Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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マリア・ジョアン・ピリス
 ああ、もっとドビュッシーが聴きたい。ピリスの「ピアノのために」の演奏を聴き、こう切に願った。
 7日の夜、サントリーホールで16年ぶりというマリア・ジョアン・ピリスのソロ・リサイタルが開かれた。
 プログラムはシューベルトの「4つの即興曲」作品90とシューベルトのピアノ・ソナタ第21番の間に、ドビュッシーの「ピアノのために」をはさむという選曲。
 ピリスのシューベルトは、すでに両曲ともレコーディングがなされ、世界中で高い評価を得ている。
 冒頭の即興曲が鳴り響いた途端、スッとピリスの音の世界へと導かれた。はげしくたたきつけられるような和音は、凛とした立体的な音となり、湧き上がるような強靭で劇的な旋律は、強い主張をもった響きとなる。それらを大きく包み込むように素朴で色彩感に富む音色が全編を支配し、シューベルトの歌謡性が美しく表現されていく。
 ピリスの演奏は打鍵が深く、芯の強さに支えられているが、けっして力で押す演奏ではない。確固たる構成と全体を俯瞰する目が備わり、即興曲をこよなく香り高い歌として奏でていく。
 ピアノ・ソナタ第21番にもそれは如実に現れ、長大なソナタを一瞬たりとも弛緩することなく、幻想的で瞑想的で変幻自在なストーリーを淡々と紡ぐように弾き進める。
 ピリスは、シューベルトが短い人生の最後に深い悲しみの奥に微笑みを潜ませているように描いた作品を、あくまでも自然に弾きながら、聴き手にその感情の複雑さを知らしめる。
 なんと難しい作品だろうか。以前、ピリスはインタビューで「シューベルトの作品に近づくには、ありのままの自分と向き合わなければなりません」と語っていた。
 今回プログラムに彼女のインタビューの様子を綴ったが、いつもピリスは「シューベルトは難しい」と口にする。自然に表現することをあまりにも意識しすぎると、かえって作為的な演奏になってしまうため、それを抑えることが重要になるからだそうだ。
「人間は、自然にふるまったり、自然に生きようとすることがもっとも難しいと思うのよ」
 ピリスは真顔でこういう。
 確かに、気負わず気どらず、ありのままの自分を表現するのは、どんな仕事でも難しいと思う。
 いつもピリスの演奏を聴くと、私は自分の生き方を考えさせられる。ピリスのように真摯で自由で無垢な気持ちで生きられたらいいな、とあこがれの気持ちすら抱く。
 今回聴いたドビュッシーは、そんな私に新たなピリスの魅力を植え付けてくれた。あいまいさのかけらも見せず、明快な自己主張が存在し、しかも全体はこよなくエレガントで浮遊感もある。荘重さと多彩な色彩感に満ち、ドビュッシーの新たな魅力を放ったこの作品を聴き、今後ドビュッシーとのつきあいがより深まってくれることを願わずにはいられなかった。
 終演後、楽屋にあいさつにいくと、いつもながらの温かい笑顔でふんわりと抱きしめてくれた。
「ドビュッシーが素敵でした」というと、「あら、そう。よかったワ」といって、またにっこり。
 今日の写真は、楽屋でのワンショット。人が多くてごったがえしていたため、正面から撮れなかった。 
 ピリスのピアノを聴くと、心が浄化する思いにとらわれる。この夜も、えもいわれぬ幸福感に包まれた。これが音楽のもつ力だと実感!!


 
 
 

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