Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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ダヴィド・ゲリンガス
 リトアニア出身のチェリスト、ダヴィド・ゲリンガスは1946年ヴィリニュス生まれ。モスクワ音楽院でロストロポーヴィチに学び、1970年のチャイコフスキー国際コンクールで優勝に輝いている。以後、各地で活発な演奏活動を展開し、指揮者としても活躍。後進の指導も積極的に行い、ベルリン・フィルにはゲリンガスの教え子が多数いるという。
 インタビュー・アーカイヴの第58回はそのダヴィド・ゲリンガス。現在はドイツ国籍で、ヴィリニュスのリトアニア室内管弦楽団の常任客演指揮者を務め、2006年4月からは九州交響楽団の首席客演指揮者も務めている。

[弦楽ファン 2006年 第6号]

ロストロポーヴィチ! 彼はまさに新しい領域へと私を導いてくれた

 チェリスト、指揮者、名教授として知られるダヴィド・ゲリンガスは、古典から現代作品まで幅広いレパートリーをもつ。作品の初演にも積極的に取り組み、6月の東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会では、クリスチャン・ヤルヴィの指揮により、ヤルヴィの同郷エストニアの作曲家、エルッキ=スヴェン・トゥール(1959〜)の「チェロ協奏曲〜電子チェロと管弦楽のための協奏曲」の日本初演を行った。

オーケストラはチェリストの音を聴こえなくしてやろうと大きな音でガンガン演奏する(笑)

「チェロ協奏曲〜電子チェロと管弦楽のための協奏曲」が完成したのは1997年。同年3月、スイスのローザンヌでゲリンガスのチェロ独奏で初演が行われている。独奏パートでは以前から愛用しているヤマハのサイレント・チェロが用いられている。
「最初にサイレント・チェロに出合ったときは、隣人といい関係を築くために大いに利用したものです。なにしろサイレントですから(笑)。コンサート終了後、真夜中にホテルで練習するときにも最適。私は新しいことを学ぶ、新しい領域に踏み込むことが大好きで、これはアンプにつなげば音量も自在。ギターのような音も出せる。新しい音楽を作るパートナーとして欠かせなくなったんです」
 トゥールの作品はリズミカルでノリがいい。難解ではなく、チェロの超絶技巧も楽しめる。
「彼は建築家なんですよ。ですからフォルムに対して明確なイメージがあり、コンセプトが決まっている。ここは弾きにくいからこうしてほしいといっても、それを変えることはないですね。作曲家はふたつのタイプがあり、自分の作品はこう演奏してほしいと主張する場合と、最初から演奏家と創造的なプロセスを分かち合うタイプと。トゥールの場合はよくその性格を知っていますから、練習で完璧に内容を把握するように努めました」
 サイレント・チェロにはひとつ興味深いエピソードがある。以前、モスクワ音楽院大ホールでコンサートを行ったときだ。このとき、少しだけ音量を大きくする試みをした。
「ロシアのオーケストラは音量がすごい。これに対抗するため、リハーサルのときにチェロの音量を増やしてみた。するとステージマネージャーが飛んできてオーケストラの音が聴こえないって叫ぶんです。オーケストラというのは、いつもチェリストの音を聴こえなくしてやろうと大きな音でガンガン演奏する。世界中のチェリストはそれにいつも耐えているんです。私はみんなを代表して、ちょっとリベンジをしてみたわけです(笑)」

自分ができないと思ったことをやっていくのが人生なんだ


 ゲリンガスは一見するととても真面目で、演奏と同様に真摯で前向きで自己にきびしい性格だと思われがちだが、実は大のジョーク好き。話の随所に冗談がちりばめられる。
「でも、レッスンはきびしいですよ。いま私のクラスには多くの優秀な生徒がいますが、彼らにいつももっとうまくなりたいのなら練習しなさい、何かを達成したいのならまず練習することと教えています。私は6歳のときからずっと練習練習の日々でした。練習は義務ではなく、必要なものなのです」
 趙静もゲリンガスのクラスで磨きをかけ、昨年ミュンヘンARD国際コンクールのチェロ部門で優勝の栄冠に輝いた。彼女もいつもいっている。「ゲリンガス先生は少し練習を怠ると、すぐに見破るから怖い」と。
「幼いころ母によくいわれたものです。壁にぶつかったり乗り越えられない壁があると感じたら、その先を見なさいと。壁はいつか必ず超えられる。限界は超えるためにあるのだと。そのために練習を一生懸命すればいいのよと」。
 ゲリンガスは子どものころ、練習してもできない箇所があったり、悩みがあるときにはいつも母親に「だって、できないんだもん」と訴えた。すると、前述のことばが返ってきたのだという。
 そして彼女は、スペインの建築家、エデュアルド・チリダのことばを教えてくれた。
「自分ができないと思ったことをやっていくのが人生なんだ」
 母親は何事も最後まであきらめてはいけないという姿勢も植えつけてくれた。できないことにぶつかったら、まずそれにとことん取り組んで終わらせるよう努力する。すると、その先のプロセスが見えてくるといった。
「いま、私のなかにこの教えが生きています。音楽家は常に新しい作品と出合い、それを学び、自分のものとし、自己を発展させていかなければならない。歩みを止めたらおしまいです。学ぶことは生涯続く。終わりのない道程です。恩師のロストロポーヴィチからもこの姿勢を学びました。彼はピアノも弾くし、指揮もする。本当に多才な人で、私にとっては音楽の上で父のような存在です。学生時代からいつもロストロポーヴィチのようになりたいと願っていました。彼は現存する多くの作曲家と友人のような交流をもっていましたが、それを引き継がせてくれました」
 ロストロポーヴィチの話になると、表情が締まる。母親の話のときは柔和な表情だったが、まるで異なる顔がそこには浮かび上がる。
「ロストロポーヴィチに教えられなければ、現代作品への道を歩むことはなかったと思います。彼はまさに新しい領域へと私を導いてくれた。指揮も同様です。私は昔から指揮者やオーケストラ作品への興味を抱いていたのですが、実際に始めたのはロストロポーヴィチの影響が大きいのです」
 
バッハの無伴奏チェロ組曲は私の毎日の糧

 今春から九州交響楽団の首席客演指揮者としてタクトを振っているが、他にもリトアニア室内管弦楽団の常任客演指揮者も務める。
「指揮をしていると、新しい作品に出合えるチャンスが増える。でも、チェロの比重は減りませんよ。バッハの《無伴奏チェロ組曲》は毎日必ず弾いていますし…」
 この作品は10歳のときに弾き始めた。当時のソ連では楽譜を手に入れることも困難を極めたため、自分の楽譜をもつことができ、しかもあこがれのバッハを演奏することができ、喜びでいっぱいだった。第1番から練習をした。
「この作品は私の毎日の糧”です。すべてのチェリストにとってのバイブルともいえます。バッハの作品は尽きることのない泉のようで、いつもその純粋性に心打たれます」
 ゲリンガスは練習に疲れると夫人とともに映画や芝居を見に出かけるという。長男は役者であり、ポップスの作曲家であり、脚本や演出も手がけるマルチな仕事をしている。
「息子が芝居への道を拓いてくれました。彼が作曲したCDで70万枚売れたものがあるんですよ。私の録音は一生かかっても、全部でこの数には到底及ばないのに(笑)。息子には最初チェロを教えたんですが、一家にチェリストはひとりでいいと止めてしまった。でも、先日チェリストの役を演じるんで、20年ぶりにチェロを引っ張り出して半年間弾いていた。なんだかうれしかったですね」
 チェリストは飛行機でも楽器のために一席用意しなくてはならない。いつも楽器ケースはシートにゆったりともたれかかれるように置く。すると客席乗務員にこういわれる。
「あら、お隣の席には女性がいるみたい」
 ゲリンガスは得意満面で答える。
「そうなんですよ。このケースには、実は愛人が入っているんです」
 1761年製のガダニーニのチェロは、1978年からずっとゲリンガスとともにある。購入するときはお金がなく、ロストロポーヴィチに「先生、ぼくのために買ってください」と頼み込んだが、彼はひとこといい放った。
「きみ、人生にはふたつ自分の力で手に入れなくてはならないものがある。妻とチェロだ」
 ゲリンガスがガダニーニを自分の力で手に入れたことはいうまでもない。

 今日の写真はその雑誌の一部。サイレント・チェロを弾いているところだ。


 
 
| インタビュー・アーカイヴ | 22:13 | - | -
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