Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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レフ・オボーリン
 最近、1960年代から80年代にかけて来日した、偉大な音楽家のライヴが相次いでリリースされている。
 そのなかで、レフ・オボーリンが1963年2月1日に演奏したディスクは、かけがえのない記録として、いまなお光り輝いている(キングインターナショナル)。
 プログラムはJ.S.バッハの「半音階的幻想曲とフーガBWV903」からスタート。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番へと続き、ショパンのマズルカ第25番、第51番が演奏される。次いでラフマニノフの前奏曲作品32の10、5、12が登場し、ショスタコーヴィチの前奏曲作品34の10、22、24へとつながる。
 最後はハチャトゥリヤンの「トッカータ」で幕を閉じるという趣向だ。
 いずれもオボーリンの特質である、やわらかな情感あふれる美音がみなぎるものだが、なかでもベートーヴェンのソナタは涙がこぼれそうになるほど美しい。
 冒頭から気負いや気どりのまったくない、清らかな水が流れるような流麗な演奏で、けっして力で押すベートーヴェンではなく、豪壮で堅固でダイナミックなベートーヴェンでもない。豊かな歌謡性と抒情性が全編を貫き、エレガントで気品あふれる表情がベートーヴェンの心情を伝える。
 レフ・オボーリンは1907年モスクワ生まれ。モスクワ音楽院のロシア・ピアニズムの4つの流派のひとり、コンスタンティーン・イグムーノフに師事し、1927年の第1回ショパン国際ピアノ・コンクールの優勝者となった。以後、世界各地を演奏してまわり、モスクワ音楽院教授として後進の指導も行い、歴史に名を残すピアニストとして人々の記憶に刻まれている。
 実は、以前ウラディーミル・アシュケナージと話していたとき、ロシアの音楽教育が話題となり、私が彼の恩師であるオボーリンについて質問したところ、こんな返事が戻ってきた。
「すばらしいピアニストで個性的な音楽性の持ち主であり、人間性も称賛すべき人でした。でも、あの時代、旧ソ連では強靭なタッチでスケール大きな演奏をするピアニストが好まれ、オボーリンのような優雅で流麗で自然体の演奏をする人はあまり認められなかったのです。本当に残念なことです。私はあるとき、オボーリンが深く落ち込んでいたことを覚えています。ある評論家が、彼の演奏を“女々しい”と批評したのです。それからというもの、オボーリンはこのことばをひどく気にして、悩んでいました。なんという悲劇でしょう。私は怒り心頭でしたよ。ですから、オボーリンはリヒテルやギレリスの影に隠れてしまったのです。まったく異なる個性の持ち主で、あのように心の奥に響いてくる演奏をする人はいなかったのに、本当に残念です」
 長年、私はこのアシュケナージのことばが胸の奥に突き刺さっていた。それが今回のベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番を聴き、まざまざとよみがえってきた。そうか、オボーリンの自然でエレガントな音というのはこれなんだ、と新たな感慨を覚えた。
 昨年アシュケナージにインタビューで会ったばかりだが、今度会う機会があったら、ぜひこのベートーヴェンの話をしたいと思う。
 それほどこのベートーヴェンは、私の心に深く浸透してきた。第31番のソナタはいろんなピアニストで聴いている。だが、オボーリンのようにひそやかに、ロマンあふれ、最後のフーガまで天上の音楽を聴かせる人は稀だ。
 もちろん、演奏に対する考えは人それぞれである。こういうベートーヴェンは苦手だという人もいるだろうし、ベートーヴェンらしくないという人もいるだろう。だが、私は一度聴いたらとりこになってしまい、何度も繰り返して聴いている。私の感性に合う、ということなのだろう。
 できることなら、ナマの演奏を聴きたかった。そう願わずにはいられない。この1963年の演奏を聴いた人は、本当に幸せだ。
 今日の写真は、そのCDのジャケット。久しぶりに現れた私の愛聴盤である。


 
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