Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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リスト ピアノ・ソナタ ロ短調 
 2010年のショパン、シューマンの生誕200年に次いで、今年はリスト生誕200年のメモリアル・イヤーだ。世界中のピアニストがリストの作品を取り上げ、コンサートや録音でもリストが多く登場している。
 なかでも、人気の高いのがピアノ・ソナタ ロ短調。これは小川典子がキャリアの節目には必ず弾き、ついさきごろエレーヌ・グリモーがすばらしい録音を登場させた。ハンガリーの血を引く新進気鋭の金子三勇士もデビューCDで取り上げ、及川浩治も今秋のリスト・リサイタルで演奏する。
さらに今月、グルジア出身のライジングスター、カティア・ブニアティシヴィリが「リスト・アルバム」(ソニー)のなかで、このソナタの内面に迫るすさまじいまでの迫力と集中力、暗い情熱に富んだ演奏を聴かせている。
 ピアニストをとりこにするこのソナタ、リストのさまざまな要素が組み込まれ、表情豊かで、濃密で、聴き手を別世界に運んでいくような単一楽章の作品だ。今回はこのロ短調ソナタをざっと解説してみたい。

 
 フランツ・リスト(1811〜1886)のピアノ作品のひとつの頂点をなすこのソナタは、1851年にシューベルトの「さすらい人幻想曲」をピアノと管弦楽用に編曲した後、この作品に刺激を受けて編み出された。
 1852年から翌年にかけて作曲され、1857年にベルリンで初演されたが、当時のブラームス派とワーグナー派の対立に巻き込まれ、物議を醸し出す結果となった。初演者のハンス・フォン・ビューローと作品を酷評したウィーンの批評家ハンスリックの間で論争が起きたのである。
 しかし、ロシアのピアニスト、アントン・ルビンシュテインはひとつの主題が全体を統一していることを指摘し、ワーグナーは美しく壮大で気高い作品と評している。
 曲は緩徐楽章的な要素を挟み込んだ変則的なソナタ形式による長大な単一楽章で書かれ、第1部の呈示部では荘重で活発な第1主題が登場し、重々しい第2主題へと受け継がれる。
 第2部の展開部では、それらが熱情的な性格を帯び、トリルに導かれたカデンツァが反復され、激しさを増していく。やがて叙情的なレチタティーヴォが奏され、夢見るような新たな主題が登場する。
 第3部の再現部は、通常の再現部とは趣を異とし、第1主題がすべて半音で現れ、フガート風に展開されるなどユニークな特色を持つ。最後は狂乱を忘れたように静かに幕を閉じる。

 リストは超絶技巧ばかりクローズアップされるが、実は非常に表情豊かでヒューマンな感情が作品に投影されている。多くの女性を愛し、波乱万丈の人生を送り、各地を旅してその印象を曲に投影させ、弟子を育て、同時代の音楽家、芸術家をカリスマ性で惹きつけた。
 今年はぜひそんなリストの作品が内包する多面性を堪能し、音楽から豊かな歌心を聴きとりたい。各地の音楽家がリストを積極的に取り上げているから、チャンス到来だ。
 
| 日々つづれ織り | 23:21 | - | -
オリ・ムストネン
 インタビュー・アーカイヴの第10回は、ヘルシンキ生まれのオリ・ムストネン(1967〜)。常に「何かおもしろいことをやってくれるのではないだろうか」と期待を抱かせるピアニストで、初来日は1990年。
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタを弾いている最中にフーッといすから腰を浮かし気味にしたり、額から流れる汗を右手を跳ね上げるようにして何度もふいたりと、音楽とともにそのステージマナーも興味深く、超没頭スタイルの演奏に聴き手も一瞬たりとも気が抜けない、濃密な時間を提供してくれた。
 インタビューでも終始両手を大きく動かし、表情が次々と変わり、まるで役者を見るような思いがした。

[FM fan 1999年1月25日〜2月7日号 No.4]

「自分がいま何ができるか、何が必要か、
どう音楽とかかわったらいいのか。
これを日々考えています」


ベートーヴェン、バッハ、そしてショスタコーヴィチ

 ベートーヴェンをアイドルだと自認し、めったに演奏されることのない作品までをも研究して録音したり、ステージで紹介しているムストネンは、常にピアニストとして作曲家として新しい方向を模索している人である。
「ベートーヴェンがアイドルだという気持ちはいまも変わりません。ベートーヴェンは昔から私の光であり、導き手であり、神のような存在でもあるからです。ただし、彼は非常に人間的な面を作品に投影させた人だと思います。
 ベートーヴェンを弾いていると、ベートーヴェンその人が浮かびあがってくる。作品と人間性は別という作曲家が多いなか、ベートーヴェンはとても人間くさい、喜怒哀楽のすべてを曲の映し出した人だと思います。だからあまり知られていない作品もぜひ演奏したいと思い、1カ月前には作品107の『10の民謡主題と変奏曲』と作品22のピアノ・ソナタという珍しい曲を録音したんですよ」
 その彼がいま世界中で演奏しているのがJ.S.バッハの『平均律クラヴィーア曲集』とショスタコーヴィチの『24のプレリュードとフーガ』を組み合わせたプログラム。これは2つの組み合わせがあり、現在演奏しているのはすでに録音された最初のプログラムで、バッハに始まりバッハで終わるというもの。
「バッハと同様、ショスタコーヴィチも研究すればするほど魅せられていきます。いま演奏しているバッハとショスタコーヴィチの組み合わせも、長年取り組んできたものです。ひとつ目の組み合わせはバッハのハ長調のプレリュードからスタート、これはグノーの『アヴェ・マリア』でなじみのある天上の美しさを持つ音楽。ここから始まり、バッハを1曲、ショスタコーヴィチを3曲、バッハを2曲というユニットを4回続けていきます。これは調性や構成を数学的に分析して見出した方法で、すべての曲を1度ずつ演奏することができる唯一の方法です。
 もうひとつの組み合わせはショスタコーヴィチを1曲、バッハを3曲、ショスタコーヴィチを2曲というユニットで組まれています。この方法を発見したときは本当に大喝采して喜びましたよ。世紀の発見です(笑)。
 パリでの演奏会にショスタコーヴィチ未亡人が見え、とても温かなことばをかけてくれました。残念ながらバッハ未亡人は姿を見せませんでしたけどね(笑)。バッハ未亡人とはぜひ話をしてみたいんですが…」
 
天才が生み出す芸術の類似性

 ムストネンの父親は統計学者で、ムストネンも幼いころから数学好き。一時は音楽家ではなく数学者になろうと思ったこともあるとか。それだけに分析は得意中の得意。さらに作曲家でもあることから、バッハとショスタコーヴィチの作曲技法のこまかい点まで研究し、ついに納得いく組み合わせを見出した。
「真の天才というのは、ある高みに至ると類似性が見られるものです。バッハとショスタコーヴィチはまるで異なる作曲家のように思われていますが、実際はさまざまな点で類似性が見られます。
 ショスタコーヴィチがバッハの『平均律クラヴィーア曲集』に触発されて『24のプレリュードとフーガ』を書いたように、これらの作品は組み合わせて弾いていくと、私自身いまどちらの作曲家の曲を弾いているのかわからなくなる瞬間があります。
 以前、歌舞伎の玉三郎の舞台を見たときに、一瞬カザルスのチェロを聴いているような感情にとらわれたことがありましたが、やはり類い稀なる天才が生み出す芸術というものは、ある類似性をも生み出すものなんですね。同じような至福のときを与えてくれます」
 ムストネンは今回の来日公演で初めて自作のコンチェルトを披露したが、作曲面にもかなり力を入れ、親友であるチェロのスティーヴン・イッサーリス、ヴァイオリンのジョシュア・ベルをはじめとする音楽仲間とともにそれらを演奏している。
「自分の作品について話すのは得意ではないんです。友人のエサ=ペッカ・サロネンもそういっていますが、自作はまず音を聴いてもらったほうがいいですね。判断はみなさんにお任せします。
 サロネンともよく話すんですが、現在は演奏家と作曲家というものが分離し、演奏家は創造の場が理解できない、作曲家は演奏される現場の状況がわからない。そんな不幸な時代になっています。
 私は幸い両方体験できますから、この喜びや刺激、苦労、問題点などを人々と分かち合いたい。音楽家はもっとグローバルな目を持たないと現代社会に置いていかれてしまいますから。かといって何でもかんでも手を出すわけにはいきません。自分がいま何ができるか、何が必要か、どう音楽とかかわったらいいのか、これを日々考えています。
 最近、作曲家のロディオン・シチェドリンと奥さまのマーヤ・プリセツカヤにお会いしたのですが、二人からずいぶんいろんなことを学びました。彼らはショスタコーヴィチと交流があったわけですからひとつひとつの話がとても心に深い印象をもたらす。ショスタコーヴィチが身近に感じられ、より好きになりました」

 今日の写真はそのときの雑誌の一部。ムストネンは最近来日がないが、ぜひ、演奏ごとにあたかもその作品の初演をしているような、新鮮で刺激的な演奏を聴きたいと願っている。

| インタビュー・アーカイヴ | 22:09 | - | -
ニコライ・デミジェンコ
 すみだトリフォニーホールで「ロシア・ピアニズムの継承者たち」というシリーズが行われている。その第3回はニコライ・デミジェンコの登場だ。
 デミジェンコは、ロシア・ピアニズムの特徴である楽器を豊かに大きな音量で鳴らすという奏法からかけ離れた希有なピアニスト。その音色は芳しいほどに美しくやわらかく、弱音の見事さに心が魅了される。
 彼はロシアで勉強している時代、先生たちが大音量で楽器を鳴らすという教授法を押しつけようとするのに反発する特異な存在だったという。
 CDやDVDで演奏に触れると、ロシア・ピアニズムとは、こうした特徴もあるのかと目からウロコ…。
 デミジェンコの奏法は完璧なる脱力ができ、からだのどこにも余分な力が入っていない。手首はしなやか、絶妙のペダルを駆使し、かろやかに歌うように奏でられていく。決して鍵盤をたたかず、すべるように鍵盤の上を指が移動していくのである。しかも、打鍵は深く、音は説得力がある。
 今回の来日では、6月4日(土)にリサイタルを行い、シューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化」「謝肉祭」を前半に、後半はリストの「ピアノ・ソナタ ロ短調」「伝説」を演奏。さらに5日(日)にはヴァシリス・クリストプロス指揮新日本フィルとの共演で、ショパンのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏する。
 ニコライ・デミジェンコは1955年生まれのウクライナ系ロシア人。モスクワ音楽院でドミトリー・バシキーロフに師事している。1976年のモントリオール国際ピアノ・コンクール、1978年のチャイコフスキー国際コンクールにおいて入賞を果たし、1991年にイギリスにわたり、以後この地をメインとして演奏活動を行い、ユーディ・メニューイン音楽学校で教鞭も執る。
 私は、ロシア・ピアニズムというと以前タチアナ・ニコライエワから聞いた話を思い出す。彼女は、この奏法はモスクワ音楽院の伝統的な教育方法が支えていると考えていた。
「モスクワ音楽院には、大きく分けて4つの流派があります。それら偉大なピアニストたちから各々の教育を受け継いだピアニストたちが、今度は次世代のピアニストたちにそれを手渡していくんです。こうして歴史は作られ、伝統が守られていく。すばらしいことでしょう」
 その4つの流派とは、ゲンリヒ・ネイガウス、アレクサンドル・ゴリデンヴェーイゼル、コンスタンティーン・イグムーノフ、サムイル・フェインベルクである。それぞれ個性も解釈も奏法もまったく異なるが、ピアニストとして、教育者として、歴史に名を残す業績を上げた人ばかりだ。
 デミジェンコの恩師のバシキーロフはゴリデンヴェーイゼルの弟子だったから、デミジェンコはゴリデンヴェーイゼルの孫弟子にあたる。こうしてモスクワ音楽院の歴史、ロシア・ピアニズムの伝統は受け継がれていくわけだ。
 悠久のピアニズムを俯瞰することができる今回のシリーズ、デミジェンコの美しい弱音から、ぜひロシア奏法を探求し、たっぷりとそのすばらしさを堪能したい。
 来日時にはデミジェンコにインタビューをする予定が入っているから、いまから楽しみだ。幅広くいろんなことを聞きたいと思っている。
 テニス・ファンの私は、最初に彼の名を耳にしたときに「えっ、ニコライ・ダビデンコ?」と思ってしまった(笑)。似た名前の人っているものですね。いまはもちろんまちがえませんよ。
 
 
| 情報・特急便 | 22:41 | - | -
青柳晋
 ピアニストの青柳晋とは、もうずいぶん長いおつきあいになる。彼は端正な顔立ちゆえ、性格もおだやかで上品で落ち着きに満ちているのかなと思いきや、実は大変な冒険好き。
 幼いころから欧米各地で過ごし、転校を繰り返してきたためか、どんなところでもどんな人とでもスッとなじめる特質を備えている。
「北欧のマスタークラスに参加したときもまわりはみな欧米人ばかりで、たったひとりの日本人でした。でも、それか実に気持ちよくて、自由を満喫しました」
 このときは勉強の合間に湖にボートで漕ぎ出し、人っ子ひとりいない鏡のような水面をひたすらオールを動かしているうちに奥深いところまで行ってしまったという。もしもそこで何かあったら、だれにも助けてもらえないのに…。
「まあ、無事に戻ってきたからよかったですけどね。一時は何も音のしない、だれもいないシーンとした水の上で、どうやって帰ろうかと途方にくれましたよ(笑)」
 留学時代にも壁にぶつかり、突然思い立って空港に行き、トルコまで飛んで行ったこともある。
「ピアノ音楽と関係ないところに行きたかったんです。後先考えずに乗ってしまいましたね」
 そんな青柳晋はジョン・フィールドの「ノクターン集」(KTR records)の録音が縁でアイルランドまで行って演奏する機会を得、その後ショパンの「ノクターン選集」の録音が高い評価を得た。
 そしてリスト・イヤーの今年、6月14日には王子ホールでフィールド、ショパン、リストのノクターンを含むリサイタルを行う。リストに関しては、「リストのいる部屋」と題したコンサートを続けているが、より気楽にクラシックを楽しめるプログラムをと考え、3人の作曲家の名曲を集めている。
「リストのノクターンは演奏される機会があまりない曲ですが、とても楽しい曲想を持っているので、楽しんで聴いていただけると思います」
 このリストに関するインタビューは、「ムジカノーヴァ」の現在発売されている6月号に掲載されている。
 青柳晋は東京芸術大学で教鞭を執っているが、そこには自転車通勤をしているそうだ。ジムにも通ってからだを鍛えることもしている。すべてはピアノを自然体で弾くことができるようにとの考えからだ。
 そして何より興味深いのは、「映画やテレビに俳優として参加したい」という夢を抱いていること。もちろん主役や重要な役ではなく、本人いわく「チョイ役」で満足とのこと。
 どなたか、彼に芝居の出演依頼をしてくれませんか。どんな役でもいいそうですよ。汚れ役でも、アブナイ役でも、通りすがりの役でも。
 今後はアフリカの草原の小高い山から鉄線のロープで滑り降りる冒険などにもチャレンジしたいとか。
 こんなユニークなピアニストが演奏する「ノクターン」、おもしろくないわけがない。ぜひ耳を傾けてほしい。

 今日の写真はインタビュー後のリラックスした表情。ねっ、これだけでなんだか俳優っぽい雰囲気がただよっているでしょ。

| 親しき友との語らい | 22:05 | - | -
フリードリヒ・グルダ
 インタビュー・アーカイヴの第9回は個性派ピアニストのフリードリヒ・グルダ(1930〜2000)。1993年11月の来日が最後となってしまったのが、非常に残念だ。
 グルダは地中海に浮かぶイビサ島が好きで、リラックスするためによく訪れるといっていた。そしてそこで手作りの帽子をいくつか買ってくるという。この帽子をほめると、彼はいった。
「代わりの帽子をくれたら、ひとつあげてもいいよ。ただし、私の気に入る帽子に限るがね」
 それ以後、私は日本古来の帽子を探していた。次回の来日時に渡せるように。だが、それはかなわぬ夢となってしまった。

[FMレコパル 1994年2月号]


いい女との戦いはまだまだ続く!?
いたずらっ子健在


 1969年以来24年ぶりに来日したグルダ。こんなに長く日本にこなかったのは、2度目の奥さんが日本人で、彼女との別れが心に深い傷を残したから。それもようやく癒え、息子のリコも大人になったため、気持ちの整理がついたとか。
 今回はクラシックからジャズまで幅広く演奏。まるで新譜の『グルダ・ノン・ストップ』(ソニー)をナマで味わっているような、そんなリラックスしたコンサートだった。
 どの日も自らが本当に楽しんでいる気持ちのいいものだったが、いま一番ノッているパラダイス・バンドとの一夜は、まさにグルダの遊び心満開。1曲ごとにトークを入れ、聴衆とのコミュニケーションを図り、気持ちの赴くままステージを歩きまわる。そして独自の踊りも披露。まるでいたずらっ子がそのまま大きくなった感じ。
 コンサートに先立つインタビューでも、いたずらっ子は健在。気難しい面ばかり伝えられてきたが、実際はとても真摯で純粋で、終始絶やさないにこやかな笑顔も温かく、おどけた表情も魅力的だった。
「私がインタビュー嫌いだって? そんなことはないよ。まあ、若いころはずいぶんいろんな人と衝突もしたし、変なこと書かれたりして頭にきたこともあるけど、いまはもう戦いはすべて終わったんだ」
 グルダはおだやかな表情で「戦いは終わった」といった。いったい何に対する戦いなのだろうか。
 いまだあらゆるものと戦っている戦闘的な気がするし、この人からこんなことばを聞くとは思ってもみなかった。
「音楽に対する戦い、自己に対する戦い、世間の奴らに対する戦い、人生に対する戦い、そして女との戦いさ。
 でも、戦いが全面終わったわけでもないか。何度も辛い別れを経験しているのに、いい女が現れると、ついフラフラッとしてしまうから(笑)。
 まったく懲りないよ。音楽だって同じさ。追及していけばキリがない」
 グルダはその場の雰囲気でどんどん曲を変え、気分に応じてステージを展開させていく、クラシックのアーティストには稀な存在。
『グルダ・ノン・ストップ』でも聴衆の反応を見て雰囲気を盛り上げていくが、それがあまりにもテンションが高く自由で心が解放されているため、昔からあらゆるところで物議を醸し出してきた。クラシックとジャズの両方を演奏することに対する批判も含めて。
 もっとも彼の音楽の中核をなすのは、依然としてバッハとモーツァルトだ。
「バッハとモーツァルトはパラダイスからきた人。ベートーヴェンはパラダイスに到達しようと戦った人。だからまったく違うのさ。私はパラダイスということばが好きなんだよ」
 グルダはいまパラダイス・アイランドというプロジェクトに夢中。これはストーリーを持った音楽劇で、彼はこれを日本で上演し、演出を猿之助に要請したいと考えている。
「好きなことをやるのは金がかかるもの。エンノスケは偉大な才能の持ち主だから、当然莫大な金が必要。日本で上演するのはあくまでも夢だよ」
 戦いは終わったというグルダだが、まだ夢は盛りだくさん。いつまでもノン・ストップの精神で突っ走ってほしい。世間のことばになど耳を貸さずに。

 通常、インタビューは関係者が何人か立ち会うのが恒例となっている。ところが、グルダはそういう人たちをみんな外に追いやってしまった。
「最低限の人数でやろうや。女性だけがいいな。男は全員部屋から出ていってくれよ」
 そんなわけで、このインタビューは非常に深い印象となっていまも脳裏に刻まれている。憎めない人だったし、子どものようで、相手を見るやさしい目の表情も忘れがたい。私のインタビューのなかでも、とりわけ貴重なひとときだった。
 今日の写真はそのときの雑誌の一部。このときはベレー帽をかぶっているが、いくつか代わりの帽子も持っていた。


 
| インタビュー・アーカイヴ | 15:16 | - | -
三浦文彰
 アーティストのデビューCDのライナーノーツを書くのは、とても名誉なことであり、楽しみでもある。その人の門出に立ち会えるからだ。
 2009年、難関といわれるハノーファー国際コンクールで史上最年少の16歳で優勝の栄冠を手にした三浦文彰のデビュー・アルバム「プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ第1番&第2番」(ソニー・ミュージックダイレクト/ミューズエンターテインメント)も、ライナーを書いたが、それがつい先ごろリリースされた。
 これは彼が「自分の心にもっとも近い作曲家」だと感じているプロコフィエフのソナタをイタマール・ゴランとの共演で収録したもの。ゴランは世界の名だたるヴァイオリニストと共演を重ねている名手で、ひとりひとりの共演者の特徴を即座につかみ、アグレッシヴな演奏でソリストを盛り上げていく。
 ゴランのピアノを初めて聴いたのは、もうずいぶん前のこと。マキシム・ヴェンゲーロフとのデュオだったが、それはまさに嵐のようなはげしさで、若いふたりの音楽が疾風怒濤のように吹きぬけていったのを覚えている。
 三浦文彰とゴランも録音前にプロコフィエフでリサイタルを行い、それを聴きにいったが、このふたりも炎のような熱く劇的で情熱的なデュオを繰り広げた。さぞ、録音は熱くなるだろうと胸が高鳴ったものだ。
 ここに聴くプロコフィエフは、第1番は作曲当時の時代背景が音から浮かび上がるよう。一方、第2番は物語が音で綴られていく。
 三浦文彰はインタビューで作品との出合い、各楽章の解釈、ゴランとのコラボレーションなどに関して雄弁に語った。これは「CDジャーナル」のいま発売されている6月号に掲載されている。
 三浦文彰は現在ウィーンでパヴェル・ヴェルニコフに師事しているが、ジュリアン・ラクリンをはじめとする音楽家と交流し、仲間と遊びのサッカーを楽しんでいるという。
「ポジションなんか別に決めずに、自由に走り回っているんです。一緒に遊んだり、食べたり飲んだり、話し込んだり。ウィーンという町にいることがとても有意義で、人生が豊かになる感じがします」
 こう語る彼は、明るく素直で、人に好かれる性格。先輩の音楽家たちがこぞって力を貸そうとしてくれる。コンサートも次々にこなし、めきめき実力をつけている。たのもしい限りだ。
 来年6月には、クレーメル、テツラフ、シフ、バシュメット、イッサーリスらが若手音楽家を育てるために開催している音楽祭にも招かれているという。正統派のみずみずしい弦の調べに、世界が喝采を送る日が近づいている。日本で次に聴くことができるのは、7月5日(名古屋・しらかわホール)、7月6日(大阪・ザ・シンフォニーホール)、7月8日(東京オペラシティコンサートホール)。もちろん共演者はイタマール・ゴランだ。

 今日の写真はインタビュー後のワンショット。手にあごを乗せるのが一番好きなポーズとか。これ、ものすごくいい表情しているでしょう。ファンはたまらないかも…。
 
| アーティスト・クローズアップ | 23:57 | - | -
ピョートル・アンデルシェフスキ
 また、いつものように締切り地獄の時期が巡ってきた。
 だが、こういうときに限って、聴き逃せないコンサートが目の前に…。ああ、時間がない。でも、聴きに行きたい。
 というわけで、悩んだ末、21日にサントリーホールで行われたピョートル・アンデルシェフスキのリサイタルに出かけた。
 彼は必ずといっていいほど、J.S.バッハをプログラムに入れる。今回もバッハの「フランス組曲第5番」と「イギリス組曲第6番」が披露された。
 そしてこれも必ずといっていいほど、当初のプログラムから変更になる。今回も冒頭の「イギリス組曲第5番」が「フランス組曲第5番」に変わった。
 次いで、シューマンの演奏される機会に恵まれない「ペダルピアノのための練習曲(6つのカノン風小品)が登場。これはアンデルシェフスキが編曲した版が用いられた。
 そして後半のショパンのマズルカ作品17も作品59に変更。
 最後の「イギリス組曲第6番」は、ヨーロッパで「息を吞むような演奏」「音の錬金魔術師」「聴衆は興奮のあまり総立ち」と評された作品。まさにバッハを愛し抜いている彼ならではの求心的な演奏だった。
 今回はいずれの作品もこまやかな響きを美しく聴かせる奏法で、完璧なるテクニックながら実に自然でのびやか。彼は演奏前ステージ上に設けられたカフェ風の椅子にすわってお茶を飲みながら聴衆が入ってくるのをながめていたが、時間になるとすっと立ち上がるとピアノを弾き出した。
 このユニークさ。この自然さ。そして演奏の集中力の高さ。これがアンデルシェフスキの個性だ。
 以前、インタビューをしたとき、彼はこんなことを語っていた。
「私は子どものころからピアノを弾くのに近道はないと思っていた。なんとか抜け道などを探した時期もあったけど、やはり楽をしてうまく弾けるようになることはないと悟ったんだ。結局、まじめに練習して、まじめにひとつずつ習得していかなくてはならない。ずっとそれを続けていくと、やがて辛いことの先に楽しさやおもしろさが見えてくる。先生というのは、一生いてくれるわけではなく、究極は自分自身で道を切り拓いていかなくてはならない。自分がさぼれば、自分に返ってくる。つまりは、まじめにやらなくちゃいけないということさ(笑)」
 アンデルシェフスキはポーランド人とハンガリー人の両親のもと、ワルシャワに生まれた。子どものころはお姉さんとテニスをしたり外で遊ぶほうが好きで、ピアノの練習は「やっているふり」をしていたという。
 それでも、8歳のころにはハイドンのソナタを好んで弾いていたそうだ。
「11歳のころに就いていた先生が、1本の指でレガートを出す方法を教えてくれた。これがとてもおもしろくて、それからいままでずっとこのレガート奏法を自分で工夫し、実践している」
 これはペダルなしで、緊張感をもって1本の指だけで鍵盤を次々に弾いてレガートを出す方法。こういう話をするときのアンデルシェフスキは、子どものように目を輝かせる。
 それから、シマノフスキの話題も話が止まらなくなる。同郷の作曲家には敬意を抱き、「ピアノ作品集」(EMI)の録音は絶賛された。
 今回のリサイタルに関しては、「日本が困難な状況にあるとき、自分は何ができるでしょうか。それは日本を訪れて音楽を奏でることで、日本への連帯の意を示すことだと思うのです」とプログラムに綴っている。
 これまで何度も演奏を聴いてきたが、まさに今回はアンデルシェフスキと聴衆の間で連帯が生まれたひとときとなった。
 集中力の高さと独創的な解釈が特徴だといわれるが、そこに懐の深さを付け加える一夜となった。
 そしてもっとも印象に残ったのが、バッハにおける装飾音の自在な入れかた。ピアノと遊ぶように、ピアノの響きを楽しむように嬉々として挟み込まれる装飾音は、この時期だからこそ、日本を元気にしたいという彼の思いが込められているようだった。
| ああ愉しき(?)、締切り地獄 | 23:01 | - | -
マルタ・アルゲリッチ
 第13回「別府アルゲリッチ音楽祭」が5月8日から19日まで大分県の各地を舞台に開かれたが、今回は特にアルゲリッチの強い希望で開催が実行に移された。
 アルゲリッチは東日本大震災に非常に胸を痛めており、さまざまな支援を行っている。5月3日には昨年シューマンとショパンの生誕200年を記念した彼女のピアノ協奏曲のコンサート(すみだトリフォニーホール、アルミンク指揮新日本フィル)のライヴCD(KAJIMOTO)が急きょリリースされ、チャリティCDとして発売された。
 これは震災で被災した後、早期復旧した(株)オプトロムの仙台の工場でプレスされたものである。
 今回の「別府アルゲリッチ音楽祭」の公演もライヴ収録され、2011年秋以降に発売される予定となっている。もちろんこれも復興支援CDである。 
 その音楽祭の最終日にあたる、19日の「チェンバーオーケストラ・コンサート」を聴きに別府に出かけた。
 この夜は、ユーリー・バシュメット指揮モスクワ・ソロイスツ合奏団選抜メンバー&桐朋学園オーケストラとの共演により、アルゲリッチのソロでショパンのピアノ協奏曲第1番(弦楽合奏版)が演奏された。
 アルゲリッチの演奏するこのコンチェルトは何度か聴いているが、今回も冒頭から疾走するような情熱的で躍動感あふれるアルゲリッチならではのすばらしいショパンが会場を満たし、聴衆の心を釘付けに。
 ただし、この夜の白眉は緩徐楽章のポエティックで繊細な美に貫かれた情感あふれるピアニズム。炎のように舞い上がる第1楽章と第3楽章の間で美しい花を咲かせ、その芳醇な香りに酔ってしまいそうだった。
 コンサート終了後、6月5日のアルゲリッチの誕生日に先駆けて聴衆が「ハッピー・バースデイ」の合唱を始め、次第に大合唱となり、アルゲリッチは何度もステージに呼び出され、感極まった表情でおじぎを繰り返した。
 その後、アルゲリッチを囲んで音楽祭関係者の懇親会が深夜まで行われ、そこにも参加させていただいた。
 アルゲリッチはここでスピーチを行った。
「とてもとても深く、そして愛に満ちた美しいひとときを過ごすことができました。心からの感謝にたえません。私自身、みなさまとともにこの別府をミーティングポイントとする大きな輪のなかのひとりでいられることをこの上なく幸せに感じています。
 広瀬知事をはじめ、多くのサポーター、そしてスタッフのみなさん、さらには杉乃井ホテルのかたがたまで、ここで名前をすべてあげることはできませんが、すべてのかたがたに本当にThank Youといわせてください。この町のみなさんが私に示してくださる深い愛にも本当にありがとうと。
 参加した音楽家のみなさんも今宵新たなる美をここに加えてくれました。ありがとう。
 スペシャルな夜です。本当にスペシャルなひとときを過ごすことができました。ありがとう、心からありがとうといわせてください」
 その後、サプライズとして用意されたバースディケーキが運ばれてきたが、そのケーキの見事なことといったら。真っ白なイチゴのショートケーキの上に、マジパンでピアノとアルゲリッチ、両親、娘さんたちが飾られているのだ。アルゲリッチはこれをひと目見て、喜ぶよりもあまりのすごさに目を見張って呆然。その瞬間を撮ったのだが、今日の写真はちょっとピンボケ気味。ああ、残念…。
 ケーキも写したから、それも見てほしい。
 アルゲリッチのショパンの演奏は、いまだ脳裏に深く焼き付いている。いまは「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(オリヴィエ・ベラミー著 音楽之友社)の本も読んでいる最中。アルゲリッチに包まれている日々だ。



| 情報・特急便 | 23:10 | - | -
ラン・ラン
 ラン・ランの勢いが止まらない。彼はいつも前向きでエネルギッシュ。陽気でオープンで社交的な性格は多くの先輩音楽家に愛され、共演する指揮者や歌手、器楽奏者がみな再共演を望む。
「ぼくが一番大切にしているのは本番の舞台。偉大な音楽家と共演するたびに、その人たちからことばでは表現できないほど多くのことを得ている。それを大切にし、もっともっと彼らから学ぼうと思い、質問攻めにしたり、いろんな話をしてほしいとせがんだり(笑)」
 デビュー当初は、髪は刈り上げ、中国服のよく似合うタイプだったが、いまはとってもおしゃれ。自信がみなぎり、より雄弁になった。
 彼は自分が中国にいた時代からヨーロッパの音楽家の録音をよく聴いていたため、それがのちに大いに役立ったという。そうした経験をもとに、2年前に自身の名を冠した財団を設立、若手演奏家を支援している。マスタークラスを開いたり、奨学金を支援したり、コンサートを開く手助けをするなどして、主としてアジアの音楽家に道を拓いている。
 そして今秋、香港の近くに学校を設立するという。
「『ラン・ラン・ミュージック・ワールド』と名付けました。スクールとはつけたくなかった。勉強するのではなく、ここから世界の舞台へと飛翔していくことを願っているし、音楽を楽しみながら演奏してほしいから」
 まだ20代なのに、学校まで建ててしまうとは…。
 このインタビューは「ムジカノーヴァ」の5月号に掲載されている。
 ラン・ランは練習魔。寸暇を惜しんで練習に没頭。だが、それを楽々とこなしているように思わせ、決して辛い表情は見せない。幼いころから練習熱心で、いつも先に先に進みたいと思っていたそうだ。
「ぼくはいつも練習を楽しみ、音楽と遊び、その楽しさを聴いてくれる人たちにも伝えたいと思っている。自分が苦しそうな顔をしていたら、聴衆は楽しめないでしょ。ぼくはいつもピアノに向かうとき、独自のスタイルを確立するよう努力しています。演奏しながら作品に合う情景を描き、それらを劇的に表現したいと考えます。自分だけの音楽を作りたいから。本当はね、少し聴いただけでだれが弾いているのかわかるピアニストになるのが夢なんですよ。いつになるかなあ」
 真顔でこう語っていると思ったら、突然ケラケラ笑いだす。この笑顔にみんな引き込まれてしまうんでしょうね。
 最近の「ラン・ラン ライブ・イン・ウィーン」(ソニー・クラシカル/エピックレコード)の録音では、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「熱情」とアルベニスの「イベリア」の作品の奥に潜む繊細さや内省的な表現、緻密さが印象に残った。以前は超絶技巧をものともせず、エネルギー全開でスピーディに飛ばしていったが、現在はそこに表現力の深さが加わった。
 やはり偉大な音楽家との共演が大きく影響しているのだろう。

 今日の写真はインタビュー直後の表情。「写真、見せて見せて」というので「これ、どお?」と見せたら、「おおっ」と叫び、「こんなにいい表情の写真、初めてだよー。いい顔してんなあ、ぼく」と自画自賛。
「絶対にボツにしないでよ。約束だよ」と念を押された。ハイハイ、約束通り、アップしましたよ。



| アーティスト・クローズアップ | 21:21 | - | -
フキのしのだ包み煮
 日本の春の味覚、フキをいただいたのでどんなお料理にしようか迷った末、「フキのしのだ包み煮」を作ることにした。

材料 (4人前)
フキ200〜300グラム、あぶらげ4枚、カンピョウ2メートルくらい、A(だし汁カップ2、しょうゆ大さじ3、砂糖大さじ2、酒大さじ1)、木の芽少々

作りかた
1 フキは鍋に入る大きさに切り、まな板に並べて塩少々を振り、手でころがして板ずりをする。塩が自然に溶けたら、たっぷりの熱湯でやわらかくなるまでゆで、冷水にとって皮をむき、さらに水につけてアク抜きを。
2 あぶらげは包丁の柄かすりこぎなどで軽く叩き、1枚を半分に切って破らないように袋にする。それをザルに並べ、熱湯をかけてあぶら抜きをし、冷めたら水分をしぼっておく。
3 フキをあぶらげの大きさに切り、数本ずつ詰め、塩でもんでよく洗ったカンピョウを8等分に切ったものでしばる。
4 鍋にAを入れて煮立て、しのだ包みを入れ、弱火でじっくりと水分がほとんどなくなるまで煮含める。
5 器に盛って一部は切って中身が見えるようにし、木の芽をトッピング。

 今日の写真は無事にできあがったしのだ包み。下ごしらえに結構時間がかかるけど、手間がかかった分、おいしくいただける。白いごはんにもばっちり、お酒のおつまみとして小鉢に盛ったら、ちょっと春風の香りがただよいそう。ぜひ、おためしあれ。

| 美味なるダイアリー | 23:06 | - | -
ジュリアン・ブリーム
 インタビュー・アーカイヴの第8回は、イギリスの名ギタリスト、ジュリアン・ブリーム(1933〜)の登場。アンドレス・セゴビアに師事し、欧米で広く活躍、1959年にジュリアン・ブリーム・コンソートを創設した。
 世界的な名声を確立した偉大なギタリストなのに、とても気さくでユーモアたっぷり。イギリス人らしく紅茶に目がなく、私も紅茶党なので、インタビュー後はその話で盛り上がってしまった。

[FMfan 1996年2月26日〜3月10日号 No.6]

音楽はことばで表現することが不可能なものを
表現可能にしてくれます


 ギターとリュートの世界で確固たる地位を築き、数々の録音を残しているブリームが、昨年38年ぶりに録音したJ.S.バッハの「シャコンヌ」をリリース。12月の来日公演でもバッハをはじめ、多彩なレパートリーを披露し、滋味豊かなギターの音色を堪能させてくれた。

バッハの音楽は偉大です

――いつもブリームさんはプログラムを広範囲の作曲家の作品で組まれていますね。
「私はバロックから現代作品まで、あらゆる時代のものを弾いていきたいんです。それも1回のステージでね。いつも新しい作品に挑戦していきたいし、その姿勢を崩したくない。繰り返し同じ作品を演奏するのは好まないんです。でも、最近はずっと以前に勉強した曲を再び取り上げ、そこにいまの自分を反映させることを試みるようになりました。
 今回プログラムに入れたポンセの『ギターのための5つの小品』は、実は40年以上前に勉強した作品なのです。音楽はことばで表現することが不可能なものを表現可能にしてくれますが、このポンセを再び弾くことにより、私のなかで長い間培ってきた“経験”が音楽という形になって現れてくるように思います」
――それで再びバッハの録音を?
「ええ、1957年の録音ではまだ自分のいいたいことの半分しか表現できませんでしたから。いまようやくバッハのこれらの作品の8割が理解できたかなという感じです。
 ここまでくるのに38年という歳月が必要だったわけです。それだけバッハの音楽は偉大なんです。『シャコンヌ』を完璧に演奏するには、私の人生のすべてと、もう半分くらいの人生を要します」

バッハとは年齢を重ねるごとに見方が変わってくる作曲家です

――今回は『無伴奏チェロ組曲』の編曲を聴かせていただきましたが、これらのアレンジでもっとも大変な部分はどこでしょう。
「音の出しかたの違いということでしょうね。チェロは弓を使いますから、音がどちらかというと水平な感じです。それにくらべ、ギターの音は垂直。これはバッハの舞踊的な要素を演奏するのには適していますが、流麗な音を出すことには適していません。
 ですから私は編曲する際、いかにしたら音がスムーズに流れるか、この点に留意しました。バッハというのは、年齢を重ねるごとに見方が変わってくる作曲家です。経験が深くなればなるほど、各曲の特徴と真の魅力が理解でき、その各々の違いに焦点を合わせて集中して演奏できるようになります。演奏というものが一種の哲学となって私の心のなかに存在し、演奏行為が自分の存在を示すものとなっていく。
 もちろんほかの作曲家にもそれはいえますが、こうした感覚をもっとも強く抱かせてくれるのが、ほかならぬバッハなのです」
――そこにいたるまでには、どんな勉強をしていったらいいのでしょうか。
「まず、お金にあまりこだわらないことでしょうね(笑)。もちろんある程度のお金は人生にとって必要ですよ。でも、自分が本当にしたいことができるある程度のお金があれば、それ以上は必要ないというのが私の持論です。
 金銭にこだわり出すと、コンサートをもっと多く入れなくちゃとか、録音しなくちゃとか、スケジュールに振り回されるようになるでしょ。そうすると“考える”という時間が失われてしまう。ギターを弾いていなくても、頭のなかで常に音楽に関したことを考えるということは非常に大切なことなんです。
 私は昔から大きな邸宅やヨットやクルマにはまったく興味がありませんでした。静かにものを考え、庭いじりでもちょっとする。そこからシンプルな人生が生まれます。シンプルな人生を送ることにより、集中力も増してくる。そして日々バッハと対峙するというわけです」

スペイン音楽はスペインの風土を知らなければ弾けません

――スペイン音楽の場合は、また違った意味合いの勉強を要するでしょうね。
「スペイン音楽は、これはもうひとこと。スペインの風土を知らなければ弾けません。楽譜をいくら見ていてもダメ。スペインに行ってそこの文化に触れることです。歴史、伝統、建築、人々の様子など、あらゆることに実際に触れる。あの国がさまざまな異文化の混合によって成り立っているということを肌で感じることです。
 そのなかで人々か何を一番大切に考えているか。それが理解できたら、音楽もより深いところで理解できるかもしれません。スペインの魂を理解することが大切。
 どこの国の音楽にもいえることですが、その国の魂に少しでも近づけたら、音楽も肉付き豊かなものになるのではないでしょうか」

 今日の写真はその記事の一部。写真撮影のときは、ギターをケースから大事そうに出し、実際に弾いてみせてくれた。その響きのなんと人間味豊かだったことか…。



| インタビュー・アーカイヴ | 15:40 | - | -
マーティン・ヘルムヘン&クリスティアン・テツラフ
 海外のアーティストの来日中止が相次ぐなか、この時期に日本に来てくれる音楽家には本当に深い感謝の念を捧げたいと思う。
 みんな異口同音に「もちろん怖い気持ちもあるけど、こういうときだからこそ、音楽で日本の人たちを勇気づけたいと思っている。自分に何ができるかを考えたとき、いまは日本に行くべきだと思った」と語っている。
 最近聴いたのは、1982年ベルリン生まれのピアニスト、マーティン・ヘルムヘンと1966年ハンブルク生まれのヴァイオリニスト、クリスティアン・テツラフのふたりのドイツ人のリサイタル。
 ヘルムヘンは2008年に来日して情感あふれるすばらしい演奏を披露、その清々しく心が洗われるようなピアニズムは、いまだ強い印象となって胸の奥に残っている。
 今回はベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア・ソナタ」をメインに据えたプログラムだったが、静謐で響きの余韻を残すような特有のピアノはいっそう磨きがかかり、あふれんばかりのみずみずしさが全編を覆っていた。
 ヨーロッパではライジングスターとして各地の音楽祭から引っ張りだこ。室内楽でも実力者たちと共演を重ねている。
 ああ、この叙情的なピアノ、ずっと聴いていたいと思ってしまう。そんな私のこよなく愛するピアニストである。
 もうひとり、クリスティアン・テツラフも、すばらしいプログラムを組んだ。今回はJ.S.バッハの無伴奏作品が登場したが、私が聴いた日は前半がヴァイオリン・ソナタ第2番とパルティータ第2番、後半がヴァイオリン・ソナタ第3番とパルティータ第3番。
 冒頭からすさまじいまでの集中力を発揮し、曲の内奥へとひたすら迫っていくはげしい演奏を聴かせたが、とりわけ「シャコンヌ」では音楽が天高く舞い上がっていくような高揚感を見せ、のびやかな音色がホール全体に響きわたり、バッハの音楽の神髄を知らしめた。
 この時期に来日してくれるアーティストは、いつにも増して音楽がはげしく深く、強靭な精神性がその演奏を劇的なものにしている。聴き終わると、しばらく席を立てなくなるほどの感動が襲ってきて、ぼうぜんとしてしまうほどだ。
 これが「音楽の力」だろうか。
 彼らの勇気と決断と実行力、そしてなにより心のこもった演奏に「ありがとう」と何度も何度もいいたい。
 
| クラシックを愛す | 22:19 | - | -
アッシジの聖フランチェスコ
 オリヴィエ・メシアンの唯一のオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」の日本初演を聴いたのは、1986年3月12日のことだった。
 これは小澤征爾指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏によるもので、目白の東京カテドラル教会で行われた。
 その本番前に、メシアンに話を聞くことができた。
 この20世紀を代表する偉大な作曲家・オルガン奏者で、ブーレーズ、シュトックハウゼン、クセナキスら、数多くの弟子を持つフランス音楽界の重鎮であるメシアン(1908〜1992)は、本番前の着替えもそこそこに、優しい笑顔でインタビューに応じてくれた。
「マエストロ・オザワはイギリス初演もしてくれましたから、全面的に信頼しています。それにしても、オーケストラも歌手も合唱も、みなすばらしい準備をしてくれました。リハーサルではびっくりしましたよ。何カ月も前から周到に勉強されたんでしょうね。その成果を今夜これから聴くことができるわけですから、もう心は高鳴るばかり。この教会の響きも音響的に満足しています。反響が大きすぎることもなく、音も鮮明ですね」
 それからメシアンの話は自身の子ども時代へと移った。
「私の家系には、音楽家というのはひとりもいません。私は小さいときからピアノを弾きたくて弾きたくて仕方がなく、先生にも就かず、まったくひとりで学び始めたのです。本当の独学ですよ。ですから生まれつき才能を持っている子どもとか、自分で本当に音楽を習いたい子どもというものは、自然にそういう方向に向かっていくものだと私は思います」
 この子ども時代の話になった途端、メシアンは巨匠ならではのどっしりとした威厳に満ちた表情から柔和な顔になり、昔をなつかしむような目に変わった。
「ただし、すべての子どもに平等のチャンスを与えるということは、非常に大切なことだと思います。音楽というものは、とても純粋なもので、純粋な子どもの心を打つものが必ずあると私は確信しているからです。ですから、子どもたちに平等に音楽を与えることによって、必ずしもプロではなくても、立派なアマチュアが育っていくことを切に希望しています」
 メシアンはもうこちらが本番前だからと気をもんでいるにもかかわらず、ゆったりと話を進めた。
「プロの音楽家になるためには、対位法や和声がきちんとわかっていて初めてプロといえるわけですし、正統な勉強をしてこそプロといえるのです。私もここまでくるのに、本当に紆余曲折がありました。でも、いまこうして自分の作品がすばらしい音楽家たちによって演奏されるのを聴くと、子どものころから好きな道をずっとあきらめずに追及してきてよかったと感じています。なんでも続けることが大事ですからね」
 メシアンは、「アッシジの聖フランチェスコ」を1975年から1983年まで8年間かけて作曲したと語った。そして「本当は全部聴いてほしいんだけど、とても長くてねえ」と笑みを浮かべながらいった。
 このオペラは全3幕8景からなり、全幕上演すると6時間近くかかる。このときはオラトリオ形式の部分上演という形で行われた。
 敬虔なクリスチャンで小鳥の歌をこよなく愛するメシアンが、小鳥に説法したという伝説を持つ聖フランチェスコを題材に取り上げ、自ら脚本を書いたメシアン作品の集大成ともいうべき作品。
 演奏は非常に心に響くもので、私はこれを聴きながらアッシジに行きたいという思いに駆られていた。
 それからかなりのちになり、ついにアッシジのサン・フランチェスコ教会を訪れ、ジョットの「小鳥に説教する聖フランチェスコ」のフレスコ画と対面した。この教会は下堂、上堂と分かれ、非常に広く、何時間あっても見つくせない奥深い魅力をたたえていた。
 昔からジョットが大好きな私は、フレスコ画の前でメシアンの音楽を連想し、聖フランチェスコの比類ない荘重さにただ見入っていた。
 帰りに、教会近くの小さな工房でこの絵が描かれた板絵を発見、すぐに購入して大切に持ち帰った。今日の写真はその板絵。これをながめるたびに、アッシジの美しい町とジョットの胸が痛くなるほどの感動的な絵とメシアンの握手したときの手のぬくもりが思い出される。


 
| 麗しき旅の記憶 | 23:57 | - | -
假屋崎省吾
 華道家の假屋崎省吾さんは、いつ会ってもエネルギッシュな人である。
 以前、仕事で青山のご自宅におじゃまし、その後コンサートなどで何度もお目にかかり、昨年のショパン・コンクールでもご一緒した。
「ねえ、假屋崎さん、どうしていつもそんなに元気なの。時差ボケもまったくないっていうし、何かいい方法でも?」
 こう聞くと、彼はひとこと。
「大好きなお花と一緒にいるから、元気でいられるわけ」
 時差ボケしない理由に関しては。
「それは飛行機で寝ないようにしているから。みんなすぐに寝るでしょ。あれはダメ。映画でも見ながら無理して起きていて、現地に着いたらその時間に合わせてまだ起きていて、夜になったらようやく寝る。そうするとすごく疲れているからぐっすり眠れる。次の日はもう大丈夫!」
 ウーン、なかなかまねできそうにない。
 彼は子どものころからピアノを習っていて、いまではピアノを中心にほぼ毎日コンサートに出かける。あんなに忙しいのに…。
「ほら、スケジュール帳見て。私の場合はコンサート中心で、仕事は二の次(笑)。これは冗談だけど、音楽を聴いて美のオーラをからだいっぱいに浴びることで、仕事に対するエネルギーが湧いてくる。長い間ピアノのレッスンをしていなかったけど、数年前からまた始めたし」
 これはヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」の特集記事のインタビューとして、今週から3回にわたって掲載される。
 話を聞いたのは、彼の赤坂の花・ブーケ教室。さまざまな花が置いてあり、いい香りが部屋いっぱいに広がっていた。そうか、この香りも美のオーラなのね。
 いつも假屋崎さんに会うと、時間の使いかたのうまさに舌を巻く。ああ、私もこういうふうに、もっと時間に余裕をもって生きたいなとつくづく思わされる。それにしても「美のオーラ」、なんていいことばなのだろう。
 彼はすごく早口でポンポン話し、話題はあちこちに飛んでいく。ショパン・コンクールのときに食事をご一緒したときも、話題は尽きなかった。
 でも、今回はインタビューだから仕事である。私はその飛んで行った話をストンと元に戻して、次に進めていく。
「伊熊さんって、私の飛びっぱなしの話をうまく戻してくれるから安心。ふつうは一緒にどこかに飛んで行っちゃうんだけど…」
 これには、居合わせた全員が大笑い。
 さて、今日の写真はそんなインタビューの場での1枚。私が「せっかくだから、お花と一緒に撮りたいんだけど」というと、すぐに黄色の美しい花々が用意された。
 うん、やっぱりお花と一緒だと、表情が生き生きとしていますよ。

| 親しき友との語らい | 16:12 | - | -
スティーヴン・オズボーン
 今年1月18日、スコットランド生まれのピアニスト、スティーヴン・オズボーンの来日リサイタルをトッパンホールに聴きに行った。
 彼は実に幅広いレパートリーの持ち主。今回はラフマニノフ、ラヴェル、ドビュッシーを組み合わせた凝ったプログラムを組み、真の実力派を印象づけたが、もっとも心に響いたのはラヴェルの「鏡」だった。
 オズボーンは、その前にラヴェルの「ピアノ独奏作品全集」(東京エムプラス)の録音を完成させたばかり。ラヴェル好きの私は繰り返し、これを聴いていたが、ナマ演奏ではまた異なった新たな魅力に出合うことができた。
 彼は録音では「高雅にして感傷的なワルツ」を管弦楽版と照らし合わせ、和音を付け加えるなどして演奏、独自性と即興性を見せている。
 リサイタルではアンコールでジャズも演奏、聴衆を沸かせた。
 今回はインタビューも行ったが、そのときにオズボーンはひとりひとりの作曲家にとことん入れ込むタイプゆえ、全集を録音することになるのだと語った。
 このインタビューは「音楽の友」の4月号に掲載されている。
「子ども時代から練習は嫌いでしたが、編曲や即興は大好きでした。いまでも、ピアノであれこれ遊んでいるのが好きなんですよ」
 こういってシャイな笑顔を見せるオズボーンは、スコットランド人の気質に関してこう語った。
「スコットランド人というのは、知り合うまでに時間がかかる人が多い。すぐには心を開かないからです。深く相手を知るまでは、変なことをいって相手を傷つけたらどうしようと考えるわけです。でも、いったん心を許すと、長年つきあうようになります。私も決してあけっぴろげの性格ではないのですが、親友は何人かいますよ」
 その親友のひとりが、ピアニストのポール・ルイス。デュオでもよく組んでいる。彼らの今回の来日はちょうど重なり、ふたりで浅草に行こうといっていたそうだが、なかなか実現しなかった。
「ポールはシューベルト・チクルスの記者発表などで忙しく、時間がないというんですよ。あんなに浅草に行きたいっていっていたのに」
 この話をポール・ルイスに会ったときにしたら、彼はこう反論した。
「えっ、スティーヴンはそんなこといってるの。彼のほうがリサイタルの練習で時間がないっていったんだよ。まったくなあ」
 まあ、これは親友ならではのやりとりなのでしょう。
 オズボーンのスコットランド人気質に関しては、私が「テニスのアンディ・マレーもそうよね」などといったものだから、ここからテニス談義になってしまった。オズボーンは結構お茶目で、マレーが試合に勝ったときに両腕を高く掲げるポーズまでまねした。
 あら、スコットランド人はなかなか心を開かないんじゃなかったっけ…。
 彼の話で興味深かったのは、以前2日間パリに滞在し、メシアンの作品をメシアン夫人であるイヴォンヌ・ロリオから学んだときのこと。
 レッスンはすさまじくシビアで、1日6時間に及んだという。とりわけフィンガリングをきびしく直され、親指の使いかたが大切だといわれたそうだ。親指は決して揺れてはならないと。
「ロリオ夫人はこういったんです。絶対なる神のような音楽に揺れがあってはなりませんと。リズムの大切さ、その微妙さ、均等にリズムを刻むことやほんのちょっとしたズレも注意されました。長時間のレッスンでも、決して情熱を失わないその気持ちにとても感銘を受けました」
 スティーヴン・オズボーンは、1991年のクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールの優勝者。このコンクールの覇者はみなじっくりと大成していく。
 またすぐにでも来日してほしいという思いを抱いた。
 今日の写真はインタビュー時のオズボーン。「ブログ用の写真撮ってもいい?」と聞いたら、にこやかに話していた表情が一変、真面目そのものの顔になった。やはりスコットランド人はシャイなのかなあ。

| アーティスト・クローズアップ | 21:51 | - | -
ニキタ・マガロフ
 インタビュー・アーカイヴの第7回は、私がこよなく愛するロシア・サンクトペテルブルクの貴族の家系出身でのちにスイスのヴヴェーに生活の場を移したピアニスト、ニキタ・マガロフ(1912〜1992)。
 実はインタビュー当時、彼は日本でレコーディングを行い、それを見学させてもらうことになっていたが、初日には行けず2日目の夕方に駆けつけた。
 するとマガロフは「きみ、遅かったねえ。もう全部終わっちゃったよ。まあ、音ができあがったらゆっくり聴いて」と涼しい顔。
 ああ、なんというショック。通常は3日間くらい録音に費やすのに、なんという早業。長い間、このショックは私の心に居座っていた。

[FMレコパル 1991年5月27日〜6月9日号 No.12]

しみじみとした感慨にひたれる、優雅で優しいワルツ

 最近、ピアノを聴いてしみじみとした感慨にひたるということが少なくなってきている。すごい超絶技巧に圧倒されたり、きらびやかな音色に酔ったりすることはもちろんある。
 しかし、何度聴いてもそのつど「ああ、生きていて幸せ」などと感じる演奏には、そうめったに出合えるものではない。
 ところが、マガロフのワルツ「舞踏への勧誘〜マガロフ、ワルツをひく!」(コロムビア)を聴いたときに、この“しみじみ”が味わえたのである。
 最初のモシュコフスキーから、これはもう19世紀のサロンの味わい。目を閉じて聴いていると、古い映画の舞踏シーンなどが自然に浮かんでくる。
 ウェーバーもJ.シュトラウスも3拍子のリズムが生き生きとしていて、まるで「さあ、踊りなさいよ」とでもいっているように誘いかけてくる。
 そんな優雅で愉しい音楽を生み出すマガロフの素顔は、優しく、雄弁で、何より長い演奏活動の歴史を感じさせる威厳に満ちたものだった。
「私は同じことを何度も繰り返して行うことが嫌いでね。演奏会でも必ずプログラムを全部変えるんだよ」
 だからレパートリーが広いなんていわれるんだね、といって笑ったマガロフ。4年前スイスのモントルー音楽祭で2週間演奏したときも、彼は毎日違ったプログラムで演奏した。
「私のところによく若いピアニストがレッスンにやってくるんだけど、彼らにいつも作曲家のいいたいこと、楽譜に書いてあることを演奏家が勝手にいじっちゃいかんといっている。ショパンなんか、若い人は自分の解釈を全面に押し出してくずして弾くからね、ありゃいかんよ」

 多くのピアニストが演奏家としての何かを求めにくる

 マガロフは楽譜に忠実に弾くことをモットーとしているが、その演奏は自由で個性的で、今回のワルツなどもマガロフならではの浮き立つようなリズムに彩られている。
 彼のワルツには、1拍目の強拍と2拍目の弱拍との間にほんの少し間があるのだ。これはほんの一瞬息を吸うような間だが、これがワルツの3拍子の支えともなっていて、跳びはねるような軽快な感覚が味わえる。
「ウィンナ・ワルツもあればフランスのワルツもあり、ワルツというだけでは限定できないフォルムがたくさんある。もちろん、ワルツも曲の解釈は作曲家の意図に忠実でなければならないが、他の作品にくらべると演奏家により可能性を与えてくれたのだと思う。それを自由に表現したい」
 マガロフはプロコフィエフ、ラヴェル、バルトーク、ストラヴィンスキーなどに直接教えを受けたり、共演したりしている。いわば大作曲家と同時代に生きてきたわけだ。
「ストラヴィンスキーの前では『カプリッチョ』を何度も弾いたけど、彼はいつも、自分の作品をどうしてみんなあんなにテクニックを優先して弾くんだろうと嘆いていた。ラヴェルは気難しい人でね、トスカニーニがテンポを指示通り演奏しないといってカンカンに怒っていたよ」
 こんな話がポンポン飛び出す。
 マガロフのもとにはアルゲリッチ、内田光子、ダルベルト、ルイサダをはじめ、多くのピアニストが悩みにぶつかるとやってくる。
 彼らはもちろん技術的には何の問題もない。ただ、演奏家として何かが足りないと感じ、その何かを求めて巨匠の門をたたく。
「私は彼らプロのピアニストに、これといって何か教えることがあるわけではない。作曲家の思想、テンポ、リズムに忠実であれ、とアドヴァイスをするだけ。このごろは忙しくて時間がとれないが、それでもみんな年に1度はやってくるね」
 それはそうだろう。ほんの少し話を伺っただけで、なんだか心の奥に温かいものが流れる感じがした。
 演奏家は孤独だから、きっと彼のもとでひとときを過ごしただけでまた闘いのステージに飛び出していく勇気を与えられるのではないだろうか。

 写真はそのときの記事の一部。夫人は名ヴァイオリニストとして知られるヨーゼフ・シゲティの娘で、シゲティにとてもよく似ている。二人はとても仲むつまじく、ほんのりあったかな空気がただよっていた。

| インタビュー・アーカイヴ | 23:33 | - | -
小林愛実
 今日は若きピアニスト、小林愛実のリサイタルを聴きに行った。
 これは4月3日にニューヨークのカーネギーホールでソロ・リサイタル・デビューを成功させた凱旋記念公演で、先日リリースされたばかりのセカンド・アルバム「熱情」(EMI)の収録曲がメイン・プログラム。
 彼女にはデビュー当初から話を聞き、演奏に接し、デビュー・アルバムとセカンド・アルバムのライナーノーツ、コンサート・プログラム、インタビュー記事などを書いてきた。いつも彼女は本音で語ってくれるため、記事も書きやすい。
 小林愛実は幼いころから数多くの賞に輝き、海外のステージも経験し、いまや次代を担うホープとして期待されている。だが、本人は才能におぼれることなく音楽を心から楽しみ、聴き手とのコミュニケーションを大切にする。
 素顔は明るくあっけらかんとし、食欲旺盛なごくふつうの15歳。しかし、ピアノに向かうとすさまじいまでの集中力を発揮し、作品の内奥へとひたすら迫っていく。
 そんな彼女が今日演奏したのは、シューマンの「子供の情景」とベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」が前半。シューマンでは物語を語るようにひとつひとつの曲を詩情豊かに歌い上げた。
 「悲愴」では最初のグラーヴェはゆったりと主題を奏でていったが、徐々にテンポが増していき、第3楽章は猛スピードで飛ばした。
「私、いつも本番ではテンポが速くなってしまう。先生に注意されるけど、止まらない。練習より遅くなることはいままで一度もないかも」
 こういって陽気な笑い声をたてるところが、いかにも彼女らしい。
 後半はCDには入っていないラヴェルの「ソナチネ」が演奏され、最後はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番「熱情」で締めくくられた。
 やはり「熱情」も次第にアップテンポになっていき、プレストのコーダではあまりの速さにひとつひとつの音が空高く飛び上がっていくようだった。
 彼女が幼いころから師事している二宮裕子先生にお会いしたら、こんなことをいわれた。
「伊熊さん、あまりいい記事を書かないでね。もっときびしくいってやってください」
 でも、きびしくいうのは先生のお役目。私は若いアーティストはできる限り応援したいという考え。きっと、小林愛実も遠からずシビアな批評にさらされるときがくる。そのときにそれらとどう向き合うか、どう対処するかが今後の演奏活動に大きく影響するはずだ。
 終演後、「愛実さん、カーネギーホールの演奏はどうだった?」と聞くと、「ああ、伊熊さん、どうして聴きにきてくれなかったの。すごくよく弾けたのに…」と満面の笑顔。
 これこれ、この屈託のなさが一番の美質ではないだろうか。まわりが何をいおうが、どう評価されようが、自分がうまく弾けたと思ったらそれを素直に口に出す。彼女だったらシビアな批評が出ても、さらりとかわしてしまうような気がする。
 日本を元気にするエネルギッシュで前向きでおおらかな、小林愛実のピアニズムとキャラクター。
 今春、彼女は高校生になった。「高校はどお?」と聞いたら、「あまり授業が詰まっていなくて、結構自由時間があるの」とにんまり。
 ということは、練習がたっぷりできるわけね。ガンバレ、AIMI。

 今日の写真はリサイタルが終わってふだんの表情に戻った彼女。これが大好きなポーズだそうだ。

| アーティスト・クローズアップ | 22:46 | - | -
ルネ・フェレ
「ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路」は、天才モーツァルトの5 歳上の姉、マリア・アンナ・モーツァルト、愛称ナンネルが主役となった映画である。
 姉弟は幼いころから音楽に天才的な才能を発揮し、父レオポルドに連れられてヨーロッパ各地の宮廷や上流階級のサロン、教会などで演奏して絶賛されるが、やがてナンネルは弟ヴォルフガングの陰に隠れるようになっていく。
 当時は、女性というだけで音楽家として世に出ることはできなかった。
 そのナンネルの悲劇をフィクションを含めて描き出したのが、ルネ・フェレ監督によるフランス映画だ。
 監督は父レオポルドが残した書簡集を読むことにより、映画の構想を得たという。映画についてインタビューを行ったのは2月だったが、インタビューに答える監督は、いつもインタビュアーを自分のビデオで撮影し、それをあとで楽しむそうで、私のときも質問する表情をずっとビデオで追っていた。なんとも、不思議な感覚だった。
「私はナンネルの生きかたを通じて、現代女性に自分の生きかたをもう一度考えてほしかったのです。時代も職業も環境も異なるでしょうが、女性が自分の目標を追い求め、夢を実現していく気持ちに変わりはありません。映画を見て、何かを感じてほしい。いま自分の仕事や生きかたについて悩みを抱えたり、迷いに入ったりしている人も多いはずです。そうした人たちに、新たな道を拓いてほしい、そう思って映画を作りました」
 ここにはナンネルの音楽が登場してくるが、彼女の楽譜は残されていないため、これは新たな創作を必要とした。
「多くの映画や舞台、オペラで活躍している作曲家、マリー=ジャンヌ・セレロに依頼しました。まず私が好きな曲、ナンネルの音楽を連想するような、ナンネルの音楽に近いであろう曲をたくさん彼女に聴いてもらい、そこからインスピレーションを得て曲作りをしてもらいました」
 だが、当初は出来上がった曲があまり気に入らず、監督はやむなく他の人に作曲を依頼したそうだが、結局セレロに戻った。
「マリー=ジャンヌは夜も眠れないほど悩み、一時はまったく曲が書けなくなってしまったほどです。でも、彼女は辛抱強く取り組み、結果的にはすばらしい曲に仕上げてくれました。ぜひ、映画のなかで使われる曲に注意深く耳をすませてください。あたかもナンネルが作ったように聴こえるはずですから」
 このインタビューは、現在発売中の「フィガロ・ジャポン」に掲載されている。
 今回は監督のふたりの娘、ナンネル役のマリー・フェレとルイ15世の末娘ルイーズ役のリザ・フェレが出演、重要な役を演じている。
 当時の女性の生きかたから、自分の生きかたを考え直す。これは「マーラー 君に捧げるアダージョ」のパーシー・アドロン監督のインタビューでも同様の話が出た。21世紀に生きる私たちに向けての監督たちのメッセージ。「映画から何かを得てほしい」と語るフェレ監督のことばが深く心に響いた。

 今日の写真はインタビュー時のフェレ監督。「私はデリケートでエレガントな映画が好きなんですよ。生活がほんの少し豊かになるような感じのね。旅も好きですし、人に会うのも好きです。最近はさまざまな伝記を読むことに時間をかけています。いつも新しいものを見つけることに意義を見出しています」


 
| 日々つづれ織り | 13:43 | - | -
美しい5月に
 連休は、久しぶりに高原の仕事部屋に行った。
 山々にはまだ残雪がところどころに見られたが、ちょうど紅山桜が満開。木々も徐々に新芽を出しているところだった。
まさにシューマンの「詩人の恋」の「美しい5月に」を連想させる美しい季節到来である。
 この時期の楽しみは、なんといっても山菜だ。(と、すぐに食べ物の話に行ってしまう 笑)。 
 地元の農家の人たちが朝とれた野菜を臨時の売り場に並べていて、どれを見てもおいしそう。
 今回は肉厚のマイタケと、淡くみずみずしい色をしたうるいと、濃厚な緑色をしたこごめを手に入れた。
 こういう山菜は、売っている人においしい食べかたを聞くのが一番。
 うるいはさっと塩ゆでして、酢みそであえるといいそうだ。
 こごめも塩ゆでしてから水気を切り、ゴマ油で炒めて、最後におしょうゆをパラリとかけるのがお勧めの食べかただという。ウーン、ゴマ油で炒めるとは新発見。
 そして究極はマイタケだが、これはもう煮たり焼いたりせず、てんぷらが最適で、それ以外はないという。こんなどっしりしたマイタケだもんね、てんぷらにしたらぜいたくそのものだワ。
 というわけで、東京に持って帰ってレッツ・トライ!
 どこに行っても、すぐに食材を探してしまう私はホント、食いしん坊。
 色鮮やかな紅山桜も見て、遅ればせながらのお花見もできたし、よだれが出そうなとれたての山菜も手に入れたし。
 さあ、連休後はまた一生懸命仕事をしなくちゃ。




 
| 日々つづれ織り | 21:40 | - | -
サンクトペテルブルクのピロシキ
 2007年夏、サンクトペテルブルクで毎年開催されている「白夜祭」の取材に出かけた。
 このときはワレリー・ゲルギエフが演奏するオペラやコンサートを聴いたのだが、聞けばマリインスキー・オペラの建物のすぐ近くに、音楽家たちがいつも行くというピロシキのおいしいお店があるという。
 日本では、ピロシキといえば楕円形か円い形の油で揚げてあるものを指す。だが、現地の人に聞くと「そんなピロシキはない。本場では揚げてあるものはなく、長方形でひとりずつ切ってもらって買うのがふつう」とのこと。
 半信半疑でお店に行ってみると、やはりふつうのパンのようなスタイル。中身を選んで適宜切ってもらって買う。これにスープと紅茶を選ぶと、写真のような分量になる。
 ひと口食べたら、これがびっくりのおいしさ。お肉や卵入り、ジャム入り、フルーツ入りなど多種多彩。値段も安く、いろんな種類が食べたくなる。
 そうか、オペラハウスから近いため、オーケストラのメンバーや歌手たちがリハーサルの合間に顔を出すわけね。
 もうひとつ食べ物では新たな発見があった。
 マリインスキー・オペラの担当者が、「あなた、食堂見たい?」と聞くので、「はい。ぜひ見せてください」というと、「ふたつあるのよ」といった。
「まず最初は、バレエのほうね」といって案内された食堂には、スズメの涙ほどのパンや果物、お魚などがぽっちりとお皿の乗っている。バレエダンサーの食事はさもありなんという感じだった。
「じゃ、次はオペラ関係者のほうね」と案内されたところには、大皿にわんさか食べ物が乗っている。あまりの差に目を疑った。
 案内してくれた人は、「さあ、どっちで食べたい?」とニヤリ。
 その前にバレエのすさまじいまでのレッスンを見学していたので、それであの小食かと感慨深かった。
 食を知ると、旅が奥深くなる。でも、過酷なレッスンをしているバレエダンサーたちは、いったいあの食事でどうして体力が持つのか、いまも不思議だ。
 


 
| 美味なるダイアリー | 23:43 | - | -
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