Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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ロバート・レヴィン
 アメリカ出身のロバート・レヴィンは、いくつもの顔を持つ音楽家である。モダンピアノのみならず、チェンバロやクラヴィコード、フォルテピアノなどのピリオド楽器とオルガンを演奏し、編曲者、音楽学者、さらにモーツァルト関連文献の著者でもある。
 そんな多彩な肩書を持つ人は、さぞ堅い話をするのではないかと思われるが、実はモーツァルトのように陽気でオープンでジョーク好き。
 雑誌「ムジカノーヴァ」の2011年1月号にインタビューが掲載されたが、そのときは時間がたりないほど雄弁にさまざまなことを語ってくれた。
 もっとも印象的だったのが、「モーツァルトの作品を演奏するときには、左手が非常に大切だ」という話。ピアノ・ソナタもピアノ協奏曲もキャラクターが瞬時に変化していくが、それは左手の変化に表れていることが多いという。この話になったとき、レヴィンは膝を乗り出し、手の表情も加え、あたかも自分がモーツァルトになったように生き生きと語り出した。
 彼のマスタークラスやあらゆる講習会は世界各地で多く行われているが、生徒が押し寄せ、弟子入りを望む人も後を絶たない。現在はハーバード大学人文学部教授を務めながら、精力的に各地を回っている。
 よく、留学するときにその土地ではなく、いい先生がいる学校を選ぶというが、ロバート・レヴィンのような先生に師事したら、きっとレッスンも楽しくて仕方がないという感じになるのではないだろうか。
 もうひとつ、印象に残った言葉が「レッスンには、その生徒が一番好きな作品を持ってきてもらう」と語ったこと。好きな作品であれば、生き生きと演奏できるから。その演奏を聴きながら、よりよい面を引き出していくのだそうだ。
 レヴィン自身の演奏は、「もしも、モーツァルトであれば、こう弾いたであろう」と評されている。
 彼のモーツァルト好きは、幼いころに「モーツァルト狂いだった」という父親がいつもレコードを聴かせてくれたことが大きく影響しているという。やはり子ども時代の環境は大切なのだと実感。それがその人の将来を決めることになるのだから、親の役割は本当に大きい。
 レヴィンは「私は音楽を愛し、生徒を愛し、ピアノを愛しているんですよ」とにこやかな笑顔を見せた。うーん、こういう言葉をサラリと口にすることができるのが、この人の強み。偉大な演奏家で学者なのに、話は実にシンプルで自然で端的。そう、これこそモーツァルトの音楽にもっとも必要な要素。レヴィンに会った後は、なんだか心がとてもかろやかになった。




 
| クラシックを愛す | 23:06 | - | -
タパスに魅せられて
 1月のグラナダの旅で、とてもいい物を見つけた。スペインの小皿料理、タパスの本である。
 これは美しい写真が満載の料理本で、スペイン語、英語、フランス語、ドイツ語、そして日本語でレシピが紹介されている。うれしい限りだ。
 旅の間に多くのタパスを食べたが、どれもシンプルでおいしく、ぜひ作ってみたいと思って書店に本を探しに行ったところ、日本語が付記されているものを見つけ、すぐに購入。とてもサバイバルな旅だったが、毎日これをながめてはにんまりし、辛いことを忘れた。
 スペインでは夕食が遅いため、パルに寄って一杯ひっかけながらタパスを何種類かつまむというケースが多い。材料はオリーブの実、アンチョビ、パプリカ、トマト、イカ、ツナ、エビ、卵、チョリソ、チーズ、ポテト、貝類、カニなど海の幸と山の幸がふんだんに使われる。
 それらがひとつずつ写真付きで紹介され、簡単な作りかたが記されている。よーしっ、ひとつずつマスターするゾ、と意気込むほどでもない簡単な料理も多い。
 少し紹介すると、「オリーブ、青トウガラシ、カツオ、アスパラガス、ビネグリットソースのピンチョ」「ポテトサラダ、カニ、ピキージョ(赤ピーマン)、車エビのカナッペ」「カマンベールのミニサンド」「タラ、ピーマン、アリオリソースのタルトレット」「ジャガイモ、タマネギ、ズッキーニ入りトルティージャ」「カタクチイワシの酢漬け」「魚介のコロッケ」「ムール貝の詰め物」。ねっ、どれもおいしそうでしょう。
 さあ、どれから挑戦しようか。いい物があったら「アーティスト・レシピ」に加え、だれかの名前をつけようかな。スペインだからギタリストか、はたまたピアニストか。そうだ、次は作曲家のレシピ集を考えようか。
 と、アイディアが次々に湧いてくる。やっぱり、スペインはいいなあ。食べ物はすごくおいしいし、故郷に帰った気持ちになるし(またしつこくいっている 笑)。
 今日の写真は本の表紙。これは種なしオリーブと青トウガラシ、アンチョビフィレを串に刺した「ヒルダ」。なんという芸術的な美しさ…。

| 美味なるダイアリー | 16:42 | - | -
ルチアーノ・パヴァロッティ
 1992年10月末、サンディエゴで行われるパヴァロッティのコンサートの取材に出かけた。翌年1月に横浜アリーナで開催される「パヴァロッティ・アリーナ・コンサート」の先行取材だ。
 ここで聴いた演奏とインタビューで記事を作成し、コンサートの予告をするという先行取材という形は結構多く、90年代はあちこちに出かけた。
 ただし、このときのインタビューは熾烈を極めた。現地に着くと、パヴァロッティはオーケストラとリハーサルの真っ最中。担当者は「本人には日本からジャーナリストがインタビューに来ることを伝えてありますから、あとはよろしく」といって、忙しそうにどこかに行ってしまった。
 さて、困った。自分で交渉しないといけないんだ。どうしよう…。
 これは雑誌「Hanako」のカラーページの取材だった。なんとかたくさん話を聞き出さないと記事にならない。リハーサルの休憩を待って、パヴァロッティに声をかけた。
「パヴァロッティさん、いつインタビューをさせていただけますか」
「いや、いまは忙しいんだ。私はもともとインタビューは嫌いなんだよ。いつといわれても…」
 すでに逃げの態勢。それでは困る。私は繰り返し頼んだ。
「日本の雑誌がたくさんページを空けて待っているんです。なんとか時間を作っていただけませんか。日本のファンも待っていますし」
 パヴァロッティは大変な汗かきで、2リットル入りのミネラルウォーターを両手に抱えている。それを持ってすたこらと逃げ出した。
 私は中学時代、陸上部の短距離(100メートル)の選手だった。リレーではいつもスターターを務めた。大昔のこととはいえ、いまでも走ることにかけては負けてはいない。
 すぐにパヴァロッティに追いつき、追い越し、くるりと前にまわって「ちょっとだけでいいんです。お願いします」と叫んだ。
 突然、行く手をさえぎられたパヴァロッティは水を落としそうになりながら、おっとっとっと、つんのめり状態。
「きみは、あきらめが悪いなあ」
 この一部始終を見ていたオーケストラのメンバーは、「漫画のトムとジェリーのようだ」といって大笑い。「ふたりともがんばれー。もっと走れー。ファイト!」などとはやしたてるため、さすがのパヴァロッティもトーンダウン。
「ホント、しつこい。じゃ、ほんのちょっとだよ」
 こういって椅子にドッカと腰を下ろした。
 でも、あんなに嫌がっていたのに、いざとなったら結構話してくれ、無事に記事ができたというわけだ。今日の写真はそのときの記事の一部。
 もっとも興味深かったのは、いつもステージで左手に巻きつけている白いハンカチ。これは一種のおまじないだそうで、これがないと歌えないという。いまや完全にトレードマークとなったれいのハンカチだ。
 素顔のパヴァロッティはその目がすべてを表しているように、繊細で神経質で傷つきやすい表情を持っている。ステージで見ると底抜けに陽気でいかにもイタリアンといった風情だが、決して明るさだけが彼の特徴ではない。
「私はいつも自分の声の変化を自然な形で受け止めてきたんだよ。若いころはリリコな声を必要とする役を得意としてきたけど、だんだんドラマティコに移っていった。年々声は重くなるからね。それだけ役柄が広がったわけだから、むしろこの声の変化を楽しんでいる。オペラ歌手はひとつの音でもはずしたり、出なかったりすると非難されるけど、それをいつも乗り越えてきたんだ。私の歌を聴いてくれる人は、むしろ声の変化を聴いてほしいと思う。いつまでも“キング・オブ・ハイC”じゃないしね」
 彼はデビューした当初、テノールの最高音であるハイCをほかのだれにもまして楽々と歌い切るところからこのニックネームがついた。
 その後、3大テノールの取材にも何度か出かけ、終演後にインタビューに行ったが、「うわっ、また来た」といってカレーラスの後ろに隠れる始末。でも、大きいからしっかり見えていた。どうもサンディエゴ以来、すっかり嫌われてしまったようだ。
 いまとなってはもういい思い出である。2007年、パヴァロッティは帰らぬ人となってしまった。本当はもっと追いかけっこをしたかったのに、残念でたまらない。

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:14 | - | -
赤坂達三
「クラリネット界の貴公子」と呼ばれる赤坂達三も、長年インタビューを続けているアーティストのひとりである。
 彼は長年フランスで研鑽を積み、フランス作品をこよなく愛してきた。2010年はデビュー20年の記念の年にあたり、6年ぶりにリリースした新譜「オマージュ・ア・パリ」(ソニー・ミュージックダイレクト)は、やはり自身の根源であるフランス作品を選曲した。
 ガロワ=モンブラン、ラボー、プーランク、リュエフ、サン=サーンス、ドビュッシー、オーリックというこだわりのプログラムで、本人いわく、「ひとつずつにさまざまな思い出が詰まっている」という。
 このCDのライナーノーツを書くことになり、じっくりと演奏を聴いたが、超絶技巧を要する作品がずらりと並んだにもかかわらず、演奏はすこぶる自然体。全体にロマンがあふれ、エレガントで絵画的な色彩感にも満ちている。
「音楽家として、最盛期のいましか残せないであろうと思う作品だけを選びました。これまでさまざまな作品を演奏してきましたが、自分のルーツを考えるとき、やはりフランス作品だと思ったのです。以前はひたすら練習し、力ずくでがむしゃらな演奏をしていた時期もありましたが、いまはそれから脱却しました。現在の赤坂達三を聴いてほしいですね」
 まさに、ここには余分な力の抜けた、音楽のすばらしさを聴き手を分かち合おうとするひとりのアーティストが存在する。クラリネットの響きが、幾多の言葉より雄弁に語りかけてくるからである。
 私は赤坂達三に会うと、いつも昔聞いた話を思い出す。彼はバレエが趣味だと語ったのである。バレーボールではありませんよ、踊るバレエです。からだを鍛えるために始めたといって、階段があると爪先立ちでツツーっと上り詰めるというから驚いたものだ。
 でも、いまはもうその話は出てこなくなった。もうひとつの趣味は「温泉巡り」。これも現在はやめて、ひたすら練習に打ち込む生活になったとか。
「生涯、勉強を続けないと…」
 おだやかな笑みを浮かべた貴公子がこういうと、ホント、説得力がある。そう、だれしも生涯勉強を続けないとダメよね。
 彼の素顔はハングリー精神(これってもう死語かな)に満ち、内に秘めた音楽への闘志は強い。外見のたおやかさと、実際の芯の強さ。そのコントラストが絶妙だ。
 このインタビュー記事は「婦人公論」の2010年10月22日号に掲載された。
 今日の写真は、25年来の友人でパリ音楽院の仲間でもある共演のピアニスト、浦壁信二との録音は「すごく楽しかったよ」といっているときの表情。

 
| アーティスト・クローズアップ | 22:11 | - | -
ユリアンナ・アヴデーエワ
 昨年12月、NHK交響楽団との共演と、リサイタルのために来日したユリアンナ・アヴデーエワにインタビューを行った。
 10月にショパン・コンクールで演奏を聴いてから1カ月余りしかたっていない。その間、彼女の生活は激変したという。このインタビューはヤマハのWEB「ピアニスト・ラウンジ」の「明日を担うピアニスト達」に掲載されている。結構、長く書いたから、ぜひ読んでほしいな。アヴデーエワの音楽に対する一途な姿勢が理解できると思うので。
 このときは当然のことながら、ショパン・コンクールのときとはまったく異なるリラックスした表情をしていた。しかし、コンクール優勝の実感はいまだ湧いてこないと語っていた。
「あまりに生活が変わったことと、いつも多くの人に囲まれているため、じっくり物を考えることができないの。私はひとつのことを時間をかけてゆっくり考えていくタイプ。いまはレパートリーを広げなくてはいけないのに、時間的にも精神的にも余裕がない状態。これではいけないわね。もっと自分を見つめ、しっかり将来を見据えて生きかたを考えるようにしないと」
 コンクールのときもそうだったが、演奏も話しかたも落ち着いている。それはひとつのことに納得いくまで取り組む姿勢から生まれるようだ。
 その後、1月には入賞者たちと「第16回ショパン国際ピアノ・コンクール2010 入賞者ガラ・コンサート」に参加。再び、彼女の特徴である作品を完全に自分のものにした安定した演奏を聴かせた。
 そのときは地方公演もあり、さまざまな土地でいろんな食事をしたそうだが、もっとも気に入ったのは「日本そば」だそうだ。
「日本には何回か来ているけど、そばのおいしさは知らなかった。なんてすばらしい味なの。もうとりこになってしまったわ。ヘルシーな食べ物だと聞いたし、麺とつゆの絶妙のマッチときたら、たまらないわね。毎日食べても飽きないくらいだわ(笑)」
 彼女はとりわけ麺のおいしさを連呼するため、私はこう聞いてみた。
「うどんやラーメンは食べた? やっぱりおそばなの?」
「ダメダメ、ほかの物はまったく違うの。そばよ、そば!」
 大きな目を見開いて「SOBA、SOBA」と叫ばれると、おおっ、すごい迫力。ハイハイ、わかりました。そばね。日本が世界に誇る味だもんね。
 そんな彼女の「特報」が入ってきた。再来日&初リサイタルツアーが11月に行われることになったという、うれしいニュースだ。東京公演は11月5日、東京オペラシティコンサートホール、他の公演地は決定次第発表になる。
 きっと、さらに磨きのかかった演奏を聴かせてくれるに違いない。できることなら、ショパン以外も聴いてみたいのだが…。
 さて、今日の写真はヤマハのサイトの読者のために色紙にサインしているアヴデーエワ。下を向いていても美しいでしょう。


 
| 情報・特急便 | 22:44 | - | -
ルネ・パーペ
 昨夕はトッパンホールにルネ・パーペのリート・リサイタルを聴きに行った。
 パーペはドレスデン出身のバス歌手。欧米のオペラハウスから引っ張りだこの人気と実力を誇り、いまやバスとして不動の地位を築いている。
 その彼が同じくドレスデン出身のピアニスト、カミロ・ラディケと組んでリートを歌うという。始まる前から期待は募るばかり。
 ステージに登場したパーペの、なんと立派なことか。燕尾服というのはこういう体格の人がもっとも似合うと思わせる威風堂々たる体躯。肩幅が広く、胸板が厚く、足が長く、姿勢がいい。歩幅は広く、カッツカッツと自信に満ちた表情で中央まで進む。まるで舞踏会に現れた王族のような雰囲気。
 前半はシューベルトの「音楽に寄す」「夕映えの中で」「ミューズの子」などから始める。艶やかでのびのあるダイナミックな低音で歌われるシューベルトは、いつも聴いているやわらかで抒情的な歌とは一線を画す重量感あふれるもの。
 特に印象的だったのは「野ばら」。初々しくさわやかな野ばらではなく、荒野に咲く野ばらで、雨にも風にも負けずにすっくと咲いている野生の花。パーペの歌を聴き、この作品の奥深さを思い知らされた。
 次いで登場したのはシューマンの「詩人の恋」。これまで何度この作品を聴いてきただろうか。だが、これもまた新たな発見があった。
 パーペはハイネの詩の奥に潜む物語を浮き彫りにし、音楽との融合を極め尽くし、あたかもひとり芝居のように16曲の異なった音の世界を作り上げていった。
 後半はヴォルフの「ミケランジェロの3つの詩」とムソルグスキーの「死の歌と踊り」。いずれもバスのための重要な作品。声の調子が上がってきたパーペは、さらに表情豊かに、作曲家の意図した思いに近づくよう集中力を高め、鬼気迫るような歌唱を聴かせた。ひとり芝居がひとりオペラに変貌したようで、別世界にいざなわれる思いを抱いた。
 オペラでは、グルネマンツやザラストロ、マルケ王などの役で圧倒的な存在感を示しているルネ・パーペ。その彼のリート・リサイタルは、聴き慣れた作品に新たな光を当てるものだった。1日たってもその深い感動は胸の奥にずっといすわっている。
 今夜はアンドラーシュ・シフのベートーヴェンを聴きに行く。ピアノ・ソナタ第30番、第31番、第32番という重量級のプログラムだ。またもや、新たな発見に心が高揚しそうだ。
この2つの公演は、次号のモーストリー・クラシックのコンサート評を書くことになっている。
 
 
| クラシックを愛す | 15:03 | - | -
ショパン・コンクール審査員
 1月中旬、ショパン国際ピアノ・コンクールin ASIAの審査員として来日したアンジェイ・ヤシンスキ、ピオトル・パレチニ、ケヴィン・ケナー、クシシュトフ・ヤブウォンスキの座談会が行われ、その司会と記事を担当した。これは現在発売中の「音楽の友」2011年3月号に掲載されている。
 ヤシンスキとパレチニには幾度かワルシャワのショパン・コンクールで話を聞いており、ケナーには1990年、彼がショパン・コンクールを受けたときにずっと取材をしている。さらにヤブウォンスキにも何度かインタビューを行っている。というわけで、初対面の人はだれもいなかったため、座談会はスムーズに進んだ。
 ただし、弦楽四重奏団のインタビューも同様だが、相手が4人となると話す量に差が出てくるのは当然のこと。それをひとりずつ平均して話してもらうよう、あらゆる角度からの質問を考え、振り分けていかなくてはならない。
 記事を仕上げるときは、司会者がいちいち質問している形をとらず、互いに話しているように書き進める。
 今回の座談会は2010年のショパン・コンクールを通して見えてきた世界のピアニストの様子から始まり、現在の日本の音楽教育、日本の若いピアニストたちの姿勢、日本の今後の課題など、4人がとても正直で端的で内容の濃いことを話してくれたため、充実した時間となった。
 さあ、それからが大変。テープ起こしをしていくと4人の声が重なったり、だれの声か判別不可能だったり…。通訳のかたは時間がないため手早く訳してくれるのだが、原稿の分量が多いためそれだけでは足りず、じっくりとひとりずつの話を聞き直していかなくてはならない。これが膨大な時間を要する。
 そんなこんなで原稿と格闘していたら、編集者から連絡が入り、「ページが増えました。文字数もっと増やしていただけますか」とのこと。ヒエー、またやり直さなくちゃ。結果として、5ページ分という長い原稿になった。
 ここで4人は今回のショパン・コンクールで日本人が本選に残らなかったことに対し、さまざまな意見を述べてくれた。非常に示唆に富む言葉で、多くのことを考えさせられた。
 今日の写真は、座談会ではシビアな話をしていたのに、写真撮影になったら4人が並んで押し合い圧し合いの状況を見せたとき。からだの大きな人たちが「ほら、もっと詰めて」とか「あんまり寄ってくるなよ」といい合いをしている様子。偉大なピアニストばかりなのに、みんな結構お茶目。

 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 14:59 | - | -
アレーナ・ディ・ヴェローナ
 今年は欧米各地のオペラハウスの引っ越し公演が多く組まれているが、空前のオペラ・ブームといわれた1989年も、世界各地から7つものオペラが来日。20年ぶりのボリショイや門外不出のバイロイト、スケールの大きなイベント・オペラまで多種多様な舞台が展開された。なかでも印象に残っているのは、「アレーナ・ディ・ヴェローナ」のヴェルディの歌劇「アイーダ」である。
 これに先駆け、真夏のアレーナ・ディ・ヴェローナ音楽祭に取材に出かけたのだが、2万5000人〜3万人収容のアレーナは、まさに壮大なスケールを誇る会場だった。
「アイーダ」が初めてここで上演されたのは1913年8月10日。おりしもこの年はヴェルディ生誕100年祭が催されることになっており、各分野の著名人が企画を出し合ったが、妙案は生まれてこなかった。
ちょうどそのころ、ヴェローナ出身でアメリカで成功を収めたテノール歌手ジョヴァンニ・ゼナテッロが帰国。彼は夕日に赤く染まるアレーナを見て「ここでグランド・オペラをやろう!」と提案する。紀元前1世紀に作られ、それまでは格闘競技や騎馬戦、ゴルドーニの人形劇などに使われていたアレーナは、この年以来その機能を劇場に変えた。
現在ではオペラ・ファン憧れの地となり、毎年7月から8月にはイタリア・オペラを中心としたオペラ・フェスティヴァルが華々しく開催されている。
 アレーナの広さは長径153メートル、幅128メートル、高さ30,5メートルだが、舞台の上で手をポンとたたくと、階段の一番上でもその音が聴こえるほど、すばらしい音響を備えている。
 イタリアの夏は日が長い。オペラが始まるまで世界各地から訪れた人々は、交通の遮断されたアレーナの周りのカフェやレストランでワインを飲んだり食事をしながら、場外アナウンス「アタンシオーネ、アタンシオーネ」という呼びかけをゆっくりと待っている。
 このときは「アイーダ」ももちろん鑑賞したが、私の胸に強い印象をもたらしたのは、雨で最後まで上演できなかったヴェルディの「ナブッコ」である。
これが上演された日は朝から曇り空で、いまにも雨が落ちてきそうだった。この時期のイタリアは天候が不安定。雨がひとしずくでも落ちてくると、オーケストラ・ピットのメンバーは一目散に舞台裏に逃げ込む。楽器が濡れると大変だからだ。そして雨が完全に止むまで、聴衆は何時間でも待ち続ける。いままでの最高記録は、夜中の12時に再開して、明けがたの4時半に終演を迎えたとか。
 この夜も案の定第1幕の途中で雨になり、何時間たっても止まなかった。アナウンスがしゃれていて、「皇帝ネロも雨には勝てなかった」などといって、しびれをきらした聴衆の心をやわらげていた。
 とうとう夜中になったとき、ステージに1台のオルガンが運ばれてきた。それに合唱団が続く。彼らはびしょぬれになりながら歌い出した。
「ナブッコ」の第3幕で歌われる、鎖につながれたヘブライ人たちの有名な望郷の合唱「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」である。これはイタリアの第2国歌とも呼ばれる大切な曲である。
 聴衆は最初は静かに耳を傾けていたが、次第にみんな一緒に歌い出し、涙を流している人もいる。曲が終わるやいなやみんな立ち上がり、拍手と歓声はいつまでも止まない。
合唱団はもう一度歌い始めた。今度はアレーナ中がそれに和し、大合唱となった。そして終演。チケットの払い戻しを求める人はだれもいなかった。
 翌日、アレーナ総裁のフランチェスコ・エルナーニ氏に会った私は、「もうアレーナのことは一生忘れません。思い出にここの模型のような物があるといいんですが、どこかに売っていますか」と聞いたところ、総裁は「ちょっと待って」と奥の部屋に消え、重そうな灰皿を抱えて現れた。
「これ、私が就任したときにもらった物だけど、タバコは吸わないし、私は毎日本物を見ているわけだから、東京に持って帰っていいよ。土産用に売っている物ではないから、大事にしてくれたまえよ」
 私は「キャーっ」と叫んだ。でも、余程物欲しげな顔をしていたか、感極まった表情をしていたのだろうか。と、一瞬考えたが、ありがたくいただくことにした(なんという物欲 笑)。いまは仕事部屋でタバコの灰ではなく、ステーショナリーグッズを入れて大切に使っている。あの雨のなかで聴いた合唱を思い出しながら…。


 
| 麗しき旅の記憶 | 18:58 | - | -
ワレリー・ゲルギエフ
 ロシアの指揮者、ワレリー・ゲルギエフはエネルギーのかたまりである。睡眠や食事の時間を削って音楽にすべてを賭け、秒刻みで過密なスケジュールをこなす。それゆえ、インタビューはいつもごく短時間。リハーサルの合間とか、本番前などということもある。
 2008年2月マリインスキー・オペラとともに来日し、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」を上演したが、このときのインタビューも、リハーサルと本番の間のほんのちょっとした休憩時間を利用するというものだった。
 これは一般誌「ATES」の巻頭カラーページのインタビューだったため、編集者とカメラマンと私はかなり前からホールに詰め、リハーサルが終了するのをいまかいまかと待っていた。
 案の定、リハーサルは大幅に長引き、本番の時間は決まっているから、インタビューの時間は徐々に少なくなっていく。みな気が気ではない。
 ようやく楽屋に戻ってきたゲルギエフは、汗びっしょり。
「遅くなって申し訳ない。完璧にできないところがあって、納得いくまでリハーサルを繰り返していたので、こんな時間になってしまったんです。さあ、何から話す?  すぐに始めましょうか」
 ゲルギエフは目力の強い人である。顔も全体に濃い。話もテンポが速く、一気に言葉が飛び出してくる。
 彼がロシア帝国の首都、サンクトペテルブルクを代表するオペラとバレエの劇場、マリインスキー劇場の芸術総監督を任されたのは1988年、35歳のとき。まだロシアが経済的に混沌としていた時期で、予算も十分ではなかった。劇場に携わる全員が意気消沈していたが、そんな彼らに向かい、ゲルギエフは胸の内を明かした。
「資金調達は任せてくれ。みんなは音楽に集中して、成果を出してほしい。困難な時代だからこそ、人々は芸術を求めている。必死でいいものを作り出せば、いまに世界がこの劇場を招いてくれるようになる。そのときにロシア魂を示そうじゃないか」
 彼は政府や企業に掛け合って予算を確保し、演目の幅を広げ、海外公演も積極的に行っていく。いまでは世界各地のオペラハウス、コンサートホールのなかで、もっとも海外公演の多い劇場となっている。
 そして2007年には新コンサートホールをオープンさせ、次に新たなオペラハウス建設にも着手した。
「私はサンクトペテルブルクを文化と芸術の発信地にしたいんですよ。古都に新たな風を吹き込みたいのです。いま、世界中でクラシック離れが進んでいます。それを止めるためには常に時代に合った新しい試みが必要です」
 ゲルギエフは寸暇を惜しんで融資を求めて飛び回る。その姿を見て、劇場のみんなが一致団結していい音楽を作り出そうとがんばっている。
 そんなゲルギエフとマリインスキー・オペラは、いま来日中。先日のR.シュトラウスの歌劇「影のない女」は長い上演時間を要する作品だったが、一瞬たりとも聴き手を飽きさせることなく、作品の内奥へといざなう集中力と存在感あふれる演奏だった。特にバラクの妻を歌ったオリガ・セルゲーエワが圧倒的な声量と表現力を発揮、役になりきった演技も秀逸だった。
 実は、ゲルギエフは食事をとるのも速い。インタビュー中に「食べながらでいいかなあ」とマエストロ。「もちろんどうぞ」と私。
 すると出前が運ばれてきた。それを食べながらしっかりインタビューに答える。しかも、うな丼と海老フライ定食をたいらげ、お味噌汁とお茶を飲み、楽屋の外で写真撮影も行った。この間、わずか20分。すごすぎる…。
「じゃ、本番だから。オペラ、楽しんで聴いてね」といい残して、着替えのために楽屋に消えた。ああ、こっちが汗びっしょりだ。 

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:41 | - | -
風邪よ、飛んで行け
 ウチの近所に、私の行きつけの自然食料品店がある。そこで韓国のオモニが作った「キムチの素」を見つけた。以前、この「素」から作ろうと思い、さまざまな材料を買ってきて作り始めたところ、キッチンのみならず家中に匂いが蔓延し、数日間どうやっても消えないことがあった。
 というわけで、今回「素」はプロにお任せし、半分手作りのキムチに挑戦することにした。
 まず、野菜の用意。
 白菜、大根、キュウリ、小松菜、カブ、チンゲン菜、ニラ、セロリなどをざくざく切って、大きなボールいっぱい用意する。手にひとつかみの塩を入れ、ざっくりと混ぜる。これを3日間、冷暗所に置いて塩漬けに。野菜から水気が出てくるので、日に2回ほど上下を混ぜる。
 3日たったらさっと水洗いし、よく水気を切って、いよいよ「キムチの素」を加える。それも3日間、今度は冷蔵庫で寝かせる。こちらも日に2回ほど全体をよく混ぜ合わせる。
 約6日後にできたのが、写真の一品。さて、お楽しみの試食。うーん、おいしくできているではないか。野菜もほとんどオーガニックのため、とってもヘルシー。キムチというよりは「野菜の浅漬けキムチ風味」といった感じ。おおっ、シャキシャキしていくらでも食べられる。丼いっぱいいけそうな気配だ。ピリ辛だけど、奥の深い味。
 今度、友だちの家に持っていこうかな。でも、「ビールか白いごはん持ってきてくれえ」といわれそうだ。
 これ、次第にからだが温かくなってきて、ちょっとした風邪なら飛んでしまいそう。私は食べるのも好きだけど、本当はみんなに食べてもらうのが好き。「風邪ひきさ〜ん、寄っといで」なあんてね。
 これ食べたら、チョ・ソンジンの肌に近づけるかなあ(またいってるよ 笑)。
 冬もいいけど、夏バテにも効きそう。だれかリクエスト、ある?


 
| 美味なるダイアリー | 22:31 | - | -
小川典子
 小川典子との出会いは、1987年秋。場所はイギリスで開催された第9回リーズ国際ピアノコンクール。彼女はここで第3位入賞を果たし、以後ロンドンと東京を拠点として世界的に幅広く活躍するようになる。
 小川典子はいつも飾らず気負わず自然体。語り口は端的でクリア。自分に正直で、音楽に対しても凛とした姿勢を崩さない。
 演奏は非常にエネルギッシュでスケール大きく、冒険心にあふれているが、近年はそこに内省的な響きが加わり、音楽がより深くなった。
 そんな彼女には長年インタビューを行い、さまざまな話を聞いてきたが、いつも私の脳裏にはリーズ・コンクールのときのひたむきな演奏が浮かんでくる。最初に聴いた演奏というのは、インパクトの強いものなのである。彼女はこのコンクールをステップとし、イギリスに居を定め、さまざまな苦難を乗り越えながら今日の確固たる地位を築き上げた。
 もう3年半ほど前になるだろうか。私はある仕事で人間関係がうまくいかず、ものすごく落ち込んでいた。そんなときに小川典子の取材が入ったが、私的な感情は表面に出さず、無事に仕事を終えた。すると、彼女が腕を引っ張って部屋の隅へと私をいざなった。
「ねえ、何かあったの? 顔が変よ。私にはわかるんだから。よかったら聞くけど…」
 私は「しまった」と思った。隠しているつもりだったのに、彼女にはわかってしまったからだ。
 時間もなかったためおおまかなことだけ話し、その日は別れた。すると後日、ロンドンからていねいで心のこもった励ましの手紙が送られてきた。小川典子も、ここまでくるのに言葉ではいえないほどの苦労を経験している。その彼女の励ましは、決して文字数は多くなかったが、涙が出るほど心に響くものだった。これで私はどん底から這い出ることができたのである。
 でも、次に会ったときには、もう彼女は何もなかったような顔をしている。私ももう引きずらない。
「お互いにいい仕事をしようね」
 彼女の瞳が私にそう語りかけていたのがわかったからだ。
 そして2010年のクリスマス。またインタビューをすることになった。小川典子はいま取り組んでいるベートーヴェンについてエネルギッシュに語った。このインタビューは「ムジカノーヴァ」の2011年2月号に掲載されている。
 そのときに、ロンドンで焼いて持ってきたというフルーツケーキをごちそうになった。いわゆるヨーロッパのクリスマスに登場するさまざまなドライフルーツの入ったどっしりとしたケーキである。このおいしさときたら…。カメラマンと編集者は男性なのでおかわりをしていたが、私はひと切れでやめておいた。でも、そのあとに他の仕事が入っていたため、その人たち用にと、もうひと切れいただいた。
 ただし、その後の仕事ではあまりにも多くの人がいたため、出しそびれてしまった。というわけで、結局このひと切れは自宅に「お持ち帰り」となった次第だ。小川さん、ごちそうさま! 頬がゆるんで、ついにんまりしてしまうほどのおいしさでしたよ。また食べたいな(笑)。



 
  
| 親しき友との語らい | 18:07 | - | -
成田達輝
 ヴァイオリン界には次々に新星が現れているが、2010年秋にパリで開催されたロン=ティボー国際音楽コンクールで第2位に輝いた成田達輝18歳もそのひとりだ。
 彼は現在パリ13区立音楽院に在籍中。昨秋インタビューをしたときには、この2月にパリ音楽院の試験を受けるといっていたから、いまはその真っ最中かもしれない。このインタビューは「音楽の友」の2011年1月号に掲載されている。
 よくアーティストに趣味を聞くと、「音楽が趣味のようなものだから、特にないなあ。一日中、音楽と向き合っているし、ほかのことをする時間はとれない」という答えが戻ってくる。
 だが、成田達輝は違った。彼は子どものころからマジック(手品)や知恵の輪が好きで、本を読み漁ってマスターしたという。不思議なことが大好きで、学べば学ぶほどその世界にのめりこんでいくそうだ。
 これはもちろんヴァイオリンにもいえることで、練習ひと筋。「いまは学ぶことが楽しくてたまらない」と目を輝かせる。
 そんな彼の演奏は、3月23日にサントリーホールで開催される「ロン=ティボー国際音楽コンクール ガラ・コンサート」で聴くことができる。ここではシベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調を演奏する予定だ。
 彼のヴァイオリンは、みずみずしくおおらかな音色と表現力が特徴。その奥に意志の強さと前向きな精神が宿る。目標に向かってひた走る若き俊英の迷いのない演奏は、聴き手を元気にさせてくれるものである。今日の写真は彼がちょっとおどけたポーズをした1枚。
 国際舞台で広く活躍するヴァイオリニストになってほしい。






 
| 情報・特急便 | 23:12 | - | -
インゴルフ・ヴンダー
 たったいま、ビッグニュースが飛び込んできた。2010年のショパン国際ピアノ・コンクールで第2位に輝き、コンチェルト賞と「幻想ポロネーズ」賞も受賞したピアニスト、インゴルフ・ヴンダーがドイツ・グラモフォンとレコーディング契約を結んだのである。
 ヴンダーは1985年9月8日、オーストリアのクラーゲンフルト生まれ。4歳からヴァイオリンを始め、数々の賞に輝いたが、本人いわく「どうしても自分の楽器とは思えなかった」という理由により、14歳でピアノに転向。猛練習の結果、わずか1年後にはさまざまなピアノ・ソナタが弾けるようになった。
 その5年後に、ショパン・コンクールを受けた。このときは本選に残れず、再度挑戦した昨年のコンクールで見事入賞の栄冠を手にしたのである。
 このコンクールを聴きに行った私は、「絶対にヴンダーが優勝する」と確信を持っていたが、残念ながら審査の結果は第2位。
 先日、来日したヴンダーにインタビューしたとき、「私はあなたが絶対に優勝すると思っていたのよ」とっいったら、ナイーブな目をした彼は恥ずかしそうに、でも、すごくうれしそうな表情をして「どうもありがとう」といっていた。このインタビュー記事は、「音楽の友」の今月発売号に掲載される予定。
 というわけで、ヴンダーのデビューCDはショパン・リサイタル・プロになりそうだ。もう待ち遠しくてたまらない。
 今日の写真は、来日中においしいお寿司を食べたそうで、「やっぱり、本場の寿司の味は違うね、最高だよ。ああ、毎日食べたいくらいだ」といっていたときの表情。目がまん丸だ。それほどお寿司にはまったのね。
 
| 情報・特急便 | 23:41 | - | -
集中的な取材
 月末から月初めにかけての締切りラッシュがひと段落すると、インタビューや取材が一斉に始まる。
 今日はクラシックとはまたひと味異なるジャンルの音楽家のインタビューがあり、視野が広がる思いを抱いた。
 お昼に行われたのは連弾でピアノ界に新たな風を吹き込んだ、「レ・フレール」(斎藤守也と斎藤圭土の兄弟によって結成された)のインタビュー。兄弟でもこんなにも性格が違うのかと思うほど、あたかも正反対のような雰囲気。この違いが4手の演奏に幅を与えているんだろうな。これは「音楽の友」の取材だった。
 午後は世界を舞台に活躍するジャズ・ピアニストの上原ひろみ。とても前向きな生きかたをしている人で、笑顔がチャーミング。聴衆を大切にする姿勢に心打たれた。これはキャノンの「C-magazine」のインタビュー。
 これからしばらくはこうした仕事が続く。そして、あっというまに月末入稿がやってくるという次第だ。
 明日はラン・ランのリサイタル、そして翌日彼のインタビュー(ムジカノーヴァ)。土曜日はマリインスキー・オペラのR.シュトラウス「影のない女」の初日が控えている。そんなところに、ニュースが飛び込んできた。
 今回、このオペラの演出を担当したジョナサン・ケントがアフターパフォーマンストークを行うという。彼は藤原紀香主演のミュージカル「マルグリット」の演出も手がけており、そのリハーサルのために来日しているが、合間を縫ってオペラ終演後にトークを行うそうだ。
 「影のない女」はそんなにひんぱんに上演されるオペラではない。それだけに、演出家の話はきっと「魔法の世界」といわれるこのオペラに、私たちをより近づけてくれるに違いない。しっかり聞いておきたい。
 
 
| 日々つづれ織り | 22:55 | - | -
グラナダの昼と夜
 今日は「婦人公論」の担当のKさんと銀座でランチをご一緒した。あまりにおいしく、ていねいに作られたトスカーナ料理だったため、つい舌もなめらかになり、年末年始の旅の失敗談を話してしまった。
 2010年12月末から2011年1月初頭にかけ、10日間ほど南スペインに旅をした。パリ経由でマドリード、グラナダと移動したのだが、ロストバゲージに遭ってしまい、10日間まったく荷物がない状態に陥った。
 旅にリスクはつきものだが、さまざまなところで対処が遅く、イライラは募るばかり。現地に着いたら年末年始でお店はあまり開いていないため、日常使う物も十分に買えない。とてもサバイバルな日々となった。
 しかし、ここで得たこともある。どんなに待たされても、ひたすらがまんしなくてはならないため、忍耐力が養われた。次々にアクシデントが起きるため、すぐに対処しないと、だれも助けてはくれないから決断力と積極性が必要となる。さらに、最低限のお金で最大利用価値のある物を購入しなくてはならないから、無駄遣いをしなくなる。
 もっとも大きな収穫は、一瞬一瞬の時間を有効に使うようになったこと。余分なことに膨大な時間を要したため、残りの時間を大切に考え、少しでも有意義な時間を過ごそうと自分をイライラから解放させるよう心がけた。
 グラナダは昔から大好きな町で、初めて訪れたときから不思議なことに自分の家に帰ったような感覚を抱いた。他の土地ではいつも異邦人という感じがぬぐえないのに、ここだけは違った。自分にスペインの血が混じっているような思いを抱いてしまうのである。
 もともと私は小さいことはあまり気にせず、なんとかなるさという考え。よくアーティストにインタビューすると、「きみは日本人じゃないね。ラテンじゃないの」といわれるし、友だちも「性格は確かにラテンよね」という。20代のころは夏は海焼け、冬は雪焼けで年中真っ黒だった。髪もストレートで肩よりかなり長くしていた。そのころ女ふたりでベルギーのブルージュを旅していたら、現地の人に「スパニッシュか」と聞かれ、「やったーっ」と飛び上がって喜んだことを覚えている(単純だね)。
 というわけで、今回もまたまたお里帰り(アホか)。グラナダは世界各地の観光客でにぎわっていたが、私はひたすら静けさと自然を求めてそぞろ歩きを楽しんだ。ファリャの家、アルハンブラ宮殿の中庭、緑豊かな森、アルバイシン等々。写真はグラナダを一望する場所からとった昼と夜の風景。ボーっとながめているだけで幸せ…。



| 麗しき旅の記憶 | 23:40 | - | -
神尾真由子
 音楽家のなかには、インタビューを苦手とする人も多い。「自分の音楽は演奏で示しているのだから、言葉は必要ない」とはっきりいう人もいる。
 これまで多くのアーティストに話を聞いてきたが、そういう人にぶつかるとムラムラとジャーナリスト根性が頭をもたげてくる。口の重い人、気難しい人、話が進まない人に出会ったら、「よーしっ、頑張るゾ。絶対にしゃべらせるもんね」と内心ほくそえみながら、表面はなにくわぬ顔をして、あの手この手で多方面にわたる質問を試みる。
 もちろん、失敗談は山ほど。相手はアーティストだから、私にとってはリスペクトの対象。失礼にあたらぬよう、細心の注意を払いながら、なんとか話をしたいと思ってもらえる方向に話題を振っていく。
 2007年にチャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で優勝を果たした神尾真由子も、非常に口の重い人である。ひとつの質問に対して、ひとことだけの返事という場合もある。
 しかし、2008年3月に彼女の留学先であるチューリヒでデビューCDをレコーディングしたとき取材に行き、録音にもずっと立ち会い、ジャケット写真の撮影も見学し、その後インタビューも行ってライナーノーツを書いたため、それからは少しずつ本音で話してくれるようになった。
 以後、ずっと演奏を聴き続けている。
 そんな彼女が世界中の人が待ち望んでいたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲第1番(ソニー)をリリースしたのは、2010年10月のこと。それに先駆け、帰国した彼女に話を聞く機会があった。
「私はあまりしゃべらないほうだけど、なぜか周りにはおしゃべりな人、しつこい人が集まってくるの。ザハール・プロン先生もひっきりなしにしゃべっているし、同じところを何度も演奏させるしつこさがあるでしょう。今回チャイコフスキーの録音で指揮を担当してくれたマエストロ・トーマス・ザンデルリンクもこれまたしつこくて、オーケストラ・パートを何度も繰り返して演奏していた。私のソロに対しては、あまりしつこくなかったからよかったけど(笑)。このあと日本ツアーで共演するロシアのピアニスト、ミロスラフ・クルティシェフもとてつもなくしつこくて、プログラムには凝りまくる、作品はとことん調べる。それを滔々と説明してくれるんだけど、私はなんとかなるわよって感じ。とうしてみんなあんなにこだわるのかしらねえ」
音楽における「しつこさ」は、完璧主義の表れなのだろう。一方、神尾真由子はのんびり、おおらか、マイペース。ただし、本番には強い。ふだんはゆったりペースだが、いったんヴァイオリンを手にすると、集中力全開。音楽のなかに一気に没入していく。
 このインタビューの様子は「CDジャーナル」の2010年11月号に掲載された。このときもライナーノーツを書き、そのなかで彼女がチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に出合ったときのことを綴った。
 満を持して登場したチャイコフスキーは、まさに長年弾き込んで完全に自分の音楽になっている安定感と説得力を備えた演奏。彼女のいつものちょっと怖そうな(みんなにいわれるそうだ。集中しているときは当然だが、緊迫感あふれる表情になる)顔をして演奏している様子が音から見えるようだ。
 そんな彼女の写真はインタビュー時の1枚。こんな表情、ちょっと珍しいでしょう。これ、すごくキュートな表情にとれたので、自慢の写真です。
 
| アーティスト・クローズアップ | 21:32 | - | -
かつお菜
 今日は九州のかつお菜が手に入った。濃い緑の葉っぱが特徴で、煮るとかつお節のような風味があることから、「かつお菜(勝男菜)」と呼ばれているそうだ。
 時間がない折、さっとできる「青菜の炒め煮」を作ってみた。かつお菜1把をざくざくと切り、油少々で炒め、砂糖、酒、しょうゆを各大さじ2分の1杯ずつ入れて調味。最後にかつお節を手にひとつかみ入れる。お皿にもりつけてから、さらにかつお節をトッピング。
 ふだんは小松菜を使っているが、実に簡単。しらす干しを入れたり、油揚げをさっと焼いて千切りしたものを加えると、また違った風味が出て白いごはんがいくらでも食べられるし、明太子を最後にさっくり混ぜれば、お酒の友にぴったり。最後に火を止めてからゴマ油少々をたらり、すりゴマを混ぜるとまた一段と風味が…。
 最近、京都のちりめん山椒をいただいたので、それを最後に混ぜたら、あらあら上質なおつまみに。これひとつ覚えただけで、幾通りにも変身する。ああ、いくらでもアイディアが浮かんでくる。仕事でもこんなに創造力が発揮されるといいんだけどなあ。
 なあんて青菜と仲良くしていたら、校正紙がわんさと送られてきた。なになに、すぐに戻してほしいって?   担当さん、ごめんなさい、決して遊んでいるわけではないんですよ(何いってんだ、しっかり遊んでいるじゃないか…笑)。
 あっ、そんなときにおいしそうなカブがあるのを思い出した。私はこの時期のカブが大好きで、またまたレシピが次々に頭に浮かぶ。「カブと肉団子のうま煮」にしようか、ベーコンを入れてスープにしようか。はたまた「ゆず風味の甘酢漬け」もいいし、カブの葉が元気だからしらす干しとニンニク炒めもいいかも。
 いや、そんな時間はないぞ、仕事に戻らなくちゃ。でも、ふくよかで真っ白な顔をしたカブが私を呼んでいる。ああ、この誘惑、だれか止めて〜。

| 美味なるダイアリー | 21:58 | - | -
近藤嘉宏
 今日は、久しぶりにインタビューをするため、ピアニストの近藤嘉宏に会った。彼は3年ほど前に体調を崩し、かなり長い間ピアノが十分に弾けない状態だったが、いまはすっかり元気を取り戻した。
 体調を崩したときは胃もやられ、毎日おかゆとゆでたキャベツだけを食べ、短期間で8キロもやせてしまったそうだ。ようやく治って初めて食べた普通の食事は、「豚肉の生姜焼き」。感動するおいしさだったとか。以後、豚肉が大好物、あとは野菜があれば満足。
「その両方が食べられる豚のしゃぶしゃぶが一番好きですね」
 近藤嘉宏とは、彼がデビューしたころからのつきあいで、長年演奏を聴き続けている。今回は、2009年から始まったベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音の話が中心となった。
 実は、その第3弾のライナーノーツを書き、事前にしっかり音源を聴いてあったため、対話がはずんだ。第3弾はピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」、第23番「熱情」、第24番という組み合わせ(ベルウッド・レコード 3月23日発売)。特に各々のソナタの緩徐楽章(第2楽章)が心に響く美しさ。その楽章の話になったら、彼の目は輝きを増し、早口になり、ベートーヴェン論が止まらなくなった。
 このインタビューは、次号の「intoxicate」(タワーレコード)に掲載される予定である。
 彼は1991年にミュンヘン国立音楽大学に留学し、2年間ゲルハルト・オピッツに師事し、ベートーヴェンの真髄を学んでいる。そのオピッツは名ピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプからベートーヴェンの精神を学んだ。オピッツにインタビューしたさいに聞いたことでは、ケンプは、ベートーヴェンの堅固な構築性を持つ作品のなかにも自由に解釈する部分が多々あることを教えてくれ、勇気を持って自分のベートーヴェンを演奏しなさいといったそうだ。
 近藤嘉宏はそのケンプの演奏を昔から愛聴してきた。まさに伝統は受け継がれ、ケンプからオピッツへ、そして近藤へと作品が内包する精神がバトンタッチされている。
 近藤嘉宏と私の共通項は、「クラシック音楽を広めたい」という気持ち。彼はデビュー当時から目標を達成するために自分ができることは何でもやるという腰のすわったタイプで、こんなことを語っていた。
「最近はアカデミズムが過度に強調されていると思うんです。昔はルービンシュタインやホロヴィッツをはじめ演奏家は非常に個性があり、その人の演奏を聴きたいという強い気持ちでみんなホールに足を運んだ。それが徐々に演奏家ではなく、人々の興味がアカデミズムのほうに流れてしまったんですね。ぼくはもっと演奏家が主体となり、演奏で聴衆を魅了しなければいけないと思う。そうしないと音楽を楽しむ文化が根付かない。その一端を担うのが目標であり、夢なんです」
 その考え、大賛成。初心を貫き、夢に向かってゴーゴー!

| 親しき友との語らい | 23:30 | - | -
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