Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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ホセ・カレーラス
 インタビュー・アーカイヴ第19回は、ホセ・カレーラスの登場。彼には各地で開催された「3大テノール」のコンサート終了後など、何回かインタビューをしたことがあるが、いつも真摯に、ていねいに、誠心誠意答えてくれるため、そのつど感激してしまう。
 この記事は、カレーラスの「メリー・クリスマス」のCDを紹介したときのもの。それに加えて、彼の人となりを紹介した。

[The CD Club 2002年12月]

 
完璧主義者の美声
カレーラスが歌うクリスマス

どんなときでも全力投球で臨む生きかたが歌声に映る

 歌手にはさまざまなタイプがある。情熱的で明るい歌声を持ち、その声を聴いただけで心に光が宿るような思いを抱かせてくれる人、豊かな声量と抜群のテクニックに、「これは神から授かった天性の素質だ」と思わせる人、歌詞を大切にしながら切々と語りかけるように歌う人、演技力や表現力がすばらしく、役者のような雰囲気をただよわせている人、声は最良の楽器だということを存分に知らしめてくれる人など…。
 ホセ・カレーラスはこのいずれのタイプにも属するようで、実はどれにも当てはまらない希有な存在だ。彼はとても人間くさく、生きかたそのものを歌に反映させるタイプである。そして「努力の人」でもある。もちろん神から与えられた天性の声を持っているが、それだけに頼ってはいない。
 いつでも、どんなときでも自分のすべてを出し切り、失敗を恐れず、ひたすらまっすぐに突き進んでいく。すでに地位も名声も確保しているにもかかわらず、いつも新人のような挑戦する魂を胸に秘めている。
「私は子どものころから歌い出すと止まらない性格でね、昔から家族や近所の人たちに『ほら、またホセが歌い出した。今日も夜まで歌っているだろうよ』といわれたもんだよ。本当に歌うことが好きなんだ。歌があればほかのものは何もいらない、とまで思えるくらい。だからこそ、病気になったときはもう歌えないかもしれないと、どん底に突き落とされた思いがした。でも、神が救ってくれたんだ。いままたステージに立てる、大好きな歌が歌える、それだけで幸せだよ。だから自分の持てるものをすべて出して精一杯歌うのは当然のこと。これからもずっと声が出る限り歌っていきたいと思っているよ」
 こう語るカレーラスは、いわゆる完璧主義者である。それはデビュー当時から現在にいたるまで変わらぬことで、あまり知られていない珍しい作品や小品を歌うときでも、どんなに小さなコンサートで歌うときでも、自己の最高の歌を聴衆に届けようと全力投球する。
 この全力投球の姿勢は、白血病から見事に立ち直った後に、ピアノ伴奏によるリサイタルを世界各地で行ったことに如実に表れている。彼はのどを休ませることができるオーケストラ伴奏によるオペラ・アリアのコンサートではなく、ひとりでずっと歌い続けるリサイタルを復帰演奏会に選んだからだ。
 このときは倒れる前よりひとまわりやせ、青白い顔で必死で歌うカレーラスに、世界中のファンが心打たれたものである。彼は拍手が続く限りアンコール曲を歌い、ひとりでも多くの人の気持ちに応えたいと歌うことをやめようとはしなかった。ここにも完璧主義者らしい顔が表れていた。

新曲も暗譜! 完全に把握してから披露する

 3大テノールのコンサートでも、カレーラスの一途な姿勢は変わらない。彼は新曲も暗譜、完全に自分の歌にしてからステージに臨む。そして歌い込んだ作品と同様の歌唱力と表現力をもって聴衆の心の訴えかける。このひたむきさに聴き手は心を奪われるのである。
 日本公演のときにいつも歌う「川の流れのように」を初めて3人で歌ったときも、カレーラスは歌詞カードをほとんど見ることなく歌いきった。
「私が完璧に暗譜していたって? それはたまたまだよ。いつも暗譜しているわけではないし、新しい曲を短期間で完全に覚えるのは難しいことだからね。プラシドやルチアーノが楽譜を見ていたのは、彼らのポーズが大きかったからじゃないのかな。私はチラッとうまく楽譜を見る名手だから。昔からカンニングは得意なんだ(笑)」
 こうしたジョークも忘れないのがカレーラスのいいところだ。ドミンゴとパヴァロッティとのリハーサルでも、ひとりがうまく歌えなかったり、みんなの意見が割れたりすると、必ずだれかがジョークを入れるが、カレーラスもジョークを連発することがある。それにより、全体のムードが一変し、リハーサルがスムーズに流れることを知っているからだ。
 1998年にフランスで行われたw杯決勝前夜祭の3大テノールのコンサート終演後、カレーラスはこんなことをいった。
「私は自分が納得いくまで練習して、その歌を完全に自分のものにしてからでないと歌えない性格なんだよね。それは子どものころから変わらないもので、少しでも不安要素があるとステージに立てない。ナーバスになってしまうんだ。歌う作品を全部すみずみまで暗譜することは決して楽ではないけど、ステージでもレコーディングでも、暗譜したほうが歌に集中できる。
 これは私のモットーなのかもしれない。自分に難題を課したほうが燃えるタイプなんだ。適度にやればいいことでも、いったん手をつけると、のめりこんでいってしまう。これは生活全般にいえること。だれか止めてよ(笑)」

バーンスタインをうならせた、ひと晩の計り知れない努力

 カレーラスはオペラでもPAを使う野外コンサートでも歌う姿勢はまったく同じ。マイクを使うからといって、手抜きは一切しない。しかも、こうしたコンサートでいつも新しい曲に果敢に挑戦する。歌い慣れた、当たり役といわれる歌だけを歌うというのは、カレーラスのモットーに合わないのだろう。聴衆の拍手が少なくてもいい、スタンディングオベイションにならなくてもいい、私は今回新しい作品に挑戦するんだ、とカレーラスは考え、未知の分野に向かって歩み出す。
 そんなカレーラスは、以前バーンスタインとの共演で「ウエストサイド・ストーリー」を録音したことがあった。このときはリハーサル中に自分の歌に納得できず、途中で歌うことをやめてしまい、バーンスタインをがっかりさせたことがある。しかし、翌日カレーラスは完璧に歌いこなし、バーンスタインをうならせた。この一部始終が映像に残されているわけだが、カレーラスは自分のそんなプロらしからぬ姿を映し出したビデオの発売を禁じることなく、OKを出した。
 ここにはひとりの人間としてのカレーラスが存在している。カレーラスといえども、完璧に歌えないことはある。まして『ウエストサイド・ストーリー』はふだん歌い慣れたクラシックの作品とは歌唱法も表現力も異なったものを要求される。
 カレーラスが止まってしまった曲は、この作品の大切な部分だった。それをひと晩で納得いく形に仕上げたのである。どんなに大変だったことだろう。そんな努力の過程をカレーラスはみんなに見せてしまった。悩み、苦しみ、もがき、そしてついにすばらしい輝きに満ちた歌を歌い上げる。その過程を…。
 以後、カレーラスは「ウエストサイド・ストーリー」を完全に自分のレパートリーとし、各地で歌っている。バーンスタイン亡きいま、カレーラスはこの曲をどういう思いで歌っているのだろう。きっと、あの苦難のときを乗り越え、納得いく歌が歌えた喜びの瞬間を思い出しているに違いない。
 私はカレーラスのこの歌を聴くと、いつもひとつずつ階段を駆け上がろうとする彼の姿勢に触れる思いがし、胸が熱くなる。

ひとりの生身の人間の不器用そうな姿に引きつけられる

 だが、カレーラスはいまではステージで努力の痕跡は一切見せない。楽々と余裕をもって歌っている姿を披露する。だからこそ、聴き手は作品のよさに存分に酔えるのである。ただし、カレーラスの歌には常にヒューマンな味わいがただよっているのも事実である。ひとりの生身の人間が歌っている、そのぬくもりが伝わってくるのである。
 現在はなんでも簡単にすませられること、楽をして大きな成果を得ること、苦労しないことにこしたことはないとされる時代である。カレーラスのようにコツコツと実績を積み上げ、ビッグスターになってからもひたすら努力あるのみ、などという生きかたは敬遠されるのかもしれない。しかし、そんな生きかたに引きつけられる人もいるのである。
 私はカレーラスのどこか世慣れていないような、恥じらいに満ちた、なんだか不器用そうで、うまく立ち回れないような姿を見ると、無性に引きつけられる。スターらしくなく、礼儀正しく、知性的で、しかもどこか危なっかしい。ひとつのことを思いつめると、善悪の判断なしに飛んでいってしまう。そんなカレーラスの生きざまそのものが歌に表れている。

極寒の教会での記憶を彷彿とさせるカレーラスの歌声

 ここに聴くクリスマス・アルバムでも、カレーラス節は健在。曲の冒頭から情熱を傾け、一気に感情がほとばしるように歌い上げていくカレーラスの歌唱法は、クリスマス・ソングを聴き流すものではなく、じっくりと耳を傾けるものに変える。欧米ではクリスマスは祈りに始まり、祈りに終わる。そこに必要なのは敬虔で美しい歌の数々。人々は教会で歌い、家庭で歌う。その伝統をカレーラスの歌声は伝えてくれる。
 以前、カナダからの大寒波を受けてマイナス15度にもなろうという極寒のニューヨークでクリスマスを迎えたことがあった。仕事を終えた私はあまりの寒さに耐えきれず、近くの教会に避難した。そこでは人々がみな目だけ出しているようなものすごい防寒スタイルで、震えながらクリスマスの歌を歌っていた。
 一歩なかに入ったら暖かいだろうという甘い考えは、すぐに氷解した。石造りの建物特有のしんしんとした寒さが足から押し寄せてくる。それでも人々の歌声を聴いているうちに次第に心が暖まってきた。みんな熱心に神父の説教に耳を傾け、ミサのオルガンと聖歌隊に静かに和すように歌っていたからだ。
 広い教会に朗々と響きわたる歌声は荘厳さに満ち、クリスマス本来の祝いかたを知らされる思いがした。キリストの降誕祭は祈りと清らかな歌に彩られる。カレーラスの歌声は、あの凍てついた教会の空気をまざまさせと思い起こさせてくれる。

今日の写真はその雑誌の一部。胸の前に手を置く得意のポーズだ。

| インタビュー・アーカイヴ | 21:26 | - | -
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