Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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アンドレイ・ニコルスキー
 先日、あるピアニストとの話のなかでエリーザベト王妃国際コンクールのことが話題となり、急にアンドレイ・ニコルスキーのことを思い出してしまった。
 私がニコルスキーの演奏を初めて聴いたのは、1987年にブリュッセルで行われた第25回エリーザベト・コンクールのときのこと。このとき彼は最初から本命視されていたが、本選で圧倒的な迫力に富むラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を演奏し、優勝を勝ち取った。
 当時、27歳。決して早すぎる栄冠ではなかった。24歳のときに旧ソ連からドイツに亡命し、苦労したのちに手にした優勝だった。一夜明けた翌朝のインタビューでは、こんなことばを残している。
「いままでどんなに働きかけてもだれも振り向いてくれなかったのに、第1位になった途端、世界中からコンサートの依頼やレコーディングの電話がじゃんじゃんかかってくる。ぼく自身はちっとも変わっていないのに、この反応の変化にはびっくり。人生って不思議なものだよね。ここでいい気になったらおしまいだと、いまは自分を落ち着かせるのに精いっぱいなんだ」
 ニコルスキーは複雑な表情を隠さなかった。彼はコンクールで演奏した各々の曲目の自己評価をこまかく語ってくれたが、それによるともっとも納得いく演奏ができたのは本選のコンチェルトで、もう一度弾き直したいほどだというのは、同じく本選で弾いたショパンの「舟歌」だった。
 ニコルスキーは大変な汗かきである。それがステージ衣裳にも表れ、タキシードや燕尾服などは大嫌い。できる限り涼しく演奏しやすいものということで、コンクールでも黒のワイシャツというかドレスシャツ1枚といういでたちで現れた。これは賛否両論の的となったが、本人は涼しい顔。
 このようになにごともマイペースで、性格的には一途で妥協を知らない。真っ正直に自分の意見をいい、おせじや立ち回りがうまくないため、周囲の人々と常に争いが絶えなかった。
 ピアニストは体力が一番とばかりにからだを鍛え、ジム通いや泳ぎを欠かさない。それがそのまま演奏に反映され、弱音も決してヤワではなく、音楽が一本筋の通った強さを見せていた。
 だからだろうか、この人の演奏は初めは平常心で聴いていても、徐々にその強靭さに引きつけられていき、最後はその熱気にからだじゅうが満たされていることに気づく。
 そんなニコルスキーの突然の訃報が入ったのは、1995年2月3日。ベルギーに住んでいた彼が交通事故で亡くなったというニュースが飛び込んできた。
 この日、ニコルスキーは仕事の打ち合わせで秘書の家に立ち寄り、深夜になって山道をクルマで走っていたときに、急に目の前に小さな動物が現れ、それをよけるためにハンドルを切りそこねて崖下に転落。即死だったそうだ。享年35。1時間以上経過しても自宅に戻らない彼を心配し、家族が捜索願いを出して事故が判明した。
 このときの最新情報としては、ロシアで指揮の勉強をしていて、近々サンクト・ペテルブルクで指揮者デビューをすることになっていたとか。その矢先の事故だった。
 個性的なマスクをした寡黙なタイプの彼は、日本での人気は決して高くなかったが、こういう人は40歳すぎて真の実力で勝負に出たときに評価が定まるのではないだろうか、とひそかに思っていただけに残念でたまらない。
 いまでも、あのコンクール時の熱い演奏は胸の奥に確固とした形でいすわっている。
| クラシックを愛す | 22:35 | - | -
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