Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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銀座Hanako物語
 1989年、ピアノ専門誌の編集から独立した私は、ある鬼編集長と知り合った。当時、マガジンハウスの「Hanako」で辣腕をふるっていた椎根和氏である。
 椎根さんは一見コワモテで近寄りがたい雰囲気だったが、とても寛大で、一度信頼した人には大きな心をもって仕事を任せ、思いっきり自由に仕事をさせるという精神の持ち主だった。
 私も知り合った当初は、何をいわれるかと緊張しっぱなしだったが、次第に信頼してくれるのがわかり、その好意に報いるために懸命にいい企画を考え、実践し、少しでもクラシックを好きになってくれる人が増えればという願いから、文字通り不眠不休で「Hanako」の仕事にかかわった。
 最初に出会った日に、椎根さんから海外取材のページをオファーされた。とてつもないページ数で、準備期間もへったくれもない。
 ただ、「おもしろそうな企画だから、やってください。どうぞ自由に。すぐにとりかかって」といわれた。
 ウヒャーッと心のなかで叫び、自分で出した企画ながら、「ど、ど、どうしよう」と内心真っ青。それからというもの、何をどうしたのか、いまでもはっきり思い出せないくらいテンションだけが上がり、たけりくるったように仕事をした。
 そのうちに連載をやってくれといわれ、10年以上、毎週クラシックのコラムを書き続けた。その間も、何度も海外取材が巡ってきた。
 私は当時、独立したばかりでさまざまな人間関係のトラブルに見舞われ、仕事も試行錯誤の連続で、気の休まる日がなく、心身が疲弊していた。あまりにストレスがたまり、夜中に盲腸かとまちがうほどの腹痛にあえいだこともある。
 そんなとき、いつも私の悩みを聞いてくれ、そっと会社を抜け出して食事に連れて行ってくれたのが椎根さんだ。
 彼は長々と私のグチを聞くタイプではない。ちょっと聞いて「ほらっ、うまいモンを食いに行くゾ」と、連れ出してくれるだけ。それがどんなに私のなぐさめになったことか。
 独立してから、本当にいろんなことがあり、ここまでくるのに山あり谷ありの谷ばかり記憶に残っている。でも、椎根さんのような、メンターがいてくれたおかげで、ここまで進んでこられた。
 先日出版した「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」の本も、椎根さんがプロデューサーをしてくれたおかげで世に出たのである。
 その椎根さんが編集長をしていた時代のあれこれを綴った「銀座Hanako物語」(紀伊国屋書店)が出版された。私もほんの少し登場している。パヴァロッティの取材に関するエピソードだ。
 この本を読んだ途端、「Hanako」時代がまざまざと蘇ってきた。ものすごく大変だったけど、とてつもなくおもしろかった。
 この雑誌で、一般誌に記事を書く大変さを学んだ。専門語はほとんど使えない。キャッチコピーやタイトルなどを、ズバリと文字数を合わせて考えなくてはならない。クラシックをわかりやすく、しかも質を落とすことなく、端的に綴らなくてはならない。本当にたくさんのことを学んだ。
 まだ最初のころはメールがなく、フロッピーをもって夜中にタクシーを飛ばし、マガジンハウスに何度駆け付けたことか。特集記事を任されたときは、日常生活の基本的なこともできないほど時間がなく、ほとんどトランス状態になったものだ。
 でも、クラシックの特集号が売れたときの喜びは、なにものにも代えがたい幸せな気持ちと達成感に満たされた。
 すべて椎根さんのおかげである。
 今日の写真はその単行本の表紙。創刊からの5年半を、椎根編集長が生き生きと綴っている。


 
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