Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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アレクシス・ワイセンベルク
 1月8日、偉大なピアニストであるアレクシス・ワイセンベルクがスイスのルガーノで亡くなった。享年82。
 この訃報を聞いたときはとてもショックで、その日は一日中ワイセンベルクの顔が脳裏から離れなかった。
 私がインタビューをしたのは、もう24年も前のこと。ワイセンベルクの広島公演に同行し、取材を行ったときである。
 もっとも印象的だったのは、新幹線の車中でのひとこま。彼は女性の秘書とともに東京から移動したのだが、私に「食堂車でカレーを食べないか」と声をかけてくれた。まだ食堂車があった時代だ。
 注文の段階になると、彼はカレーライスを頼んだので、私も同じものを頼んだ。すると、秘書の女性は「ライスだけ」という。
 私は怪訝に思って「ライスって、ごはんだけなの?」と聞くと、彼女は「そう、ライスよ。お米は畑で採れるでしょ。私にとっては野菜なのよ。ダイエットに向いているし、ヘルシーでしょ」と平然としている。(なんか、変…)
 さて、カレーライスが運ばれてくると、ワイセンベルクはお箸でカレーをすくって食べ出した。でも、すくってもすくってもこぼれてしまって、ちっとも食べられない。
「マエストロ、カレーは日本人でもスプーンで食べるんですよ」というと、「いやいや、これは箸で食べるものなんだよ。絶対、箸で食べなくてはいかん」といって、根気よくすくっている。
 その隣では、秘書がやはりお箸でお米の粒をひとつずつぎこちなくつまんでは食べている。
「ねえ、ごはんはひと口分くらいまとめて食べるものなのよ」というと、彼女も頑固にこういい張った。
「あら、ひと粒ずつ食べるからダイエットにいいのよ。まとめて食べたら、意味がないでしょ」
 あら、そう、なんとも変な理屈。このふたり、それから何分間これを続けていたと思いますか。私はペロリとカレーライスを食べた後、ひたすらふたりの格闘している姿をながめ続けていた。やれやれと思いながら(笑)。いまでも、このときのことを思い出すと、自然に笑いがこみあげてくる。
 ワイセンベルクは1929年7月26日ブルガリアのソフィア生まれ。若いころは相当苦労をしたようだが、1946年にニューヨークのジュリアード音楽院に入学し、翌年レヴェントリット国際音楽コンクールで優勝。同年、ジョージ・セル指揮ニューヨーク・フィルと共演した。
 その後、1956年から10年間は自身の音楽を鍛えなおすために活動を休止し、1966年にパリのリサイタルで復活。翌年からヘルベルト・フォン・カラヤンとの共演を続け、多くの録音も行った。
 このときのインタビューでは、恩師のアルトゥール・シュナーベルや、ワンダ・ランドフスカについて、熱心に語った。
「シュナーベルは私がいままで聴いた最高のベートーヴェン弾きだったと思う。本当にロマンティックに弾いていたよ。ランドフスカからはものすごく多くの影響を受けた。バッハをピアノで弾く場合、いかにチェンバロに近い響きにするか、また、バッハの各声部の組み立てや様式を教えてくれた」
 セルとカラヤンに関しても話が尽きないといった感じだった。
「有名な人と共演したのはセルが初めてだったね。私がコンクールで賞をいただいたとき、彼は審査員のひとりだったんだよ。とてもよく面倒を見てくれた。カラヤンはすばらしいピアニストでもあった。ファンタジーいっぱいのね。彼と話すだけで自分が高められる感じがした。カラヤンとともに仕事ができるということは、この上ない幸福なことなんだよ」
 ワイセンベルクの演奏はダイナミックで、ヴィルトゥオーソ的だったが、その奥に繊細さとあふれるロマンを内包していた。いまでもあのファンタジーあふれる豊かなピアニズムは私の心に深く刻み込まれている。
 今日の写真はそのときの3枚。バイキング形式の食事でご一緒したもの。インタビュー時のもの。そして主催者から和服を着せてもらってごきげんなワイセンベルク。すべてがなつかしく、胸が熱くなり、涙がこぼれる。
 なお、この追悼記事は次号の「音楽の友」に書く予定になっている。







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