Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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イングリット・ヘブラー
 夏になると、思い出すシーンがある。
 1990年7月、ザルツブルクでイングリット・ヘブラーと一緒にランチを食べたときのことが蘇ってくるのである。このときの様子は著書「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」に綴ったが、なぜか、私のなかでは夏とこのランチが結び付いている。
 もうひとつ、「ヘブラーと夏」で思い出すのは、1994年6月に東京で聴いたリサイタル。そのときの演奏会の様子を「ショパン」に書いたのだが、今日はそれを振り返ってみたいと思う(1994年8月号)。

強さと信念のモーツァルト

 ヘブラーのモーツァルトを聴くと、目の前にザルツブルクの風景が浮かんでくる、と以前なにかに書いたことがあるが、今回もやはり最初からこの感覚がおそってきて思いを新たにした。私が聴いた6月8日東京芸術劇場のプログラムは、ピアノ・ソナタ ヘ長調K.332からスタート。これは有名な「トルコ行進曲」の陰に隠れた作品といわれているものの、モーツァルト好きには聴き逃せない味わい深いソナタである。
 ヘブラーはそんな地味でありながらも含蓄の深い旋律を淡々と、しかも気品をもって弾き始めた。第1楽章の明るく素朴な主題はまるでザルツブルクの澄んだ夏空のように、また、緩徐楽章のこまやかな装飾音は真珠の粒がころがるように、そして奔放なフィナーレはザルヅァッハ川の滔々とした流れのように…。
 まだ会場が十分に温まっていないためか、ヘブラーのピアノは鳴りが悪いように聴こえたむきもあるようだが、けっして派手ではない、こうしたモーツァルトの内面を吐露するような作品から始めたところに、私は現在のヘブラーの心境を垣間見る思いがした。
「モーツァルトは、私の心に一番近い」と語るヘブラーは、モーツァルトの街ザルツブルクに住み、モーツァルトと同じ空気を吸い、モーツァルトを肌で感じて生きている。多彩なレパートリーを誇るピアニストが多いなか、ヘブラーはあくまでもモーツァルトにこだわり、モーツァルトをライフワークとし、モーツァルトに生命を賭けている。
 そんなピアニストが弾くモーツァルトが、人の心を打たないわけがない。ヘブラーはとても優雅で真摯で心温まる会話をしてくれる人だが、一本芯の通った強さも感じさせる。その強さはモーツァルトに賭ける信念のようなもので、それがそのまま音楽に現れている。
 ヘブラーは後半に幻想曲K.475とソナタK.457を演奏した。前半より乗って感じられたのは、作品のもつ劇的な要素ばかりではないだろう。彼女は、憂いと不安な表情を見せる旋律では、あたかも泣いているようなうたいまわしを見せ、情熱に駆られるアレグロでは毅然と立ち直って強く前進するような気丈な音楽を聴かせた。
 ああ、こういう微妙な喜怒哀楽の表情こそ、モーツァルトに欠かせないものなのだ。
 そんな感慨に浸っているところに、アンコールのショパンのノクターン第20番が飛び込んできた。いやあ、これは聴き手の気分をまるごと変えてしまうような意表を突く選曲で、ヘブラーの業師ぶりにビックリさせられましたね。ひたすら内省的な響きで勝負するのですから…。
 ただし、こういう曲はもう少し規模の小さなホールでじっくり聴きたいと思ったのは、ぜいたくというものだろうか。
 今回、ヘブラーのピアノから、ひとつのことを長く続けることの大切さを学んだような気がした。ヘブラーは今年デビュー40周年を迎える。みずみずしいモーツァルトを弾いてデビューした彼女は、いま余分なぜい肉をそぎ落したシンプルで清らかなモーツァルトに到達した。ここまでたどりつくのに40年という年月を要したわけだ。
 さて、今後はどんなモーツァルトを聴かせてくれるだろうか。再びあの美しい風景に出合えることを楽しみにしている。

 今日の写真は、その雑誌の一部。ヘブラーはこの6月20日に90歳のお誕生日を迎えた。もう来日公演は無理だろうか。もしも可能なら、またザルツブルクでランチをご一緒したいと密かな願いを抱いている。




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