Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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マウリツィオ・ポリーニ
 近ごろ、これほどまでに人生を考えさせる演奏に出合ったことはない。
 今日は、ポリーニのリサイタルを聴きにサントリーホールに出かけた。プログラムは、前半がシェーンベルクの「6つのピアノ小品」作品19、シューマンの「アレグロ ロ短調」「幻想曲ハ長調」。後半がオール・ショパン・プロで、「舟歌」「ノクターン 作品55の1、2」、「子守歌」、「ポロネーズ第6番 英雄」。
 実は、初来日の1974年4月24日の東京文化会館で行われたリサイタルを聴いているのだが、そのときに演奏された曲のひとつが、シェーンベルクの「6つの小品」作品19だった。
 ポリーニはゆったりとステージに登場すると、何年も弾き続けている自家薬籠中のシェーンベルクをモノローグのように弾き出した。弱音を生かした奏法で、静謐で幻想的とも思える空気がホールに広がっていく。
 ポリーニといえば、コンピューターのように正確無比な奏法で、透徹した知的でクールな響きを特徴とし、完璧なるテクニックに支えられた演奏というのが一般的な評価だ。それが初来日では炸裂した。
 まだ若かった私は、ポリーニのシェーンベルクに驚愕し、「こんなピアニストがいるのだろうか」と、衝撃を受けたことを覚えている。
 以来、ずっとポリーニを聴き続けてきた。
「彼は変わったのだろうか」というテーマで、原稿を書き続けたこともある。
 今回、ポリーニの演奏は、大きな変貌を遂げていた。
 いかなる難技巧も楽々と自然にクリアしていくテクニックは影を潜め、音楽が内省的で熟成し、内なる感情を吐露するものに変容していたのである。
 打鍵の強靭さと目の回るような指の動きも変化し、テンポはかなり抑制され、詩的な感情を表出するようになり、聴き手の心にしっとりと語りかける音楽となった。
 それがもっとも強く表れたのが、後半のショパン。以前の疾走するような輝かしい光を放つショパンではなく、人間味あふれる演奏となり、じわりじわりと聴き手の心の奥に浸透してくる。
 やはり、ポリーニはショパンだ。なんという滋味豊かな演奏だろうか。
 もちろん、往年のバリバリのテクニックは望めない。しかし、演奏の感動というものは、完璧無比な演奏だから生まれるものではなく、多少のミスタッチがあろうが、伝わってくるものが深ければ、忘れえぬほどの感銘を受けることができる。
 後半のショパンは、いまのポリーニをリアルに映し出していた。彼のショパンは、ひとつひとつの音が静かな存在感を示し、ある種の不思議なオーラを放っていた。とりわけ、ショパンの晩年の傑作「舟歌」と「子守歌」が、いまのポリーニの奏法、表現、音楽性によく似合っていた。
 私はショパンの作品を聴き込むほどに、彫刻のような顔をした若きポリーニを思い出し、自分の人生も回顧する思いに駆られた。
 これまでの人生が走馬灯のように脳裏に浮かんできて、ポリーニの音楽を聴いているのに、そのバックに自分の人生が映し出されているような錯覚に陥った。よくオペラの演出で、ステージのバックにいろんな絵柄が流れていくものがあるが、あんな感じなのである。
 なんとも不思議な感覚を味わった。最初のシェーンベルクが引き金となったのだろう。
 ポリーニは「英雄ポロネーズ」が終わったあと、嵐のような喝采を受け、何度もステージに呼び戻され、アンコールを3曲弾いた。
 ショパンの「エチュード 作品10 革命」「スケルツォ第3番」「ノクターン作品27の2」である。
 このノクターンは、えもいわれぬ詩情と古雅な雰囲気と深い憂愁をたたえていたため、つい涙がこぼれそうになった。
 最後はホールを埋め尽くした聴衆が総立ちになり、ポリーニを称えた。
 胸がいっぱいになり、感情を抑えるのがやっと、という状態のときに、ピアニストの伊藤恵に会った。
「ねえ、今度、仕事抜きでごはん食べない?」と誘われ、「ええ、もちろん!」と答え、再会を約束して別れた。
 帰路に着く間、ずっと私の頭のなかには初来日のときのポリーニが浮かび、胸が痛いほど感動を覚えていた自分の姿も思い出した。
 これが「音楽の力」だろうか。シェーンベルクを聴いた途端、記憶が一気に年月を飛び越え、鮮やかに蘇った。
 今夜は、さまざまなことを考えさせられたため、脳が覚醒してしまい、なかなか眠りにつけそうもない。
 今日の写真は、ポリーニのプログラムの一部。今回の演奏を聴き、ぜひブラームスの晩年の作品を弾いてほしいという気持ちが強くなった。


 
 
 
  
 
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