Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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中村紘子
 昨夜から今日に日付が変わるころ、音楽事務所からピアニスト中村紘子(本名:福田紘子)の訃報が送られてきた。7月26日午後(22時25分)、大腸がんのため自宅で逝去したとのことだった。享年72。
 彼女は2015年に大腸がんの診断を受けたことを公表し、治療しながら演奏活動を行ってきたが、最近は治療に専念するため、コンサートを休止していた。
 訃報が届いたときは信じられない思いでいっぱいとなり、しばらく何も手につかなくなった。
 思えば、中村紘子にはずいぶんインタビューや取材を行ってきた。ショパン・コンクールのときも、現地で審査員としての感想を聞いたり、プラハでも取材を行った。自宅でのパーティにも招いていただき、ずいぶん前のことになるが、ご主人の庄司薫氏とともに食事に出かけたこともある。
 そんなさまざまな思い出が走馬灯のように脳裏に蘇り、完全に脳が覚醒し、眠れなくなってしまった。
 今朝は、9時過ぎから次々に新聞や雑誌の担当者から追悼文の依頼が入り、週明けまでに原稿を入稿することになった。
 今日は、もっとも最近のインタビューを「インタビュー・アーカイヴ」第71回として紹介したいと思う。

[レコード芸術 2014年10月号]

“あるがままの現在(いま)”を写しとる デビュー55周年記念アルバム

 日本を代表するピアニストのひとりとして、長年第一線で活躍を続けている中村紘子がデビュー55周年を迎え、記念アルバムを作り上げた(DREAMUSIC)。プログラムはモーツァルトのピアノ協奏曲第24番&第26番「戴冠式」と、ショパンのマズルカ集という組み合わせ。モーツァルトは山田和樹指揮横浜シンフォニエッタとの共演である。

山田和樹との出会い

 開口一番、「55周年とは早いものですね」という問いかけに対し、彼女らしいウイットとユーモアに富んだひとことが戻ってきた。
「私ね、1歳でデビューしたものですから(笑)」
 今回のアルバムは、昔から好きだったという作品を選んでいる。
「私とモーツァルトは、ちょっとミスマッチのような感じがするといわれ、モーツァルトのコンチェルトはこれまで圏外にあるような作品だったんです。でも、あるコンサートですばらしい指揮者と巡り会い、この人との共演ならとひらめいたわけです」
 2014年2月17日、中村紘子は山田和樹指揮横浜シンフォニエッタとともにベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を演奏した。そのときに初めて山田和樹に出会ったわけだが、そのコンサートの成功が今回の録音における共演へとつながった。
「山田さんは音楽的素養がすばらしく、人柄も誠実で人徳を備え、とてもさわやか。一緒に演奏して、一度でその音楽性と人間性に魅せられてしまったの」
 この共演話はすぐに決まったが、山田和樹がスイス・ロマンド管弦楽団との来日時だったため、2日間しか空き時間がない。そこでオーケストラのリハーサルとピアノの準備、マイクセッティングなどに1日を当て、コンチェルト収録はたった1日で行った。
「山田さんは横浜シンフォニエッタと入念なリハーサルを行ったのですが、このオーケストラは実力派ぞろいゆえ、どんどん音楽がよくなっていき、最後はすばらしい演奏を聴かせてくれました。もちろん私も短時間に集中して取り組みました」
 山田和樹に絶対的な信頼を置き、彼にすべて任せたと明言する中村紘子。これまでは、結構こまかいことまで気にしたが、今回は「なるようになる」という精神で臨んだ。
「うまくいくことも、そうでないことも、録音の現場ではいろいろなことが起こります。以前は、それを気にしていましたが、最近はいいじゃないか、これもひとつの運命と、こまかなことにこだわらなくなったの。年齢と経験のなせるワザかしらね(笑)」

新垣隆作曲のカデンツァ

 今回のピアノ協奏曲第26番第1楽章のカデンツァは、新垣隆が担当している。
「新垣さんも短時間で仕上げてくれました。でも、できあがった譜面を見ると、彼の人柄がよく表れているようなとても控えめなカデンツァでした。スケールの大きさなどがなくこぢんまりとした感じで、音域の幅も小さかったので、もうちょっと華やかにしてくださいとお願いしました」
 その結果、ごく自然な形でカデンツァに入っていくことができる作品に仕上がり、納得のいく演奏ができた。
「カデンツァというのは、ソリストのすべてを大公開して見せるところ、デモンストレーションのようなものなんですね。華やかさもあり、奏者の知識も盛り込まれます。私はこれまでブラームスやパウル・バドゥーラ=スコダをはじめ、いろんな人が作ったカデンツァを見ていますが、本当に多種多様。今回の新垣さんの作曲によるカデンツァは、オーソドックスで知的な感じです」

ワルシャワで勉強したショパン《マズルカ》

 一方、ショパンの《マズルカ》に関しては、さまざまな思い出がある。マズルカは非常に数多いが、今回選んだ第18番ハ短調作品30―1には、とりわけ深い思い出が刻まれている。
「このマズルカは、私がショパンにのめりこむきっかけとなった作品で、ポーランドに留学する機会を与えられたともいうべきものなのです。私が16、17歳のころ、1955年のショパン国際ピアノ・コンクールで優勝したアダム・ハラシェヴィチが初来日し、演奏会を開いたんです。オール・ショパン・プロで、演奏は流麗で伝統的なスタイルでした。なかでもマズルカのハ短調作品30―1がすばらしく、心に深く響いてきたんです。とても率直なショパンで、聴き手の心に飛び込んでくるようなところがあったのです」
 そこで、中村紘子はハラシェヴィチに会い、「あなたに弟子入りしたい」と申し出る。すると彼は「自分は教える仕事はしていないので、代わりに私の先生を紹介してあげよう」といって、ポーランドのピアニストであり、最高のピアノ教師として知られるズビグニェフ・ジェヴィエツキを紹介してくれた。
「当時、私はジュリアード音楽院で学んでいたのですが、夏休みの3カ月を利用してワルシャワに勉強に行きました。そのころ、ポーランドは食べ物にも事欠くような状態で、治安もよくなく、ジェヴィエツキ先生はとても心配してくれ、あらゆる面倒をことこまかに見てくれました。私はとても尊敬していますし、感謝もしています。当時のワルシャワで学んだショパンの音楽というものは、私にとって忘れられないものとなりました」
 その後、1965年、21歳のときにショパン国際ピアノ・コンクールを受けて入賞とともに最年少者賞も受賞するわけだが、このときに弾いた《マズルカ》は、第20番変ニ長調作品30―3と第21番嬰ハ短調作品30―4。この2曲も今回収録している。
「これらの《マズルカ》は、ワルシャワで勉強した作品です。2曲とも大好きな曲で、ショパンらしさが現れていると思います。今回、モーツァルトのピアノ協奏曲と一緒にレコーディングするのなら、ショパンの《マズルカ》しかないと思ったのです。でも、ショパンの《マズルカ》というのは、大きなステージで聴衆を相手に演奏するには少しためらいがあったのも事実。というのは、《マズルカ》はショパンの心情がもっとも素直に現れ、ショパンのエッセンスが凝縮している作品。もちろん家では好んで弾いていますが、これまであまりステージでは弾いていません。今回は、それをさまざまな思い出を掘り起こしながら録音しました」
 実は、《マズルカ》第20番変ニ長調作品30―3は大好きな作品なのだが、ショパン国際ピアノ・コンクール後、ウラディーミル・ホロヴィッツの演奏を聴いてあまりのすばらしさに衝撃を受け、以来あまり自身では演奏しなくなったのだという。それを今回、ようやく封印を解いて録音した。

55年という歳月が刻まれたアルバム

 中村紘子がこうしたショパンの舞曲の要素が盛り込まれた作品に強く惹かれるのは、もちろんワルシャワで学んだことも大きな理由だが、もうひとつ、10歳のころに師事したポーランド出身のレオニード・コハンスキの影響も考えられる。
「コハンスキ先生のレッスンで一番覚えているのは、ショパンの《ワルツ》や《マズルカ》を私と一緒に踊ってくれたことです。私はまだ子どもでしたから、大きなからだの先生が私を抱えるようにしてワルツやマズルカのリズムを踊って示してくれたのは、貴重な経験となりました。いまなお、私がこうした舞曲に根差した音楽を抵抗なく楽しんでいられるのは、先生の教えのおかげです」
 こうした多くの記憶が鮮明に刻まれた今回の録音。次はぜひ、ショパンの《マズルカ》全曲録音を、という声も聞かれる。55周年という年月には、さまざまな人との出会い、各地で演奏した経験、そしてそれにまつわる作品との思い出などあらゆるものが詰まっている。それらすべてが演奏に投影され、聴きごたえ十分のディスクが出来上がった。
「モーツァルトとショパンのエッセンス、それを聴き取ってほしいですね」 

 こう語っていた中村紘子。残念ながら《マズルカ》の全曲録音は、かなわぬ夢となってしまった。このインタビュー後も、何度か彼女に会う機会があり、病気の公表後も前向きに明るく話していた。
 これから機会を見て、これまでの取材記事を徐々に紹介していきたいと思う。
 今日の写真は、その雑誌の一部。謹んでご冥福をお祈りいたします。




 
 
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