Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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ナタリー・デセイ
 フランスの実力派ソプラノ、ナタリー・デセイが初来日公演を行ったのは、2004年9月のこと。彼女の名は、1990年にウィーン国立歌劇場で開かれた国際モーツァルト・コンクールで優勝して一躍世界に知られ、欧米の名だたるオペラハウスに出演、音楽祭からも引っ張りだこの人気となり、来日が待たれていた。
 得意とするオペラの役柄はオッフェンバック「ホフマン物語」のオランピア、モーツァルト「魔笛」の夜の女王からドニゼッティ「ランメルモールのルチア」、ドリーブ「ラクメ」のタイトルロールなど、超絶技巧を要する役やコロラトゥーラ・ソプラノの名曲として知られるアリアが含まれるものである。  
 ただし、2000年ころからヨーロッパの新聞などのインタビューで、「オランピアや夜の女王は高い音を出すだけで面白みに欠ける。私が本当にうたいたいのは内容の充実した役柄であるヴィオレッタ、トスカ、蝶々夫人、エレクトラ、サロメ、マノンなど。そのためには低音域を磨き、表現力もより幅広いものを身につけないとならない」と語っている。  
 初来日公演ではマスネ「マノン」とトマ「ハムレット」のオフェリア、ベッリーニ「夢遊病の女」のアミーナの各アリアが凄みを帯びたすばらしい歌唱で、驚異的な集中力に支配された最後のルチアでは会場が息を殺したように静まり、みな「狂乱の場」に酔いしれた。  
 その後、2010年のトリノ王立歌劇場の日本公演で待望のヴェルディ「椿姫」のヴィオレッタを熱演し、これまでのヴィオレッタ像をくつがえす新しいヒロインを生み出した。        
 彼女の完璧に磨き上げられた歌唱は、どんな難易度の高い箇所でもけっしてゆるがない。高音はコロコロところがる真珠の粒のようであり、また大空に飛翔していくかろやかな鳥のようでもある。
「椿姫」は全幕にわたってほとんど歌いっぱなしの難役。それを幕ごとにあたかも異なった人物のように表情を変化させ、その場のヴィオレッタになりきり、聴き手の心にひとりの女性のはげしい生きざまを強烈に植え付けた。
 そのデセイは、昨秋オペラからの引退を表明したという。とても残念だが、今後は、ソロ活動に専念するのだろうか。
 今回の来日は、そんなデセイの日本におけるリサイタル・デビューとなり、今日は東京芸術劇場で「ナタリー・デセイ&フィリップ・カサール」の歌曲リサイタルが行われた。
 プログラムはクララ・シューマン、ブラームス、デュバルク、R.シュトラウス、プーランク、ラフマニノフ、ドビュッシー、ドリーブというさまざまな作曲家の色とりどりの歌曲が選ばれ、「奇跡の声」と称されるすばらしき歌声を存分に披露した。
 彼女は髪を金髪に染め、シルバーの光沢をもったドレスを前半と後半で着替え、前半は人魚姫のよう、後半は天女を思わせた。
 デセイの声は、聴き手を別世界へといざなう。いずれの作品も心に響くものだったが、とりわけ会場がシーンと静まりかえったのが、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」。よく知られた人気の高いこの曲を、デセイは母音の「ア」だけを幾重にも変化させて響かせ、圧倒的な存在感を示した。
 歌曲のリサイタルは、通常は歌手の名前だけが大きく書かれるものだが、今日のリサイタルはピアニストが併記されている。それもそのはず、カサールのピアノはデセイと見事に一体化し、まさしくふたりの音楽は融合していた。歌曲のリサイタルは、声とピアノがひとつになっていなければ、作品のよさは伝わらない。
 今日のカサールは歌手とともに呼吸し、うたい、創造的な音楽を作り上げていた。
 彼はドビュッシーの解釈者として知られ、ピアノ曲全曲演奏を行うなど、この作曲家の作品に精通している。そして、デセイともドビュッシーの歌曲集を録音している。
 今日もドビュッシーを2曲、「現れ」と「アリエルのロマンス」を演奏したが、抽象的で幻想的な歌をピアノが美しく彩り、デセイの香り高き表現に微妙なニュアンスをプラスした。
 もうデセイのオペラを聴くことはできないと思うと悲しさが募るが、こうして歌曲をじっくり聴かせてくれるのだから、贅沢はいえない。
 今夜は、天女の歌で天空にいざなわれた感覚をいだいた。




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