Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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イアン・ボストリッジ
 昨日は、トッパンホールにイアン・ボストリッジのリート・リサイタルを聴きにいった。
 ボストリッジは来日公演のたびに新たなレパートリーを披露し、聴き手を驚きと発見へと導く名人だ。
 前半はマーラーの「若き日の歌」より2曲、「子どもの魔法の角笛」より3曲、「さすらう若人の歌」。後半はブリテンの「ジョン・ダンの神聖なソネット」、「民謡編曲《イギリスの歌》」より3曲というプログラム。
 ボストリッジは長身痩躯、テノール歌手とは思えぬ風貌の持ち主で、ステージでも非常に大きな動きを見せる。マーラーでは特有の透明感あふれる高音と分厚い中音域、心情を吐露するような低音が遺憾なく発揮され、特に「子どもの魔法の角笛」の「死んだ鼓手」の表現が常軌を逸したすごさだった。
 ボストリッジは戦闘に駆り出され、敵の弾が命中し、死を覚悟する鼓手の無念の思いを赤裸々に、また慟哭するようなはげしい声で表現し、ピアノのジュリアス・ドレイクとともにホールを埋め尽くした聴衆を唖然とさせた。
 彼の歌声は、感情の起伏がはげしく、音のダイナミズムも恐ろしく幅が広い。聴き手に向かってうたうというよりは、自分自身と対峙しながら作品の内奥へとひたすら迫っていく歌唱法だ。
 まるでひとり芝居を見ているようで、一挙手一投足に目が離せなくなる。歌詞のひとつひとつのことばが、舞台役者の台詞のように明晰で明瞭。手の動きやからだの使い方も、シェークスピアを演じる役者を連想させる。
 ボストリッジは、自国のベンジャミン・ブリテンの作品をこよなく愛す。ブリテンはテノール歌手のピーター・ピアーズを生涯の友とし、彼のために数多くの作品を書いているが、「ジョン・ダンの神聖なソネット」もそのひとつ。
 前半のマーラーの作品も戦争と死をテーマとしたものだったが、ブリテンのこの曲も同様のテーマがその底に横たわっている。
 ボストリッジは英語の歌詞になったこのブリテンの作品で、より感情表現がはげしくなり、狂気、嫉妬、嗚咽、呪い、絶望などをからだ全体で現し、病気や戦争や死をときに絞り出すような歌唱法で聴かせた。
 聴き手にも大変な集中力を要求するボストリッジの歌声。1曲終わるごとに、なんだかからだ中の力が奪われていくようで、まさに作品の奥深い部分へと引っ張り込まれる思いにとらわれた。
 この夜、アンコールはシューベルトの歌曲で、これを聴いた途端、安堵感が押し寄せてきた。とりわけ最後にうたわれた「ます」は、ピアノと一体となった生き生きとした演奏で、自由と開放感がみなぎっていた。
 実は、この「ます」には個人的な思い出がある。
 私は音大の4年生のときに母校の高校の教育実習にいったのだが、1年生のクラスの課題曲は「夏の思い出」、2年生のクラスが「ます」だった。
 初見で「ます」のピアノ伴奏を行わなくてはならず、歌の指導どころではない。ピアノ・パートはとても難しいのである。
 あとで担当の先生に「ピアノに集中せず、もっと歌唱指導に力を入れるように」と注意されてしまった。やれやれ…。
 というわけで、「ます」を聴くと、私の耳は歌よりもピアノに引き付けられる。この夜のドレイクのピアノは流麗で躍動感にあふれ、ますの動きがごく自然に連想される見事さ。そりゃ、こういう人には難しくもなんともないよね。
 この日、私がもうひとつ注目したのが、ふたりが着ていた舞台衣装の黒のスーツ。体型は異なるからサイズはまったく違うが、同じ仕立てのスーツだ。
 ボストリッジの着こなしはいつもながらすばらしく、仕事のできるエリートビジネスマン風。白いワイシャツにノーネクタイで、からだをどんなに動かしても、そのスーツはピタリと彼の動きにマッチ。特に後ろ姿が美しい。
 かたやドレイクは、ピアノを演奏するときにひとつボタンで仕立てられたそのボタンをけっしてはずすことなく、楽々と演奏している。
 さすがセヴィル・ロウ(ロンドン中心部メイフェアの通りの名、背広の語源)の国のスーツである。歌手とピアニストがそろいのスーツを着ているというのは、あまり見たことがないが、彼らはステージでの美学を示し、スタイリッシュなたたずまいで演奏の質とともに印象深い一夜を構成した。 
 終演後、隣の席の音楽評論家、Tさんにその話をすると、「よくそんなこまかいところまで見ているねえ。私なんかだれが何を着ていたかなんて、まったく覚えていないよ。さすがだねえ」と感心されてしまった。
 でも、スーツはプラスアルファで、もちろん歌をちゃんと聴いていたんですよ(笑)。
 
 
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