだが、福間洸太朗はいずれの質問にも流れるようななめらかな口調で話し、録音時の様子、コンサートへの抱負を熱く語った。
 このインタビューは、秋の号の「intoxicate」に書く予定になっている。
 作品については多くを語ってくれたが、もっとも興味深かったのは、南米での演奏旅行の話。とんでもなくアバウトなコンサートの仕切りや主催者のあきれるほど大雑把な対応があれこれ飛び出し、聞いていて大笑いしてしまった。
 もちろん、当の本人は、ひとつずつ大変な思いをしているのだろうが、それを難なくクリアしているところが、実にたくましい。
 福間洸太朗は貴公子のような涼やかな表情をしているが、性格は前向きで社交的で怖いもの知らずのようだ。
 自分の意思を伝えたいために語学をマスターし、さまざまな人との交流を楽しみ、それを演奏に生かしている。
 よく、日本の男性は多分にシャイで、パーティなどで知らない人と話すのが苦手、自分のことを話すのは控えるという人が多いといわれるが、彼の場合は積極的にみんなのなかに入っていく。
 その例が、スイスのフィギュアスケートの選手、ステファン・ランビエールとの出会いだ。空港で彼を見つけ、話しかけて自己紹介したことがきっかけとなり、いまではメール交換するほどの仲になったという。
 こういう話を聞くと、う〜ん、日本人もここまで国際的になったのね、と感心してしまう。これはなかなかできることではない。
 福間洸太朗の10月のリサイタルは、「鐘に共鳴するロシア魂」と題され、ラフマニノフ、チャイコフスキー、スクリャービン、ボロディン、バラキレフ、そしてムソルグスキーの作品でプログラムが組まれている。
 ロシアの友人に誘われて、彼のサンクトペテルブルクの自宅にホームステイをしたときの話もおもしろかった。私も外国人の家にホームステイするのは平気な方で、みんなに不思議がられるが、彼はひんぱんに欧米の演奏する土地でホームステイをしているようだ。
 こういうピアニストは、もっともっと国際的に活躍してほしい。そして視野の広い演奏をし、聴き手を作品が生まれた土地へといざなってほしいと願う。
 今日の写真はインタビュー後の福間洸太朗。雑談のときに聞いたのだが、子どものころにフィギュアスケートをちょっと習っていたとか。やっぱりね、どこかその雰囲気がある感じがしたんだ(笑)。


 
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:50 | - | -
渡辺克也
 長年ドイツのさまざまなオーケストラの首席奏者を歴任し、現在はソリスツ・ヨーロピアンズ・ルクセンブルグの首席奏者として活躍しているオーボエの渡辺克也は、1991年からベルリンに居を構えている。
 この間、オペラからシンフォニーまで多岐にわたって演奏し、録音も多数行っている。
 そんな彼が8月8日、渋谷区文化総合センター大和田さくらホールでリサイタルを開くことになった。これは「Romance」(キングインターナショナル)と題した新譜を記念するリサイタルで、シューマン、プレヴィーユ、パラディール、ルフェーヴル、ヒンデミットの作品が収録されている。もちろん、リサイタルもこれらの作品でプログラムが組まれている。
 先日、帰国した渡辺克也に会い、さまざまな話を聞くことができた。
 ドイツに長く住んでいるからか、日本の湿度の高い夏にはまいっているようで、蒸し暑さが苦手なようだった。
 もちろん作品ごとにさまざまな質問をし、なぜその曲を選んだのか、曲にまつわる思い出、演奏を始めたころのこと、作品の解釈などを詳しく聞いていったのだが、渡辺克也は非常に人あたりのいい話しやすい性格ゆえ、私も話がどんどん逸れてしまい、雑談が多くなってしまった。
 オーボエ奏者は、こだわり人間が多いようだ。それは楽器の性質にもよるのだろうが、概してひたむきで手を抜くことができず、細部まで神経を張り巡らせた演奏をし、ある意味で頑固なタイプに見える。
 彼の演奏は、聴き込むほどに、人間のからだから発するヒューマンな歌のように思え、ドイツの新聞が絶賛したことがよく理解できる。
 いまはベルリンとルクセンブルグをひんぱんに行き来しているそうだが、その交通事情の話や物価のこと、ルクセンブルグの聴衆のことなど、さまざまな話題が出て非常に興味深かった。
 このインタビューは、今月末の「日経新聞」に書く予定にしている。
 今日の写真は、インタビュー後の渡辺克也。8月8日のリサイタルが楽しみだ。真夏にオーボエを聴く、きっとからだのなかを涼風が吹き抜けるのではないだろうか。あっ、「吹き抜ける」なあんて、ちょっと韻を踏んでしまったかな。いやいや、単なるギャグか(笑)。

| アーティスト・クローズアップ | 22:03 | - | -
ヴァレンティーナ・リシッツァ
 いまは、You Tube全盛時代で、さまざまな音楽を居ながらにして気楽に楽しむことができる。
 ウクライナ出身で、現在はアメリカを拠点に各地で活発な演奏活動を展開しているピアニスト、ヴァレンティーナ・リシッツァは、そのYou Tubeに自らの演奏をアップし続け、公式チャンネル再生回数がいまや7400万回を超えたという驚きのアーティストである。
 リシッツァは1973年キエフ生まれ。3歳でピアノを始め、天才少女と称された。1991年にマレイ・ドラノフ2台ピアノ・コンクールにおいて、アレクセイ・クズネツォフとともに優勝を飾り、以後アメリカに移って活動を展開するようになる。
 しかし、さまざまな問題が起こり、ピアニストとしての活動もはかばかしくなくなり、一時はピアニストを断念する気持ちにまでなった。
 その後、演奏をひとりでも多くの人に聴いてほしいという思いから、演奏をYou Tubeにアップしたところ、世界中の人々が再生し、膨大な数に及んだわけである。
 先日、ベーゼンドルファーのスタジオでミニリサイタルと記者会見が行われ、彼女のピアノをごく間近で聴くことができた。ラフマニノフなどは楽器を大きく鳴らすエネルギッシュな奏法だったが、新譜は「ピアノ・レッスン〜リシッツァ・ブレイズ・ナイマン」(ユニバーサル)。収録されたナイマンの映画音楽も何曲か演奏されたが、こちらはロシア作品とは異なり、繊細で弱音の美しさを生かした瞑想的な演奏、幅広い奏法と解釈を印象づけた。
 翌日のインタビューでは、ナイマンの音楽の難しさ、録音が決まったときのこと、ジャケット写真撮影の裏話、苦難の時代を送ったころのこと、将来の夢までパワフルに雄弁に語り、演奏同様の情熱を感じさせた。
 このインタビューは、「CDジャーナル」に掲載されることになっている。
 今日の写真はインタビューのときのにこやかな表情と、コンベンションで演奏するリシッツァ。
 ぜひ、You Tubeを見てくださいな。元気が出ますよ!




| アーティスト・クローズアップ | 22:36 | - | -
ルイ・シュヴィッツゲーベル
 今日はスイス大使館で、アメリカのヤング・コンサート・アーティスト国際オーディションにおいて第1位を獲得したピアニスト、ルイ・シュヴィッツゲーベルのコンサートと彼を囲んでのレセプションが行われた。
 ルイ・シュヴィッツゲーベルは、スイス人の父と中国人の母のもと、1987年ジュネーヴに生まれた。
 幼いころからピアノを始め、さまざまな土地でパスカル・ドゥヴァイヨンやエマニュエル・アックスをはじめとする多くの先生に師事し、現在はロンドンでパスカル・ネミロフスキに就いている。
 2005年ジュネーヴ国際音楽コンクール第2位(第1位なし)、2007年上記のヤング・コンサート・アーティスト国際オーディション第1位に輝き、2013年から2015年の「BBC(ロンドン)次世代音楽家」に選出された。
 今日のプログラムは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」からスタート、ショパンのバラード第3番、エチュード作品25-7、幻想即興曲へと進み、リストのハンガリー狂詩曲第6番で終幕するという構成。
 ごく間近で聴くためか、若々しくエネルギー全開のピアノで、リストがもっとも彼の資質に合っているように感じられた。
 今年は日本とスイスの国交樹立150周年の記念の年で、コンサートに先立ち、ウルス・ブーヘル駐日スイス大使があいさつされたことばのなかに、「クラシック音楽はユニバーサルなもの」ということばが何度か出てきたが、まさに今日は各国のゲストが集い、シュヴィッツゲーベルも各地で学び、演奏し、容姿もエキゾチック。数か国語を話し、確かにユニバーサルだ。
 こうした新たな才能に出会える機会は、とても貴重だ。次回は、ぜひホールでのコンサートを聴いてみたい。
 今日の写真は、レセプションでのルイ・シュヴィッツゲーベル。スリムで、からだ全体をやわらかく使う奏法だが、ペダリングは結構強靭で派手でしたよ、まるで踊っているかのように(笑)。


| アーティスト・クローズアップ | 23:12 | - | -
アルテミス・カルテット
 弦楽四重奏の大好きな私は、今日のインタビューをとても楽しみにしていた。
 いま、欧米で大きな話題となっているアルテミス・カルテットに話を聞くことができるからだ。
 アルテミス・カルテットは、1989年にリューベック音楽大学の学生4人によって結成され、ラサール四重奏団のワルター・レヴィン、アルバン・ベルク四重奏団に師事し、エマーソン弦楽四重奏団やジュリアード弦楽四重奏団からも大きな影響を受けている。
 1995年以来国際コンクールで好成績を上げてきたが、もっとも印象的なのは1996年に弦楽四重奏団にとって最高峰の賞であるミュンヘン国際音楽コンクールで優勝したこと。このコンクールは第1位を出さないことで知られるが、アルテミス・カルテットの場合も、1970年に東京クヮルテットが優勝して以来25年ぶりの快挙となった。
 さらに翌年にはイタリアのプレミオ・パオロ・ボルチアーニ弦楽四重奏国際コンクールで第1位を獲得している。
 以来、世界各地で活発な活動を展開していたが、2012年に第1ヴァイオリンがラトヴィア出身のヴィネタ・サレイカに変わり、さらなる飛躍のときを迎えている。
 彼らの新譜は、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲集(ワーナー)。全編に勢いが満ちあふれ、新しいメンバーとなって初録音ゆえ、これから大海原に漕ぎ出していくような、前進するエネルギーが伝わってくる演奏だ。
 インタビューの冒頭、その感想を述べたら、4人がキャーッと喜びの声を上げ、「それ、すごくいい表現だねえ。そのとおりだよ、このメンデルスゾーンは新鮮さと活力、情熱を表現したかったんだ」と、一気になごやかな雰囲気になった。
 彼らは世界中のすばらしいヴァイオリニストのなかから6人に絞ってオーディションを行い、3人の意見が即座に一致したヴィネタに決めたそうだ。
 彼女はトリオを多く演奏していたそうだが、このカルテットは以前から大好きで、よく聴いていたため、ごく自然に溶け込めたという。ただし、いい音楽を作り上げていく彼らの姿勢はとてもきびしいもので、日々挑戦と研鑽を続けているという。
 メンバーに評してもらったら、第2ヴァイオリンのグレゴール・ジーグルはみんなのよきまとめ役で、緩和剤の役目を担っているとか。ヴィオラのフリーデマン・ヴァイグルは知性派でアイディアに富む。チェロのエッカート・ルンゲは、このカルテットになくてはならない存在で、ユーモアがあり、リーダーシップにも長けている。そこにヴィネタが加わり、個性的な4人のカルテットが再編成されたというわけだ。
 アルテミス・カルテットのコンサートは明日、紀尾井ホールで行われる。ブラームスとクルタークとベートーヴェンというプログラムだ。
 彼らはさまざまな音楽家と共演し、音楽以外の分野の人々との交流も活発に行い、視野を広めている。4人ともとても個性的で、その個性のぶつかりあいを楽しんでいるそうだ。その違いが刺激的で新鮮な音楽を生むからと。
 今日の写真は、インタビュー後の4人。左からグレゴール、エッカート、ヴィネタ、フリーデマン。終始、笑いの絶えないインタビューとなった。
 このインタビューは、次号の「intoxicate」に掲載される予定である。

| アーティスト・クローズアップ | 22:46 | - | -
マティアス・ゲルネ
 自分が行ってきたことがまちがっていなかった、と確信をもてる瞬間はそうそう巡ってくるものではない。
 先日、マティアス・ゲルネのインタビューをしたときに、その数少ない瞬間が訪れた。
 ゲルネはワイマールに生まれ、ライプツィヒで学んだドイツのバリトン。オペラとリートの両面で活躍し、いまや世界的な名声を獲得している。
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、エリザベト・シュヴァルツコップという歴史に名を残すリート歌手に師事し、正統的な後継者といわれる。
 今回の来日では、シューベルトの3大歌曲連続演奏会が組まれ(5月13日〜15日、紀尾井ホール、ピアノはアレクサンダー・シュマルツ)、得意とするシューベルトの世界を披露することになっている。
 バリトンの好きな私は、以前からゲルネの歌声に魅了されてきた。ステージでの類まれなる集中力に満ちた、研ぎ澄まされた歌声は、一度聴くとやみつきになるほどだ。
 歌詞の発音、表現の見事さ、深い洞察力に富む解釈、自由闊達なうたいまわし、怖いほどの迫力にあふれた表情で聴き手に強く訴えかける歌唱法は、作品の新たな発見を促すもの。いつも演奏を聴きながら、いつかインタビューをしたいと願っていた。
 今回それが実現し、NHK交響楽団の定期公演のソリストとして、ワーグナーの楽劇のなかのオランダ人とウォータンをうたうリハーサル会場におじゃました。
 リハーサルから出てきた彼は、まさに大迫力。恰幅がよく、目力が強く、存在感があり、汗びっしょりだ。
 しかし、ステージでのコワモテとはまったく異なり、大きな目がやさしく微笑んでいる。
「ウワーッ、怖そうだけど、やさしそう」(私はいったい何をいっているのか)
 さて、いざインタビューが始まると、ひとつひとつの質問に対し、ことばがあふれんばかりに飛び出してくる。今回のドイツ語の通訳は、ゲルネのリートクラスでピアノを学び、現在は帰国してドイツ語学校でドイツ語を教えているというOさんが担当してくれ、流れるようなゲルネのことばを立て板に水のように訳してくれた。
 このインタビューは、今月末の「日経新聞」、5月から6月にかけてのヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」、「音楽の友」(掲載時期は未定)に書く予定になっている。
 彼はシューベルトの3大歌曲について、自分が受けた教育について、子ども時代の様子、これから取り組むプロジェクトについて、実に雄弁に語ってくれた。
 それぞれの答えが、まるでオペラのワンシーンのように鮮やかなことばで表現され、からだの動きも加え、目の表情も幾重にも変化していく。
 ようやくインタビューが終わり、部屋を出ようとしたとき、通訳のOさんが「ゲルネさんが、とてもいい質問だったとおっしゃっています」と伝えてくれた。
 私がそれを聞き、お礼をいいながらバーイと手を振ると、バイバーイと茶目っ気たっぷりの表情で返してくれた。
 その夜、Oさんからメールが届いた。なんでも、ゲルネがインタビューをとても気に入ったため、自身のホームページに私の記事を掲載したいといっているというのである。
 アーティストからこんな申し出があったのは初めてのことだ。気に入ったというのは、お世辞かなとも思ったのだが、ここまでいわれるとは…。
 私は人の話を聞くのが好きなため、インタビューは天職だと思っているが、ゲルネは自分がしてきた仕事がまちがっていなかった、と思わせてくれた。感謝感謝である。
 ただし、記事はドイツ語に訳してすぐに内容を確かめるだろうから、気をひきしめて原稿を書かなくてはならない。
 でも、マティアス・ゲルネのホームページに私の記事が掲載されるなんて、光栄なことである。私は単純なので、すごくうれしくなってしまった(笑)。
 今日の写真は、インタビュー後のゲルネ。13日からの3日間のシューベルト、すっごく楽しみ。今回感じたことだが、彼は完璧主義者だ。そして大いなる自信に満ちている。そのすべてが3大歌曲に現れるに違いない。


 
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:39 | - | -
ラファエル・セヴェール
 先日の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2014」では、若い才能が数多く登場した。
 なかでも、ラファエル・セヴェールの演奏に何度か触れ、輝かしい未来を感じることができた。
 セヴェールは1994年生まれのフランスのクラリネット奏者。2010年にフランスのヴィクトワール・ド・ラ・ミュージックに選出された注目の若手。14歳でパリ国立音楽院に入学した。これまでジェラール・コセ、アンリ・ドマルケット、エベーヌ四重奏団、チェコ・フィル、シンフォニア・ヴァルソヴィアなどと共演している。
 インタビューで会う彼は、とても雄弁で明朗で確固たる信念の持ち主。父親がクラリネットの教授を務め、母親はピアニストだそうだ。
 今回は、モディリアーニ弦楽四重奏団と共演してブラームスのクラリネット五重奏曲を演奏したが、非常に美しい音色の持ち主で、テクニックも安定し、しかも名曲をしっかりした表現力で聴かせた。
 彼は、今回の「ラ・フォル・ジュルネ」の最後に突如組まれたアルゲリッチ、クレーメルとのサン=サーンス「動物の謝肉祭」にも参加。
「こんなに偉大な音楽家たちと共演できて、まるで夢みたいだった」
 と、嬉々とした表情を見せていた。
 なんでも、父親は同じクラリネット奏者になることに反対したそうだが、どうしてもこの楽器を吹きたいという強い要望があり、反対を押し切ったそうだ。
「だって、クラリネットって、すごく人間の声に近い音が出るでしょう。ピアノも習ったし、いろんな楽器も演奏してみたけど、ぼくはやっぱりクラリネットが一番好きなんだ」
 こう語るセヴェールは、現代作品にも意欲的で、すでに委嘱もしているという。
「とにかく、幅広い作品を吹いていきたいんだ。いろんな人と共演したいしね。いまはひとつひとつのステージがとても意義深く、すばらしい経験になる」
 すでに来日は4回目。片言の日本語を連発して笑わせる、茶目っ気たっぷりなナイスガイ。
 ラファエル・セヴェール、この名をぜひ覚えてくださいな。
 今日の写真はインタビュー後のワンショット。知り合いに見せたら、「あら、イケメンじゃない」といっていた。どうですか?


 
  
| アーティスト・クローズアップ | 22:21 | - | -
ルーカス・ゲニューシャス
 ロシア出身のピアニスト、ルーカス・ゲニューシャスにインタビューするのは、2010年のショパン国際ピアノ・コンクール以来である。
 彼は1990年モスクワ生まれ。ショパン・コンクールでは第2位入賞に輝き、現在はロシアやヨーロッパ各地で演奏している。
「ショパン・コンクールは、ぼくのピアニストとしての新たな1ページを開いてくれた」
 こう語るゲニューシャスは、ショパンをレパートリーの中心に据え、枠を決めずに幅広い作品を演奏しているという。
 今回の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」では、ショパンの12の練習曲作品10と25の全24曲を演奏。コンクール時と同様、非常にダイナミックで勢いのある演奏を聴かせ、さらに大いなる自信を感じさせた。
 ゲニューシャスのインタビューは、ヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に書く予定にしている。
 彼は、ショパン・コンクールのときの心境をことこまかに話してくれた。この回は、入賞者がみんな仲良くなり、それぞれ豊かな才能の持ち主ゆえ、とても意義深かったと熱く語った。
「もちろん、第2位という結果をいただいたのはうれしかったけど、その後のプレッシャーのすごさに、このコンクールの位置づけのすごさを感じた。歴代の入賞者の名前の重さや、コンクールの権威、歴史などに、おしつぶされそうになったよ。いつも第2位に見合った演奏をしなければならないんだから」
 あれから3年半が経過したが、いまでもそのプレッシャーは感じているそうだ。
 しかし、すばらしいコンサートの機会に恵まれ、それをひとつひとつじっくりとこなしていくしかないと思っているそうだ。
 この6月にはスヴャトスラフ・リヒテルが南仏ツールで開催していたことで知られる音楽祭に招かれ、ヒンデミットの作品を演奏する予定が入っている。真剣な面持で話していたゲニューシャスは、リヒテルの話になると、一気に表情が柔和になり、「このフェスティヴァルに参加できることは、ぼくにとってとても栄誉なことなんだよね」と笑みを見せた。
 ぜひ、コンサートを成功させてほしい。
 今日の写真は、インタビュー中のルーカス。「写真、見せて見せて」と、興味津々。1枚目はちょっと目を閉じてしまったため撮り直し、ようやく本人も納得の1枚が撮れた。


| アーティスト・クローズアップ | 22:18 | - | -
グザヴィエ・ドゥ・メストレ
 先日、4月22日に王子ホールで聴いたモイツァ・エルトマン&グザヴィエ・ドゥ・メストレのデュオ・リサイタルの様子はブログに綴ったが、今日はそのメストレのインタビューに出かけた。
 まず、久しぶりに会えたことに対するあいさつをし、早速、歌手とのデュオに関しての質問から入った。メストレは、昔から声楽に興味があり、歌手との共演はハープの音色が生かせるため、非常に興味深いという。
 演奏を聴いていると、ハープの伴奏に関してはかなりアレンジをしているかと思いきや、「いえいえ、全然。ほとんどピアノ・パートを弾いているんですよ。ハープも右手と左手を使いますから、同じなんです。でも、ペダルに関しては、ハープは7つのペダルを駆使して演奏するので、とても大変です」とのこと。
 メストレは、相手の目をじっと見ながら話す。伯爵家の出身で、いわゆるイケメンだが、素顔は飾らず気負わず、実に自然体。
 どんな質問にも明快な答えが戻ってきて、しかもハープに対する強い愛情が感じられる。
 このインタビューは、「音楽の友」の7月号に掲載される予定である。
 先日のデュオ・リサイタルはとても素晴らしかったが、実はあと1日だけデュオ・リサイタルの予定がある。4月30日(水)19時、東京オペラシティ コンサートホールで行われる演奏会で、こちらはシューベルトの「死と乙女」「野ばら」「糸を紡ぐグレートヒェン」、ベッリーニの歌劇「カプレーティとモンテッキ」より「ああ幾度か」、ヴェルディの歌劇「リゴレット」より「慕わしき人の名は」、プッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」より「私のいとしいお父さん」が予定されている。
 さらにスメタナの「わが祖国」より「モルダウ」がプログラムに組まれているが、今日のインタビューのなかで、メストレは次の録音には「モルダウ」を予定していると語っていたから、これは彼のソロに違いない。
 歌手とのリサイタルでの選曲は、共演する歌手が選んだ作品のリストを見せてもらい、そのピアノ譜をじっくり勉強し、歌手との呼吸に合わせて演奏を何度も練り直していくそうだ。
 メストレは、ウィーン・フィルを退団してソリストになったときは、「きっと小さなホールで少しずつ演奏していくんだろうな」と思ったそうだが、いやいや、そんな考えはすぐに吹き飛んだでしょう。
 いまや各地の名門オーケストラからソリストに呼ばれ、ペンデレツキをはじめとする作曲家に作品を委嘱し、さまざまな室内楽にも積極的に加わり、音楽大学のマスタークラスで指導を行うなど、八面六臂の活躍だ。
「ハープの可能性を追求し、ひとりでも多くの人にハープのすばらしさを体験してほしいんだよね。この楽器は古代から存在し、人間の本能に根ざす楽器という感じがするから」
 こう語るメストレは、端正な容姿に目を奪われがちだが、地に足の着いた堅実な考えをもつ人。演奏は超絶技巧もなんのそのの実力派で、結構力強く、骨っぽい演奏。音色の多彩さが特徴だが、教えるときのもっとも大切なポイントは「フレージング」だそうだ。
 ナマのハープの音は、本当に多彩で新たな発見が数多くある。ぜひ、メストレの美しき姿と美しき音に触れてくださいな。
 今日の写真は、インタビュー後のグザヴィエ。こんなにラフな服装をしているのに、このカッコよさ。まるでモデルのよう…。でも、本人はリラックスしながらポーズをとっている、ニクイんだから(笑)。



 
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:22 | - | -
ナタリー・デセイ
 フランスの実力派ソプラノ、ナタリー・デセイが初来日公演を行ったのは、2004年9月のこと。彼女の名は、1990年にウィーン国立歌劇場で開かれた国際モーツァルト・コンクールで優勝して一躍世界に知られ、欧米の名だたるオペラハウスに出演、音楽祭からも引っ張りだこの人気となり、来日が待たれていた。
 得意とするオペラの役柄はオッフェンバック「ホフマン物語」のオランピア、モーツァルト「魔笛」の夜の女王からドニゼッティ「ランメルモールのルチア」、ドリーブ「ラクメ」のタイトルロールなど、超絶技巧を要する役やコロラトゥーラ・ソプラノの名曲として知られるアリアが含まれるものである。  
 ただし、2000年ころからヨーロッパの新聞などのインタビューで、「オランピアや夜の女王は高い音を出すだけで面白みに欠ける。私が本当にうたいたいのは内容の充実した役柄であるヴィオレッタ、トスカ、蝶々夫人、エレクトラ、サロメ、マノンなど。そのためには低音域を磨き、表現力もより幅広いものを身につけないとならない」と語っている。  
 初来日公演ではマスネ「マノン」とトマ「ハムレット」のオフェリア、ベッリーニ「夢遊病の女」のアミーナの各アリアが凄みを帯びたすばらしい歌唱で、驚異的な集中力に支配された最後のルチアでは会場が息を殺したように静まり、みな「狂乱の場」に酔いしれた。  
 その後、2010年のトリノ王立歌劇場の日本公演で待望のヴェルディ「椿姫」のヴィオレッタを熱演し、これまでのヴィオレッタ像をくつがえす新しいヒロインを生み出した。        
 彼女の完璧に磨き上げられた歌唱は、どんな難易度の高い箇所でもけっしてゆるがない。高音はコロコロところがる真珠の粒のようであり、また大空に飛翔していくかろやかな鳥のようでもある。
「椿姫」は全幕にわたってほとんど歌いっぱなしの難役。それを幕ごとにあたかも異なった人物のように表情を変化させ、その場のヴィオレッタになりきり、聴き手の心にひとりの女性のはげしい生きざまを強烈に植え付けた。
 そのデセイは、昨秋オペラからの引退を表明したという。とても残念だが、今後は、ソロ活動に専念するのだろうか。
 今回の来日は、そんなデセイの日本におけるリサイタル・デビューとなり、今日は東京芸術劇場で「ナタリー・デセイ&フィリップ・カサール」の歌曲リサイタルが行われた。
 プログラムはクララ・シューマン、ブラームス、デュバルク、R.シュトラウス、プーランク、ラフマニノフ、ドビュッシー、ドリーブというさまざまな作曲家の色とりどりの歌曲が選ばれ、「奇跡の声」と称されるすばらしき歌声を存分に披露した。
 彼女は髪を金髪に染め、シルバーの光沢をもったドレスを前半と後半で着替え、前半は人魚姫のよう、後半は天女を思わせた。
 デセイの声は、聴き手を別世界へといざなう。いずれの作品も心に響くものだったが、とりわけ会場がシーンと静まりかえったのが、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」。よく知られた人気の高いこの曲を、デセイは母音の「ア」だけを幾重にも変化させて響かせ、圧倒的な存在感を示した。
 歌曲のリサイタルは、通常は歌手の名前だけが大きく書かれるものだが、今日のリサイタルはピアニストが併記されている。それもそのはず、カサールのピアノはデセイと見事に一体化し、まさしくふたりの音楽は融合していた。歌曲のリサイタルは、声とピアノがひとつになっていなければ、作品のよさは伝わらない。
 今日のカサールは歌手とともに呼吸し、うたい、創造的な音楽を作り上げていた。
 彼はドビュッシーの解釈者として知られ、ピアノ曲全曲演奏を行うなど、この作曲家の作品に精通している。そして、デセイともドビュッシーの歌曲集を録音している。
 今日もドビュッシーを2曲、「現れ」と「アリエルのロマンス」を演奏したが、抽象的で幻想的な歌をピアノが美しく彩り、デセイの香り高き表現に微妙なニュアンスをプラスした。
 もうデセイのオペラを聴くことはできないと思うと悲しさが募るが、こうして歌曲をじっくり聴かせてくれるのだから、贅沢はいえない。
 今夜は、天女の歌で天空にいざなわれた感覚をいだいた。




| アーティスト・クローズアップ | 23:19 | - | -
メナヘム・プレスラー
 これまで、こんなにも感動したインタビューがあっだたろうか。
 今日は、昨日演奏を聴いて大感激したメナヘム・プレスラーに待望のインタビューを行った。
 ホテルの部屋に着くと、おだやかで人をふんわりと大きく包み込むような笑顔で迎えてくれた。
 もうそのたたずまいに触れただけで、私は特有の空気を感じ取り、しばしことばが出ない。
 すると、名刺を見たプレスラーは、「ほおっ、評論家ねえ。あなた、昨日のリサイタル聴いてくれた? どんな感想かな」と聞いてきた。
 これを機に、私はどれだけ感動したか、いまもまだ余韻に浸っている、どうしたらあんなに心に響く演奏ができるのか、とあれこれ口走ってしまった。
 まず、インタビューは昨日聴いたすばらしいショパンに関することから始めた。そして話題は徐々に広がり、ボザール・トリオ時代のこと、モーツァルトやベートーヴェンの作品論、多くの生徒たちの演奏に関すること、これまで影響を受けた人のこと、レコーディングに関すること、家族のこと、健康に関することなど、多岐にわたった。
 なかでも印象に残ったのは、「コンサートというのは、自分が楽器を弾けるということを証明する場ではなく、音楽への愛情を表現する場だということ」と力説したこと。
 プレスラーは、何度も「音楽への愛情」ということばを口にした。
 昨日のアンコールで演奏されたショパンのノクターン第20番があまりにも美しく、頭から離れないと私がいうと、彼は「おおっ」と感嘆した声を発し、自分がいかにあの作品を愛しているかを説明した。
「ですから、私のノクターンを聴いて涙が出るといってくれたあなたには、私の音楽に対する愛情が十分に伝わったことになりますよ。私がどれだけこの作品を愛し、その思いを込めて演奏しているか。その愛情を聴いてくれる人たちと分かち合いたい、そう思っていつも演奏しているのですから」
 プレスラーのひとことひとことが私の心に響き、話を聞いているだけで、また涙腺がゆるくなりそうだった。
 このインタビューは今月末の「日経新聞」に書く予定にしている。加えて、とても意義深い内容だったため、その全貌をぜひ紹介したいと思い、ヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」の連載も考えている。
 彼は、目がよくてメガネはいっさい必要なく、記憶力も完璧。指の動きも問題なしといった。
「年齢を感じるのは、足かなあ。ゆっくりしか歩けないしね」
 趣味は読書だそうだが、それよりも一日中、音楽のことを考えているという。それが一番幸せであり、自分の人生の喜びであり、生きる糧だからと。
 プレスラーは、相手の目をじっと見て話す。その目のなんと優しいことか。演奏と同様、素顔も真摯で純粋でひたむき。
 この様子をどうことばで表現したら、読者に伝わるだろうか。帰りの電車のなかで、私はそればかり考えていた。
 音楽をことばで伝えるのは難しい。それを演奏する人のことばを伝えるのはもっと難しい。ここはひとつ、五感を研ぎ澄まして考えなくちゃ。
 今日の写真は、インタビュー中のプレスラー。ほのぼのとした雰囲気、伝わりますか? また来日の可能性もありそうなので、すっごく楽しみ!!

| アーティスト・クローズアップ | 22:51 | - | -
マキシミリアン・ホルヌング
 ドイツのチェロ界を担う、すばらしい才能を備えた、未来の大器と称されるチェリストが来日している。
 1986年アウグスブルク生まれのマキシミリアン・ホルヌングである。
 8歳よりチェロを始め、2007年ドイツ音楽コンクール優勝。ソロや室内楽などを演奏していたが、バイエルン放送交響楽団に入団して第一首席チェリストを務めた。しかし、2013年春にソロ活動に専念するため、オーケストラを退団。
 当時から活発な録音を行い、すでにドヴォルザークのチェロ協奏曲とサン=サーンスの組曲&ロマンス、マーラーの「さすらう若人の歌」を自身で編曲した作品を含むチェロの小品集などをリリース。日本では今秋、相次いで新譜として登場する予定だ(ソニー)。
 ホルヌングの今回の来日は、東京では明日の武蔵野市民文化会館小ホールでの「無伴奏チェロ」のリサイタルと、8日の東京・春・音楽祭での河村尚子とのデュオが組まれている。
 両日とも聴くことができるようになったため、非常に楽しみだ。
 その前に、今日インタビューが行われた。
 実際に会ってみると、若く、才能に恵まれ、元気はつらつで、こちらまでなんだか浮き浮きとしてくる感じ。どんな質問にも一生懸命ことばを尽くして話し、ジョークも忘れず、録音に聴く演奏と同様、非常に明快で快活だ。
「いま使っている楽器は2分弾いて、ひと目ぼれしちゃったんですよ」
 デイヴィッド・テクラーの1700年代初頭のチェロで、11年前に出会ったそうだ。以後、「弾けば弾くほど難しさが増す楽器だけど、可能性は永遠」とのこと。いまやホルヌングは、ヨーロッパの著名なオーケストラや音楽祭から引っ張りだこ。トリオなどの室内楽も積極的に行い、自身の音楽の幅を広めている。
 このインタビューは、新譜がリリースされる今秋の「CDジャーナル」に掲載される予定である。
 今日の写真は、インタビュー後のワンショット。「うわあ、よく撮れているよ。ありがとう」と喜んでくれた。
 彼はムター財団のオーディションに受かり、ムターとの共演も多い。なんでも、幼いころ半年間だけヴァイオリンを習ったことがあるそうで、その意味でもムターとの共演は意義深いそうだ。
 新しい才能との出会いは、本当にわくわくする。ホルヌングはとても感じのいいナイスガイ。「未曾有の大器」と称されているが、本人はちっとも鼻にかけたところがなく、インタビューが終わって雑誌の担当の方と一緒に地下鉄に乗ろうとしたら、チェロを背負ってマネージャーとともに「ハーイ!」といって同じ地下鉄に乗り込んできた。
 いやあ、ラフですなあ。気に入ったぜい(笑)。


 
| アーティスト・クローズアップ | 22:35 | - | -
メナヘム・プレスラー
 もうすぐ、待望のメナヘム・プレスラーの演奏を聴くことができる。
 4月10日、庄司紗矢香とのデュオ・リサイタルで、初めてプレスラーのナマの音楽に触れることができるわけだ。
 庄司紗矢香がプレスラーのピアノを聴き、共演を切望したとのことで、今回の公演ではモーツァルト、シューマン、ブラームス、シューベルトのヴァイオリン・ソナタがプログラムに組まれている。
 プレスラーは、ドイツ、フランス国家から民間人に与えられる最高位の勲章を授与されたピアニスト。1923年生まれで、ボザール・トリオの創設メンバーとして、51年間このトリオのピアニストを務めた。
 現在はソリストとして活躍し、録音も次々にリリースされている。ついさきごろ登場したのは、「奇跡のモーツァルト」と「至宝のベートーヴェン」と称される2枚(キングインターナショナル)。
 もうこれが、涙なくしては聴けないほどの深い感動を与えてくれるディスク。冒頭からズーンと胸に突き刺さってくるようなゆったりとしたテンポ、深々とした音色、洞察力に満ちた、えもいわれぬ滋味豊かな音楽で、頭を垂れて聴き入ってしまう。
 90歳になってなお、現役で活躍していることにも感動してしまうが、解説書で語っている、作曲家の内奥にひたすら迫る姿勢にも感服。
 ぜひ会って話を聞きたいと願っていたら、インタビューが可能になった。来週だが、いまからもう気持ちが抑えられないほどだ。
 きっと含蓄のある話を聞くことができるに違いない。
 今日の写真は、モーツァルトとベートーヴェンの新譜。何度聴いても、うるうるしてしまうのは、私だけだろうか…。

| アーティスト・クローズアップ | 22:32 | - | -
ヴァシリー・ペトレンコ
 最近、実力と人気を兼ね備えた若手指揮者の台頭が目立つ。
 現在、オスロ・フィルが来日ツアーを行っているが、その首席指揮者ヴァシリー・ペトレンコもそのひとり。今日はその演奏を聴きに、ミューザ川崎シンフォニーホールに出かけた。
 モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲から始まったこのコンサート、冒頭から、ペトレンコの切れ味鋭い躍動感に満ちた音楽作りが全開。
 ペトレンコは1976年サンクトペテルブルク生まれ。名指揮者たちの薫陶を受け、国際コンクールでも好成績を残し、若いうちからめきめきと頭角を現してきた。
 彼の名前が広く知られるようになったのは、2005年に英国ロイヤル・リヴァプール・フィルの首席指揮者に就任してから。今回、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲でソリストを務めた諏訪内晶子に、この公演のプログラム用のインタビューをしたとき、「共演は初めてですが、ヴァシリー・ペトレンコという名前は英国で特に有名で、その演奏のすばらしさは伝わってきています」と語っていた。
 今日の彼女はインタビューで語っていた「このコンチェルトは、燃えたぎるようなものを内包している」ということば通り、はげしく情熱的でスケールの大きな演奏を披露した。
 後半は、マーラーの交響曲第1番「巨人」。ペトレンコはかなりの長身で、ステージ衣裳もスタイリッシュ。指揮はアグレッシヴでキレがあり、以前からオペラとシンフォニーの両方をレパートリーにしているためか、マーラーの旋律のうたわせ方も実にオペラティック。
 もっとも印象的だったのは、その左手の使い方。第2楽章の出だしの諧謔的なスケルツォを、ほとんどタクトをもっている右手を使わず、左手だけで指揮し、木管楽器とホルンを美しい自然を描き出すように響かせた。
 ペトレンコの指揮を見ているうちに、私の脳裏には、最近活躍している若手指揮者を何人かまとめて紹介する記事を書きたいと思う気持ちがふつふつと湧いてきた。
 第4楽章のホルン、トランペット、トロンボーンの咆哮するような響きはすさまじく、深く傷ついた絶望の叫びがら勝ち誇ったような熱狂的な歓喜まで、オーケストラ全体が揺れ動くようなはげしさを見せ、圧巻のフィナーレを築いた。
 ペトレンコは若さあふれる指揮で、スター性も備え、これから日本でも人気が出そうだ。
 明日は、ペトレンコの新譜をゆっくり聴いて、それを紹介したいと思う。
 さて、若手指揮者の記事、ゆっくり考えようっと。こういう若い才能がどんどん出てくると、クラシック界が活気づくからいいよね。
| アーティスト・クローズアップ | 23:10 | - | -
ミハイル・プレトニョフ
 ロシアのピアニスト、指揮者のミハイル・プレトニョフが指揮者に専念するためピアニストとしての活動をいっさいやめると宣言したのは、2006年末のことだった。
 知性的で洞察力に富む、だれにもまねできない個性的な解釈と奏法をもつピアニストゆえに、このニュースは世界の音楽ファンに衝撃を与えた。
 あれから8年、プレトニョフがピアニストとしてステージに戻ってくることになった。
 実は、彼は完璧主義者ゆえ、自分の目指す音楽を演奏することができる楽器をずっと探していたようだが、あるときモスクワ音楽院大ホールの隅にほこりをかぶっているピアノを見つけた。それは日本の「SHIGERU-KAWAI」のピアノだった。このピアノの音色が非常に気に入ったプレトニョフは日本の浜松まで出向き、カワイの同ピアノを何台も試弾。以後、もう一度ピアノを弾きたいという気持ちが湧き、すでにヨーロッパではこのピアノで演奏会を行っている。
 プレトニョフが初来日したのは1980年。とてもロマンティックな演奏をし、絶賛された。
 彼はモスクワ音楽院時代に作曲を学び、これまでチャイコフスキーのバレエ音楽などのピアノ用編曲も行っている。
 作曲家、編曲家の顔ももつプレトニョフの演奏は、作品の構成を深く見つめ、自身の個性をそこに融合させ、天才的な技巧を盛り込み、伝統にしばられない斬新な演奏を披露する。
 今回の来日公演は、5月27日(火)19時、東京オペラシティコンサートホールで「協奏曲の夕べ」が開かれる。プログラムはモーツァルトのピアノ協奏曲第8番、そして長いピアニスト人生のなかで初めて演奏するというシューマンのピアノ協奏曲が予定されている。
 もうひとつは5月29日(木)19時、会場は同じ。こちらはリサイタルで、バッハの「イギリス組曲」(番号はまだ決まっていない)、シューベルトのピアノ・ソナタ第4番と第13番、そしてスクリャービンの「24の前奏曲」である。
 今日は、この来日用のチラシ裏に掲載される鼎談が音楽事務所で行われ、音楽評論家のAさん、Tさんとともにプレトニョフの魅力について語り合った。
 彼の演奏は、いつも何が起きるかわからないようなスリリングな面があり、作品を完全に自分のものとし、生きた音楽として世に送り出す。
 プレトニョフの場合、手首の位置や上腕、ひじなどの使い方がとても変化に富み、ひとつひとつの動作が音色を幾重にも変容させていく。上半身をしなやかにバネのように動かし、ペダルにいたるまでからだ全体が有機的に作用し、ピアノと一体化するのである。
 私は、プレトニョフがオーケストラの指揮をすることにより、ピアノをオーケストラに見立て、よりシンフォニックに鳴らし、楽器から多彩な響きを導き出すような演奏に変化したのではないかと思っている。
 復活したロシア・ピアニズムの継承者であるプレトニョフの演奏、異次元の世界へと運んでくれる特有の美音に包まれた演奏に期待は募るばかりだ。
 今日の写真は、東京公演のチラシ。以前、何度かインタビューをしたが、彼の額はいわゆる「秀でた額」だった。この横顔にもそれが現れているよね(笑)。

| アーティスト・クローズアップ | 22:16 | - | -
リッカルド・シャイー
 いま、リッカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が来日している。
 今日は昼下がりのひととき、マエストロ・シャイーを囲んで銀座のブルガリで「お茶会」が開かれた。
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の初来日は1961年、今回は13回目にあたる。シャイーとの来日は2009年が最初で、2012年に続いて3回目だ。
 実は、今夜が日本ツアーの初日。メンデルスゾーンの序曲「ルイ・ブラス」、ネルソン・フレイレをソリストに迎えたベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ショスタコーヴィチの交響曲第5番というプログラムだ。
 もうひとつのプログラムはコンチェルトだけが変わり、五嶋みどりをソリストに、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が組まれている。さらにマーラーの交響曲第7番「夜の歌」が演奏される日もある。
 この選曲に関し、シャイーはことばを尽くして熱く語った。
「今回のメンデルスゾーン、ベートーヴェン、マーラー、ショスタコーヴィチは、すべてこのオーケストラゆかりの作品なのです。メンデルスゾーンはよくご存じのように、ゲヴァントハウス管のカベルマイスターを務めていました。マーラーもニキシュの時代に2年間このオーケストラとのかかわりをもっていました。そしてベートーヴェンはこのオーケストラの重要なレパートリーのひとつです。さらにショスタコーヴィチはマーラーの影響を強く受けています」
 ベートーヴェンの「皇帝」はゲヴァントハウスで初演が行われた大切な作品であり、シャイー&ゲヴァントハウス管との相性がいいフレイレのソロとあって、今夜の演奏に期待が高まるぱかりだった。
 シャイーは2013年、同オーケストラとの契約を2020年まで延長したばかりだそうだが、初めてこのオーケストラを指揮したのは、1986年のことだったという。
「当時、カラヤンのアシスタント・コンダクターをしていたのですが、カラヤンが東ドイツに宝物のようなオーケストラがあるから、振ってみたらどうかと勧めてくれたのです。私はいまの年の半分くらいの年齢でしたので、イタリア人の指揮者がドイツの世界最古のオーケストラを振るなんて、ドキドキものでした。でも、ザルツブルク音楽祭でR.シュトラウスの交響詩《ドン・ファン》を振ったら、最初からとても自由にのびのびと指揮することができたのです。まさに相性のよさを感じました」
 すると、すぐにカラヤンから電話があり、1時間後に会いたいといわれた。
「もう叱られるのではないかと、ヒヤヒヤものでした。でも、ここはもう少しこうした方がいいとか、もっと向上できるなどと、ずはらしいアドヴァイスをしてくれたのです」
 そしてカラヤンの先見の明が、見事に的中した。2002年から2003年のシーズンの後、ブロムシュテットの後任のカベルマイスターを探していたゲヴァントハウス管から、シャイーに次期カベルマイスターの打診があったのである。
 これに関しては、同席していたオーケストラの総支配人、アンドレアス・シュルツが答えた。
「マエストロ・シャイーとの演奏を覚えていた楽員が多く、ぜひ彼を次期カベルマイスターにという声が上がったのです。実際、マエストロをお招きして、私たちはレパートリーも広がりましたし、チクルスも多く行うことができ、絆は深まる一方です。もっともすばらしいのは、“イタリアの炎“と呼ぶべき、マエストロの音楽に賭ける大きな情熱です。この情熱が私たちのオーケストラを引っ張っていってくれるのです」
 シャイーは、このオーケストラのもっとも大きな特質は、「特有の音」だという。伝統が培ってきた音。シャイーが就任してから40人の新しい楽員がオーディションによって選ばれたそうだが、彼らがゲヴァントハウス管の「音」とどう一体化できるか、じっくり見守っていきたいと語った。
 今夜のコンサートは、まさに伝統の「音」を存分に披露する形となった。特にショスタコーヴィチがオーケストラの底力を示した。もちろん、フレイレのピアノが大好きな私は、「皇帝」に深い感銘を受けた。
 この緩徐楽章は、ベートーヴェンの全作品のなかでもっとも好きな音楽。これまで涙がこぼれそうになった演奏は、ペライア、ブッフビンダー。そして今夜のフレイレである。
 ここでフレイレに関するビッグ・ニュースをひとつ。今秋のゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団のソリストとして再び来日し、ブラームスのピアノ協奏曲第2番を演奏する予定が決まったという。う〜ん、た・の・し・み!
 今日の写真は「お茶会」の後のマエストロ・シャイー。相変わらずダンディだけど、貫録ついたよねえ。地位が人を作るとは、こういうことなんだと納得。


 
 
| アーティスト・クローズアップ | 23:31 | - | -
ヤン・リシエツキ
 昨日は、1995年にポーランド人の両親のもとカナダに生まれたピアニスト、ヤン・リシエツキのリサイタルを聴きに東京オペラシティコンサートホールに出かけた。
 彼は自分のルーツである祖国ポーランドの偉大な作曲家、ショパンを敬愛し、ことあるごとにポーランドで演奏している。そしてショパンの魂に近づくべく、ショパン時代の楽器で演奏したり、ゆかりの人に会ったり、オリジナル楽譜を研究したりしている。
「ショパンの時代の楽器で弾くと、すごく楽に弾くことができる。それを発見したとき、ぼくはショパンが作品に込めた気持ちが、より深く理解できたと感じました。楽器を通して、タッチやリズム、和声など多くのことを学ぶことができたからです」
 こう語るリシエツキは、今回のリサイタルではオール・ショパンでプログラムを構成した。
 まず、「華麗なる大円舞曲」作品18から始め、キレのある若々しい響きを披露。続いて、今回もっとも楽しみにしていた人が多いのではないかと思われる「24の前奏曲」をひとつひとつストーリーを描き出すように弾き進めた。
 後半は、「3つの夜想曲」作品9、「3つのワルツ」作品64をやわらかな音色でおだやかな空気をただよわせながら演奏し、最後は「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」で底力を発揮した。
 リシエツキは、国際コンクールの優勝者ではない。15歳という若さでドイツ・グラモフォンと録音契約を果たし、以後、世界各地で活発な演奏活動を行っている俊英である。
 これまで数多く来日し、そのつど演奏を聴いているが、自分の進むべき道をきちんと見据えている、という姿勢が印象的だ。
 インタビューでも、とても知的で年齢よりかなり大人びた発言をする。今回は、その様子をプログラムに綴った。
 終演後、楽屋にいくと、メガネをかけて登場。すぐにCDのサイン会へと駆け付けた。
 今日の写真は、珍しくメガネをかけたヤンくん。会うたびに身長が伸びた感じがするけど、まだまだ伸びるのかなあ。もう185センチくらいありそうだ。見上げなくちゃいけないから、首が疲れるんだけど(笑)。


 
 
| アーティスト・クローズアップ | 16:08 | - | -
レフ・オボーリン
 最近、1960年代から80年代にかけて来日した、偉大な音楽家のライヴが相次いでリリースされている。
 そのなかで、レフ・オボーリンが1963年2月1日に演奏したディスクは、かけがえのない記録として、いまなお光り輝いている(キングインターナショナル)。
 プログラムはJ.S.バッハの「半音階的幻想曲とフーガBWV903」からスタート。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番へと続き、ショパンのマズルカ第25番、第51番が演奏される。次いでラフマニノフの前奏曲作品32の10、5、12が登場し、ショスタコーヴィチの前奏曲作品34の10、22、24へとつながる。
 最後はハチャトゥリヤンの「トッカータ」で幕を閉じるという趣向だ。
 いずれもオボーリンの特質である、やわらかな情感あふれる美音がみなぎるものだが、なかでもベートーヴェンのソナタは涙がこぼれそうになるほど美しい。
 冒頭から気負いや気どりのまったくない、清らかな水が流れるような流麗な演奏で、けっして力で押すベートーヴェンではなく、豪壮で堅固でダイナミックなベートーヴェンでもない。豊かな歌謡性と抒情性が全編を貫き、エレガントで気品あふれる表情がベートーヴェンの心情を伝える。
 レフ・オボーリンは1907年モスクワ生まれ。モスクワ音楽院のロシア・ピアニズムの4つの流派のひとり、コンスタンティーン・イグムーノフに師事し、1927年の第1回ショパン国際ピアノ・コンクールの優勝者となった。以後、世界各地を演奏してまわり、モスクワ音楽院教授として後進の指導も行い、歴史に名を残すピアニストとして人々の記憶に刻まれている。
 実は、以前ウラディーミル・アシュケナージと話していたとき、ロシアの音楽教育が話題となり、私が彼の恩師であるオボーリンについて質問したところ、こんな返事が戻ってきた。
「すばらしいピアニストで個性的な音楽性の持ち主であり、人間性も称賛すべき人でした。でも、あの時代、旧ソ連では強靭なタッチでスケール大きな演奏をするピアニストが好まれ、オボーリンのような優雅で流麗で自然体の演奏をする人はあまり認められなかったのです。本当に残念なことです。私はあるとき、オボーリンが深く落ち込んでいたことを覚えています。ある評論家が、彼の演奏を“女々しい”と批評したのです。それからというもの、オボーリンはこのことばをひどく気にして、悩んでいました。なんという悲劇でしょう。私は怒り心頭でしたよ。ですから、オボーリンはリヒテルやギレリスの影に隠れてしまったのです。まったく異なる個性の持ち主で、あのように心の奥に響いてくる演奏をする人はいなかったのに、本当に残念です」
 長年、私はこのアシュケナージのことばが胸の奥に突き刺さっていた。それが今回のベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番を聴き、まざまざとよみがえってきた。そうか、オボーリンの自然でエレガントな音というのはこれなんだ、と新たな感慨を覚えた。
 昨年アシュケナージにインタビューで会ったばかりだが、今度会う機会があったら、ぜひこのベートーヴェンの話をしたいと思う。
 それほどこのベートーヴェンは、私の心に深く浸透してきた。第31番のソナタはいろんなピアニストで聴いている。だが、オボーリンのようにひそやかに、ロマンあふれ、最後のフーガまで天上の音楽を聴かせる人は稀だ。
 もちろん、演奏に対する考えは人それぞれである。こういうベートーヴェンは苦手だという人もいるだろうし、ベートーヴェンらしくないという人もいるだろう。だが、私は一度聴いたらとりこになってしまい、何度も繰り返して聴いている。私の感性に合う、ということなのだろう。
 できることなら、ナマの演奏を聴きたかった。そう願わずにはいられない。この1963年の演奏を聴いた人は、本当に幸せだ。
 今日の写真は、そのCDのジャケット。久しぶりに現れた私の愛聴盤である。


 
| アーティスト・クローズアップ | 22:22 | - | -
ニコライ・ホジャイノフ
 先日、大雪のために仕事に出かけられず、質問状を提出してニコライ・ホジャイノフにインタビューを行った。
 彼は先ごろ、「リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調、ショパン:舟歌、子守歌」と題するセカンド・アルバムをリリースした(ビクター)。
 これはラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」「夜のガスパール」から始まり、ショパン、リストと続くプログラム。
 それについて、ホジャイノフはもっとも大きな作品、メインの作品をプログラムの最後に置くことを考え、各々の作曲家の作品に適した音色を奏でるよう心がけたと語っている。
 ホジャイノフは、これらの選曲を見ても、それぞれの作曲家の深層心理に肉薄するような作品を選ぶのが好みだ。
「多くの作曲家は、悲劇的な人生を送っています。それが作品に全面的に投影され、悲劇性をもつ作品が数多く生まれています。ぼくはそうした作品に無性に惹かれ、弾かなくてはならない気持ちにさせられるのです」
 ホジャイノフは大変な読書家で、詩や小説のみならず、哲学書や偉人の回顧録などにも興味を示している。インタビューでは、いつもそうした文学から得た知識やことばの引用、比喩などが飛び出す。
「ある作品を勉強しているときに、その作曲家と同時代に生まれた書物を読むと、歴史や伝統や人々の考えを知ることができ、曲の理解に大いに役立つのです」
 この新譜でも、そうした想像力をもとにしたストーリー性が演奏に息づき、作品に新たな光を与えている。
 これまで多くの国際コンクールで好成績を残しているが、今春イスラエルで開催されるルービンシュタイン国際ピアノ・コンクールに参加する予定だという。
「こういうレヴェルの高いコンクールには、才能のあるピアニストがたくさん参加する。そうした人たちとコミュニケーションをとるのも、大きな楽しみ」
 さて、結果はどうなるだろうか。
 このインタビューは、次号の「婦人公論」と、ヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に書く予定にしている。
 今日の写真は、ホジャイノフのセカンド・アルバムのジャケット。ここでも身につけているが、彼は蝶ネクタイと帽子が好きだそうで、たくさん集めているという。特に、帽子はイタリアのボルサリーノ製に魅了されているとか。
「ボルサリーノの帽子は、プッチーニも大好きだったんですよ。ぼくはエクアドルの麦わらを使用して作られた、夏用の帽子が一番気に入っているんです」
 今度は、ぜひその帽子をかぶった写真を撮らせてもらいたいな。

 
| アーティスト・クローズアップ | 15:17 | - | -
アリサ・ワイラースタイン
 アメリカのチェリスト、アリサ・ワイラースタインの演奏は、エネルギッシュで情熱的。非常に説得力のある演奏で聴き手の心をつかむ。
 彼女は、昨年エルガーのチェロ協奏曲のCDでデッカからデビューを果たした。これはジャクリーン・デュプレの歴史的名演で有名なコンチェルト。これをデュプレの夫であったダニエル・バレンボイム指揮によるシュターツカペレ・ベルリンと録音(ユニバーサル)し、大きな話題となった。
 第2弾はドヴォルザークのチェロ協奏曲をメインに据えさらに「私にかまわないで」「森の静けさ」など、ドヴォルザークのさまざまな作品をピアノとともに演奏したもの。この新譜も、アリサの底力を示している。
 今日は、そのアリサ・ワイラースタインのインタビューのためにレコード会社に出向いた。このインタビューは「CDジャーナル」に掲載される予定だ。
 ジャケット写真などで見る彼女は、情熱的な眼差しを見る人にまっすぐに向けた、はげしさを内に秘めた表情をしているが、実際に会ってみるとものすごく陽気で気さく。どんな質問にも一生懸命ことばを尽くして答え、自身の感情を明確に示す。
 バレンボイムに認められて演奏を聴いてもらったときは、頭がボーッとして、気がついたらニューヨークのセントラルパークをゾンビのように歩いていたとか。
「私は、子どものころからデュプレが大好きだったの。彼女のエルガーのコンチェルトは何度聴いたかわからない。デュプレの壮絶な人生にも心をひどく痛めていたの。だからこそ、この曲は触れてはいけない感じがした。それをバレンボイムと演奏するなんて、考えられないことだったし、デビュー録音にこの曲をもってくること自体、震えがくるほどだった。でも、バレンボイムは私にチャンスを与えてくれ、さまざまなアドヴァイスをしてくれた。彼はこの曲を知り尽くしているから」
 こうしてアリサはCDデビューを果たし、次いでイルジー・ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルとプラハのドヴォルザーク・ホールでドヴォルザークを録音した。
「本当に恵まれていると思います。チェコの指揮者、オーケストラとプラハでこのコンチェルトを録音できるなんて、すばらしい経験です。ジャケット写真はドヴォルザークの生家の近くのボヘミアの森で撮影したんだけど、その空気のなかでドヴォルザークをより間近に感じることができたわ」
 アリサは2008年11月、国際若年性糖尿病研究財団のセレブリティ・アドヴォケイトになったが、実は彼女自身がこの病気を抱えているのだという。
 病気にめげず、明るくひたむきに音楽家の人生を走り続け、前向きな姿勢を崩さないアリサ・ワイラースタイン。
 今回はリサイタルが中止となり、東京では演奏を聴くことができなかったが、来年2月にはNHK交響楽団のソリストとして来日することが決まっている。ぜひ、ナマ演奏を聴き、その真価に触れたい。
 今日の写真はインタビュー後のワンショット。「また、すぐに会いましょうね」と明るい声で再会を約束してくれた。新時代の期待すべきチェリストの誕生である。


 
| アーティスト・クローズアップ | 21:39 | - | -
イェフィム・ブロンフマン
 今日は、イェフィム・ブロンフマンのインタビューに出かけた。
 彼は、2015年2月に来日し、サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏することになっている。そのときにすみだトリフォニーホール、武蔵野文化会館、トッパンホールでリサイタルも行い、プロコフィエフの「戦争ソナタ」第6番、第7番、第8番を予定している。
 今日のインタビューでは、その両方のコンサートの作品について聞き、またプロコフィエフの作品論や作曲家に対する思いなども聞いた。
 ブロンフマンは一見すると気難しそうで、コワモテで、話が弾まないように思われがちだが、実は非常に知的でユーモアもあり、どんな質問にも誠意をもって答えてくれる。
 来年はプロコフィエフのピアノ・ソナタ全曲を演奏する計画があるそうで、来日公演はその一環だそうだ。
「以前は、プロコフィエフを弾いてほしいというオファーはほとんどなかったのに、最近は時代の変化でしょうか。各地からプロコフィエフの要望が入るのです。作曲家が聞いたら、喜ぶでしょうね」
 こう話すブロンフマンは、子どものころからプロコフィエフに魅了されているという。作品のみならず、その人間性にも。
「プロコフィエフは変わった人で、あまり人に好かれず、それを本人も十分に意識していました。シニカルなユーモアを得意とし、作品が演奏されないにもかかわらず、自信に満ちていました」
 ブロンフマンは、ロストロポーヴィチからプロコフィエフのことをいろいろ聞いたという。作曲家と親しかったロストロポーヴィチの話から、プロコフィエフの素顔を聞き、それが全面的に音楽に現れていると感じたそうだ。
 かなり前のインタビューで、ブロンフマンは完壁主義者で理想主義者だといっていた。その話題に触れると、大真面目な顔でいった。
「もう、理想主義も完壁主義もやめました。あり得ないことですし、年齢を重ねると、その辺のことがはっきり見えてくるので…」
 こういって、笑っていた。それを聞いて、こちらも大笑い。
 でも、ひとつのシーズンごと、ひとりの作曲家にしぼって演奏し、その作曲家をしばらくは演奏せず、またときを経てその作曲家にしぼるという話を滔々と話しているのを聞くと、やはりかなりこだわりをもつ完璧主義者だという感を強くした。
 彼は日本のホールがすばらしい環境と音響ゆえ、大好きだという。こういうホールで演奏すると、納得のいく音楽が生まれると。来年また、そのすばらしい演奏が披露されることになる。
 今日の写真は、インタビュー後のワンショット。昔はすごくスリムだったけど、恰幅がよくなった。人なつこい笑顔がときおり現れるんだけど、写真を撮ると、やっぱり真面目な表情になってしまう。まあ、仕方ないか、完壁主義者だもんね(笑)。

| アーティスト・クローズアップ | 22:33 | - | -
エリソ・ヴィルサラーゼ
 ピアノは専門分野として、さまざまなアーティストのコンサートに足を運び、録音も必ずといっていいほど耳を傾け、これまで数多くの演奏を聴いてきた。
 そのなかで、何年に一度か、心が揺さぶられるような演奏に出会うことがある。
 終演後、あまりの感動に席が立てなくなり、胸が熱くなって涙がこぼれそうになり、だれとも話したくない状況に陥るのである。
 もちろん、ホールでみんながいるのに泣くわけにはいかない。だから、その場はひたすら感情を押し殺し、帰り道にひとり感動を反芻し、帰宅してからはもう目が冴え冴えとし、その夜は眠ってしまうのがもったいないと思うくらい幸せな気持ちに包まれる。
 この感銘は、以後、何日間も忘れることがない。
 昨日のエリソ・ヴィルサラーゼのリサイタルが、まさに何年に一度巡ってきた忘れがたき演奏だった。
 モーツァルトの「ドゥゼードの《ジュリ》の『リゾンは眠った』による9つの変奏曲」から始まり、やわらかくかろやかで、嬉々とした音楽が紡がれていく。先日、チャイコフスキーのコンチェルトで聴いた深く厚い響きとはまったく趣きを異とした、高雅で愛らしい響きに、同じピアニストが弾いているのかと驚愕するほど、その演奏は異なっていた。トリルや分散和音の奏法が実に自然で、美味なるオードブルを楽しんでいるよう。
 それが続くブラームスのピアノ・ソナタ第1番で、ガラリと変容を見せた。あのチャイコフスキーのときの深い打鍵と野太い音が蘇り、さらにブラームスのダイナミクスの広さと力強さが4楽章ともにあふれ、圧倒的な説得力ある音楽を披露したのである。
 まるで、19世紀か20世紀初頭のロシアの偉大なピアニストたちの演奏が目の前で展開されているような錯覚を覚えさせるもので、ヴィルサラーゼの恩師であるゲンリフ・ネイガウス、ヤコフ・ザーク、そしてレフ・オボーリンやスヴャトスラフ・リヒテルとの交流のなかから学んだロシア・ピアニズムが生きた形でそこに存在していた。
 なんと形容したらいいのだろうか。この夜のプログラムは、変奏曲がテーマとなっていたが、その主題から変奏へと移りゆくさまも実に自然で、すべての音が有機的に受け継がれていき、最後まで息を殺して聴きいってしまう。
 後半はハイドンの「アンダンテと変奏曲 ヘ短調」から始まり、まさに2度目のオードブルが提供された感じ。健康的で明るく、凛とした主題が幾重にも変貌を遂げ、これから始まるメイン料理への期待が高まる。
 そしていよいよ「シューマン弾き」と称されるヴィルサラーゼの真骨頂、シューマンの「交響的練習曲」の登場だ。私が待ちに待っていた作品であり、これを聴きにこの夜すみだトリフォニーホールに出かけてきた人は多いに違いない。
 冒頭のゆったりとした主題から、一気にシューマンの世界へといざなわれる。理性的で文学的で確固たる構築感に支えられた演奏だが、その奥に幻想的で夢想的で限りないポエジーが潜む。
 当時、シューマンは指を痛めてピアニストになることを断念し、クララ以外の女性とひそかに婚約したり、人生を模索しているときだった。 
 そんなシューマンによる、奥深い内容をもつ大胆で画期的な「交響的練習曲」を、ヴィルサラーゼはあるときは内省的に、シューマンの苦悩をあぶり出すように、またあるときは輝かしい響きで変奏をうたい上げ、創意と工夫に満ちた演奏を繰り広げた。
 この時点で、もうノックアウトされた感じだ。鳴りやまぬ拍手に応えて彼女はシューマンの「森の情景」より「予言の鳥」と「献呈(リスト編)」、ショパンの「2つのワルツより「告別」、「華麗なる大円舞曲」をアンコールで弾いたが、なかでも「献呈」にはまいった。
 私はこの曲を聴くと、ヘルマン・プライの晩年のアンコールが即座に脳裏に蘇り、涙が止まらなくなってしまうのである。
 終演後、先日のインタビューのお礼をひとこといおうと楽屋に顔を出すと、ヴィルサラーゼは「ああ」と叫んでハグしてくれた。
 私は「もう感動して涙が出ちゃって…」というと、彼女はより強く抱きしめてくれた。
 以前は、すごく怖い人だといわれていたけど、本当はすごく優しい人なのだと実感。本当にすべてが夢のようで、まだ今日もその演奏の余韻に浸っている。
 こういう演奏には滅多に出会えるものではない。
 会場はアンコールの終わった後、まさしく総立ちとなり、ヴィルサラーゼをたたえた。
 今日の写真は、終演後の彼女のほっとした表情。先日、握手が力強いと書いたが、ハグもがっしりした感じで、あったかい。こういう感覚は生涯忘れられないものとなる。

| アーティスト・クローズアップ | 22:57 | - | -
エリソ・ヴィルサラーゼ
 先日、感動的なチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏してくれたエリソ・ヴィルサラーゼに、インタビューすることができた。
 かなり前にも一度インタビューをしたことがあるが、そのときと同様、今回もとても有意義な時間を過ごすことができた。
 彼女のチャイコフスキーは、いままで聴いたどの演奏とも異なる新鮮さを放って聴き手の心に強いインパクトを与えたため、何かエディションが異なっているのかと思って版を聞いたら、「あら、まったく同じよ。だれでも使っている版で、カデンツァも変えていないわよ」とのこと。
 それであの強烈な印象を残す演奏とは…。
 ヴィルサラーゼは、これまで何人もの偉大な指揮者とこのコンチェルトを演奏してきたが、テミルカーノフとの共演がもっとも多いそうだ。
「マエストロ・テミルカーノフとサンクトペテルブルク・フィルとの共演では、自分がとても自由な気持ちで演奏することができるの」
 ヴィルサラーゼはとても知的で真面目。どんな質問に対しても真摯に、雄弁に、そして誠意をもった答えを戻してくれる。
 彼女は日本語も得意で、インタビューでは日本茶を飲んでいたが、途中で「すみません、お水いただけますか」と流暢な日本語で要求した。最後の撮影のときに、居合わせたマネージャーや雑誌の担当者たちと「男っぽいよね」「凛とした感じがすてき」「ハンサムウーマンっていう感じ」などと話していたら、ちらっとこちらを見て「日本語、わかるわよ」といわれてしまった。キャーっ、大変(笑)。
 このインタビューは、3月発売の「音楽の友」に掲載される予定だ。
 内容は、チャイコフスキーのことから得意のシューマンの話に移り、幼いころのピアノとのかかわり、ピアノの手ほどきを受けた祖母アナスターシャのこと、恩師のゲンリフ・ネイガウスとヤコフ・ザークのこと、さらにスヴァトスラフ・リヒテルのことまで、さまざまな方面に話が広がった。
 とりわけ印象深かったのは、私がチャイコフスキーのコンチェルトに感動した話をしたときのひとこと。
「私は常に新鮮な音楽を奏でるようにしているわ。どんなに弾き慣れた作品にも、新鮮な姿勢で立ち向かう。新鮮な演奏ができなければ、音楽をやっている意味がないから」
 彼女の話は、演奏とまったく同様の明快さとひたむきさと情熱が感じられるもの。そしてふだんはあまり笑わないが、最後に握手して「3日のリサイタルも楽しみにしています」といったときに見せた笑顔は、忘れがたい印象を残した。そして握手のガシッと力強いこと。やっぱり「ハンサムウーマン」だ。
 今日の写真は、インタビュー後の1枚。いつも黒を着ているけど、ホント、黒髪によく似合うよね。


 
 
| アーティスト・クローズアップ | 21:13 | - | -
アーティストの本音トーク
 WEBの記事は、本当に多くの人が読んでくれる。昨年から「もっとクラシックを広めるためには何が必要か」とずっと考えていたが、自分ができるところから少しずつ始めることにした。
 ヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」にこれまで幅広い記事を書いてきたが、今年から「アーティストの本音トーク」という4回連載のインタビュー記事を綴ることにした。
 いつもアーティストに貴重な時間をもらってインタビューをしても、書くページは限られている。それゆえ、ほとんどさわりのようなことしか書けない。
「もっと文字数があればなあ」
 常にそう思ってきた。というわけで、雑誌や新聞のインタビューではなかなか書けなかったことを4回に分けて書くことにした。
 第1回は、来週木曜日の30日のアップ分で、クリスティアン・ゲルハーヘルの登場だ。
 彼の話は、とても真面目で作品に寄り添う姿勢を崩さないものだったが、そのことばの端々に本音がのぞいていた。それをそのまま書いていきたいと思う。ゲルハーヘルのキャラクターがそこから浮かび上がり、それが歌に全面的に反映していると思うからである。
 今年はときどき、こうした連載のロングインタビューをこのWEBで紹介していきたい。各回はそんなに長くなく読みやすい分量にし、その人の演奏や録音を聴いてみたいと思ってもらうのが目的だ。
 それにしても、ゲルハーヘルの話はわかりやすく紹介するのが難しい。いいたいことはわかるのだが、彼のことばをそのまま文章にすると、かなりわかりにくい。こういう人を第1回にもってくるのは、ちょっと考え物かもしれないが、なにしろ演奏がすばらしかったので、トップバッターはゲルハーヘルしかいない、と判断した。
 ぜひ、サイトに寄ってみてくださいな。私の苦労の賜物ですから(笑)。
| アーティスト・クローズアップ | 21:40 | - | -
クラウディオ・アバド
 今日は、サントリーホールにクリスチャン・ツィメルマンのリサイタルを聴きにいった。
 この会場で、悲しいニュースを耳にした。私の大好きな指揮者、クラウディオ・アバドがボローニャの自宅で亡くなったのである。享年80。
 昨年10月、7年ぶりに来日することになっていたが、体調がよくないとの理由で中止となった。このときは、しっかり静養してまた元気な姿を見せてくれるのではないかと期待していたが、それもかなわぬこととなってしまった。
 思えば、1973年のウィーン・フィルとの初来日以来、アバドの演奏は数多く聴いてきた。日本公演のみならず、海外でも演奏を聴き、インタビューはできなかったが、ルツェルンでは楽屋で少しだけ話をさせてもらったこともある。
 いつもとても魅力的で、胸がドキドキするような、素敵な人だった。
 アバドは、ロッシーニの「ランスへの旅」の20世紀蘇演を1984年のロッシーニ音楽祭で行い、1989年には日本でも演奏を披露した。そのときの明快で闊達な指揮は、いまでも脳裏に深く刻み込まれている。
 今日は、開演前にツィメルマンによるアバドへの弔辞が会場に流され、それから演奏が始まった。
 プログラムはベートーヴェンの後期3大ピアノ・ソナタ、第30番、第31番、第32番。いまツィメルマンがもっとも弾きたいと願っている作品で、繊細かつ精密、内省的で、深い思考に根ざしたベートーヴェンだった。
 これまで多くのピアニストによるベートーヴェンの後期3大ピアノ・ソナタを聴いてきたが、アバドの訃報に触れたからか、心のなかにぽっかりと空いた穴にベートーヴェンの音楽が沁み込み、魂が揺さぶられるような思いを抱いた。
 これまでインタビューを願ったが、それがかなわずに亡くなってしまった指揮者が何人かいる。テンシュテット、ジュリーニ、そしてアバド。
 コンサートの合間に、「産経新聞」のEさんにアバドに対するコメントを求められた。明日の朝刊に掲載されるのだろうか。
 今夜はひとり、アバドを偲びたいと思う。
| アーティスト・クローズアップ | 22:33 | - | -
ロジェ・ムラロ
 昨日は、午後3時からトッパンホールで行われたロジェ・ムラロのリサイタルを聴きにいった。
 ムラロは1959年フランスのリヨン生まれ。オリヴィエ・メシアンに認められ、世界各地でメシアンをはじめ、ラヴェル、リストなどを中心に幅広い活動を展開している。
 この日のプログラムはラヴェルのピアノ作品全曲。2度の休憩をはさみ、ムラロは精力的に演奏を行い、終演は6時半。非常に集中力のある演奏だったため、聴く側はかなり疲労困憊したが、ムラロはまだまだ弾けそうな様子で、明るく手を振ってステージをあとにした。
 実は、「モーストリー・クラシック」の新年号の「1月のお薦めコンサート」に、ロジェ・ムラロのことを書いた。

 
 ロジェ・ムラロは常に聴き手が驚愕するようなプログラムで衝撃に満ちた演奏を行う。今回はラヴェルのピアノ作品全曲演奏(12日トッパンホール)。2004年の日本デビューで披露した作品の再来で、10年を経て成熟したラヴェルを聴かせる。彼の演奏はとてつもないエネルギーを秘め、異次元の世界へと連れ去るもの。ムラロの洒脱で機知に富んだ個性的なラヴェルに酔いしれることができそう。

 記事にはこう綴ったが、まさにその通り。彼のラヴェルはあいまいなところがまったくない。音楽は明晰で説得力に満ち、音はクリアで、ひとつひとつの響きに意味をもたせる。
 からだも大きいが、指も非常に長く、その大きな手が雄弁な音を紡ぎ出していく。ラヴェルのピアノ作品は、主題、リズム、和声進行などが際立ち、微妙な情趣も必要。ウイットとユーモア、エスプリも表現せねばならず、ときにシニカルな表情も顔を出す。
 私はラヴェルの作品が大好きで、ラヴェルの音楽を聴くとさまざまなイマジネーションが湧いてくるが、ムラロのピアノを聴いているうちに、一昨年単行本を書くためにパリのラヴェルの家を訪れたときのことが浮かんできた。
 ムラロは、よく奇才とか異才などと称されるからか、ちょっと変わったタイプに見られがちだ。しかし、ステージに登場したときから、いわゆる気のいい人という感じ。にっこりすると、とてもチャーミングだ。
 ただし、ピアノに向かうと一気にエネルギーが爆発。類まれな集中力を発揮し、ラヴェルの世界へと没入していく。
 ピアノ作品全曲はいずれも洞察力に富んだ、鍛え抜かれた演奏だったが、とりわけ「夜のガスパール」が印象に残った。これはラヴェルの最高傑作といわれる作品。「オンディーヌ」は、水の精の非現実的な響きを妖しげに奏で、哀しいまでの美しさを表現。「絞首台」では、不気味な鐘の音色を執拗なまでの響きで鳴り響かせた。最後の「スカルボ」は、ムラロの真骨頂。疾風怒濤のようなエネルギッシュでドラマティックな演奏のなかに、客観性を備えた第3者的な冷めた目をしのばせ、それがかえって不気味な感覚をもたらした。
 3時間半におよぶ長大なリサイタルの最後は、「ラ・ヴァルス」で締めくくり。いつまでも頭のなかにその主題が居座るような、インパクトの強いワルツを披露した。
 今日の写真は、ロジェ・ムラロの演奏会のチラシ。顔もインパクトが強いよね。NHKテレビが入っていたから、近いうちに放映されると思う。ぜひ、注目を!!

| アーティスト・クローズアップ | 21:28 | - | -
クリスティアン・ゲルハーヘルの3日間
 ああ、なんて幸せなんだろう。こんなにすばらしいバリトンは、久しぶりに聴いた。
 多くの人は、男性の声楽家の場合、テノールが大好きだという。でも、私は昔からバリトンのファンである。
 今日は、いまもっとも勢いのあるドイツのバリトン、クリスティアン・ゲルハーヘルのリサイタルを聴きに王子ホールに出かけた。
 今回は8日と10日の王子ホールでのリサイタルが組まれており、オール・シューマン・プログラム。今日は前半が「ミルテの花」作品25より7曲と「リーダークライス」作品39全12曲、後半が「ライオンの花嫁」と「12の詩」作品35全12曲。
 以前からゲルハーヘルの声に魅了され、いつもナマを聴くのを楽しみにしている。王子ホールは、すぐそばでうたっているのを聴くことができるため、臨場感にあふれ、声のこまやかな変化まで耳にすることができる。
 正統派の歌唱法で、詩を大切に、さまざまな表情を駆使しながら、シューマンの文学的で知的で情感あふれる作風をひとつずつストーリーをもたせながらうたい込んでいく。
 聴き進むほどに感動が胸のなかに広がり、美しくやわらかな高音では涙がこぼれそうになり、語りかけるような中音域ではうっとりと夢見心地になり、さらに迫力のある低音では音符のひとつひとつが胸に突き刺さってくるようだった。
 シューマンのリートはこれまで何人もの歌手で聴いてきたが、ゲルハーヘルのひたむきな歌唱は、聴き手にも集中力を要求するもので、目と耳が離せない。1曲終わるごとに、私もしばし息継ぎをし、次の曲に備える感覚に陥った。
 とりわけ「リーダークラウス」がすばらしかった。アイヒェンドルフの詩に曲がつけられたこの歌曲集は、自然への賛美が綴られ、そのなかに深い悲しみやひそやかな繊細さ、星の明るさやものうい気配、春の喜びなど多彩な表情が顔を出す。
 シューマンのロマンあふれる旋律は、次々に表情を変化させ、ピアノのこまやかな音との融合を見せ、聴き手をあたかもドイツの深い森へといざなう。
 ゲルハーヘルの変容していく歌声にピタリと寄り添うのが、盟友のピアニスト、ゲロルト・フーバー。リートの伴奏はとても難しいが、長年ともに演奏してきたふたりだけに、あうんの呼吸だ。
 実は、明日ゲルハーヘルにインタビューする予定である。あまりにも心に響く歌声を聴いたからか、インタビューに胸高鳴る思いだ。こういうことは珍しい。
 そして10日には、再び王子ホールでシューマン・プログラムの第2夜を聴く予定。今日はなかなか寝付けそうもないから、これからゲルハーヘルのCDを聴こうと思っている。
 ああ、まだ彼の声の余韻がからだ全体を覆い、シューマンの音の世界から抜け出せない。
 あまりボーッとした顔をしてインタビューにいくのはまずいから、明日はちゃんと仕事の顔に戻さないと(笑)。
 今日の写真はプログラムの表紙。最近の写真はみんな凛とした表情ばかりだが、私が最初に彼の写真を見たときは、パパゲーノのようなコミカルな顔をしていた。その後、ヴォルフラムをうたい、つい先ごろマーラーの歌曲集の録音で世界的な評価を得た。う〜ん、聞きたいことが山積みだ…。

| アーティスト・クローズアップ | 23:39 | - | -
服部百音
 若い才能は、聴くたびにぐんぐん成長し、テクニックも表現力も増し、未来への大きな期待を抱かせる。
 14歳のヴァイオリニスト、服部百音もそのひとり。彼女の演奏は、2010年12月24日に聴いたが、今日は外山雄三指揮東京フィルハーモニー交響楽団のニューイヤーコンサートに出演するというので、オーチャードホールに出かけた。
 午後3時開演だったが、さすがにお正月の渋谷は混んでいる。駅からホールまで歩くのに、人をかきわけ、かきわけ、ようやく進むという状態だった。もちろんホールも満杯。祝祭的な気分に満ちていた。
 服部百音は、ワックスマンの「カルメン」幻想曲を演奏した。彼女はいま、ザハール・ブロンに師事しているが、この作品はブロン門下のヴァイオリニストがほとんどステージで演奏するもので、私もいろんな演奏家で聴いてきた。
 服部百音の演奏は、以前聴いたときとは格段に成長し、自信に満ちあふれていた。実は、彼女は数多くの国際コンクールのジュニア部門で優勝を果たしているが、以前にもニュースとして書いたように、2012年にロシアのノヴォシビルスク国際ヴァイオリンコンクールで17歳以上のシニアの部を飛び級で受け、見事グランプリを受賞している。そうした難関を経て培われた自信に違いない。
 終演後、楽屋を訪れると、にこやかな笑顔を見せてくれた。ノヴォシビルスクのコンクールのことを聞くと、一気に早口で話し出した。
「5月なのに、ものすごく寒かったんですよ。手が冷たくなってしまって、大変でした。順番を決めるくじを引いたら、私は1番最初になってしまって、朝8時くらいから演奏しなければならなくなったんです。本選はもっと遅い時間になりましたが、とにかく2週間すごい数の課題曲があって、大変な思いをしました」
 それでグランプリに輝いたのだから、すごいことだ。
 そんな彼女は、手が痛いといって「こんなになっちゃって」と手を見せてくれた。それを見て、私は大ショック。皮がむけ、豆ができ、手のひらはボロボロになっていて、指にはテープが貼られている。
 こんなになるまで練習しているとは…。思わず手を握り締めてしまった。
 ブロン門下のヴァイオリニストはみな過酷な練習に明け暮れ、コンクールで優勝や上位入賞を遂げ、国際舞台へと飛翔していく。服部百音も、その道を歩んでいる。
 百音ちゃん、体調に十分気をつけ、頑張ってね。あなたの音楽には、聴き手を幸せな気持ちにする力が備わっているのだから。
 今日の写真は楽屋での百音ちゃん。ふだん話しているときはキュートな笑顔がステキなのだが、写真ではちょっとお・す・ま・しかな(笑)。


 
| アーティスト・クローズアップ | 22:49 | - | -
庄司紗矢香
 ようやく年末進行の原稿締め切りの峠が見えてきた。もう、泣いても笑っても、今週いっぱいしかない。あと2日で、みんな年末年始の休暇に入ってしまう。
 そんななか、昨日は今年最後のインタビューに出かけた。ヴァイオリンの庄司紗矢香である。
 彼女は2012年9月、サンクトペテルブルクでプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番、第2番の録音を行った。共演はユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団である(ユニバーサル、1月22日発売)。
 庄司紗矢香は、今年の東芝グランドコンサートでプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番を演奏しており、その話を昨年聞いたばかり。それゆえ、今回はその続きとして、第1番を中心に話を進めた。
 マエストロ・テミルカーノフは、庄司紗矢香を高く評価していて、何度も彼女と共演を重ねている。2013年12月、テミルカーノフの75歳記念ガラ・コンサートがサンクトペテルブルクで開かれたのだが、庄司紗矢香は名だたるロシアの音楽家にまじって参加、唯一のロシア系以外のアーティストとなった。
 それほどテミルカーノフに信頼され、認められている彼女だが、これまで録音で共演したことはなかった。初めての共演となるこのプロコフィエフは、さすがにオーケストラと息の合った集中力と緊迫感に満ちた演奏で、プロコフィエフをこよなく愛す庄司紗矢香の強い意気込みが全編を覆っている。
 テミルカーノフは、彼女を評して、「きみはプロコフィエフ・プレイヤーだ。作曲家の心理をとてもよく理解している」といってくれたそうだ。
「とてもうれしかったですね。マエストロはあまり口数の多い方ではないのですが、そのひとことひとことが非常に印象的であり、心に残ります」
 このインタビューは、2014年1月末の「日経新聞」に書く予定だ。
 庄司紗矢香とテミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルは1月25日(大阪のザ・シンフォニーホール)、26日(横浜みなとみらいホール)、30日(愛知県芸術劇場)にコンサートが予定されており、庄司紗矢香とメナヘム・プレスラーとのデュオ・リサイタルは、4月1日から13日までの間に6公演行われる。
 庄司紗矢香は、ロシアの空気がとても自分に合うと感じていて、特にサンクトペテルブルクが好きだそうだ。彼女は絵画にも精通し、各地の美術館を巡ることが趣味のようだが、サンクトペテルブルクはすばらしい美術館が数多くあるから、きっとそれも好きな理由かもしれない。
 インタビューのなかでも、いつも画家の話が話題にのぼる。今回は、プロコフィエフの作品を弾くと、カンディンスキーを思い描く、という話になった。彼女もテミルカーノフ同様、そんなに口数の多い方ではないが、その絵に関しては、雄弁に語ってくれた。
 もう、すぐにコンサートが控えている。そして、CDのリリースも間近だ。テミルカーノフが太鼓判を押す演奏を楽しみにしたい。
 今日の写真はインタビュー後の1枚。いつもシンプルなワンピースを着用しているが、ゆっくり買い物をする時間がないため、「洋服などの買い物は空港で済ませるの」と笑っていた。


 
 
| アーティスト・クローズアップ | 23:14 | - | -
セルゲイ・シェプキン
 ロシア出身で、現在はアメリカ在住のピアニスト、セルゲイ・シェプキンは、2007年に初来日し、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」を演奏して日本のファンに大きな衝撃を与えた。
 彼の「ゴルトベルク変奏曲」は、これまで耳にしたことのない解釈と奏法で、私は聴き込むほどに深い海の底にもぐっていく感覚を覚えたものだ。
 当時、さまざまなところにこの演奏について綴り、「ジャック・マイヨールの素潜りを連想させた」と表現したものだ。
 その後、何度か来日し、2010年には13年ぶりの「ゴルトベルク変奏曲」の再録音をリリース、この録音は世界中で高い評価を得た。
 そして12月16日、シェプキンは再びすみだトリフォニーホールに姿を見せ、「ゴルトベルク変奏曲」を披露した。
 ずっと彼の演奏を聴き続け、今回のプログラムにも原稿を寄せたが、そのつど演奏は大きな変容を遂げている。
 この夜は、折しもベートーヴェンの誕生日にあたるため、まずベートーヴェンの「6つのバガテル」作品126で幕を開けた。これはシェプキンが「ゴルトベルク変奏曲」と合わせてぜひ弾いてみたい、と願った作品である。
 冒頭から、鍛え抜かれたテクニックに裏付けられた、クリアで凛とした響きがホールを満たしていく。6つの小宇宙のような作品を、シェプキンはときに歌謡性を前面に、またあるときは自由な発想をもって奏で、後期のベートーヴェンのピアノ組曲のような作品を色彩感豊かに表現した。
 シェプキンの「ゴルトベルク変奏曲」はこれまで何度聴いただろうか。今回は、以前よりも発想が自由になり、装飾音が自在に入れられ、あたかもチェンバロのような響きとフレーズの作り方を示し、アーティキュレーションも明確になり、細部まで神経が張り巡らされていながらも全体を俯瞰する大きな目が感じられた。
 それゆえ、以前のひたすら深く沈静していく様相は消え、天空に飛翔していくような自由闊達さが際立っていた。
 終演後、シェプキンに会うと、いつもながらのおだやかな笑顔を見せてくれた。彼は「バッハは本能に基づいて弾いています」という。それが聴き手の心にストレートに届き、深い感銘をもたらす。
 今日の写真は、笑みを浮かべるシェプキン。集中力に富んだ演奏のあとだけに、ホッとしているのだろう、安堵の表情にも思える。
 だが、まだ私の頭のなかでは、最後のアリアが鳴っていた。


 
| アーティスト・クローズアップ | 22:26 | - | -
バーミンガム市交響楽団
 一気に天空に駆け上がっていくような、勢いに満ちたアーティストの演奏を聴くと、心が高揚し、からだもカッカと熱くなってくる。
 今日はアンドリス・ネルソンス指揮バーミンガム市交響楽団の演奏を聴きに東京オペラシティコンサートホールに出かけた。
 プログラムはベートーヴェンのバレエ「プロメテウスの創造物」序曲からスタート。もう冒頭から、ネルソンスの流れるような音楽作りが全開。大きなからだをふたつに折るようにしてオーケストラを指揮する姿もなつかしかった。
 実は、ネルソンスは2010年にウィーン・フィルとともに来日し、得意とするドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」を指揮した。
 この「新世界」は、これまで聴いたどの演奏とも異なる新たな世界を作り出していて、ひとつひとつの音かクリアでしかも流麗でエレガント。全編に豊かな「歌」があふれ、ドヴォルザークが作品に託したさまざまな感情が生き生きと写しだされていた。
 この演奏を聴き、ネルソンスの真の実力、大きな可能性、オーケストラから自然な「歌」を導き出す手腕に感嘆したものだ。
 そんなネルソンスが、今日はブラームスで底力を示した。
 前半のメインはエレーヌ・グリモーをソリストに迎えてのブラームスのピアノ協奏曲第1番。彼女はつい先ごろブラームスのピアノ協奏曲第1番と第2番の新譜をリリースしたばかり(ユニバーサル)。その指揮者がネルソンスで、録音での第1番はバイエルン放送交響楽団との共演である。
 グリモーは昔から大のブラームス好き。学生のころ、ブラームスばかり弾いていて、先生に注意されたほどだという。
 CDでもグリモーとネルソンスの呼吸は気持ちのいいほど合っていたが、実際に聴く演奏はまさにブラームスと一体化。深く熱く情感豊かで深遠で、一瞬たりとも耳が離せない緊迫感と集中力に富んだ演奏だった。
 ネルソンスは1978年ラトヴィアのリガ生まれ。2008年にバーミンガム市響の音楽監督に就任し、短期間ですばらしい成果を上げ、いまや世界でもっとも注目される若手指揮者のひとりとなった。
 私が彼の名を初めて耳にしたのは、ピアニストのラファウ・ブレハッチがオランダで彼のタクトでコンチェルトを演奏すると聞いたとき。もうずいぶん前のことで、そのころは「ネルソンス」という名はほとんど知られていなかった。でも、ブレハッチは「すごい指揮者だよ」といっていた。
 そのネルソンスは2014/15年シーズンよりボストン交響楽団の音楽監督に就任することが決まった。
 破竹の勢いでスター指揮者の街道をまっしぐらに進んでいる若きマエストロは、アメリカでも才能を遺憾なく発揮するに違いない。
 今日の後半のプログラムは、ブラームスの交響曲第4番。ロマン主義的な趣向と古典的な形式が見事に融合したこの交響曲を、ネルソンスは精緻な響きと、タペストリーのようなこまやかな音の織物のように構築。オーケストラからもてる最高のものを引き出し、聴き手に幸せをもたらした。
 グリモーも長年聴き続けているが、今夜のブラームスは作品への共感がすばらしかったし、ネルソンスの真摯に音楽と対峙している姿勢もひしひしと伝わり、帰路に着くときもからだがほかほかと温かかった。
 彼らの日本ツアーは始まったばかり。これから24日までコンサートは続く。ぜひ、足を運んでくださいな。聴き慣れた作品が新たな光を放ち、至福のときを過ごすことができますから。
 
| アーティスト・クローズアップ | 23:54 | - | -
イリヤ・ラシュコフスキー
 今日は、2012年の第8回浜松国際ピアノコンクールの優勝者、ロシア出身のイリヤ・ラシュコフスキーのインタビューのため、レコード会社に出向いた。
 ラシュコフスキーは1984年イルクーツク生まれ。ノボシビルスク特別音楽学校でM.レベンセンに、ハノーファー音楽大学でV.クライネフに、エコール・ノルマル音楽院でM.リビツキに師事している。
 その演奏はのびやかな旋律のうたいまわしと、情感豊かな表現力、鍛え抜かれたテクニックに支えられたもので、ロシアの若手ピアニスト特有のエネルギー全開のピアニズムとは一線を画している。
 つい先ごろ、新譜をリリース。ショパンの「練習曲集(全曲)」(ビクター)で、作品10、作品25、そして「3つの新練習曲 遺作」の全27曲を収録している。
 今日はコンクールのときの様子、ショパンに関して、「練習曲」について、恩師からの教え、今後のレパートリーなど多岐にわたる質問を行ったが、ラシュコフスキーは率直に、ときおり笑顔を交えながら、気持ちよく答えてくれた。
 今回の新譜は、ラシュコフスキーの音の美質をよく表している。彼は終始一貫して美しい音を追求し、各々の練習曲にあるストーリー性をもたせ、短いなかにひとつのドラマを描き出しているからである。
 とりわけ音の強弱とテンポが柔軟性に富み、とてもおだやかで耳に心地よい。これは「日経新聞」の11月28日(木)の夕刊に書く予定にしている。
 ラシュコフスキーは親日家で知られ、夫人も日本人。現在はパリに暮らし、今後は室内楽も積極的に演奏していきたいという。さらに、現代作品にも興味を示している。
 次なる大きなプロジェクトは、スクリャービンとプロコフィエフだそうで、ピアノ・ソナタを全曲演奏する予定だという。折しも、2015年はスクリャービン没後100年にあたるメモリアルイヤー。ここに焦点をあてているようだ。
 ラシュコフスキーのコンサートは、いま各地で開催されている。私は24日のヤマハホールの演奏を聴きにいくことにしている。
 彼は演奏と同様、とても人あたりのいい温かな性格で、優しい目をした人。今日の写真はインタビュー後のワンショット。ねっ、このたたずまい、抒情的な演奏に通じるでしょ。


| アーティスト・クローズアップ | 22:01 | - | -
河村尚子
 河村尚子には、たびたびインタビューで話を聞いているが、そのつど大きな自信が感じられる。
 今日は、次号の「intoxicate」のインタビューで、新譜「ショパン:バラード リスト:ピアノ・トランスクリブションズ」(ソニー)の話を聞きにレコード会社に出かけた。
 実は、この録音前に、一度バラードについては話を聞いている。それゆえ今回は、実際にレコーディングを行ったときの様子と、バラードについて、また、ショパン、シューベルト、ワーグナーの歌曲のリスト編曲版について、いろいろと話してもらった。
 彼女は、デビュー当時から一貫して自分というものをしっかりもっている。それが実に自然体で、凛としていて、いわゆるぶれない。
 その地にしっかり足を着けた姿勢が音楽にリアルに現れ、いまやチェコ・フィルへのデビューで、指揮者のイルジー・ピエロフラーヴェクに絶賛される力量をもつピアニストとなった。
 この10月に行われたチェコ・フィルのデビュー公演は、ゲネプロと本番3回というスケジュールだったそうで、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が演奏された。
 プラハのルドルフィヌム(旧芸術家の家)で行われ、耳の肥えた聴衆から大喝采を受け、スタンディング・オヴェイションとなった。
 このライヴは2014年にリリースされる予定だという。
 この11月3日には、ミューザ川崎シンフォニーホールで、来日しているチェコ・フィルのソリストとして同作品を演奏する。
「伊熊さん、聴きにきてくれますか」 
 こう聞かれたが、即座に「ごめんなさい。いまはいかれないの」と断腸の思いでお断りした。
 なにしろ、ウィーンとベルリンの出張の記事が目の前に山となっている。これに集中しないとならないからだ。
 というわけで、帰宅してから必死になって原稿と取り組み、なんとか4ページ分だけ入稿した。
 ああ、なんと時間がかかることか。
 でも、ひとつひとつこなしていくしかないのだから、集中して取り組まなければ…。
 今日の写真は、インタビュー後の河村尚子。おだやかで自然体で、どこかどっしりした感じがするのは、毎日ジョギングをしているということが影響しているのだろうか。
「ゆっくりめで40分ほど走ります。筋力がつきましたよ」
 そうか、私も運動したいな。引っ越してから、近くのスポーツジムにきれいなプールがあることを発見。そこに通いたいけど、まだまだ時間に余裕がない。
 もう今日から11月、ホント、早いものだ。毎日が疾風怒濤のように過ぎていく。さて、もうひとふんばりして、テープ起こしをしようかな。


 
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:03 | - | -
ジョン・ウィリアムス
「キング・オブ・ギター」と称されるジョン・ウィリアムスが、年内いっぱいで演奏から引退すると表明し、最後の日本公演を行った。
 10月17日からのツアーは、今日が最終日。白寿ホールで行われたリサイタルはJ.S.バッハ「リュート組曲」第4番、タレガ「アルハンブラ宮殿の思い出」、バリオス「ワルツ第3番」から自作、映画音楽まで幅広い作品が組まれ、まさにジョン・ウィリアムスの全貌を明らかにするという趣向だった。
 冒頭から、ジョン・ウィリアムスならではの柔軟性に富んだ、精緻で正確でゆるぎない響きが胸に迫ってきた。
 いずれの作品も、ゆったりとしたおだやかな空気に包まれ、ひとつひとつの音が非常にクリアで、あるべきところに存在するという演奏。こんなギターを聴いたら、もう何もことばが出てこない。
 私はギターの音色が大好きで、特にこうした心に切々と響いてくる演奏をこよなく愛している。特に、白寿ホールはギターの音に適した広さで、完全にナマの音を聴くことができる。
 残念ながら、ジョン・ウィリアムスにはこれまでインタビューする機会がまったくなかった。これが日本でのラストコンサートとは、本当に残念だ。
 ただし、聞くところによると、ツアーからの引退で、ロンドンでは来年も現代作品の初演を行うとか。そうか、海外にいけば、まだ演奏を聴くことはできるのね。
 ラストコンサートとあって、聴衆はホールに明かりがついても拍手を送り続けた。ジョン・ウィリアムスもそれに応えて何度もステージに登場。優しく、知的で、はにかんだような笑顔を見せ、キングは静かにステージから去っていった。
 今夜はギタリストが多く会場に姿を見せていたが、鈴木大介と大萩康司に会ってしばし歓談し、近況も聞かせてもらった。
 本当に心に残る、すばらしいギターの調べだった。これこそ、今年のコンサート・ベストテンに入れたいと思う。
| アーティスト・クローズアップ | 23:12 | - | -
マレイ・ペライア
 10月24日、待ちに待ったマレイ・ペライアのリサイタルを聴きにサントリーホールに出かけた。
 ペライアの演奏はいつ聴いても心がほのぼのと温かくなり、その人間性が映し出された誠実で、ひたむきで、洞察力に富む深々としたピアニズムに魅了される。
 この夜は、J.S.バッハの「フランス組曲」第4番から始まった。これを聴き、おそらくペライアは以前「イギリス組曲」全曲を録音しているため、近々「フランス組曲」を収録するのだろうな、と予測させた。すでに完璧な美しさに彩られ、自信あふれる演奏だったからだ。
 あとでレコード会社の方から「ペライアは《フランス組曲》をリリースする予定だそうですよ」ということばを聴き、予測があたって、うーん、納得。
 次いで登場したのはベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番(熱情」。多くのピアニストがこのソナタをすさまじいスピードで疾走するようなはげしさを見せ、ドラマティックに圧倒的な音量で聴かせるが、ペライアはテンポを抑え、ひとつひとつの音をじっくりと聴かせ、主題を鮮やかに浮き上がらせ、最終楽章に向けて徐々にクライマックスを築いていくという奏法をとった。 
 そのなかで、「運命の動機」の情熱とエネルギーの表現が際立ち、いすから立ち上がらんばかりに体重をかけ、深い打鍵を試みる姿勢が印象的だった。
 後半はシューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化」からスタート。この連作曲集は、演奏が非常に難しい。長大であり、文学的要素、多種多彩な曲想、幻想的なタッチ、ウイットとユーモアなど、作品に込められたさまざまな表現を、第5楽章まで一瞬たりとも弛緩せずに弾き進めなくてはならないからである。
 ペライアは、以前、こうした作品を演奏するときは、各地の図書館や資料室でオリジナルの楽譜を徹底的に研究し、作曲家の意図するところに近づいていくと語っていた。
 そのことば通り、ペライアのシューマンは、すみずみまで神経が張り巡らされた、緻密で構成力に富んだもので、その奥に限りないロマンを感じさせた。
 最後は、ショパンの即興曲第2番、スケルツォ第2番で締めくくり、アンコールもすべてショパンで構成された。
 あまりにも心に響く演奏だったため、その余韻を楽しもうということになり、この夜は久しぶりに「末っ子トリオの会」の友人ふたりとワインを飲みにいった。
 そこで出されたおまかせおつまみのひと皿が、実に美しい盛り付けだったため、すぐにパチリ。これ、自分で作るときに参考になるなあ、とひとしきり感心。もちろん味もよかったですよ。
 いい音楽に酔った日は、こうして親しい友人とおしゃべりしながら飲むのも、またいい。
 ペライアの音楽は、いつまでも心に残る。何日たっても感動の泉は枯れることがない。
 今日の写真はその美しい盛り付けのおつまみ。ちょっと参考になるでしょ。自宅のテーブルで、ぜひまねしてくださいな、ペライアのCDをかけると、もっとおいしくなるかも(笑)。

| アーティスト・クローズアップ | 23:15 | - | -
山田和樹
 9月6日、7日と荷物の積み出しを行い、7日の午後ようやくすべての荷物が引っ越し先に収まった。
 収まったのはいいが、段ボールの山、山、山で、歩くこともできないありさま。まずはひとつずつ片付け、8日になって少しは山が低くなったものの、今度は必要な物がどこに入ったのかまったくわからず、そのつど右往左往。
 梱包の担当はベテラン女性5人で、すこぶる手際がいい。それを若い力自慢の男性5人がものすごいスピードで運んでいく。
 こういうのをチームプレーというのだろう。ひとつの段ボールでもとても持ち上がらない重さなのに、必ず2つ重ねて運んでいく。これはコツがあるそうで、腰の力の入れ方が関係するようだ。
 汗がほとばしり、ポタポタと落ち、ものすごくパワフル。
 女性陣も男性陣も、みんなすごく感じがよくて、明るい雰囲気。大変な仕事なのに、礼儀正しく応対してくれる。私があとになって植木鉢が持ち上げられないから、ちゃんと決めた場所に置いてほしいというと、「オーケーっす。わかりやした。こっちでいいっすか」と陽気な返答が戻ってくる。
 大きな重い冷蔵庫を階段で降りながら運ぶときなんか、ハラハラドキドキするのだが、ふたりで「それっ」と掛け声をかけて一気に運んでいく。たいしたもんだ。体育会系の爽快ささえ感じてしまう。
 何はともあれ、引っ越しは完了した。これからゆっくり部屋の整理をしていくことにしよう。入ってしまえば、こっちのもんだ(笑)。
 というわけで、荷物の整理は中腰が多いため、直りかけていた腰痛がぶり返し、いまは立ったりすわったりが非常に困難。
 それでも、今日は「日経新聞」のインタビューに出かけ、指揮者の山田和樹に話を聞いた。
 今日ベルリンから帰国したそうで、飛行機が2時間遅れたとのこと。インタビューに駆けつけてくれ、疲れているにもかかわらず、いろんな質問に気持ちよく答えてくれた。
 山田和樹は、2009年のブザンソン国際指揮者コンクールの優勝者。その後、一気に活動の幅が広がり、現在はスイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者、日本フィルの正指揮者、仙台フィルのミュージックパートナーをはじめ、さまざまな活動を行っている。
 コンクールにまつわる話もとてもおもしろかったが、スイス・ロマンド管のポジションの名称に関することも興味深かった。最初は音楽監督をオファーされたそうだが、その重責と時間的なことを考慮するとまだ無理だと判断し、ことばの問題もあり、一度は辞退したそうだ。だが、オーケストラ側はなんとしてもきてほしいため、オーケストラとして初めての首席客演指揮者という名称を提示してくれたそうだ。
「スイス・ロマンドは色彩感がすばらしい。フランス作品を演奏したら、もう指揮していて浮遊感が味わえるほど。至福のときを味わうことができます」
 山田和樹は「いまは、まだまだ勉強が必要。日本にいると、忙しくてなかなか勉強する時間がとれないため、ベルリンでゆっくり勉強します」とのこと。
 同じくベルリンに住んでいる樫本大進と非常に親しく、ふたりは今度共演することになっている。その話は先日、大進から聞いていたため、その話題で盛り上がった。私の勝手な考えだが、ふたりには共通項がたくさんあると感じてしまった。
 この記事は10月の「日経新聞」に書く予定になっている。
 久しぶりにビシッとしてインタビューに出かけたため、腰痛も影をひそめていたが、仕事が終わったらまた痛みが襲ってきた。
 さて、明日もまた諏訪内晶子のインタビューが入っている。ちょっと腰痛さ〜ん、どこかに隠れていてくださいな〜(笑)。
 今日の写真はインタビュー後の山田和樹。今年のナントの「ラ・フォル・ジュルネ」で演奏を聴いたとき、現地の人の反応がものすごくストレートで熱いと感じだが、彼いわく「涙がこぼれそうなほどうれしかった」そうだ。
 演奏同様、とても情感豊かで人を引き付ける魅力がある若きマエストロ。ぜひ、長く応援していきたい。
 9月13日には杉並公会堂で「日本フィルハーモニー交響楽団 山田和樹コンチェルト・シリーズVol.2」と題したコンサートが開かれる。午後6時30分からは、マエストロによるプレトークもあるそうだ。彼は帰国して日本フィルを振るたびに、勉強の成果が問われると真摯な表情で話していた。その成果をぜひ体感してみたい!!

| アーティスト・クローズアップ | 22:42 | - | -
ハヴィエル・ペリアネス
 スペインのピアニスト、ハヴィエル・ペリアネスには2009年の来日時にインタビューをしたことがある。
 今日再び会うことになり、レコード会社に行くと、「ああ、久しぶり。きみの顔、ちゃんと覚えているよ」と笑顔で迎えてくれた。
 ペリアネスは1978年スペインのウェルバ生まれ。彼の名は、2005年に行われたダニエル・バレンボイムによるテレビのマスター・クラス・プロジェクト“バレンボイム・オン・ベートーヴェン”に参加したことで一躍知られるところとなった。これはNHKで放映されている。
 以後、ペリアネスは国際舞台で幅広く活躍、録音も次々とリリースしている。
 なかでも高い評価を得たのが、2007年にレコーディングしたシューベルトの「4つの即興曲作品90(全曲)、アレグレットD.915、3つの小品D.946」(キングインターナショナル)
 ペリアネスのピアノは美しい弱音と、繊細でエレガンス香る音色が特徴だが、シューベルトの歌心をひそやかに馨しくうたい上げている。
 これまで、モンポウの「ひそやかな音楽(全28曲)、3つの変奏曲」、マヌエル・ブラスコ・デ・ネブラの「ピアノ・ソナタ集」というスペイン作品をリリース。特有のリズムと内なる情熱、民族的な要素を前面に押し出す演奏で、個性的なアルバムを作り上げている。
 その後、ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ集」とファリャの「交響的印象《スペインの庭》」や「4つのスペイン小品」などの入った録音を相次いでリリース。
 今日のインタビューでは、スペイン大好き人間の私が結構テンションを上げながらあれこれスペイン作品にまつわることを聞き、ペリアネスもその思いをがっちり受け止めて雄弁に語ってくれた。
 このインタビューは次号の「intoxicate」に掲載される予定である。
 もっとも興味深かったのは、ピアニストがよくスペイン作品に内包される特有のリズムが苦手だというため、それをどう表現したらいいか聞いたときのこと。
 ペリアネスはリズムの出だし、間のとり方、浮き立つような表現、舞踊の要素、フラメンコの精神、民族音楽の取り入れ方などを具体的に説明してくれ、椅子の木の部分をこぶしでたたいて実例を示したり、うたったりして「こういう感じにね」と教えてくれた。
 ああ、スペインの空気がどんどんただよってくる〜。なんと幸せな時間なのだろう。
 ペリアネスは私のスペイン好きを察し、次回会うときはペリアネスが日本語で、私がスペイン語で覚えたことばを交換し合おうと提案。ヒエーッ、これはまいったゾ。あいさつしか知らないもんね。猛勉強しなくっちゃ(笑)。
 彼は今後も録音予定がびっしり詰まっていて、次のリリースはショパンとドビュッシーの類似性と共通項を考慮したアルバムで、その次はメンデルスゾーンの「無言歌」を中心とした選曲になるそうだ。
 次回の来日はいつだろうか。ヒヤヒヤものだワ。
 今日の写真は、インタビュー後のリラックスした表情。インタビューが終わって「グラシアス」といったら、即座に「アリガトゴザイマス」と返ってきた。すでに語学交換が始まってしまった(笑)。


 
| アーティスト・クローズアップ | 20:57 | - | -
川久保賜紀&上原彩子
 今日は大雨のなか、ミヒャエル・ザンデルリンク指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートを聴きに、東京オペラシティコンサートホールに出かけた。
 今夜のプログラムはコンチェルト2曲。ベートーヴェンの「エグモント」序曲のあと、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を川久保賜紀が、後半はベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を上原彩子が演奏した。
 ふたりは2002年の第12回チャイコフスキー国際コンクールにおいて、ヴァイオリン部門最高位、ピアノ部門優勝を遂げた、いわゆる同期生だ。
 川久保賜紀は、以前より安定した演奏を聴かせ、特質であるのびやかな美音を遺憾なく発揮した。
 上原彩子も、どっしりとした根性のすわった音でベートーヴェンと対峙し、ドイツ音楽を得意とするオーケストラとの雄弁な音の対話を聴かせた。
 このコンサートのプログラムにふたりのことを書いたのだが、デビュー当初から聴き続けていると、演奏の変遷が手に取るようにわかり、非常に興味深い。
 コンクール当時はまだ20代前半だったふたりが、いまや30代となり、堂々たる実力派に成長したのを見ると、感慨もひとしおだ。
 終演後、私服に着替えたふたりに会い、リラックスした表情の写真を撮ることができた。
 ドイツの深々としたほの暗くやわらかい響きのオーケストラに支えられ、川久保賜紀も上原彩子も、自身のもつ最高の演奏を披露した一夜となった。
 今回のオーケストラの日本ツアーは、2011年に予定されていたものだが、大震災の影響で中止となった。それだけに、指揮者もオーケストラも深い思い入れがあるのだろう、彼らももてる最高の力を発揮してくれた。
 それゆえ、とても温かな気持ちで帰路に着くことができた。





 
| アーティスト・クローズアップ | 22:57 | - | -
市原愛
 先日、11月末から12月にかけて来日公演が予定されているトリノ王立歌劇場のヴェルディ「仮面舞踏会」でオスカルをうたう市原愛にインタビューを行った。
 市原愛はドイツに留学し、さまざまな劇場で活躍したが、いまは日本でリートとオペラの両面で活動を行っている。
 彼女は今回、「仮面舞踏会」で初めてのズボン役であるオスカルに挑戦するわけだが、とても楽しみにしていると生き生きとした表情で語った。
 このインタビューは、新聞や雑誌、WEBなど、いろんな媒体で紹介していきたいと思っている。
 彼女の話はとても興味深く、ドイツ時代の苦労やミュンヘンの学生時代の話、劇場の様子など、非常の多岐にわたって話してくれたからだ。
 3月に女の子が生まれたそうで、いまは子育てが大変だそうだが、その表情は生き生きとし、充実した人生を送っている様子がひしひしと伝わってきた。
「私、ひとりでレストランに入れないんですよ」
 突然、こんな発言も飛び出した。
 海外に留学し、劇場で活躍していた人とは思えないこのひとこと、だからこそ、友人をたくさん作ったとか。
 今回は指揮者のジャナンドレア・ノセダのオーディションを受け、オスカル役に決まった。
「この役はとてもいいアリアがありますし、オペラのなかでオスカルの登場するところだけ、少し違った空気を感じていただければいいなと思っています」
「仮面舞踏会」は、スウェーデン王グスタフ3世の暗殺事件を題材としているが、検閲のため、17世紀のボストンに置き換えられた。
 ボストン総督の暗殺とそれにからむ恋物語を、ヴェルディはすぐれた性格描写で描き出している。 
 オスカルは小姓で、ソプラノによってうたわれる。市原愛は昨年、今回の演目のトリノ初演を観たそうで、舞台は華やかな色彩に包まれ、衣裳もモダンで、すばらしい演出だそうだ。
 トリノ王立歌劇場は、2007年にジャナンドレア・ノセダが音楽監督に就任して以来、世界最高の水準に成長したといわれる。2010年にはこのコンビで初来日公演を行い、「椿姫」と「ラ・ボエーム」で対成功を博したが、再来日となる今回は、よりいっそう充実したキャストが組まれている。
「仮面舞踏会」は12月1、4、7日。もうひとつの演目はプッチーニの「トスカ」で、11月29日、12月2、5、8日である。
 ヴェルディ・イヤーにおける特別公演として、11月30日には「レクイエム」も組まれている。
 年末のひととき、オペラの国イタリアから熱い旋風が吹き荒れるに違いない。
 今日の写真はインタビュー時の市原愛。笑顔がとてもチャーミングで、つい引き込まれてしまう。
 会った瞬間から話が弾んでしまい、話は音楽から離れてあちこちに飛んでいき、ドイツにいたころはサッカーもよく応援していたということからサッカー談議に。ちなみにバイエルン・ミュンヘン所属のMFバスティアン・シュヴァインシュタイガーのファンだそうだ。渋いですなあ(笑)。

 
| アーティスト・クローズアップ | 21:46 | - | -
エリック・ル・サージュ
 フランスのピアニスト、エリック・ル・サージュは、これまでレ・ヴァン・フランセや紀尾井シンフォニエッタなど、室内楽の演奏による来日公演が多かった。
 そのル・サージュが、5月16日(木)に紀尾井ホール・ソロ・デビュー・ピアノ・リサイタル(19時開演)を行うことになった。
 今日はおりしも来日しているル・サージュにインタビューし、そのリサイタルについて聞くことができた。
 今回のプログラムは、ドビュッシーの「子供の領分」「版画」から始め、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」に進み、後半はシューマンの「幻想曲」からスタート。最後にドビュッシーの「映像第1集」「喜びの島」で締めくくるという構成だ。
 これはル・サージュがいまもっとも演奏したい作品を選んだもので、ハ長調という調性のつながりを意識しているそうだ。
「私かゲストにもっともおいしい食事を提供したいと考えているようなプログラムなんです。自分が好きな食事を味わってほしいでしょ。ですから、オードブルからメイン、デザートにいたるまで、本当に自分が好きな作品を並べているんです」
 ル・サージュといえば、シューマンの得意なピアニストという構図ができあがっているが、シューマンは「もっとも心に近い作曲家で、自分の鏡のよう」と評す。
 そしてベートーヴェンはいま一番弾きたい作曲家で、最後の3作のピアノ・ソナタを録音したばかりだという。
 もちろんドビュッシーについても聞いたが、これはペダルの難しさと、クリアな響きが大切だと明言した。もやもやしたあいまいな演奏は避けたいと。
 ル・サージュは、メイエやパユやルルーら、管楽器の名手たちとの共演が多く、管楽器の響きが昔から大好きなんだそうだ。パリ音楽院時代は「音楽が好きではなかった」とはっきり口にするため、私はびっくりしたが、管楽器の奏者たちと知り合ってアンサンブルをすることで楽しさに目覚めたという。
 今日のインタビューは日経新聞の今月25日の夕刊に書く予定にしている。
 エリック・ル・サージュのピアノは、作品を深く掘り下げた思慮深さと、全体の構築感がすばらしく、いつも聴くごとに新たな感動を味わう。
 彼のリサイタルは本当に楽しみだ。ぜひ、ゆっくり音楽のフルコースを味わいたい。
 今日の写真はインタビュー後のル・サージュ。「ブログ見るからね」といわれたが、ムムム、日本語だけなんだよね、ごめんね、エリック。

| アーティスト・クローズアップ | 22:40 | - | -
イダ・ヘンデル
 イダ・ヘンデルは、「伝説のヴァイオリニスト」といわれる。
 ポーランド出身で、幼少のころよりカール・フレッシュやジョルジュ・エネスコから手ほどきを受け、1933年わずか5歳のときにコンクールでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾いて優勝した。
 1935年にはヴィエニャフスキ国際コンクールで第1位ジネット・ヌヴー(16歳)、第2位ダヴィド・オイストラフ(27歳)らそうそうたる入賞者のなかにあり、7歳で特別賞を受賞した。
 以後、世界各地で活発な演奏活動を行い、録音にも積極的に取り組んでいる。
 彼女に最初に会ったのは、2003年の来日時だった。そのときに音楽に対するとても真摯な姿勢に感動を覚え、前向きなエネルギーにあふれた、その生きる姿勢に触れ、大きな力をもらったものである。
 以来、何度かインタビューの機会をもった。
 そして今日、また再会することができ、一緒に食事をする機会に恵まれた。
 このインタビューは次号の「intoxicate」に書く予定になっている。
 イダは、「何でもおいしくいただくのよ」といい、関係者とともに4人でホテルの中華レストランのテーブルを囲んだ。
 いつ会っても好奇心が強く、明るく雄弁で、音楽に対してひたむきな姿勢を崩さない。彼女が生涯を通じて弾き続けているバッハの「シャコンヌ」のこと、自身のこれまでの音楽人生、恩師から受けた教え、最近の若手ヴァイオリニストのこと、マスタークラスについて、楽譜の読みかたなど、話は尽きない。
 イダは、初めてDeccaと録音契約したときに、スタッフからクリスマスに犬を贈られ、Deccaと命名。それから何代目にもなる犬の名前はいつも同じ。これまではメスだったそうだが、いまは初めてオスになったそうだ。
 私がそのワンちゃんのことを覚えていて、「Deccaは元気ですか」と聞いた途端、彼女は「ああ、会えなくて寂しい」と表情を曇らせた。
 ここでふたつのエピソードを披露してくれた。
 今回の来日でもピアニストを務めているミーシャ・ダチッチと、以前マイアミの自宅を出てリハーサルに向かおうとしたとき、Deccaはいつになく大声で吠え、イダを行かせまいとしたという。
「どうしても私を離さないの。そこでミーシャが力ずくで犬を家に押し込み、ドアをパタンと閉めたのね。ところが、リハーサル会場に着いた途端、私は急に血圧が上昇して倒れ、救急車で病院に運ばれたのよ。Deccaはそれを予知していたに違いないの。その本能的な態度には、本当に驚いたわ」
 もうひとつは、イダの親しいスペイン人の男性を自宅に呼んだときのこと。いつもはそんなに吠えることはないのに、Deccaは彼を家に入れないように大騒ぎをして吠え続けたのだという。
 きっと、イダはその人にかなり好意をもっていたに違いない。Deccaは妬いたのではないだろうか。
「以後、彼は私の家にきてくれなくなったのよ(笑)」
 Deccaは勝ったのだ、すごいなあ。イダを独り占めしたかったんだろうね。私も昔は実家で犬や猫を飼っていたため、彼らの気持ちはよくわかる。飼い主が本気である人に好意をもつと、ジェラシーをむき出しにするんだよね。
 音楽の話からワンちゃんの話まで、さまざまな話題が飛び出し、イダの温かい人間性に触れ、その演奏と同様、私の心はすっかり彼女のとりことなった。
 イダ・ヘンデルが2009年にリリースした「魂のシャコンヌ」(ソニー)は、2008年の来日時に録音されたものである。バッハの「シャコンヌ」は、6度目の録音にあたる。
 その録音の話になったとき、彼女はこう明言した。
「何度弾いても、録音を行っても、けっして満足のいく演奏はできないの。まだまだ私は勉強しなければならないことがたくさんあると思っている。一生、学び続けなければならない。それが音楽家の人生なのよね」
 このことばは私の心の奥に深く刻み込まれた。なんとすばらしいことばであろうか。そしてなんとすばらしいヴァイオリニストだろうか。
 彼女は今日、素敵なグリーンの靴を履いていた。会ってハグした後にその靴をほめると、「私ね、靴が大好きで、1000足以上もっているんだけど、あと1足買いたいの。ホテルの下のお店で見つけてしまったのよ」
 こういって、いたずらっ子のように肩をすぼめてクスッと笑う彼女。みんなに愛される笑顔がそこにはあった。
 今日の写真はランチをいただいたときに撮ったワンショット。照明の関係で多少見にくいけど、いい表情しているでしょ。大好きなんです、この笑顔。






| アーティスト・クローズアップ | 23:02 | - | -
カニサレス
 1月末から2月初旬にかけてのナントとパリでの「ラ・フォル・ジュルネ」の取材では、何人かのアーティストにインタビューを行い、それをさまざまな新聞や雑誌やWEBの記事に書いている。
 いま書いているのは、ヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に掲載される予定のカニサレスの原稿。
 スペインのフラメンコ・ギタリストのカニサレスは、ナントではロドリーゴの「アランフェス協奏曲」とフラメンコの作品(彼のオリジナル)の両方を演奏したが、いずれもリズムが際立ち、情熱的で、ときに土の匂いがするような音楽だった。
 インタビューで私が一番聞きたかったのは、クラシックとフラメンコの奏法の違い。これを質問すると、ちょっと影のあるアンニュイな表情をしているカニサレスは、途端に目が輝き、雄弁になった。
 もちろんクラシックとフラメンコでは旋律、リズム、表現、解釈などすべてが異なるが、彼はその両分野を演奏することに大きな喜びを抱いているようだった。そしてもっとも重要なのは、楽器だという。
 カニサレスは有名な製作家にこまかく指示を出して自分がクラシックもフラメンコも弾くことができるよう、最良の楽器を特注しているそうだ。
 そのインタビューは、4月4日にアップされることになっている。
 ここで、ひとつビッグニュース。カニサレスはいま新しい楽器を特注していて、「ハイブリットのギターだよ」といっていたが、そのできたてのほやほやの楽器を日本公演にもってくるかもしれないという。
「もしもすばらしい仕上がりだったら、日本でクラシックとフラメンコの両方をその楽器で演奏したいと思っている。全体のサイズから弦と弦の幅、棹の長さ、その他あらゆるところを自分の思うように作ってもらった楽器だから」
 カニサレスの演奏は、もちろんスペイン人ならではの情熱的で躍動感に満ち、心が高揚するような演奏だが、その奥に不思議な静けさが宿っている。
 そのある種のミステリアスな表現は、彼のインタビュー時の表情、ふとした仕草、シャイな笑顔、生真面目な態度、ひたむきに音楽について語る様子で理解することができた。
 カニサレスは陽気で開けっぴろげで情熱的で雄弁なスペイン人ではなく、光と影の両面を有している人だということがわかった。彼のギターの繊細でこまやかな表現に、その人間性が全面的に映し出されている。
 今日の写真はナントでのインタビュー時のカニサレス。ポーズを頼んだわけではなく、自然にこういう表情になったのだが、やはり影がのぞいているよね。
 ちょっとアンニュイな雰囲気がただようこの顔つき、きっとファンにはたまらないんだろうな。
 ぜひ、「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2013」で、クラシックとフラメンコの両方を聴いてみてくださいな。まさに光と影が映し出されているから。


 
| アーティスト・クローズアップ | 22:37 | - | -
服部百音の快挙
 今日、すばらしいニュースが飛び込んできた。
 以前ブログにも書き、ヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」でも紹介した若きヴァイオリニスト、服部百音(13歳)が、ブルガリアのソフィアで開催された第9回ヤング・ヴィルトゥオーソ国際コンクールのヴァイオリン部門グループ2(12歳〜15歳)で、第1位の上に位置する「グランプリ」を受賞したのである。
 服部百音は1999年9月14日生まれ。これまでいくつかのコンクールで好成績を残しており、現在はチューリヒで名教師として知られるザハール・ブロンに師事している。
 ブロンは、多くの若手ヴァイオリニストを世に送り出したことで知られ、レッスンのきびしさでは定評がある。服部百音も、そのハードなレッスンで鍛えられたのだろう。
 彼女はこれからもっともっと才能を伸ばし、大きな花を咲かせるに違いない。
 しばらくナマの演奏を聴いていないが、次回は以前よりも大きな変貌を遂げた演奏を聴くことができそうだ。
 こういうニュースは、本当に日本の未来を明るくしてくれる。暗いニュースが多いなか、若き才能の活躍はみんなの力になる。
 凱旋公演が組まれるといいのだが…。
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:27 | - | -
ニコライ・ホジャイノフのインタビュー
 昨年10月にインタビューしたロシアの若き逸材、ピアニストのニコライ・ホジャイノフの記事が、ようやくヤマハのWEB「ピアニスト・ラウンジ」にアップされた。
 カテゴリーは「明日を担うピアニスト達」で、結構盛りだくさんの内容を書くことができたので、ぜひクリックしてホジャイノフのことを知ってほしい。
 以前ブログにも書いたが、彼はいつ会ってもとてもおしゃれで、クール。若いのに、非常に知識が豊富で、大変な読書家のようだ。
 演奏も作品をとことん極めつくすもので、洞察力が深く、聴き手の心を音楽の内奥へと引き込んでいく。
 ホジャイノフはこれから大きな国際コンクールにどんどん挑戦すると意欲を示しているから、きっとすぐにいい結果が得られるのではないだろうか。
 このサイトは写真も豊富に盛り込まれているから、ホジャイノフのいろんな表情が見られる。
 ぜひ、見てくださいね。
 

 
| アーティスト・クローズアップ | 14:17 | - | -
マリア・ジョアン・ピリスのシューベルト
 2月27日にユニバーサル(グラモフォン)からリリースされる、マリア・ジョアン・ピリスの「シューベルト:ピアノ・ソナタ第16番&第21番」の見本盤が届いた。
 これはライナーノーツを書いたために早く送られてきたもので、早速聴いてみる。
 ピリスのシューベルトは、1996年と97年に録音された「即興曲集」が大ベストセラーを記録しているが、あれから15年を経て待望のピアノ・ソナタがレコーディングされたことになる。
 ライナーもこの「即興曲集」のことから書き始めた。なぜなら、これは私の愛聴盤のひとつだからである。今回は6000字ほどの分量があったため、ピリスのことをさまざまな面から書くことができた。
 ピリスの音楽は常に凛として潔く、情感豊か。聴き込むほどに深く魅せられ、作品の内奥に導かれる。そして涙がこぼれそうになるほど、その演奏は真摯でピュアで奥深い。
 今回のピアノ・ソナタも、原稿執筆のための試聴盤が送られてきてから何度聴いたことだろう。だが、いくら聴いてもけっして飽きることはなく、終わるとまた最初から聴きたくなる不思議な魔力を備えている。
 ピリスには、長年インタビューや取材を続けている。彼女はいつも本音で話してくれ、その人間性にも強く魅せられている。
 3月にはベルナルト・ハイティンク指揮ロンドン交響楽団とともに来日して日本ツアーを行い、モーツァルトのピアノ協奏曲第17番K.453とベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番を演奏することになっている。こちらも非常に楽しみだ。
 ピリスは小柄なため、日本にくるといつも洋服をいくつかまとめて買っていく。特に好きなのはシンプルな木綿のブラウス、牧歌的なロングスカート、重ね着ができる薄手のカーディガンなど。
 私もそうした種類の洋服が好きなので、いつもふたりで洋服を褒め合うことになる。
「ねえ、それどこで買ったの? 私にわかる場所だったら教えて」
「そのピアス、自然な感じでステキ」
「そのブラウス、飽きたらちょうだい」
 こんなことをいうピリスは、なんだかアーティストというよりは、長年の友人のよう。でも、彼女は偉大なピアニストである。
 もうひとつお互いに好きなのが、カゴバッグ。夏に会うと、私がカゴをもっているので、ピリスはいち早くそれに注目。一度はとられそうになった(笑)。
 なんでも、彼女の自宅兼練習スタジオ兼仕事部屋では、「ジョアンのカゴ」と命名されたカゴバッグがあり、いつもピリスがそれを抱えているため、みんなが大切な用件や伝言があるとそのカゴに入れていくのだとか。
 今度、ピリスに会うときは、どんな格好をしていこうかな。
 今日の写真は新譜のジャケットのピリス。飾らず気負わずひたむきに生きているピリスの表情を見ているだけで、胸の奥が温かくなる。
 さて、また最初からCDを聴こうっと。


 

 
| アーティスト・クローズアップ | 22:33 | - | -
インゴルフ・ヴンダー
 今日は、来年2月に来日するラファウ・ブレハッチの来日記念盤(ビクター)として、ショパン・コンクール優勝時のライヴを再発売(既存の2枚をまとめてひとつのボックスにする)のライナーノーツの原稿を仕上げ、午後はインゴルフ・ヴンダーのインタビューでユニバーサルに出かけた。
 ヴンダーは、「300」と題した新譜をリリースしたばかり。これはピアノ音楽の300年を俯瞰し、彼がこれまで愛奏してきた作品を17曲収録したもの。加えて、この300という数字は、彼が今年ピアニストとして300回目の演奏会を開くことになっているため、この数字をつけたそうだ。
 だが、実際に会って「300回目のコンサートはどの土地で行われるものなの?」と聞いたところ、「実は、子ども時代のコンサートの数が正確に把握できていなくて、大体のところ今年のどこかのコンサートが300回目にあたるという感じなんだ」と苦笑い。
 ヴンダーはこのCDのなかでポーランドのピアニストで作曲家でもあるラウル・コチャルスキ(1884〜1948)の「幻想的ワルツ」という美しい曲を取り上げているが、これはとても珍しい曲で、これまで耳にしたことがなかった。
「そうでしょう。ぼくもたまたま耳にして魅了され、すぐに楽譜を探したんだ。これまで知らなかった作品だけど、とても心に残る美しさをもっているよね」
 ヴンダーは、この録音のなかでスカルラッティやモーツァルトからジョン・ウィリアムズまで披露している。
 今後はベートーヴェンに目を向けているそうで、集中してピアノ・ソナタと協奏曲に取り組んでいきたいと語る。
 ここでひとつ最新のニュース。2013年5月に大野和士指揮ウィーン交響楽団が来日ツアーを行うが、そのソリストのひとりにヴンダーが選ばれた。
 5月15日にはサントリーホールでベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を演奏する予定になっている。
「来日公演の前、3月にウィーンでマエストロ大野とウィーン交響楽団と一度共演してから日本にくることになっているんです。すばらしい指揮者と、ウィーンを代表するオーケストラとの共演でベートーヴェンを演奏できるなんて、ことばにできないくらい幸せ。しかも、ぼくもウィーン人だからね(笑)」
 彼はベートーヴェンの第4番のコンチェルトは出だしがとても難しいが、自分のソロで始まることにより、最後までテンポ、主題の歌わせかたなど、あらゆる面でリードしていくことができるため、とても充実感がもてる作品だという。
 この作品に関して、彼は楽章ごとにどう弾きたいかということをこまかく解説してくれた。 
 今日感じたことだが、ヴンダーはショパン・コンクール入賞後よりも非常に落ち着き、自分の道をしっかり歩んでいる感じを受けた。当初は自分の置かれている位置を理解するのにとまどっていた様子だったが、いまではすっかりツアーにも慣れ、時間の配分にもかなり余裕を持ち、自分らしさを取り戻した感じ。おだやかな笑顔がそれを示していた。
 今日の写真はインタビュー後のワンショット。それにしても、あいかわらず「目がナイーブ」だなあ(笑)。
 今日のインタビューは12月下旬の「日経新聞」に書くことにしている。


 
| アーティスト・クローズアップ | 22:05 | - | -
ユジャ・ワン
 先日、ユジャ・ワンのインタビューを行った。
 彼女には以前にも話を聴いたことがあるが、語り口は演奏同様とても前向きで、パワフル。ただし、話した後に「フフフ」と笑うのが特徴的で、これが緊迫感あふれる刺激的な演奏とはひと味異なるところだ。
 ユジャは先ごろ「ファンタジア」(ユニバーサル)と題したアルバムをリリースした。これは大好きな作品ばかりを集めた、いわゆるアンコール・ピース集。だが、各々の曲がすさまじいまでの磨き抜かれたテクニックと深い表現力に貫かれ、小品集とはとてもいえない充実した内容となっている。
 彼女はホロヴィッツを敬愛し、その話になると一気に雄弁になる。このアルバムにはビゼー/ホロヴィッツ編による「《カルメン》の主題による変奏曲」が収録されているが、まさに超絶技巧をものともせずに自由闊達に突き進んでいくユジャがいる。
 そして13歳で単身アメリカに渡ったユジャは、才能はもちろんだが、努力の人である。以前、その苦労話を聞いたときは、「すごい」と思ったが、今回もひたすら前進あるのみの姿勢を崩さないひたむきな姿勢に触れ、さらに進化した演奏はこの努力の賜物だと感じた。
 長いアジア・ツアーの最後の時期だったため、彼女は風邪をひき、咳が止まらないといっていた。それでも一生懸命インタビューに答えてくれ、「フフフ」も何度か飛び出した。
 このインタビュー記事は、来年初頭の「CDジャーナル」に掲載される予定になっている。
 彼女はいつも「ショパンに恋に落ちた」と語っているが、今回は「クライバーのブラームスの演奏に恋に落ちた」と語っていた。実は、ブラームスが大好きだそうで、ヴァイオリニストのレオニダス・カヴァコスとソナタの録音を予定しているそうだ。うーん、またひとつ楽しみが増えたなあ。
 今日の写真はインタビュー後のユジャ・ワン。実は、スカートは超ミニで、模様のタイツを履いていた。でも、風邪ひいているんだから、もっと温かい格好のほうがいいのに、なあんて、余計なお世話か(笑)。



 
| アーティスト・クローズアップ | 22:02 | - | -
ギドン・クレーメル
 今日は、「日経新聞」の連載原稿を仕上げた。
 今月のテーマはギドン・クレーメル。先日、サントリーホールで聴いた室内楽がすばらしかったためその様子と、ピアソラ没後20年を記念してリリースされた「クレーメル・プレイズ・ピアソラ・ボックス」、新譜の「器楽の技法―グレン・グールドへのオマージュ」(ワーナー)の紹介を綴った。
 クレーメルは以前インタビューしたときに、強烈な印象を受けた。彼の演奏は類まれなる集中力と緊迫感がみなぎり、聴き手も集中力を要求されるが、インタビューも同様の空気がただよう。そして今回のサントリーホールでの演奏もまた、一瞬たりとも気が抜けない、息詰まるような緊張感に支配されたものだった。
 しかし、特有の磨き上げられた美音は限りなく美しく官能的で妖艶ですらあり、心に深々と響いてきた。
 彼のヴァイオリンには、悪魔と天使が共存しているように感じられる。喜怒哀楽の表情をこまやかに表現するそのテクニックもさらに進化し、圧倒的な存在感を示した。
 さて、なんとか週末までの締め切りを全部終えることができた。この土日は、アーティストレシピの本のお料理の撮影をしなくてはならない。
 明日は、食材を買いにニコタマに行こうかな。何を作ろうかな。この本の仕事はとっても楽しい。遊び心満載で、ルンルンしながら進められる。
 でも、実際は編集のかたから少しずつ催促が入っている。だから、遊んではいられない。でも、遊んじゃうもんね。趣味が高じた本だから、少しは遊ばせてくださいな、締め切りは守りますから(笑)。
| アーティスト・クローズアップ | 23:42 | - | -
カティア・ブニアティシヴィリ
 新しい才能の出現は常に心躍るものがあるが、グルジア出身のピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリも彗星のごとく登場した期待の星である。
 デビューCDは2010年に録音された「リスト・アルバム」(ソニー)。そして今回の来日に合わせてリリースされたのが「ショパン・アルバム」。
 いずれもこれまでのだれの演奏とも似ていない、彼女ならではの美しい音色とゆったりとしたテンポ、特有のアンニュイで官能的な空気がただよう演奏。もちろん超絶技巧をものともしない自由闊達なテクニックと表現力が根底に息づき、ある種のロマンもただよわせる。
 11月4日にはサントリーホールでヴァイオリンのギドン・クレーメル、チェロのギードレ・ディルヴァナウスカイテとのトリオの演奏会があり、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲「ある偉大な芸術家の想い出のために」ほかをすばらしいアンサンブルで聴かせてくれた。
 クレーメルはカティアを高く評価し、彼女に数多い共演の場を提供しているという。
 次いで11月6日には浜離宮朝日ホールでカティアのリサイタルが開かれた。
 前半はショパンのピアノ・ソナタ第2番「葬送」と、ショパンのバラード第4番、リストの「メフィスト・ワルツ第1番 村の居酒屋での踊り」。後半はシューベルト/リスト編の「3つの歌曲」と、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカより3楽章」。いずれも彼女が大得意とする作品ばかりだ。
 リサイタルには、大勢の男性が聴きにきていたのが印象的だった。彼女はとても美しく個性的で、往年の女優のような雰囲気を持っている。まだ20代半ばだが、とても妖艶で不思議な魅力を醸し出す。
 演奏も、ナマで聴くとより風情があり、みずみずしく色香が感じられる。男性ファンが集まるのも、納得だ。もちろん、クレーメルが認めるだけあってテクニックは安定し、推進力に富み、迷いがない。
 トリオの演奏会の前日、「レコード芸術」のインタビューに行った。
 会った途端にとても親密的な雰囲気が生まれ、ひとつひとつの質問にとてもていねいに答えてくれ、しかも内容が濃い。
 すでに年間130回近いコンサートが入っていて、超多忙だそうだが、根がのんびりしていて自由人だという。
「趣味の時間はまったくないし、ピアノ漬け。でも、いろんなところに行くことができるから楽しいわ」
 グルジアは語学が堪能な人が多いそうで、カティアも5カ国語を話す。
「日本語も習いたいけど、難しそうね。ちょっと急には無理だわ」
 今回はすっかり和食にはまり、「たまらなく好き」といっていた。
 デビュー作にリストを収録したのは、子どものころから、初レコーディングには絶対大好きなリストを入れようと思っていたという。ショパンも好きで、その作品論を雄弁に語ってくれた。
 特有の美に彩られ、たっぷりと歌うピアノは大きな個性だ。その歌心は祖国の民謡から学んだという。
 リサイタルのアンコールには、「カティア編曲 グルジア民謡より」という曲が演奏された。旋律が牧歌的なおだやかさを備え、ゆったりしたテンポで聴き手の心に響くように奏でられるこの音楽は、彼女が愛してやまないといっていた祖国の音楽のすばらしさを伝えていた。
 今日の写真はインタビュー後の2枚。
「ええっ、写真撮るの。今日はそんなにいい格好していないのよ」
 大丈夫よ、というと、こんなにステキなポーズをとってくれた。すぐにでも再来日してほしい逸材だ。



 

| アーティスト・クローズアップ | 22:37 | - | -
マリア・カラス
 今月号のモーストリー・クラシックの特集は、「カラスと世界の名歌手格付け」。
 そのなかで、1974年秋にカラスのリサイタルを聴きにいったときのことを書いた。あのときの記憶はいまだ心の奥に深い印象となって残っている。
 20世紀最高のソプラノといわれたマリア・カラスの最盛期は1950年代だった。このころのカラスは「アイーダ」を得意とし、イタリアの誇るテノール、マリオ・デル・モナコと共演したステージでヴェルディも書いていない超高音、3点ESを出したことは特に有名である。
 ミラノ・スカラ座にデビューしたのも、フィレンツェの5月音楽祭で絶賛を浴びたのもこのころで、ヨーロッパのみならずメキシコにもたびたび演奏旅行に出かけている。そして、50年代中ごろには体重を30キロも落として美しく生まれ変わり、世間をアッといわせた。しかも声はまったく衰えず、次々とオペラの大役をこなしていった。
 カラスは1923年12月ニューヨーク生まれ。47年ヴェローナ野外劇場の「ラ・ジョコンダ」でイタリアにデビュー。このとき知り合った富豪のメネギーニと結婚。それからのカラスは名指揮者セラフィンの指導を受けるようになったり、ヴィスコンティの演出によって歌ったりと、着実にキャリアを伸ばしていく。しかし、有名な、オナシスとの運命的な出会いによりメネギーニと別れてから、彼女の人生はスキャンダルにとりまかれるようになり、このころから声にかげりが見られるようになっていく。
 74年、カラスは日本にやってきた。真紅のドレスでステージに現れた彼女は、声に往年の張りは見られなかったものの、その存在感は第一線で活躍した人だけが持つ独特の雰囲気があり、それゆえ声の衰えがなおさら聴く者の胸をしめつけた。
 カラスはオナシスから贈られたパリのアバルトマンをこよなく愛し、バルコンにはいつも真っ赤な花を絶やさなかった。晩年はディ・ステファノとジョイント・リサイタルをしたり、パゾリーニの映画に出演したり、ジュリアード音楽院で後進の指導にあたったりしたが、概して孤独だった。
 彼女が53歳の若さで突然この世を去った翌年、このアバルトマンを訪れたが、主のいなくなったその部屋は鎧戸がピッタリと閉まり、古い植木鉢だけが並んでいた。いま、あの部屋はどうなっているだろう。
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:18 | - | -
ワレリー・ゲルギエフ
 11月にマリインスキー歌劇場管弦楽団とともに来日する指揮者のワレリー・ゲルギエフは、ロシア・オペラの象徴であるこの劇場を復活させた立役者。
 今回は12日にナタリー・デセイがタイトルロールを務めるドニゼッティの「ランメルモールのルチア」のコンサート形式、14日にデニス・マツーエフをソリストにラフマニノフのピアノ協奏曲第3番、そしてショスタコーヴィチの交響曲第5番というプログラムを組んでいる。
 2007年にはゲルギエフの活動の中心地であるサンクト・ペテルブルクを訪れ、オペラとシンフォニーの演奏を聴いた。
 そのときに雑誌「カイラス」に書いた記事を振り返ってみたい。

 かつてのロシア帝国の首都、サンクト・ペテルブルクが、いま大きな変貌を遂げている。町はあちこちが工事中で、人々は臨時に組まれた足場の悪い通路を文句をいいながらしぶしぶと渡っている。
「まったく工事ばかりで嫌になるよ。でも、町の発展のためには仕方ないんだろうね」
 こう語る市民の目は、いまもっとも大きな工事が行われている大ネヴァ川のほとり、マリインスキー劇場のすぐ隣の細い運河をはさんだ土地へと向けられる。
 マリインスキー劇場は、サンクト・ペテルブルクが世界に誇る、偉大な歴史と伝統を有したオペラとバレエの劇場。1988年にワレリー・ゲルギエフが35歳の若さで芸術監督に就任した。
 彼はソ連崩壊後の混乱期を持ち前のパワーと忍耐力で乗り切り、同歌劇場管弦楽団の質を向上させ、新人歌手の発掘を行って世界の舞台へと送り出し、ロシアの古典オペラに新しい演出を加えて上演回数を増やし、マリインスキー劇場の名を世界に知らしめた。
「私はこの町を愛しています。サンクト・ペテルブルクは美しい景観とすばらしい聖堂や美術館、多くの歴史的な建造物が随所に存在し、人々の心を魅了します。私はそこに音楽の楽しみを加えたいのです。芸術は人々の心のよりどころと成り得るものですから」
 マエストロ・ゲルギエフは、1993年に「白夜の星国際芸術祭」の本格的な運営に着手、毎年5月から6月にかけての白夜の季節にさまざまな劇場でオペラからシンフォニー、室内楽、バレエなどを幅広く上演。いまでは世界各地から音楽祭を聴きにファンが訪れる。
 ゲルギエフのサンクト・ペテルブルクを芸術的な都市にする壮大な計画はまだ始まったばかりだが、2007年11月には2003年に火災で焼失した舞台装置の倉庫で、レンガ造りの建物を外壁のみを残して一新、新コンサート・ホール(マリインスキー)をオープンさせた。
 このホールは小規模なオペラも演奏できるようにオーケストラ・ピットも備え、バレエの上演も可能。ロビーも広々し、明るく華やかな雰囲気をたたえている。内部はといえば、木のぬくもりが感じられる造りで、響きはとても温かく柔らかい。音響はゲルギエフが日本のサントリーホールや札幌のKitaraホールの音響を設計した豊田泰久氏に依頼し、ひとつの大きな夢を実現させた。
 さらに、いまゲルギエフはより大きな夢に向かって構想を練っている。市民が注目するマリインスキー劇場の隣の造船所跡地に建設中の建造物は、マリインスキー供ニューヨークのリンカーンセンターのように、さまざまな芸術センターが集合する形となるようだ。
 プーチン大統領の信頼も厚いゲルギエフ。指揮だけにとどまらず、経済面の交渉など多大なリスクを背負いながら、ロシア芸術を世界へと広めることに意欲を燃やす。数時間しか睡眠をとらずに走りまわる彼は、演奏も生きる姿勢も、まさにエネルギー全開だ。
| アーティスト・クローズアップ | 21:27 | - | -
ニコライ・ホジャイノフ
 今年4月、日本でレコーディングをしたニコライ・ホジャイノフの日本デビューCD「マイ・フェイヴァリッツ」(ビクター)が10月3日にリリースされる。
 収録曲はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番作品110、シューベルトの「さすらい人幻想曲」、ショパンのスケルツォ第4番とバラード第2番、リストの超絶技巧練習曲集より第5曲「鬼火」と「メフィスト・ワルツ第1番(村の居酒屋での踊り)」。
 このライナーノーツを書いたため、ひと足早く新譜が届いた。
 以前ブログでも紹介したが、ホジャイノフは20歳という年齢にもかかわらず、非常に思慮深く、知的で、死の影を感じさせるような作品に無性に惹かれるという。
 今回の選曲も、特にベートーヴェンとシューベルトにそれが色濃く映し出されている。そうした作品を鍛え抜かれた技巧と楽譜の深い読み込みで情念の深さを表すように弾き進めていく。
 ホジャイノフの演奏は2010年のショパン・コンクール、今春の日本公演でも聴いたが、絶妙のペダリングに支えられた明快な響きが特徴。もちろん若手ピアニストゆえ、一気に疾走していくようなはげしさも見せるが、終始思考し、作品の奥に潜む文学的な要素に肉薄し、美しいポエティックな表情をのぞかせる。
 彼はショパン・コンクールの第1次予選では最高点をマークした。その底力が、今年5月に受けたアイルランドのダブリン国際ピアノ・コンクール優勝という栄冠につながった。
 実は、このデビューCDのプロモーションで10月に来日する。そのイヴェントのインタビュアーをすることになった。
 ホジャイノフは決して雄弁なほうではない。気に入った質問になると一気に語彙が増えるものの、あまり気の乗らないと感じる質問には結構そっけない。
 こういう人を公開の場でインタビューするのは、かなりテクニックを要する。気を引き締めて、会場を盛り上げなくてはならないし、少しでも多くのことばを引き出さなくてはならない。
 それまで何度も録音を聴き、インタビューに備えなくては。それにしてもこの若さで作曲家の苦難の人生の痛みが映し出された作品が好きとは、おそるべきピアニストだ。
 きっと、今後も一気に階段を駆け上がって才能を開花させていくに違いない。そのプロセスを聴き続けるのが楽しみだ。
 今日の写真はCDのジャケット。フワフワの巻き毛がキュート。それにいつ会っても、ものすごくおしゃれ。


 
 
 
| アーティスト・クローズアップ | 21:43 | - | -
スコット・ロス
 いま書いているスペインとフランスの本のなかに、私の大好きなチェンバリスト、スコット・ロスが登場する。
 彼は1989年、病気のために38歳という若さで亡くなってしまった。この年は私が独立した年なので、よく覚えている。
 スコット・ロスはこの年に来日公演を予定していたそうだ。本当に残念でたまらない。
 彼の名は、世界初のドメニコ・スカルラッティのソナタ全曲録音で一躍広く知られるところとなった。1980年夏にはブルージュでナマの演奏を聴いたが、いまでもそのときのスカルラッティは強烈な印象として脳裏に刻まれている。
 ロスの新譜はもう発売されることはないだろうと思っていたが、EMIから未発売音源2枚がリリースされた。1988年1月に録音されたJ.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」と、死の直前1989年3月に録音されたフレスコヴァルディの「トッカータ集」である。
 もう、第1音から異次元の世界へと運ばれ、至福のときを味わうとともに、ブルージュでの姿が浮かんできて、平常心は保てない。
 こういうすばらしい演奏に出合うと、それをことばで表現することの難しさをつくづく感じてしまう。以前、アシュケナージにインタビューをしたとき、彼が「私は演奏ですべてを表現しているのだから、それをことばでいい表すのは意味がないと思う」といわれて絶句したことを思い出す。
 しかし、私の仕事はアーティストの思いを文章で伝えなければならない。それを懸命に説明してアシュケナージからことばを引き出した。
 さて、もう一度スコット・ロスを聴こう。本当はもっと聴かなくてはならない音源が山ほどあるのに、今日はロスにつかまってしまった。
 こういう躍動感あふれる心にグサリと迫ってくる演奏を聴くと、「ああ、チェンバロが弾きたい」という思いがふつふつと湧いてくる。調律時間を必要としない電子チェンバロを買いたいのだが、そうなったら仕事そっちのけになってしまうことは明らか。
 うーん、がまんがまん。フレスコヴァルディ、すごく好きなんだよねえ。でも、聴くだけでがまんしなくちゃ。ロスは罪な人じゃ(笑)。
 今日の写真はそのジャケット。この絵もステキ。
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:28 | - | -
タチアナ・ニコライエワ
 ロシアの名ピアニスト、タチアナ・ニコライエワが神に召されてから、来年ではや20年目を迎える。1993年11月22日、サンフランシスコの病院で亡くなった。享年69。
 彼女は13日に同地で行われたリサイタル中に脳動脈破裂で倒れて急きょ入院、こん睡状態が続いていたという。
 ニコライエワは1924年生まれ。モスクワ音楽院でピアノと作曲を学び、1950年ライプツィヒで開かれたバッハ・コンクールで優勝し、以後バッハ弾きとしての名声を確立する。1965年にはモスクワ音楽院の教授に就任し、多くの憂愁な弟子を育てた。
 このバッハ・コンクールの審査員のひとりだった作曲家のショスタコーヴィチは、ニコライエワの演奏に触発され、かねてからの課題であった「24の前奏曲とフーガ」を作曲、公開初演はニコライエワが行っている。
 この作品はバッハの「平均律クラヴィーア曲集」をモデルとしていながら、全曲の配列はショパン「24の前奏曲」と同じ形をとっている。各曲はトッカータ、ソナタ形式、幻想曲などさまざまな要素が取り入れられ、ピアニストとしてもすぐれた腕を持っていたショスタコーヴィチの力量が遺憾なく発揮されたものとなっている。
 それゆえ難曲が多く、いまではあまりピアニストが演奏に取り上げなくなってしまったことが残念だ。(ただし、最近ロシアのアレクサドル・メルニコフが文字通り命を賭けて挑戦した全曲録音は、各地で絶賛されている)
 ニコライエワは1989年に来日したさい、リサイタルでこの全曲を演奏するという快挙を成し遂げた。現在では、彼女が1962年に録音したものが貴重な音源となって残されている。
 指揮者はよく「指揮台の上でタクトを振りながら死にたい」などというが、ニコライエワはステージの上で、このショスタコーヴィチの作品を演奏中に倒れたとか。
 もちろん偉大なピアニストが亡くなったことはことばにならないほど悲しいことだが、自分に捧げられた作品を弾いたのが生涯最後の演奏になるなんて、演奏家冥利に尽きるのではないだろうか。
 各地のコンクールに取材に行った折、審査員として参加していたニコライエワとたびたび顔を合わせることがあったけれど、いつも彼女は静かな笑みをたたえていた。まるでショスタコーヴィチのハ長調の前奏曲のような風情で。
 すばらしい録音を残してくれたことに感謝しながら合掌…。
 
| アーティスト・クローズアップ | 23:40 | - | -
アンドレイ・ガヴリーロフ
 最近は来日公演もなく、新譜のリリースもないため、なかなか演奏を聴くことができなくなってしまったロシア出身のピアニスト、アンドレイ・ガヴリーロフ。1974年のチャイコフスキー国際コンクールの覇者である彼は、以前はひんぱんに来日し、楽器を存分に鳴らすスケールの大きな演奏を聴かせてくれたものだ。
 そんなガヴリーロフを含む数人で食事をしたことがある。そのときの彼は場を楽しくしようと、懸命にいろんな話をしてくれ、ユーモアたっぷりの小話がいろんな話の端々にはさみ込まれていた。
 当時ドイツに住んでいた彼は、日本のホールの響きはどこもすばらしいとほめたたえ、それに引き換えドイツはねえ、と一瞬沈黙し、次に得意の小話が飛び出した。
「ドイツのある都市にかなり音響のよくないコンサートホールがあるんだけど、どんなにひどいかというと、それを示すいい例としてこんなエピソードがあるんだ。生前バーンスタインがここで指揮をしたときに、演奏が終わったあと彼はムッとした表情をして、いつもはおるガウンを肩にかけたまますわっていたんだって。そこへこのホールの支配人がニコニコしながらやってきて“マエストロ、わがホールの響きはいかがでしたかな”と問いかけた。するとバーンスタインはひとこと“テリブル!”と叫んだ。支配人はびっくりして“では、マエストロ、どこをどう直したらよくなるのでしょうか”とおそるおそる聞いた。バーンスタインは何ていったと思う? 彼は顔色ひとつ変えず“焼いてしまえ”って叫んだんだってさ」
 ここで一同大爆笑となった。
 食事のときにみんなが興味を持つ話題を提供することは本当に難しい。ある一部の人にだけ理解できる話題に偏ってもいけないし、かといってあまり音楽的につっこんだ話では堅苦しくなってしまう。
 まあ、この話は真偽のほどは確かではないが、ガヴリーロフのようにこうした話題をたくさん持っていると、場がしらけず時間がスムーズに流れる。
 最近、和食の食材に興味を持つ海外の音楽家が多い。それにまつわる気の利いた話でもできればいいのだが、急には思いつかない。食事は黙ってするという図式が変わってくると、日本人は大変だ。
 この前「アーティスト・レシピ」の話をしたら、そのなかに入っていないアーティストから「ぼくのレシピは何?」と聞かれて答えに窮したことがある。やっぱり外国人と食事をするのは難しいものだなあ(笑)。 
| アーティスト・クローズアップ | 21:53 | - | -
ウラディーミル・ソフロニツキー
 先日あるピアニストと話していて、ロシアの偉大なるピアニスト、ウラディーミル・ソフロニツキーの話題になった。
 私は以前からソフロニツキーの演奏に魅せられていて、多くの録音を聴いている。昔はまったく音源が手に入らず、いわゆる「幻のピアニスト」のひとりだったが、1997年に遺族の承認と協力を得たエディション(コロムビア)がリリースされ、その全貌が明らかになった。
 ソフロニツキーはウラディーミル・ホロヴィッツとほぼ同時代に生きたピアニスト(1901〜1961)で、長い間西側の世界ではほとんど知られていなかった。しかし、彼の名前はロシアやポーランドなどでは特別な存在として知られる。
 深い抒情性をたたえ、神秘的で崇高なるピアノを奏でた稀有なピアニストとして、人々の記憶に深く刻み込まれている。
 だが、これまで正規の録音がほとんど紹介されなかったため、私たちはその名声だけで実際の音楽を耳にすることはできなかった。
 ようやく日の目を見た録音では、ソフロニツキーは形式的な解釈をあざ笑い、ひたすら自己の音楽を追求し、演奏前には緊張のあまり口もきけなくなり、終演後は悔恨にくれるという人物だったらしいが、そのすべてがこれらの録音に現れている。
 たとえばシューベルトの「即興曲作品90−3」。美しい旋律に彩られたこの曲は、よくアンコールとして弾かれる。しかし、ソフロニツキーの演奏はそうしたアンコール・ピース的な弾きかたとはまったく異なり、深い憂愁に満ち、悲嘆にくれた表情を持つ。それは晩年健康を害して心に大きな苦悩を抱えていたシューベルトの秘められた気持ちを代弁するような演奏で、聴き手の心にグサリと切り込んでくる。
 こんなにも作曲家の魂に寄り添った即興曲がいままであっただろうか。
 シューマンの「幻想曲」もショパンのマズルカもスクリャービンの前奏曲も、みな特有の打鍵の深さを伴って重々しく迫ってくる。
 テンポもゆっくりとり、神に祈りを捧げるように一音一音敬虔な響きをもって弾き込んでいく。
 ロシアのピアニストに聞くと、だれもがため息をもらしながら「すばらしい!」と称賛するソフロニツキー。私もいつもCDを聴くたびにため息をもらすどころか、頭を垂れてひたすら聴き入ってしまう。
今日の写真はそのジャケット写真。高貴な表情をしているが、演奏も「リラの馨しさ」と称された。



| アーティスト・クローズアップ | 22:07 | - | -
クラウス・フロリアン・フォークト
 今日はクラウス・フロリアン・フォークトのインタビューに、宿泊先のホテルに行った。
 彼は6月1日から16日まで新国立劇場で全6回行われているワーグナーの「ローエングリン」でタイトルロールを歌っている。
 初日の批評は絶賛した記事が多く、彼もそれを十分に知っている様子だった。
「オペラは毎回異なった歌唱、表現、演技が現れます。まさに生きた音楽で、それが一番の魅力ではないでしょうか。私は毎日の人生、考えかたが自分のステージに影響するのだと考えています。ですから、生きかたそのものが大切になるわけです」
 フォークトは186センチの長身で、すらりとしている。甘いマスクの持ち主で、笑顔が魅力的。性格も明るく、スターぶらず、気さくですこぶる感じがいい。どんな質問にも真摯に答えてくれ、ことばを尽くす。
 今回は事前に「ヘルデン」(ソニー)と題した新譜がリリースされ、このなかでワーグナーからモーツァルト、ウェーバー、フロトウ、コルンゴルトまで多彩な作品をみずみずしく力強く、情感豊かな高音を存分に生かしながら歌っている。
「ワーグナーは特に歌詞が大切。もちろん音楽との融合に気を配りますが、10年前に《ローエングリン》を初めて歌ったときからその思いは変わりません」
 最初に「ローエングリン」を歌ってから、さまざまな指揮者、オーケストラ、演出家と組んできたため、いまではあらゆる状況に適応することができ、表現力も増したという。
 このインタビューは、「日経新聞」、「婦人公論」、ヤマハ「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に書き分けたいと思っている。
 フォークトは女性ファンをとろけさせてしまうようで、今回の公演も女性がたくさんホールに詰めかけている。容姿端麗、歌もすばらしく、性格も文句なしという3拍子そろった人だが、実に自然体でさりげない。
 私が「家族や親しい友人はあなたの性格をどう表現する?」と聞いたら、しばらく考え込んでいて、こう答えた。
「ずっと変わらないね、といわれる。それは私にとって、とてもうれしいこと。これからもこういわれたい」
 フォークトは最初ホルンを演奏していて、オーケストラの奏者だった。だが、奥さんのお母さんから声のよさを見出され、本格的に声楽を学び、歌手に転向したというキャリアの持ち主。1997/98年のシーズンからオペラ歌手としての活動が始まった。
「私はチームプレイが好きなので、オペラに向いているんですよ。オーケストラで演奏しているときも楽しかった。みんなで何かを作り上げていくのが大好きなんです。ふだんはサッカーもしますよ。飛行機の操縦も趣味です」
 メカが大好きだそうだが、飛行機の操縦とは…。これを聞いて「あら、白鳥に乗っているんじゃないの?」といったら、ギャハハーと大笑いしていた。
 今日の写真はインタビュー後のワンショットとCDのジャケット写真。ここでビッグニュースをひとつ。実は、来年の「東京・春・音楽祭」に出演が決まり、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のヴァルターを歌うそうだ。2年続けて来日してくれるとは、なんてすばらしいことか!! またもやとろける人が増えるに違いない。

 

| アーティスト・クローズアップ | 23:37 | - | -
レイ・チェン
 以前インタビューしたときに、次はチャイコフスキーとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の録音をすると語っていたレイ・チェンが、そのCD(ソニー)がリリースされた直後に来日を果たした。
 前回のインタビューで、私がいわゆる「メン・チャイ」と呼ばれる超有名なコンチェルトを録音するのって怖くない?と聞いたところ、「ああ、どうしよう。そうだよねえ、あまりに有名でみんなが知っている曲だから、ものすごくいい演奏しなくちゃいけないし」と頭を抱えていたことを思い出した。
 まず、その質問から入ったら、「ねえ、ぼくの演奏どう思った?」と逆に質問されてしまった。
 実は、私はこの録音を興味津々で聴いたのだが、指揮者のダニエル・ハーディングとスウェーデン放送交響楽団とののびやかな音の対話に、「やっぱり、コンクールの本選で演奏して優勝しただけあり、自信に満ちているな」と感じたものだ。音楽が実に自然でリラックスしているからだ。
 率直な感想を述べると、レイ・チェンは「そう思ってもらえてうれしいよ。本当にダニエルとは息が合い、オーケストラもすごく自発的で、みんなが一丸となっていい演奏をしようという気持ちで一致したんだ」という答えが戻ってきた。
 レイ・チェンはコンクール後、人生が大きく変わり、人間的に成長したと感じているという。それが演奏にも全面的に反映していると自己分析する。
 この2大コンチェルトは、2008年のメニューイン・ヴァイオリン・コンクールで演奏したメンデルスゾーン、2009年のエリザベート王妃国際音楽コンクールで演奏したチャイコフスキー。いずれもすでに自身の大切なレパートリーとなっているが、コンクール後は各地でさまざまな共演者と演奏しているのだろう、さらに磨きがかかり、録音では堂々とした演奏を披露している。
 レイ・チェンは本来とてもシャイな性格。それがコンクール優勝後、多くの人たちと会わなくてはならなくなり、次第に変わってきたという。
 このインタビューは次号の「音楽の友」に掲載される予定。そのなかで、彼は「成熟」ということばを何度も使った。
 大きな国際コンクールの覇者は、優勝後の人生がガラリと変わる。レイ・チェンもしばらくその試練にさらされ、ようやくいまは世界中をまわって演奏活動に明け暮れる生活に慣れてきたそうだ。
 とても気さくで感じがよく、会うたびに本音を話してくれるようになってきた。これからもっと深層心理に迫ろうかな(笑)。
 今後のスケジュールを聞いたら、著名な指揮者とビッグなオーケストラとの共演、名だたる音楽祭への参加が目白押し。
 よく、「コンクールはスタート台。コンクール後が本当の勝負」といわれるが、レイ・チェンは着実な歩みを進めている。ずっと聴き続けていきたいアーティストである。
 今日の写真はインタビュー後のレイ・チェン。楽器は1721年製のストラディヴァリウス「マクミラン」。バックが赤くて、ちょっと撮影現場で撮ったみたいでしょう。本当はもっとリラックスした表情を撮りたかったんだけど、彼は写真を撮るときになると、シャイな性格が顔を出すみたい…。

| アーティスト・クローズアップ | 22:49 | - | -
ダニエル・ヴァイマン
 ラトヴィアのリガは、多くのすばらしいアーティストを世に送り出している。ここにまたひとり、若きピアニストの名が浮上した。
 ピアニストのディーナ・ヨッフェを母に、ヴァイオリニストのミヒャエル・ヴァイマンを父にもつダニエル・ヴァイマンである。
 1978年リガに生まれた彼は、幼いころから母親に就いてピアノを学んだが、やがて一家はモスクワに移住。ヴァイマンはその後イスラエルでも学び、1994年にはイギリスに渡り、英国王立音楽院に入学した。続いてチューリヒ芸術大学でも研鑽を積み、各地の国際コンクールに参加、さまざまな入賞歴を誇る。
 先日、来日公演の折にインタビューを行ったが、音楽の話題とともにイギリス留学時代にスランプに陥って一時はピアノをやめようと考えた話など、忌憚のない意見をいろいろ聞かせてくれた。
 新譜はプレトニョフ編によるチャイコフスキーの「くるみ割り人形」をメインに据え、ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番とプロコフィエフのピアノ・ソナタ第6番「戦争ソナタ」を組み合わせたアルバム(Pro Arte Musicae)。いま、もっとも得意としている作品を収録したものである。
「《くるみ割り人形》は5歳のときにバレエの舞台を見て、ものすごく感動したのを覚えている。チャイコフスキーの音楽のすばらしさは子どもでもよくわかった。いま、それを自分で弾くことができ、とても幸せな気分。ぼくはプレトニョフ編の楽譜で弾いているけど、これはチャイコフスキー編のものよりも技巧的に難しく、ヴィルトゥオーソ的。でも、ぼくはチャイコフスキーのオーケストレーションにほれ込んでいるので、そちらも参考にしている」
 チャイコフスキーの偉大さ、音楽の見事さを語り出したらきりがないといった感じだ。
 音楽的な環境に恵まれて育った彼だが、3歳半でピアノを始めたころは練習がいやでたまらなかったという。
「最初は父がヴァイオリンを習わせようとしたけど、好きになれなかったんだ。いつもテディベアの人形をもってきて、さあ、次の生徒がきたからぼくの練習はおしまいといって、逃げてばかり(笑)。でも、母はそれを見ていたので、逃げられないようにうまく練習させられた」
 クルマもコンピュータも大好きだという現代青年。いまはロシア作品やドイツ・オーストリア作品をレパートリーのメインに置いているが、そのなかでもスクリャービンとメトネルに集中したいそうだ。
 そしてコンチェルトは、ブラームスとベートーヴェンの全曲を一気に弾くチクルスに挑戦したいとか。
「イギリスにいた時代、まだ友人を選ぶ基準がわからなくて、いろんな人とつきあっていた。でも、自分が落ち込んだとき、本当の友はだれなのかがわかった。ぼくは音楽的に恵まれたなかで育ったから、みんな悩みなんかないと思っているようだけど、いつも壁にぶつかってばかり。それを乗り越えながら、現在までピアノを続けてきた。技術重視ではなく、何を表現するかを大切にしたいので、今後も作曲家の表現したかったことに寄り添う演奏をひたすら追求していきたい」
 このインタビューは次号の「音楽の友」に掲載される予定である。
 今日の写真はインタビュー時のヴァイマン。家族や親しい友人には「ダニー」と呼ばれているそうだ。



 
 
| アーティスト・クローズアップ | 23:01 | - | -
インゴルフ・ヴンダー インタビュー 
 今日はユニバーサルでインゴルフ・ヴンダーのインタビューが行われた。
 昨日、演奏を聴いたばかりなので、そのプログラムや演奏の様子から話が始まり、次なる新譜にも話が及んだ。
 彼はデビュー・アルバムはショパン・コンクールの入賞者らしくショパン一色のアルバムを作り上げたが、第2弾はさまざまな年代、国、様式の異なる作品を組み合わせて1枚のアルバムを構成することを考えているそうだ。
「自分が提案した内容をドイツ・グラモフォンの人たちが受け入れてくれたので、とてもうれしかった。もうすぐ録音する予定なんだよ。昨日アンコールで弾いたような作品がたくさん入る予定。ぼくは好きな作品しか演奏しない主義。ある作曲家の全曲録音というものには興味がないんだ。だって、どうしても共感できなかったり、好きになれない曲が少しは入ってくるから、それを無理して演奏したり録音したりするのは意味がないように感じられる。子どものころから、好きな作品だけを自由に演奏してきた。それは今後も変わらないぼくの根本的な姿勢なんだ」
 以前、会ったときよりもリラックスし、笑顔も多く、雄弁になった。やはりコンクール直後は大変だったというのがよくわかった。
「本当に、コンクール後しばらくは、自分が何をしているのかよくわからなくなってしまった。いま、ようやく飛行機での移動、ホテルでの過ごしかた、ツアー中の時間の使いかた、体調の管理などがコントロールできるようになってきた。でも、何といっても大切なのは、練習時間の確保。これが最優先」
 現在は、年間55回のコンサートにしぼっているとか。とにかく練習してレパートリーを広げなくちゃと、真摯な表情を見せていた。
 これは「音楽の友」のインタビュー。いろんな話を聞いた後、私の友人Kさんの昨日のことばを伝えると、ヴンダーは最初は目を丸くして驚いたような表情をしていたが、すぐに両手を胸にあて、「ああ、なんてすばらしいことばなんだ。そんなことをいってくれるなんて。本当にありがとう。もう、それ以上のことばはないよ。これからも頑張って練習して、少しでもいい演奏ができるように精一杯努力するよ。よろしく伝えてね」といって、もともとナイーブな目を感極まった表情に変え、涙をこぼさんばかりにうるうるさせた。顔は、もうくしゃくしゃだ。
 彼は以前にも書いたが、苦労してここまで上り詰めた人である。だからだろうか、ひとつひとつのことばがとてもていねいで、誠心誠意質問に答え、必ずおだやかな笑みを見せる。
 今後はベートーヴェンにじっくり取り組みたいそうだ。
「だけど、ソナタ全曲演奏はしないよ」
 ハイハイ、わかっています。好きな作品だけね。
 最後に盛りあがったのが、趣味の話。これは「音楽の友」にじっくり書くつもりだが、ちょっと紹介すると、「人生の意義について考えを巡らすのが趣味」なのだという。これは哲学的な話にまで発展してしまい、「生きる意味とは」「自分は何者か」「いま何をすべきか」というところまで進んでしまった。
 ヴンダーは考え出すと眠れないそうだ。そういえば、ショパン・コンクールのとき、眠れなくて目の下にクマを作っていたし、あまり不眠が続くため、夜のワルシャワの町を走ったら、余計に目が冴えて困ったと話していましたよね、というと「ああ、悪夢が蘇ってきたー」といって頭を抱え、すぐに笑いながら「よくそんなこと、覚えているねえ」といっていた。
 そりゃ、覚えていますよ。とてつもなく寝不足なのに、あんなに集中力に富んだ演奏をしたんですもの。ああ、あのステージ、なつかしいなあ。
 今日の写真はインタビュー後のインゴルフ。ねっ、リラックスしているでしょう。


 
| アーティスト・クローズアップ | 23:13 | - | -
樋口達哉
 以前も、アーティストのデビューCDのライナーノーツを書くことの意義を綴ったが、またもや貴重なデビュー・アルバムのライナーを担当した。
「テノール界の貴公子」と呼ばれる、樋口達哉のソロ・デビューCD「君のために〜Per Te」(ソニー・ミュージックダイレクト)である。
 樋口達哉は福島出身。昨年の大震災に胸を痛め、気持ちを同じくする仙台フィルハーモニー管弦楽団と共演し、音楽で人々を元気づけようと熱い思いを込めたアルバムを作り上げた。
 ここには彼がミラノ留学時代から現在まで歌い続けているオペラ・アリア、カンツォーネ、歌曲など17曲が収録され、聴き手をイタリアの地へといざなう。
 とりわけ印象的なのが、彼が「コンクールやオーディションで歌ってきた、いわゆる勝負曲」と語るプッチーニの歌劇「妖精ヴィッリ」から「幸せに満ちたあの日々」。演奏される機会がほとんどないこの作品を、彼はオーケストラと一体となって美しく歌い上げている。
 先日インタビューも行い、各々の作品に対する思いや留学時代の思い出、バリトンからテノールに転向したときのこと、デビューCDならではの選曲へのこだわり、タイトルになった「君のために〜Per Te」との出合いなどを聞いた。そのインタビューは次号の「婦人公論」に掲載される予定だ。
 樋口達哉は、私の大好きなアルフレード・クラウスがマスタークラスの指導をしている様子を聴講したという。実際に歌いながら教えているナマの声を間近に聴き、その情感豊かで深々とした歌声に魅了されたそうだ。いいなあ、うらやましいなあ(笑)。
 イタリア時代に経験したことを嬉々として話す彼の様子を見ていたら、私もその場に居合わせたような感覚に陥った。さまざまな指揮者、歌手などの話が次々に飛び出し、まるでオペラの舞台袖にいるような気分になったから不思議だ。
 彼はこのCDを「ふるさと」で締めくくっている。この曲は震災後、さまざまな歌手によって歌われてきた。昨年ドミンゴがコンサートのアンコールで歌ったときには、みんな一緒に歌いながら涙を流したものだ。
 今回の「ふるさと」も、被災地への思いが込められた熱唱。私も聴きながらともに歌い、彼らと気持ちを同じくしている。
 今日の写真はインタビュー時の樋口達哉。おしゃれで人あたりがよく、とても真面目だが、話しやすい人である。ぜひ、歌声を聴いてみて!

  
| アーティスト・クローズアップ | 22:21 | - | -
諏訪内晶子
 ヴァイオリニストの諏訪内晶子に初めて会ったのは、彼女が高校生のころだった。当時、まだヴァイオリニストになるべきか道は定まっていないようで、医学の道にも興味を抱いていた。
 だが、16歳のころから世界各地で行われる国際コンクールに参加していた彼女は、やがて音楽の道にしぼり、まっしぐらに進んでいくことになる。
 1989年にはエリーザベト国際音楽コンクールのヴァイオリン部門でヴァディム・レーピンに次いで第2位となり、翌年のチャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で18歳という若さで優勝、大きな話題となった。
 しかし、彼女はすぐに演奏活動を開始せず、さらに研鑽を積むことを決意、ジュリアード音楽院、コロンビア大学、国立ベルリン芸術大学で学ぶ。
 そして6年後、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番と「スコットランド幻想曲」でインターナショナルな録音デビューを果たした。
 以後、世界各地で演奏、著名な指揮者やオーケストラとの共演を重ね、実力を磨いていく。
 パリに居を定めたのは1999年12月のこと。先日またインタビューで会った彼女は、「本当に早いもので、もうパリに住んで10年以上になるんですよ」といい、しばし月日のたつのは早いという話題で盛り上がった。
 諏訪内晶子に会うたびに私が感心させられるのが、なんでも自分で決めるという意志の強さ。子どものころからこの性格は変わらず、すべてを自分で決めてきたという。その代わり、責任もすべて自分で背負ってきた。
 このインタビューは今月発売号の「CDジャーナル」で紹介される予定だ。
 新譜も4年ぶりにリリースされ、その共演者はヴァイオリニストを知り尽くしているイタマール・ゴラン。リハーサルのときから議論に次ぐ議論で、「すごく大変だったのよ」と苦笑していた。
 ゴランは完璧主義者で主張が強い。今回のレコーディングは丁々発止の音の対話とともに、嵐のような議論も行われたとか。題して「エモーション」(ユニバーサル)。タイトルにピッタリですね(笑)。
 ここには彼女がこの作品は絶対入れたかったというエネスコのヴァイオリン・ソナタ第3番「ルーマニアの民俗様式で」をはじめ、民族色豊かな作品がズラリと勢ぞろい。ファリャ、バルトーク、サラサーテ、クライスラー、ドビュッシーの民謡に根ざした作品や舞曲を用いた作品が組まれている。
 記事にも書いたが、この録音にはイヴリー・ギトリスが顔を出してくれ、エネスコの弟子である彼はさまざまなアドヴァイスをしてくれたという。
 彼女の話を聞いていたら、いつしか私はレコーディングが行われたパリ、ノートルダム・デュ・レバン教会にいるような気分になってきた。
 諏訪内晶子の取材を始めてはや20年以上が経過、本当にときがたつのは早い、とため息が出てしまう…。いやいや、いかん。こんなことでは前に進めないな。彼女は常に前向きなのだから、ため息をついていてはダメだワ、とひたすら自分を鼓舞している私。
 今日の写真はインタビュー時の諏訪内晶子。リラックスして話してくれたから、表情もふだんっぽいでしょ。


 

  
| アーティスト・クローズアップ | 22:10 | - | -
ミロシュ
 ギター好きの私が、ここのところ毎日視聴盤を聴いているのが、モンテネグロ出身のギタリスト、ミロシュの「ミロシュ・デビュー!〜地中海の情熱」(ユニバーサル 4月4日リリース)である。
 これはスペインやギリシャの作曲家の作品を中心に選曲されたアルバムで、地中海の風景や空気を感じさせる旋律が全編を覆い、精緻で情感豊かな音が紡がれ、一気に作品が生まれた土地へと運ばれる。
 ミロシュは1983年生まれ。幼いころからギターを始め、これまで13を超えるコンクールで優勝を遂げている。
 生地で勉強を続けた後、ロンドンの王立音楽院で学び、2008年にルツェルン音楽祭で演奏したことを機に、ドイツ・グラモフォンと契約。昨年のアルバム・デビューとなった。そのデビューCDがいよいよ日本に上陸。ヨーロッパではすでにさまざまな賞に輝き、売れに売れているこのアルバム、1曲目が特にお勧めだ。
 というのは、冒頭を飾るアルベニスの「アストゥリアス」は、ミロシュがアンドレス・セゴビアの録音を聴き、クラシック・ギタリストの道を目指そうと決めた記念の曲。これなくしては、いまのミロシュがないという、思い入れの深い作品である。
 先日、プロモーション来日したときにインタビューをする機会に恵まれたが、会った人をみなとりこにしてしまうほどのナイスガイ。もちろん容姿はすばらしいが、イケメンを鼻にかけることなく、常に自然体。ナマで聴く演奏も心にしみじみと浸透してくる美しさで、もうたまりません(笑)。
 彼は、いまものすごく忙しく、自由な時間はまったくないそうだが、「グラモフォンで録音できて、これ以上の幸せはないよ。プロモーションのために世界各地を飛び歩いているから、いつも寝不足で時差ボケだけど、いま自分がやるべきことはわかっている。こんな時期に遊びたいなんて、思わないよ。ギターと一緒にいられれば、それが一番。だって、ぼくはほどほどの成功を望んでいるわけではなく、自分が本当に納得のいく成功を目指しているから。そのために苦労したり、努力するのは当たり前。いまはとにかく練習して、よりよい演奏ができるように自分を駆り立てていく。だって、幼いころからの夢がかなったんだもの」
 ハハーッ、と私はこのことばを聞いてひれ伏したい気持ちになった。
 文に書くと、結構偉そうにいっているように思えるかもしれないけど、決してそういう感じではない。ひたすら前を向いて走っている感じだ。このインタビューは次号の「音楽の友」に掲載されることになっている。
 ミロシュは数多くのインタビューを受けたが、次のインタビューまで5分でも空くと、すぐに別の部屋に行って練習していた。とにかく、練習魔。ひとときもギターを離さない。
 デビューCDはタレガの「アルハンブラの思い出」、ドメニコーニの「コユンババ」、テオドラキスの「わが星は消えて」など14曲で構成されている。私が大好きなグラナドスの曲もあり、エンドレスで聴きたくなる。
 今日の写真はインタビュー時のミロシュ。ジャケット写真は目力の強い、情熱的な顔に映っているが、私の写真はふだんっぽい表情に撮れている。
 本当に、性格がいいんですよ。7月には来日公演もある。ぜひ、ギター・ファン以外の人にも耳を傾けてほしいと思う。今年の私のイチオシです!!


 
| アーティスト・クローズアップ | 23:17 | - | -
ネマニャ・ラドゥロヴィチ
 セルビア出身の若きヴァイオリニスト、ネマニャ・ラドゥロヴィチの演奏を初めて聴いたのは、5年前にフランスのナントで開催された「ラ・フォル・ジュルネ」音楽祭に取材に行ったときだった。
 1985年生まれの彼は14歳で家族とともにフランスに移り、翌年パリ国立高等音楽院に入学。この時期にメニューインやアッカルドの薫陶を受けている。
 彼は長髪をなびかせながら、からだをぐっと反らし、躍動感あふれる劇的な演奏を行う。まるでパガニーニのようだといわれ、タルティーニの「悪魔のトリル」を収録したアルバムはふだんクラシックを聴かない若者たちの心をもとらえた。
「僕のモットーは自由な演奏。感情の赴くままに、豊かな歌心をもって弦を鳴らしたい。それは3人の先生が教えてくれたことなんだよ」
 こう語るラドゥロヴィチは、7歳のときに絶対音感があることを先生に指摘され、ヴァイオリンを始めた。
 3人の先生とは、生地で師事したオイストラフの弟子であるデヤン・ミハイロヴィチ、その後、戦争で祖国を離れざるを得なくなり、ザールブリュッケンで短期間就いたヨシュア・エプシュタイン、パリで学んだパトリス・フォンタナローザ。それぞれの先生が音楽する心と演奏する喜びを教えてくれたという。
 そんな彼には何度かインタビューをしているが、もっとも印象に残っているのは、東京の「ラ・フォル・ジュルネ」に参加したときに話を聞いたとき。このときは髪型を非常に気にしていて、髪に手を置きながらからだをくねらせ、こんなことをいった。
「ねえ、ホテルのドライヤーがすごく強くて髪がうまくいかないんだけど、どこかやわらかい風が出るドライヤー売っているところ知らない?」
 ヘアスタイルを何度も気にして、インタビューどころではない。実は、そのときの様子を私が形態模写しながら仕事仲間の男性に話したところ、「えーっ、すっごく似ている。ネマニャそのもの。うますぎるー」といい、のけぞって笑い出した。
「ねえねえ、ネマニャを知っている人みんなにその真似、見せてあげてよ」といいながら、「伊熊さん、職業まちがえたんじゃない」などといって、しばらくおなかを抱えて涙を流さんばかりに笑っていた。
 そんなわけで、私はネマニャに会うたびにそのときのことを思い出してしまう。そんな彼にまたまた会った。
 セルビアとフランスの音楽仲間15人を集めて3年前に結成したアンサンブル、ドゥーブル・サンスとの共演で、ついにヴィヴァルディの「四季」を録音したのである(キングインターナショナル)。彼は弾き振りを行っている。
 この「四季」のなんと推進力に満ちていることか。冒頭から疾走し、ドラマチックで視覚的。いままで聴いたどの「四季」とも異なる味わい。
 彼はインタビューで各々の季節に関しての聴きどころをことばを尽くして話してくれた。これは次号の「intoxicate」に掲載される予定である。
 エキサイティングで、聴き手をぐいぐい音楽のなかに引き込んでいく演奏をするのに、ふだんはとてもやさしい目をしたおだやかな笑顔が印象的。このコントラスト、悪魔的な演奏と天使のような笑顔。髪振り乱してロック歌手のような格好で演奏するのに、ステージを降りると「髪が気になって…」とブツブツ。あまりのギャップについ笑ってしまう。
 ネマニャという名前は11世紀の王族の名に由来しているそうだが、「僕の名前、日本人は発音しにくいでしょう。ごめんね」などと心優しき面を見せる。
 うーん、またまた携帯模写しちゃいそう(笑)。 新譜には日本を主題としたセルビア人作曲家アレクサンダル・セドラルの「日本の春・2011」がカップリング。これは東日本大震災への追悼として坂本九の「上を向いて歩こう」をモチーフに書かれた新作。ここでもおだやかさと恐怖の対比に耳が奪われる。 
 今日の写真はインタビュー時のもの。ねっ、不思議な魅力を放っているでしょう。


 
| アーティスト・クローズアップ | 00:10 | - | -
アレクシス・ワイセンベルク
 1月8日、偉大なピアニストであるアレクシス・ワイセンベルクがスイスのルガーノで亡くなった。享年82。
 この訃報を聞いたときはとてもショックで、その日は一日中ワイセンベルクの顔が脳裏から離れなかった。
 私がインタビューをしたのは、もう24年も前のこと。ワイセンベルクの広島公演に同行し、取材を行ったときである。
 もっとも印象的だったのは、新幹線の車中でのひとこま。彼は女性の秘書とともに東京から移動したのだが、私に「食堂車でカレーを食べないか」と声をかけてくれた。まだ食堂車があった時代だ。
 注文の段階になると、彼はカレーライスを頼んだので、私も同じものを頼んだ。すると、秘書の女性は「ライスだけ」という。
 私は怪訝に思って「ライスって、ごはんだけなの?」と聞くと、彼女は「そう、ライスよ。お米は畑で採れるでしょ。私にとっては野菜なのよ。ダイエットに向いているし、ヘルシーでしょ」と平然としている。(なんか、変…)
 さて、カレーライスが運ばれてくると、ワイセンベルクはお箸でカレーをすくって食べ出した。でも、すくってもすくってもこぼれてしまって、ちっとも食べられない。
「マエストロ、カレーは日本人でもスプーンで食べるんですよ」というと、「いやいや、これは箸で食べるものなんだよ。絶対、箸で食べなくてはいかん」といって、根気よくすくっている。
 その隣では、秘書がやはりお箸でお米の粒をひとつずつぎこちなくつまんでは食べている。
「ねえ、ごはんはひと口分くらいまとめて食べるものなのよ」というと、彼女も頑固にこういい張った。
「あら、ひと粒ずつ食べるからダイエットにいいのよ。まとめて食べたら、意味がないでしょ」
 あら、そう、なんとも変な理屈。このふたり、それから何分間これを続けていたと思いますか。私はペロリとカレーライスを食べた後、ひたすらふたりの格闘している姿をながめ続けていた。やれやれと思いながら(笑)。いまでも、このときのことを思い出すと、自然に笑いがこみあげてくる。
 ワイセンベルクは1929年7月26日ブルガリアのソフィア生まれ。若いころは相当苦労をしたようだが、1946年にニューヨークのジュリアード音楽院に入学し、翌年レヴェントリット国際音楽コンクールで優勝。同年、ジョージ・セル指揮ニューヨーク・フィルと共演した。
 その後、1956年から10年間は自身の音楽を鍛えなおすために活動を休止し、1966年にパリのリサイタルで復活。翌年からヘルベルト・フォン・カラヤンとの共演を続け、多くの録音も行った。
 このときのインタビューでは、恩師のアルトゥール・シュナーベルや、ワンダ・ランドフスカについて、熱心に語った。
「シュナーベルは私がいままで聴いた最高のベートーヴェン弾きだったと思う。本当にロマンティックに弾いていたよ。ランドフスカからはものすごく多くの影響を受けた。バッハをピアノで弾く場合、いかにチェンバロに近い響きにするか、また、バッハの各声部の組み立てや様式を教えてくれた」
 セルとカラヤンに関しても話が尽きないといった感じだった。
「有名な人と共演したのはセルが初めてだったね。私がコンクールで賞をいただいたとき、彼は審査員のひとりだったんだよ。とてもよく面倒を見てくれた。カラヤンはすばらしいピアニストでもあった。ファンタジーいっぱいのね。彼と話すだけで自分が高められる感じがした。カラヤンとともに仕事ができるということは、この上ない幸福なことなんだよ」
 ワイセンベルクの演奏はダイナミックで、ヴィルトゥオーソ的だったが、その奥に繊細さとあふれるロマンを内包していた。いまでもあのファンタジーあふれる豊かなピアニズムは私の心に深く刻み込まれている。
 今日の写真はそのときの3枚。バイキング形式の食事でご一緒したもの。インタビュー時のもの。そして主催者から和服を着せてもらってごきげんなワイセンベルク。すべてがなつかしく、胸が熱くなり、涙がこぼれる。
 なお、この追悼記事は次号の「音楽の友」に書く予定になっている。







| アーティスト・クローズアップ | 22:45 | - | -
マーク・パドモア
 現代最高のエヴァンゲリスト(福音史家)のひとりといわれるロンドン生まれのテノール、マーク・パドモアは、ピリオド楽器の大家や偉大な指揮者との共演でバッハをはじめとするバロック作品を数多く歌っている。
 そんな彼が、近年シューベルトの3大歌曲集を各地で歌い、ポール・ルイスのピアノとの共演によるシューベルトの「冬の旅」の録音は、高い評価を得た。
 今夜はトッパンホールにそのパドモアの「冬の旅」を聴きに行った。
 パドモアのシューベルトは、歌うというよりも語りかける唱法。透明感に満ちた特有の高音は繊細で気高く、曲によってテンポを速めにとり、快活で生命力あふれる響きを生み出す。
 その解釈はこれまで聴いたどの「冬の旅」とも異なる個性的なもので、主人公である青年の深い孤独と疎外感と虚無感と絶望などが、節度ある歌いかたと端正な表現のなかで静かながら劇的なドラマとして綴られていく。
 彼はテキストに深く入り込むことで知られているが、まさに「冬の旅」の内奥に迫るべく、あるときは詩を朗読するように静謐に、またあるときは歌詞の内容を挑みかかるような表情で表現し、聴き手の心を揺さぶった。
 以前、ポール・ルイスにインタビューしたとき、「マークは楽譜の読みがとても深く、洞察力に富むシューベルトを生み出す。一緒に演奏していると、シューベルトの異なった面が見えてくるんだ」と語っていたが、まさに今夜は新たな「冬の旅」に出合った感じがした。
 今日の共演者はティル・フェルナー。彼らは来日直前の11月28日に、パリのサル・ガヴォーで「冬の旅」を演奏してきたばかり。抑制した響き、歌にピタリと寄り添うルイスとはまた異なる奏法のピアノだったが、フェルナーもパドモアのお気に入りのピアニスト。2008年に同ホールで「冬の旅」を演奏したときはイモージェン・クーパーだったが、3人のピアニストがみなブレンデルの弟子というのも興味深い。ブレンデルといえば、シューベルト。パドモアの共演者の選びかたは一貫しているようだ。
| アーティスト・クローズアップ | 22:00 | - | -
クレール・デゼール&アンヌ・ガスティネル
 フランスのピアニスト、クレール・デゼールは、クリアな響きと楽器全体を豊かに鳴らす奏法の持ち主である。これは25年前にロシアに留学したことが影響しているようだ。
 そんな彼女と息がピッタリ合うチェリスト、アンヌ・ガスティネルとのデュオが10月25日に東京文化会館小ホールで開かれた。
 ふたりは初めて共演したときから自然に音楽が流れ、長年の友のように親しい気持ちが湧き、ずっと一緒に演奏したいと思うようになったという。
 当日のプログラムはベートーヴェン、プーランク、ドビュッシー、フランクのチェロ・ソナタだったが、いずれも集中力と緊迫感に富む演奏で、両者の丁々発止の音の対話が非常にエキサイティングだったが、その奥に不思議な静けさが宿っているのが印象に残った。
 ガスティネルには以前インタビューを行ったが、デゼールのインタビューにも同行してくれたため、デュオの秘訣と醍醐味を聞いた。
「クレールとは、本当にウマが合うの。デュオというのは、音楽性と人間性が合わないと、絶対にうまくいかない。特に海外の長いツアーになったら、性格的に合わないと、音楽にも微妙な影響が出てしまうわね。音楽的にいくら合っても、お互いに何でも気軽に話せるような間柄でないと、息がつまってしまうから」
 これに対し、デゼールも。
「私たち、いつも冗談ばかりいいあって大笑いしているのよ。学生時代の延長みたいで、本当に楽しい。でも、演奏が始まると緊張感がみなぎり、決して妥協はしない。お互いに尊敬しあっていて、音楽で寄り添うべきところはしっかり寄り添うけど、自分の音楽の主張はきっちり通すのよ」
 彼女たちはほとんどノーメイクでラフな格好をしている。話すときもリラックスし、見事なまでに自然体。「ああ、こんな友だちがいたら最高だろうなあ」と思わせる。
 ふたりはふだんは離れた土地に住んでいるため、お互いのソロ演奏を聴く機会がないのが悩みだそうだ。
「でもね、リハーサルで合うと、もうすぐに毎日会っているような親密な感じになるの。こんなパートナー、なかなか見つからないと思うわ」
 コンサートに先駆けてリリースされた新譜は、来日公演とほぼ同じ曲目。それらの作品に対するふたりの意見もまた、似ているようで各々の主張があり、とても興味深かった。このインタビューは次号の「intoxicate」に掲載される予定である。「intoxicate」とは、「夢中にさせる」「興奮させる」「酔わせる」という意味。その雑誌名を聞き、ふたりは大笑いしていた。
 フランスには、こうした真の実力を備えた「大人の女性」といった雰囲気をもつアーティストが何人か存在する。デゼールもガスティネルも飾らず気負わず、しかも粋でユーモアとウイットに富んでいる。ああ、こんな雰囲気を身につける女性になりたいなあ、とつくづく感じ入った。
 今日の写真は、そんなふたりのとってもいい雰囲気の1枚。左がアンヌ、右がクレール。ねっ、友だちになりたいと本気で思っちゃうでしょ(笑)。

| アーティスト・クローズアップ | 23:39 | - | -
ダヴィッド・フレイ
 先日、フランスのピアニスト、ダヴィッド・フレイのインタビューを行った。これがすこぶるおもしろく、楽しいひとときとなった。
 フレイはスリムでおしゃれな、いわゆる美形。これまで「バッハ&ブーレーズ」「モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番&第25番」(EMI)がリリースされ、いずれもみずみずしく創造性に富む演奏。音の響きが特有で、微妙なニュアンスに彩られ、粋で洒脱。ライナーノーツも自分で執筆している。
 その録音を聴き込んでいたため、さぞ気難しく知性派で、インタビューしにくいタイプかと思ったら、まったく違っていた。
 子どものころから浮いていて、自己主張がはげしいため扱いにくい子で、「両親はすごく苦労したと思うよ」などと笑っている。
 ライナーノーツまで書くなんてすごいといったら、「あっ、もうそれやめるよ。周りにいろいろいわれるし、ぼくの文章なんかたいしたことないしね」とひとこと。昔は野性派と先生にいわれ、結構自由きままに練習していたとか。
「フランス人は先生からいわれたことに素直に従うことは少ないね。みんな自由主義、個人主義。だからぼくは室内楽が大好きなんだけど、合う人をみつけるの、大変なんだよ」
 今日は、そんなフレイのコンチェルトを聴きに出かけた。パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団との共演で、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調だ。
 フレイの音はやはりとてもエレガントで柔軟性に富み、弱音が美しい。ユニークな性格がそのまま音に反映し、これまで聴いたどのラヴェルとも違った豊かな色彩感にあふれる演奏だった。
 彼はドイツ作品がとても好きだという。リサイタルでもモーツァルトとベートーヴェンを組んでいたが、今後の大きな挑戦はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィア」だそうだ。
 このインタビューは「日経新聞」、ヤマハWEBの「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に書く予定にしている。
 今日の写真はインタビュー時のフレイ。実は、子ども時代の話になったとき、「ちょっと待って、写真があるんだよ」と携帯の写真を探していて、ものすごくかわいい2歳くらいのときの金髪の写真を見せてくれた。あまりにかわいいので、それを私の携帯で写そうとしたら、「ダメ、ダメ。これは秘蔵品」といわれてしまった。ああ、残念。両親を困らせるような子どもではなく、すごく素直そうで、みんなに愛される顔をしている写真だったのにな。いまとは大違い。ウソ、ウソ、ごめんね(笑)。
 ともあれ、演奏も性格もとてもユニークで今後が楽しみ。今日のアンコールではシューマンとバッハを演奏したが、やはりドイツ作品に秀でているようだ。


| アーティスト・クローズアップ | 20:57 | - | -
菊地裕介
 ピアニストの菊地裕介は、歯に衣着せぬストレートな話かたをする人である。幼稚園のころからそれは始まり、友だちの間でも浮いていたとか。
 先日、インタビューで会った彼は、まさにこの性格全開。ただし、高校までは「浮いていた」が、ヨーロッパに留学してからは自己主張することがプラスになり、のびのびと過ごすことができたそうだ。こういう人は、やはり海外で勉強することが大きく成長することにつながり、人生観も変わるのだろう。
 彼は清水和音を尊敬していて、ふたりで録音も行っている。
「清水さんは、すごく男らしくて潔い。あこがれの存在です」
 彼は、清水和音の前に行くとあまりしゃべらず、おとなしく聞いているというので、つい私は大笑いしてしまった(失礼)。
 やはりあの年季の入った毒舌(またまた失礼)の域に達するには、まだまだ時間が必要だということだろうか。
 菊地裕介はジャック・ルヴィエとアリエ・ヴァルディに師事しているが、ルヴィエは非常にきびしいレッスンで、かっちりした演奏を好んだという。楽譜の読みもとてもこまかいものを要求されたそうだ。コンクールで優勝し、喜んで報告に行くと、「いい思い出ができたね。さあ、次も頑張ろう」といわれたという。
 一方、ヴァルディはステージに立つプロの演奏家としての心構えを伝授してくれた。「トップヴォイス」の大切さを説き、旋律の一番上のソプラノにあたる部分を意識し、よく通る声で歌わせる重要性を指摘した。
 このインタビューは、「ムジカノーヴァ」の来月発売号に掲載される予定になっている。
 よく、日本の演奏家はおとなしくて自己主張がたりないとか、自信がないとか、自分をアピールする力が弱いなどといわれるが、彼にはこのことばはあてはまらない。
 昔は結構生意気だと思われたようだが、最近は自分を大分抑えるようになったとか。でも、そういいながらも「いまは無用な衝突を避けているだけ。力を貯めておいて、いざとなったらしっかり主張する」といいきるあたり、うーん、なかなかたのもしいではないですか(笑)。
 演奏も個性的で自発性に富み、迷いがないから、きっともっともっと大きく羽ばたいてくれるでしょうね。
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音(オクタヴィア)でも底力を発揮しているから、期待大だ。
 今日の写真はインタビュー後の1枚。本当は「シェーっ」のポーズが好きだそうだが、それは全身が映らないと意味がないといって、Vサインになった。やっぱり、写真1枚でも自己主張がはっきりしているのね(笑)。


 
| アーティスト・クローズアップ | 23:34 | - | -
アンヌ・ガスティネル
 今日はフランスのチェリスト、アンヌ・ガスティネルのインタビューに行った。
 彼女はヨーヨー・マ、ヤーノシュ・シュタルケル、ポール・トルトゥリエに出会い、ロストロポーヴィチ・コンクールで彼から絶賛されたという、恵まれた才能と機会と運の強さを備えている。
 バッハの無伴奏チェロ組曲(全曲)、シューベルトの「アルペジョーネ・ソナタ」、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ、「イベリカ〜ファリャ、カサド、グラナドス」、フランク、ドビュッシー、プーランクのソナタ(キングインターナショナル)などの録音があり、いずれも透明感に満ちた、えもいわれぬ清涼で自然で流麗な音を聴かせている。
 実際に会ってみると、その性格もとてもナチュラルで率直ですてきな人。出会った多くの偉大なチェリストが非常によく面倒を見てくれ、才能を伸ばしてくれたということがわかる気がした。みんなに愛される人なのだろう。
 現在は1690年製のテスト―レの楽器を使用しているが、それを「私のイタリアの恋人」と笑いながら表現するところが、またキュート。
 このインタビューは、次号の「CDジャーナル」に掲載される予定になっている。
 もっとも大きな笑いが起きたのは、ヨーヨー・マのことを話しているとき、「彼ってすごくステキ。何でも弾けてしまうし、不可能はないでしょう。性格もすばらしいし、ああ、私の神様なのー」と叫んだとき。
 居合わせた全員が彼女につられて笑顔になり、大爆笑。いいですねえ、素直な表現で(笑)。
ガスティネルのチェロは、ほかのだれとも違う個性的で美しい音色が特徴。バッハが特に印象的。もっとひんぱんに来日してほしい。
 今日の写真はインタビュー時のやわらかな表情。ショートカットがよく似合う、粋でボーイッシュな人でした。



| アーティスト・クローズアップ | 23:27 | - | -
ダニール・トリフォノフ
 8日のチャイコフスキー国際コンクールの優勝者ガラ・コンサート、9日のリサイタルと、2日続けてダニール・トリフォノフの演奏を聴いた。
 彼のピアノを初めて聴いたのは、昨年10月のショパン国際ピアノ・コンクール(第3位入賞とマズルカ賞受賞)の会場でのこと。このときは繊細で、ひとつひとつの響きを大切にする特有の美しいピアニズムに魅了されたが、他の入賞者たちがあまりにも強烈な個性の持ち主だったため、ナイーブな特質が前面に出にくい感じだった。
 ところが、たった11カ月経過しただけで、トリフォノフのピアノは長足の進歩を遂げた。彼はショパン・コンクール後、今年5月にはイスラエルのルービンシュタイン国際コンクールで優勝し、続いて7月にはチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で優勝を遂げ、ここでは史上ふたりめのグランプリに輝いた。
 なんというステップアップの速さか。今回耳にしたトリフォノフの演奏は、確固たる自信に満ちあふれ、ピアノを思う存分自由に鳴らし、自分の演奏は「これだ」という明確な方向性を打ち出していた。
 これが若さというものだろうか。いや、それだけで片づけてはならないだろう。実は、記者会見の前にインタビューをしたが、そこでは大変な努力をして現在の演奏ができあがったことが判明した。このインタビューは9月29日の日経新聞の夕刊と、ヤマハのWEB「音楽ライター&ジャーナリストの眼」9月29日アップ分に書くことになっている。
 トリフォノフは1991年3月5日、ロシアのニジニ・ノヴゴロド生まれ。5歳よりピアノを始め、17歳のころから内外の複数のコンクールで優勝、入賞を成し遂げ、2009年にグネーシン音楽院(タチヤーナ・ゼリクマンに師事)を卒業。現在はクリーヴランド音楽院でセルゲイ・ババヤンに師事している。
 ショパン・コンクールに参加する前にすでにレコーディングを行ったり、ニューヨークのカーネギー・ホールにデビューしたりしている。このCDは「トリフォノフ・プレイズ・ショパン」(ユニバーサル)で、日本では来日に合わせ、つい先ごろリリースされたばかりだ。
 インタビューでは、私が「ショパン・コンクール後に2つのコンクールで優勝するなんて、本当に驚いた。どうやって準備をしたの」と聞いたら、その間の状況を詳しく教えてくれた。
「ショパン・コンクールまでの準備も結構大変だったけど、その後すぐにルービンシュタイン・コンクールの準備に取りかかったんだ。ここで優勝できてとってもうれしかったけど、大変だったのはそのあと。だって、優勝者に与えられるコンサートが13日間で12回もあったんだよ。もう時間がたりなくてどうしようかと思っちゃった」
 この「時間がたりなくて」には理由がある。彼はチャイコフスキー・コンクールの課題曲であるチャイコフスキーのピアノ協奏曲をまだ仕上げてなかったのだそうだ。
「白状しちゃうとね、チャイコフスキー・コンクールでこのコンチェルトを演奏したのは2度目の本番にあたるんだ。最初は、ぼくがまだオーケストラとこの曲を合わせた経験がないと知って、友人たちの学生オーケストラが一緒に演奏してくれた。だから、チャイコフスキー・コンクールのときがたった2度目。本当に緊張したよ」
 こういいながらケラケラ笑っているところは、なんとも大物。そしてこんな短期間で大きなコンクールをいくつも受けた理由は。
「コンクールは、若いうちに受けたほうがいいと思ったから。だから必死で練習した。チャイコフスキー・コンクールを終えて、ああ、もうコンクールを受けなくていいんだと思ったら、肩の力がドーッと抜けたよ」
 そりゃ、そうでしょう。全部門の最優秀賞にあたるグランプリを受賞したのだから。
「ぼくは、子どものころからいつも時間がたりないという悩みを抱えている子だった。それがいままでずっと続いていて、いつも時間がもっとほしいと切実に思っている。だからこの11カ月の猛練習も子どものころからの延長で、ぼくにとってはふつうのこと。いまは世界中からコンサートのオファーが入ってきて、本当に夢がかなった感じ。これで気をゆるめず、また練習練習の日々を続けていくよ(笑)」
 ハハーッ、まいりました。20歳の俊英がいうことは違いますね。彼の目下の課題は「レパートリーを増やすこと」。あまりにも多くのコンサートが入ってくるため、同じ作品を続けて弾くようになってしまう。それは避けなければならない。そのためには、練習が欠かせない。というわけで、当然のことながら何度も「時間がたりない」ということばが口に出る。
「ぼくは昔からすべてのことを自分で決めてきた。これからもそれを貫き通すつもり。でも、すばらしい恩師に恵まれてきたから、その教えや助言を守りながら、自分にできる限りのことをして、聴いてくれる人たちに楽しんでもらえる演奏をしたい」
 トリフォノフは、今回のコンチェルトではオーケストラをリードし、いまは完全に自分の音楽となったチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を高らかに歌い上げた。そしてリサイタルではショパン、リストなどの作品を磨き抜かれたテクニックとみずみずしい表現力で弾ききった。さらにアンコールを何曲もプレゼント。疲れを知らない躍動感あふれる演奏に、会場からため息がもれた。
 今日の写真はインタビュー後のおふざけポーズ。ホテルのバンケットルームの照明ゆえか、彼の瞬間のポーズをとらえたためか、多少ピンボケ。でも、本人は「こんなはじけたポーズで写真撮られたの、初めてだよー」といっていたから、ピンボケは御愛嬌ということで…。 


 
| アーティスト・クローズアップ | 23:59 | - | -
ニコライ・デミジェンコ
 5月27日のブログでも紹介したが、6月にロシアのピアニスト、ニコライ・デミジェンコのコンサートを聴き、インタビューを行った。
 録音で聴いたときに感じていた以上に、ライヴでは非常に美しい弱音が際立ち、ディミヌエンドの表現も息をのむようなニュアンスに富んでいた。
 特にショパンのピアノ協奏曲第1番では、ショパンが愛したプレイエルの楽器をほうふつとさせるような繊細かつ気品あふれる響きをピアノから引き出し、オーケストラとの対話も自己を決して強く主張するわけではないのに、確実にデミジェンコがリードしていく絶妙のテクニックを披露した。
 インタビューでは、やはりこの弱音の美しさが話題となったが、彼は開口一番こういった。
「みんなロシア・ピアニズムというと、大きな音量でガンガン力任せにピアノを弾くと考えているようだけど、本当の奏法はまるで違うんですよ。もちろん、楽器を歌わせることは必要ですが、必ずしも大きな音は必要ない。私はロシア・ピアニズムのルーツはジョン・フィールドからきていると思います。フィールドはロシアで30年間も演奏し、教えていたのですから」
 それからは自身の考えを滔々と述べ、ロシア・ピアニズムをまちがってとらえてほしくないと力説した。このインタビューは「ムジカノーヴァ」の今月発売号に掲載される予定である。
 デミジェンコはとても真面目な人だった。ひとつの質問に対し、ゆっくり考え、じっくりとことばを選びながら、本当に相手が理解しているだろうかとこちらの表情をのぞきこみながら話を進める。
 たとえ話や比喩なども多く挟み込まれ、その内容はすこぶる濃密で、「よくわかりました」とひとつひとつ納得してしまうような説得力の強さを備えていた。
 こういうピアニストに教えを受けたら、さぞ内容の充実した演奏が身につくだろうなと思ったら、生徒は持っていないそうだ。教えることは責任を伴うし、膨大な時間を要する。ほんのちょっとだけの時間で教えられるわけがない、とこれまた真摯な答えが返ってきた。
 でも、本当に心の底から学びたいと切望している生徒がいたら、いつでも教える準備はできていると語った。
 デミジェンコのピアノを聴くと、これまで聴いてきたその作品が異なる光を浴びたように鮮やかに輝き、あたかも新しい作品のように思える。彼は1970年代に、ロシアのさまざまな名手の実演に触れ、それがひとつひとつ強烈な印象としていまなお心に残っているという。それらが自身の糧となり、自分が演奏するときに道を照らしてくれるのだそうだ。
 またすぐにでも来日してほしいピアニストである。こんなにもインパクトの強い演奏をする人はそうそういないのだから。
 今日の写真はインタビュー時のもの。「笑って」といっても、ニコリともしなかった。一瞬たじろいだけど、またそれが彼らしくていいかも(笑)。

| アーティスト・クローズアップ | 22:53 | - | -
萩原麻未
 昨年11月、スイスのジュネーヴ国際コンクールのピアノ部門で日本人として初優勝を果たした萩原麻未は、とてもユニークな性格の持ち主である。
 もちろん音楽に関して、コンクールに関して、自身のこれまでの歩みに関しては、ゆったりとした口調で真摯に答えてくれるが、そこかしこにえもいわれぬ不思議な雰囲気がただよっているのである。
 それが何かは、こんな会話で判明した。
「私、すごく運動が苦手で、特に球技がダメなんです。バドミントンをすると羽とラケットの位置関係がつかめない。バレーやドッジボールはボールがどこに飛んでいくのかわかっていない。バスケットでは走りながらドリブルをしてといわれても、ただドリブルしているだけ。同時に走っていくことはできない」
 もう、これを聞いて爆笑してしまった。
 彼女の演奏は、本能で弾いていると思える自然さと情感の豊かさ、情熱的で野性的ですらある、ある種の動物的なカンの鋭さを感じさせるものだが、それが大の運動オンチとは…。
 それを話すときの表情もまた真面目だから、こちらが大笑いするのもはばかれたが、私のバカ笑いにつられてか、一緒にケラケラ笑い出した。
 このときのインタビューは、本日の日経新聞の夕刊に掲載されている。もちろん、ここでは経歴やパリ留学で師事しているジャック・ルヴィエ先生のレッスンについて、また、コンクールのときのエピソードなど、真面目な内容で綴っている。
 萩原麻未は、正直な人でもある。その率直さが音楽に表れている。昔は古典派の作品が苦手で、あまり演奏しなかったが、やはりそれらの大切さを痛感し、最近ではハイドン、モーツァルトを演奏するようになったそうだ。
もっとも得意なのはドビュッシーのプレリュードと、ラヴェルのピアノ協奏曲。これから弾きたいのはシューベルトのピアノ・ソナタ。そしてラフマニノフのチェロ・ソナタ。
「私は自分の演奏を客観的に聴くということができていませんでした。バリでルヴィエ先生の初めてのレッスンを受けたとき、それを指摘されました。もっと第3者として聴くことができるような演奏をといわれたのですが、最初はまったくそれを理解することができませんでした」
 彼女は昔から自由に、自分の気持ちの赴くまま演奏してきた。ピアノを弾くことが大好きで、ひとりで弾いて楽しんでいた。
 だが、ルヴィエにいわれ、演奏を見直すようになる。
「先生は精神統一のために、自分を見つめ直すために、ヨガを勧めてくださったのですが、ここでも3日坊主で、すぐにやめてしまいました。私、結構飽きっぽいんです。特に運動は続きませんね。それでは、と考えてジョギングしてみたんですが、またまた1日でダメ。だって、5分走ったら、もう疲れちゃって。泳ぎですか。うーん、幼稚園のころは少しは泳げたんですけど、小学校のときは5メートルで、もうおぼれそうになって(笑)」
 なんというおかしさ。これは文にするとあまりおかしくないかもしれないが、彼女がゆったりとしたテンポで大真面目な顔で話すと、私は自然に笑いがこみあげてくる。
 こんな人間的な味わいを持った若手ピアニスト、久しぶりに会った感じだ。そのピアノが聴き手の心をつかんで離さないのは、本能で生き、本音で語り、心の感じるままに演奏するからではないだろうか。
 ちなみに、コンクールの優勝が決まった直後のインタビューが日本のテレビで紹介され、そのときはなんだか夢見心地のような、あいまいな答えをしている姿が映し出され、周囲から非難ごうごうだったそうだが、これは本人いわく「それまで眠れなかったので、すごく眠くて、何を聞かれているのかわからなかった」のだそうだ。なるほどね。私もあれを見て、「はて、この人は時差ボケなのかな」と思ったほどだったが、真実は寝不足だったのね。
 今後は、まず室内楽とコンチェルトを中心に活動をスタートし、ゆっくりマイペースで進んでいくという。ぜひ、自由で情熱的な演奏、ナマで聴いてみて。
 今日の写真はインタビュー時の1枚。キュートに撮れているでしょ。

| アーティスト・クローズアップ | 22:03 | - | -
ピアノデュオ・クトロヴァッツ
 兄のヨハネス、弟のエドワードのピアノデュオ・クトロヴァッツは、リストの生誕地、オーストリアのブルゲンランド州のライディングからすぐそばの小さな村で生まれた。
 彼らはそれぞれソリストを目指してピアノを勉強していたが、ウィーン国立音楽大学で師事したプライゼンハマー女史に「兄弟ふたりでデュオをやるのもいいんじゃない」と勧められ、これがきっかけとなってピアノデュオを結成。1986年にイタリアのストレサ国際コンクール(ピアノデュオ部門)で第1位を獲得、以来、世界中で4手連弾や2台ピアノの演奏を行い、高い評価を得ている。
「兄弟だからといって、いつもうまくいくとは限らないんだよ。最初のころはどちらがリードするかでずいぶんもめたものですよ」
 こういうのは兄のヨハネス。
「でもね、徐々に自分の役割が見えてきて、曲によってリードする側を決めるようになったんです」
 と、弟のエドワードが続ける。
 彼らはいまや仕事の分担もはっきりし、ヨハネスはすべての仕事のオーガナイズを一手に引き受け、エドワードはこれをしっかりサポートし、演奏面では即興を得意としてそれを前面に出していくそうだ。
 ピアノデュオ・クトロヴァッツは、この分野の演奏の楽しさを目いっぱい堪能させてくれる。ふたりはまさにエンターテイナー。動きもはげしく、クライマックスに向けて一気に加速し、最後は両手を掲げてフィニッシュ。まるで踊っているようだ。
「今年のリスト・イヤーにはいろんなところでリストの作品を演奏します。子どものころからごく身近に存在した作曲家ですからね。リスト音楽祭も行っていますし、日本でも11月にツアーを行ってリストを中心にいろんな作品を弾きますよ。ぜひ楽しみにいらしてください」
 このインタビューは、「ムジカノーヴァ」の現在発売されている号に掲載されている。
 今年は震災で中止となったが、ヨハネスは毎夏開催される山中湖国際音楽祭の音楽監督を務めている。ともにウィーン国立音楽大学の教授も務め、多くの弟子を持つ。
「ピアノデュオは民主的な考えではうまくいきません。リーダーをはっきりさせ、もうひとりはそれに合わせる。曲によってそれを変えればいいのです。日本の生徒は割におとなしくて、相手に遠慮したり、自分を押し殺したりする人が多いようですが、リードする立場になったら自由に自分の演奏を発揮し、支える人はそれを全面的にバックアップしていく。徹することが大切です。音楽に遠慮や気遣いは無用です。だってそんな気を遣った演奏、聴いていてだれも楽しくないでしょ。感情爆発、自由自在、大いに楽しむ。ピアノデュオはこれですよ(笑)」
 まさに彼らのデュオは、聴き手の心も解放、喜びをバクハツさせてくれる。今日の写真はそんな話で盛り上がるふたり(左が弟のエドワード、右が兄のヨハネス)。性格が異なり、演奏も異なるように、容姿も異なる。これが個性なんですね。

| アーティスト・クローズアップ | 22:51 | - | -
ジョルジュ・プルーデルマッハー
 ピアニストで、演奏のみならず作曲や編曲をこなす人は多いが、フランスのヴィルトゥオーソとして知られるジョルジュ・プルーデルマッハーもそのひとりである。
 彼は現代音楽にも造詣が深く、ジャズも演奏。ただし、録音ではベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲、「ディアベリ変奏曲」などで評価が高く、2003年にはラヴェルのピアノ作品集のライヴ録音も完成させている。
 そのプルーデルマッハーが4月に来日し、シューベルト、ベートーヴェン、ドビュッシーの作品と、自身が編曲したストラヴィンスキーの「春の祭典」を披露した。そのリサイタルの前日にインタビュー、さまざまな作曲家の作品に潜むテクニカルな面をどう読み解くかについて、明快かつこまやかで具体的な話をしてくれた(インタビューは次号の「intoxicate」に掲載される予定)。
「私はいろんな作曲家の作品と対峙するとき、まずその本人がどんなテクニックを用いてピアノを弾いていたか、それをどう作品に表したか、その時代の楽器をどう扱ったか、現代の私たちがそれをどう理解するかをじっくりと考えていきます。楽譜を深く読むのはもちろんですが、伝記や残された資料や手紙、弟子たちの文章、時代背景、作曲家が置かれた環境なども丹念に調べ、肖像画に描かれた姿勢や手のポジションを見ることも重要だと思っています。そうした多くの要素が実際に演奏するときに非常に有益になるからです」
 プルーデルマッハーは、手のポジションや楽器に向かう姿勢、ペダルなどに関してかなりこまかく話をしてくれた。
 実は、彼はベートーヴェンの録音で第4のペダル、ハーモニック・ペダルというものを使用している。これは既存のピアノに新たに装着し、2段階に踏むことができ、半踏みの状態で踏むとここちよい共鳴を得ることができるという。要は音の保持装置のような役割を果たしているわけだが、説明がとても難しく、プルーデルマッハーも図版をもとに解説してくれた。
 現在は、中国のピアノ・メーカーがこのペダル付きの楽器の製造に着手しているそうだ。
 プルーデルマッハーのリサイタルも、ひとつひとつの響きを非常に大切にするもので、とりわけ「春の祭典」では和声的な響きを重視、即興的な奏法も加え、大作を愉悦の表情をもって弾き進めた。話術も演奏もすこぶる雄弁、マスタークラスの人気が高いのもうなずけた。

 今日の写真は、インタビュー時にテクニックや奏法をからだ全体で表現しながら話すプルーデルマッハー。「私はピアノという楽器を用いて新たな芸術を生み出したいんだよね」と語っていたのが印象的だった。
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:26 | - | -
三浦文彰
 アーティストのデビューCDのライナーノーツを書くのは、とても名誉なことであり、楽しみでもある。その人の門出に立ち会えるからだ。
 2009年、難関といわれるハノーファー国際コンクールで史上最年少の16歳で優勝の栄冠を手にした三浦文彰のデビュー・アルバム「プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ第1番&第2番」(ソニー・ミュージックダイレクト/ミューズエンターテインメント)も、ライナーを書いたが、それがつい先ごろリリースされた。
 これは彼が「自分の心にもっとも近い作曲家」だと感じているプロコフィエフのソナタをイタマール・ゴランとの共演で収録したもの。ゴランは世界の名だたるヴァイオリニストと共演を重ねている名手で、ひとりひとりの共演者の特徴を即座につかみ、アグレッシヴな演奏でソリストを盛り上げていく。
 ゴランのピアノを初めて聴いたのは、もうずいぶん前のこと。マキシム・ヴェンゲーロフとのデュオだったが、それはまさに嵐のようなはげしさで、若いふたりの音楽が疾風怒濤のように吹きぬけていったのを覚えている。
 三浦文彰とゴランも録音前にプロコフィエフでリサイタルを行い、それを聴きにいったが、このふたりも炎のような熱く劇的で情熱的なデュオを繰り広げた。さぞ、録音は熱くなるだろうと胸が高鳴ったものだ。
 ここに聴くプロコフィエフは、第1番は作曲当時の時代背景が音から浮かび上がるよう。一方、第2番は物語が音で綴られていく。
 三浦文彰はインタビューで作品との出合い、各楽章の解釈、ゴランとのコラボレーションなどに関して雄弁に語った。これは「CDジャーナル」のいま発売されている6月号に掲載されている。
 三浦文彰は現在ウィーンでパヴェル・ヴェルニコフに師事しているが、ジュリアン・ラクリンをはじめとする音楽家と交流し、仲間と遊びのサッカーを楽しんでいるという。
「ポジションなんか別に決めずに、自由に走り回っているんです。一緒に遊んだり、食べたり飲んだり、話し込んだり。ウィーンという町にいることがとても有意義で、人生が豊かになる感じがします」
 こう語る彼は、明るく素直で、人に好かれる性格。先輩の音楽家たちがこぞって力を貸そうとしてくれる。コンサートも次々にこなし、めきめき実力をつけている。たのもしい限りだ。
 来年6月には、クレーメル、テツラフ、シフ、バシュメット、イッサーリスらが若手音楽家を育てるために開催している音楽祭にも招かれているという。正統派のみずみずしい弦の調べに、世界が喝采を送る日が近づいている。日本で次に聴くことができるのは、7月5日(名古屋・しらかわホール)、7月6日(大阪・ザ・シンフォニーホール)、7月8日(東京オペラシティコンサートホール)。もちろん共演者はイタマール・ゴランだ。

 今日の写真はインタビュー後のワンショット。手にあごを乗せるのが一番好きなポーズとか。これ、ものすごくいい表情しているでしょう。ファンはたまらないかも…。
 
| アーティスト・クローズアップ | 23:57 | - | -
ラン・ラン
 ラン・ランの勢いが止まらない。彼はいつも前向きでエネルギッシュ。陽気でオープンで社交的な性格は多くの先輩音楽家に愛され、共演する指揮者や歌手、器楽奏者がみな再共演を望む。
「ぼくが一番大切にしているのは本番の舞台。偉大な音楽家と共演するたびに、その人たちからことばでは表現できないほど多くのことを得ている。それを大切にし、もっともっと彼らから学ぼうと思い、質問攻めにしたり、いろんな話をしてほしいとせがんだり(笑)」
 デビュー当初は、髪は刈り上げ、中国服のよく似合うタイプだったが、いまはとってもおしゃれ。自信がみなぎり、より雄弁になった。
 彼は自分が中国にいた時代からヨーロッパの音楽家の録音をよく聴いていたため、それがのちに大いに役立ったという。そうした経験をもとに、2年前に自身の名を冠した財団を設立、若手演奏家を支援している。マスタークラスを開いたり、奨学金を支援したり、コンサートを開く手助けをするなどして、主としてアジアの音楽家に道を拓いている。
 そして今秋、香港の近くに学校を設立するという。
「『ラン・ラン・ミュージック・ワールド』と名付けました。スクールとはつけたくなかった。勉強するのではなく、ここから世界の舞台へと飛翔していくことを願っているし、音楽を楽しみながら演奏してほしいから」
 まだ20代なのに、学校まで建ててしまうとは…。
 このインタビューは「ムジカノーヴァ」の5月号に掲載されている。
 ラン・ランは練習魔。寸暇を惜しんで練習に没頭。だが、それを楽々とこなしているように思わせ、決して辛い表情は見せない。幼いころから練習熱心で、いつも先に先に進みたいと思っていたそうだ。
「ぼくはいつも練習を楽しみ、音楽と遊び、その楽しさを聴いてくれる人たちにも伝えたいと思っている。自分が苦しそうな顔をしていたら、聴衆は楽しめないでしょ。ぼくはいつもピアノに向かうとき、独自のスタイルを確立するよう努力しています。演奏しながら作品に合う情景を描き、それらを劇的に表現したいと考えます。自分だけの音楽を作りたいから。本当はね、少し聴いただけでだれが弾いているのかわかるピアニストになるのが夢なんですよ。いつになるかなあ」
 真顔でこう語っていると思ったら、突然ケラケラ笑いだす。この笑顔にみんな引き込まれてしまうんでしょうね。
 最近の「ラン・ラン ライブ・イン・ウィーン」(ソニー・クラシカル/エピックレコード)の録音では、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「熱情」とアルベニスの「イベリア」の作品の奥に潜む繊細さや内省的な表現、緻密さが印象に残った。以前は超絶技巧をものともせず、エネルギー全開でスピーディに飛ばしていったが、現在はそこに表現力の深さが加わった。
 やはり偉大な音楽家との共演が大きく影響しているのだろう。

 今日の写真はインタビュー直後の表情。「写真、見せて見せて」というので「これ、どお?」と見せたら、「おおっ」と叫び、「こんなにいい表情の写真、初めてだよー。いい顔してんなあ、ぼく」と自画自賛。
「絶対にボツにしないでよ。約束だよ」と念を押された。ハイハイ、約束通り、アップしましたよ。



| アーティスト・クローズアップ | 21:21 | - | -
スティーヴン・オズボーン
 今年1月18日、スコットランド生まれのピアニスト、スティーヴン・オズボーンの来日リサイタルをトッパンホールに聴きに行った。
 彼は実に幅広いレパートリーの持ち主。今回はラフマニノフ、ラヴェル、ドビュッシーを組み合わせた凝ったプログラムを組み、真の実力派を印象づけたが、もっとも心に響いたのはラヴェルの「鏡」だった。
 オズボーンは、その前にラヴェルの「ピアノ独奏作品全集」(東京エムプラス)の録音を完成させたばかり。ラヴェル好きの私は繰り返し、これを聴いていたが、ナマ演奏ではまた異なった新たな魅力に出合うことができた。
 彼は録音では「高雅にして感傷的なワルツ」を管弦楽版と照らし合わせ、和音を付け加えるなどして演奏、独自性と即興性を見せている。
 リサイタルではアンコールでジャズも演奏、聴衆を沸かせた。
 今回はインタビューも行ったが、そのときにオズボーンはひとりひとりの作曲家にとことん入れ込むタイプゆえ、全集を録音することになるのだと語った。
 このインタビューは「音楽の友」の4月号に掲載されている。
「子ども時代から練習は嫌いでしたが、編曲や即興は大好きでした。いまでも、ピアノであれこれ遊んでいるのが好きなんですよ」
 こういってシャイな笑顔を見せるオズボーンは、スコットランド人の気質に関してこう語った。
「スコットランド人というのは、知り合うまでに時間がかかる人が多い。すぐには心を開かないからです。深く相手を知るまでは、変なことをいって相手を傷つけたらどうしようと考えるわけです。でも、いったん心を許すと、長年つきあうようになります。私も決してあけっぴろげの性格ではないのですが、親友は何人かいますよ」
 その親友のひとりが、ピアニストのポール・ルイス。デュオでもよく組んでいる。彼らの今回の来日はちょうど重なり、ふたりで浅草に行こうといっていたそうだが、なかなか実現しなかった。
「ポールはシューベルト・チクルスの記者発表などで忙しく、時間がないというんですよ。あんなに浅草に行きたいっていっていたのに」
 この話をポール・ルイスに会ったときにしたら、彼はこう反論した。
「えっ、スティーヴンはそんなこといってるの。彼のほうがリサイタルの練習で時間がないっていったんだよ。まったくなあ」
 まあ、これは親友ならではのやりとりなのでしょう。
 オズボーンのスコットランド人気質に関しては、私が「テニスのアンディ・マレーもそうよね」などといったものだから、ここからテニス談義になってしまった。オズボーンは結構お茶目で、マレーが試合に勝ったときに両腕を高く掲げるポーズまでまねした。
 あら、スコットランド人はなかなか心を開かないんじゃなかったっけ…。
 彼の話で興味深かったのは、以前2日間パリに滞在し、メシアンの作品をメシアン夫人であるイヴォンヌ・ロリオから学んだときのこと。
 レッスンはすさまじくシビアで、1日6時間に及んだという。とりわけフィンガリングをきびしく直され、親指の使いかたが大切だといわれたそうだ。親指は決して揺れてはならないと。
「ロリオ夫人はこういったんです。絶対なる神のような音楽に揺れがあってはなりませんと。リズムの大切さ、その微妙さ、均等にリズムを刻むことやほんのちょっとしたズレも注意されました。長時間のレッスンでも、決して情熱を失わないその気持ちにとても感銘を受けました」
 スティーヴン・オズボーンは、1991年のクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールの優勝者。このコンクールの覇者はみなじっくりと大成していく。
 またすぐにでも来日してほしいという思いを抱いた。
 今日の写真はインタビュー時のオズボーン。「ブログ用の写真撮ってもいい?」と聞いたら、にこやかに話していた表情が一変、真面目そのものの顔になった。やはりスコットランド人はシャイなのかなあ。

| アーティスト・クローズアップ | 21:51 | - | -
小林愛実
 今日は若きピアニスト、小林愛実のリサイタルを聴きに行った。
 これは4月3日にニューヨークのカーネギーホールでソロ・リサイタル・デビューを成功させた凱旋記念公演で、先日リリースされたばかりのセカンド・アルバム「熱情」(EMI)の収録曲がメイン・プログラム。
 彼女にはデビュー当初から話を聞き、演奏に接し、デビュー・アルバムとセカンド・アルバムのライナーノーツ、コンサート・プログラム、インタビュー記事などを書いてきた。いつも彼女は本音で語ってくれるため、記事も書きやすい。
 小林愛実は幼いころから数多くの賞に輝き、海外のステージも経験し、いまや次代を担うホープとして期待されている。だが、本人は才能におぼれることなく音楽を心から楽しみ、聴き手とのコミュニケーションを大切にする。
 素顔は明るくあっけらかんとし、食欲旺盛なごくふつうの15歳。しかし、ピアノに向かうとすさまじいまでの集中力を発揮し、作品の内奥へとひたすら迫っていく。
 そんな彼女が今日演奏したのは、シューマンの「子供の情景」とベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」が前半。シューマンでは物語を語るようにひとつひとつの曲を詩情豊かに歌い上げた。
 「悲愴」では最初のグラーヴェはゆったりと主題を奏でていったが、徐々にテンポが増していき、第3楽章は猛スピードで飛ばした。
「私、いつも本番ではテンポが速くなってしまう。先生に注意されるけど、止まらない。練習より遅くなることはいままで一度もないかも」
 こういって陽気な笑い声をたてるところが、いかにも彼女らしい。
 後半はCDには入っていないラヴェルの「ソナチネ」が演奏され、最後はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番「熱情」で締めくくられた。
 やはり「熱情」も次第にアップテンポになっていき、プレストのコーダではあまりの速さにひとつひとつの音が空高く飛び上がっていくようだった。
 彼女が幼いころから師事している二宮裕子先生にお会いしたら、こんなことをいわれた。
「伊熊さん、あまりいい記事を書かないでね。もっときびしくいってやってください」
 でも、きびしくいうのは先生のお役目。私は若いアーティストはできる限り応援したいという考え。きっと、小林愛実も遠からずシビアな批評にさらされるときがくる。そのときにそれらとどう向き合うか、どう対処するかが今後の演奏活動に大きく影響するはずだ。
 終演後、「愛実さん、カーネギーホールの演奏はどうだった?」と聞くと、「ああ、伊熊さん、どうして聴きにきてくれなかったの。すごくよく弾けたのに…」と満面の笑顔。
 これこれ、この屈託のなさが一番の美質ではないだろうか。まわりが何をいおうが、どう評価されようが、自分がうまく弾けたと思ったらそれを素直に口に出す。彼女だったらシビアな批評が出ても、さらりとかわしてしまうような気がする。
 日本を元気にするエネルギッシュで前向きでおおらかな、小林愛実のピアニズムとキャラクター。
 今春、彼女は高校生になった。「高校はどお?」と聞いたら、「あまり授業が詰まっていなくて、結構自由時間があるの」とにんまり。
 ということは、練習がたっぷりできるわけね。ガンバレ、AIMI。

 今日の写真はリサイタルが終わってふだんの表情に戻った彼女。これが大好きなポーズだそうだ。

| アーティスト・クローズアップ | 22:46 | - | -
アリス=紗良・オット
 アリス=紗良・オットはいつ会っても元気はつらつ、演奏も迷いがなく、自分の信じた道をひたすら邁進している。
 その潔さ、前向きな姿勢、性格のユニークさは強烈な個性となって、「アリス=紗良・オット」というピアニストを際立たせている。
 彼女は幼いころからいい出したら聞かない性格で、両親はたいそう子育てに苦労したそうだ。ドイツ人の父親と日本人の母親のもとミュンヘンに生まれた彼女は、3歳のころからピアノを習いたいといい続けた。まだ早いと考えていた両親は反対したが、あまりにも強いアリスの要求についに根負けし、ピアノのレッスンを始めさせてくれた。
 そんな彼女は5歳で「将来はピアニストになる」と決意、それを貫き通す。さまざまな国際コンクールで賞を受け、19歳のときに幼いころから憧れていたドイツ・グラモフォンと契約、2008年にリストの「超絶技巧練習曲」でCDデビューを果たした。
 以後、国際舞台で活躍、名だたる指揮者、オーケストラと共演を重ね、日本でも数多くステージに立っている。
 デビュー当初は日本語がまだそんなに得意ではなく、難しい部分になると母親に通訳してもらっていたが、いまではすっかり上達し、難しい慣用句も用い、ジョークも連発し、すっかりリラックスした様子でインタビューに応じるようになった。
 彼女は、会う人みんなを元気にさせるような不思議なエネルギーを発している。気どりがなく、素直で、自然体。
 子どものころはすさまじいいたずらばかりして両親を困らせたそうだが、いまはそのエネルギーがすべて音楽に向いている。
「でも、私は昔から自分のアイデンティティーはどこにあるのかと、いつも悩んでいました。完全なドイツ人でもなく、日本人でもない。中途半端な自分をもてあまし、自信が持てず、落ち込むことが多かったんです。自分の本当の居場所はどこだろうと、常に探し求めていました。でも、ピアノを弾いているときだけは、自分の存在を確信することができた。自分の居場所はここだと思えたのです。音楽がなかったら、私はきっとうまく成長できなかったと思います。いまの自分があるのは、音楽のおかげです」
 現在、アリスは超多忙な演奏活動のなかで自信あふれる演奏を行い、ドイツと日本のいい面を受け継いだことに誇りを持ち、明るい笑顔を見せる。
「私は辰年生まれのしし座で、じゃじゃ馬娘なんです。本来の性格は負けず嫌いの一本気。反対されればされるほど燃えるタイプで、本当にいい出したら一歩も引かない。レコード会社の人もマネージャーもそれを理解してくれ、自由にさせてくれますが、本当は困惑しているでしょうね(笑)」
 だが、大変な努力家で自分が主張したことの責任はきちんととる。練習魔でもあり、演奏できっちり成果を示す。
 これまで多くの雑誌で記事を書いてきたが、アリスの原稿を書くのは実に楽しい。自己主張が強いのに、妙に遠慮したり、ときどき気弱になったり、とても正直だから。それゆえ、原稿を書きながらついにんまりとしてしまうことがある。
 彼女の演奏はずっ聴き続けていきたい。そのつど、大きなステップを駆け上がるような成長を見せてくれるから…。

 今日の写真は昨年冬のインタビュー時のもの。記事は「音楽の友」の2010年12月発売号に掲載された。

| アーティスト・クローズアップ | 22:59 | - | -
松田理奈
 現在、日本とドイツで演奏活動を行い、ニュルンベルク音楽大学で教授アシスタントを務めているヴァイオリニストの松田理奈は、16歳のときにトッパンホールのデビュー・シリーズでイザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」の第2番と第4番を演奏し、10年後にこの作品の全曲演奏をしたいと夢見るようになった。
 それが26歳になる1年前に実現、昨年全曲録音を完成させた(ビクター)。
 彼女は自他共に認める「直感人間」。演奏も瞬間のひらめきに満ちたもので、自身が楽譜から読み取ったものをそのままストレートに表現。自然で前向きで迷いがない。
 だが、留学先のニュルンベルク音楽大学で師事したダニエル・ゲーデにこれまでの考えをくつがえされ、また、きびしいレッスンを課せられ、演奏が大きな変貌を遂げていく。
 そんな彼女が長年夢見てきたイザイの無伴奏作品に挑んだわけだが、あまりにも集中したため、「イザイやせ」をしたという。
 松田理奈は、そういう話をするときもおだやかな表情と柔和な語り口を失わないが、実は子どものころに学校で大変な「いじめ」に遭っている。
 その辛さから救ってくれたのがヴァイオリンであり、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタだったそうだ。
 いまは自分が経験したことを生かし、同じ悩みを抱えている子どもたちに何かできないかと考慮中。まずは、そうした子どもたちに楽器を送ることを実践したいと語る。
 このインタビューは「日経新聞」の2010年12月16日夕刊に掲載され、またCDのライナーノーツも書いた。

 今日の写真は、「不思議な安心感を抱くことができる作品」というイザイの楽譜と一緒にパチリ。
 音楽は苦難にあるとき、ストレスを抱えたとき、悲しみの淵に沈むときなど、さまざまな場で人々の救いとなるものである。松田理奈がモーツァルトの作品に救われたように、このイザイを聴いた人が、少しでも前に進む力が湧いてくれることを願って…。

| アーティスト・クローズアップ | 21:08 | - | -
セルゲイ・シェプキン
 ロシア出身で、1990年にボストンに移り住んだピアニスト、セルゲイ・シェプキンは、J.S.バッハの音楽をこよなく愛す。
 2007年3月にすみだトリフォニーホールで演奏した「ゴルトベルク変奏曲」は、衝撃の演奏ともいうべきものだった。テンポ、主題、フレーズ、ダイナミクス、装飾音、リズム、対位法、構成など、すべてにおいて従来の「ゴルトベルク変奏曲」とは一線を画す斬新さにあふれ、その奥に不思議な静けさが宿っていた。
 私は変奏が進むうちに深い海のなかにもぐっていく感じを受け、脳裏には素潜りの名人、ジャック・マイヨールの姿が浮かんできた。それほど彼のバッハは個性的で、静謐な感覚を備え、聴き手の想像力を喚起するものだった。
 そのシェプキンが2010年11月、再びすみだトリフォニーホールに登場し、ベートーヴェンの「熱情」とムソルグスキーの「展覧会の絵」をメインに据えたリサイタルで、またもや斬新な解釈を披露した。
 その直前にバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の再録音をリリースし、これは世界中に再び衝撃を与えるディスクとなった。初めての録音とは異なり、装飾音やつなぎの音を多く組み込み、あまりにも個性的な仕上がりとなっているからだ。
 そんなシェプキンにインタビューする機会が巡ってきた。ひらめきに満ちた自由で輝かしい演奏をするステージの印象とは異なり、素顔は知的で物静かでおだやかな雰囲気。とてもハンサムで、真摯な受け応えをしてくれる。
「私は『ゴルトベルク変奏曲』を弾くと、いつも故郷のサンクトペテルブルクが浮かんでくるんですよ。建物や町の雰囲気が、私の想像力をかきたてるわけです」
 こういって、シェプキンは故郷をなつかしむような目をした。このインタビューは「intoxicate」の2010年秋号Vol.89に掲載されている。
 彼は、バッハはすべて本能に従って弾いているといい、ひとつひとつの音にとことんこだわると力説した。
「私にとってピアノの音は人間の声であり、魂の叫びなのですから、1音たりともないがしろにはできないのです」
 何度聴いても決して飽きることがなく、もっとバッハの他の作品も聴きたい、他の作曲家の作品も聴きたいと、次々に欲が出てきて止まらなくなるシェプキンの独特なピアニズム。
 今日の写真は、シェプキンがにこやかにバッハ論を語っているときの様子。ねっ、ステージでの驚異的な集中力に富んだ演奏をしているときとは、まったく異なる雰囲気でしょ。このコントラストがまた魅力かも…。
 まだナマの演奏に触れていない人は、ぜひ次回の来日で衝撃の体験を。

 
 
 
| アーティスト・クローズアップ | 21:11 | - | -
赤坂達三
「クラリネット界の貴公子」と呼ばれる赤坂達三も、長年インタビューを続けているアーティストのひとりである。
 彼は長年フランスで研鑽を積み、フランス作品をこよなく愛してきた。2010年はデビュー20年の記念の年にあたり、6年ぶりにリリースした新譜「オマージュ・ア・パリ」(ソニー・ミュージックダイレクト)は、やはり自身の根源であるフランス作品を選曲した。
 ガロワ=モンブラン、ラボー、プーランク、リュエフ、サン=サーンス、ドビュッシー、オーリックというこだわりのプログラムで、本人いわく、「ひとつずつにさまざまな思い出が詰まっている」という。
 このCDのライナーノーツを書くことになり、じっくりと演奏を聴いたが、超絶技巧を要する作品がずらりと並んだにもかかわらず、演奏はすこぶる自然体。全体にロマンがあふれ、エレガントで絵画的な色彩感にも満ちている。
「音楽家として、最盛期のいましか残せないであろうと思う作品だけを選びました。これまでさまざまな作品を演奏してきましたが、自分のルーツを考えるとき、やはりフランス作品だと思ったのです。以前はひたすら練習し、力ずくでがむしゃらな演奏をしていた時期もありましたが、いまはそれから脱却しました。現在の赤坂達三を聴いてほしいですね」
 まさに、ここには余分な力の抜けた、音楽のすばらしさを聴き手を分かち合おうとするひとりのアーティストが存在する。クラリネットの響きが、幾多の言葉より雄弁に語りかけてくるからである。
 私は赤坂達三に会うと、いつも昔聞いた話を思い出す。彼はバレエが趣味だと語ったのである。バレーボールではありませんよ、踊るバレエです。からだを鍛えるために始めたといって、階段があると爪先立ちでツツーっと上り詰めるというから驚いたものだ。
 でも、いまはもうその話は出てこなくなった。もうひとつの趣味は「温泉巡り」。これも現在はやめて、ひたすら練習に打ち込む生活になったとか。
「生涯、勉強を続けないと…」
 おだやかな笑みを浮かべた貴公子がこういうと、ホント、説得力がある。そう、だれしも生涯勉強を続けないとダメよね。
 彼の素顔はハングリー精神(これってもう死語かな)に満ち、内に秘めた音楽への闘志は強い。外見のたおやかさと、実際の芯の強さ。そのコントラストが絶妙だ。
 このインタビュー記事は「婦人公論」の2010年10月22日号に掲載された。
 今日の写真は、25年来の友人でパリ音楽院の仲間でもある共演のピアニスト、浦壁信二との録音は「すごく楽しかったよ」といっているときの表情。

 
| アーティスト・クローズアップ | 22:11 | - | -
神尾真由子
 音楽家のなかには、インタビューを苦手とする人も多い。「自分の音楽は演奏で示しているのだから、言葉は必要ない」とはっきりいう人もいる。
 これまで多くのアーティストに話を聞いてきたが、そういう人にぶつかるとムラムラとジャーナリスト根性が頭をもたげてくる。口の重い人、気難しい人、話が進まない人に出会ったら、「よーしっ、頑張るゾ。絶対にしゃべらせるもんね」と内心ほくそえみながら、表面はなにくわぬ顔をして、あの手この手で多方面にわたる質問を試みる。
 もちろん、失敗談は山ほど。相手はアーティストだから、私にとってはリスペクトの対象。失礼にあたらぬよう、細心の注意を払いながら、なんとか話をしたいと思ってもらえる方向に話題を振っていく。
 2007年にチャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で優勝を果たした神尾真由子も、非常に口の重い人である。ひとつの質問に対して、ひとことだけの返事という場合もある。
 しかし、2008年3月に彼女の留学先であるチューリヒでデビューCDをレコーディングしたとき取材に行き、録音にもずっと立ち会い、ジャケット写真の撮影も見学し、その後インタビューも行ってライナーノーツを書いたため、それからは少しずつ本音で話してくれるようになった。
 以後、ずっと演奏を聴き続けている。
 そんな彼女が世界中の人が待ち望んでいたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲第1番(ソニー)をリリースしたのは、2010年10月のこと。それに先駆け、帰国した彼女に話を聞く機会があった。
「私はあまりしゃべらないほうだけど、なぜか周りにはおしゃべりな人、しつこい人が集まってくるの。ザハール・プロン先生もひっきりなしにしゃべっているし、同じところを何度も演奏させるしつこさがあるでしょう。今回チャイコフスキーの録音で指揮を担当してくれたマエストロ・トーマス・ザンデルリンクもこれまたしつこくて、オーケストラ・パートを何度も繰り返して演奏していた。私のソロに対しては、あまりしつこくなかったからよかったけど(笑)。このあと日本ツアーで共演するロシアのピアニスト、ミロスラフ・クルティシェフもとてつもなくしつこくて、プログラムには凝りまくる、作品はとことん調べる。それを滔々と説明してくれるんだけど、私はなんとかなるわよって感じ。とうしてみんなあんなにこだわるのかしらねえ」
音楽における「しつこさ」は、完璧主義の表れなのだろう。一方、神尾真由子はのんびり、おおらか、マイペース。ただし、本番には強い。ふだんはゆったりペースだが、いったんヴァイオリンを手にすると、集中力全開。音楽のなかに一気に没入していく。
 このインタビューの様子は「CDジャーナル」の2010年11月号に掲載された。このときもライナーノーツを書き、そのなかで彼女がチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に出合ったときのことを綴った。
 満を持して登場したチャイコフスキーは、まさに長年弾き込んで完全に自分の音楽になっている安定感と説得力を備えた演奏。彼女のいつものちょっと怖そうな(みんなにいわれるそうだ。集中しているときは当然だが、緊迫感あふれる表情になる)顔をして演奏している様子が音から見えるようだ。
 そんな彼女の写真はインタビュー時の1枚。こんな表情、ちょっと珍しいでしょう。これ、すごくキュートな表情にとれたので、自慢の写真です。
 
| アーティスト・クローズアップ | 21:32 | - | -
レオン・フライシャー
 昨夜、ブルーローズ(サントリーホールの小ホール)で、レオン・フライシャーのリサイタルを聴いた。当初のプログラムと大幅な変更があり、その理由を本人がステージ上で述べた。半年前に右手の親指の手術をしたが、回復が遅れているため、右手の負担の少ないプログラムに変えたとのこと。
 この演奏評は、来月発売の「モーストリー・クラシック」に書くことになっている。
 フライシャー(1928〜)はロシア人の父とポーランド人の母を持つアメリカのピアニスト。歴史に名を残す偉大なピアニスト、アルトゥール・シュナーベルに師事したことで知られ、1952年にエリーザベト王妃国際コンクールでアメリカ人として初優勝を遂げ、華々しいキャリアをスタートさせた。だが、キャリアの絶頂期である1965年に突然右手がまひし、両手での演奏ができなくなってしまう。以後40年間は、指揮者、教育者として活動し、ピアニストとしては左手のための作品を数多く演奏してきた。
 そんなフライシャーがさまざまな治療の結果、両手による演奏が可能になったのが2004年のこと。直後にリリースされた「トゥー・ハンズ」(コロムビア)と題したCDは、世界中で大きな話題を呼んだ。このアルバムはJ.S.バッハのカンタータ「主よ、人の望みの喜びよ」(ピアノ編曲版)から始まっている。その演奏は純粋で敬虔で清らか。久しぶりの日本公演もこの曲で始まった。
当時、フライシャーは「ようやく両手での演奏ができるようになったんです。これほどうれしいことはありません。神に感謝しています。私はバッハが大好きなんですよ。苦難の時期にはバッハの音楽が唯一の救いでした。今後の人生はすべて音楽に捧げたいと思っています。作曲家の魂に寄り添うような演奏がしたいんですよ」と静かな口調で語っていた。
 そして、終演後にはいつも1杯のスコッチをおいしそうに飲むのが習慣だが、満足そうな表情でグラスを飲み干すと、こう続けた。
「現在は世のなかがとても騒々しく、時間の流れも速く、人間関係も複雑で心が休まるときがありません。私は人々に音楽で静けさと安らぎを届けたいんです。音楽にはその力があると信じていますから」
 まさにフライシャーのピアノは、聴き手の心に奥にゆったりと語りかけてくる音楽。私はストレスがたまると、いつも決まって何人かの演奏を聴くのだが、フライシャーもそのひとり。あんなに両手で演奏できることを喜んでいたのに、また今回調子が悪くなってしまった。早く回復することを祈るばかりだ。そしてまた、あの胸の奥が痛くなるほど熱い感動を呼び覚ますピアノを聴かせてほしい。

 今日の写真は2007年の来日時に王子ホールのロビーで撮ったもの。演奏が終わり、スコッチも飲み、そしてサイン会も終わって「ようやくひと息」のフライシャー。

| アーティスト・クローズアップ | 23:48 | - | -
樫本大進
 ヴァイオリニストの樫本大進がベルリン・フィルのコンサートマスターに内定したのは、2009年夏のこと。その年の9月から実際にオーケストラに入って演奏を開始し、事実上の試用期間に入った。
 当時、彼は非常に緊張した雰囲気をただよわせ、「一応2年間という試用期間は、自分にとってとてもシビアなものになる」と語っていた。
 しかし、2010年12月、2年を待たずにコンサートマスターに就任。これはベルリン・フィルのメンバー、音楽監督のサイモン・ラトル、関係者から全幅の信頼を勝ち得たことを意味する。
 思えば、大進にはデビュー当初から取材やインタビューを行い、ボストンでの海外録音にも立ち会い、さまざまな演奏を聴き続けてきた。彼はどんなに大変なことに遭遇しても決してあきらめず、いつも笑顔で乗り切ってきた。おおらかで自然体で結構太っ腹(からだのサイズではありません〈笑〉)。
 そんな大進が盟友のピアニスト、コンスタンチン・リフシッツと組んでベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏に取り組んでいる。その第1回が2010年12月に日本各地で行われ、私は12月19日紀尾井ホールでの演奏を聴きに行った。以前から大進の弦は豊かにのびやかに歌うが、ベルリン・フィルに入って緻密さと構成力、説得力が増した。一方、リフシッツは天才性あふれるピアニスト。ヴァイオリンをしっかり支えながらも、自身の音楽を存分に発揮する。
 個性の異なる両者の丁々発止の音の対話は実におもしろく、ベートーヴェンを深く愛する二人の熱意が伝わってきた。
 終演後、「コンサートマスターに決まって本当によかったね。私もようやく心が落ち着いた感じ」と声をかけると、「うん、本当に安心した。でも、これからが本格的なスタートになる。気を引き締めて行かなくちゃ」といいながらも満面の笑顔。写真はその楽屋での1枚。
 大進、頑張れ! あなたの前には大海原が広がっている。
| アーティスト・クローズアップ | 17:23 | - | -
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