Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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ネルソン・フレイレ
 ブラジル出身で現在はパリでも多くの時間を過ごしているピアニスト、ネルソン・フレイレは、私の大好きなピアニストである。彼は正統的で情熱的で躍動感に満ちた演奏を得意とするが、そのピアノの奥にはえもいわれぬ内省的な美が潜んでいる。
 ショパンもグリーグもシューマンも、フレイレの手にかかると詩情豊かな色彩感あふれる音楽になるが、どこかに静けさとナイーブさが宿っている。
 素顔のフレイレはとても物静かでシャイ。口数は少なく、おだやかで、ちょっと気難しい。
 以前、ダン・タイ・ソンが、「ネルソンは、ぼくがブラジルに演奏にいくときはいつでも自宅のキーを貸してくれる。自由に練習していいよ、家も好きに使ってといってくれる。本当にいい人なんだ」と語っていたが、まさに性格のすばらしい人。
 インタビュー・アーカイヴの第35回はそのフレイレの登場だ。

[intoxicate 2005年夏号]

情熱的で繊細なピアノを奏でる心やさしき自由人

 ネルソン・フレイレは、いつもコンサートのアンコールでひとつの作品をそっと弾き出す。それはグルック作曲「オルフェオとエウリディーチェ」より「精霊の踊り」。ロマンあふれる美しい旋律とゆったりとしたリズムに彩られたこの作品は、聴き手の目を自然に閉じさせ、心身ともに曲に没頭させてしまう不思議な魅力を備えている。
 これはフレイレが子どものころから敬愛し、いまなお部屋に写真を飾り、彼女の思い出を大切にしているブラジル出身の名ピアニスト、ギオマール・ノヴァエスが好んで弾いていた曲である。
 ノヴァエスはフレイレにとって大先輩にあたるが、彼女はフレイレの才能を高く評価し、さまざまなアドヴァイスを与えてくれた。
「精霊の踊り」は、ノヴァエスも録音を残している。彼女の演奏はフレイレよりもテンポがゆったりとし、古雅で気高い雰囲気を醸し出している。そしてフレイレの演奏もまた、非常に味わい深く、涙が出そうなピュアな美しさを秘めている。
 世界各地でフレイレはこの作品を演奏しているが、いずこの地でも常に会場はシーンと静まり、ひとつの音ももらすまいとみな神経を集中させて聴き入る。
「私は幼いころから多くの偉大なピアニストの録音を聴いてきました。ルービンシュタイン、ホロヴィッツ、バックハウス、ギーゼキングなど。ルービンシュタインの実際の演奏を聴いたのは22歳のとき。ホロヴィッツはマルタ・アルゲリッチと一緒にニューヨークで聴きました。これらはいまでも強烈な印象となって残っています。ルービンシュタインの自由さ、明快さはすばらしい。ホロヴィッツはオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団とのコンチェルトでしたが、マルタとふたりでからだのなかを電流が走るほどの衝撃を受けましたよ」
 フレイレとアルゲリッチはともにウィーンに留学したころに出会った。ともに気が合い、音楽的にも共通項があると感じ、以後45年間にわたってよき友人としてのつきあいが続いている。
「私がウィーンに行ったのは14歳のとき。両親と離れ、ひとりになって自由を満喫。練習などせず、散歩したりカフェに行ったり、遊びまくっていた。そんなときラフマニノフがシューマンの《謝肉祭》を録音したものを見つけて大感激。自由でクレージーな演奏だった。早速まねをしてレッスンにもって行ったら、先生に唖然とされた。マルタに出会ったのもそのころで、最初から自然にコミュニケーションがとれた。性格も音楽もまったく違うのに、なぜかウマが合う。いまでは何もかもわかりあっている感じ。ふたりが一緒に演奏すると、どちらかに演奏が似るのではなくまったく異なった第3の人間が生まれ、その人が弾いているようになる。みんなにそういわれるんだよ」
 フレイレはブラジル時代、神童といわれ、両親はその才能を伸ばすべくあらゆる手段を講じた。やがて12歳でリオ・デ・ジャネイロ国際ピアノ・コンクールで優勝し、ウィーンに留学。ここでフリードリヒ・グルダの師であるブルーノ・ザイドルホーファーに師事する幸運に浴す。
「グルダはブラジル人にとってのヒーロー。彼はブラジルでベートーヴェンのピアノ・ソナタ全32曲を演奏した。それを聴いて若いピアニストはウィーンに留学することを切望するようになったんです。彼は私たちに新たな道を拓いてくれた。演奏は健康的で知的で男性的。みんなあこがれたものです」
 2001年、フレイレは長年の沈黙を破ってショパンの作品集をリリース。以後、シューマン・アルバム、そしてショパンのピアノ・ソナタ第2番「葬送」などを立て続けに録音している。
「私は束縛されたり、お仕着せが大の苦手。今回は好きな時期に好きな作品を録音していいよ、といわれたのでOKしたんです。コンサートのプログラムも変更はしょっちゅう。4回くらい変えることはざらだから、いつも関係者から怒られる。でもね、何年も先にどの作品が弾きたいかなんてわかるわけないでしょ。そのときになって、初めてこれがいま弾きたいとなるわけ。だから、私に関しては先のことはまったくわからないね(笑)」
 自由をこよなく愛し、海辺を散歩したり、ボーッとしている時間が大切だというフレイレ。リオ・デ・ジャネイロの家には4匹の犬、パリの家には1匹の猫がいる。彼らはフレイレの演奏するヴィラ=ロボスの作品が大好きなのだという。
「ヴィラ=ロボスの作品にはブラジルの魂が込められている。ジャングルや鳥など自然をほうふつとさせる面もあるけど、人々の心温かな気質も感じられる。ヴィラ=ロボスはまったくの独学で作曲家になった。これを聞いただけでも、ものすごく自由な魂を感じないかい。音楽の壮大さと人間のぬくもり、その両面が共存している」
 フレイレはとてもシャイでナイーブな目をした人である。話しかたもポツポツとしてゆっくり。決して雄弁ではない。しかし、そのことばからにじみ出てくるやさしさと温かさ。これが特有の空気感を生み、いつしか場をなごませる。
 話が終わるときにいつも「フフフッ」といった感じで短い笑い声が入るのも特徴だ。モットーは「小さなことでも幸せを感じること」。演奏も音色のひとつひとつが心に響くもので、ピアノを聴く真の幸せを存分に堪能させてくれる。こういうピアニストはひんぱんに来日してほしいと願うのだが…。
「さてね、先のことはわからないよ。日本は大好きで、和食に目がないからすぐにまた来日したいけど、どうなるかなあ。次の録音? これはレコード会社が決めてくれたよ。シャイー指揮のライブツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とブラームスの2曲のコンチェルトを入れる予定。ボーッとしていちゃいかんね、練習しなくちゃ(笑)」
 何か決められると息苦しくなり、夢の世界に逃げ込むというフレイレ。あくまでも自由を優先して人生を歩む。その人生哲学が演奏に投影され、聴き手の心を解放させ、私たちにも自由を与えてくれる。人はさまざまなしがらみを抱え、それから解き放たれることは至難の業。フレイレのような生きかたは現代人の理想かもしれない。
 今日の写真はその雑誌の一部。いつも彼に会うと、人見知りをするおとなしいクマちゃんのような印象を受ける(失礼)。演奏のみならず、その性格も私は大好きだ。




 
| インタビュー・アーカイヴ | 22:31 | - | -
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