Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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ルチアーノ・パヴァロッティ
 1992年10月末、サンディエゴで行われるパヴァロッティのコンサートの取材に出かけた。翌年1月に横浜アリーナで開催される「パヴァロッティ・アリーナ・コンサート」の先行取材だ。
 ここで聴いた演奏とインタビューで記事を作成し、コンサートの予告をするという先行取材という形は結構多く、90年代はあちこちに出かけた。
 ただし、このときのインタビューは熾烈を極めた。現地に着くと、パヴァロッティはオーケストラとリハーサルの真っ最中。担当者は「本人には日本からジャーナリストがインタビューに来ることを伝えてありますから、あとはよろしく」といって、忙しそうにどこかに行ってしまった。
 さて、困った。自分で交渉しないといけないんだ。どうしよう…。
 これは雑誌「Hanako」のカラーページの取材だった。なんとかたくさん話を聞き出さないと記事にならない。リハーサルの休憩を待って、パヴァロッティに声をかけた。
「パヴァロッティさん、いつインタビューをさせていただけますか」
「いや、いまは忙しいんだ。私はもともとインタビューは嫌いなんだよ。いつといわれても…」
 すでに逃げの態勢。それでは困る。私は繰り返し頼んだ。
「日本の雑誌がたくさんページを空けて待っているんです。なんとか時間を作っていただけませんか。日本のファンも待っていますし」
 パヴァロッティは大変な汗かきで、2リットル入りのミネラルウォーターを両手に抱えている。それを持ってすたこらと逃げ出した。
 私は中学時代、陸上部の短距離(100メートル)の選手だった。リレーではいつもスターターを務めた。大昔のこととはいえ、いまでも走ることにかけては負けてはいない。
 すぐにパヴァロッティに追いつき、追い越し、くるりと前にまわって「ちょっとだけでいいんです。お願いします」と叫んだ。
 突然、行く手をさえぎられたパヴァロッティは水を落としそうになりながら、おっとっとっと、つんのめり状態。
「きみは、あきらめが悪いなあ」
 この一部始終を見ていたオーケストラのメンバーは、「漫画のトムとジェリーのようだ」といって大笑い。「ふたりともがんばれー。もっと走れー。ファイト!」などとはやしたてるため、さすがのパヴァロッティもトーンダウン。
「ホント、しつこい。じゃ、ほんのちょっとだよ」
 こういって椅子にドッカと腰を下ろした。
 でも、あんなに嫌がっていたのに、いざとなったら結構話してくれ、無事に記事ができたというわけだ。今日の写真はそのときの記事の一部。
 もっとも興味深かったのは、いつもステージで左手に巻きつけている白いハンカチ。これは一種のおまじないだそうで、これがないと歌えないという。いまや完全にトレードマークとなったれいのハンカチだ。
 素顔のパヴァロッティはその目がすべてを表しているように、繊細で神経質で傷つきやすい表情を持っている。ステージで見ると底抜けに陽気でいかにもイタリアンといった風情だが、決して明るさだけが彼の特徴ではない。
「私はいつも自分の声の変化を自然な形で受け止めてきたんだよ。若いころはリリコな声を必要とする役を得意としてきたけど、だんだんドラマティコに移っていった。年々声は重くなるからね。それだけ役柄が広がったわけだから、むしろこの声の変化を楽しんでいる。オペラ歌手はひとつの音でもはずしたり、出なかったりすると非難されるけど、それをいつも乗り越えてきたんだ。私の歌を聴いてくれる人は、むしろ声の変化を聴いてほしいと思う。いつまでも“キング・オブ・ハイC”じゃないしね」
 彼はデビューした当初、テノールの最高音であるハイCをほかのだれにもまして楽々と歌い切るところからこのニックネームがついた。
 その後、3大テノールの取材にも何度か出かけ、終演後にインタビューに行ったが、「うわっ、また来た」といってカレーラスの後ろに隠れる始末。でも、大きいからしっかり見えていた。どうもサンディエゴ以来、すっかり嫌われてしまったようだ。
 いまとなってはもういい思い出である。2007年、パヴァロッティは帰らぬ人となってしまった。本当はもっと追いかけっこをしたかったのに、残念でたまらない。

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:14 | - | -
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