Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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シュトラウス&ランナーの像
 ウィーンには音楽家の像が数多くあり、それらはいつも人でにぎわい、写真の被写体となっている人気の高い像と、あまり人が訪れない像とに分かれる。
 ブルク劇場の向いに建ち、高い尖塔をもつ市庁舎の公園にあるヨハン・シュトラウス1世とヨーゼフ・ランナーの像は、後者ではないだろうか。
 以前、ウィーン郊外の温泉保養地、バーデンの公園にあるシュトラウスとランナーの像をブログにアップしたことがあるが、こちらは目立つところに建っているためか、多くの人が写真を撮っている。
 一方、市庁舎公園の像は、目立たない場所にひっそりと建っているためか、いつ訪れても人影はない。
 真相は定かではないが、実はこのふたりはあまり仲がよくなかったとか。
 しかし、いずれの像も親しい友人のような表情を備え、当時のウィーンのワルツやポルカなどの舞踏音楽を牽引していた雰囲気をたたえている。
 シュトラウス1世は、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのアンコールの定番、「ラデツキー行進曲」で知られる。これはイタリアを征服した、ラデツキー将軍の凱旋祝賀会で演奏するために書かれた。
 作曲は1848年3月、ウィーンの動乱のさなかに行われている。
 当時、メッテルニヒの圧政に反抗する学生や労働者を中心とした市民が武器をとって立ち上がり、メッテルニヒを失脚させ、皇帝を退位に追い込んだ事件があったが、そのさなかに書かれた。
 このときシュトラウス1世は政府の側に立ち、軍隊の士気を鼓舞するためにこの行進曲を書いたと伝えられている。
 その後、この作品の政治的な色彩は次第に忘れられ、いまでは国民的に愛されるようになり、吹奏楽のスタンダード・ナンバーとしても愛好されている。
 ランナーはシュトラウス一家に先立ってウィンナ・ワルツの様式を確立したことで知られ、シュトラウス1世が「ワルツの父」、その息子のシュトラウス2世が「ワルツの王」と呼ばれるのに対し、「ワルツの始祖」と称される。
 「シェーンブルンの人びと」「宮廷舞踏会」「ロマンティックな人びと」などの作品を次々に世に送り出した。
 当時は、ランナーもシュトラウス1世も自身の楽団を率い、ワルツやポルカやレントラーなどで人々の人気を得、競い合い、「ワルツ対決」とまでいわれたという。
 そのおかげで、いまなお私たちはすばらしい曲の数々を聴くことができるわけだ。
 今日の写真は、市庁舎公園の裏側の入口付近にひっそりとたたずむ、シュトラウス1世とランナーの像。


 
 

 
 
| 麗しき旅の記憶 | 14:48 | - | -
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