Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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マリア・カラス
 今月号のモーストリー・クラシックの特集は、「カラスと世界の名歌手格付け」。
 そのなかで、1974年秋にカラスのリサイタルを聴きにいったときのことを書いた。あのときの記憶はいまだ心の奥に深い印象となって残っている。
 20世紀最高のソプラノといわれたマリア・カラスの最盛期は1950年代だった。このころのカラスは「アイーダ」を得意とし、イタリアの誇るテノール、マリオ・デル・モナコと共演したステージでヴェルディも書いていない超高音、3点ESを出したことは特に有名である。
 ミラノ・スカラ座にデビューしたのも、フィレンツェの5月音楽祭で絶賛を浴びたのもこのころで、ヨーロッパのみならずメキシコにもたびたび演奏旅行に出かけている。そして、50年代中ごろには体重を30キロも落として美しく生まれ変わり、世間をアッといわせた。しかも声はまったく衰えず、次々とオペラの大役をこなしていった。
 カラスは1923年12月ニューヨーク生まれ。47年ヴェローナ野外劇場の「ラ・ジョコンダ」でイタリアにデビュー。このとき知り合った富豪のメネギーニと結婚。それからのカラスは名指揮者セラフィンの指導を受けるようになったり、ヴィスコンティの演出によって歌ったりと、着実にキャリアを伸ばしていく。しかし、有名な、オナシスとの運命的な出会いによりメネギーニと別れてから、彼女の人生はスキャンダルにとりまかれるようになり、このころから声にかげりが見られるようになっていく。
 74年、カラスは日本にやってきた。真紅のドレスでステージに現れた彼女は、声に往年の張りは見られなかったものの、その存在感は第一線で活躍した人だけが持つ独特の雰囲気があり、それゆえ声の衰えがなおさら聴く者の胸をしめつけた。
 カラスはオナシスから贈られたパリのアバルトマンをこよなく愛し、バルコンにはいつも真っ赤な花を絶やさなかった。晩年はディ・ステファノとジョイント・リサイタルをしたり、パゾリーニの映画に出演したり、ジュリアード音楽院で後進の指導にあたったりしたが、概して孤独だった。
 彼女が53歳の若さで突然この世を去った翌年、このアバルトマンを訪れたが、主のいなくなったその部屋は鎧戸がピッタリと閉まり、古い植木鉢だけが並んでいた。いま、あの部屋はどうなっているだろう。
 
| アーティスト・クローズアップ | 22:18 | - | -
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