Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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プラシド・ドミンゴ&ルネ・フレミング プレミアム・コンサート・イン・ジャパン2017
 昨年夏から関わっていたプラシド・ドミンゴの日本公演の仕事が、ようやく昨日のコンサートでひと段落した。
 あとは、「公明新聞」に公演評を書くことですべて終了となる。
 19時30分に開幕したコンサートは、前半にヴェルディの歌劇「マクベス」から「慈悲・尊敬・愛」(ドミンゴ)、チーレアの歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」から「私は創造の神のつつましい召使い」(フレミング)などのオペラ・アリアが次々に登場。ふたりのあたかもオペラの舞台を連想させるような歌唱と表現力、演技力が東京国際フォーラムAホールの5000人を包み込み、聴衆は集中力をもってシーンと聴き入る。
 前半の最後は、ヴェルディの歌劇「シモン・ボッカネグラ」からシモンとアメーリアの二重唱「まずしい女が孤児の私を」がドミンゴとフレミングによってうたわれ、両者の成熟した歌声がこだまする。
 後半は、皇后陛下御臨席のもと、ドミンゴの得意とするサルスエラやフレミングのミュージカル・ナンバーなどがうたわれ、バーンスタインの「ウエスト・サイド物語」から「トゥナイト」がふたりよって熱唱され、プログラムを閉じた。
 しかし、ここからが彼らの真骨頂だ。エンターテイナーであるふたりは、アンコールに「ベサメ・ムーチョ」「グラナダ」(ドミンゴ)、「私のお父さん」(フレミング)をうたい、昨年亡くなったレナード・ノーマン・コーエンの「ハレルヤ」(フレミング)も登場し、拍手喝采は止まらなくなった。
 そして、これを聴かずには帰れないという聴衆の期待に応え、「故郷」がうたわれ、会場はスタンディングオベーションがしばし止み、感動的な大合唱となった。
 ドミンゴはフレミングを抱えるようにしてレハールの「メリー・ウィドウ・ワルツ」で踊りも披露し、2時間強にわたる至福の時間は幕を閉じた。
 その後、ザ・キャピトルホテル東急に移り、ドミンゴ&フレミングを囲んで内輪のパーティが行われた。
 パーティが始まったのがほぼ11時。それから2時間にわたって着席のフルコースの食事会となり、すべてが終了したのは午前1時を回っていた。
 本当に長い1日だった。
 パーティの始まる前、フレミングには以前インタビューしたことがあるため、あいさつをし、ドミンゴには昨秋のロサンゼルスでのインタビューのお礼をひとこといった。
 すると、彼は「今夜のコンサートは楽しめた?」と聞いたため、私が「いま、とても幸せな気持ちです」と答えると、「それを聞いて、私も幸せだよ」といってほほ笑んだ。
 なんと温かく、真摯で、わけ隔てのない、すばらしい人柄なのだろう。ドミンゴは、みんながその性格を褒めるが、私も本当に率直で、オープンで、根っからの明るさを備えた人だと思う。
 
 写真は、素適な笑顔のフレミング。



 ちなみに、ドミンゴ&フレミングを囲んでの食事会のメニューは、ホテルがものすごく力を入れたすばらしいラインナップだった。
 
[アフタ―コンサートディナー]
蟹とグリーンピースのババロア セルクル仕立て キャビア飾り マスタードソース



温かいコンソメスープ 茸の香りと共に
国産牛サーロインのロースト 焦しオニオンソース なめらかなポテトピュレを添えて
野菜サラダ
桜のブラマンジェ 花びらをソースに散りばめて



ホテルベーカリーのパン取り合わせ
コーヒー又は紅茶
 
 これらに合わせて、シャンパン、白ワイン、赤ワインが供された。
 本当に、長い時期にわたる仕事だったが、記憶に残るコンサートで終幕を迎えることができた。



 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:32 | - | -
プラシド・ドミンゴ
 昨年9月、ロサンゼルスでインタビューしたプラシド・ドミンゴに関しては、新聞、音楽専門誌、一般誌、女性誌、情報誌、WEB、ラジオ出演など、さまさまな媒体でインタビュー内容と3月13日の来日情報を書き、話し、紹介してきた。
 今月号の「モーストリー・クラシック」は、そのドミンゴにかなりのページを割いている。
 表紙からドミンゴで、私は「BIGが語る」「プラシド・ドミンゴの歩み」「3大テノールの軌跡」、そして「ドミンゴと敏腕マネージャー 寺島忠男&悦子夫妻」の原稿を担当した。
 これまでずいぶんいろんな媒体に記事を書いてきたが、原稿は「モーストリー・クラシック」が最後となり、あと1本、27日のNHKラジオ「ごごラジ!」のナマ出演ですべて終わりとなる。
 毎回、インタビューのたびに感じることだが、ドミンゴはとても誠実で、前向き。どんなに忙しくても、疲れていても、一生懸命インタビューに応えてくれる。
 これはなかなかできることではない。
 実は、私の仕事はアーティストにとって、手放しで歓迎されるものではない。特に、もう宣伝や広報活動をする必要がない世界的なポジションを獲得しているアーティストの場合、インタビューに時間を取られるのは極力避けたいと思うのが常である。
 来日した場合も、寸暇を惜しんで練習やリハーサルに時間を当てたいし、時差や気温差などの問題もある。
 それゆえ、インタビューはできる限り短い時間で、ということになる。
 ほとんどの場合は、アーティストの滞在先のホテル、レコード会社や音楽事務所で行われるが、カフェやレストラン、ホールの楽屋という場合もある。
 それでも時間が取れない場合は、新幹線の車中、クルマで移動するとき、リハーサルの合間のホールの階段のところ、などということもある。
 いずれにしても、臨機応変な対応を迫られる。もういろんなケースに遭遇しているため、ちょっとやそっとのことでは驚かないが、もっとも大変なのは短時間での対応だ。
 ドミンゴの場合も、しっかりした撮影を行わなくてはならなかったため、話を聞く時間が限られていた。私はいろんな媒体に書き分けをする必要があったため、あらゆる方向から質問を試み、ドミンゴも私の気持ちを察してか当意即妙のことばを返してくれた。
 海外取材は、日本での取材とは根本的に異なる。現場では、何が起きるかわからない。予測できない事態に遭遇することもしばしば。そうした場合に備え、こちらもいろんな手段を考えておかなくてはならない。
 ようやく、ドミンゴの取材記事が形になり、いまはホッとした気持ちだ。さて、3月13日はどんなコンサートになるだろうか。ひたすら待ち遠しい!
 今日の写真は、「モーストリー・クラシック」の表紙と、「BIGが語る」のページの一部。





 
  
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 15:25 | - | -
ウィーン・フィルを語る
 海外取材は、日本でのインタビューなどとは異なり、その場でさまざまな変更が生じたり、急にキャンセルになったり、突如問題が起きたりする。
 長年、そうした現場で即座の対応を迫られることを経験してくると、まあ、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなる。図々しくなるのだうか(笑)。
 昨秋、JALの国際便機内誌「SKYWARD」の取材でウィーンを訪れた際、ウィーン・フィルのメンバー、関係者に話を聞くことができた。
 雑誌ではあまり長く紹介するスペースがなかったため、せっかくインタビューの時間を取ってもらっていろんな話を聞いたのでもったいないと思い、ヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」で6回連載で綴ることにした。
 私のHPの各コンテンツの左下のバナーからすぐに入れるので、ぜひ読んでくださいな。
 2016年12月22日から6回分で、今週木曜日、9日の分で最後となる。
 タイトルは、「ウィーン・フィルを語る」と名付け、各人がウィーン・フィルへの思いを語るスタイルにした。
 やはり、演奏する側とそれを支える側では、仕事もオーケストラに対する思いもまったく異なるが、全員がウィーン・フィルへの深い愛情を示している。
 今日の写真は、ウィーン・フィルの本拠地、楽友協会(ムジークフェライン)。毎年、ニューイヤー・コンサートの冒頭に登場するから、すっかりおなじみだ。ここを訪れると、どこからかウィーン・フィルの音楽が聴こえてくるような錯覚に陥る。それほど、このホールとウィーン・フィルは一体化している。




 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:32 | - | -
ロサンゼルスへの出張
 今日は、ロサンゼルスでの取材時間が変更になったとの連絡を受け、朝からいろんなことでバタバタ大騒ぎ。
 まあ、海外出張というのは何が起きるかわからないから、その場に行ってみて、判断するしかない。
 さまざまな人から電話が入り、「とにかくお任せするから、なんとかうまくやってください」といわれ、「最善を尽くします」と答えた。
 いまは自分で何か対処できるわけではないから、腹をくくって行くしかない。
 現地で、マネージャーをはじめとする関係者と打ち合わせをし、もっともいい方法を選ぶことになる。
 なにしろ、短時間のインタビューで単行本と雑誌と新聞の記事を書かなくてはならないわけだから、集中力の勝負だ。
 取材対象は、世界的な大物歌手。10月に入ると情報公開ができるため、詳細を綴ることができるが、まだ現在は明確なことが書けない状況。
 とにかく、明日はもうお昼に成田に向かうため、20日に帰国するまでブログはちょっとお休みします。
 戻ったら、すぐに報告しますので、お楽しみに!
 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:03 | - | -
NCAC音楽大学「音楽の分かる大人になろう」講座DX
 7月16日のナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)の第1回定期演奏会は無事に終了し、その直後に行われた柴田克彦さん、加藤昌則さんと私の3人によるNCAC音楽大学「音楽の分かる大人になろう」講座DXのベートーヴェン講座もようやく終わった。
 ナガノ・チェンバー・オーケストラのメンバーは選び抜かれた実力派が勢ぞろいし、ベートーヴェンの交響曲第1番は、聴きごたえのある演奏となった。
 ただし、昨日はコンサートがかなり伸びたため、講座の時間が押してしまい、翌日の仕事のために松本への移動の電車を予約していた加藤さんはハラハラドキドキ。
 3人で講座の進め方をあれこれ考慮したり、コンサート後に聴衆が帰ってしまわないかと懸念したり、いろんな意味で3人とも気が気ではなかった。
 ひとりの持ち時間は20分。そして1時間後、少しだけ3人でまとめて話をする時間を設け、〆の時間とすることになっていた。
 演奏を聴いていた私たちは、終演後すぐに楽屋へと直行し、マイクを渡され、前日のリハーサルのようにひとりずつ講義を行い、最後に3人でベートーヴェンについてわいわい話し、エンディングを迎えた。
 私はベートーヴェンの人間性をクローズアップする内容を用意していたため、作曲家ゆかりの地で撮影した写真を10枚紹介しながら、ベートーヴェンがそのときに書いた作品や環境、状況、心理状態などをまじえながら話した。
 それから素早く着替えをして駅にかけつけ、それぞれ次の仕事に向かう人、帰路に着く人と、一気に解散となった。
 長野市芸術館は、木をふんだんに使った美しいホールで、メインホール、リサイタルホール、アクトスペースがあり、コンサートの行われたメインホールは壁と床に県産材のクリを使用している。ホールの壁は信州の山並みをイメージしたデザインが施され、音響も柔らかく、音がゆったりと響いてくる。
 新しいホールというのは、まだできたばかりという香りがして、とても感慨深いものがある。ただし、控室やスタッフルーム、楽屋などに通じる通路はたくさんあるため、何回も迷ってしまい、3人とも「これ、ひとりで来たら、出られなくなるねえ」などといって笑った。
 聴衆はとても熱心で、講座もかなり多くの人が残ってくれ、ひと安心。ホールはこれから秋まで、オープン記念のコンサートが次々に開催される。
 今日の写真は4枚。まず、メインホール(1階916席、2階376席 うちバルコニー席10席)から。



 次はリサイタルホール(293席)。



 ホールの1階にあるカフェ、CHOUCHOU。ランチにいただいた夏野菜カレー。野菜たっぷりのまろやかな味わいで、彩りも美しく、とてもおいしかった。





 実は、2017年秋から2018年初春にかけて6回ほど私の講座が予定されていて、そのときは、このカフェで講座の内容に合わせた「アーティストレシピ」をメニューに載せる計画がある。私のレシピをもとにシェフがお料理を作って、提供してくれるのだそうだ。
 まだ先のことなので詳細は未定だが、そんな大それたことしていいのかなと思ったり、新たな挑戦にわくわくしたり、いまはまだ複雑な心境だ(笑)。



 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:29 | - | -
たどりつく力 フジコ・ヘミング
 年末年始の休暇を返上して一気に書き上げた単行本が、今日から書店に並ぶことになった。

フジコ・ヘミング
「たどりつく力」
幻冬舎
定価(本体1100円+税)

運命の扉は
重いほど中が明るい

今、あなたに伝えたいこと

音を失ったピアニスト、
喜びと幸せの種をまく

第1章 運命の重い扉を開く
第2章 自分らしいピアノ、自分らしい生き方
第3章 魂は不滅だと音楽は教えてくれた
第4章 ピアノの奥深い楽しみ、そして魔力

 こうして出来上がって書店に並ぶと、本はひとり歩きを始める。
 いまは、プロモーション用の新聞や雑誌の記事を頼まれて書いたり、その他、本に関してのさまざまな仕事がある。
 ただし、もう本は出版されたのだから、ひと区切りだ。
 ひとりでも多くの人が読んでくれ、フジコさんの音楽を聴きたいと思ってくれたら、これに勝る喜びはない。
 今日の写真は、本の表紙。バッグに入る小さなサイズなので、持ち歩きも簡単である。でも、5万字以上はあるんですよ、ビックリでしょう(笑)。


| 終わりよければ…取材奮闘記 | 13:44 | - | -
モーリス・ブルグ&若尾圭介
 相手が複数の場合、インタビューは非常ににぎやかで楽しい雰囲気のものになるか、だれかがしゃべりすぎてバランスがとれなくなるか、みんなが遠慮してうまく話が進まなくなるか、複雑な人間模様が浮き彫りになるか、その内容はさまざまである。
 概して、私はそれぞれの人に話を均等に振っていくのだが、それが成功する場合は、非常に和気あいあいとした空気が生まれる。
 昨日は、オーボエ界の重鎮であるモーリス・ブルグと、彼を敬愛し、共演する録音を実現させたボストン交響楽団準首席奏者&ボストン・ポップス・オーケストラ首席奏者の若尾圭介のふたりにインタビューを行った。
 このインタビューは、次号の「intoxicate」に書く予定になっている。
 今回のアルバムは「オーボエの世界〜オーボエ室内楽曲集〜」(ワーナー)と題され、彼らふたりと音楽仲間による録音。レフラー、サン=サーンス、上林裕子、ブリテン、ミヨーの作品が組まれている。
 この録音に関して、選曲や録音時の様子、ふたりの出会いから交流、今後のことまで話が広がったが、なかでも興味深かったのは、若尾がフランスのブルグのもとに指導を受けにいくときの話。
 約3カ月間オーケストラの演奏から離れて休暇をパリで過ごし、ブルグのもとに13回通ったという。
 その住まいが、パリのドラクロワ美術館のすぐ近くだったそうだ。
 私はこのサン・ジェルマン・デ・プレ界隈、フュルスタンベール広場の近くに位置する小径にひっそりとたたずむドラクロワ最後の家が大好きで、パリに行くと何度も訪ねている。
 ドラクロワは最晩年の作、サン・シュルピス聖堂の壁画を描くために、この家に1857年から63年まで住み、ここで亡くなった。
 家も当時のままの空気をたたえているが、小さな中庭がとても風情があり、管理している人に頼むと、庭に出られる。
 なんと、若尾さんは、この近くに3カ月も暮らしたとは…。ブルグのレッスンもすばらしかっただろうが、このパリの家も忘れがたいだろうな。
 インタビューはいろんな方面に話が広がり、ブルグも含蓄のある興味深い話をしてくれた。
 このCDが出来上がったのは、ブルグいわく「まあ、自然ななりゆき。当然のこと」と、実に自然体の答え。
 こんな大家なのに、どんな質問に対しても、にこやかに温厚な表情で、ことばを尽くして話してくれる。
 若尾さんが、尊敬してやまないのがよくわかる。ふたりの共演は、オーボエを愛する人たちには願ってもないことだろうが、オーボエの音楽を初めて聴く人にも新鮮な驚きをもたらすのではないだろうか。
 ふたりは、呼吸法に関しても、とても印象に残ることを話してくれた。
 記事では、ぜひその奥義についても綴りたいと思う。
 今日の写真は、インタビュー後のふたりのにこやかな表情。時間が限られていたが、まだまだたくさん話したいことはあるよ、といった余韻を残す語り口となり、私も後ろ髪を引かれる思いだった。


 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:32 | - | -
ブルーローズ
 いま発売中の「家庭画報」6月号は、創刊700号記念だという話は先日書いた。
 実は、そのサントリーホールの特集記事を書くために、さまざまなな人に取材し、ホールの隅々まで見て回った。
 ふだんは正面玄関からホールに入り、客席に足を運ぶことが多く、時折、取材で楽屋を訪ねることもある。
 しかし、今回はホール内のアートもじっくり見てまわった。 
 大ホールのグラスから立ち上がるシャンパンの泡をイメージしたシャンデリア、ホワイエの階段手すりの大麦のデザイン、2階ドリンクコーナーの向かいにある「麦畑」というモザイク壁画、ホワイエの「響」をテーマとしたステンドグラス、カラヤン広場の金色のモニュメント、そして大ホールの葡萄に因んだワインレッドのモケットを使用した椅子等々。
 なかでも、いつも見逃していたのが、ブルーローズ(小ホール)の入口右上の壁面にある「ブルーローズ2007」と題された、彫刻家・須田悦弘氏製作の青いバラ。
 素材は朴(ほう)の木で、葉っぱ1枚1枚、花びら1枚1枚を彫りつなぎ合わせ、日本画で使用する岩絵の具等で彩色したものだそうで、サントリーの開発した青いバラを忠実に再現しているという。
 ホールに入るときは、上の壁面を見る機会は少ないため、これまでずっとこんなに精巧に作られた美しいバラがあるとは、気づかなかった。
 みなさん、サントリーホールにいらしたら、ぜひブルーローズ、見てくださいね。とても可憐で美しいオブジェですから。
 今日の写真は、その青いバラ。全体像とアップにしたもの。




 

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:12 | - | -
カメラータ・ド・ローザンヌ
 フランスの名手として知られるヴァイオリンのピエール・アモイヤルにインタビューしたのは、1月26日のことだった。
 そのときの様子は翌日のブログで綴ったが、彼は2002年に若く優秀な弟子をはじめとする国際色豊かな12人の弦楽器奏者とカメラータ・ド・ローザンヌを創設。
 その初レコーディングで世に送り出したのが、モーツァルトの「協奏交響曲K364&コンチェルトーネK190」と、チャイコフスキーの「弦楽セレナード&フィレンツェの想い出」の2枚のディスク。
 この両方のライナーノーツも担当したのだが、そのCDが送られてきた(ワーナー、3月23日発売)。
 インタビューの内容はもちろんライナー原稿に盛り込み、アモイヤルの雄弁な語りも随所に登場させながら、記事を仕上げた。
 アモイヤルはとても饒舌で、これまでの自身の歩みなどをことばを尽くして語ってくれたが、私はライナーを書かなくてはならないため、新譜に関しての話にもっていきたかった。
 ブログにも書いたが、これがなかなか難しく、いろんな話題に広がってしまい、新譜のモーツァルトとチャイコフスキーの話にどうしても戻ってこない。
 時間が限られているため、私は焦るばかり。
 インタビューというのは、本当に難しいものである。こちらが聞きたいことと、アーティストが話したいことがピタリとマッチするとは限らないからだ。
 それでも、なんとかカメラータ・ド・ローザンヌの初レコーディングの話へと注意を向け、話を聞くことができた。
 この2枚のCDを見ていると、そのときの冷や汗ものの時間が思い出される。
 でも、演奏はすこぶるフレッシュで、前向きな音楽に仕上がっている。
 カメラータ・ド・ローザンヌはこの夏に初来日し、7月3日から11日まで東京、藤沢、名古屋、仙台など全国6公演を行う。
 ゲストを迎えてコンチェルトを組んでいる日もあり、小品から録音で取り上げた作品まで、多彩なプログラムが用意されている。
 アモイヤルが熱弁をふるっていた、若きメンバーたちのアンサンブルの力を、ぜひナマで味わいたいと思う。
 今日の写真は、新譜のモーツァルトとチャイコフスキー。2つジャケットを並べたら、1羽の蝶になった。これは2枚そろえるべきだ、ということかな(笑)。

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:46 | - | -
堤剛
 今日は、女性誌の記念号のためにサントリーホールを訪れ、堤剛館長にいろんな話を聞いた。
 堤さんには、いつも音楽家としての話を聞いているため、今日の館長としてのインタビューは初めてということになる。
 サントリーホールができる前のことから現在にいたるまで、さまざまなことを聞くことができ、さらに今年の開館30周年の特別企画などについても話が弾んだ。
 インタビューはすぐに1時間を超え、堤さんは館長としてのみならず、チェリストとしてもさまざまな視点から雄弁に語ってくれた。
 この内容は、女性誌の情報解禁とともに詳細を紹介したいと思う。
 インタビュー後、ホールの担当者から、「伊熊さんは、あまり自分が話さず、相手から話を聞き出すんですね」といわれ、自分のモットーを理解してもらうことができて安心した。
 インタビューは、自分がしゃべりすぎてはいけないと思う。相手が気持ちよく話してくれる雰囲気を作る。これが私のモットーである。
 この後、ステージマネージャーの猪狩光弘さんにも話を聞いたが、彼に「私は、しゃべるのが苦手なんです。大丈夫でしょうか」と聞かれた。
 私の返事はこうだ。
「大丈夫です。私は口の重い人や、気難しい人ほど燃えますので。任せてください」
 猪狩さんは、ほっとしたような顔をしていた。
 いざインタビューが始まると、いやいや話が苦手どころか、すごくおもしろい話がボンボン飛び出した。私はどんどん早口で質問を重ねていく。
「こんなので大丈夫ですか。ずいぶんたくさんしゃべってしまいましたが」
 猪狩さんは苦笑しながら、まだ心配していた。
「ありがとうございました、バッチリですよ。記事は任せてください」
 こうして、今日のインタビューは終わった。
 本当に、人の話を聞く、それをまとめて記事にする、というのはたやすいことではないが、私はこれがもっとも得意だ。
 いろんな人の話を聞くと、まさにその人の人生が浮き彫りになる。それを生き生きとした文章で表現しなくてはならない。
 今日の写真は、インタビュー中の堤剛館長。彼は時間が許したら、もっと話したいことはたくさんあるという表情をしていた。私ももっとお聞きしたい。また、機会があったら、今日の続きから始めたいな(笑)。

 
 
 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:40 | - | -
セドリック・ティベルギアン
 3月4日、「音楽を語ろうよ」のコンテンツに、フランスのピアニスト、セドリック・ティベルギアンのインタビュー記事がアップされました。
 ぜひ、読んでくださいね。

 彼は、今月、アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)とのデュオ、ソロ・リサイタルが行われる予定。
 昨年9月から10月にかけての来日時にインタビューをしたのだが、このときは新しいカメラを携え、いい写真を撮ろうと必死で対応したのに、見事失敗。
 カメラの扱い方がまだ慣れていなくてうまくいかず、四苦八苦してしまった。
 それを見ていたティベルギアンは、「ちょっと貸して」といって、カメラを自分であれこれ操作していたのだが、「これ、充電が切れているよ」。
 なあんだ、私の初歩的ミスか。どうもうまくいかないと思った。
 というわけで、そこに居合わせたみんなで大笑いして、結局撮れなかった。
 ティベルギアンは、写真を撮るのが大好きで、日本のカメラにはとても興味をもっているそうだ。
 私はカメラが無理ならすぐにスマホで、と対応したのだが、そのインタビューが行われた部屋は照明が強すぎるのか、どうしてもうまく撮れない。
 こういう日は、何をやってもダメなのかもしれないと、途中であきらめた。
 でも、ティベルギアンはソファにすわったり、ピアノを弾いたり、照明の強くない場所に立ったりと、いろんなポーズを取ってくれた。
 ごめん、セドリック。みんなうまくいかなかったワ。
 インタビューではいろんな話を聞くことができたけど、写真だけは失敗。
 というわけで、「音楽を語ろうよ」の記事では、彼のアーティスト写真を掲載している。私の写したいつものインタビュー時の素顔の写真は、なしになってしまった。
 ここで、ちょっとピンの甘い写真を1枚紹介しておきます。インタビュー時のブログでも紹介したものだけど、これを見るたびに、何でも完璧に準備しておかないといけないと、気持ちを引き締めるようになるので(笑)。


 
 
 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 10:24 | - | -
アレクサンドル・タロー
 フランスの個性派ピアニスト、アレクサンドル・タローには、初来日のときからたびたびインタビューを行っている。
 最初のころは、とてもシャイで気難しく、口も重く、あまりインタビューは好きではないというタイプに見えた。
 それゆえ、話を聞き出すのに、結構苦労した思い出がある。
 ところが、あるとき、心の通い合った共演者であるチェロのジャン=ギアン・ケラスと一緒にインタビューするという機会を得た。
 すると、タローの様子が一変したのである。
 まあ、よくしゃべる、笑う、はじける。ふたりの掛け合いはまるで漫才のようで、本当に仲がいいということがリアルに伝わってきた。
 ケラスは、「私たちは、お互いに鏡を見ているような感じなんだよ。すごく似ている面が多くて、笑っちゃうくらい」といい、タローも「確かにふたりで演奏しているんだけど、ひとりで演奏しているように聴こえると思う」といった。
 このとき、タローはかろやかにバレエも披露してくれたのである。もちろん、冗談でケラスと踊っていたのだが…。
 カメラマンは大喜びで、シャッター音が鳴り響いた。
 あれから何年か経ち、タローはいまやフランスきっての個性派ピアニストとしての地位を確立。ラモーからクープラン、J.S.バッハ、スカルラッティ、ラヴェル、ドビュッシー、プーランク、サティまで幅広いレパートリーを、特有の美学に基づいた選曲、解釈、表現で演奏。録音も行い、それぞれ高い評価を得ている。
 タローの新譜は、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」(ワーナー)。これはライナーノーツも担当したため、今日のインタビューでは、あらゆる角度からこの作品に関しての質問を試みた。
 インタビューは、私のHPの「音楽を語ろうよ」に掲載する予定である。
 タローは4年間スケジュールを調整し、ようやく1年間のサバティカルを取って、「ゴルトベルク変奏曲」と向き合ったという。
「私はさまざまな土地を旅し、その土地で作品を深め、自分の感性を磨き、バッハの神髄へと近づいていったのです」
 現在のタローは、とても真摯にじっくりとことばを選びながら、かなり雄弁に話すようになった。
「ゴルトベルク変奏曲」は、終わりのない旅であり、自分自身もずっと弾いていく作品だと確信していると語った。 
 今日のインタビューで、もっとも興味深かったのは、タローのレパートリーの根幹を築くことになり、ピアニストとして大きな影響を受けたというフランスのピアニスト、マルセル・メイエ(1897〜1957)の話だ。
 彼女の録音を初めて聴いたのは20歳のときで、衝撃を受けたとのこと。以来、マルセル・メイエの録音をすべて集め、いまでもそれを糧にしているそうだ。
 この話にとても興味を惹かれた私は、あれこれ質問したのだが、タローは「じゃ、次の来日のときにまたインタビューにきてよ。そして、マルセル・メイエについて1時間ずっと話さない?」と、とてもユニークな提案をしてくれた。
 それまでに、私はマルセル・メイエに関してしっかり調べなくてはならないし、録音も探して聴き込んでおかなくては。
 インタビューでは、こういう新たな発見があるのがとてもうれしい。彼は、メイエの録音に文章を寄せているという。
 今日聞いた話は、「音楽を語ろうよ」で詳しく紹介します。お楽しみに。
 写真は、インタビュー後のタロー。彼は私が「あまり照明が強すぎて、顔に影が出ちゃってうまくいかないわ」とブツブツいっていると、「どれ、貸して」といって自撮りを始めた。
 それはちょっとピンが甘かったため、やはり私が撮影した方を掲載します。


 
 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:40 | - | -
キット・アームストロング
 昨日のキット・アームストロングのインタビューは、非常にスリリングだった。まず、待ち合わせ場所やその時間、移動中にどのくらいインタビューの時間がとれるのかなど、いろんな不確定要素を徐々にクリアし、ついに本人と一緒に大きめのタクシーに乗り合わせることができた。
 さて、インタビューが始まると、とても真摯に雄弁に一生懸命話してくれ、タクシーを降りて羽田空港に着いたら、「まだ続きを話したい」といわれた。
 というわけで、彼らのチェックイン終了後、カフェに直行。そこでまたいくつか質問をし、結局かなりの時間を過ごすことができた。
 とても内容のあるインタビューとなり、やれやれ、ホッとひと息。
 このインタビューは、ヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に2回に分けて書く予定にしている。
 ここからすぐに次のインタビューへと向かい、合間に軽くランチをし、今度はヴァイオリニストの奥村愛に話を聞いた。
 昨日は夜になって親戚の訃報が入り、それからは兄弟姉妹の間で電話が行き交い、夜遅くまで大変なことになった。
 本当にいろんなことがあった、長い一日となった。
 今日の写真は、羽田空港のカフェで撮ったキットくんの1枚。本当の天才で、その子ども時代の話は唖然とするくらい衝撃的だった。
 なんとか、その真実に迫る記事を書きたいと思う。

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:05 | - | -
東儀秀樹
 東儀秀樹には先日「TFC55」のコンベンションで会ったばかりだが、今回はUCカードの会員誌「てんとう虫」の取材のために自宅に伺った。
 実は、このインタビューは、「てんとう虫」の編集者のHさんが私のヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」の記事を読み、原稿依頼をしてくれたもの。先週の「TFC55」のMCを担当した後、彼に初めて会って打ち合わせをし、すぐにインタビュー日が決定したわけである。
 東儀秀樹には何度かいろんな媒体で話を聞いているが、最初から非常によく話してくれる。だが、何度か会ううちにより雄弁になり、今日も新譜の「hichiriki romance〜好きにならずにいられない」(ユニバーサル)から、2015年2月21日に行われる八ヶ岳高原サロンコンサートまで、一気に話が進んだ。
 インタビューというのは、ここからが勝負である。
 録音やコンサートの話題がひと区切りついたところで、私はいつもその人の舌をよりなめらかにする話題へと流れを進めていく。
 東儀秀樹の場合は、とにかく好奇心が強くて多趣味。その趣味たるやクルマやギターに凝ることから各地の民俗楽器を集めること、器用ゆえに多彩な創作物を生み出すことまで、まさに百花繚乱。
 私がちょっと興味を示すと、すぐに「そうそう、この間これ作ったんだけど」といいながら、次から次へと創作品をもってきてくれる。
 彼は自身もいうように「完璧主義者」。趣味の手仕事もハンパではない。ペットボトルで作ったクルマのミニチュアなど、まさに芸術品である。
 趣味の話が延々に続きそうだったため、ここで撮影に移り、その後ずっと続けている八ヶ岳でのリサイタルの話などを聞いて、終わりとなった。
 私も何度か八ヶ岳高原高原音楽堂にはいったことがあるが、自然に囲まれたところでゆったりと音楽を聴くと、至福の時間を過ごせる。話を聞いているうちに、心は高原の音楽堂へと飛んでしまった。
 インタビュー後、編集関係の人やカメラマンと一緒にお茶をしながらいろんな話をしたが、みんなクラシックのアーティストを取り上げることに大きな興味を示してくれた。
 カード誌は出版部数が多いから、いろんな人が読んでくれる。クラシックのアーティストを取り上げてほしいと思い、さまざまなアーティストのことを話した。
 今日の写真はインタビュー後の東儀秀樹。ダンボールで作ったギターを抱えてパチリ。このギターに色を塗ったのは、小学校2年生の息子さんだそうだ。何でも器用にこなしてしまう彼だが、「子どもの創造力の豊かさにはかなわない」と、このときばかりは脱帽という表情をしていた。


 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:29 | - | -
デニス・マツーエフ
 ソチ・オリンピックの閉会式は、ロシアの文化、芸術などが前面にフィーチャーされ、クラシックの音楽家も何人か出演していた。指揮者のワレリー・ゲルギエフ、ヴィオラのユーリ・バシュメット、そしてピアノのデニス・マツーエフ。
 マツーエフは、浅田真央がフリーで使用した、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第1楽章を演奏した。
 そこで「インタビュー・アーカイヴ」の第54回として、マツーエフを取り上げたい。これまで何度かインタビューをしているが、彼はいつもとてつもなくテンションが高く、話題があちこちに飛んでいってしまい、本題に戻ってくるまで時間がかかる。インタビューは時間が限られているため、私はかなり焦るが、それを見て、彼はもっと雑談に拍車がかかっていく。
 悪気はないのだろうが、こういうときはインタビュアーの資質が問われることになる。というわけで、私はいつもの「マシンガントーク」を発揮、早口でガンガン攻め立てる。
 最近会ったのは、2012年3月。このときの様子はブログの3月23日に書いたので、よかったらのぞいてみてくださいな。今日はその前のインタビューをご紹介したい。

[intoxicate 2006年10月]

この録音はこれまで積み上げてきたものが集約されていると思うんだ

 ロシアが生んだ逸材と称されるデニス・マツーエフは、からだはがっしりと大きく、音楽もロシアの大地を思わせるような雄大さと底なしのエネルギーをもつ。そんな彼は1998年のチャイコフスキー国際コンクール優勝以来何度か来日し、そのつど個性的な演奏を披露してきたが、録音にはなかなか踏み出さなかった。
「チャイコフスキー・コンクールの優勝者は、とてつもなくプレッシャーかかるものなんだと思い知らされた。コンクール後は世界各地を飛び回って演奏をこなし、ここ数年間はまるで“飛行機のなかで生活している”感じだった(笑)。どこにいってもコンクール優勝者の名に恥じない完璧な演奏をしなければならない。精神的に非常にきつく、どんなに練習しても満足のいく演奏ができず、もっともっと上をと自分を追いつめていく形になってしまった。こんな状態ではとても録音で自分の演奏を残すということは考えられなかった」
 実は、優勝直後に話を聞いたときは自信たっぷりで、態度も悠然としていた。「コンクールのときはちょうどワールドカップと重なり、出番がないときはテレビでサッカーを見ていたんだよ」と笑い飛ばしていたのだが…。
「本音をいうと、コンクール直後はまだその重圧を実感していなかったんだよ。数年たってじわじわと押し寄せてきたんだ。まるでマラソン選手のような生活で、ゴールを目指してひた走り、常に緊張感を強いられる。そして必ず成功するという結果を求められる。ぼくは精神的に弱いほうじゃないと思ったけど、やはり常に100パーセントの演奏ができるわけじゃないし、録音だとそれが半永久的に残ってしまう。ようやくここにきて積み上げてきたものが集約できるという確信がもてたので、長年弾いてきた《ペトルーシュカ》からの3楽章と大好きな《四季》を組み合わせる選曲をしたんだ」
 マツーエフは10歳のときにモスクワでホロヴィッツのナマ演奏を聴き、大きなショックを受けた。
「いまのぼくがあるのは、あのときにホロヴィッツを聴いたから。ピアノからあんな魔法のような音が出るなんて信じられなかった。演奏に磁石のように引き付けられ、からだが金縛りにあったようだった。その日からぼくのピアノに対する意識が変わったんだ。腕白で飛び回って腕を骨折したりしていたぼくが、ピアノからいかにすばらしい音を出すかに神経を注ぐようになった。偉大なピアニストはみな特有の音をもっているけど、ホロヴィッツは格別。その才能に感謝と尊敬の念を抱いている。まだ日本ではリリースされていないけど、《ホロヴィッツに捧ぐ》は彼の生誕100年を記念して録音したもの。ぼくもいつの日か“ああ、これがマツーエフの音だ”と思ってもらえる演奏家になりたい」
 一見するとアスリートのように見えるマツーエフ。テニス選手のマラト・サフィンとは、大の親友だそうだ。

 今日の写真はその雑誌の一部。閉会式でも、192センチ、堂々とした体躯のマツーエフは大きな舞台で思いっきりラフマニノフを弾いていた。次にインタビューの機会があったら、このときの様子を聞いてみたい。きっとまた、すっごくテンションが高い話になるんだろうな(笑)。


 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 20:43 | - | -
デヴィッド・ヘルフゴット
 昨夜の感動的な浅田真央のフリーの演技を見ていて、ふと思い出したことがある。彼女が用いた曲はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番だったが、私が思い出したのはラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を弾いて話題となった、オーストラリアのピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットのことである。
 映画「シャイン」のモデルとして一躍広く知られるようになったヘルフゴットは、1997年11月に来日公演を行うことになっていた。その半年前の4月、ニューヨークに出かけてコンサートを聴き、その後にインタビューを行ったのである。
 ただし、彼の場合、通常のインタビューはできない。ことばを選んでごく短い質問をし、断片的な答えが戻ってくるのを受け、さらに話を続ける。とても神経を遣うインタビューで、まわりも全員がハラハラドキドキしていた。
 しかしながら、実際に会って話をしてみると、ヘルフゴットはとても純粋な性格で、繊細な目をした人だった。
 インタビュー・アーカイヴ第54回は、そんなヘルフゴットの登場だ。

[FIGARO japon 1997年7月20日号]

どこまでも無垢な情熱を、子どものように抱きしめて。

「ピアノは私の情熱であり、創造のシンボルなんだよ。いま、またこうして演奏できるようになって、とても幸せ。幸せだよ」
 映画「シャイン」でジェフリー・ラッシュが演じたそのままの口調で、ヘルフゴットは語り始めた。ときは4月23日、場所はニューヨーク。この日は3月から続いていた北米ツアーの最終日にあたり、ヘルフゴットはリスト、ベートーヴェンなどを驚異的な集中力をもって演奏し、聴衆を総立ちへと導いた。
「リストが好きなんだ。もちろんラフマニノフも大好きだよ。ピアノ協奏曲第3番は子どものころから弾いているし、いまでも私の一番のお気に入りなんだ」

「涙してもらう演奏がしたい」 

 ヘルフゴットのピアノはけっして完璧な技巧に裏付けられたものではないし、安心して聴いていられるという種類の演奏でもない。どこか混沌として、ときに和音が4こぼれそうになり、いつ止まってしまうかわからないような危機感に満ちている。しかし、彼の音楽に対する一途な気持ちがそのピアノからストレートに伝わってきて、聴き進むうちに感動で胸がいっぱいになってしまう。
 演奏終了後のパーティでは、ピアノを見つけ、ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」を楽しそうに弾き始めた。
 周囲の人が疲れているだろう、喉が渇いているだろうと気を遣って楽器から離そうとしても、聴いている人がいる限り離れようとしない。
「ふだんはいっぱい、いっぱい練習するよ。5時間も6時間も。庭を散歩したりプールに入ったり、そう、猫と遊んだりして過ごすんだ」
 彼は常にモノローグをいい、同じことばを繰り返し、ステージでもうなり声を発しながら演奏する。そして友好的な人を見つけると子どものようにしがみついてきて、キスの雨を降らせる。
 その目は伏目がちで声はか細く、からだを常にゆらゆらと動かしていて落ち着かない。
 だが、ピアノに向かうと表情が一変する。ピアノだったら自分の心を正直に表現できるとばかりに、雄弁に楽器を鳴らす。打鍵もかなり強い。
「聴衆に私と同じように音楽を感じてほしいんだ。同じように。聴衆に涙してもらうような演奏がしたい。涙さ」
 ヘルフゴットは金銭や名声などにいっさい興味がないという純粋な目をしている。だから聴き手も無垢な心をもたないと、彼の音楽の神髄が聴き取れない。

 今日の写真はその雑誌の一部。いまでも、ヘルフゴットのことを思い出すと、私の脳裏にはラフマニノフのピアノ協奏曲第3番が浮かんでくる。

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:18 | - | -
クリスティアン・ゲルハーヘル インタビュー
 インタビューというのは、聞き手が思っているような答えがアーティストからなかなか引き出せない場合、瞬時に次なる手を打たなくてはならない。
 今日は、待望のクリスティアン・ゲルハーヘルのインタビューが可能になったため、頭のなかは聞きたいことであふれていた。
 実は、2011年の来日の際、インタビューを申し込んでいたのだが、あのときはマーラーの歌曲をうたったため、「本人がとてもナーバスになっているから、インタビューには応じられない」と、担当者から断りの返事がきた。
 まず、そのことを話し、今回は話を聞くことができてよかったというと、本当にすまなそうな顔をして「申し訳ない。ずっと待っていてくれたんですね。ありがとう」と、誠意あることばが戻ってきた。
 ゲルハーヘルは、どんな質問にもことばを尽くしてじっくりと話してくれるのだが、その内容はすこぶる真面目。自分の個性を前面に出さずに、あくまでも作品に寄り添うことが大切で、作曲家に敬意を表すことがいい歌をうたうことにつながる、という話を延々とする。
 こういう話は、もちろんとても重要な意味合いをもつのだが、原稿に書くと、あまりおもしろい記事にはならない。だからといって、その話を夢中でしている最中に話題を変えることはできない。
 当然のことながら、私は内心焦り、もっとおもしろい話題、ゲルハーヘル自身の個性が感じられる話題へと移れるよう、質問をあれこれ変えていく。
 だが、本人は大真面目ゆえ、「あっ、さっきちょっといい忘れたんだけど」といって、また元の話題に戻ってしまう。
 新譜のマーラーの歌曲の録音に関しても、今回の公演プログラムであるシューマンの歌曲についても、同様の真摯な答えが戻ってくる。
 それはそれで、私はとても興味があるけど、いざ記事にした場合、なかなか苦しいものがある。本人の本音が見えてこないからだ。
 そこで、一気に方向転換して、変声期後のことや子ども時代のことへと飛躍させてみた。
 すると、最初はヴァイオリンやヴィオラを弾いていたけど、ものすごく下手だったこと、友だちに「女の子がいっぱいいるから」と誘われて合唱団に入ったこと、J.S.バッハの音楽は大好きだったけど、オペラは大嫌いだったこと、両親が毎日曜日ラジオでバッハの「カンタータ」を聴いていたため逃げ出したことなど、いろんな面白い話が飛び出してきた。
 こうなると、しめたもの。インタビューはスムーズに進む。私がバリトンが好きだと話すと、奥さまも同様で、「私がテノールだったら、結婚してくれなかったかも」といって、このときばかりはにこやかな笑顔を見せた。
 このインタビューは、次号の「婦人公論」と、ヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」で何度か連載したいと思っている。
 ゲルハーヘルは、今シーズンのベルリン・フィルのアーティスト・イン・レジデンスを務めることになっているが、これは大きなプロジェクトが8つ予定され、ソロのみならず室内楽も組まれているそうだ。
 彼の話し方はとても知的でていねいで、ときおりものすごくナイーブな目をする。傷つきやすく繊細で、本来は内向的な性格のようだ。
 あのステージでの力強く柔軟性に富んだ、分厚い胸からほとばしるような強靭な歌声とは異なる素顔に、新たな驚きを覚えた。
 でも、握手は目いっぱい力強く、「イタタッ」と思うほど強い握り方だった。
 明日はまた、シューマンを聴きに出かける。あくまでも作品に忠実に、と話していたゲルハーヘルの歌声をまたからだ全体で受け止めたい。
 今日の写真はインタビュー前に撮った1枚。見せたら、「オー・マイ・ゴッド!」といっていた。でも、撮り直しして、といわれなかったから、載せちゃおうっと(笑)。

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 20:31 | - | -
ダニエル・バレンボイム
 10月初旬、「家庭画報」の新年号でダニエル・バレンボイムにインタビューするため、ウィーンからベルリンに移動した。
 マエストロはベルリン国立歌劇場のベルクの歌劇「ヴォツェック」の本番の日で、その前の時間にインタビューに応じてくれた。
 これはウィーン・フィルの特集号のため、2014年1月1日のニューイヤー・コンサートの指揮を担当することについて話を聞いたのだが、短時間で効率よく話を進めてくれた。
 バレンボイムは2009年に初めてウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの指揮台に立っている。このときは「平和」をテーマに掲げ、選曲もそれに即したもので、アンコールの前には結構長いメッセージを伝えたが、今回も「世界の平和」をテーマにしたいと語った。
 とりわけ、第一次世界大戦に対して熱く話してくれた。2014年は開戦100年にあたることから、これを記念して平和にまつわる曲を入れたいと考えているという。プログラムに関しては、この時点ではまだすべて決まっているわけではなく、これからウィーン・フィルとの話し合いで詳細を詰めるといい、平和に関するもので組み立てるといっていた。
 バレンボイムは忌憚のない意見をオーケストラにぶつけることで知られ、常に率直な語りで知られる。
 それゆえ、オペラの本番前のあわただしい時間のインタビューでは、はたしてうまくいくのだろうかと心配したが、最初からインタビューはスムーズに進み、最後はジョークまで飛び出し、非常に有意義な時間を過ごすことができた。
 彼はいわゆるコワモテで、近寄りがたい雰囲気をもっている。インタビューの前にほんの短い時間を写真撮影にあてたのだが、ここでもニコリともしない。
「う〜ん、これは手ごわいなあ」
 しかし、そう感じたのも一瞬だけ。インタビューが始まるとガンガン早口で話し出した。
 実は、かなり前のことになるが、私はバレンボイムの父親に教育に関してインタビューをしたことがある。その話をすると、急にマエストロの表情がなごんだ。
「もう父が亡くなってからかなり年月が経ちますが、いまはいい思い出だけが残っています」
 こういって、一瞬遠くを見るような目をした。
 父親は、いつもバレンボイムに「音楽をよく考えなさい」といっていたという。そのことばをいまでも大切にしているそうだ。
 ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートに関する話は、「家庭画報」の記事に詳細を書いたが、その後このライヴCD(ソニー)のライナーノーツにも原稿を寄せた。
 2014年1月22日に、このCDはリリースされる予定である。
 今日の写真はインタビュー終了後のマエストロの表情。やっぱりちょっと怖い(?)。
 もっとも驚いたのは、このインタビュー後、指揮者室から出て階段を下りていったら、指揮者のマリス・ヤンソンスがバレンボイムに会うために階段を上ってきたことだ。本番前にいろんなことをこなすなんて、本当にバレンボイムはすごい。どうやってオペラの指揮に集中するのだろう。 
 1月1日のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのライヴはテレビ中継される。どんな内容のメッセージが音楽に託されるか、楽しみだ。

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 21:57 | - | -
ウラディーミル・アシュケナージ
 マエストロ・アシュケナージに会うのは、本当に久しぶり。
 今日は「レコード芸術」の仕事で、アシュケナージにインタビューするため、赤坂に出かけた。
 アシュケナージは私の顔を見るなり、「いやあ、久しぶりだねえ。元気かい?」と笑顔で聞き、しばし雑談となった。
 つい先ごろリリースされた新譜は、「ラフマニノフ:悲しみの三重奏曲第1番・第2番、ヴォカリーズ、夢」(ユニバーサル)で、長年の友人だというヴァイオリンのツォルト=ティハメール・ヴィゾンタイ、チェロのマッツ・リドストレームとの共演。その録音を中心に話を聞いた。
 アシュケナージがラフマニノフのこれらの三重奏曲を録音するのは、実は初めてのことで、レコード会社のプロデューサーからオファーされたそうだ。
「でも、3人のスケジュールがなかなか合わず、録音までに2年以上もかかったんだよ」
 ただし、録音会場に集まったのは1日半前で、すぐにリハーサルを行い、本番となったそうだ。その素早さに驚いた表情をすると、「だって、私たちはプロなんだよ。驚くことはないさ。準備はできているから」とさらり。
 アシュケナージは、いつも録音のときに1回通すか、もう一度念のために弾き直すか、とにかく録音の速いことで知られる。それにしても、友人同士とはいえ、アンサンブルの録音でこの速さとは、本当に驚きだ。
 そんなプロフェッショナルの3人によるラフマニノフは、まさに作曲家の魂に寄り添う演奏。深い哀愁と濃密なアンサンブルが印象的で、作品に込めたラフマニノフの心情が色濃く描かれている。
 今日は久しぶりに会ったからか、いろんな方向に話題が飛んでいき、ラフマニノフの話からリヒテル、ソフロニツキー、クライバーン、辻井伸行へと話が進み、いつになく雄弁に語ってくれた。
 次なるレコーディングはスクリャービンを考えているそうだ、モスクワにあるスクリャービン博物館の話も登場した。
「スクリャービンが好きなら、ここはぜひいってみるといいよ」といっていた。
 アシュケナージは2014年3月、息子であるピアニストのヴォフカとピアノ・デュオで来日し、全国11公演が予定されている。
 プログラムはストラヴィンスキーの「春の祭典」他。親子ならではの息の合ったデュオが堪能できそうだ。
「ウチは私も妻もピアニスト、家系を見てもピアニストばかり。でも、ヴォフカは本当にいいピアニストなんだよ」
 最後は父親の顔がのぞいた。
 今日はブログ用に写真を撮ろうとしたら、絶対に私とツーショットでないと嫌だといわれ、やむなく一緒に撮ったが、アップするのは彼の分だけ。というわけで、細長くなっています(笑)。
「本当にきてくれてありがとう。また会おうね」といわれたが、なんとも不思議。以前はブラックジョークやシニカルなことばが多く、インタビューの答えにならないことばかりで困り果てたものだが、どうして今日はこんなににこやかなんだろうと首をかしげてしまった。
 でも、最終的に仕事がうまくいったのだから、深く考えるのはやめようっと(笑)。写真にも、感じのよさが出ているでしょ。

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:25 | - | -
ヴェローナから戻りました
 今日の午前着の便で、ヴェローナから帰国。現地滞在2日という強行スケジュールの取材がすべて終了した。
 いやあ、さすがに疲労困憊ですわ。まいりました。
 ヴェローナも日中は37度くらいで、湿度は少ないため汗をかくという感じではなく、5分も歩くとからだ中の水分が一気に奪われていくといった感じかな。とにかく、取材陣はみんな水分補給が大変だった。
 でも、収穫はとてつもなく大きいものがあった。
 写真もたくさん撮ってきたので、徐々に紹介していきま〜す。
 なにはともあれ、8月10日の「アイーダ」が最高だった。この日は、アレーナ・ディ・ヴェローナ音楽祭が始まってちょうど100周年にあたる日。しかも同じ演目。朝からアレーナのまわりでは、当日券を求める人の長蛇の列ができ、夜9時に開演したら、石段の一番上のほうまでびっしり満員。しかも通路まで人で埋まっている。
 日本では消防法で規制され、絶対にこういうことは許されないけど、せっかく各地から聴きにやってきたお客さんだからというので、全員入れてしまったのだろう。
 今日の写真は「アイーダ」の始まる前のアレーナの様子と、最後のシーンのステージ。いやあ、感動ものでした。音楽的な記事は明日ゆっくり書きますね。
 まずは、ただいま!!

 

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:12 | - | -
牛田智大の新譜と単行本の発売
 4月の牛田月間の真っただ中のときは、とにかくいま目の前に山積みになっている仕事を片付けなくては、という切羽詰まった気持ちだった。
 ようやく6月に入り、まず「家庭画報」の牛田くんの特集ページが掲載された号が出版され、ここにきてユニバーサルから新譜「献呈〜リスト&ショパン名曲集」、扶桑社から「リトル・ピアニスト 牛田智大」が送られてきて、ひとつの区切りがついた感じだ。
 新譜と単行本は6月19日の同時発売で、こうして並べてみると、ねじり鉢巻きでガーッと追い込んでいたのが嘘のように思える。
 新譜は、ゆっくり聴いてみると、やはりこの1年余りの成長の成果が著しく感じられ、感慨深い。
 本のほうは、じっくりと通して読んでみた。以前も書いたが、やはりああすればよかった、こうすればよかったと足りないところがたくさん出てきてしまう。
 よく、アーティストが録音が終わったら、どうしても納得できなかったり、反省する面や完璧にいかなかったところが出てくるので、2度と自分の録音は聴かないという話をするが、私も同じような気持ちを抱く。
 今回の本は、一応ロングインタビューという形をとっているため、牛田くんの発言をできる限り多く盛り込んだ。
 インタビューは、生き物である。その場、そのときの空気で内容がいかようにも変わる。それをあとで組み立てていくわけだが、あくまでも読者にわかりやすいように、流れを工夫しなければならない。
 ここが一番のポイントである。
 さて、発売後には、どんな意見が聞かれるだろうか。楽しみでもあり、怖くもあり…。
 今日の写真は、CDのジャケット写真と本の表紙。単行本にはウィーンで撮影した写真がたくさん掲載され、華やかで楽しい雰囲気となっている。牛田智大の音楽にように…。







 

 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:23 | - | -
家庭画報
 牛田智大の特集記事を書いた、「家庭画報」7月号が出版された。
 牛田くんのページはカラー8ページ。これを書いている間、彼の単行本と新譜のライナーノーツが重なっていたが、こうして無事に雑誌ができあがると、うれしい気持ちと安堵する思いが混然一体となって押し寄せてくる。
 思えば、牛田くんの取材はいつもある種の試行錯誤の繰り返しだった。なんといっても、まだ若いアーティストゆえ、語彙に限りがある。私が変に作り込んでしまっては興醒めとなり、伝えたいことがストレートに伝わらなくなってしまう。
 かといって、彼のことばだけでは、全体量が不足してしまう。
 この1年余り、牛田くんのことをいかにしたら読者にうまく伝えることができるか、そればかり考えてきた。
 取材やインタビューというのは、ときとして非常に難しいことがある。ありのままを書きたいと思っても、それだけではアーティストの真意が伝わらなくなったり、内容的に希薄になったりしてしまうからだ。
 原稿を書いているときに、その難題と常に戦ってきた。
 今後の、私の大きな課題のひとつである。
「家庭画報」7月号では、付録の「夏に聴きたい名曲クラシックCD」の解説も担当した。
 これは切り取って空いているCDケースに入れると、ふつうのCDのような形になるというもので、早速切り取って作ってみた。
 さて、ひとつの仕事が終わり、次なることへと気持を切り替えなくてはならない。また一からスタートだ。
 今日の写真は「家庭画報」の表紙とCD。牛田くんの記事や付録のCDで、ひとりでも多くのクラシック・ファンが生まれることを願って…。





| 終わりよければ…取材奮闘記 | 20:49 | - | -
カティア・ブニアティシヴィリ
 昨年11月にインタビューしたグルジアの若手ピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリの記事が「レコード芸術」誌に掲載された。
 今回は、表紙もカティアで、インタビュー記事は5ページに渡る巻頭を飾っている。これだけページ数があると、文字数も多く、取材した内容を存分に書くことができる。
 インタビューというのは、ほとんどの雑誌が取材時に掲載ページや文字数などが決まっていない。締め切りが近くなってようやく判明するため、インタビューのときはあらゆる角度からの質問を心がけ、できる限り多くの内容を聞くことになる。
 私は早口のため、インタビューでもれいの「マシンガントーク」が炸裂してしまう。
 しかし、締め切りが決まった時点で800字といわれると、「ああ、あんなにたくさんのことを聞いたのに、ほとんど書くことができないな」と、とても残念な思いを抱く。
 今回のカティアの記事はいろんなことを書くことができたため、彼女のことをより詳しく知ってもらうことができそうだ。
 でも、このインタビューは、当初できないかもしれないといわれ、しかも時間が押していて、結構ひやひやさせられた。最終的には、とてもフレンドリーな雰囲気で話を聞くことができたが、彼女はちょっと天然っぽくて、自分でも「私、時間にルーズなの。気まぐれだし」といっていた。
 だが、演奏は本物中の本物。そのピアノは、情感豊かで官能的で、詩的でエレガント。男性ファンも多く、彼女の弾くショパンは、男性の心をも引き付けるようだ。なんといっても、クレーメルに認められたのだから。そのいきさつは、しっかり紹介していますよ。
 今日の写真はその雑誌の一部。こうして見ると、やっぱりとびっきりの美女だよねえ。男性ファンの心をとりこにするのもわかるワー。女の私でも、ほれぼれしてしまうもの(笑)。


 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 20:17 | - | -
丸の内アート×ミュージックセミナー
 今日は、東京国際フォーラムのホールD7で開催された「丸の内アート×ミュージックセミナー〜近代フランスの音楽と美術」というイベントに出演し、三菱一号館美術館の高橋明也館長と公開対談を行った。
 これは美術と音楽とのコラボレーションで、現在開催されている三菱一号館美術館の「奇跡のクラーク・コレクション」展と「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2013」の見どころ聴きどころを紹介するというもの。
 こうした試みは初めてのことで、「ラ・フォル・ジュルネ」のクラシックアンバサダーとして第1回の音楽の担当を任された私は、責任重大。ただし、打ち合わせのときに、「好きな音楽を自由に選んでください」といわれたため、本当に自分が好きな音楽、みんなに聴いてほしい音楽をセレクトした。
 事前にどんなことを話すか、どんなCDやDVDを流すか、いろいろ考えてコンテを作り、時間内に終わるよう組み立てを行った。
 だが、今日の最終的な打ち合わせもまた、「基本は押さえて、あとは自由におふたりで対談してください」といわれ、高橋館長と簡単な進行を確認して、いざ本番という形になった。
 19時開演で20時半までの予定だったが、少しだけオーバーしてしまった。私のテーブルの上には時計が置かれ、それを横目で見ながら高橋館長のお話に耳を傾け、自分も話し、どこでCDをかけるかタイミングを図り、話が途切れないように工夫し、しかも美術と音楽の連動を気にしていなければならない。
 すべて終わったときには、安堵感よりもどっと疲労感が押し寄せてきた。
 でも、今日はPHPの担当者のYさんが私の単行本の販売をしてくれたため、そのサイン会もあった。
 ひとりひとりと話し、サインをし、お礼を述べたが、「握手してください」とか「一緒に写真撮っていいですか」といわれ、ちょっとびっくり。
 それでも、みんな「とてもわかりやすくて楽しかった」「ラ・フォル・ジュルネがすごく楽しみになった」「もっと音楽とお話を聞きたかった」といってくれ、それがとても励みになった。
 今日セミナーに参加してくれたみなさま、本当にありがとうございました。
 また、「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2013」の初日、5月3日の14時半からホールD1で「フランス音楽とスペイン音楽の楽しみ」(ホールと時間とタイトルはまだ仮)という講演を行う予定が入っているので、ぜひ興味のあるかたはのぞいてくださいな。有料チケットの半券を1枚でももっていれば、入れます。
 さて、大きな仕事がひとつ終わった。今日はのんびりワインでも飲もうかな。やっぱりフランスワインに限るよね(笑)。
 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:56 | - | -
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2013 記者発表
 今日は、「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2013」の記者発表会に参加するべく、東京国際フォーラムのB5のホールにいった。
 関係者や担当のかたから資料を受け取り、さまざまな人とあいさつを交わしたり、名刺交換をする。
 あらかじめ決められた一番前の席にすわり、スピーチの出番を待つ。
 今年は5月3日から5日まで開催で、テーマは「パリ、至福の時」。無料コンサートを含め150公演が予定され、有料公演は135公演。海外からは500人のアーティストが来日し、国内のアーティストも300人参加する。
 なお、チケット一般発売は3月16日に決まった。
 こうした概要や基本方針、スケジュールなどが次々に発表され、ようやく自分の出番がきたときは、すでにアーティスティック・ディレクターやプロデューサーがナントでの様子やこれからの東京での公演などについて多くのことを語ったあとだったため、そこでは話されなかったことを選び、即興で約7分間のスピーチを行った。
 だが、結構時間が押していて、巻きが入っている感じだったため、早口でガンガンしゃべりまくった。
 ナントでのコンサートの様子、アーティストのインタビューの抜粋、パリでの取材の内容、東京公演への期待など、いつもの早口に拍車がかかる。
 会見がすべて終了した後、みんなから「熱いスピーチだったねえ」「すっごくメリハリがあって、よかったよ」「まるで自分もナントにいっているみたいだった」「早く音楽が聴きたくなった」などとおほめのことばをいただき、お世辞だとはわかっていても、うれしい限り。それぞれの人にていねいにお礼をいい、いろんな人と歓談した。
 実は、会見後に「読売新聞」の撮影があったため、それを行ったが、カメラマンがものすごくエネルギッシュな人で、びっくり。
「ポスターの前に立ってください」
「はい、左向いて、もう一度右向いて」
「記者に向かって話している感じを撮りたいから、ずっと話していてください」
「手振り見まねがほしいから、もっと両手を動かして」
 みんなが見ている前でいろんなポーズをとるはめになり、いやあ、まいりました。
 その後もいろんな人と話をし、無事に会見は終了した。
 今後もアンバサダーとして、ラジオ出演や雑誌の取材などが入り、美術館の館長との対談なども計画されている。
 しばらくは「ラ・フォル・ジュルネ」一色になりそうだ。
 私はいったい、いつ「アーティストレシピ」の本の原稿を書けばいいのだろうか。ムムム、悩み多き…。
 今日の写真は、会見終了後アーティスティック・ディレクターのルネ・マルタン氏のかこみ取材の様子。
 マルタン氏は常に疲れ知らず。あやかりたいものだ。私は短期集中型ゆえ、集中力が途切れるとへとへとになってしまう、いかんなあ(笑)。


 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:30 | - | -
ニコライ・ホジャイノフ 
 クラシックのアーティストは、概して「音楽は演奏するもので、話すものではない」という考えの人が多い。
 それでは私の仕事は成り立たないため、嫌がる(?)相手に無理やり話を聞くことになる。これが実に大変。
 相手をリスペクトしながら、気分を害されることなく、しかも内容のあることを話してもらえるよう、最大限の努力をするわけだ。
 インタビューの時間は限られているため、その時間内で質問したいことを効率よく聞き、記事を書く媒体に合う内容を聞き出すよう力を尽くす。
 先日も書いたが、今日はニコライ・ホジャイノフのインタビューに再度出かけた。ヤマハのWEB「ピアニストラウンジ」のインタビューである。
 前回聞いたことと重複しないよう話題を変え、さらに今日はメディア用のコンベンションとCDを購入してくれた人たちに向けてのコンベンションとふたつの間に挟まれた時間枠だったため、ホジャイノフが疲れないよう気を遣って短めに切り上げた。
 でも、話を聞く回数が増えてきたためか、徐々に内容も深いものになってきた。こうなると、流れがスムーズになる。
 実は、来年7月19日(金)に日本でのリサイタルが決まった(浜離宮朝日ホール、19時開演)。来春にはニューヨークのカーネギーホールにもデビューする。
 いよいよ世界各地での演奏会が本格始動しそうだ。
 今日のコンベンションはインタビュー後の19時から。30分間CDに収録された作品を何曲か演奏し、その後トークとなった。
 事前に短い打ち合わせをし、「シューベルトに関してだけ、質問を振るから答えてね」と話しておき、時間があったためリストに関しても少しだけ話してもらった。
 彼は「音楽は話すものではない」という考えの持ち主だが、いったん作品論を話し出すと、次々にいろんな話題が出てきて、話が尽きなくなることがある。古代ローマの詩人の詩の一節が飛び出したり、ロシアの格言が出てきたり、哲学的な内容に進んでいくこともある。
 まだ20歳なのに、その知識の豊富なこと。日本人が知らないような文学や詩の断片が顔を出すため、そのたびに原題や内容を書きとめることになる。
 それらすべてがホジャイノフの演奏に反映し、洞察力に富むピアニズムを形成していく。
 ショパン・コンクールから2年。あのときワルシャワのフィルハーモニーホールで聴いたみずみずしい演奏はいまだ忘れられないが、現在は味わいの深さが増し、説得力に満ちた演奏に変貌を遂げた。
 これからまだまだ大きなコンクールを制覇すると明言しているから、目が離せない。今度会うときは、よりステップアップした自信に満ちあふれたホジャイノフに変容しているに違いない。楽しみだなあ。
 今日の写真はヤマハのピアノを弾くホジャイノフ。撮影の間中、ガーシュウィンの「ポーギーとベス」より「It ain't necessarily so」を弾いていたが、この曲をコンベンションではアンコールに弾いた。撮影のときには、ちょっと練習していたのね(笑)。




| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:11 | - | -
ルドルフ・ブッフビンダー 
 今日は、すみだトリフォニーホールにルドルフ・ブッフビンダーのインタビューに行った。
 これまでブッフビンダーについて書かれた記事を読むと、通常の作品論や録音について、自身の演奏についてはあまり語らないタイプだということがわかった。
 だが、演奏と同様、非常に誠実で思ったことは率直に話す性格だとそれらの記事は伝えている。
 ブッフビンダーのCDの解説を書いているドイツを代表する音楽評論家のひとり、ヨアヒム・カイザーは、彼を「わが友、ルディ」と呼んでいる。そこで私は敬意と親しみを込めて、「ルディさま」と心のなかで呼ぶことに決めた。
 さて、インタビューが始まった。ルディさまは、おだやかな笑みを浮かべながら、ひとつひとつの質問に丁寧に応えてくれる。しかし、やはり「演奏するときの感情、表現、自身の作品に対する思い」などはさらりとかわしていく。
「曲に関しては、もうあらゆるところでさまざまな記事が紹介されているでしょう。いまさら私が説明しなくても、みなさんよくご存じだから」 
 だが、それを聞くのが私の仕事である。あらゆる角度からいろいろ試してみたが、「私はピアニストだから、ピアノを弾くだけ」とあっさり。
 ここで負けていたら、文章が書けないもんね。と、ねばっていたら、楽譜の出版社がオリジナルと異なった音符や表記を平気で行っていることに対し、ずっと戦っているんだという話題になり、にわかに口がなめらかに。
 ルディさまは、私がその話題の質問を掘り下げていったら、楽屋のピアノの前に進み、「ほら、いま話したベートーヴェンのソナタのまちがいはここだよ」と演奏を始めた。
「ベートーヴェンはここの3つの音符にf、f、そして最後は何も記していない。ところが、楽譜出版社は3つともfと堂々と印刷している。なんと腹立たしいことか。大きなまちがいだ。それを私が何度も指摘しているのに、一向に直そうとしない。原典を見ていないんだよ。自分たちが正しいと勘違いしている」
 ルディさまは、それまでのやさしい表情と打って変わって怒りを露わにした。
「私はひとつの作品を演奏するときに8から10の楽譜を研究することにしている。それでも足りないくらいだ。ベートーヴェンをはじめとする作曲家に敬意を表し、作曲家の意図したことに近づくためには、こうしたまちがいを正す必要がある。これは一生、戦っていかなくてはならないことなんだ」
 このインタビューは新聞、雑誌、WEBなど、さまざまなところで紹介したいと思っている。彼は真摯で実直で偉大なピアニストだから、ぜひもっと多くの人に知ってもらいたい。欧米にくらべ日本では、まだ知名度があまりにも低いと思うので。
 短時間のインタビューで、最初はどうしたら内容のあることを聞くことができるかと内心心配したが、ピアノも弾いてくれ、ジョークをはさみながらいろんなことを話してくれた。
 明日はブラームスのピアノ協奏曲第1番と第2番を聴きにいく予定。そして来年は、ウィーン・フィルとベートーヴェンのピアノ協奏曲の弾き振りで来日するそうだ。うーん、待ち遠しい。
 今日の写真はインタビュー後のルディさま。リラックスしたいい雰囲気でしょ。最初に撮ったら、こうはいかなかった(笑)。 

 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:31 | - | -
トーマス・ヘンゲルブロック
 今日はトーマス・ヘンゲルブロック・デーとなった。
 11時に彼の宿泊先のホテルでインタビューを行い、19時にサントリーホールでコンサートを聴いた。
 ヘンゲルブロックは1958年ドイツのヴィルヘルムスハーフェン生まれ。最初はヴァイオリニストとしてキャリアをスタートさせ、アーノンクール率いるウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのメンバーとしても活躍。その後、自身の理想とする音楽の実現のためにバルタザール=ノイマン合唱団とアンサンブルを設立し、指揮者を務める。
 オペラ指揮者としても活動し、各地のオペラハウスに定期的に招かれている。
 そしてバロック・オーケストラの指揮者として確固たる地位を築いていたが、2011/12年シーズンからハンブルク北ドイツ放送交響楽団の新しい首席指揮者に就任。古楽器の専門家だと思われていたため、この人事はドイツ中を驚かせ、世界のオーケストラ・ファンの注目も集めた。
 そんなヘンゲルブロックのうわさはだいぶ前から聞いていたが、つい先ごろ同オーケストラとの新譜、メンデルスゾーンの交響曲第1番、同八重奏曲〜スケルツォ、シューマンの交響曲第4番がリリースされ、そのみずみずしい音楽性に触れ、ぜひインタビューをしたいと思った。
 ようやくその願いが実現し、今日はごく短時間だったが、ヘンゲルブロックに話を聞くことができた。
 190センチはあろうかという長身で、非常ににこやか。どんな質問にも一生懸命ことばを尽くして答えてくれ、ユーモアも交える。彼自身が「私は小細工をするタイプではなく、自然体でオープンで率直」といっている通り、話はとてもストレートでわかりやすく、気取りがない。
 このオーケストラとは出会ったときから相性がすこぶるよく、いわゆるいい化学反応が生まれると直感したそうだ。
 このインタビューは来週木曜日アップのヤマハWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」と、7月6日発売の「婦人公論」に書く予定である。
 今夜はまさにそのすばらしい化学反応が発揮され、久しぶりに心が高揚するコンサートとなった。まず、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」序曲がみずみずしいテンポと浮き立つ音楽で奏でられ、次いでクリスティアン・テツラフのソロでメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が演奏された。
 テツラフは昨年トッパンホールですばらしい無伴奏のリサイタルを聴かせてくれたが、今日も聴き慣れたコンチェルトに新たな光をあてるような新鮮な演奏を披露した。 
 後半はブラームスの交響曲第1番。一瞬たりとも耳と目が離せない緊迫感と集中力に富んだ演奏で、ヘンゲルブロックが語っていた「長い伝統を備えたオーケストラに新風を吹き込む」様子が明確に伝わってきた。
 彼は来週にはもう次なるレコーディングが待っていて、ドヴォルザークの作品を録音するといっていたが、今日のアンコールはドヴォルザークの「チェコ組曲」より「フィナーレ」だった。まるで踊るように指揮するヘンゲルブロックを見ていたら、次なる録音への期待が高まった。
 彼の趣味はヨットでセーリングすることだそうだが、「残念ながら、いまは時間がなくてね」と本当に残念そうな顔をしていた。
 演奏も性格も両方すばらしい。早速、アーティストレシピに加えちゃおうかな(笑)。
 今日の写真はインタビュー時のマエストロ。午前中の日差しがさんさんと降り注ぐ窓際で撮ったのに、またもや携帯のカメラがイマイチ。ボケボケで残念…。というわけで、ジャケット写真を入れてみた。とっても笑顔が魅力的なので、こちらでそれを味わってくださいな。



| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:47 | - | -
ウィーン少年合唱団
 昨日はウィーン少年合唱団のインタビューにいった。
 ただし、事前に提示されていた時間は30分。メンバーが3人と指揮者と芸術監督がインタビューに応じてくれるという。
 さて、この短い時間帯でどんな内容のインタビューが可能なのか。「音楽の友」の編集長とさっと打ち合わせ、できる限り多くのことを聞き出すということで話がまとまった。
 今回参加してくれたのは、キャスパー(13歳、アルト)、パウル(13歳、アルト)、マクシミリアン(11歳、ソプラノ)のメンバー3人と、指揮者のオリヴァー・シュテッヒ、芸術監督のゲラルト・ヴィルト。
 ひとつの質問を共通して3人に聞く場合と、質問の内容を少しずつ変えて各々の話を引き出すこと、その間に指揮者や芸術監督にも質問を向けた。
 大人が話していると、少年たちは退屈そうな表情をするため、短い時間内で彼らを飽きさせないようにしなければならない。
 指揮者のシュテッヒが、毎日の授業に変化をつけて少年たちが飽きないように最大限の工夫を凝らしているといっていたが、インタビューでもこの点がもっとも難しい。
 しかし、幸い少し時間がオーバーしても大丈夫ということになり、結構幅広い話を聞くことができた。
 そして夜までには原稿を書き上げ、入稿した途端、一気に疲れが吹き出してきた。
 ふだんのインタビューとは異なり、すごく集中して神経を使ったからだろう。
 やれやれ、ゴールデンウィークは心身ともに休まりませんな(笑)。
今日の写真は一生懸命楽しそうに話してくれた、マクシミリアン、キャスパー、パウル(左から)。
 もう1枚は芸術監督(左)と指揮者(右)とのショット。
 これから7月8日まで全国で34公演が行われる。3人は日本に関して両親や先輩たちからいろいろ聞いていて、「日本は最高にクールな国だと思う」「ジェットコースターに乗りたい」「食事がとてもおいしいと聞いている」「町が近代的でメカが発達している」「地下鉄がすごいんだって、ぜひ乗りたい」「さまざまな文化に触れたい」「コンサートの聴衆がすごく集中して聞いてくれるんだってね」と興奮気味だった。
 長期間にわたるツアーを心から楽しみにしている様子。ぜひ、多くのことを吸収していってほしい。
 ウィーン少年合唱団に関しては、ヤマハのWEB「音楽ジャーナリス&ライターの眼」に4回連続していろんなことを書いている。彼らの本拠地、アウガルテン宮殿に取材にいったことも。興味のあるかたは、ぜひ読んでくださいね。






 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 17:31 | - | -
デニス・マツーエフ
 ロシアのバイカル湖沿岸の都市イルクーツク出身のデニス・マツーエフは、ステージとオフステージの表情がまったく異なるピアニストである。
 192センチの長身でがっしりした体躯。ピアノに向かうとエネルギー全開で、楽器はすさまじい迫力で鳴り響き、ホール全体が大音響に包まれる。ステージに登場するときからコワモテでのっしのっしという感じで現れ、まさにロシア旋風が吹き荒れる予感がする。
 ところが、インタビューではジョーク連発。話がどんどん本題から逸れ、「バイカル湖沿岸の女性は世界一」「近ごろの男性ピアニストは、くねくねしてチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を弾くからたまらん」「新しい楽譜を見るときは女性をハグするようにその楽譜をしっかり抱きしめ、大好きになるようにする」などと記事にできないことばかりに飛んでいく。
 ただし、真面目に答えるときはすさまじく真面目で、あらら、どうしたのかしらと、そのギャップに驚かされることもしばしば。
 今回も6月号の「intoxicate」のインタビューで、新譜のリストのピアノ協奏曲第1番、第2番、「死の舞踏」(ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア国立管弦楽団、ソニー)、ショスタコーヴィチとシチェドリンのピアノ協奏曲(ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団 マリインスキー・レーベル)について話を聞いたが、案の定脱線に次ぐ脱線。
 この日は午前11時に成田空港に着き、その足でオーケストラとのリハーサルに出向き、午後1時からリハ。それを終えて何本か取材に応じた。なんというタフさ。あまりに過酷なスケジュールゆえか、時差と寝不足ゆえか、いつもよりさらにテンションが高く、話は飛びっぱなしだった。
 いまマツーエフはビデオブログを発信しているそうだが、それを得意げに見せてくれたり、自分のサイトは「マッチャン、ボケボケ、ドットコムだよ」と冗談をいってみたり。なんと、ここだけ日本語になっていた。
 私がそれを聞いてギャーッと大笑いしたら、受けたと思ったのか、「マッチャン、ボケボケ、ドットコム」と大声で連発。いやはや、インタビューにはなりませんな(笑)。
 究極は身長の話。192センチメートルの「メートル」は、ロシア語では「偉人」を意味するそうで、「だからぼくは《偉人92》と呼ばれているんだ!!」と、ここでもまた話が果てしなく逸れていく。
 彼は以前、テニスのマラト・サフィンと親友だといっていたので、「サフィンは引退後どうしている?」と聞いたら、「ああ、マラトはすごく元気だよ。何かビジネスを始めたみたい」といっていた。でも、実はサフィンは昨年12月、ロシア連邦議会の下院選挙に統一ロシアから立候補して当選、政治家になったのだ。
 サフィンも身長193センチ。ふたりが並んで歩いていると、みんなが見るそうだが、そりゃそうでしょう、ふたりとも目立つもんね。
 というわけで、今回はいかにリストが好きか、ラフマニノフがすばらしいかという話がなんとか取材でき、記事はまとまった。でも、私はずっと笑いっぱなしだったので、マツーエフ以上に疲れてしまった、やれやれ(笑)。
 彼は11月にゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団との共演で日本公演を行い、名刺代わりというラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を演奏する予定になっている。きっと両者のエネルギーが爆発する演奏になるに違いない。
 今日の写真は、疲れでテンションあがりっぱなしのマッチャンです。イェーイ!!

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:02 | - | -
デイヴィッド・ギャレット
 インタビューの間中、楽器を離さず、答えが戻ってこない。
 まだ演奏している、困ったなあ。ことばで返事がほしいのに、ヴァイオリンで答えられても、記事にはならないし…。
 先日、ヴァイオリニストのデイヴィッド・ギャレットにインタビューをしたときのことである。彼は以前はクラシックのヴァイオリニストだったが、最近はクラシカル・クロスオーヴァーのミュージシャンとして大活躍。前作の「ロック・プレリュード」も新譜の「ロック・シンフォニー」(ユニバーサル)も、ヒットチャートのNo.1を驀進し、いまや人気絶頂のスターになった。
 だが、私は10代のころにパガニーニなどを弾いていた彼しか思い浮かばなかった。
 久しぶりに会ったギャレットは、金髪のロングヘアに粋なヒゲをたくわえ、ロックミュージシャンといった様相。モデルをしているだけあって、着こなしも抜群だ。
 その彼が目の前でバリバリ演奏してくれるのだから喜ばないといけないのだが、私は答えをもらわないと記事が書けない。
「ねえねえ、ちょっとヴァイオリンを置いて、少し答えてもらえない」
「オッケー、なんでも答えるよ」
 といいながら、ひとつ質問したら、また演奏が始まった。
 ヒエーッ、時間がどんどん過ぎてしまうよー。
 というわけで、インタビューの半分以上はヴァイオリンの響きがこだましていたという次第。
 彼は私が大好きなイダ・ヘンデルに就いている。ヘンデルは80歳を過ぎた現在も現役で、来日も多く、日本でもファンが多い。ギャレットはそのヘンデルに関した話のときだけは、ヴァイオリンを弾くことなく、「イダは最高。ヴァイオリンを自由に弾くことを教えてくれた」と絶賛。そうそう、その調子。「それでレッスンはどうだったの?」
 ああっ、いけません。この質問、また彼を演奏へと向かわせてしまった。
「パガニーニをこうやって弾くでしょ。これがロックやホップスだと、こういうふうに弾けるわけ」とガンガンに大音量で弾いてくれる。ああ、うれしいなあ、どうしようかなあ、まいったなあ(笑)。
 というわけで、インタビューの制限時間がきてしまった。このインタビューは来週アップの「ヤマハ 音楽ジャーナリスト&ライターの眼」にアップされる予定。なんとか記事をまとめたので、興味のあるかたはのぞいてみてね。苦労した原稿なので(笑)。
 今日の写真はインタビュー後のカッコいいデイヴィッド・ギャレット。そう、こんなイケメンが目の前で演奏してくれたのに、文句をいうほうがまちがっているよね。でも、私は原稿が書けないと思い、冷や汗タラタラでした。

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:21 | - | -
マリス・ヤンソンス
 明けましておめでとうございます。今年もいろいろ幅広い話題、情報を綴っていきたいと思います。
 さて、1月1日といえばウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート。今年の指揮者は、マリス・ヤンソンスが2006年に続いて2度目の登場。これまで演奏されたことのない作品や、初めてチャイコフスキーのワルツを組み入れるなど、画期的なプログラムを披露した。
 ヤンソンスは1943年1月14日、ラトヴィアのリガ生まれ。エフゲニー・ムラヴィンスキーとともにレニングラード・フィルの指揮者を務めたアルヴィド・ヤンソンスを父に持つ。レニングラード音楽院、ウィーン国立音楽アカデミーで学び、ザルツブルクではヘルベルト・フォン・カラヤンの薫陶を受けている。
 1971年にカラヤン国際指揮者コンクールで第2位入賞に輝き、以後各地のオーケストラを振り、日本にもファンは多い。
 その指揮は流れるように美しく、弦楽器は輝かしく、管楽器は黄金の響きを紡ぐ。彼は常に楽員に笑顔を見せ、全員で音楽を楽しむことができるよう、親密な空気を作り出す。
 今日のニューイヤー・コンサートもひとつひとつの音色がため息が出るほど美しく、ウィーン・フィルが底力を存分に発揮できるよう、新たな曲と伝統的な曲を組み合わせながら楽員の士気を高めるよう、曲順にメリハリをつけていった。
 なんと考え抜かれたプログラムだろうか。
 これを聴きながら、以前ヤンソンスにインタビューをしたときのことを思い出した。このときは時間がほとんどなく、マエストロが地方公演から戻って羽田空港に着いてから都内のホテルに移動するタクシーのなかだけ、というタイトなスケジュールだった。
 私はそのときの演奏作品について、新譜についてなど矢継ぎ早に質問し、ホテルが近くなった段階で、父親とムラヴィンスキーとカラヤンについて、彼らからどんなことを学んだかということに話を移した。
 するとヤンソンスは「きみ、まだ時間ある? ホテルのロビーで続きを話したいんだけど大丈夫かな」と聞いてきた。「ええ、もちろん。このことが一番お聞きしたかったことなんです」というと、彼は「実はね、この3人の話になると、私は一晩中でも話が尽きないんだよ。これこそ、私がもっとも話したいことなんだよ。よくぞ聞いてくれた」と笑った。
 空港からここまで約20分。それからロビーで30分。このロビーでの時間がなかったら、記事は非常に中途半端。どうしよう、という感じだったが、マエストロのひとことで目の前が急に明るくなった。
 ヤンソンスは父親からは指揮者としての精神性を、ムラヴィンスキーからは作品の洞察力を、カラヤンからはオーケストラとの一体化を学んだと語った。
 彼はとても温かく誠実な人柄で、ユーモアもあり、相手をふんわりと包みこむ不思議な力を持っている。これが多くのオーケストラから求められる理由のひとつかもしれない。
 一時期、体調を崩してステージから遠ざかっていたが、近年見事復活。今日のニューイヤーも、かろやかな動きを見せていた。もしも、次にインタビューをする機会に恵まれたら、今度はもっと時間をかけて恩師である3人の話を聞きたいと思う。また、「これが一番話したいこと」といってくれるかも(笑)。
 
 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:10 | - | -
ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート
 毎年、1月1日の午前11時にウィーンのムジークフェラインで開幕となるウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートは、新たな年の始まりとして華やかな雰囲気をたたえている。
 最初にこのコンサートを聴きに行ったのは、1984年のロリン・マゼールが指揮したとき。当時はマゼールが毎年指揮台に立ち、現在のように代わる代わる著名な指揮者が登場するスタイルではなかった。
 それから何年か後に、マゼールにインタビューをしたとき、このときのことをつい話したのがいけなかった。彼は当時ウィーン・フィルとはあまりいい関係ではなく、その後このコンサートから離れる結果となった。
 私は幸い前から3列目の非常にいい席だったため、アンコールでマゼールがヴァイオリンを弾きながら指揮したときに写真を撮った。通常は演奏中にこうしたことは許されないが、ニューイヤー・コンサートはお祭り気分の雰囲気がただよい、まわりの人たちがみなアンコールになったらシャッターを切っていたため、私もついまねして1枚だけ撮ったのである(もちろん、演奏終了後の一瞬)。
 その話をマゼールにすると、「きみ、ぜひその写真がほしいんだけど」といい出した。当時はまだデジカメではなく、フィルムの時代。私は家に戻ってあちこち探しまくったが、このフィルムはなぜか見つからなかった。
 もうすっかり忘れていたころ、またマゼールのインタビューがあった。
 彼は私の顔を見るなり、「ああきみ、よかった会えて。あの写真もってきてくれたかね」といわれ、私は彼のあまりの記憶力のよさにことばを失った。
「すみません、探したんですけど、見つからなくて…」というと、インタビューの最中ずっとこのことばかりいわれた。
「私はね、あのときの気持ちをずっと忘れたことはないんだよ。とても複雑な気分で指揮したコンサートだったんだ。もちろんプロが撮ったオフィシャルな写真はいくらでもあるよ。でも、私はきみが客席から撮ったというたった1枚のリアリティのある写真がほしいんだよ」
もう、冷や汗タラタラである。以後、私はマゼールのインタビューに行くことはできなくなった。依然として写真は見つからないからだ。
 そして1987年、再びニューイヤー・コンサートに出かけた。このときの指揮者はヘルベルト・フォン・カラヤン。当時、私は仕事でとてつもないストレスにさらされ、体調も悪く、何か自分を解放することをしない限り、気が変になりそうだった。そんなとき、カラヤンが指揮することを知り、急きょチケットを申し込み、ウィーンに飛んだ。
 そのときの様子をいま発売中の「モーストリー・クラシック」に書いている。今月発売号の特集は「ワルツ王シュトラウス」。雑誌を見ているだけで、ウィーンの空気が伝わってくるようだ。
 カラヤンはただ一度の指揮となってしまったが、このコンサートは私の生涯の宝物として心の奥に深い記憶となって残っている。
 マゼールも、もう写真のことは忘れてくれただろうか。あれから長い年月がたったから、そろそろ会っても大丈夫かしら(笑)。
 今日の写真は「モーストリー・クラシック」2012年2月号のカラヤンのページ。たった1ページの記事だが、私の思い出が詰まった1ページである。

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 21:45 | - | -
クリストフ・エッシェンバッハ
 昨夜は、サントリーホールにウィーン・フィルのコンサートを聴きに行った。指揮はクリストフ・エッシェンバッハ、ピアノ・ソロはラン・ラン。
 ラン・ランのリストのピアノ協奏曲第1番は、音のダイナミズムの幅広い躍動感あふれるもので、先日NHKホールで聴いたアントニオ・パッパーノ指揮ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団との共演によるボリス・ベレゾフスキーの圧倒的なスケールを誇る同曲とは、まったく解釈も奏法も異なる演奏だった。
 今年のリスト・イヤーには数多くのリストの作品を聴くことができるが、こうした同じ作品を聴きくらべることができるのも、メモリアルイヤーならではの楽しみだ。
 そんなラン・ランは、アンコールのときにエッシェンバッハと手をつないで現れ、ふたりは連弾を始めた。ドビュッシーの「小組曲」より「小舟にて」「バレエ」である。
 エッシェンバッハのピアノは、何年ぶりに聴いただろうか。
 コンサートの後半はシューマンの交響曲第2番、そして最後にJ.シュトラウス兇痢峭陳覬濾餠福廚演奏されたが、私の脳裏には何十年も前のエッシェンバッハとの初めての出会いがフラッシュバックのように現れては消え、また現れ、胸がいっぱいになってしまった。
 あれは私がレコード会社に入ったばかりのころで、上司からエッシェンバッハのレコード店でのサイン会の打ち合わせに行くよう指示された。
 宿泊先のホテルに着いた私は、ホテル内の電話でエッシェンバッハに連絡をとった。だが、すごくあわてている様子で、何度もいいわけをしている。だが、まだ若かった私はそのいいわけの意味が十分に理解できず、とにかく「お部屋に行きます」といってしまった。
 部屋に着いたとき、顔をのぞかせたエッシェンバッハは、あたふたと浴衣をはおったようで、私は一瞬にしてその状況を把握した。彼はシャワーを浴びていたのである。
 私はまともに顔を上げられず、用件だけいって色紙を何枚か押し付け、ずっと下を向いたまま退散した。
 その一部始終を上司に報告したところ、彼は大爆笑し、このニュースは何分もしないうちに会社中に知れ渡るところとなった。
「今度クラシックに入った新人の女の子は、エッシェンバッハのほとんど何も着ていない姿を見たんだってよ」
 話は尾ひれがつき、とんでもないうわさとなって広がっていった。以後、私はどこに行ってもその詳細を聞かれ、うわさを否定するのに躍起になったものだ。
 当のエッシェンバッハは、翌日のサイン会のときに隅に立っている私を見て、ニヤリと笑い、ウインクをした。これを見て、れいのうわさにまた尾ひれがついたのはいうまでもない。ヤレヤレ…。
 あれからかなりの年月が経過し、いまやエッシェンバッハは実力と人気を誇るマエストロになった。私は過去はあまり振りかえらないタチだが、久しぶりにエッシェンバッハのピアノを聴き、ウィーン・フィルからすばらしい演奏を引き出す指揮法を間近にしているうちに、昔の自分にタイムスリップしてしまった。これも音楽の持つ力なのかもしれない。
 これまで失態は何度も演じてきたが、昨夜はそのときの上司や仲間の顔までが鮮明に浮かんできて、失敗を笑い飛ばしてくれた上司が妙になつかしくなった。
 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 13:48 | - | -
小澤征爾
 小澤征爾には何度も取材やインタビューを行っているが、いつもとんでもなく短い時間で、心臓バクバク、頭に血がのぼり、パニックに陥る。
 サイトウ・キネン・オーケストラの取材で松本に行ったときも、ヘネシー・オペラ・シリーズを行っていたときも、東京オペラシティオープニング・コンサートでバッハの「マタイ受難曲」を演奏したときも、それぞれ取材は大変だったが、もっとも短い時間だったのは、2008年に「東京のオペラの森」でチャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」を振ることになっていたとき。
 このときは雑誌がカラーページを8ページも用意していたが、インタビューができたのはオザワがリハーサルの合間に楽屋に戻る階段と廊下の間だけ。汗びっしょりの彼は足早に楽屋に向かうのだが、それをカメラマンと一緒に追いかける形となった。
「オザワさん、少しでもいいですから時間をとってください。今回のオペラに関して話していただかないと…」
「うんうん、わかってるよ。いまちょっと時間がなくてさあ」
「でも、またリハが始まってしまうと、いつお話を聞くことができるかわかりませんので」
「あんた、ぼくのことわかってるじゃない、まかせるよ。なんでも好きに書いてくれていいよ」
「そんなマエストロ、私はいままでチャイコフスキーに関して聞いたことはないんですけど」
「ああ、そうだっけ。チャイコフスキーねえ。ぼくは昔からロシア作品が大好きで、チャイコフスキーは自分の心に近いと感じる。作品の内奥に迫ることが自然にできるから」
「『エフゲニー・オネーギン』に関しては?」
「このオペラは美しい旋律が多くて、心に響くと思う。オペラは難しいとか、長すぎるなどと思わず、一度足を運んでほしいって書いといてくれる。じゃあね」
 ああ、マエストロ、もう部屋に入っちゃった。
 これでどうやって8ページ書くのか。ムムム。頭を抱えていると、隣にいたカメラマンはもっと真っ青になっていた。
「伊熊さん、こんな場所で2分くらいじゃ、まったく写真撮れませんよ。もう一度出てきたら、しっかりつかまえてください。壁のところでアップを撮らないと」
 そんなこといわれたって、ああ、編集のかたはどこに行ったんだろう。きっと私たちがマエストロとすさまじい追いかけっこをしているうちに、はぐれてしまったのかなあ。
 そんなこんなで、また待つこと延々。でも、似たような時間しかとれず、それらをコラージュのようにつなぎあわせて記事を作り込んだ。
 小澤征爾はとても早口である。そして、私も時間がないとどんどん加速し、マエストロに負けず劣らず早口になる。周囲の人には「まるでケンカをしているみたいだ」といわれる。オザワは私の質問が終わらないうちに話し出し、私は彼の語尾を待たずに質問を浴びせかける。
 こういう修羅場を繰り返していると、のんびり話してはいられない。でも、一度でいいから、椅子にゆっくりすわってインタビューをしてみたい。以前はそういうことも可能だったが、最近はまったく無理。
 いまはサイトウ・キネン・フェスティバルの真っ最中。マエストロの体調はどうなのだろうか。秒読みのスケジュールの合間に、大好きなおそばを食べに行く時間があるといいのだが…。
 今日の写真は、いろんな雑誌に掲載されたインタビュー記事の一部。ひとつひとつ頭を悩ませながら書いたことが思い出される。


 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 17:24 | - | -
横山幸雄
 ピアニストの横山幸雄に初めて会ったのは、まだ彼がフランスで勉強をしているころで、パリ郊外のデファンスにある音楽院の寮に取材に行ったのが始まりである。
 それからショパン・コンクールでの演奏も聴き、デビュー以来ずっとさまざまな形で取材をし、演奏も聴き続けている。
 ただし、この横山幸雄との出会いはひどいものだった。若かった彼はとっても生意気で(ゴメン)、私の質問に対し、ぶっきらぼうな答えしか戻してこなかった。
「あなた、すごく生意気ね」
 たまりかねて私がいうと、すぐにこう切り返してきた。
「質問がつまらないから、答えようがないよ」
 それからふたりでいい争いになり、それでも私が仕事だからと懸命にインタビューを続けると、次第に本音を明かすようになった。そばにいたカメラマンは、ふたりの壮絶ないい合いに壁に張りついていたものだ。
 だが、それが縁となり、以後喧嘩しながらも本音トークを繰り返している。いまはお互いに「あのときはおもしろかったね」と笑って話せるようになった。
 デビューしてから次第に太ったときは、マネージャーから「伊熊さんだったらはっきりいえるだろうから、もっとやせたほうがいいといってくれ」と悪役を頼まれたこともある。
 これを本人にいったときのことは、想像にお任せ。ホント、ひどい役がまわってきたものだ。でも、スリムになったけどね(笑)。
 そんな彼は、昨年5月にショパンの作品番号がつけられた166曲を一日で弾くというすさまじい演奏会を行い、ギネス世界記録を樹立した。
 さらに今年はバージョンアップ。5月3日に東京オペラシティコンサートホールで、ショパンの遺作を含めた全212曲の連続演奏会を行う(チャリティーコンサート)。
 この時間帯を聞いてびっくり。朝8時から始めて、夜中の2時終了だという。なんと、18時間弾き続けるのである。もちろん合間に少し休憩は入るが、想像を絶する長さだ。
 先日インタビューしたときに私が目をまん丸にすると、「そんなに驚くことではないでしょ。だって、練習するときは10時間ぶっ通して弾いていることもあるんだから。本番よりも練習のほうが大変なんだよ」とケロリ。このインタビューはWEBの「チケットぴあ」に掲載されている。
 体力、気力、実力が充実しているいまの横山幸雄。最近はインタビューでもお互いにおだやかに話しているが、なんだかつまらない…。
 ふたりの合言葉、「デファンスの出会い」。これをいうと、いまではなつかしい思いが胸に迫ってくる。丁々発止の話のほうが、やっぱり刺激的でおもしろいんだよね。
 横山さん、18時間のショパン、頑張ってね!!

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:46 | - | -
ルチアーノ・パヴァロッティ
 1992年10月末、サンディエゴで行われるパヴァロッティのコンサートの取材に出かけた。翌年1月に横浜アリーナで開催される「パヴァロッティ・アリーナ・コンサート」の先行取材だ。
 ここで聴いた演奏とインタビューで記事を作成し、コンサートの予告をするという先行取材という形は結構多く、90年代はあちこちに出かけた。
 ただし、このときのインタビューは熾烈を極めた。現地に着くと、パヴァロッティはオーケストラとリハーサルの真っ最中。担当者は「本人には日本からジャーナリストがインタビューに来ることを伝えてありますから、あとはよろしく」といって、忙しそうにどこかに行ってしまった。
 さて、困った。自分で交渉しないといけないんだ。どうしよう…。
 これは雑誌「Hanako」のカラーページの取材だった。なんとかたくさん話を聞き出さないと記事にならない。リハーサルの休憩を待って、パヴァロッティに声をかけた。
「パヴァロッティさん、いつインタビューをさせていただけますか」
「いや、いまは忙しいんだ。私はもともとインタビューは嫌いなんだよ。いつといわれても…」
 すでに逃げの態勢。それでは困る。私は繰り返し頼んだ。
「日本の雑誌がたくさんページを空けて待っているんです。なんとか時間を作っていただけませんか。日本のファンも待っていますし」
 パヴァロッティは大変な汗かきで、2リットル入りのミネラルウォーターを両手に抱えている。それを持ってすたこらと逃げ出した。
 私は中学時代、陸上部の短距離(100メートル)の選手だった。リレーではいつもスターターを務めた。大昔のこととはいえ、いまでも走ることにかけては負けてはいない。
 すぐにパヴァロッティに追いつき、追い越し、くるりと前にまわって「ちょっとだけでいいんです。お願いします」と叫んだ。
 突然、行く手をさえぎられたパヴァロッティは水を落としそうになりながら、おっとっとっと、つんのめり状態。
「きみは、あきらめが悪いなあ」
 この一部始終を見ていたオーケストラのメンバーは、「漫画のトムとジェリーのようだ」といって大笑い。「ふたりともがんばれー。もっと走れー。ファイト!」などとはやしたてるため、さすがのパヴァロッティもトーンダウン。
「ホント、しつこい。じゃ、ほんのちょっとだよ」
 こういって椅子にドッカと腰を下ろした。
 でも、あんなに嫌がっていたのに、いざとなったら結構話してくれ、無事に記事ができたというわけだ。今日の写真はそのときの記事の一部。
 もっとも興味深かったのは、いつもステージで左手に巻きつけている白いハンカチ。これは一種のおまじないだそうで、これがないと歌えないという。いまや完全にトレードマークとなったれいのハンカチだ。
 素顔のパヴァロッティはその目がすべてを表しているように、繊細で神経質で傷つきやすい表情を持っている。ステージで見ると底抜けに陽気でいかにもイタリアンといった風情だが、決して明るさだけが彼の特徴ではない。
「私はいつも自分の声の変化を自然な形で受け止めてきたんだよ。若いころはリリコな声を必要とする役を得意としてきたけど、だんだんドラマティコに移っていった。年々声は重くなるからね。それだけ役柄が広がったわけだから、むしろこの声の変化を楽しんでいる。オペラ歌手はひとつの音でもはずしたり、出なかったりすると非難されるけど、それをいつも乗り越えてきたんだ。私の歌を聴いてくれる人は、むしろ声の変化を聴いてほしいと思う。いつまでも“キング・オブ・ハイC”じゃないしね」
 彼はデビューした当初、テノールの最高音であるハイCをほかのだれにもまして楽々と歌い切るところからこのニックネームがついた。
 その後、3大テノールの取材にも何度か出かけ、終演後にインタビューに行ったが、「うわっ、また来た」といってカレーラスの後ろに隠れる始末。でも、大きいからしっかり見えていた。どうもサンディエゴ以来、すっかり嫌われてしまったようだ。
 いまとなってはもういい思い出である。2007年、パヴァロッティは帰らぬ人となってしまった。本当はもっと追いかけっこをしたかったのに、残念でたまらない。

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:14 | - | -
ショパン・コンクール審査員
 1月中旬、ショパン国際ピアノ・コンクールin ASIAの審査員として来日したアンジェイ・ヤシンスキ、ピオトル・パレチニ、ケヴィン・ケナー、クシシュトフ・ヤブウォンスキの座談会が行われ、その司会と記事を担当した。これは現在発売中の「音楽の友」2011年3月号に掲載されている。
 ヤシンスキとパレチニには幾度かワルシャワのショパン・コンクールで話を聞いており、ケナーには1990年、彼がショパン・コンクールを受けたときにずっと取材をしている。さらにヤブウォンスキにも何度かインタビューを行っている。というわけで、初対面の人はだれもいなかったため、座談会はスムーズに進んだ。
 ただし、弦楽四重奏団のインタビューも同様だが、相手が4人となると話す量に差が出てくるのは当然のこと。それをひとりずつ平均して話してもらうよう、あらゆる角度からの質問を考え、振り分けていかなくてはならない。
 記事を仕上げるときは、司会者がいちいち質問している形をとらず、互いに話しているように書き進める。
 今回の座談会は2010年のショパン・コンクールを通して見えてきた世界のピアニストの様子から始まり、現在の日本の音楽教育、日本の若いピアニストたちの姿勢、日本の今後の課題など、4人がとても正直で端的で内容の濃いことを話してくれたため、充実した時間となった。
 さあ、それからが大変。テープ起こしをしていくと4人の声が重なったり、だれの声か判別不可能だったり…。通訳のかたは時間がないため手早く訳してくれるのだが、原稿の分量が多いためそれだけでは足りず、じっくりとひとりずつの話を聞き直していかなくてはならない。これが膨大な時間を要する。
 そんなこんなで原稿と格闘していたら、編集者から連絡が入り、「ページが増えました。文字数もっと増やしていただけますか」とのこと。ヒエー、またやり直さなくちゃ。結果として、5ページ分という長い原稿になった。
 ここで4人は今回のショパン・コンクールで日本人が本選に残らなかったことに対し、さまざまな意見を述べてくれた。非常に示唆に富む言葉で、多くのことを考えさせられた。
 今日の写真は、座談会ではシビアな話をしていたのに、写真撮影になったら4人が並んで押し合い圧し合いの状況を見せたとき。からだの大きな人たちが「ほら、もっと詰めて」とか「あんまり寄ってくるなよ」といい合いをしている様子。偉大なピアニストばかりなのに、みんな結構お茶目。

 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 14:59 | - | -
ワレリー・ゲルギエフ
 ロシアの指揮者、ワレリー・ゲルギエフはエネルギーのかたまりである。睡眠や食事の時間を削って音楽にすべてを賭け、秒刻みで過密なスケジュールをこなす。それゆえ、インタビューはいつもごく短時間。リハーサルの合間とか、本番前などということもある。
 2008年2月マリインスキー・オペラとともに来日し、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」を上演したが、このときのインタビューも、リハーサルと本番の間のほんのちょっとした休憩時間を利用するというものだった。
 これは一般誌「ATES」の巻頭カラーページのインタビューだったため、編集者とカメラマンと私はかなり前からホールに詰め、リハーサルが終了するのをいまかいまかと待っていた。
 案の定、リハーサルは大幅に長引き、本番の時間は決まっているから、インタビューの時間は徐々に少なくなっていく。みな気が気ではない。
 ようやく楽屋に戻ってきたゲルギエフは、汗びっしょり。
「遅くなって申し訳ない。完璧にできないところがあって、納得いくまでリハーサルを繰り返していたので、こんな時間になってしまったんです。さあ、何から話す?  すぐに始めましょうか」
 ゲルギエフは目力の強い人である。顔も全体に濃い。話もテンポが速く、一気に言葉が飛び出してくる。
 彼がロシア帝国の首都、サンクトペテルブルクを代表するオペラとバレエの劇場、マリインスキー劇場の芸術総監督を任されたのは1988年、35歳のとき。まだロシアが経済的に混沌としていた時期で、予算も十分ではなかった。劇場に携わる全員が意気消沈していたが、そんな彼らに向かい、ゲルギエフは胸の内を明かした。
「資金調達は任せてくれ。みんなは音楽に集中して、成果を出してほしい。困難な時代だからこそ、人々は芸術を求めている。必死でいいものを作り出せば、いまに世界がこの劇場を招いてくれるようになる。そのときにロシア魂を示そうじゃないか」
 彼は政府や企業に掛け合って予算を確保し、演目の幅を広げ、海外公演も積極的に行っていく。いまでは世界各地のオペラハウス、コンサートホールのなかで、もっとも海外公演の多い劇場となっている。
 そして2007年には新コンサートホールをオープンさせ、次に新たなオペラハウス建設にも着手した。
「私はサンクトペテルブルクを文化と芸術の発信地にしたいんですよ。古都に新たな風を吹き込みたいのです。いま、世界中でクラシック離れが進んでいます。それを止めるためには常に時代に合った新しい試みが必要です」
 ゲルギエフは寸暇を惜しんで融資を求めて飛び回る。その姿を見て、劇場のみんなが一致団結していい音楽を作り出そうとがんばっている。
 そんなゲルギエフとマリインスキー・オペラは、いま来日中。先日のR.シュトラウスの歌劇「影のない女」は長い上演時間を要する作品だったが、一瞬たりとも聴き手を飽きさせることなく、作品の内奥へといざなう集中力と存在感あふれる演奏だった。特にバラクの妻を歌ったオリガ・セルゲーエワが圧倒的な声量と表現力を発揮、役になりきった演技も秀逸だった。
 実は、ゲルギエフは食事をとるのも速い。インタビュー中に「食べながらでいいかなあ」とマエストロ。「もちろんどうぞ」と私。
 すると出前が運ばれてきた。それを食べながらしっかりインタビューに答える。しかも、うな丼と海老フライ定食をたいらげ、お味噌汁とお茶を飲み、楽屋の外で写真撮影も行った。この間、わずか20分。すごすぎる…。
「じゃ、本番だから。オペラ、楽しんで聴いてね」といい残して、着替えのために楽屋に消えた。ああ、こっちが汗びっしょりだ。 

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:41 | - | -
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