Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

ブログ

<< サンディエゴとキューバの料理本 | main | エマールのインタビュー >>
ルネ・マルタン&リヒテル
 よくインタビューをするアーティストが、自分が師事したり共演した偉大な音楽家の話をしてくれることがある。
 もうその巨匠たちは亡くなっているため、実際にその人と交流のあった人から聞く話はとても貴重である。
 雑誌や新聞のインタビューは文字数に限りがあり、そのときのコンサートや録音などについて書くため、巨匠たちのエピソードなどを綴るスペースはほとんどない。
 だが、私はこうした余談や取材こぼれ話が大好きなのである。
 そこで、ブログにひとつ「巨匠たちの素顔」というカテゴリーを追加し、インタビューで得た話を書くことにした。
 第1回は、昨日インタビューした「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2016」のアーティスティック・ディレクター、ルネ・マルタンの登場だ。
 彼は1995年にフランスのナントに「ラ・フォル・ジュルネ」を創設したことで知られるが、それ以前の1981年にはフランスの小村に「ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭」を創設した。
 1988年にはスヴャトスラフ・リヒテルにより、フランスのトゥール近郊のメレ農場で開催された「トゥーレーヌ音楽祭」を任されるようになり、リヒテルの音楽祭「12月の夕べ」(モスクワ・プーシキン美術館)も手がけた。
 昨日のインタビューは、5月に開催される「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2016」についてテーマや内容、アーティストなどについて聞き、その記事は「日経新聞」3月と4月の最終木曜日の夕刊に2カ月にわたって書くことになっている。
 そのなかで、私がリヒテルとの交流について聞くと、マルタンは「リヒテルは私のメンターともいうべき存在です」と明言し、その話に花が咲いた。
 リヒテルのために数多くのコンサートを企画し、ともに各地でさまざまな体験をしたという。
 もっとも印象的だったのが、ふたりで画家アンリ・マティスの礼拝堂を訪ねたときの話である。
 マティスは、晩年ニースの奥に位置するヴァンスという小さな村に住み、元看護師だったシスター、ジャック・マリーからの依頼でロザリオ礼拝堂の再建に尽力する。
 彼女は、マティスがガンに苦しんでいたときに献身的に介護してくれたため、マティスは4年間かけて礼拝堂の設計から内外装、聖職者の祭服までデザインし、1954年に完成を見た。
 このロザリオ礼拝堂には、マティスが全生涯の総仕上げを意味するさまざまな壁画やステンドグラスなどがあり、空・植物・光という3つのテーマに基づく青・緑・黄色が使われている。
 リヒテルはその近くの新しい礼拝堂の方で演奏したそうだが、ロザリオ礼拝堂に出向き、ステンドグラスを通して内部に射し込んでくる太陽光の変化を1時間ほどずっと椅子にすわって眺めていたという。
「何も語らず、身動きもせず、ただじっと光のうつろうさまを眺めていました」
 マルタンはこう述懐する。
 私はこの話を聞き、ロザリオ礼拝堂の光に無性に会いにいきたくなった。リヒテルの音楽は、まさにその静謐で無垢で純粋な礼拝堂の空気に似ていると思うからである。
 もうひとつ、マルタンはこんなエピソードも紹介してくれた。
 あるとき、リヒテルを含めた4人で、ウィーンの結構大きなレストランにいったときのこと。花売りの女性が、腕に抱えきれないほどのばらをもってレストランに入ってきた。
 リヒテルはそれを見て、「ばらはそれだけなの?」と聞いた。
「いいえ、私の主人がまだ外にいて、これと同じくらいもっています」
 ほどなく、その男性もばらを抱えて入ってきた。
 リヒテルはいった。
「そのばらを全部、今夜このレストランにいる人たちに渡してくれないかなあ」
 お客さんたちは、「リヒテルからばらをもらった」と大喜びした。
 翌日、そのレストランにまた食事にいくことになった。
 リヒテルがドアを開けると、レストランの従業員たちが一斉に叫んだ。
「ああ、《ばらの騎士》がきてくれた!」
 マルタンはこの話をしながら、「さすが、ウィーンでしょう。《ばらの騎士》を出すとはねえ。リヒテルのうれしそうな顔が忘れられません」と、遠くに視線を泳がせた。
 マルタンの話は留まるところを知らない。リヒテルは、いつもシンプルで素朴で上質なお料理を好んだという。そして、けっして値段が高いところにはいかず、居心地のいい、ゆったりと食事のできる静かなところが好みだったそうだ。「そのため、私はいつもその土地のおいしいレストランを探し回ったものです」
 マルタンはこういって、「すごく大変だったけど、ほかならぬリヒテルのためですからね」と笑った。
 今日の写真は、インタビュー中のルネ・マルタン。
 彼は「リヒテルからは、本当に多くのことを教えてもらいました。ロック・ダンテロンの方には参加してもらうことができましたが、ひとつ心残りなのは《ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン》で弾いてもらうことができなかったこと」と、残念そうな表情で話す。
「自分がいまこうして音楽の仕事ができるのは、ひとえにリヒテルのおかげです。私の精神的な支えですから」と、感慨深そうに語った。 


 
| 巨匠たちの素顔 | 22:06 | - | -
CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE