Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

ブログ

<< 加古隆 | main | エレーヌ・グリモー >>
アイゼナハ
 J.S.バッハの生誕地、旧東ドイツのアイゼナハを最初に訪れたのは、1986年の秋だった。前年に生誕300年祭を迎え、この年は世界各国でバッハを記念して音楽祭やコンサート、さまざまなイヴェントが盛大に行われた。ただし、翌年はまたもとの静けさに戻り、生誕地はひっそりとしていた。
 バッハハウスも現在のように整備された大規模な記念館のようなスタイルではなく、ガランとした感じ。案内の人がひとり、手持無沙汰の様子ですわっていた。
 もっとも印象的だったのは、バッハの生家があったとされるルター通り35番地。ここは磨滅した石畳に沿って、いまにも崩れ落ちそうな建物が並んでいる地域。生家は現存せず違った建物が建っていたが、バッハ時代の面影を色濃く残していた。
 あたりは人っ子ひとりいない。不気味なほどの静けさが支配し、自分の靴音だけが響く。家々は窓もドアもきっちりと閉められ、外部の人間を拒否しているようにさえ思える。当時は、道を聞いても、地図を広げて場所を聞いても、目を伏せてわからないという表情をする人ばかりだった。
 食事をする場所やお茶を飲むところもなく、唯一、駅の近くに小さな食堂がポツンとあるだけだった。
 ところが2009年1月、22年半ぶりに訪れたアイゼナハは、大きな変貌を遂げていた。バッハハウスの充実は目を見張るものがあり、テクノロジーを駆使し、バッハのあらゆる資料が見られるようになっていた。
 周囲の家々は淡いクリーム色やピンク、オフホワイトに塗られた壁を持つ居心地のよさそうなものに変わり、人々はショッピングやレストランでの食事を楽しんでいる。みな親切で、明るい笑顔で旅人を迎えてくれた。
 なんという変わりようだろう。私はとまどい、呆然とし、どこかにあの時代の面影を見出そうとしたが、無駄だった。すべてが新しい国のように、新しい都市のように異なった表情を見せ、暗さや怖さは微塵も感じることがなかった。
 アイゼナハは、まったく新しい顔で大きく両手を広げて笑みを見せながら迎えてくれたのである。写真はモダンになったバッハハウス周辺。
 アイゼナハは、確かに驚異的な変貌を遂げた。だが、バッハの音楽は変わらぬ姿でそこに存在しているように感じられた。永遠不滅の音楽。その事実に直面し、ただ、自分のなかに流れた年月だけを深く感じ入ることになった。
 ここは自己の内面と対話を促す町。そしてバッハの偉大さを再認識させてくれる町。ここからより大きな町へと飛翔していったバッハに思いを馳せているうちに、なぜか無性に「イギリス組曲」の第3番が聴きたくなった。

| 麗しき旅の記憶 | 23:10 | - | -
CALENDAR
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< August 2017 >>
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE