Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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ヴァレリー・アファナシエフ
 ヴァレリー・アファナシエフの音楽は、聴き手に「自由とは何か」「自己表現とは何か」「生きる意義とは」ということを考えさせる。彼は常に何かを模索し、可能性を追求し、自己表現の方法を考え、それが自身のなかで完璧な形となった段階で世に送り出していく。
 ムソルグスキーの「展覧会の絵」では、アファナシエフが書いた戯曲をもとにステージを構成し、作曲家に扮した人物をステージに登場させて彼と対話しながら演奏を進めたり、シューベルトのピアノ・ソナタを特有のゆったりしたテンポを保ちながら延々3時間近く弾き続けたりと、そのプログラムは超個性的。活動はピアノを弾くことのみならず、詩や随筆、小説の執筆などの広範囲に及び、最近は指揮も行うようになった。
 ときに人を驚かせ、とまどわせることもあるこれらの活動は、すべてアファナシエフの精神の解放であり、究極の愉悦の世界である。彼はステージで演奏以外のことをすることに対し、「あんなことはやめろ」と周囲からいわれているにもかかわらず、「これは私の楽しみ。これからも自分の可能性を貪欲に求めていくつもり」と語る。その表情のなんと楽しそうなことか。口調は静かでエレガントだが、芯の強さを感じさせる。
 彼は子どものころから自由を愛し、自由のためならなんだってする覚悟ができていた。亡命したことも、ヴェルサイユ郊外の家でひとりで暮らしていることも(2年前にベルギーに居を移したが)、音のみならず文で何かを表現することも、自分が音を出さずにタクトで音楽を表現することも、すべては自由のため。その自由を渇望する精神を演奏から受け取ることができたとき、私たちは初めてアファナシエフの音楽と一体になれるのである。
「私はシューベルトの作品に潜む孤独と沈黙を愛し、ベートーヴェンが他から遮断された世界で書いたソナタに魅了されます。彼らはプライベートな王国を築いた。その王国に入り込み、そこで感じた私の心の叫びを演奏に託したい。それが限りない自由を生み、生きる喜びをもたらしてくれるわけですから」
 今日は久しぶりにアファナシエフにインタビューで会い、また新たな彼の考えに接し、リサイタルが楽しみになった。
 今回の来日公演では、6月25日にトッパンホールでJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」第1巻より第1番、第8番、第22番、シルヴェストロフのオーラル・ミュージック、サンクトゥス/ベネディクトゥス、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」第2巻より第5番、第7番、第8番、第9番、第14番、第16番を演奏。27日に紀尾井ホールでベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、第14番「月光」、ショパンのポロネーズ第1番〜第6番を演奏する。
 今日のインタビューでは、新譜のベートーヴェン:「悲愴・月光・熱情」(ソニー)にまつわる話をメインに聞いたのだが、いつもながらの思慮深く洞察力に富む語り口で、しかもときおりユーモアを交えて雄弁に語ってくれた。
 なんでも、ベートーヴェンのソナタとの出合いは3歳のときに母親が弾いてくれた「月光」の第1楽章だそうで、私が「それでは、そのときにお母さまが弾いてくれたのがいまのアファナシエフさんのあのゆっくりとしたテンポのルーツなのですか」といったら大笑いして、「母のテンポは、まったく私の演奏とは関係ありませんねえ」といっていた。
 さて、演奏会ではどんな「月光」が登場するだろうか。
 今日の写真は、話している間に次々に表情が変わるアファナシエフの一瞬にんまりしたワンショット。この人、私の話の間、よく笑ってくれるんですよ。それも「フフフッ」と不思議な笑い方で…。


 
| アーティスト・クローズアップ | 20:37 | - | -
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