Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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ソル・ガベッタ
 アルゼンチンから国際舞台へと彗星のごとく躍り出たチェリストのソル・ガベッタは、陽気でオープンな性格。演奏も前向きでパワフル、聴き手の心を瞬時にとらえるインパクトの強さを備えている。素顔も明るく、太陽のようだ。
「インタビュー・アーカイヴ」の第70回は、そんなソルの登場。

[弦楽ファン 2007年 Vol.10]

私は人間味あふれる音楽が好き 

 ソル・ガベッタの名前が日本で知られるようになったのは、ある1枚のCDがリリースされてからのことだった。2005年にアリ・ラシアイネン指揮ミュンヘン放送交響楽団と共演して録音した「ロココ風の主題による変奏曲〜ソル・ガベッタ・デビュー」(BMGジャパン)は、みずみずしい音楽性に彩られたポジティブな演奏で、チェロと一体となった若き奏者の音楽は、多くの人々を魅了した。以後、彼女はひんぱんに来日を重ねていく。
「でも、正直いうと、このデビュー・アルバムの録音は、私自身ものすごく入れ込んで集中し、あまりにも感情過多になりすぎたため、終わってから約1年ほどはCDを聴くことができなかったくらいです。どんな結果か、怖かったんです。ようやく1年を過ぎたころに聴いてみて、自分としては納得のいく演奏になっていたので、ホッと胸をなでおろした感じ。録音のきびしさを知らされました」
 つい先ごろ、セカンドアルバムでヴィヴァルディの協奏曲を取り上げたが、今回は自分の演奏を冷静に受け止めることができた。
「バロックの弓を使用しています。奏法も表現法も、作品の時代に合う様式をずいぶん研究しました。今度は、第1テイクのプレイバックをすぐに聴きなおして、いろいろ考えることができました。少しは成長したかしら(笑)。私の場合は、デビューCDが出てからすぐに各地から招待をいただき、海外でも演奏ができるようになりましたが、以前は友人たちからCDを出しても何も変わらないよ、といわれていました。ですから、とてもラッキーだったと思います」
 いまはスケジュールが満杯、世界各地を飛び回る生活だ。本拠地はスイスのバーゼル郊外の緑に囲まれたオルスベルク。ここでは2006年6月から音楽祭を開催している。
「たまたま家を探していて、静かでゆっくりできる環境のところが見つかったんです。ここは隣がチャペルで、演奏する場所もいくつかあったため、気の合う友人たちと小さな音楽祭を始めたの。名前は私の名と村の名を合わせたソルスベルク。私の名前は太陽という意味で、ベルクはドイツ語で山。陽のあたる山という名の音楽祭になりました。最初は週末だけの小さな規模だったのに、今年は一気に大きくなって、12公演も行ったんですよ。好きな人たちと好きな作品を好きな場所で演奏する、これが基本ポリシーです」
 ソルという名前は、母親が命名した。実は、ガベッタ家には自閉症の長女がいて、2番目はヴァイオリニストの兄、その下に双子が生まれたが、生後まもなく亡くなってしまった。母親は深い悲しみに襲われたが、ぜひもうひとり子どもがほしいと願い、今度の子は家に太陽をもたらしてくれると信じた。
「私は家族の願い通り、明るい性格になりました。でも、これは母から受け継いだもの。母はどんな苦境にあっても、絶対にへこたれない強い人で、いつも物事を前向きに考える。私もそうありたいといつも思っています」
 ソルは3歳半でヴァイオリンとピアノを始めた。5歳上の兄がスズキメソードに通っていたため、それについていったのがきっかけだ。その後、4歳半でチェロに転向。以後、この楽器ひと筋となる。
「幼かった私は、兄がヴァイオリンを弾く姿を見てうらやましくてたまらなかったのです。でも、どんな分数楽器でも楽器は大きすぎる。だから聴覚を鍛えるレッスンを主体に行っていたの。1年後に、当時アルゼンチンに初めてハーフサイズのチェロが入ってきて、それにひと目惚れ。実際はものすごく大きくて、私にとってはコントラバスのような存在だったけど、ヴァイオリンやピアノを習っていたので、上達は早かったみたい」
 その後、10歳からイヴァン・モニゲッティのもとに10年間通い、基礎をじっくりと学ぶことになる。
「最初に師事したときは10歳でしたので、本当に基礎的なことから勉強しました。モニゲッティ先生は私のコンサートにも同行し、その地の美術館や博物館に連れていってくれ、文化的な面の勉強も大切だと教えてくれました。私の成長を形成する上で、非常に多くのものを与えてくれた恩人です。そして20歳になったとき、自分の恩師であるダーヴィド・ゲリンガス先生のところにいきなさいと薦めてくれたのです。ゲリンガス先生はとてもきびしいレッスンをすることで知られていますが、私には自分自身のパーソナリティを生かす演奏、音質の大切さを教えてくれます。先生は本当にすばらしい美音の持ち主で、私もいつの日かそんな音色が出せたらと願って、日々練習に励んでいます」

演奏は、大切な生きがい

 ソル・ガベッタは、これまで多くの偉大な指揮者と共演を重ねているが、そうした指揮者の多くが彼女の人間性と音楽性にほれ込み、支援を申し出ている。まず最初に出会ったのは、2004年9月にルツェルン音楽祭でショスタコーヴィチの協奏曲で共演したワレリー・ゲルギエフである。
「マエストロ・ゲルギエフはとてもエネルギッシュ。そのパワーに負けないよう頑張りました。ショスタコーヴィチはロシア音楽の大切な位置を占める作品ですから、リハーサルのときから、いろんなアイディアを与えてもらいました。その後、大きな影響を受けたのはネーメ・ヤルヴィ。彼は経験も知識もとても豊富。ともに演奏するだけで勉強することは山ほどあります。そしてレナード・スラトキンも、初めて共演したときに、きみは北米で演奏したことがあるか、なかったら私が手を貸そうといってくれ、その後、マエストロ・スラトキンは私の北米での演奏の扉を開いてくれたのです」
 明るく人なつこく前向きな彼女は、だれにでも好かれるようだ。
「そんなことはないですよ。私のことを結構うるさいと感じる人もいるみたい。遠慮せずにどんどんしゃべるからかも。でも、いまはせっかくいただいたチャンスを目いっぱい生かすよう、何にでも積極的にチャレンジしていきたい。もちろん、人とうまくやりながらね。私はすごくストレスがたまる方で、ヘルペスになることが多い。これは最近、日本の鍼灸治療が効くとわかったの。これでも、結構周囲に気を遣っているのよ(笑)」
 彼女は日本にくるのが長年の夢だった。いつもマネージャーにどんな仕事でもいいから日本で演奏させて、と頼んでいたとか。
「日本の文化、歴史、人々の仕事に対する熱意、礼儀正しく人を尊重する態度など、全部大好き。夢はかなったけど、この夢はいま始まったばかり。今後はもっと日本を知りたい」
 趣味は新体操。子どものころから飛んだり跳ねたりが好きだったが、腕や指を痛めるからと、中止することになってしまった。
「私たちはからだが資本。いい演奏をするためには、健康が一番。空港とホテルとホールの往復で心身が休まるときがないけど、できる限り自分の時間をもち、精神と肉体を健全な状態に保ちたい。私は人間味あふれる音楽が好きなの。テクニックに頼った、無機的で機械的な演奏はしたくない。そのためには自分を磨かないと。演奏はけっして仕事ではなく、大切な生きがい。生きる意義を問われるもの。生き方すべてが演奏に表れてしまいます。ですから、もっと内面の強さをもつ人間になりたいし、きびしい局面に出合ってもへこたれない人間になりたいの。そうすれば、音楽的な面や奏法で悩みにぶつかったときも、きっと乗り越えられると思うから」

 ソル・ガベッタは、とてもひたむきで向上心に富んだ人だった。このインタビューからかなり年月が経ったが、またインタビューする機会に恵まれたら、もっと彼女の内面に触れたいと思う。明るさと繊細さ、行動的な面と思慮深さ、さまざまなコントラストを併せ持つ人である。
 今日の写真は、その雑誌の一部。


 

 
| インタビュー・アーカイヴ | 21:50 | - | -
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