Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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ヘルマン・プライ
「インタビュー・アーカイヴ」の第2回は、私が長年その歌声に魅了され続けているヘルマン・プライ(1929〜1998)の登場。

[FM fan 1994年11月21日〜12月4日号 25]

「こうもり」のアイゼンシュタインでは聴衆の笑いを誘い、
「冬の旅」では微妙な感情を表現した名バリトン


 長いキャリアを誇るプライが、ウィーン国立歌劇場の「こうもり」では陽気でコミカルなアイゼンシュタインを演じ、その一挙手一投足が聴衆の笑いを誘った。そしてリサイタルではシューベルトの「冬の旅」で、今度は詩の裏側に潜む微妙な感情までをも表現するようなシリアスな歌を披露し、聴き手の心にどっしりとした重量級の感慨をもたらした。
 
「冬の旅」のあの歌の世界、絶望的な部分に強く共鳴を覚えます

――演奏家はキャリアを重ねていくごとにその音楽から余分なものがそぎ落とされ、シンプルになっていく場合が多いと思いますが、歌手の場合は役を歌い込んでいけばいくほど、表現が濃密になっていくものなのでしょうか。
「歌手はたいていある時期が来ると、活動をしぼるようになります。歌う回数を減らし、レパートリーも限定する。そうやって中身を凝縮させていくわけです。それによってその役や歌の内容が濃くなっていくことは確かでしょうね。ドイツのことわざにこんな言葉があるんです。“限定されたなかでこそ、マイスターというのは真の自分を見せることができる”とね。
 私もいまは以前にくらべてかなりステージに立つ回数を抑え、そのなかでよりよいものを目指すよう心がけています。ですからいまは、自分では30年前よりも高いところに到達したと思っています」
――今回は「こうもり」と「冬の旅」という、コミカルとシリアスの両面を聴かせていただきましたが、プライさんのなかでは、どちらがよりナマの自分に近いのでしょうか。
「だんぜん“冬の旅”のほうです。もちろんプロですからステージではどんな役も歌いますが、私自身のなかにコミカルな要素というものはまったくありません。むしろ“冬の旅”のあの歌の世界、絶望的な部分に強く共鳴を覚えます。
 私もこれまで何度も絶望的なことを味わってきたからです。落ち込むときは、もうかなり下まで落ち込んでしまいます。どん底まで落ちて、また這い上がってくるのです。
 ゲーテの作品もそうでしょう。彼の重要な作品は、みな絶望の状態にあるときに書いたものだと本人がいっていますよね。人間にとって、この下から上へのぼってくる力、それが成長につながるのではないでしょうか」
――それは演奏が納得いかないときに、そういう精神状態になるのですか。
「いいえ、そうともいいきれません。いろんな場合があるのです。
 きっと私がそういう状態に陥るときは、成長を求めているときなのでしょう。こういうときは天から神の声が聞えてくるんです。ちょっと休みなさいという声が。40年ほど前から、ベルギーの北海にある島に家を持っているのですが、精神的によくないときは、すぐそこに飛んでいきます。
 一番の救いは家族ですが、自然も大いなる救いをもたらしてくれます。自転車で島を走りまわったり、散歩をしたりすると、やすらぐんです。それに自然から作る薬草のようなものを研究している友人の医師とも話をします。 ただしここ数年は、そうした外的要素によって精神が左右されるということはなくなりました。私も少しは成長したのでしょう(笑)」
――シューベルトに対する愛は変わらないですよね。
「ええ、もちろん。シューベルトは私の人生の中心点といえるものですから。
 実は“冬の旅”を歌い始めたころ、どうしても楽譜通りに歌えない箇所があって、いつもまちがえて歌っていたんです。ところがある日、1960年代のはじめのころですが、ニューヨークのモルガン・ライブラリーでシューベルトの自筆譜を見る機会があったんです。そしたら私がまちがえている箇所が、実はシューベルトが最初に書いた音だったんです。それがまちがって出版されていた。たった3カ所ですけどね、これは大発見でした」
――「冬の旅」では、伴奏のピアノが重要な役割を果たしていると思われますが…。
「そう、リートを歌うときはいつもピアノに心を砕きます。いまハンブルク音楽大学で教えていますが、この授業の半分くらいは伴奏との合わせに費やしています。
 歌の世界ではピアノは歌手を支え、ともに歌っていかなくてはなりません。歌手のひとり舞台になったり、ピアニストが先走ったりしてはいい音楽はできません。
 昔、ブレンデルと4年間ほど組んだことがありますが、彼はピアノをいかに鳴らすかということばかりに心を奪われていた。私と一緒には歌えなかったんです。ブレンデルはきっと天性のピアニストなのでしょうね。
 そうそう、1997年1月にサントリーホールで6夜にわたってシューベルトを歌う計画が入っています。いまピアニストを探しているんですが、私はリヒテルを希望しているんです。まだどうなるかわかりませんが、ぜひ実現させたいと思っています」

この声は神から授かったもの
引退も神が決めてくれるのです


――最近は演出にも力を入れていらっしゃいますが、今後はどのような作品を手がけられる予定ですか。
「それはいま模索中です。ただ、演出はこれからもどんどんやっていくつもりです。そのぶん歌うほうを減らしていますから。もう私のフィガロを要求してくれるオペラハウスはなくなりましたし、レコーディングの話もきませんからね(笑)。新しい自分を見出さないとね。
 フィガロはロッシーニとモーツァルトの両方を1952年から歌っていますが、一番印象に残っているのはやはりミラノ・スカラ座で初めてロッシーニを歌ったときです。ドイツ人がイタリア・オペラで勝負するのは大変なんです。カルーソーがバイロイトに出演するようなものですからね。
 このときは、始まる前はガタガタ震えていました。でも、幸いなことに舞台は成功しましたので、そのあとはもう赤ワインを浴びるほど飲みましたよ。この成功が私に自信をもたらしてくれました。その意味ではアイゼンシュタインは1977年から歌い始めたのですから、キャリアはまだまだです。
 いつまで歌えるかいまはなんともいえませんが、引退というのは自分では考えないことにしています。この声は神から授かったもの。引退も神が決めてくれるのです。もう歌うのをやめなさいという神の声が聞えるまで、ずっと歌っていくつもりです。たとえ80歳になってもね(笑)」

 今日の写真はそのときの雑誌の一部。80歳まで歌いたいといっていたプライだが、インタビューの4年後、69歳で帰らぬ人となってしまった。悲しくてたまらない…。

| インタビュー・アーカイヴ | 18:34 | - | -
セルゲイ・シェプキン
 ロシア出身で、1990年にボストンに移り住んだピアニスト、セルゲイ・シェプキンは、J.S.バッハの音楽をこよなく愛す。
 2007年3月にすみだトリフォニーホールで演奏した「ゴルトベルク変奏曲」は、衝撃の演奏ともいうべきものだった。テンポ、主題、フレーズ、ダイナミクス、装飾音、リズム、対位法、構成など、すべてにおいて従来の「ゴルトベルク変奏曲」とは一線を画す斬新さにあふれ、その奥に不思議な静けさが宿っていた。
 私は変奏が進むうちに深い海のなかにもぐっていく感じを受け、脳裏には素潜りの名人、ジャック・マイヨールの姿が浮かんできた。それほど彼のバッハは個性的で、静謐な感覚を備え、聴き手の想像力を喚起するものだった。
 そのシェプキンが2010年11月、再びすみだトリフォニーホールに登場し、ベートーヴェンの「熱情」とムソルグスキーの「展覧会の絵」をメインに据えたリサイタルで、またもや斬新な解釈を披露した。
 その直前にバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の再録音をリリースし、これは世界中に再び衝撃を与えるディスクとなった。初めての録音とは異なり、装飾音やつなぎの音を多く組み込み、あまりにも個性的な仕上がりとなっているからだ。
 そんなシェプキンにインタビューする機会が巡ってきた。ひらめきに満ちた自由で輝かしい演奏をするステージの印象とは異なり、素顔は知的で物静かでおだやかな雰囲気。とてもハンサムで、真摯な受け応えをしてくれる。
「私は『ゴルトベルク変奏曲』を弾くと、いつも故郷のサンクトペテルブルクが浮かんでくるんですよ。建物や町の雰囲気が、私の想像力をかきたてるわけです」
 こういって、シェプキンは故郷をなつかしむような目をした。このインタビューは「intoxicate」の2010年秋号Vol.89に掲載されている。
 彼は、バッハはすべて本能に従って弾いているといい、ひとつひとつの音にとことんこだわると力説した。
「私にとってピアノの音は人間の声であり、魂の叫びなのですから、1音たりともないがしろにはできないのです」
 何度聴いても決して飽きることがなく、もっとバッハの他の作品も聴きたい、他の作曲家の作品も聴きたいと、次々に欲が出てきて止まらなくなるシェプキンの独特なピアニズム。
 今日の写真は、シェプキンがにこやかにバッハ論を語っているときの様子。ねっ、ステージでの驚異的な集中力に富んだ演奏をしているときとは、まったく異なる雰囲気でしょ。このコントラストがまた魅力かも…。
 まだナマの演奏に触れていない人は、ぜひ次回の来日で衝撃の体験を。

 
 
 
| アーティスト・クローズアップ | 21:11 | - | -
エレーヌ・グリモー
 これまでインタビューをした記事のなかから、選りすぐって紹介する「インタビュー・アーカイヴ」。第1回はエレーヌ・グリモーの登場。

[PIANO forte 1990年 夏号]

ピアノも彼女に恋をする 

エレーヌ・グリモーが初めて来日したのは、もう3年も前のことになる。このときは建設会社のテレビのCF撮りでの来日だったが、記者会見の席上彼女はみずみずしいピアノを披露した。リストの「ダンテを読んで」、ショパンの「バラード第1番」、ラフマニノフの「音の絵」。みな彼女の得意とするものばかりだった。その演奏は、若々しいなかにも何か強靭な精神力と作品に対する深い洞察力が感じられて、こんなにも美しく、そしてテクニックを持ったピアニストが出現してきたことを大いに喜んだものだった。
「ロシア文学がすごく好きなの。最初に読んだのはトルストイで、いままで自分が読んだもののなかで一番複雑な印象を受けた感じ。ロシア文学を通して、ラフマニノフを弾くようになったといってもいいくらい」
 会見が終わってからグリモーは、文学と自らの音楽のつながりについてこう語った。その後何度か来日し、着実にファンを増やしていった。そして今回の来日では、ヴァイオリンのイザベル・ファン・クーレンとのデュオという新しい顔も見せてくれた。
「イザベルとはとても気が合うの。もう息をするタイミングが同じといったらいいのかしら。フレーズ感もまったく同じなのよ」
 グリモーはファン・クーレンのことを話すとき、すでに長年の友人のことを話すかのような口ぶりである。だが、このふたりの出会いはつい1年前のことだ。
「ギドン・クレーメルの主催しているロッケンハウスで昨年共演したの。そしたらもう初めからピッタリ合って、またぜひ共演したいと話していたわけ。だから今回日本で一緒に演奏できてイザベルも私もとてもハッピー!」
 そのデュオ・リサイタルでは、ショスタコーヴィチをプログラムのメインに持ってきた。それについてグリモーはこんな意外なことをいった。
「ショスタコーヴィチは特に好きというわけではないの。ただ、今回のプログラムのなかの『ヴィオラとピアノのためのソナタ 作品147』は、ショスタコーヴィチが死の直前に書いたもので、内に秘めた強い力を感じる精神性の高い作品でしょ。この曲を弾いているうちに徐々にその魅力にとりつかれてしまって…」
 プログラムはファン・クーレンと話し合いながら、しかも楽しみながら決めていくそうだ。東京での演奏会は、若いふたりの真摯な姿勢と重厚な音色が印象的だった。ふたりの互角の音のぶつかりも聴きごたえ十分、さすがに息はピタリ。
 さて、今年は4年に一度のチャイコフスキー・コンクールの年。彼女は前回これにチャレンジした。そのときの気持ちはどうだったのだろう。
「とにかくモスクワに行きたかったの、それだけ。別に入賞しなければいけない、なんて全然思わなかった。実はね、このコンクールを受けたいと先生にいったら、準備期間も少ないし絶対無理だといわれたの。でも、自分の意志で行っちゃった(笑)」
 このときは決心してからコンクールが始まるまで、たった4カ月しかなかった。しかし、彼女は入賞こそしなかったが、ここで多くのものを得たという。
「第一、ロシアがこの目で見られた。ただし、どこに行くのにも制限があって、結局ホテルとコンクール会場の往復で終わってしまったけど、たくさんの友人ができたし、他の人の演奏も十分聴けたから勉強になったわ」
 コンクールで、彼女がいいと思った人はみんな予選落ちしてしまった。これによってコンクールへの考えかたというものがだいぶ変わった。そしてロッケンハウスの仲間にこのことを持ちかけた。
「私は審査員がまったく音楽をわかってくれないと思っていたから。そしたらクレーメルもアルゲリッチもいろいろ意見をいってくれたの。バレンボイムもコンクールのありかたを教えてくれたし。いまはもうコンクールは受けないつもりだけど、初めて受けたコンクールが大きいものだったから、ずいぶんためになったわ」
 なんでもパリのコンセルヴァトワールに在籍中には、どこかのメジャーなコンクールを受けるように義務づけられているとか。彼女は自分の意志で選び、そして多くのことを学んだ。そんなグリモーは幼いころからがむしゃらに勉強するタイプだった。
「パリのコンセルヴァトワールに入る前に、地元のエクサン・プロヴァンスのコンセルヴァトワールで勉強したんだけど、このころはまだ8、9歳だから何もわかっていなくて、ただ必死でピアノを弾いていただけ。ピアノを始めたころは、モーツァルトやベートーヴェンのやさしい曲を弾いていた。そのうちにブラームスの作った『ブラームス・エクササイズ』という和音とか音符の説明なんかが入っているやさしい曲集を先生が見つけてくれて、これはとても楽しかった。ただ指の練習とか、音階の練習ではなく、総合的に音楽が学べるという本だったわ」
 ツェルニーもあったが、性に合わなかったらしい。そして15歳のときの初レコーディングでラフマニノフに出合った。
「それまではシューマンが好きで好きで(笑)、シューマンばかり弾いていた時期があるの。シューマンには素朴な自然を感じる。たとえば彼の音楽は、ある木があってそこから枝分かれしたという感じではなく、まったく別のところから現れてくるような原始の力を感じるの。人間の本質のような。その感じがとても自分に近いわけ。だからシューマンにはすごく親しみを持っている。同じものを持っている人だから」
 シューマンのなかにある心の葛藤、それらの人間的な面に共感を覚えるという。その対極にあるのはシュトックハウゼンだそうだ。グリモー自身の理解の外にあるという意味で。
 彼女は、フランス人にしては珍しく英語が堪能。フランスなまりなどまったくない。それもそのはず、グリモーの父親は言語学者である。ロシア語にもぜひトライしたいそうだから、近い将来彼女が原語でロシア文学を読む酢姿にお目にかかれるかもしれない。

 今日の写真は、2011年1月に来日した際のインタビュー時のもの(記事は「CDジャーナル」3月号に掲載中)。彼女は昔からほとんどノーメイク。でも、美女のなかの美女。演奏もすばらしいけど、素顔もナイス!

| インタビュー・アーカイヴ | 22:31 | - | -
アイゼナハ
 J.S.バッハの生誕地、旧東ドイツのアイゼナハを最初に訪れたのは、1986年の秋だった。前年に生誕300年祭を迎え、この年は世界各国でバッハを記念して音楽祭やコンサート、さまざまなイヴェントが盛大に行われた。ただし、翌年はまたもとの静けさに戻り、生誕地はひっそりとしていた。
 バッハハウスも現在のように整備された大規模な記念館のようなスタイルではなく、ガランとした感じ。案内の人がひとり、手持無沙汰の様子ですわっていた。
 もっとも印象的だったのは、バッハの生家があったとされるルター通り35番地。ここは磨滅した石畳に沿って、いまにも崩れ落ちそうな建物が並んでいる地域。生家は現存せず違った建物が建っていたが、バッハ時代の面影を色濃く残していた。
 あたりは人っ子ひとりいない。不気味なほどの静けさが支配し、自分の靴音だけが響く。家々は窓もドアもきっちりと閉められ、外部の人間を拒否しているようにさえ思える。当時は、道を聞いても、地図を広げて場所を聞いても、目を伏せてわからないという表情をする人ばかりだった。
 食事をする場所やお茶を飲むところもなく、唯一、駅の近くに小さな食堂がポツンとあるだけだった。
 ところが2009年1月、22年半ぶりに訪れたアイゼナハは、大きな変貌を遂げていた。バッハハウスの充実は目を見張るものがあり、テクノロジーを駆使し、バッハのあらゆる資料が見られるようになっていた。
 周囲の家々は淡いクリーム色やピンク、オフホワイトに塗られた壁を持つ居心地のよさそうなものに変わり、人々はショッピングやレストランでの食事を楽しんでいる。みな親切で、明るい笑顔で旅人を迎えてくれた。
 なんという変わりようだろう。私はとまどい、呆然とし、どこかにあの時代の面影を見出そうとしたが、無駄だった。すべてが新しい国のように、新しい都市のように異なった表情を見せ、暗さや怖さは微塵も感じることがなかった。
 アイゼナハは、まったく新しい顔で大きく両手を広げて笑みを見せながら迎えてくれたのである。写真はモダンになったバッハハウス周辺。
 アイゼナハは、確かに驚異的な変貌を遂げた。だが、バッハの音楽は変わらぬ姿でそこに存在しているように感じられた。永遠不滅の音楽。その事実に直面し、ただ、自分のなかに流れた年月だけを深く感じ入ることになった。
 ここは自己の内面と対話を促す町。そしてバッハの偉大さを再認識させてくれる町。ここからより大きな町へと飛翔していったバッハに思いを馳せているうちに、なぜか無性に「イギリス組曲」の第3番が聴きたくなった。

| 麗しき旅の記憶 | 23:10 | - | -
加古隆
 先日、長年音楽大学ピアノ科の講師を務め、現在も多くの弟子を世に送り出しているKさんと、乃木坂でランチをご一緒した。
 昨秋のショパン・コンクールでも一緒になり、ともにインゴルフ・ヴンダーを応援したことから、音楽的な志向がとても合う。彼女は子どものころに父親が聴かせてくれたレコードでクラシック音楽の深遠な世界に目覚めたそうだが、私もまったく同様なため、その話で盛り上がった。
 おいしいフレンチをいただきながら音楽談義に花を咲かせていたら、あっというまに3時間が経過していた。
 そのときに思い出したのが、加古隆の父親の話である。自然と海が大好きだった父親は、幼い加古隆を瀬戸内海の船旅へと連れて行ってくれたのだが、そこで見た夕日が忘れられない思い出として残っているという。
 いまでも疲れたときや辛いときにはこのときの海に沈むものすごく大きな黄金色の夕日を思い出すと、自然にエネルギーが湧いてくるそうだ。
「これが私の原体験なんです。光の輝きが音の響きとつながっているように感じられるのです」
 加古隆はこういって、「子ども時代の深い感動が、その人の生涯の糧となることがあります」と続けた。このインタビューは「ムジカノーヴァ」の2010年11月号に掲載されている。
 このように、音楽家に話を聞くと、ほとんどの人が子どものころに両親をはじめとする家族や親戚の人から音楽を聴くチャンスを与えられ、それが将来の道につながったと語る。
 Kさんとの話のなかでも、親の役割の大切さや、また先生の大切さも話題となった。彼女は機会あるごとに海外に出かけ、著名なピアニストの講習会に参加したり、弟子とともに聴講したり、ものすごくエネルギッシュで前向き。私も将来、こういう人間になりたいと強く感じた。
 いろんな人に会うと、その人から生きる力を与えられることが多い。加古隆の話もKさんの話も、ともに音楽をベースにポジティブに人生を歩むもので、改めて音楽の力の強さを思い知らされた。
 今日の写真はおだやかな語り口の加古隆が、夕日のすばらしさを表現するときに一気にテンションを上げたときの様子。あまりにも詳細にその夕日の見事さを話してくれるため、私の目の前に大きな光が現れたような錯覚を覚えた。作曲家は音だけではなく、言葉でも感動をリアルに伝えられるものなのだと実感…。


 
| 日々つづれ織り | 17:12 | - | -
ヴィルデ・フラング
 昨夜はノルウェー王国大使館で、ノルウェー出身の若手ヴァイオリニスト、ヴィルデ・フラングの初来日プレミア・イベントが行われた。
 これに先立ち、彼女にインタビュー(次号の「intoxicate」に掲載予定)。新譜のシベリウスのヴァイオリン協奏曲(EMI)に関することや恩師のコリア・ブラッハー、アナ・チュマチェンコ、サポートしてくれるアンネ=ゾフィー・ムターや内田光子についてなど、さまざまな質問に実にていねいにじっくりと答えてくれ、その誠意ある態度にすっかり魅せられてしまった。
 イベントではインタビュアーも務めたが、ここでもフラングは会場である美しいホールに集まった人々を魅了するトークを行った。バルトークの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ(全曲)」の演奏も行い、のびやかで自然で、作品の内奥にひたすら迫る姿勢を見せ、実力を存分に発揮した。
 ノルウェー大使館の地下にあるホールは、とても思い出深いところ。2007年にグリーグの本を出したとき、大使館のみなさんが盛大な出版記念パーティを開いてくれた場所で、木造りの温かな雰囲気のホールである。
 このホールに響くフラングの弦の音は、ノルウェーの雄大な自然を思い起こすものだった。もちろんJ.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」以来の傑作といわれるバルトークの作品であり、困難な技巧がちりばめられている。自由で多彩な変奏的手法も奏者にとっては表現が大変だが、フラングはそれを喜怒哀楽を表出する雄弁な語りのように響かせ、聴き手の心の奥深く浸透させた。
 彼女の演奏はスケールが大きく、ひとつひとつのフレーズがとても説得力がある。構成力も堅固だが、そのなかに自由な精神がみなぎるため、堅苦しくならない。とりわけ印象的だったのは、シャコンヌのテンポ。あたかも踊り出しそうな雰囲気で、これがノルウェーの民族舞踊を思い起こさせ、感慨深かった。
「バッハの無伴奏作品は大きな聖堂を造り上げていく感じ。でも、バルトークのこの作品は、自分の聖堂を造っていくように思えるの」
 フラングは会場からの曲に関する質問に対して、こう答えた。
 長身で色白で、キュートな目をしたヴィルデ・フラング。作為的なものがまったくない、自然な演奏とキャラクターは、ノルウェー人ならではの美質。きっとじわじわと人気が上がるに違いない。



 
 
 
| クラシックを愛す | 12:11 | - | -
諸戸詩乃
 昨夜は、諸戸詩乃のデビュー・リサイタルを聴きに行った。
 1993年生まれの彼女は10歳からウィーンで勉強し、2009年に「モーツァルト:ピアノ・ソナタ集」(カメラータ)でCDデビューを果たしている。
 実は、第2弾となる「シューベルト:即興曲集作品90&楽興の時作品94」のライナーノーツを書き、素直でピュアな演奏に心惹かれていたため、ぜひナマの演奏が聴きたいと思い、リサイタルに足を運んだ。
彼女に寄せる期待は、2月24日の「日経新聞」夕刊の「世界に羽ばたく10代の実力派たち」と題した記事で、ピアノの小林愛実、ヴァイオリンの三浦文彰とともに綴った。
 リサイタルのプログラムはモーツァルトのピアノ・ソナタ第12番から始まり、シューベルトのピアノ・ソナタ第13番と「即興曲作品90」をはさみ、リストの「巡礼の年第3年」の第2曲「エステ荘の糸杉に寄せて−哀歌Ι」、第4曲「エステ荘の噴水」で幕を閉じるという趣向。
 背筋をピンと伸ばした美しい姿勢でピアノと対峙し、クリアな響きを特徴とする演奏は、清涼でひたむきでみずみずしい。これから幾重にも変貌していく大きな可能性を秘めたピアニズムである。
 とりわけCDにも収録したシューベルトの「即興曲」が弾き込まれた演奏で自信を感じさせ、シューベルトの歌心を素直にとらえた演奏だった。ピアノはベーゼンドルファーで、シューベルトのピアノ・ソナタの緩徐楽章の幻想的なアンダンテが、そのニュアンス豊かな音色をよく生かしていた。
 この日のアンコールはシューベルトの「楽興の時」第1番。彼女が師事した著名なピアニストで教育者でもあるハンス・ライグラフが2月12日にスウェーデンで亡くなったことに対し、追悼の意味を込めて、ライグラフが大好きだったというこの作品が演奏された。
 若いアーティストの演奏は、何年か聴き続けていくことに意義がある。諸戸詩乃の演奏も、数年後には大きく変化するに違いない。それを楽しみにしたい。
 今日の写真は、終演後の楽屋で撮ったもの。美しい白いドレスに身を包んだ彼女は、リサイタルを終えて晴れやかな表情を見せていた。
 ライグラフ先生について聞くと、一瞬表情を曇らせながら、こんな答えを戻してくれた。
「とても誠実で、本当にすばらしいかたでした」


 
| クラシックを愛す | 11:28 | - | -
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