Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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ヘルマン・プライ
「インタビュー・アーカイヴ」の第2回は、私が長年その歌声に魅了され続けているヘルマン・プライ(1929〜1998)の登場。

[FM fan 1994年11月21日〜12月4日号 25]

「こうもり」のアイゼンシュタインでは聴衆の笑いを誘い、
「冬の旅」では微妙な感情を表現した名バリトン


 長いキャリアを誇るプライが、ウィーン国立歌劇場の「こうもり」では陽気でコミカルなアイゼンシュタインを演じ、その一挙手一投足が聴衆の笑いを誘った。そしてリサイタルではシューベルトの「冬の旅」で、今度は詩の裏側に潜む微妙な感情までをも表現するようなシリアスな歌を披露し、聴き手の心にどっしりとした重量級の感慨をもたらした。
 
「冬の旅」のあの歌の世界、絶望的な部分に強く共鳴を覚えます

――演奏家はキャリアを重ねていくごとにその音楽から余分なものがそぎ落とされ、シンプルになっていく場合が多いと思いますが、歌手の場合は役を歌い込んでいけばいくほど、表現が濃密になっていくものなのでしょうか。
「歌手はたいていある時期が来ると、活動をしぼるようになります。歌う回数を減らし、レパートリーも限定する。そうやって中身を凝縮させていくわけです。それによってその役や歌の内容が濃くなっていくことは確かでしょうね。ドイツのことわざにこんな言葉があるんです。“限定されたなかでこそ、マイスターというのは真の自分を見せることができる”とね。
 私もいまは以前にくらべてかなりステージに立つ回数を抑え、そのなかでよりよいものを目指すよう心がけています。ですからいまは、自分では30年前よりも高いところに到達したと思っています」
――今回は「こうもり」と「冬の旅」という、コミカルとシリアスの両面を聴かせていただきましたが、プライさんのなかでは、どちらがよりナマの自分に近いのでしょうか。
「だんぜん“冬の旅”のほうです。もちろんプロですからステージではどんな役も歌いますが、私自身のなかにコミカルな要素というものはまったくありません。むしろ“冬の旅”のあの歌の世界、絶望的な部分に強く共鳴を覚えます。
 私もこれまで何度も絶望的なことを味わってきたからです。落ち込むときは、もうかなり下まで落ち込んでしまいます。どん底まで落ちて、また這い上がってくるのです。
 ゲーテの作品もそうでしょう。彼の重要な作品は、みな絶望の状態にあるときに書いたものだと本人がいっていますよね。人間にとって、この下から上へのぼってくる力、それが成長につながるのではないでしょうか」
――それは演奏が納得いかないときに、そういう精神状態になるのですか。
「いいえ、そうともいいきれません。いろんな場合があるのです。
 きっと私がそういう状態に陥るときは、成長を求めているときなのでしょう。こういうときは天から神の声が聞えてくるんです。ちょっと休みなさいという声が。40年ほど前から、ベルギーの北海にある島に家を持っているのですが、精神的によくないときは、すぐそこに飛んでいきます。
 一番の救いは家族ですが、自然も大いなる救いをもたらしてくれます。自転車で島を走りまわったり、散歩をしたりすると、やすらぐんです。それに自然から作る薬草のようなものを研究している友人の医師とも話をします。 ただしここ数年は、そうした外的要素によって精神が左右されるということはなくなりました。私も少しは成長したのでしょう(笑)」
――シューベルトに対する愛は変わらないですよね。
「ええ、もちろん。シューベルトは私の人生の中心点といえるものですから。
 実は“冬の旅”を歌い始めたころ、どうしても楽譜通りに歌えない箇所があって、いつもまちがえて歌っていたんです。ところがある日、1960年代のはじめのころですが、ニューヨークのモルガン・ライブラリーでシューベルトの自筆譜を見る機会があったんです。そしたら私がまちがえている箇所が、実はシューベルトが最初に書いた音だったんです。それがまちがって出版されていた。たった3カ所ですけどね、これは大発見でした」
――「冬の旅」では、伴奏のピアノが重要な役割を果たしていると思われますが…。
「そう、リートを歌うときはいつもピアノに心を砕きます。いまハンブルク音楽大学で教えていますが、この授業の半分くらいは伴奏との合わせに費やしています。
 歌の世界ではピアノは歌手を支え、ともに歌っていかなくてはなりません。歌手のひとり舞台になったり、ピアニストが先走ったりしてはいい音楽はできません。
 昔、ブレンデルと4年間ほど組んだことがありますが、彼はピアノをいかに鳴らすかということばかりに心を奪われていた。私と一緒には歌えなかったんです。ブレンデルはきっと天性のピアニストなのでしょうね。
 そうそう、1997年1月にサントリーホールで6夜にわたってシューベルトを歌う計画が入っています。いまピアニストを探しているんですが、私はリヒテルを希望しているんです。まだどうなるかわかりませんが、ぜひ実現させたいと思っています」

この声は神から授かったもの
引退も神が決めてくれるのです


――最近は演出にも力を入れていらっしゃいますが、今後はどのような作品を手がけられる予定ですか。
「それはいま模索中です。ただ、演出はこれからもどんどんやっていくつもりです。そのぶん歌うほうを減らしていますから。もう私のフィガロを要求してくれるオペラハウスはなくなりましたし、レコーディングの話もきませんからね(笑)。新しい自分を見出さないとね。
 フィガロはロッシーニとモーツァルトの両方を1952年から歌っていますが、一番印象に残っているのはやはりミラノ・スカラ座で初めてロッシーニを歌ったときです。ドイツ人がイタリア・オペラで勝負するのは大変なんです。カルーソーがバイロイトに出演するようなものですからね。
 このときは、始まる前はガタガタ震えていました。でも、幸いなことに舞台は成功しましたので、そのあとはもう赤ワインを浴びるほど飲みましたよ。この成功が私に自信をもたらしてくれました。その意味ではアイゼンシュタインは1977年から歌い始めたのですから、キャリアはまだまだです。
 いつまで歌えるかいまはなんともいえませんが、引退というのは自分では考えないことにしています。この声は神から授かったもの。引退も神が決めてくれるのです。もう歌うのをやめなさいという神の声が聞えるまで、ずっと歌っていくつもりです。たとえ80歳になってもね(笑)」

 今日の写真はそのときの雑誌の一部。80歳まで歌いたいといっていたプライだが、インタビューの4年後、69歳で帰らぬ人となってしまった。悲しくてたまらない…。

| インタビュー・アーカイヴ | 18:34 | - | -
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