Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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アレーナ・ディ・ヴェローナ
 今年は欧米各地のオペラハウスの引っ越し公演が多く組まれているが、空前のオペラ・ブームといわれた1989年も、世界各地から7つものオペラが来日。20年ぶりのボリショイや門外不出のバイロイト、スケールの大きなイベント・オペラまで多種多様な舞台が展開された。なかでも印象に残っているのは、「アレーナ・ディ・ヴェローナ」のヴェルディの歌劇「アイーダ」である。
 これに先駆け、真夏のアレーナ・ディ・ヴェローナ音楽祭に取材に出かけたのだが、2万5000人〜3万人収容のアレーナは、まさに壮大なスケールを誇る会場だった。
「アイーダ」が初めてここで上演されたのは1913年8月10日。おりしもこの年はヴェルディ生誕100年祭が催されることになっており、各分野の著名人が企画を出し合ったが、妙案は生まれてこなかった。
ちょうどそのころ、ヴェローナ出身でアメリカで成功を収めたテノール歌手ジョヴァンニ・ゼナテッロが帰国。彼は夕日に赤く染まるアレーナを見て「ここでグランド・オペラをやろう!」と提案する。紀元前1世紀に作られ、それまでは格闘競技や騎馬戦、ゴルドーニの人形劇などに使われていたアレーナは、この年以来その機能を劇場に変えた。
現在ではオペラ・ファン憧れの地となり、毎年7月から8月にはイタリア・オペラを中心としたオペラ・フェスティヴァルが華々しく開催されている。
 アレーナの広さは長径153メートル、幅128メートル、高さ30,5メートルだが、舞台の上で手をポンとたたくと、階段の一番上でもその音が聴こえるほど、すばらしい音響を備えている。
 イタリアの夏は日が長い。オペラが始まるまで世界各地から訪れた人々は、交通の遮断されたアレーナの周りのカフェやレストランでワインを飲んだり食事をしながら、場外アナウンス「アタンシオーネ、アタンシオーネ」という呼びかけをゆっくりと待っている。
 このときは「アイーダ」ももちろん鑑賞したが、私の胸に強い印象をもたらしたのは、雨で最後まで上演できなかったヴェルディの「ナブッコ」である。
これが上演された日は朝から曇り空で、いまにも雨が落ちてきそうだった。この時期のイタリアは天候が不安定。雨がひとしずくでも落ちてくると、オーケストラ・ピットのメンバーは一目散に舞台裏に逃げ込む。楽器が濡れると大変だからだ。そして雨が完全に止むまで、聴衆は何時間でも待ち続ける。いままでの最高記録は、夜中の12時に再開して、明けがたの4時半に終演を迎えたとか。
 この夜も案の定第1幕の途中で雨になり、何時間たっても止まなかった。アナウンスがしゃれていて、「皇帝ネロも雨には勝てなかった」などといって、しびれをきらした聴衆の心をやわらげていた。
 とうとう夜中になったとき、ステージに1台のオルガンが運ばれてきた。それに合唱団が続く。彼らはびしょぬれになりながら歌い出した。
「ナブッコ」の第3幕で歌われる、鎖につながれたヘブライ人たちの有名な望郷の合唱「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」である。これはイタリアの第2国歌とも呼ばれる大切な曲である。
 聴衆は最初は静かに耳を傾けていたが、次第にみんな一緒に歌い出し、涙を流している人もいる。曲が終わるやいなやみんな立ち上がり、拍手と歓声はいつまでも止まない。
合唱団はもう一度歌い始めた。今度はアレーナ中がそれに和し、大合唱となった。そして終演。チケットの払い戻しを求める人はだれもいなかった。
 翌日、アレーナ総裁のフランチェスコ・エルナーニ氏に会った私は、「もうアレーナのことは一生忘れません。思い出にここの模型のような物があるといいんですが、どこかに売っていますか」と聞いたところ、総裁は「ちょっと待って」と奥の部屋に消え、重そうな灰皿を抱えて現れた。
「これ、私が就任したときにもらった物だけど、タバコは吸わないし、私は毎日本物を見ているわけだから、東京に持って帰っていいよ。土産用に売っている物ではないから、大事にしてくれたまえよ」
 私は「キャーっ」と叫んだ。でも、余程物欲しげな顔をしていたか、感極まった表情をしていたのだろうか。と、一瞬考えたが、ありがたくいただくことにした(なんという物欲 笑)。いまは仕事部屋でタバコの灰ではなく、ステーショナリーグッズを入れて大切に使っている。あの雨のなかで聴いた合唱を思い出しながら…。


 
| 麗しき旅の記憶 | 18:58 | - | -
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