Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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ネルソン・フレイレ
 今日は、すみだトリフォニーホールにネルソン・フレイレのリサイタルを聴きにいった。
 このプログラムの原稿を担当した私は、当初の曲目の一部が変更となり、ドビュッシーの「子どもの領分」からヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」第4番より前奏曲と、同「赤ちゃんの一族」より3曲になったことを知っていたため、ヴィラ=ロボスをとても楽しみにしていた。
 以前、フレイレにインタビューした際、彼は自国ブラジルを代表する作曲家のエイトル・ヴィラ=ロボスをこよなく愛し、世界各地で演奏し、その音楽を広めたいと熱く語っていたからである。
 プログラムはJ.S.バッハの前奏曲やコラールのブゾーニ編から開始し、次いでシューマンの「幻想曲」が演奏された。
 フレイレは「最近、バッハを弾きたい気持ちがとても強いのです」と話していたが、このバッハも心にゆったりと浸透してくる敬虔で平穏で静謐な演奏だった。時折、オルガンを思わせる荘厳で大規模な音色を交え、フレイレらしい祈りの音楽をホールの隅々まで響かせた。
 シューマンの「幻想曲」は、フレイレの巨匠性が存分に表れた演奏となった。彼は、長年来日が途絶えた時期があったが、近年はひんぱんに来日するようになり、いつのころからか「巨匠」と称されるようになった。この「幻想曲」は、そんなフレイレが聴き慣れた作品に新たな風を吹き込むもので、とりわけ第3楽章のロマンあふれる楽想が心に深い印象をもたらした。
 後半はヴィラ=ロボスが演奏され、やはり「血で弾く」というというのはこういうことかと感じるほど、自然体で母国語を話すような演奏だった。
 最後は、ショパンのピアノ・ソナタ第3番が登場。フレイレは、ショパン国際ピアノ・コンクールの審査員もし、ショパンの作品を熟知している。
「私は、ショパンはけっして声高に叫ぶ音楽ではないと思う。最近の若いピアニストは鍵盤をガンガン力任せに叩き、猛スピードで突っ走るような演奏をするけど、私はそのような演奏はしたくない。ショパンの楽譜をじっくり読み、時代を考慮し、ショパンの意図したことに心を配りたいと思う」と話していたように、彼のソナタ第3番は、ショパンの生きた時代の空気をほうふつとさせるピアニズムだった。
 テンポも、リズムも、フレーズの作り方も、そしてルバートも、すべてにおいて作為的なものや余分なものが何もない。私の脳裏には、いつしかショパンの生家、ジェラゾヴァヴォーラの緑豊かな自然が浮かんできた。
 フレイレの演奏は聴き手の想像力を喚起する、まさに一幅の絵のようである。
 帰りは台風の影響で大雨に見舞われながら、電車の遅延などもあったが、心のなかにはおだやかで温かな空気が流れていた。
 これが「音楽の力」なのかもしれない。この公演評は、先日のダン・タイ・ソンとともに、次号の「モーストリー・クラシック」に書く予定になっている。
 今日の写真は、リサイタルのチラシ。この顔を見ているだけで、なんだかなごんでしまうよね(笑)。素顔はとてもシャイで、ポツポツと話し、ペットの話になると、途端に雄弁になるフレイレ。愛すべき「巨匠」である。

| マイ・フェイバリット・ピアニスト | 23:04 | - | -
ダン・タイ・ソン
 ダン・タイ・ソンが1980年にショパン国際ピアノ・コンクールにおいて、アジア人初の優勝者となってからはや37年が経過した。この間、彼はベトナムからロシア、日本へと移り住み、その後カナダとフランスに拠点を置くようになり、国際舞台で活躍するようになる。
 久しぶりにリリースされた新譜は、シューベルトの作品集(ビクター)。最後のソナタにあたるピアノ・ソナタ第21番をメインに据え、「アレグレット」「12のドイツ舞曲(レントラー)」という構成だ。
 いまでは国際コンクールの審査員を務めたり、後進の指導にも力を入れているダン・タイ・ソン。このシューベルトは、音楽性と人間性を磨き抜いてきた彼の、現在の心身の充実を示すアルバムとなっている。
 ダン・タイ・ソンの音楽はおだやかな音色とゆったりとしたテンポに彩られているが、その奥に静謐な空気が宿る。このシューベルトも作曲家の思いに寄り添い、孤独感と諦念を潜ませている。
「私がショパン・コンクールを受けたころは、まだやせていてからだができていませんでした。上半身を大きく動かして演奏していたものです。あとでビデオを見てすごく恥ずかしかった。ゆらゆら揺れてばかりで音がまったく安定しない、消してしまいたいくらいでした(笑)。その後、先生に指摘されてピアノに向かう姿勢を直し、筋肉もつくようになり、ようやくスケールが大きくエネルギッシュなロシア作品が弾けるようになりました。ショパンに関しても自然な姿勢で自由に鍵盤をうたわせることができ、リズムもテンポも自在に奏でることができるようになりました」
 そしていま、ピアニスト自身が成熟しないとうまく弾けないといわれる、シューベルトの作品と対峙することになったのである。
「モスクワ時代はお金がなくて食べ物に不自由していたため、太るどころではありませんでした。ピアノは体力を要します。ですからコンクール後にとにかく体重を増やそうと努力し、いまのように太ったわけです(笑)」
 当初は清涼で静謐で平穏な美しい音でショパンを奏でていたダン・タイ・ソン。それが徐々に音が肉厚になり、幅も広くなり、音楽が深淵になっていく。現在はピアノ好きがため息をもらすほど、情感豊かで表現力に富む美しいピアノを奏でる音楽家に成長を遂げた。
 明日は、武蔵野市民文化会館でダン・タイ・ソンのリサイタルがある。オール・シューベルト・プロである。私は明日聴きに行く予定にしているが、22日は紀尾井ホールでもリサイタルが予定されている。
 ナマで聴く、ダン・タイ・ソンのシューベルト。どんな美しい歌が奏でられるだろうか。
 今日の写真は、シューベルトの作品集のジャケット。





| マイ・フェイバリット・ピアニスト | 22:45 | - | -
ラファウ・ブレハッチ
 ラファウ・ブレハッチがザルツブルク音楽祭デビューを果たしたのは、2008年8月15日のこと。この記念すべきリサイタルを聴くことができたのは、本当に幸運で、いまでも明確な記憶となって脳裏に焼き付いている。
 当日は、19時半からモーツァルテウムのグロッサー・ザールでリサイタルが行われた。プログラムはJ.S.バッハの「イタリア協奏曲」、リストの「演奏会用練習曲」 、ドビュッシーの「版画」、そしてショパンの「夜想曲op.62」とピアノ・ソナタ第3番だった。
 毎年、ザルツブルク音楽祭のデビュー・リサイタルは注目を集めるが、この年は2005年のショパン国際ピアノ・コンクールの優勝者が登場することで話題を集めていた。
 モーツァルテウムのステージに姿を現したブレハッチは、リラックスしたおだやかな表情を見せていた。やわらかな笑みをたたえながら静かにピアノの前にすわると、即座に「イタリア協奏曲」を弾き始める。
 彼は幼いころから教会のオルガンでバッハを弾いてきた。「イタリア協奏曲」も長年愛奏し、血となり肉となっている作品。輝かしく華やかな第1楽章は主題を前面に浮かび上がらせながら急速なテンポで弾き進め、美しい緩除楽章ではゆったりと独奏ヴァイオリンのアリアを思わせるような歌心を発揮、終楽章ではロンド主題を軽快かつ力強く奏で、オルガンで培った音の厚みを表現した。
 次いでリストの「2つの演奏会用練習曲」「3つの演奏会用練習曲」より「森のささやき」「軽やかさ」「小人の踊り」が軽快なタッチと疾走するようなテンポで奏でられ、さらにドビュッシーの「版画」へと続いた。
 これら前半のプログラムは2007年の日本公演で演奏されたもの。あれから1年が経過し、すべての作品が一層弾き込まれ、磨き抜かれ、作品の内奥に迫る洞察力の深さを示していた。それらはあたかも細部までこまやかな神経を張り巡らして織り込んでいくタピストリーのような繊細さと緻密さを見せ、ホールを埋め尽くした聴衆の集中力を促した。
 真価が発揮されたのは、やはり後半のショパンだった。「2つの夜奏曲」、ピアノ・ソナタ第3番はショパン・コンクール覇者の名に恥じない安定感と説得力のある演奏で、耳の肥えたザルツブルク音楽祭の聴衆から「ブラボー!」の声と嵐のような喝采を引き出した。
「権威ある音楽祭で演奏することができ、とてもうれしい。満員になってよかった(笑)。以前日本で弾いた曲目をより高度なレヴェルにもっていけるよう、練習を重ねてきました」
 翌日のインタビューでは、彼は落ち着いた自信に満ちた表情を見せていた。当時は欧米各地での演奏が目白押しだったが、「年間40回以下に抑えている」と語っていた。じっくりと勉強したいからだという。
 このときのプログラムは、各作品に潜む哲学的な深さ、内面性、有機的なつながりを考慮して選曲したという。実は、この夜初めてポリーニのリサイタルを聴くといっていた。それに触発され、「ショパンのピアノ・ソナタ第2番に着手するかも」と笑っていた。当時はゲルギエフ、ヤンソンス、プレトニョフらと共演の予定がびっしり。ヨーロッパでは、自ら車を運転して回っていた。
 そんなブレハッチは4歳から教会でオルガンを弾き、バッハの音楽に親しんできた。実は、このときに聴いた「イタリア協奏曲」をメインに据えたバッハ・アルバムがリリースされた。「パルティータ第1番」「4つのデュエット」「幻想曲とフーガ イ短調」「パルティータ第3番」が収録され、最後はアンコールのように「主よ、人の望みの喜びよ」(マイラ・ヘス編)で締めくくるという趣向だ。
 ブレハッチの自然で躍動感に満ち、天空に飛翔していくようなバッハは、彼の特質を存分に描き出している。心身が浄化されるような演奏はオルガンの響きにも似て、幸福感に包まれる。
 ブレハッチは今秋来日し、9月30日から10月10日まで全国でリサイタルを開く。バッハ、ベートーヴェン、ショパンというプログラムだ。先日、この来日公演のチラシ原稿を担当した。またひとまわり大きくなっているブレハッチの演奏を聴くことができるのは、本当に楽しみである。
 今日の写真は、バッハ・リサイタルのジャケット写真(ユニバーサル)。



| マイ・フェイバリット・ピアニスト | 21:24 | - | -
ミシェル・ダルベルト
 フランスはピアニストが多い、とはよくいわれることばである。
 昔から、フランスのピアニストは特有のエスプリとウイットとユーモアをピアノに託し、繊細かつ抒情的で、しかも抑制された情熱を秘めた演奏をする人が多かった。
 現在も、新人からベテランまでさまざまなピアニストがひしめきあう状態だが、今日はそのなかのひとり、実力派のミシェル・ダルベルトのリサイタルを聴きに浜離宮朝日ホールに行った。
 プログラムは、前半がフォーレの「バラード嬰ヘ長調」と「ノクターン第7番、第13番」とフランクの「前奏曲、コラールとフーガ」。
 後半がブラームスの「4つのバラード」と「パガニーニの主題による変奏曲」という、いまのダルベルトを如実に映し出すプログラム。
 彼は、つい先ごろフォーレの「ピアノ作品集」(キングインターナショナル)をリリースしたばかり。
 その話を聞きに、昨日は夕方から宿泊先のホテルに出向き、久しぶりにインタビューを行った。これは次号の「intoxicate」に書く予定である。
 ダルベルトは、昔はフォーレの作品があまり好きではなく、むしろ嫌いだったという。それが室内楽作品を演奏することにより、徐々にそのすばらしさに目覚め、やがてピアノ作品を弾くようになる。
「フランスでは、自分が長年考えていることを変えるのはよくないといわれるけど、日本ではどうなのかな」
 フォーレが好きではないといっていたのに、いまや録音まで行い、来日公演でも演奏するほど好きになったことを指しているのだが、私が「日本では、そうした考えを変えることは別に悪いこととは思われない」というと、「そう、安心したよ。そういえば、私は昔、きみにショパンもあまり好きではないといわなかったっけ」といわれたけど、これは正直いって覚えていない(笑)。
 インタビューでは、フォーレの作品論から、恩師のヴラド・ペルルミュテールの教え、フランス作品に関して、指揮活動について、教育者としての立場など幅広い話を聞くことができた。
 とりわけ興味深かったのは、日本人の若手ピアニストをどう導くかということについて。
「音楽は抑揚やニュアンスが大切だけど、日本語はフラットでアクセントを強調しない言語だから、どうしても演奏も平坦になりがち。やはりヨーロッパの音楽を勉強する場合は言語が大切」と力説した。
 この話はまだまだ奥深く、ダルベルトの教育者としての顔を垣間見ることができた。彼はクララ・ハスキル・ピアノ・コンクールの審査委員長も務めていたし、現在はパリ音楽院教授としても後進の指導に当たっているため、ひとつひとつの話がとても内容が濃かった。
 今日のリサイタルは、まさに心身の充実を物語る演奏で、フォーレはもちろんだが、「いま一番弾きたいのはブラームス」と語っていたように、ブラームスの「4つのバラード」が出色だった。
 こんなに熟成したピアノを聴いたのは、久しぶりのこと。ブラームスの古典的であり、ロマン的であり、悲劇性を伴った作風がダルベルトの鍛え抜かれたテクニックと表現力でゆったりと紡がれると、まさしくブラームスの深い抒情が立ちのぼってくるよう。これがベテランのピアニズムの真情である。
 昨日は、午前1時過ぎまでれいのドミンゴのパーティがあり、明け方ベッドに入ったため、夕方からのダルベルトのインタビューでは、頭がまだウニウニ状態だったが、なんとか集中力を振り絞ってたくさんの話を聞くことができた。
 そして引き続き、今日はリサイタルを聴いたわけだが、本当に熟成したワインのような深々とした味わいのピアノに、一気に脳が覚醒した。
 今日の写真は、昨日のインタビューでのひとこま。ダルベルトは、いつ会っても、ビシッとおしゃれな服装で決め、いわゆるパリジャンということばがピッタリ。今回も、淡いネクタイとカフスボタンがとても素敵で、粋な大人の雰囲気を醸し出していた。ちょっと気難しいところも、またこの人の変わらぬ個性だ。


 
 
 
| マイ・フェイバリット・ピアニスト | 23:30 | - | -
エミール・ギレリス
 現在発売されている「レコード芸術」9月号は、「ヴィルトゥオーゾ・ピアニストの世界」という特集を組んでいる。
 このなかの「20人の評論家の聞く わたしの考えるヴィルトゥオーゾ・ピアニスト」という人選と、そのなかの第2位になったエミール・ギレリス、第6位になったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの記事を担当した。
 今日は、ギレリスについて綴ってみたい。
 私の愛聴盤のひとつに、ギレリスの演奏するグリーグの「抒情小曲集」の録音がある。ギレリスは「鋼鉄のタッチをもつピアニスト」と呼ばれ、幅広いレパートリーを誇り、そのいずれもが完璧なるテクニックと深い表現力と音楽性に満ち、ピアノを豊かに大きく鳴らし、生前は世界各地で演奏するたびに嵐のような喝采に包まれたと伝えられている。  
 しかし、この「抒情小曲集」は静謐な美と柔和な色彩感に富み、各曲が詩的で情感あふれる歌を紡ぎ出している。それはあたかもギレリスの誠実で優しく、温かな人間性を表しているようだ。
 彼に関しては、死因もあれこれ取り沙汰され、いまだ謎に包まれているピアニストなのである。
 常にリヒテルとくらべられ、次第にその陰に隠れるようになってしまったギレリス。だが、残された数多くの録音がギレリスの偉大さ、真の天才性をいまに伝え、輝きに満ちた圧倒的な存在感を放つロシア・ピアニズムは、いまなお偉才を放っている。
 その「レコード芸術」のなかでも紹介したが、「ギレリス 1964年シアトル・リサイタル」(ユニバーサル)という新譜が登場した。これは生誕100年を記念して初リリースとなったもので、1964年12月6日にシアトルのオペラ・ハウスで開かれたリサイタルのライヴで、ベートーヴェンの「ワルトシュタイン」からプロコフィエフのソナタ第3番、「束の間の幻影」、ドビュッシーの「映像 第1集」など、多彩な作品が並ぶ。
 曲が終わるごとに嵐のような拍手が巻き起こり、アンコールも収録。もちろん録音は古いが、会場の熱気が伝わってくるような臨場感がある。
 ギレリスは、本当にナマを聴きたかったと切望するピアニストである。残された音の記録は、聴き手の記憶に残る偉大なる財産である。
 今日の写真は、シアトル・ライヴのジャケット。ギレリス、48歳のときの姿である。





| マイ・フェイバリット・ピアニスト | 22:58 | - | -
タチアナ・ニコラーエワ
 ロシアの名ピアニストと称されたタチアナ・ニコラーエワが亡くなったのは、1993年11月22日のことだった。享年69。サンフランシスコの病院で急逝したと伝えられ、当時このニュースは世界中のファンを悲しみの淵へと追いやった。
 ニコラーエワは生涯現役を貫いたピアニストである。このときは13日に同地で行われたリサイタル中に脳動脈破裂で倒れ、急遽入院、昏睡状態が続いていた。
 ニコラーエワは1924年5月4日ロシアのペジツァ生まれ。モスクワ音楽院でピアノと作曲を学び、1950年にライプツィヒで開催されたバッハ200年祭の記念コンクールで優勝し、以後バッハ弾きとしての名声を確立する。1959年からは母校で教鞭をとり、ニコライ・ルガンスキーをはじめとする多くの優秀な弟子を育てた。
 このバッハ・コンクールの審査員のひとりだった作曲家のショスタコーヴィチは、ニコラーエワの演奏にインスパイアされ、かねてからの課題であった「24の前奏曲とフーガ」を1950年から翌年にかけて作曲。1952年にレニングラードで行われた公開初演は、ニコラーエワが行っている。
 この作品はバッハの「平均律クラヴィーア曲集」をモデルとしていながら、全曲の配列はショパンの「24の前奏曲」と同じ形をとっている。各曲はトッカータ、ソナタ形式、幻想曲などさまざまな要素が取り入れられ、ピアニストとしてもすぐれた腕を持っていたショスタコーヴィチの力量が遺憾なく発揮されたものとなっている。それゆえ、難曲が多く、現在ではステージやレコーディングなどで取り上げられる回数にも限りがある。
 ニコラーエワは1989年に来日したさい、リサイタルでこの全曲を演奏するという快挙を成し遂げた。その完璧で敬虔な美しさに彩られた演奏は、いまだ脳裏に深く刻み込まれている。
 彼女はサンフランシスコのステージで倒れたときも、この作品を演奏していたのである。自分が初演した作品を演奏しているときに意識がなくなるなんて、悲しい事実ではあるが、演奏家冥利に尽きるのではないだろうか。ピアニストとして、なんという劇的な幕の閉じかただろう。
 ニコラーエワは、晩年は各地の国際コンクールの審査員も多数務め、取材に訪れたときにたびたび顔を合わせることがあったが、いつも静かな笑みをたたえ、その表情はバッハの「平均律クラヴィーア曲集」第1巻第曲の前奏曲、またはショスタコーヴィチのハ長調の前奏曲のような雰囲気をただよわせていた。
 もう一度、あのすばらしい演奏が聴きたい、あの静かな笑顔に会いたいと願うのは私だけではないだろう。
 そんなニコラーエワが残した平均律の演奏は、まさに人類の貴重な遺産ともいうべき録音。彼女は13歳のときからロシアの4つのピアノ流派のひとつ、アレクサンドル・ゴリデンヴェーイゼルに師事していたことからもわかるように、正統的なロシア・ピアニズムを継承している演奏家である。ニコラーエワは生前、ゴリゼンヴェーイゼルの教えは正確な技巧と楽譜への忠実さをモットーとしたものだったと語っていた。
 まさに「平均律クラヴィーア曲集」の録音は、その師の教えを映し出すかのように楽譜の深い読みに支えられている。何度聴いても、また最初から聴きたくなり、けっして飽きることがない。
 常に新しい発見があるニコラーエワの演奏、彼女はいまだ私たちの心のなかに生き、その音楽を通してバッハの魂を伝えてくれる。
| マイ・フェイバリット・ピアニスト | 22:43 | - | -
サンソン・フランソワ
 今週公開のヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」のテーマは、サンソン・フランソワ。彼の名を口にしただけで、私はどこか異次元の世界に運ばれていくような不思議な感覚にとらわれるほど、このピアニストに魅了されている。
 HPの各コンテンツの左下のバナーからアクセスできるので、ぜひ読んでいただきたいと思う。
 フランソワのピアノは、限りないファンタジーとロマンと馨しい香りを備え、聴き手を夢見心地にしてくれる。
 現在は、ピアニストは若いうちから幅広いレパートリーを身に着けることを余儀なくされる。しかし、フランソワは本当に自分が弾きたいと思う作曲家の作品しか演奏しようとしなかった。
 モーツァルトはあまりにも自分に近いと考え、近づこうとしなかったし、ベートーヴェンやブラームスは敬遠していた。その代わり、ショパンを熱愛し、ドビュッシーやラヴェルを愛奏し、リスト、プロコフィエフ、シューマンのコンチェルトをワールドツアーで何度も演奏した。
 フランソワは神童として幼いころからピアノに天才性を示し、自由奔放な性格でイヴォンヌ・ルフェビュールやマルグリット・ロンらの先生を困惑させたが、まさにその人間性を映し出す演奏が大きな魅力となっている。
 たとえばショパン。フランソワの弾くショパンのバラードやスケルツォは霊感にあふれ、即興性も感じられ、自然ながら独創性に満ちたルバートは、ため息がこぼれるほどに美しい。ワルツもポロネーズもノクターンも、だれの演奏にも似ていない唯一無二のもので、ショパン自身が聴いても納得したであろう個性と自由と自然な空気が息づいている。
 ラヴェルの音楽もまた、フランソワで聴くと作曲家のすばらしさを改めて知らされる。ラヴェルはこまやかで知的で洗練された作品を書き、その奥にはユーモアとウイットが潜んでいる。その真髄をフランソワは鋭敏な感性で嗅ぎ取り、イマジネーション豊かなラヴェルの世界を絵巻物のように繰り広げる。そこからは19世紀末のパリの空気、一種のデカダンスの雰囲気もただよってくる。
 ドビュッシーもまた、特有の色彩感とひらめき、魔法のような音色で演奏される。聴き慣れた作品をフランソワの録音で聴き直すと、まるで違った音の世界が広がり、古典的な奏法でありながら、いつの時代でも決して古さを感じさせないみずみずしさと妖艶さがただよっていることに驚きを覚える。
 弟子を持たなかったフランソワに7年間も師事したというブルーノ・リグットに話を聞いたことがあるが、フランソワのレッスンを終えると、あたかもモーツァルトやショパンに会ったように興奮したそうだ。フランソワは文学や絵画を例にとり、小節線にとらわれないようにといい、歌手のように旋律を歌わせる大切さを教えてくれたという。
 お酒とタバコとコーヒーを大量に摂取し、ジャズを愛し、作曲や詩作を行ったフランソワ。46年の濃密な人生のなかで残された録音は聴き手の心を高揚させ、至福のときを味あわせてくれる。それは貴重な遺産であり、私の宝物であり、生涯の心の友でもある。
 今日の写真は、最近リマスタリングにより新たにリリースされた、ショパンの夜想曲(ワーナー)。1966年の録音だが、見事なまでに馨しい香りを放っている。


| マイ・フェイバリット・ピアニスト | 22:27 | - | -
エリソ・ヴィルサラーゼ
 TOKYO FMの「ミュージックバード」のクラシック番組には、何度か出演したことがある。
 今回は、私の大好きなピアニスト、エリソ・ヴィルサラーゼの特集を組むということで、出演依頼が入った。
 これは5時間半ほど演奏を流し、30分くらい私が話すという構成である。
 その選曲を任され、ヴィルサラーゼの得意とするシューマン、シューベルト、ショパンなどをメインに据え、ブラームス、ショスタコーヴィチ、リストを加えた。 
 さらに、チェロのナターリヤ・グートマンとのベートーヴェンとメンデルスゾーンのチェロ・ソナタをプラスして、選曲は終了。29日に収録する予定である。
 トークの部分は、当日スタッフとの打ち合わせをしてから、おそらくぶっつけ本番になるのではないだろうか。
 それゆえ、話す内容をしっかり決めていかなくてはならない。
 この仕事が終わってから、今月末の仕事部屋の引っ越し準備をした。
 4月30日に引っ越し便の積み込み予定で、翌日の5月1日に京都に荷物が届く手筈だ。
 こんなふうにドタバタしている最中に、先日また親友のTちゃんが送ってくれた安曇野の野菜をいくつか調理した。
 今回は、前回とは少し内容が変わっていて、鞍掛豆がレシピ付きで入っていた。「鞍掛豆のドライトマト煮」という、思ってもいない素材の組み合わせである。
 ほかにはビールの友についつい手が出て止まらなくなる結び豆、かしくるみ、凍み豆腐、珍しい山くらげなど盛りだくさん。
 もっとも春の息吹が感じられたのが、友人の自宅の庭で育てているという山椒の若芽。「こんなにたくさん!」と驚嘆の声を上げてしまうくらい入っていて、みずみずしい緑と馨しい香りに酔いしれるほどだ。
 もうひとつ、私の同じく料理好きの彼女が山椒の花を手に入れて、昆布とみりんとしょうゆで煮たという物が瓶に詰まっていた。
 この山椒の花の薄味の煮物は、まさに手作りの味で、おそばやうどんにも合うし、たけのこの煮物に添えてもおいしい。
 ああ、安曇野はすばらしい!
 忙しい時間にこういう自然を感じることのできる食材に出合うと、心身が浄化する思いにとらわれる。
 今日の写真は、安曇野からの産地直送便。レシピを考えていると、時間が経つのを忘れてしまう。
 そうだ、まだ仕事が残っていたっけ。締め切り、締め切りっと。野菜としばし別れなくっちゃ(笑)。

| マイ・フェイバリット・ピアニスト | 21:51 | - | -
マウリツィオ・ポリーニ
 近ごろ、これほどまでに人生を考えさせる演奏に出合ったことはない。
 今日は、ポリーニのリサイタルを聴きにサントリーホールに出かけた。プログラムは、前半がシェーンベルクの「6つのピアノ小品」作品19、シューマンの「アレグロ ロ短調」「幻想曲ハ長調」。後半がオール・ショパン・プロで、「舟歌」「ノクターン 作品55の1、2」、「子守歌」、「ポロネーズ第6番 英雄」。
 実は、初来日の1974年4月24日の東京文化会館で行われたリサイタルを聴いているのだが、そのときに演奏された曲のひとつが、シェーンベルクの「6つの小品」作品19だった。
 ポリーニはゆったりとステージに登場すると、何年も弾き続けている自家薬籠中のシェーンベルクをモノローグのように弾き出した。弱音を生かした奏法で、静謐で幻想的とも思える空気がホールに広がっていく。
 ポリーニといえば、コンピューターのように正確無比な奏法で、透徹した知的でクールな響きを特徴とし、完璧なるテクニックに支えられた演奏というのが一般的な評価だ。それが初来日では炸裂した。
 まだ若かった私は、ポリーニのシェーンベルクに驚愕し、「こんなピアニストがいるのだろうか」と、衝撃を受けたことを覚えている。
 以来、ずっとポリーニを聴き続けてきた。
「彼は変わったのだろうか」というテーマで、原稿を書き続けたこともある。
 今回、ポリーニの演奏は、大きな変貌を遂げていた。
 いかなる難技巧も楽々と自然にクリアしていくテクニックは影を潜め、音楽が内省的で熟成し、内なる感情を吐露するものに変容していたのである。
 打鍵の強靭さと目の回るような指の動きも変化し、テンポはかなり抑制され、詩的な感情を表出するようになり、聴き手の心にしっとりと語りかける音楽となった。
 それがもっとも強く表れたのが、後半のショパン。以前の疾走するような輝かしい光を放つショパンではなく、人間味あふれる演奏となり、じわりじわりと聴き手の心の奥に浸透してくる。
 やはり、ポリーニはショパンだ。なんという滋味豊かな演奏だろうか。
 もちろん、往年のバリバリのテクニックは望めない。しかし、演奏の感動というものは、完璧無比な演奏だから生まれるものではなく、多少のミスタッチがあろうが、伝わってくるものが深ければ、忘れえぬほどの感銘を受けることができる。
 後半のショパンは、いまのポリーニをリアルに映し出していた。彼のショパンは、ひとつひとつの音が静かな存在感を示し、ある種の不思議なオーラを放っていた。とりわけ、ショパンの晩年の傑作「舟歌」と「子守歌」が、いまのポリーニの奏法、表現、音楽性によく似合っていた。
 私はショパンの作品を聴き込むほどに、彫刻のような顔をした若きポリーニを思い出し、自分の人生も回顧する思いに駆られた。
 これまでの人生が走馬灯のように脳裏に浮かんできて、ポリーニの音楽を聴いているのに、そのバックに自分の人生が映し出されているような錯覚に陥った。よくオペラの演出で、ステージのバックにいろんな絵柄が流れていくものがあるが、あんな感じなのである。
 なんとも不思議な感覚を味わった。最初のシェーンベルクが引き金となったのだろう。
 ポリーニは「英雄ポロネーズ」が終わったあと、嵐のような喝采を受け、何度もステージに呼び戻され、アンコールを3曲弾いた。
 ショパンの「エチュード 作品10 革命」「スケルツォ第3番」「ノクターン作品27の2」である。
 このノクターンは、えもいわれぬ詩情と古雅な雰囲気と深い憂愁をたたえていたため、つい涙がこぼれそうになった。
 最後はホールを埋め尽くした聴衆が総立ちになり、ポリーニを称えた。
 胸がいっぱいになり、感情を抑えるのがやっと、という状態のときに、ピアニストの伊藤恵に会った。
「ねえ、今度、仕事抜きでごはん食べない?」と誘われ、「ええ、もちろん!」と答え、再会を約束して別れた。
 帰路に着く間、ずっと私の頭のなかには初来日のときのポリーニが浮かび、胸が痛いほど感動を覚えていた自分の姿も思い出した。
 これが「音楽の力」だろうか。シェーンベルクを聴いた途端、記憶が一気に年月を飛び越え、鮮やかに蘇った。
 今夜は、さまざまなことを考えさせられたため、脳が覚醒してしまい、なかなか眠りにつけそうもない。
 今日の写真は、ポリーニのプログラムの一部。今回の演奏を聴き、ぜひブラームスの晩年の作品を弾いてほしいという気持ちが強くなった。


 
 
 
  
 
| マイ・フェイバリット・ピアニスト | 00:02 | - | -
ネルソン・フレイレ
 私の大好きなピアニストをさまざまな角度から伝えたいと思い、ブログに「マイ・フェイバリット・ピアニスト」という新たなカテゴリーを作った。
 第1回はブラジル出身で現在はパリでも多くの時間を過ごしているピアニスト、ネルソン・フレイレである。彼は正統的で情熱的でリズムが天に飛翔していくような躍動感あふれる演奏を得意とするが、その奥にはえもいわれぬ内省的で思索的な美質が潜んでいる。
 素顔のフレイレはとても物静かでシャイ。口数は少なくおだやかで、柔和な笑みを浮かべているが、実は気難しいタイプだ。その彼は、情熱的で奔放で完璧主義者のマルタ・アルゲリッチとは親友同志である。
 フレイレとアルゲリッチはともにウィーンに留学したころに出会い、すぐに意気投合。音楽的にも共通項があると感じ、以後50年以上にわたってよき友人としてのつきあいが続いている。
「私がウィーンに行ったのは14歳のとき。両親と離れ、ひとりになって自由を満喫。練習などせず、散歩したりカフェに行ったり、遊びまくっていました。そんなときラフマニノフがシューマンの《謝肉祭》を録音したものを見つけて大感激。自由でクレージーな演奏でした。早速まねをしてレッスンにもって行ったら、先生に唖然とされましたね。マルタに出会ったのもそのころで、最初から自然にコミュニケーションがとれました。性格も音楽もまったく違うのに、なぜかウマが合う。いまでは何もかもわかりあっている感じ。ふたりが一緒に演奏すると、どちらかに演奏が似るのではなくまったく異なった第3の人間が生まれ、その人が弾いているようになるのです。みんなにそういわれるんですよ」
 彼は正統的で重量感あふれるプログラムを組むが、私が楽しみにしているのは、いつもコンサートのアンコールに登場するグルック作曲「オルフェオとエウリディーチェ」より「精霊の踊り」だ。
 ロマンあふれる美しい旋律とゆったりとしたリズムに彩られたこの作品は、聴き手の目を自然に閉じさせ、心身ともに曲に没頭させてしまう不思議な魅力を備えている。
 フレイレが子どものころから敬愛し、いまなお部屋に写真を飾り、彼女の思い出を大切にしているブラジル出身の名ピアニスト、ギオマール・ノヴァエスが好んで弾いていた曲である。
 ノヴァエスはフレイレにとって大先輩にあたるが、彼女はフレイレの才能を高く評価し、さまざまなアドヴァイスを与えてくれたという。
「精霊の踊り」は、ノヴァエスも録音を残している。彼女の演奏はフレイレよりもテンポがゆったりとし、古雅で気高い雰囲気を醸し出している。そしてフレイレの演奏もまた、非常に味わい深く、ピュアな美しさを秘めている。
 世界各地でフレイレはこの作品を演奏しているが、いずこの地でも常に会場はシーンと静まり、ひとつの音ももらすまいとみな神経を集中させて聴き入り、頬を濡らす人も多い。
「私は幼いころから多くの偉大なピアニストの録音を聴いてきました。ルービンシュタイン、ホロヴィッツ、バックハウス、ギーゼキングなど。ルービンシュタインの実際の演奏を聴いたのは22歳のとき。ホロヴィッツはアルゲリッチと一緒にニューヨークで聴きました。これらはいまでも強烈な印象となって残っています。ルービンシュタインの自由さ、明快さはすばらしい。ホロヴィッツはオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団とのコンチェルトでしたが、マルタとふたりでからだのなかを電流が走るほどの衝撃を受けましたよ」
 2001年、フレイレは長年の沈黙を破ってショパンの作品集をリリースした。以後、シューマン・アルバム、そしてショパンのピアノ・ソナタ第2番「葬送」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」などを立て続けに録音している。
「私は束縛されたり、お仕着せが大の苦手。長年、録音からは離れていましたが、新たな気持ちで始めたのは、レコード会社の人たちに好きな時期に好きな作品を録音していいよ、といわれたのでOKしたんです」
 自由をこよなく愛し、海辺を散歩したり、ボーッとしている時間が大切だというフレイレ。リオ・デ・ジャネイロの家には4匹の犬、パリの家には1匹の猫がいる。彼らはフレイレの演奏するヴィラ=ロボスの作品が大好きなのだという。
「ヴィラ=ロボスの作品にはブラジルの魂が込められています。ジャングルや鳥など自然をほうふつとさせる面もあるけど、人々の心温かな気質も感じられる。ヴィラ=ロボスはまったくの独学で作曲家になりました。これを聞いただけでも、ものすごく自由な魂を感じませんか。音楽の壮大さと人間のぬくもり、その両面が共存していると思うんですけどね」
 ヴィラ=ロボスの話は尽きない。
「リオの自宅にはボクサー犬の雌がいて、私がヴィラ=ロボスの曲を演奏すると目がウルウルになるんです。その様子をドキュメンタリー映像に撮ったものが、You-Tubeで見られますよ。《ネルソン・フレイレ その人と音楽》というタイトルだったかなあ。パリの猫もピアノが好きです。彼らはみなヴィラ=ロボスが好きなんですよ。やはりブラジルの作曲家の作品をブラジル人である私が弾くと魂がこもっているから、犬や猫も感激してくれるんでしょうかねえ」
 このペットの話になった途端、スマホでその映像を見せようと必死で探し始め、インタビューは一時中断。彼らの話題になると幸せそうな笑顔になり、犬や猫をこよなく愛すフレイレの素顔がのぞいた。
 そんなフレイレが、J.S.バッハのアルバムをリリースした。パルティータ第4番ニ長調BWV828、トッカータ ハ短調BWV911、イギリス組曲第3番ト短調WV808、半音階的幻想曲とフーガ ニ短調BWV903ほかという、凝った選曲である。
 最後は「主よ、人の望の喜びよ」(マイラ・ヘス編)で締めくくられるが、ぜひ小さなホールでナマを聴きたいという思いを抱くような、親密的で心に響く演奏。フレイレのバッハは、彼の温かく物静かな性格が全面的に投影された、精緻で静謐で深遠なピアニズムである。
 2014年の来日時に、「フレイレさんはコンサートの選曲や録音に関しても常にマイペースを崩さない人ですが、いまもっとも弾きたい作品は?」と聞くと、こんな答えが戻ってきた。
「よく聞いてくれました、J.S.バッハです! みんな私とバッハは結び付かないと思うようですが、バッハは子どものころから自分のために家で弾いてたんですよ。私の心の糧ともいうべき作曲家です。バルティータと編曲物を組み合わせて録音したいですね」
 このバッハは、何度聴いても、また初めから聴きたくなる、ある種の魔力を秘めている。


ネルソン・フレイレ バッハ
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