Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

ブログ

<< アルバイシン | main | カルテットの会 >>
エフゲニー・キーシン
 今秋来日する関係で、いまはエフゲニー・キーシンの原稿が相次いでいる。そこで「インタビュー・アーカイヴ」第23回はそのキーシンにスポットを当てたい。彼には初来日のときから取材を続けているが、そのつどインタビューでは新しいことをいろいろ話してくれる。
 初来日は15歳。そして今回の来日で40歳を迎える。ああ、25年の年月が経過したわけだ。自分の年を考えると、実に感慨深い。いやいや、考えるのはやめよう。キーシンのことだけ考えようっと(笑)。

[FM fan 1991年3月4日〜3月17日 No.6]

ショパンは民衆の叫びの代弁者 
この心を表現したいといつも考えています


 この1月末から2月にかけて、キーシンが5度目の来日を果たした。初めて日本を訪れたときはまだ15歳だった。その華奢なからだからあふれ出てくる無限大の音楽に心を奪われたものだが、その彼もすでに19歳。ここ数年のキーシンはカラヤンと共演したり、カーネギー・ホールにデビューしたりと、まさにピアニストの王道を着実に歩んでいる。
 今回の日本公演も、持ち前の美しい音になお一層磨きがかかり、一種の風格さえ感じさせるすばらしいものだった。そんな彼がひとときのオフ・タイム、自分の音楽観をじっくりと語ってくれた。

カーネギー・ホールでのリサイタルは夢の実現

――カラヤンとの共演、カーネギー・ホールでの演奏と、次々にすばらしいニュースが伝わってきますが、いま振り返ってみるとどんな気持ちですか。
キーシン カラヤンと共演したことは、ぼくにとってあまりにもすばらしいできごとでしたので、ことばに出して表現してしまうとその実体が失われてしまうような気がします。カラヤンのような人が誕生するのは100年に一度あるがどうかでしょう。そういう偉大な人に巡り会えてとても幸せでした。
 カーネギー・ホールでのデビュー・リサイタルは、ぼくの夢の実現でした。
――今年の暮れにはアバド指揮ベルリン・フィルとの共演ということですが、こういうときのプログラムはどのようにして決めるのでしょうか。
キーシン 今年の12月31日に共演することに決まりました。アバドとは以前一度一緒に演奏したことがあります。そのときはモーツァルトのピアノ協奏曲第20番を弾きましたが、これはマネージメント側で決めてもらいました。まだアバドとは面識がありませんでしたから。その後、実際に会って話すことができ、レパートリーのこととかいろいろ聞かれました。今度の演奏会では、彼の希望で多分ベートーヴェンを弾くことになるでしょう。
――ごく最近モーツァルトのピアノ協奏曲第12番がリリースされましたが、モーツァルトは音楽家にとって譜面はそんなに難しくないのに、演奏するのは非常に難しい作曲家だといわれていますよね。
キーシン カントール先生はいつも「モーツァルトをうまく弾けるのは子どもか大巨匠だ」といっています。ぼくはモーツァルトの音楽はとても簡潔だと思うんです。子どもというのは、そういう簡潔さというものを何のわだかまりもなく、屈折したものもなく素直に無心に表すことができる。かたや大巨匠は、ものすごく練習して苦労して、長い人生のなかでいろんなことを考えて、その結果すばらしい演奏ができるようになるんでしょうね。
 リストを例にとってみると、若いころはテクニックにものをいわせた演奏をしたり作品を書いたりしていますがだんだんにシンプルになっていく。ソ連の多くの作曲家を見ても、ラフマニノフやショスタコーヴィチなど、みんな晩年の作品になるほど簡潔になっていきます。
――年を経るに従って、邪念がなくなっていくというか…。
キーシン そうですね。大巨匠の演奏に対するアプローチも、徐々に余分なものを取り去って無我の境地になっていく感じがします。ソ連の詩人で小説家でもあるパステルナークが、こんな詩を書いています。全部朗読すると長いから最後のところだけ(笑)。「人生が終わるにあたって、すべてが簡潔なものになることを意識するものだ」。このことばがすべてをいい表していると思いませんか。モーツァルトは短い人生でしたが、その生涯は清らかでシンプルな作品そのものです。そんなモーツァルトを演奏で表現するのは、やはり大変うれしいことです。
――ピアノ曲以外にもモーツァルトの作品はよく聴かれますか。
キーシン ええ、いろいろ聴きますよ。好きなのはオペラ「ドン・ジョヴァンニ」ですが、ただ、これだけが好きというわけてはありませんから、1曲だけって書かないでくださいね(笑)。
 特に好きなのは、ピアノ協奏曲第24番なんです。えっ、いまはもう旋律を歌わないのかって? 小さいころは自分の意志を表現する手段が歌うことしかなかったので、しょっちゅう歌っていましたが、いまはもう声変わりしてしまったし、まったく歌いません。

肝心なのは音楽を感じること

――ところで、ショパンの演奏にはルパートが欠かせないと思うのですが、それについてはどんな考えをお持ちですか。
キーシン ルパートは自分の裁量でテンポを決めるということで、自然に音楽を響かせなさいというものですよね。ところが、これは多分に乱用してしまう恐れがある。
 昔、19世紀の末にサフォーノフというロシアのピアノ教師がいました。その弟子に女子学生がいて、彼女がルパートをまちがって解釈していたらしいんです。そしたらサフォーノフが「では、ルパートの指示のないところでも全部ルパートで弾きなさい」といったそうです。そうやってルパートの乱用を防ぎ、不自然だと教えたのでしょう。
 この例に見られるように、ぼくはルパートというのは、常に自分の感性に忠実に自然に使うべきだと考えています。肝心なのは音楽を感じることで、それができれば、テンポのつかみかたもほかのことも自然に理解できるようになるはずです。
――それでは、ショパンのポロネーズやマズルカなどの舞曲のリズムを表現する際にはどんな注意が必要でしょう。
キーシン これらはショパンが舞曲の形式を借りて作曲したもので、純粋に踊るためのものではありません。肝心なのは外面的なリズムなどではなく、その当時ポーランドがロシア帝国から侵略されてその圧政下にあり、民衆がいかに自由を求めていたかということを知ることだと思います。ショパンは民衆の叫びの代弁者だったわけですから。ぼくはマズルカやポロネーズ、そしてソナタを弾くときには、いつもこのショパンの心を表現したいと思っています。
――以前、スペインはとてもすばらしいところだとおっしゃっていましたよね。
キーシン 3年ほど前に行ったときのことですね。このときはたった8日間でしたので、あまりあちこちは見られませんでした。でも、すごくいいところだと思いました。
――それはドイツの芸術家が南国にあこがれるような気持ちと同じような感覚でしょうか。
キーシン 残念ながらぼくがスペインを訪れたのは3月でしたから、モスクワと似たりよったりの気候でした。ソ連だって夏は30度近くになるんですよ。だから気候だけにあこがれたわけではありません(笑)。

 キーシンは決して雄弁なほうではない。むしろひとことずつ考えながらことばを選んで話すタイプ。いつも詩集をポケットに入れているというだけあって、その話はとても思索的だ。まるで彼の一音ずつ大切に弾き込まれるピアノの音色のように。

 今日の写真はその雑誌の一部。こうして見ると、キーシンは25年たってもあまり顔の表情が変わっていない。それに引き換え、私は…。いやいや、考えまい(笑)。

| インタビュー・アーカイヴ | 23:40 | - | -
CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE