Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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エリソ・ヴィルサラーゼ
 2014年、11年ぶりに来日公演を行ったエリソ・ヴィルサラーゼ。ユーリ・テミルカーノフ率いるサンクトペテルブルク・フィルとの共演、そしてリサイタルとわれわれ聴衆を感動の渦に包み込んだ。
 その来日時、霧島国際音楽祭のコンサートやマスタークラスを控えている彼女に、音楽家としてのポリシーや、指導者としての思いを聞くことができた。
 インタビュー・アーカイヴ第68回は、ヴィルサラーゼの登場。数多くのインタビューのなかでも、とりわけ印象深いひとときとなった。

[音楽の友 2014年4月号]

音楽家であるために必要なこと 

20年間同じ曲を弾いていても、常に作品に新たな息吹を吹き込むという思いが大切。音楽は生き物なのよ。

私のモットーは、常に驚きをもつことなのです。 

 真のピアノ好きに愛されているエリソ・ヴィルサラーゼが、オーケストラとの共演とソロ・リサイタルの両方で1月末から2月にかけて待望の来日を果たし、まさにピアノ・ファンの心を深く魅了する演奏を披露した。
 コンチェルトは自家薬籠中の「チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番」。ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルとの共演で、冒頭からこれまで聴いたことのないような新しい光を帯びたチャイコフスキーが登場。フィナーレまで作品の奥に潜む本質に迫る洞察力の深さを示した。
 テミルカーノフは、事前に「今回のエリソのチャイコフスキーは、まったく新しい作品に出合うような衝撃を与えるだろう」と語っているが、まさしく彼女の演奏は、聴き慣れた作品とは思えぬ光輝くような新鮮さを与えてくれた。 
 今回は、まずそのチャイコフスキーの話題から開始。まるで異なった作品のように思えたが、特別な版を使用しているのだろうか。
「いいえ、みんなと同じ版よ。特別なものはまったく使っていないわ。私の演奏が新鮮に聴こえたとしたら、それは私の信念が演奏に反映したからだと思います。聴衆が新鮮さを感じないような演奏をする音楽家は、もうステージから去るべきね。20年間同じ曲を弾いていても、常に作品に新たな息吹を吹き込むという思いが大切。音楽は生き物なのよ。マエストロ・テミルカーノフは、今回もまるで30歳の指揮者のような若々しくみずみずしい音楽を生み出したでしょう。これが音楽家たる姿勢であり、感動を呼ぶことにつながるの」
 ヴィルサラーゼはどんな質問に対しても凛とした口調でことばを尽くし、本音で語る。
「私のモットーは、常に驚きをもつことなんです。驚いたり、好奇心をもったり、感激したりという感情をもつことにより、自分のなかの感性が磨かれ、それが音楽と対峙するときにとても役立つわけです」
 たとえば、といって彼女は京都の清水寺の舞台から見た風景を例に挙げた。
「私はあの舞台から見る美しい光景に、いつも息が止まるような思いを抱きます。でも、毎回同じではありません。より深く見て感じて、自分の感情と向き合うから。自然に勝る芸術はないと思いますが、自然の美しさに近いのが音楽だと思います。ですからもう何度弾いたかわからないチャイコフスキーのコンチェルトも、毎回異なる演奏を心がけています。これまでザンデルリンク、コンドラシン、スヴェトラーノフ、ドラティなど多くの指揮者と共演してきましたが、そのつど違う音楽が生まれます。もちろんこの曲に関してはテミルカーノフとの共演がもっとも多いですね。目指している方向が同じなので、有意義です」

ピアニストはエゴイストなんですよ。でも、それでは教える仕事はできません。


 リサイタルでは「シューマン弾き」と称される彼女の「交響的練習曲」が披露され、ロシア・ピアニズムの伝統を引き継いだ奏法、表現力が遺憾なく発揮された。19世紀から20世紀初頭にかけてのロシアの偉大なピアニストの演奏をほうふつとさせ、アンコールにいたるまで夢のなかにいるような錯覚を覚えた。
「シューマンは8歳のころ《子どものためのアルバム》を弾き始めたのですが、すべての曲が楽しくてたまらなかったわ。以後いろんな曲を弾くようになったけど、シューマンは時間をかけて少しずつ作品に近づいていく作曲家だと思います。急いではダメ。現在はコンピューター社会で、なんでもすぐに調べられ、早く結果が出せるようになり、若いピアニストも早く成功したいと望んでいます。でも、それでは作品の真の意味合いに近づくことはできません。楽譜を深く読み、ひとつひとつの音符、記号をじっくり考え、完全に自分のものにしていかなくては…」
 ヴィルサラーゼはモスクワ音楽院とミュンヘン音楽大学で教鞭を執っているが、最近の生徒はみな時代の変化に振り回されていると嘆く。先生の質も低下しているのが現状だと。
「ピアニストはエゴイストなんですよ。自分が苦労して学んで身につけてきたこと、積み重ねてきたことは他人に譲りたくないものなのです。でも、それでは教える仕事はできません。演奏家と教育者はまるで別物。教えることは責任を伴うし、もっとも大切なのは教えることが好きなこと。いまは先生の質が変化し、残念ながら本気で教えることに命を賭ける人が少なくなっていますね」
 ヴィルサラーゼはトビリシ音楽院教授の祖母アナスターシャ、彼女の親しい友人だったゲンリフ・ネイガウス、そしてヤコフ・ザークから学ぶことができた。そうした人たちの誠意ある教え、音楽と真摯に向き合う姿勢がいまの自分の糧になっているという。
「私は幸運なことに、すばらしい先生に巡り会うことができました。でも、ピアノを本格的に始めたのは8歳で、かなり遅かったですし、祖母は最初のころは身内に教えたがらなかった。そこで私は自分で学ぶ方法を見つけたのです。祖母のお弟子さんが弾く曲を耳からすべて覚えて弾くことができたので、子どものころは楽譜を読むのは大嫌いでした。あるとき祖母が足を怪我して外に出られなくなってしまったため、私は自分で学ばざるをえなくなったのです。そのときに楽譜をしっかり読む訓練をしました」
 このころから「音楽は無限の力をもって聴き手の心の奥に感動を届けることができる」と信じ、作品の本質に迫っていくようになる。
 ヴィルサラーゼの演奏が聴き手の心を強く捉えるのはこうした考えゆえだろう。彼女はひとつひとつの音符、フレーズ、リズムなどに時間をかけて対峙し、その音楽がもつ性格や法則をとことん探求していく。
「焦りは禁物」と何度も口にし、けっして同じ演奏はしない、常に新鮮でありたいという。最後にひとこと、「ひとつのシーズンである曲を取り上げたら、しばらく置いておく。10年後にまたそれを弾くと驚きがあるのよ!」。これがエリソ・ヴィルサラーゼの音楽の神髄ではないだろうか。

 このインタビューの数日後、あるパーティでヴィルサラーゼに会った。すると、「あらあ、この間はありがとう」といって、強く抱きしめてくれた。
 こちらがお礼をいうべきなのに、逆にいわれてしまった。
 なんと温かく、ヒューマンで、優しく、寛大な人なのだろう。こういう人に指導を受けるピアニストは、とても幸せだ。レッスンはとてもきびしいといわれているが、それこそヴィルサラーゼの身上である。
 今日の写真は、その雑誌の一部。真っ黒な髪のボブスタイルが、彼女の個性を際立たせている。


| インタビュー・アーカイヴ | 21:32 | - | -
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