Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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マリア・ジョアン・ピリス
 いま、私の大好きなマリア・ジョアン・ピリスが来日している。3月7日、ベルナルト・ハイティンク指揮ロンドン交響楽団の東京公演初日のコンサートに出かけ、ピリスのソロによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番を聴いた。
 若きベートーヴェンの足跡が色濃く投影されているコンチェルト、ピリスは凛としたシャープな音色、作品全体を俯瞰する視野の広さ、細部まで神経を張り巡らせたこまやかさ、オーケストラとの雄弁な対話など、コントラストの効いた演奏を披露し、成熟したピアニズムを遺憾なく発揮した。
 この来日プログラムに原稿を寄せ、私は「真摯で純粋で温かい、マリア・ジョアン・ピリスの音の世界」というタイトルで文を綴った。
「インタビュー・アーカイヴ」第48回はそのピリスの登場。何度もインタビューをしているが、今回は19年前にインタビューした記事を再現したい。

[レコパル 1994年11月号]

大切にしているのはショパンと自分との気持ちの一体化 

 現代屈指のモーツァルト弾きといわれるピリスが、久しぶりにショパンを録音した。
 ショパンのピアノ協奏曲第2番は作曲者の19歳のときの作品。全体がえもいわれぬみずみずしさに満ち、ショパンの青春の息吹が伝わってくる協奏曲である。特に第2楽章はそのころ淡い気持ちを抱いていた初恋の相手コンスタンツィアへの思いが込められ、美しい緩徐楽章となっている。
 これはともすれば哀愁を前面に押し出して感情過多に演奏してしまいがちだが、そこはシャープな音楽を得意とするピリスのこと、感情におぼれず淡々と、あくまでも主題の美しさを際立たせるように弾き進めていく。
「ショパンは子どものころからずっと弾き続けてきた大好きな作曲家なんです。私は体重がないからブラームスのソロ作品を弾くとすごく大変で、パワーばかり要求される曲というのも近寄りがたいんだけど、ショパンはどんな曲でもスッと入ることができる。演奏に必要とされるテクニックがごく自然で、どんなピアニストでも適応することができるから」
 そんなピリスもショパンの作品のなかでポロネーズの1曲と、練習曲のなかの2曲だけはどうしても難しくて弾けないという。これは技巧的な難しさではなく、手になじまないという意味らしいが…。
「ショパンを弾くときに大切にしているのは、ショパンと自分との気持ちの一体化。これはどんな作曲家にもいえますが、ショパンに関してはピアニストの気持ちを先行させて弾くのは危険なのです。ショパンの想いを楽譜から読み取り、自分の気持ちとじっくり対話させる。ふたつのパーソナリティーが一体化したときに完璧な一瞬が訪れます。そこに行き着くのが目標であり、一生の仕事と考えています」
 ピリスは毎日3時間しか練習しない。あとは家事などをしながら頭のなかで音楽を考えている。頭のなかでその曲と対話しているから、ピアノに向かうのはごく短時間でいいという。
 彼女の集中力というのは驚異的で、それは「音楽は別世界」と何度も口にしたことばからもうかがえる。これは私生活でどんなことが起きようと、いったん演奏が始まれば完全に音楽のなかに入ってしまうことを意味している。それが無理なくできるそうだ。
 だが、ピリスも人間である。今回の日本公演ではそれが如実に現れた。
 実はこの来日中にピリスは最愛の母を失った。その訃報を聞いた夜、彼女は黒のドレスでここ数年パートナーを務めているフランス人ヴァイオリニスト、オーギュスタン・デュメイとのステージに現れた。心持ち目線が下向きで、いつものやわらかな笑顔は見られなかったが、演奏はかえって集中しなくちゃという必死な気持ちを感じさせるものだった。
 そんななか一番心に残ったのは、彼女を懸命にサポートするデュメイの大きな心だった。彼はピリスの音楽をいつもの演奏に戻そうと、全身全霊を傾け、弦で呼びかけていた。
「よく家事と仕事の両立は大変でしょうと聞かれますが、それよりも私は音楽家であり続ける姿勢を保つことのほうが大変だと思います。音楽家は人とは違うんだということをいわれ続ける。そうするとふつうは自分を見失ってしまうものなんです。ふつうの感覚というものがいつのまにか失われていくのに、当人はまったく気がつかない。それでは人々を感動させられる演奏ができるはずがありません。人々から隔絶されているわけですから」
 ピリスと話していると、いつもこの人はお金や名声にとらわれず真摯な姿勢をもって音楽に向かっているんだなという感を抱く。
 彼女は一時期病気でピアノが弾けない時期があった。だが、苦難のときを乗り越えてピアノはいっそう味わい深いものになった。
 若いころからスター扱いされ経済的にも恵まれると、人は平常心を失ってしまう。ピリスはそれを十分に知っていて、地に足の着いた人生を歩もうと努力している。それがそのままピアノに表れているため、私たちはその音楽から彼女の一途で純粋な生きかたを感じ取ることができ、感動を覚える。
 今年はショパンのノクターン全曲録音を予定しているそうだ。「あなた、ショパン好き? だったら期待しててね」と、こちらに聞いてくる彼女。ピリスとは、あくまでも聴き手の気持ちを重視し、両者のコミュニケーションを大切にする演奏家だ。

 今日の写真はその雑誌の一部。このころからずっとインタビューを続け、いまではもっと本音を話してくれるようになった。
 また再会するのを首を長くして待っている。


 
| インタビュー・アーカイヴ | 22:38 | - | -
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