Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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タチアナ・ニコラーエワ
 ロシアの名ピアニストと称されたタチアナ・ニコラーエワが亡くなったのは、1993年11月22日のことだった。享年69。サンフランシスコの病院で急逝したと伝えられ、当時このニュースは世界中のファンを悲しみの淵へと追いやった。
 ニコラーエワは生涯現役を貫いたピアニストである。このときは13日に同地で行われたリサイタル中に脳動脈破裂で倒れ、急遽入院、昏睡状態が続いていた。
 ニコラーエワは1924年5月4日ロシアのペジツァ生まれ。モスクワ音楽院でピアノと作曲を学び、1950年にライプツィヒで開催されたバッハ200年祭の記念コンクールで優勝し、以後バッハ弾きとしての名声を確立する。1959年からは母校で教鞭をとり、ニコライ・ルガンスキーをはじめとする多くの優秀な弟子を育てた。
 このバッハ・コンクールの審査員のひとりだった作曲家のショスタコーヴィチは、ニコラーエワの演奏にインスパイアされ、かねてからの課題であった「24の前奏曲とフーガ」を1950年から翌年にかけて作曲。1952年にレニングラードで行われた公開初演は、ニコラーエワが行っている。
 この作品はバッハの「平均律クラヴィーア曲集」をモデルとしていながら、全曲の配列はショパンの「24の前奏曲」と同じ形をとっている。各曲はトッカータ、ソナタ形式、幻想曲などさまざまな要素が取り入れられ、ピアニストとしてもすぐれた腕を持っていたショスタコーヴィチの力量が遺憾なく発揮されたものとなっている。それゆえ、難曲が多く、現在ではステージやレコーディングなどで取り上げられる回数にも限りがある。
 ニコラーエワは1989年に来日したさい、リサイタルでこの全曲を演奏するという快挙を成し遂げた。その完璧で敬虔な美しさに彩られた演奏は、いまだ脳裏に深く刻み込まれている。
 彼女はサンフランシスコのステージで倒れたときも、この作品を演奏していたのである。自分が初演した作品を演奏しているときに意識がなくなるなんて、悲しい事実ではあるが、演奏家冥利に尽きるのではないだろうか。ピアニストとして、なんという劇的な幕の閉じかただろう。
 ニコラーエワは、晩年は各地の国際コンクールの審査員も多数務め、取材に訪れたときにたびたび顔を合わせることがあったが、いつも静かな笑みをたたえ、その表情はバッハの「平均律クラヴィーア曲集」第1巻第曲の前奏曲、またはショスタコーヴィチのハ長調の前奏曲のような雰囲気をただよわせていた。
 もう一度、あのすばらしい演奏が聴きたい、あの静かな笑顔に会いたいと願うのは私だけではないだろう。
 そんなニコラーエワが残した平均律の演奏は、まさに人類の貴重な遺産ともいうべき録音。彼女は13歳のときからロシアの4つのピアノ流派のひとつ、アレクサンドル・ゴリデンヴェーイゼルに師事していたことからもわかるように、正統的なロシア・ピアニズムを継承している演奏家である。ニコラーエワは生前、ゴリゼンヴェーイゼルの教えは正確な技巧と楽譜への忠実さをモットーとしたものだったと語っていた。
 まさに「平均律クラヴィーア曲集」の録音は、その師の教えを映し出すかのように楽譜の深い読みに支えられている。何度聴いても、また最初から聴きたくなり、けっして飽きることがない。
 常に新しい発見があるニコラーエワの演奏、彼女はいまだ私たちの心のなかに生き、その音楽を通してバッハの魂を伝えてくれる。
| マイ・フェイバリット・ピアニスト | 22:43 | - | -
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