Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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ケマル・ゲキチ
 先日会ったケマル・ゲキチは、1985年のショパン国際ピアノ・コンクールにおいて、当初は高い評価を得たものの、結局入賞を逃した。
 1989年に来日したときには、そのときの模様を熱く語ったことを覚えている。折しも、今年はショパン国際ピアノ・コンクール開催の年。インタビュー・アーカイヴの第63回は、そのゲキチの登場だ。

[FM fan 1989年10月2日〜15日号]

リストの音楽と生き方に共鳴

「本選に残れなかったのは思いもかけぬことでした。そのときすでに本選で演奏するコンチェルトの準備を始めていましたし、まさか落ちるとは思いませんでしたから」
 4年前のショパン国際ピアノ・コンクールを振り返って、ゲキチは一気にこう語った。
 1980年のショパン国際ピアノ・コンクールでは、イーヴォ・ポゴレリチが賞を逃して逆に名をあげてしまったが、1985年の同コンクールでまたもや入賞できなかったピアニストがいま話題である。
 その名は、ケマル・ゲキチ。出身はポゴレリチと同じユーゴスラヴィア。コンクール当時は22歳。下馬評では、「スタニスラフ・ブーニンかケマル・ゲキチのどちらかが優勝する」とさえいわれた。だが、ゲキチの個性的な演奏は審査員に受け入れられず、本選に残ることができなかった。
 しかし、審査員の出した結果とは裏腹に、聴衆と評論家は彼に絶対的な賛辞を送った。
「コンクールの2カ月後にワルシャワ・フィルからの招待状が届き、ぼくが用意していたショパンのピアノ協奏曲第1番を2晩連続で弾かないかというのです。それもコンクールのときと同じホール、指揮者、オーケストラでね」
 こうして彼は再びポーランドを訪れ、センセーショナルな成功を収める。その後、モントリオールでも同様のことが起こり、聴衆が入賞できなかったゲキチのために抗議リサイタルを開いている。
 こんなにも聴衆を興奮させ、熱狂的支持を受けているピアニストなのに、素顔の彼は実に淡々としていて、数々の事件を経験しているとは思えないほどおだやかな話しぶり。
 今回の日本での初レコーディングに関しては、「ぜひリストから録音したい」という彼の強い希望があった。ゲキチは1981年のリスト・コンクールの際、ピアノ・ソナタ ロ短調についての論文を発表している。また、リサイタルのプログラムの6割はリストが占めるほど。
「リストは音楽ばかりではなく、その生き方にも共鳴しています。ぼくも彼のように常に人を愛していたいし(笑)」
 そして収録曲のなかの「フィガロ・ファンタジー」は、ブゾーニ編にさらに手を加えて演奏している。デュナーミクの広さと輝くような音の響き、深く研究した解釈に基づくこれらの曲の数々は、リストのピアノ作品の新しい面を発見させてくれる。だが、今回の来日コンサートではいわくつきのショパンを弾く。それもオール・ショパン・プロ。「これがぼくのショパンだ!」という意気込みが伝わってくるかのようだ。

 先日の食事会のときにも、今年のショパン国際ピアノ・コンクールの話題が出た。私が、「応募者が多くて、第1次予選に出場するまでに何度もいろんな審査を経なければならないのよ」と話すと、「いまの参加者は本当に大変だねえ」と昔をなつかしむような目をした。 
 あれから30年。その間、ショパン国際ピアノ・コンクールは、本当にいろんなドラマを生んできた。さて、今年はどうなるだろうか。
 今日の写真は、ゲキチのインタビューが掲載された雑誌の一部。若々しいよねえ。このころから私はずっと付き合っていることになる。長いつきあいだワ〜と、自分の年も考えたりして(笑)。

| インタビュー・アーカイヴ | 21:03 | - | -
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