Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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ピョートル・アンデルシェフスキ
 今日は、東京オペラシティコンサートホールにピョートル・アンデルシェフスキのリサイタルを聴きにいった。
 彼は昨年インタビューしたときに、3年も前にプログラムを決めるのは無謀だ、そのときに弾きたい曲がわかるわけがない、と苦々しい顔をして語っていた。
 そして今回もやはり当初の曲目とは変わり、J.S.バッハ「フランス風序曲」「イギリス組曲第3番」が前半、後半はシューマン「精霊の主題による変奏曲」「幻想曲」がプログラムに組まれた。
 アンデルシェフスキは、完璧主義者で知られる。自分が納得いかないと、どんなに周囲が認めても、よしとしない。
 今日のリサイタルも、いずれの作品も完璧に磨き上げられ、表現力が深く、完全に自分の作品となっていた。
 もっとも印象的だったのは、「イギリス組曲第3番」。実は、この作品は私にとって、とても辛い思い出のある曲。聴いているうちにその思い出が鮮やかに蘇り、平常心では聴けない状態に陥った。
 アンデルシェフスキの「イギリス組曲第3番」は、装飾音が特別だ。とりわけ「前奏曲」と「サラバンド」において装飾音が見事なまでに多用され、あたかも自分が作曲したような曲想が展開した。これだけ聴くと、「イギリス組曲第3番」とは思えぬほど音符が増殖され、しかも内声の響きを際立たせるため、まるで新たな曲を聴いているようだ。
 シューマンに関しては、アンデルシェフスキは、プログラムにこう綴っている。
「シューマンは私の心に大変近い存在です。今回は2年間弾きこんできた《幻想曲》を初めて日本で弾くことになりました。私はひとつの作品を繰り返し弾き、時間をかけていろいろな考えや想いといった自分自身をその作品に投入します」
 このことば通り、「幻想曲」にはいまのアンデルシェフスキが投影されていた。彼はバッハに関しても、一家言をもつ。
 そして、プログラムの語りは、こういうことばで閉じられる。
「最終的には、なぜ音楽を演奏するのか、あるいは、なぜ聴衆を前に演奏するのか、という音楽家としての哲学の問題となるのだと思います」
 アンデルシェフスキの演奏は、まさにある意味の「哲学」といえる。彼は各々の作品が内包する深い思考や表現、作曲家の意図を存分に読み取り、自身の感性というフィルターを通して聴衆へと届ける。そこには特有の美学に貫かれた音楽が存在し、完璧なる美に支配された音楽が生命を帯びて描き出される。
 アンデルシェフスキのピアノを聴くと、こういう解釈こそ、この作品にふさわしいと思える。それほど完璧なフォルムで音楽が形成されているからである。
 今日のアンコールは、ベートーヴェンの「6つのバガテル」より3曲(作品126-5、2、3)だった。このベートーヴェンがまた非常に知的で深遠で、ある種の客観性に富み、アンデルシェフスキが自身の演奏をつねにクールに客観視している目を意識させた。
 新譜はバッハの「イギリス組曲第3、1、5番」(ワーナー)。写真はそのジャケット。この作品の新たな扉を開けた彼の次作が待ち遠しい。

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