Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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ヤーノシュ・シュタルケル
 ハンガリー出身で、長年アメリカで演奏と教育の両面で活躍した名チェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルが4月28日インディアナの自宅で亡くなった。享年88。
 シュタルケルには何度かインタビューを行ったが、一見コワモテなのに、いつも心が温まる思いを抱かせてくれる人だった。
 私が音大時代、弦楽器奏法の授業でチェロを希望したのに、クラスで4人しかチェロを希望した人がいなかったため、全員がヴァイオリンに回されてすごく残念な思いをしたと話したら、すぐにこういった。
「じゃ、私が教えてあげるよ。すぐにインディアナにおいで」
「ええっ、冗談でしょう。そういうレベルの話ではなくて…」
 あとはもう、ふたりで大声で笑い合った。いまとなっては、なつかしい思い出だ。つい涙が出てしまうくらい、なつかしい…。
 インタビュー・アーカイヴの第50回はそのシュタルケルの登場。初めてインタビューしたときの記事で、強い印象となって残っている。

[FM fan 1991年8月19日〜9月1日号 No.18]

「コダーイによって建てられた」プールで健康維持 

 今春10回目の来日を果たしたシュタルケルのリサイタルをカザルスホールで聴いた。そのバッハもベートーヴェンも、そしてフランクも非常に滋味豊かで、心に切々と訴えてくるものがあった。
 最近リリースされたドヴォルザークの「チェロ協奏曲 ロ短調」も同様に、虚飾を排し、音楽の本筋に迫る熟成した美しさが感じられた。
 そこでシュタルケルに開口一番「10年前はもっとブリリアントな演奏をしていらしたのに、今回は非常に淡々とした音楽作りだと思いました。これは演奏家自身意識して変化がなされていくものでしょうか」という質問をぶつけてみた。
 すると彼はこれに関して延々と話をしてくれた。ここにはその一部しか紹介できないのが残念だが、彼の気持ちをできるだけ忠実にお伝えしたい。

テクニックより音の美しさ

「私はもう60年近くチェロを弾いています。昔はよく『あなたの演奏はきらびやかだ』とか『派手な弾きかただ』とかいわれました。でも、そのころはチェリストがそんなにいなかったのです。ですから、聴衆は私の演奏を聴いてそのテクニックに驚嘆し、実際の音楽を聴いていなかったのかもしれません。私があまりに上手にチェロを弾くので、そのことばかりに気をとられていたんじゃないかな(笑)。私は身振りもけっして派手ではありませんし、最近の人のようにステージ衣裳にも凝りませんからね。人は年月を経るにつれて、その演奏が徐々に変わってくるのは事実です。若いときはとにかく“完璧”に弾こうと考えます。それがだんだんに変化し、作品の動機と動機をどのようにつなぐか、全体をどのように構成していくかに関心を抱くようになるのです」
―シュタルケルさんもまったくそのような過程を歩まれたのでしょうか。
「そうです。ただし、現在の私はその方向からまた少し変化し、音の美しさとコントラストに大変興味を抱いています。私はチェロで音楽を作るときに“歌”を基本に置いています。ソプラノからバスまで、あらゆる高低の声。そしてオーケストラの各楽器の響きを念頭に置いているのです」
―インディアナ大学の生徒を教えるときももそのような話をされるのですか。
「上級クラスの生徒にはね。最初は技術をキチッと身につけ、その上で音楽を作っていかなくてはなりません。それが完璧にできた状態のときにこういう話をします。いい換えれば、ことばを習って初めて詩を書けるようになるわけですから。ただし、それぞれの生徒は私のまねをしても仕方ありません。その人個人の詩を書かないとね」
―多くの楽器をおもちですが、いま一番気に入っている楽器はどれでしょう。
「マッテオ・ゴッフリレルというヴェネツィアで作られた1705年製の楽器です。チェロとのつきあいは結婚みたいなもので、うまくいかないときもありますが、今回の結婚は相性もよく、もう25年も続いています(笑)」
―楽器を選ぶ一番のポイントは。
「それは、自分のいいたいことに楽器がどれくらい反応を返してくれるか、ということに尽きると思います。以前、ストラディヴァリの大変すばらしい楽器を使っていましたが、ストラディヴァリの場合はその音に自分を適応させていかなくてはなりませんでした。でも、いまの楽器は私の音に合わせてくれるのです。私の音楽に…」
―以前は年間120回以上コンサートをしていらしたんじゃないですか。
「そう、確かに。でも、最近は極力数を減らしています。もう私は半分引退してしているようなものですから(笑)」

コダーイが人生を変えた

―とんでもない! 指揮者には60歳を超えてから「私はこれからだ」という人がいますよ。
「それは指揮者だからでしょ。チェリストはこんなよれよれになってまで、弾いていられませんよ(といいながら、シュタルケルは指を揺らしながらよれよれした格好をして笑わせた)。私はハイフェッツと同じ考えで、自分の音楽に満足できなくなったら、演奏することをバッサリやめようと思っています。自分の演奏に感動できなくなったら、弾いていても意味がないのです。教えることはまた別問題ですが」
―ハンガリー時代、8歳のときにすでにチェロを教えていたということですが。
「6歳の少女に、6年間にわたって1週間に一度の割でレッスンを続けました。彼女はもちろんすばらしい演奏家になりましたよ。でも、私はそのころは先生ではなく単なるコーチだったと思います。技術を教えるコーチと音楽を教える先生とはまったく意味合いが違いますから。小さいころから人に教えることで非常に多くのことを学びました」
―コダーイの無伴奏チェロ・ソナタに出合ったのもそのころですか。
「15歳のときに初めて聴きました。これが私の人生観を変えたといっても過言ではありません。コダーイはとても変わった人で、大変無口な人でした。作曲科の先生をしていましたが、作品をもってきた生徒には、首を振って『ダメだ』というか、あるいは10分ながめて『やりなおし』というだけでした。私の演奏会にもきてくれましたが、『第1楽章は速すぎる、第2楽章はまあまあ、第3楽章はヴァリエーションを離して弾かないように。それでは、おやすみ』と、これだけいってさっさと帰ってしまいましたよ(笑)」

 シュタルケルの自宅にはプールがあり、健康維持のために毎日泳いでいるそうだが、なんとこのプールには「これはコダーイによって建てられた」というプレートがかかっているそうだ。レコードの売り上げやコンサートの収入を意味しているとか。さしあたって居間はドヴォルザークかなあ、といって笑うシュタルケルは、怖い顔(?)に似合わずとてもユーモラスな温かい人間性の持ち主だった。
 引退するなどといわず、風格豊かな音色をいつまでも聴かせてほしいものだ。

 このインタビューから、もう22年も経過してしまった。だが、シュタルケルの演奏と語り口はいまなお脳裏にしっかりと刻み込まれている。それほど個性の強い人だった。今日の写真はその雑誌の一部。懐中時計をもっていたことを鮮明に覚えている。


| インタビュー・アーカイヴ | 22:17 | - | -
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