Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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カルテットの会
 昨夜はほんのひとときパソコンから離れ、気の合う仕事仲間4人の飲み会&食事会に出かけた。
 これは本当に何でも話せる、決して出た話題は他言しない、思いっきりぶちまけるという女子会で、定期的に集まっている仲良し4人組。このさい、ネーミングをしようと思い立ち、「カルテットの会」と命名。でも、みんなピアノを弾いていた人ばかりだから、だれひとり弦楽器が得意な人はいないという、「演奏できないカルテット」だ(笑)。
 みんな声が低めだが、一番声の高い人から順に楽器を決めようということになり、STさんが第1ヴァイオリン、YTさんが第2ヴァイオリン、私がヴィオラ、KOさんがチェロと決まった。でも、みんな弾けないんだよね。まあ、単なるネーミングだから、いっか。
 というわけで、この前会ってから山ほどたまっていた話が出るわ出るわ、我先にと話し出し、食べているときも飲んでいるときも、一瞬たりとも話題が途切れることはない。ウワーっ、みんなエネルギッシュ。彼女たちは全員がものすごく仕事ができるし、やることが早いし、突進型。私もよく猪突猛進型だといわれるから、似た者同志が自然に集まったみたい。
 あれよあれよというまに5時間以上経過、「キャーっ、もうこんな時間」ということになり、バタバタと解散。「また、すぐに会おうねー」「まだまだ話したりないから」と叫びながら、それぞれ嵐のように帰路に着いた。
 今日は昼間はインタビューが2本分あり、夜は久しぶりにピーター・ゼルキンのリサイタルに行った。このコンサート評は次号の「モーストリー・クラシック」に書くことになっている。その間にあたふたと原稿も入稿したため、なんだか疲れてからだが重かったけど、精神的にはすっきり爽快。
 やっぱり腹を割って話せる、本音トークのできる友だちは貴重だ。ストレスは吹き飛ぶし、やる気がまた起きるし。でも、肌が荒れてしまった。まいったなあ、寝不足がたたったようだ。早く締切り地獄から脱しなくては…。
| 親しき友との語らい | 23:45 | - | -
エフゲニー・キーシン
 今秋来日する関係で、いまはエフゲニー・キーシンの原稿が相次いでいる。そこで「インタビュー・アーカイヴ」第23回はそのキーシンにスポットを当てたい。彼には初来日のときから取材を続けているが、そのつどインタビューでは新しいことをいろいろ話してくれる。
 初来日は15歳。そして今回の来日で40歳を迎える。ああ、25年の年月が経過したわけだ。自分の年を考えると、実に感慨深い。いやいや、考えるのはやめよう。キーシンのことだけ考えようっと(笑)。

[FM fan 1991年3月4日〜3月17日 No.6]

ショパンは民衆の叫びの代弁者 
この心を表現したいといつも考えています


 この1月末から2月にかけて、キーシンが5度目の来日を果たした。初めて日本を訪れたときはまだ15歳だった。その華奢なからだからあふれ出てくる無限大の音楽に心を奪われたものだが、その彼もすでに19歳。ここ数年のキーシンはカラヤンと共演したり、カーネギー・ホールにデビューしたりと、まさにピアニストの王道を着実に歩んでいる。
 今回の日本公演も、持ち前の美しい音になお一層磨きがかかり、一種の風格さえ感じさせるすばらしいものだった。そんな彼がひとときのオフ・タイム、自分の音楽観をじっくりと語ってくれた。

カーネギー・ホールでのリサイタルは夢の実現

――カラヤンとの共演、カーネギー・ホールでの演奏と、次々にすばらしいニュースが伝わってきますが、いま振り返ってみるとどんな気持ちですか。
キーシン カラヤンと共演したことは、ぼくにとってあまりにもすばらしいできごとでしたので、ことばに出して表現してしまうとその実体が失われてしまうような気がします。カラヤンのような人が誕生するのは100年に一度あるがどうかでしょう。そういう偉大な人に巡り会えてとても幸せでした。
 カーネギー・ホールでのデビュー・リサイタルは、ぼくの夢の実現でした。
――今年の暮れにはアバド指揮ベルリン・フィルとの共演ということですが、こういうときのプログラムはどのようにして決めるのでしょうか。
キーシン 今年の12月31日に共演することに決まりました。アバドとは以前一度一緒に演奏したことがあります。そのときはモーツァルトのピアノ協奏曲第20番を弾きましたが、これはマネージメント側で決めてもらいました。まだアバドとは面識がありませんでしたから。その後、実際に会って話すことができ、レパートリーのこととかいろいろ聞かれました。今度の演奏会では、彼の希望で多分ベートーヴェンを弾くことになるでしょう。
――ごく最近モーツァルトのピアノ協奏曲第12番がリリースされましたが、モーツァルトは音楽家にとって譜面はそんなに難しくないのに、演奏するのは非常に難しい作曲家だといわれていますよね。
キーシン カントール先生はいつも「モーツァルトをうまく弾けるのは子どもか大巨匠だ」といっています。ぼくはモーツァルトの音楽はとても簡潔だと思うんです。子どもというのは、そういう簡潔さというものを何のわだかまりもなく、屈折したものもなく素直に無心に表すことができる。かたや大巨匠は、ものすごく練習して苦労して、長い人生のなかでいろんなことを考えて、その結果すばらしい演奏ができるようになるんでしょうね。
 リストを例にとってみると、若いころはテクニックにものをいわせた演奏をしたり作品を書いたりしていますがだんだんにシンプルになっていく。ソ連の多くの作曲家を見ても、ラフマニノフやショスタコーヴィチなど、みんな晩年の作品になるほど簡潔になっていきます。
――年を経るに従って、邪念がなくなっていくというか…。
キーシン そうですね。大巨匠の演奏に対するアプローチも、徐々に余分なものを取り去って無我の境地になっていく感じがします。ソ連の詩人で小説家でもあるパステルナークが、こんな詩を書いています。全部朗読すると長いから最後のところだけ(笑)。「人生が終わるにあたって、すべてが簡潔なものになることを意識するものだ」。このことばがすべてをいい表していると思いませんか。モーツァルトは短い人生でしたが、その生涯は清らかでシンプルな作品そのものです。そんなモーツァルトを演奏で表現するのは、やはり大変うれしいことです。
――ピアノ曲以外にもモーツァルトの作品はよく聴かれますか。
キーシン ええ、いろいろ聴きますよ。好きなのはオペラ「ドン・ジョヴァンニ」ですが、ただ、これだけが好きというわけてはありませんから、1曲だけって書かないでくださいね(笑)。
 特に好きなのは、ピアノ協奏曲第24番なんです。えっ、いまはもう旋律を歌わないのかって? 小さいころは自分の意志を表現する手段が歌うことしかなかったので、しょっちゅう歌っていましたが、いまはもう声変わりしてしまったし、まったく歌いません。

肝心なのは音楽を感じること

――ところで、ショパンの演奏にはルパートが欠かせないと思うのですが、それについてはどんな考えをお持ちですか。
キーシン ルパートは自分の裁量でテンポを決めるということで、自然に音楽を響かせなさいというものですよね。ところが、これは多分に乱用してしまう恐れがある。
 昔、19世紀の末にサフォーノフというロシアのピアノ教師がいました。その弟子に女子学生がいて、彼女がルパートをまちがって解釈していたらしいんです。そしたらサフォーノフが「では、ルパートの指示のないところでも全部ルパートで弾きなさい」といったそうです。そうやってルパートの乱用を防ぎ、不自然だと教えたのでしょう。
 この例に見られるように、ぼくはルパートというのは、常に自分の感性に忠実に自然に使うべきだと考えています。肝心なのは音楽を感じることで、それができれば、テンポのつかみかたもほかのことも自然に理解できるようになるはずです。
――それでは、ショパンのポロネーズやマズルカなどの舞曲のリズムを表現する際にはどんな注意が必要でしょう。
キーシン これらはショパンが舞曲の形式を借りて作曲したもので、純粋に踊るためのものではありません。肝心なのは外面的なリズムなどではなく、その当時ポーランドがロシア帝国から侵略されてその圧政下にあり、民衆がいかに自由を求めていたかということを知ることだと思います。ショパンは民衆の叫びの代弁者だったわけですから。ぼくはマズルカやポロネーズ、そしてソナタを弾くときには、いつもこのショパンの心を表現したいと思っています。
――以前、スペインはとてもすばらしいところだとおっしゃっていましたよね。
キーシン 3年ほど前に行ったときのことですね。このときはたった8日間でしたので、あまりあちこちは見られませんでした。でも、すごくいいところだと思いました。
――それはドイツの芸術家が南国にあこがれるような気持ちと同じような感覚でしょうか。
キーシン 残念ながらぼくがスペインを訪れたのは3月でしたから、モスクワと似たりよったりの気候でした。ソ連だって夏は30度近くになるんですよ。だから気候だけにあこがれたわけではありません(笑)。

 キーシンは決して雄弁なほうではない。むしろひとことずつ考えながらことばを選んで話すタイプ。いつも詩集をポケットに入れているというだけあって、その話はとても思索的だ。まるで彼の一音ずつ大切に弾き込まれるピアノの音色のように。

 今日の写真はその雑誌の一部。こうして見ると、キーシンは25年たってもあまり顔の表情が変わっていない。それに引き換え、私は…。いやいや、考えまい(笑)。

| インタビュー・アーカイヴ | 23:40 | - | -
アルバイシン
 またまた月末の締切り地獄の時期がやってきた。
 でも、今日はその合間を縫ってスペイン在住のピアニスト、比石妃佐子の電話インタビューがあったため、「CDジャーナル」の編集部に出かけた。
 彼女はアルベニスやグラナドス、ファリャ、モンポウなどの作品を幅広く手がけ、バルセロナを拠点に活躍している。その話はとても興味深く、スペイン好きの私としては電話の向こうからスペインの熱い風が吹いてくるのを感じ、胸が高鳴る思いがした。
 そのインタビューはまた次回ゆっくり綴りたい。
 今日は彼女と話をしている間、私の頭のなかではアルベニスの組曲「イベリア」のなかの「アルバイシン」の旋律が鳴っていた。これはpppが印象に残る神秘的な曲で、詩的で精緻でありながら、哀愁を帯びたカンテ・ホンド(フラメンコの奥深い歌)や情熱的でリズミカルな部分も挟み込まれる。
 実は、この曲に関してはひとつ思い出がある。もう大分前のことになるが、「ピアノの女王」と称され、スペイン作品のスペシャリストといわれたアリシア・デ・ラローチャにインタビューをしたとき、この「アルバイシン」という曲の情景がどうしても浮かばないのですが、と私がいうと、ラローチャは「アルバイシンを歩いてみることよ。ねっ、アンダルシアに行きなさいよ。きっと大きな収穫があるわ」といってくれた。
 あれから何度アンダルシアを訪れ、アルバイシンに足を運んだことか。
 アルバイシンはアンダルシアのアルハンブラの丘を望む地区で、アラブの匂いに包まれ、ロマの香りがし、迷路のような小道がどこまでも続いている。
 地図を頼りに歩いていても、いつのまにか迷い込んでしまう。真冬でも日差しは強く、白壁と美しい花々に囲まれた「カルメン」(アラビア語が語源。果樹園を意味する。女性の名もこれに由来)と呼ばれる家は日常を離れた別世界を思わせる。人々はパティオにテーブルを出し、陽気に食事をし、そのかたわらを真っ黒な猫が横切っていく。
 この1月にも、再びアルバイシンを訪れ、ゆったり散策した。そのときの風景が、比石妃佐子のインタビューで蘇ってきた。
 ああ、戻ってきたばかりなのにまた行きたくなった。さて、残りの原稿がひと段落ついたら、また彼女の「イベリア」のCDを聴こうかな。
 今日の写真はアルハンブラ宮殿からアルバイシンを臨んだところ。これを音楽で表現したアルベニスはすごい!!

| ああ愉しき(?)、締切り地獄 | 22:56 | - | -
佐渡のお土産
 ウチのお隣さんは、実家が佐渡ということで、よくお土産に海の幸を買ってきてくれる。今回は、肉厚のイカの一夜干しと、天日干しした貴重な天然ワカメをいただいた。
 さて、どう料理したらいいかと素材を眺めていたら、「そうだ、酢のものにしよう」と思い立った。
 ワカメは水で戻したら磯の香りがただよい、すばらしくやわらかな風味豊かなものに変身。イカはさっとあぶって千切りにし、堅さをとるために黒酢少々をふりかけておく。これにキュウリと竹輪をプラスしてゆずポン酢であえる。
 最後に、風味付けのためにかぼすかゆずかシークワーサーのしぼり汁をたらし、大葉の千切りをトッピング。
 さて、試食。ああ、これはごはんのおかずというよりも、お酒のおつまみに最適。きりっと冷やした辛口の冷酒にピッタリだ。夏バテ気味のからだに活力を与えてくれる感じ。
 今日の写真はできたての「イカとワカメの酢のもの」。のんべえさーん、寄っといで。佐渡の味覚だよー(笑)。



| 美味なるダイアリー | 16:13 | - | -
カフェ・テリメナ
 ショパン国際ピアノ・コンクールの取材に行くたびに、必ず寄るカフェがある。
 ショパンの心臓が収められている聖十字架教会や、学生だったショパンが日曜ミサでオルガンを弾いていたヴィジトキ教会などが建っているクラクフ郊外通りと、コジャ通りの角に位置しているカフェ・テリメナだ。
 ここは表がアクセサリーのショーウィンドーになっているため見逃してしまいがちだが、建物の左側にまわると、入口がある。
 当時の名はブジェジンスカ。ここは革命運動家や文化人が集うところで、ショパンも友人たちと議論を闘わしたという。
 現在は静かなカフェで、内部はほの暗く、骨董品のようなテーブルといすが置かれている。ショパンはココアが大好物だったと記録に残されているが、ここでもココアを飲んだのだろうか。
 私も、いつもココアを頼む。ここで飲むと、素朴なココアがとてもおいしく感じられるから不思議だ。
 ショパンはこのころ同じ音楽院の声楽科の生徒、コンスタンツィヤ・グワトコフスカに初恋の思いを抱いていた。彼女への思慕が、ピアノ協奏曲第2番の第2楽章として結実したことは有名である。
 そんなショパンの思いを想像しながらココアを飲むと、なおいっそうこの味は印象深いものとなる。
 旅の記憶のなかで、「味覚」が占める割合はかなり大きい。私はワルシャワというと、ココアを思い出す。
 さて、おいしいココアでひと息入れて、次の原稿に移るとしましょうか。
 今日の写真はそのテリメナ。ショパン時代そのままの外観だ。

| 麗しき旅の記憶 | 22:01 | - | -
ネヴィル・マリナー
 1985年に「ナイト」の称号を受けたサー・ネヴィル・マリナーは、幅広いレパートリーを誇り、膨大な録音を行っているが、なかでもモーツァルトを得意としている。映画「アマデウス」では、マリナー指揮によるアカデミー室内管弦楽団(アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ)の演奏が使われた。
 インタビュー・アーカイヴ第22回はそのマリナーの登場。

[FM fan 1994年10月24日〜11月6日号 23]

私はアンサンブルの美しさを一番重視しています
 


35年間アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズを率いてきたサー・ネヴィル・マリナーが、今年の4月15日に70歳の誕生日を迎えた。地元ロンドンでは「ハッピー・バースデイ・ネヴィル」と題された祝賀コンサートが開かれ、その若々しい指揮ぶりが話題となったが、来日公演でもオーケストラと一体となった、両者の信頼感を強く感じさせる演奏を聴かせてくれた。

これからは19世紀後半から20世紀初頭のオペラを振りたい

――今回のプログラムのなかで特にブラームスの交響曲第4番には室内楽的な響きを感じましたが、これはご自身がヴァイオリニストだったことと関係がありますか。
マリナー 多分あるでしょうね。私はアンサンブルの美しさを一番重視していますから。このオーケストラを作ったときにはメンバーは15人だったんですが、それは全員イギリスの室内楽奏者たちでした。次第に人数が増えて規模が大きくなり、演奏する曲もバロックから近・現代までと広がってきましたが、当初のオリジナルな響きというものは変わらず持ち続けています。
 いまオーケストラは平均年齢が30歳です。契約方式ではないため、メンバーがほかの演奏会で協奏曲を弾いたり、ソロ活動することもまったく自由です。ただし、われわれのオーケストラの目指す方向、みんなの空気に合わない人は1日でクビになってしまうこともあります。たいていは3カ月一緒に演奏すればオーケストラ特有の空気というものに慣れ、すっかりオケの性格を把握した演奏ができるものですが、なかには合わない人も出てくる。
 逆に20年も演奏し続けている人もいるわけです。われわれは自由と金銭的な面は保証していますが、身分を保証しているわけではない。音楽が第一ですから。
――最近は声楽を用いた作品の録音が多く見られますが、今後もこのような方向を?
マリナー 私はかなり多くの録音を行ってきましたが、いつもそれがマンネリに陥らないように心を砕いています。いまは新しい分野を模索している時期で、結構大がかりな作品に興味が移っています。これからしばらくは、19世紀後半から20世紀初頭のオペラを振りたいと考えているんですよ。
――今秋にはウィーンでベートーヴェン・チクルスが予定されていますよね。
マリナー ええ、これも新しい面を入れていきたいと考えています。ベートーヴェン・チクルスは去年と今年の2回、スペインとメキシコで行ったんですが、それは交響曲が中心でした。ウィーンでは久しぶりに「ミサ・ソレムニス」を演奏したいと思っています。
――ピエール・モントゥーから指揮することを勧められたということですが、その時点ではもうヴァイオリンには未練はなかったんですか。
マリナー まったくありませんでした。最後に演奏したのはハイフェッツとピアティゴルスキーらとカルテットを組んだときで、こんなすばらしいメンバーとはもう演奏できないだろうと思い、すっぱり楽器をやめました。
――でも、ヴァイオリンを通じて多くの偉大な演奏家に出会えたわけですよね。
マリナー ええ、昔はオイストラフが自宅まできて、よく演奏してくれたものです。彼は偉大な音楽家でしたが、素顔は飾らない気のいいおじさんという感じでした。確かにヴァイオリンを弾いていたときはクレンペラー、クリップス、カラヤンらの偉大な指揮者のもとでも演奏しました。それが財産になっていることは事実です。
 実はロンドン交響楽団の首席奏者を務めていたころ、ずっとこのままオーケストラで弾いているだけでいいのだろうか、という疑問を抱いていた仲間が6人集まって室内楽を始めたんです。それがやがて15人になって、そこで弓で指揮をしながら弾いていたら、ある日モントゥーがそれを見て本格的に指揮をやってみないかと誘ってくれたんです。でも、私は指揮の勉強をまったくしたことがなかった。それでモントゥーが自分が開いているアメリカのセミナーに来いといってくれたわけです。ここでは正式に指揮を学びました。最初に振ったのはモーツァルトの交響曲第40番でしたよ。
 私のように指揮科を出ているわけではない人間は基礎から学ばなければならないから大変でしたが、ひとつ有利なことはオーケストラのメンバーをいかにしたら自分の音楽に向かせるかということを身をもって知っていたため、これが功を奏しました。
 オーケストラというのは新しい指揮者が来ると、この人はわれわれを利用しようとしているんじゃないか、一体どんな音楽観をもっているのか、威圧的なのかそれとも真に音楽的なのか、などとあれこれ考えます。そういうメンバーを早いうちに自分の音楽に引きつける、これが指揮の一番のコツですからね。

ブーイングの嵐にさらされたこともあるんですよ

――長い指揮活動の間には、いまでも印象に残っている失敗などもあると思いますが。
マリナー ハッハッハ、山ほどありますよ。そうですねえ、何から話しましょうか。あれはフランス国立管弦楽団を振ったときだったかな。モーツァルトが一番高い音を書いた声楽作品を演奏したとき、そんな高い音が出せる歌手いないというので、わざわざカナダの歌手を呼んだんです。そしたら彼女、リハーサルではのどを痛めるからといってその音を出さなかった。当日の最後のリハでも、今夜のためにとっておくといって歌わない。そして本番。ついに彼女は一番高い音を歌わなかったんです。
 私はブーイングの嵐にさらされましたよ。でも、こういうことはすぐに忘れるようにしているんです。大好きなテニスをしてね。イギリスの田舎の家にはテニスコートがあるんですが、そこで毎日ラケットを振っているんですよ。
 最近ではオペラを予定しているときにはソリストを2、3日自宅に呼んでともに食事をし、話をし、お互いのコミュニケーションを図るようにしています。それからリハーサルに入ると、とてもうまくいくからです。もちろんテニスも一緒にします。でもこれは、最後は私が勝たないといけない(爆笑)

今日の写真はそのときの雑誌の一部。マリナーは今秋の「NHK音楽祭」に出演し、カツァリス&N響と共演し、得意のモーツァルトとブラームスを演奏する。久しぶりに、エレガントかつ華麗な音楽を生み出す矍鑠たる指揮姿に会える。


| インタビュー・アーカイヴ | 15:31 | - | -
フレッシュブルーベリー
 毎日パソコンを使っていると、目の疲労に悩まされる。そんなときに、私がもっとも信頼しているのがブルーベリー。サプリメントも愛用しているが、やはりナマが一番。
 今日は国内産の野生のフレッシュブルーベリーを見つけたので、早速購入。これからいろいろとレシピを楽しもうと思っている。
 シンプルな食べかたは、ヨーグルトに混ぜたり、ジェラートのトッピングにしたり。でも、ちょっと手を加えると、おいしさ倍増。ポリフェノールもアントシアニン色素も食物繊維も豊富だから、ヘルシーな一品となる。
 まずは、ブルーベリージャム。
 ブルーベリー250グラムを鍋に入れて弱火で沸騰するまで煮たら、グラニュー糖(80グラムから100グラム 甘さは好みで、砂糖の種類も好きなものでOK)を加えてふつふつとごく弱火で煮、ていねいにアクをとる。ここにレモン汁半個分を加え、ブランデー、シェリー酒、ラム酒など好みのお酒を5グラムほど入れてできあがり。10分ほど煮込むとゆるいソースのようなジャムになるが、もっと煮込んでいくとねっとりした状態に。
 ブルーベリーシェイクもおいしい。
 ブルーベリー200グラムを冷凍し、同量のバニラアイスとレモン汁半個分を合わせ、ミキサーかフードプロセッサーにかける。これで2人分のシェイクができる。器に盛りつけたら、蜂蜜かピュアなメープル・シロップをたらり。
 さて、次はブルーベリーシャーベットに挑戦しようと思っている。
 赤ワイン、シナモンスティック、粉ゼラチン、砂糖を用意して、できたら冷凍庫で固まらせる。これもフードプロセッサーが大活躍しそう。
 今日の写真は完熟の野生のブルーベリー。これ、見ているだけで、なんだか眼精疲労が飛んでいきそう(笑)。



 
 
| 美味なるダイアリー | 22:56 | - | -
小澤征爾
 小澤征爾には何度も取材やインタビューを行っているが、いつもとんでもなく短い時間で、心臓バクバク、頭に血がのぼり、パニックに陥る。
 サイトウ・キネン・オーケストラの取材で松本に行ったときも、ヘネシー・オペラ・シリーズを行っていたときも、東京オペラシティオープニング・コンサートでバッハの「マタイ受難曲」を演奏したときも、それぞれ取材は大変だったが、もっとも短い時間だったのは、2008年に「東京のオペラの森」でチャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」を振ることになっていたとき。
 このときは雑誌がカラーページを8ページも用意していたが、インタビューができたのはオザワがリハーサルの合間に楽屋に戻る階段と廊下の間だけ。汗びっしょりの彼は足早に楽屋に向かうのだが、それをカメラマンと一緒に追いかける形となった。
「オザワさん、少しでもいいですから時間をとってください。今回のオペラに関して話していただかないと…」
「うんうん、わかってるよ。いまちょっと時間がなくてさあ」
「でも、またリハが始まってしまうと、いつお話を聞くことができるかわかりませんので」
「あんた、ぼくのことわかってるじゃない、まかせるよ。なんでも好きに書いてくれていいよ」
「そんなマエストロ、私はいままでチャイコフスキーに関して聞いたことはないんですけど」
「ああ、そうだっけ。チャイコフスキーねえ。ぼくは昔からロシア作品が大好きで、チャイコフスキーは自分の心に近いと感じる。作品の内奥に迫ることが自然にできるから」
「『エフゲニー・オネーギン』に関しては?」
「このオペラは美しい旋律が多くて、心に響くと思う。オペラは難しいとか、長すぎるなどと思わず、一度足を運んでほしいって書いといてくれる。じゃあね」
 ああ、マエストロ、もう部屋に入っちゃった。
 これでどうやって8ページ書くのか。ムムム。頭を抱えていると、隣にいたカメラマンはもっと真っ青になっていた。
「伊熊さん、こんな場所で2分くらいじゃ、まったく写真撮れませんよ。もう一度出てきたら、しっかりつかまえてください。壁のところでアップを撮らないと」
 そんなこといわれたって、ああ、編集のかたはどこに行ったんだろう。きっと私たちがマエストロとすさまじい追いかけっこをしているうちに、はぐれてしまったのかなあ。
 そんなこんなで、また待つこと延々。でも、似たような時間しかとれず、それらをコラージュのようにつなぎあわせて記事を作り込んだ。
 小澤征爾はとても早口である。そして、私も時間がないとどんどん加速し、マエストロに負けず劣らず早口になる。周囲の人には「まるでケンカをしているみたいだ」といわれる。オザワは私の質問が終わらないうちに話し出し、私は彼の語尾を待たずに質問を浴びせかける。
 こういう修羅場を繰り返していると、のんびり話してはいられない。でも、一度でいいから、椅子にゆっくりすわってインタビューをしてみたい。以前はそういうことも可能だったが、最近はまったく無理。
 いまはサイトウ・キネン・フェスティバルの真っ最中。マエストロの体調はどうなのだろうか。秒読みのスケジュールの合間に、大好きなおそばを食べに行く時間があるといいのだが…。
 今日の写真は、いろんな雑誌に掲載されたインタビュー記事の一部。ひとつひとつ頭を悩ませながら書いたことが思い出される。


 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 17:24 | - | -
フランク・ペーター・ツィンマーマン
 フランク・ペーター・ツィンマーマンは、同業者から憧れの目を向けられる人。よく若手ヴァイオリニストが「あんなヴァイオリニストになりたい」「あんな演奏ができたら最高」ということばを口にする。
 インタビュー・アーカイヴ第21回はそのツィンマーマンの登場。

[日経新聞 2007年4月25日号]

王道を歩むヴァイオリニスト、フランク・ペーター・ツィンマーマン

 ドイツ出身のヴァイオリニスト、フランク・ペーター・ツィンマーマン(1965年生まれ)が4月に来日し、ダニエル・ハーディング指揮ロンドン交響楽団との共演でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ニ長調を演奏した。使用楽器は、かつてクライスラーが所有していたといわれる1711年製のストラディヴァリウス。その名器を自由に歌わせ、優雅で繊細でロマンあふれるベートーヴェンを紡ぎ出し、喝采を浴びた。

ロマン的表現に回帰

「このコンチェルトは1981年に初めて演奏し、もう200回以上弾いています。でも、毎回新鮮な気持ちで向かい合うことができ、決して飽きることがありません。最初はロマンチックに弾くことを優先し、やがて急進的な演奏に変化し、現在は昔に戻ってロマン的な要素を重視するようになりました。
 最近楽譜も買い替え、真新しい譜面に注意事項を書き込んで、一から勉強し直しています。カデンツァも、クライスラーの書き残したものを使っているんですよ。この楽器に一番合うと判断したからです」
 父はチェリスト、母はヴァイオリニストという恵まれた環境で育ち、5歳でヴァイオリンを始めた。10歳でオーケストラと初共演、14歳のときにはルツェルン音楽祭に出演して大成功を収め、「天才少年出現!」と騒がれた。以後、アンネ=ゾフィー・ムターとともにドイツの伝統的な奏法を受け継ぐ存在として、国際的に幅広い活躍をしている。

前の時代に生まれたかった

「音楽家の両親が練習を強制しなかったためか、私は音楽を楽しみながら学ぶことができました。16歳までは1日2時間しか練習しませんでした。みんな親がつきっきりで必死にさらっているのに、少なすぎますよね。そのせいか練習嫌いにならず、いまでも練習は大好きなんです」とほほ笑む。
 ただし、苦手なこともある。
「現在は自分を売り込んだり、派手なパフォーマンスを要求される時代ですが、私は地味に着実に進むほうを好みます。本当はもっと前の時代に生まれたかったんですけどね」

バッハは高い頂

 子どものころからハイフェッツ、オイストラフ、グリュミオーの録音に心奪われ、メニューインやミルシテインに教えを受け、こうした巨匠たちの音楽に少しでも近づきたいと願ってきた。ルービンシュタインやリヒテルのピアノにもよく耳を傾け、彼らの姿勢からも多くを学んでいる。
「私が好きな音楽家は、みんな焦らずゆっくりと演奏を成熟させている。その生きかたにたまらなく惹かれます。私はバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ全6曲をいずれ演奏したいと考えていますが、このエベレストのような高い頂は時間をかけて少しずつ登っていきたい。
 ベートーヴェンの作品も生涯ずっと弾いていきたいと思っています。やはりドイツ作品は、レパートリーの基礎として大切にしたいですから」
 11月には再び来日し、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」を演奏し、NHK交響楽団とはベルクのヴァイオリン協奏曲で共演する。ツィンマーマンの往年の名手を思い起こさせる馥郁たる香りに満ちた演奏は、自然で温かく、いつまでも心に残る。
「偉大な作品に余分な手は加えたくない」と語る彼の正攻法の奏法が、心にまっすぐに響いてくるからだろう。

 今日の写真はそのインタビュー時の写真。ねっ、演奏と同様、素顔もほんわかあったかい感じでしょ。

| インタビュー・アーカイヴ | 21:43 | - | -
FM番組の収録
 今日は先日も書いた、「NHK音楽祭」の前に放送されるFMの「サンデークラシックワイド」の収録のためにNHKのスタジオに行った。
 番組は4時間(8月28日 14時〜18時)という長い放送枠で、ほとんど演奏が流されるわけだが、その合間にアナウンサーの女性の質問を受けて、私がアーティストについていろんなことを話すという形である。
 プロデューサーと話し合いを行いながら、ひとりずつのピアニストについて進めていく。美しい声ときれいな発音のアナウンサーと比べると、どうも私はもごもごと話しているような感じを受ける。それに途中でつっかえそうになるし…。
 これでも、中学時代は学校放送のアナウンスをしていたことがあったのに、原稿がなくて自由に話すのはなかなか難しいものだ。
 それでも、なんとか13時から20時半近くまで収録を続け、無事に終了となった。ウーン、決められた短い時間でひとりずつのピアニストについて内容の濃いことを話そうと思うと、うまくいかないものだ。
 原稿でも、長いものよりも短いコメントのようなもののほうが端的に表現しなくてはいけないから難しいが、話も同じですね。
 さて、28日はどうなるでしょう…。
 まあ、話よりも音楽を聴いて、ひとりでも多くの人がコンサートに足を運んでくれればいいのだけれど…。 
 
| 日々つづれ織り | 22:38 | - | -
真夏の花火
 数日間、夏休みをとって高原の仕事部屋に行き、ふだんなかなか時間がなくて読めない本や資料にゆっくり目を通し、DVDもじっくり見た。
 じっとしていても汗が流れ落ちる東京からこの部屋にくると、エアコンのいらない生活に、からだが深呼吸をしている気分になる。
 仕事部屋とは名ばかりで、ついついフローリングに寝転んでシエスタ気分。山の幸や海の幸がふんだんに使われたお料理もいただくことができ、本当に久しぶりに心身が休息のときを味わった。
 夏祭りも素朴ながらにぎやかに開催され、一番の見どころである花火に我を忘れて「タッマヤーッ!」と叫んでいたら、遠くのほうで子どもたちも同じく叫び声を上げていた。いいねえ、この声のアンサンブル(笑)。
 花火に地ピールにエダマメに涼風。これだけでもうすっかり元気。なんといっても1時間に500発の花火が打ち上げられるのだから、すごい。すぐ近くの山で打ち上げられるため、音もものすごい。地響きのようだ。
 今日の写真はその華麗なる花火。たくさん撮ったけど、光と音の時間差があって、瞬間を撮る難しさを改めて知った。
 さて、明日からまた激務の日々が待っている。高原のエネルギーをもらったのだから、頑張らなくちゃね。


 
| 日々つづれ織り | 21:19 | - | -
岡本知高
 岡本知高は、率直な人である。いつも話を聞くたびに、とても正直に心の内を語ってくれる。
 そんな彼が、神奈川県民ホールの「年末年越しスペシャル ファンタスティック・ガラコンサート2011」の「カンターレ・イタリア!  永遠のオペラ&バレエ」と題したコンサート(12月29日 15時30分開演)に出演することになった。
 これに先立ち、「神奈川芸術プレス」(9月号)のインタビューを行うことになり、久しぶりに岡本知高に会った。
 彼は小学校時代からずっと声が高かったこと、自然な声変わりで、ほとんど変声期らしいものを意識しなかったこと、子ども時代に病気で長期間入院したときのこと、最初はサックスを吹いていたが、やがてオペラに目覚め、ついに留学を決意したときのこと、女性の先生たちとのレッスンから近い将来の夢まで、忌憚なく話してくれた。
 岡本知高は男性でありながら、女声の音域を持つ「ソプラニスタ」と呼ばれる。話し声も結構高く、その声は本当に自然体。プロの歌手としてデビューしてから、ある朝目覚めたら急にバリトンに変わっていたら大変なので、医師に診てもらったという。
「そしたら、ちゃんと成人の声帯として成長しているので大丈夫といわれたんですよ。これを聞いて、本当にホッとしました(笑)」
 以後、オペラ、ミュージカル、日本の歌など幅広く歌い、特有の世界を作り出している。
 しかし、ここで悩みがひとつ。自分の声で歌う新しい曲ができたらと、作曲家に新曲を書いてほしいと依頼するのだが、彼のような声は世界的に見てもとても珍しいため、今後だれかが歌うことは期待できないため、作曲家は意欲を示さないのだそうだ。
 でも、カウンターテノールやメゾソプラノが歌う可能性もあるのだから、ぜひどなたか新曲を書いてほしい。岡本知高の声はそれだけ貴重なのだから。
 彼はとても優しい性格。それが証拠に、ベランダ菜園の雑草がかわいそうで抜くことができないのだという。
「生命の神秘を感じて、雑草といえどもないがしろにできない。この前、忘れていたころにトマトがひとつなったんですよ。もううれしくてね。でも、これもかわいそうで食べられない(笑)」
 年末歌う曲は、ヴェルディの「神よ、平和を与えたまえ〜運命の力」、F.サルトーリの「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」、A.L=ウェバーの「メモリー〜キャッツ」。
 最後に夢を聞いたら、プッチーニの「トゥーランドット」のトゥーランドット姫のアリアに挑戦したいとのこと。ブラヴォー! ぜひ、聴いてみたい。
 今日の写真はインタビューのときの温かな表情。175センチ、120キロの堂々たる体躯の持ち主だから、トゥーランドット姫を華麗な衣裳をつけて歌ったら、迫力あるだろうなあ(笑)。

| 情報・特急便 | 20:45 | - | -
アルハンブラバス
 最近は、すっかりペーパードライバーになってしまった私。もともと車庫入れは苦手、縦列駐車もダメ。スピード狂だからしょっちゅうつかまっていて、以前会社のクルマを運転していたときは、社長が警察まで呼ばれたものだ。
 いまは我が家の駐車場はガーデニングの場となり、四季の花々が咲いている。
 自分が運転をしなくなると、運転のうまい人がやたらにうらやましくなる。といっても、海外の話。
 この冬、スペインのグラナダで乗った小型バスのドライバーは、それは見事な運転ぷりだった。グラナダは狭い道路が入り組んでいて、アルハンブラ宮殿の周辺やアルバイシン地区にはアルハンブラバスと呼ばれる小型バスがひんぱんに走っている。このバスは迷路のようなところを猛スピードで飛ばしていくのだが、決してどこにもぶつからない。本当に狭い道では通行人が壁に張り付いてパスをよけたり、さっとあいているところに隠れたりするのだが、それをちゃんと見越してすばらしいハンドルさばきでぐんぐん走っていく。
 何度かいろんな路線に乗ったのだが、それぞれのドライバーの陽気なこと。あるところで犬の散歩をしている年配の男性がいると、運転席の窓を開けて「やあ、元気。ワンコロも元気してる?」などと話しかけ、カフェの入り口に向かって「今夜、何時までやってるんだい?」と叫ぶ。
 かと思うと、乗客のチケット(先払いのカード)を刻印しながら同時におつりを出したり、紙幣を数えたり、団体客の人数をカウントしたり。この間、走りを止めることなく、スピードを出して運転続行中。なんという器用さ。
 アルバイシン地区の夜景が美しいサクロモンテの丘にさしかかると、道はなおいっそう狭くなり、夜景を見るためにバスは満員。立っている人も多いのだが、みんなが「キャーっ」と叫び声を上げるほど右に左にぐらぐら車体を揺らして坂道をのぼり、名人芸を発揮する。
 この間、ドライバーは鼻歌を歌い、またまた知り合いを見かけて「今日も満員でさー」などと声をかけている。いや、すばらしいラテン気質。
 以前、ベネツィアのゴンドリエーレはきびしい試験があり、運河の迷路をあの長いゴンドラを自由自在に動かしていかないとパスしないと聞いたが、アルハンブラバスのドライバーもきっと試験があるんだろうな。女性のドライバーもいて、彼女も降りるときに「また乗ってねー」と明るく声をかけてくれた。
 私は一度にひとつのことしかできないから、運転となったらそれだけに集中。とても歌なんか歌えないし、あの狭い道はあちこちにぶつけそう。まあ、一度で試験に落ちるだろうな(笑)。
 今日の写真はそのアルハンブラバス。向こうからやってくると、すごくかわいいんだよね、これが。


 
 
| 麗しき旅の記憶 | 22:36 | - | -
コンスタンチン・リフシッツ
 いまや21世紀を代表する真の実力派ピアニストとして確固たる地位を獲得しているウクライナ出身(1976年生まれ)のピアニスト、コンスタンチン・リフシッツ。彼は13歳で正式にデビューし、以後驚異的な記憶力により数々の作品をマスター。幼いころから「神童」「天才少年」と呼ばれ、世界各地で活発な演奏活動を展開。その後「若き巨匠」への道をじっくりと歩み、現在はベルリンに居を構え、樫本大進とのデュオでも高い評価を得ている。
「インタビュー・アーカイヴ」第20回はそのリフシッツの登場。現在はヒゲを蓄えた堂々たる自信に満ちた大人の男性というイメージだが、当時はまだシャイで初々しい少年のような表情が印象的だった。

[レコパル 1995年6月号]

自分を天才とか神童などと思ったことはありません

 ロシアからはときどき思いもかけない天才音楽家が現れることがある。そのだれもがスケールが大きく途方もない才能の持ち主で、決して小さくまとまった芸術家ではない。ロシアという国が生み出すこれらの芸術家は、われわれ日本人からは想像もできないような強靭なエネルギーを秘めているような気がする。
 それが証拠にロシア・ピアニズムの歴史をたどってみると、そこからは偉大なピアニストの名前がたくさん出てくる。チャイコフスキーと同時代に活躍したアントンとニコライのルビンシテイン兄弟、ヨゼフとロジーナのレヴィン夫妻、そして最近CDが日本でも手に入るようになったマリア・ユーディナやウラディーミル・ソフロニツキーなど。これらのピアニストが次世代を育て、現代のピアニストがその系譜に名を連ねようと頑張っているわけだ。
 リフシッツに会ったとき、このロシア・ピアニズムが話題にのぼった。彼は極端に口数が少ないのだが、ロシア・ピアニズムに関してだけは雄弁だった。
「ぼくは小さいころからロシア・ピアニズムの流れというものを強く意識しています。これはカンタービレ(歌うような弾きかた)とダイナミズムを重視する奏法ですが、ロシアが長い間育んできた偉大な財産だと思っています。
 特に尊敬しているのはラフマニノフとアントン・ルビンシテインで、録音をよく聴くのはシュナーベルとソフロニツキーです。ソフロニツキーをCDで聴くことができるようになったのはごく最近のことですが、生き生きとした明るい表現に心惹かれます」
 リフシッツは5歳からピアノを始め、モスクワのグネーシン音楽学校でゼリクマン教授のクラスに入ってめきめきと頭角を現した。8歳でオーケストラとJ.S.バッハの協奏曲で共演し、12歳でショスタコーヴィチの協奏曲を弾き、13歳で正式なデビューを果たしてセンセーションを巻き起こした。
 以後、ヨーロッパでの評価はうなぎのぼり。だが、素顔の彼は周囲の騒ぎはどこ吹く風、涼しい顔で淡々と語る。
「よくグールドのバッハをどう思うかとか、キーシンの演奏をどう感じるかと聞かれますが、答えようがありません。ぼくはバッハが大好きだから弾いているだけ。同じ神童としてキーシンはどうかといわれてもコメントすることばが見つかりません。
 第一、自分のことを天才とか神童などと思ったことはありませんし、日々の努力でようやくここまできたと思っていますから」
 リフシッツの笑顔はとてもかわいい。目全体が笑いに満ちた感じになる。しかし、音楽に関する話ではその目が一気に大人びて真剣な光を帯びる。
 バッハが好きで、バッハのない世界は考えられないそうだが、その思いが5歳ですでに芽生えていたというから驚きだ。
 彼は「ゴルトベルク変奏曲」もごく幼いころから勉強していた。ゼリクマン女史はあまりにもバッハを弾きたがるので、最初ちょっと勉強させて少し寝かせ、しばらくしてまたレッスンに使ったという。彼女はリフシッツの気持ちをバッハに向かわせるのに、ゆっくりと時間をかけた。
「ぼくがこの年で《ゴルトベルク変奏曲》(コロムビア)を録音したことに対し、人々はあれこれ質問を投げかけます。バッハの他の曲を演奏してからでも遅くないのではないか、なぜいまこの曲なのかとか。ぼくにとってはごく自然なことなのに、こんなにいろいろいわれるとは思いませんでした。それだけこの曲が大曲だからでしょうけど。ぼくがこの曲を選んだのではなく、《ゴルトベルク変奏曲》のほうから歩み寄ってきてくれたのだという感じがしているんですけどね」
 いいかたはとても控え目だが、このひとことにはリフシッツの計り知れない自信が隠されている。彼の「ゴルトベルク変奏曲」は、まるでマラソンの勝利者のように威厳に満ちているが、表面的には淡々と走りを続けているように見える。その走りはゴールまで確かな計算がなされていて、緻密で浮ついたところがない。計算というのは音楽を大きくつかんでいるということで、各々の走りがひとつの意味を持っている。
 1音1音に込められた深い意味、変奏ごとに異なる微妙な色合い…それはリフシッツのバッハに対する深い愛情の現れであり、リフシッツの声である。
 彼はバッハで語り、豊かに歌っている。これは無口な彼の心からの歌だ。ロシア・ピアニズムの原点は、ピアノを豊かに歌わせること。いま、リフシッツは偉大な奏法の真の継承者になろうとしている。

 今日の写真はその雑誌の一部。樫本大進は、いま日本でリフシッツとベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタのシリーズを数年間に渡って行っているが、彼らのリハーサルはリフシッツの自宅に大進が泊まり、そこで行われている。
 大進は音合わせはもちろん楽しみだが、もうひとつ大きな楽しみがあると語る。それは朝ベッドのなかでうとうとしていると、隣の部屋からリフシッツが弾くバッハの音楽が聴こえてくるのだそうだ。それを聴きながら目覚める幸せ。「こんな喜びがあるでしょうか。コンスタンチンのバッハで目を覚ます。夢うつつの世界から実際は現実に戻るのですが、実はこれがまた夢の世界へと引き込んでくれる。すぐに目覚めるのはもったいなくて、なかなかベッドから出られないんですよ(笑)」

 


| インタビュー・アーカイヴ | 12:53 | - | -
アルンシュタットのお土産
 2009年1月上旬から中旬にかけて、J.S.バッハゆかりの地をいくつか訪れた。折しもヨーロッパは100年ぶりの寒波到来で、連日冷凍庫のような寒さ。日中でも零下14度ほど。もっとも気温が下がったのはエアフルトの夜半。零下28度というこれまで体験したことのない極寒で、心身が凍った。
 このときに取材で旅した地は、まずアイゼナハ、次いでヴェヒマール、アルンシュタット、エアフルト、ワイマール、ケーテン、そしてライプツィヒ。初めて旧東ドイツを訪れたのは統合前の1986年だったが、当時とくらべるといずれの地も様相が一変。建物から町の様子、人々の表情まで、すべてが大きな変貌を遂げていた。
 特に印象深かったのは、22年半ぶりに再訪したアイゼナハ。フラウエン広場にあるバッハ・ハウスの充実は目を見張るものがあり、ありとあらゆる資料がそろっていた。
 周囲の家々も様変わり。なんという変わりようだろう。私はとまどい、どこかにあの時代の面影を見出そうとしたが、無駄だった。アイゼナハは新しい都市のように異なった表情を見せ、暗さや恐ろしさは微塵も感じることがなかった。
 ただ、バッハの音楽は変わらぬ姿でそこに存在していた。バッハ・ハウスで聴いた永遠不滅の音楽――その事実に直面し、自分のなかに流れた月日だけを深く感じ入ることになった。
 ここは自己の内面との対話を促し、バッハの偉大さを再確認させてくれる町。ここから大きな町へと飛翔していったバッハにひとり思いを馳せた。
 各地でそれぞれ現地の音楽家による室内楽の演奏を聴いたり、バッハゆかりの教会でオルガンの響きに胸打たれたりしたが、なにしろ教会は足元から深々と冷えてくる。
 東京から取材にきたということで、各地のオルガニストはここぞとばかり腕を奮ってバッハの作品を弾いてくれるのだが、こちらは長時間堅い椅子にすわってブルブル震えっぱなし。演奏後はこれまたていねいにオルガンの横に連れて行ってくれ、構造や奏法を説明してくれるのだが、ここでもガタガタ、歯の根が合わない。トイレにも行きたくなるが、ひたすらがまん。そのうちに私の頭のなかでは、「バッハ=凍りそう」という図式ができあがった。
 このバッハの取材はひたすら外を歩くことが多く、内部に入るのは教会やお城。唯一、暖を取るのはカフェに入ったり、食事をするときだけ。
 そのなかで、うれしいことがあった。
 アルンシュタットでランチをいただいたときのこと。案内してくれた観光局の女性に「はい、あなたの席はここね」といわれて座ると、目の前に大人の掌サイズほどのバッハ像がこちらを向いている。あとの席にはなく、お花が活けられているだけ。
「すみません、このバッハの置物、どこかに売っていますか。すごく素敵なので帰りに買っていきたいんですけど」
 私のことばを聞いたその女性は、「ちょっと待っててね」といって奥に消えた。前菜が運ばれてくるころに彼女は戻ってきて、こう耳打ちした。
「これは売り物ではないの。このお店の飾り物。だけど、あなたが気に入ったと話したら、オーナーが特別にプレゼントしてくれるんですって。でも、ひとつしかないから、そっとね。食事が終わって席を立つときに、お店の人がさりげなくナプキンに包んで渡すから、ほかの人には見せないようにすぐにバックに入れてほしいんですって」
 ウワーッ、どうしよう。以前、ヴェローナでも似たようなことがありブログにも書いたが、私ってよほど物欲しげな顔をしているか、欲張りな表情に見えるのだろうか。
 というわけで、食事中もなんだか気もそぞろ。目の前のバッハがじっと私を見ている。何を食べたのかまったくわからなかった。なんて、小心な…。だって、一緒に行った人たちに秘密を持つのってイヤだものね。
 でも、結局はナプキンに包まれたバッハが私のハンドバックに滑り込んできて、一件落着。お店のオーナーまでお見送りに出てきて、ウインク。まいりましたね。大声でお礼をいいたくてもいえないし。
 今日の写真はそのバッハの置物。なかなか渋い顔をしているでしょ。これを見るたびに、私のからだはいろんな意味で凍りつきます(笑)。

| 麗しき旅の記憶 | 22:36 | - | -
ピアノ三昧の幸福な日
 昨日は、13時半からサントリーホールで清水和音のデビュー30周年記念公演の「ラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲」演奏会があり、それを聴きに行った。高関健指揮東京交響楽団との共演で、ピアノ協奏曲第1番、第2番、第4番、パガニーニの主題による狂詩曲、ピアノ協奏曲第3番が演奏され、清水和音特有の繊細さとこまやかさを前面に表した美しいラフマニノフを聴くことができた。
 彼は決して鍵盤をたたかず、力まかせのラフマニノフで勝負しようとはしない。あくまでも自身の特質を生かしたピアニズムに終始し、ロシア人の演奏する演奏とはまた異なった味わいを醸し出す、こだわりのラフマニノフを披露した。
 清水は以前インタビュー記事のところでも書いたが、今回は演奏される機会の少ないピアノ協奏曲第4番に特に注目してほしいと語っていた。
 その第4番は、ラフマニノフがニューヨークに居を移してから作曲された円熟期の作品。若いころとはまったく異なる作風を持ち、ピアノとオーケストラとの対話が見事な一体感を見せる。それを清水和音は指揮者とオーケストラとの音のコミュニケーションを重視し、生き生きと表現した。
 休憩時間に金子三勇士に会ったため、「すばらしい演奏じゃない」といったところ、東京音大で清水和音に師事している彼は、「すごいですよねえ。ここしばらくぼくはレッスンがなかったんですが、電話で何度か先生とお話したんです。そのときに、大変だけど頑張って練習しているゾーっていっていました(笑)」。金子三勇士は師匠の演奏に感動したためか、いつもよりも興奮気味だった。いい演奏は、やはり人の心を高揚させるものなのだ。
 この公演評は、「東京新聞」に掲載されることになっている。
 その後、河村尚子の「NHK音楽祭2011 関連イベント トップアーティストからのメッセージ」(18時開演 上野学園石橋メモリアルホール)を聴くために急いで会場に向かった。
 彼女がリハーサルをしている最中にようやく到着し、ここから私もマイクテストなどに加わった。このコンサートは先日書いたNHK−FM「サンデークラシックワイド」の番組で放送され、私は後半の河村尚子の対談相手を務めることになっていた。
 彼女はシューマンやバッハやベートーヴェンを演奏し、トークもこなし、2時間にわたってさまざまな魅力を存分に発揮した。
 1日たったいまでも、シューマンの「フモレスケ」の美しい演奏が頭のなかで繰り返し響いている。
 昨日はふたりのピアニストの長年積み重ねてきた成果を存分に聴き取ることができ、ピアノ好きの私はとても幸せな時間を過ごすことができた。
 今日の写真はFM放送のトークのときにテーブルを彩っていたお花を、帰りにおすそわけしてもらったもの。蘭もバラもカーネーションもすごく大きく、ゴージャス。花があると食卓が華やかになり、食事もおいしさを増す。なんだか、色とりどりの花々から色彩感あふれるピアノの響きが聴こえてきそう…。

| クラシックを愛す | 14:05 | - | -
NHK音楽祭
 今日は、10月から11月にかけて開催される「NHK音楽祭2011 華麗なるピアニストたちの競演」の前に放送される、FM番組「サンデークラシックワイド」の収録の打ち合わせにNHKに行った。
 今年の音楽祭の出演者はすばらしい顔ぶれで、ソリストはボリス・ベレゾフスキー、シプリアン・カツァリス、河村尚子、エフゲニー・キーシン、ダン・タイ・ソン。
 共演者もアントニオ・パッパーノ指揮ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団、ネヴィル・マリナー指揮NHK交響楽団、マレク・ヤノフスキ指揮ベルリン放送交響楽団、ウラディーミル・アシュケナージ指揮シドニー交響楽団、パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団というゴージャスな布陣だ。
 これに先立ち、FM放送でピアニストの演奏とキャラクターを紹介することになり、彼らについて話すことになったという次第だ。
 放送は8月28日(日)の午後2時から6時までの4時間。かなり長時間にわたる番組である。ただし、そのほとんどは演奏が流され、その合間に話がはさまれることになる。
 ソリスト5人はみなデビュー当初からずっと取材を続け、演奏を聴き続けてきた人ばかり。昔の話や演奏がどう変化してきたか、知られざる素顔やおもしろいエピソードなどを紹介していきたいと思う。
 担当のディレクターは自称「ピアノ・オタク」だそうで、それはそれはピアノに詳しい。私の記事も以前から読んでくださっているそうだが、私の知らない話も多く、やはりオタクには負けます(笑)。
 とはいえ、これは長時間番組で、リスナーにはピアノの好きな人が多いだろうから、私も頑張らなくちゃ。なんでも、収録は放送の倍くらいの時間を要するとか。体力、気力も充実させておかないといけないな。集中力が途切れないようにしないといけないし…。
 でも、本当に今回はわくわくするようなピアニストが組まれているから、そのすばらしさを自然に語るだけでいいのかもしれない。
 さて、番組収録までにもっともっと勉強しておかなくちゃ。
 
| 日々つづれ織り | 22:34 | - | -
河村尚子
 ドイツ在住のピアニスト、河村尚子の取材は長年続けている。デビュー当初からすばらしい才能だと感じ、エールを送り続けてきた。
 そんな彼女が2009年3月にデビューCD「夜想〜ショパンの世界」(RCA Red Seal)をりりースしたときには、ライナーを書くことになり、このアルバムは私にとっても記念すべきものとなった。
 オール・ショパンで組み立てられたCDは、彼女がもっとも得意とする作品が凝縮したもので、聴きごたえのあるものとなっている。事実、このディスクはありとあらゆるところで高い評価を得、「河村尚子」の名を人々に強く印象づけることに大きな役割を果たした。
 そしてついに、9月21日に第2弾が登場する(ソニー)。シューマンの「フモレスケ」、ショパンのピアノ・ソナタ第3番、シューマン=リストの「献呈」という考え抜かれた選曲である。
 今日は久しぶりに帰国した彼女にインタビューをし、作品についてじっくりと話を聞いた。このインタビューは「intoxicate」の次号に掲載されることになっている。
 河村尚子は、つい先ごろ敬愛する恩師、ウラディーミル・クライネフを亡くしている。この先生にまつわる話はこれまでたくさん聞いてきたが、本当に相性がよく、多くのことを得たという。
「ヘビースモーカーだったんです。ここ数年はもうタバコは吸っていませんでしたが、本当に残念です。いい思い出をたくさんいただきました。いまも、これからも、ずっと先生の教えは心の奥に存在し続けると思います」
 この第2弾の録音も、ぜひ聴いてほしかったと真摯な表情を見せた。
 なぜなら、ショパンはクライネフ先生から初めてレッスンを受けた作品であり、シューマンは「これはきみの曲だね」といってくれた作品だったから。
 彼女は5月下旬にサンクトペテルブルク・フィル・デビューを果たした。そして最近は各地の音楽祭にも招かれ、10月には日本でリサイタル・ツアーが行われる。
 以前、河村尚子のリサイタルのときに、近くで聴いていた海外のピアニストが、「すごい才能だ」とため息をもらしていたことを覚えている。同業者をもうならせる、日本の若きホープ。高い頂を目指して一気に階段を駆け上がっていく姿は、たのもしい限り。なでしこジャパンもそうだけど、日本女性は本当にたくましく、元気で、勇気を与えてくれる。
 今日の写真は、インタビュー時の河村尚子のにこやかな笑顔。このヒサコ・スマイルを見ただけで、なんだか気持ちが温かくなるよね。

| 親しき友との語らい | 22:29 | - | -
ミハイル・ヴォスクレセンスキー
 ウクライナ出身のピアニスト、ミハイル・ヴォスクレセンスキーは、モスクワ音楽院でショパン・コンクール第1回の優勝者、レフ・オボーリンに師事した。
 彼はオボーリンのレッスンをいまでも鮮明に記憶しているという。
「彼はこまかいことをいう先生ではありませんでした。音楽家としての方向性を示してくれるという教えで、それが私の性格に非常に合ったのです」
 こういうレッスンは合わない生徒もいたようで、もっと基本的なことを習いたい人には向かなかったようだ。ただし、ヴォスクレセンスキーのような、すでに基礎を充分に習得している生徒にはとても有益で、いまや自身がモスクワ音楽院で教える立場になったときにも、その教えは生かされているという。
 オボーリンはショパンを得意としたことで知られるが、実はベートーヴェンのピアノ・ソナタも大切なレパートリーとし、全曲演奏をしたいと願っていた。だが、病気に倒れ、それがかなわなかった。
「ですから、私は恩師の代わりにぜひベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏を成し遂げたかったのです」
 ヴォスクレセンスキーは勉強を重ね、のちにこの偉業を達成し、高い評価を得た。彼はこのほかにも、スクリャービンのソナタ全曲演奏、ショパンの全作品演奏も成し遂げている。全曲を演奏することにより、その作曲家の全体像が俯瞰でき、作曲家の魂に近づけるのだそうだ。
 このインタビューは今月発売の「ムジカノーヴァ」で掲載される予定だ。
 ヴォスクレセンスキーは、とても誠実で温かい人柄。1995年から始まったスクリャービン・コンクールの審査委員長をずっと務めているが、つい先ごろチャイコフスキー・コンクールのピアノ部門の審査員も務めた。
「コンクールは参加者も大変ですが、審査員もまた大変です。新たな才能を見出すのは大いなる喜びですが、一度落ちたからといって、自暴自棄になる必要はありません。私のモットーは、『人の心から発生した音楽は、人の心に届く』。あせらず、じっくりと、人の心に届く音楽を奏でられるように自分を磨いていけばいいのです」
 このインタビューのときは風邪気味だそうで、「声が聞き取りにくいでしょう」とこちらを気遣ってくれたが、それでも一生懸命話をしてくれた。こういう先生に師事したピアニストは幸せだ。彼のレッスンはモスクワ音楽院でも桐朋学園でも根強い人気を誇るが、教えるだけでなく、積極的にステージにも立っている。
 12月7日には東京文化会館小ホールで、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番、第31番、第32番というプログラムでリサイタルを行う。インタビューでは、ベートーヴェンについて多くを語ってくれた。それを実際の音楽として聴くことができる。まだ先のことだが、リサイタルが待ち遠しい。
 今日の写真はインタビュー時のもの。「どれ、どんなふうに写っているのかな」と写真を何度も見て、チェックした。
「おでこが光りすぎていないかい?」
「顔色、悪いかなあ」
「ちょっと疲れているように見えない?」
 どんなことにも手を抜かない、熱心な姿勢がそこでも感じられた。

| 情報・特急便 | 22:28 | - | -
辻井伸行
 辻井伸行は、いつも話を聞くたびに「夢」を語ってくれる。
 今日は、「日経新聞」の今月下旬号のインタビューでいろいろと話を聞いたのだが、からだを乗り出して今後の「目標」や「夢」を話してくれた。
「ぼくはいつも夢をたくさん持っています。それらを実現するためにゆっくり時間をかけて勉強し、少しでも夢に近づきたいと思っています。いま考えているのは、もっと作曲の勉強をしたいということです。そして将来は、ピアノ・ソナタやピアノ協奏曲を書いてみたいんです」
 彼はこの話題になると、からだ全体で夢を表現するように、両手を頭上に掲げ、大きな夢に向かって飛翔していくような様子を見せた。
 今回は、リリースされたばがりの「神様のカルテ〜辻井伸行自作集」(エイベックス)についての話がメインだったが、彼はここに収録されている作品ひとつずつについて、作曲した時期、そのときの気持ち、どんな場所で作ったか、何に苦労したか、それらの思い出についてなど、雄弁に語った。
 辻井伸行はオフレコの話もおもしろい。
 以前、ショパンの取材でパリに立ち寄ったとき、ショパンの関係者である貴族の末裔の家にランチに招かれたそうだ。ところが、フランス料理ならではのソースを味わうためのパンがいくら待っても出てこなかったのだそうだ。
「このご夫妻はかなり年配で、ご本人たちはダイエットをしていたのか、あまり召しあがらない。でも、ぼくはいつかパンが出てくるものと思って、ずっとお皿のソースを残して待っていたのに、ついにパンは出てこなくて、お皿が下げられてしまいました。本当に残念でした。ふつう、パンって出てきますよねえ」
 このときの辻井伸行は、本当に不服そうな顔をしていた。余程そのソースを味わいたかったのだろう。いまでもその表情はよく覚えている。
 そして今回は、「ビール難民」になった話。
「アメリカ・ツアーでは地方の本当に小さな町に行って演奏したんですが、ある町でコンサートが終了したとき、もうレストランが開いていなくて、タクシーであちこち回って探したんですが、ビールの飲めるところが1件もなかったんです。何件も探してもらったんですが、まったくなし。ビール難民になってしまいました。最後は、仕方なくガソリンスタンドでようやくビールとおつまみを買って、それをホテルで食べたんですよ」
 コンサート終了後で、さぞのどがかわいていたことだろう。それなのに、なんと気の毒なことか。ただし、本人はケラケラと笑いながら話していた。
 彼はいつも前向きで、ちょっとやそっとのことでは動じない。こうしたアクシデントもなんのその、かろやかに乗り越えていき、あとで笑い話として話してくれる。だからだろうか、聞いている私はいつも大笑いしてしまう。
 自作集にはこれまで書きためてきたさまざまな曲が含まれ、最近の映画「神様のカルテ」のテーマ曲や、3月11日の震災で亡くなられたかたがたへの追悼と悲しみから立ちあがろうとする人に寄り添い、支えることができるようにと書かれた曲など、さまざまな曲が収録されている。
 そして最後に辻井伸行はもうひとつ胸の奥に抱いている「夢」を明かしてくれた。それは今回の自作集でもビートたけしに捧げられた「音の絵」が含まれているが、「いつの日かたけしさんの映画のテーマ曲が書けるようになりたい。そのために一生懸命勉強します」とのこと。ウーン、すばらしい夢。実現するといいですね。
 今日の写真はそんな「夢」をひたむきに語っている表情。ピュアでキュートで胸にググッとくるでしょう。 

| 親しき友との語らい | 21:44 | - | -
ホセ・カレーラス
 インタビュー・アーカイヴ第19回は、ホセ・カレーラスの登場。彼には各地で開催された「3大テノール」のコンサート終了後など、何回かインタビューをしたことがあるが、いつも真摯に、ていねいに、誠心誠意答えてくれるため、そのつど感激してしまう。
 この記事は、カレーラスの「メリー・クリスマス」のCDを紹介したときのもの。それに加えて、彼の人となりを紹介した。

[The CD Club 2002年12月]

 
完璧主義者の美声
カレーラスが歌うクリスマス

どんなときでも全力投球で臨む生きかたが歌声に映る

 歌手にはさまざまなタイプがある。情熱的で明るい歌声を持ち、その声を聴いただけで心に光が宿るような思いを抱かせてくれる人、豊かな声量と抜群のテクニックに、「これは神から授かった天性の素質だ」と思わせる人、歌詞を大切にしながら切々と語りかけるように歌う人、演技力や表現力がすばらしく、役者のような雰囲気をただよわせている人、声は最良の楽器だということを存分に知らしめてくれる人など…。
 ホセ・カレーラスはこのいずれのタイプにも属するようで、実はどれにも当てはまらない希有な存在だ。彼はとても人間くさく、生きかたそのものを歌に反映させるタイプである。そして「努力の人」でもある。もちろん神から与えられた天性の声を持っているが、それだけに頼ってはいない。
 いつでも、どんなときでも自分のすべてを出し切り、失敗を恐れず、ひたすらまっすぐに突き進んでいく。すでに地位も名声も確保しているにもかかわらず、いつも新人のような挑戦する魂を胸に秘めている。
「私は子どものころから歌い出すと止まらない性格でね、昔から家族や近所の人たちに『ほら、またホセが歌い出した。今日も夜まで歌っているだろうよ』といわれたもんだよ。本当に歌うことが好きなんだ。歌があればほかのものは何もいらない、とまで思えるくらい。だからこそ、病気になったときはもう歌えないかもしれないと、どん底に突き落とされた思いがした。でも、神が救ってくれたんだ。いままたステージに立てる、大好きな歌が歌える、それだけで幸せだよ。だから自分の持てるものをすべて出して精一杯歌うのは当然のこと。これからもずっと声が出る限り歌っていきたいと思っているよ」
 こう語るカレーラスは、いわゆる完璧主義者である。それはデビュー当時から現在にいたるまで変わらぬことで、あまり知られていない珍しい作品や小品を歌うときでも、どんなに小さなコンサートで歌うときでも、自己の最高の歌を聴衆に届けようと全力投球する。
 この全力投球の姿勢は、白血病から見事に立ち直った後に、ピアノ伴奏によるリサイタルを世界各地で行ったことに如実に表れている。彼はのどを休ませることができるオーケストラ伴奏によるオペラ・アリアのコンサートではなく、ひとりでずっと歌い続けるリサイタルを復帰演奏会に選んだからだ。
 このときは倒れる前よりひとまわりやせ、青白い顔で必死で歌うカレーラスに、世界中のファンが心打たれたものである。彼は拍手が続く限りアンコール曲を歌い、ひとりでも多くの人の気持ちに応えたいと歌うことをやめようとはしなかった。ここにも完璧主義者らしい顔が表れていた。

新曲も暗譜! 完全に把握してから披露する

 3大テノールのコンサートでも、カレーラスの一途な姿勢は変わらない。彼は新曲も暗譜、完全に自分の歌にしてからステージに臨む。そして歌い込んだ作品と同様の歌唱力と表現力をもって聴衆の心の訴えかける。このひたむきさに聴き手は心を奪われるのである。
 日本公演のときにいつも歌う「川の流れのように」を初めて3人で歌ったときも、カレーラスは歌詞カードをほとんど見ることなく歌いきった。
「私が完璧に暗譜していたって? それはたまたまだよ。いつも暗譜しているわけではないし、新しい曲を短期間で完全に覚えるのは難しいことだからね。プラシドやルチアーノが楽譜を見ていたのは、彼らのポーズが大きかったからじゃないのかな。私はチラッとうまく楽譜を見る名手だから。昔からカンニングは得意なんだ(笑)」
 こうしたジョークも忘れないのがカレーラスのいいところだ。ドミンゴとパヴァロッティとのリハーサルでも、ひとりがうまく歌えなかったり、みんなの意見が割れたりすると、必ずだれかがジョークを入れるが、カレーラスもジョークを連発することがある。それにより、全体のムードが一変し、リハーサルがスムーズに流れることを知っているからだ。
 1998年にフランスで行われたw杯決勝前夜祭の3大テノールのコンサート終演後、カレーラスはこんなことをいった。
「私は自分が納得いくまで練習して、その歌を完全に自分のものにしてからでないと歌えない性格なんだよね。それは子どものころから変わらないもので、少しでも不安要素があるとステージに立てない。ナーバスになってしまうんだ。歌う作品を全部すみずみまで暗譜することは決して楽ではないけど、ステージでもレコーディングでも、暗譜したほうが歌に集中できる。
 これは私のモットーなのかもしれない。自分に難題を課したほうが燃えるタイプなんだ。適度にやればいいことでも、いったん手をつけると、のめりこんでいってしまう。これは生活全般にいえること。だれか止めてよ(笑)」

バーンスタインをうならせた、ひと晩の計り知れない努力

 カレーラスはオペラでもPAを使う野外コンサートでも歌う姿勢はまったく同じ。マイクを使うからといって、手抜きは一切しない。しかも、こうしたコンサートでいつも新しい曲に果敢に挑戦する。歌い慣れた、当たり役といわれる歌だけを歌うというのは、カレーラスのモットーに合わないのだろう。聴衆の拍手が少なくてもいい、スタンディングオベイションにならなくてもいい、私は今回新しい作品に挑戦するんだ、とカレーラスは考え、未知の分野に向かって歩み出す。
 そんなカレーラスは、以前バーンスタインとの共演で「ウエストサイド・ストーリー」を録音したことがあった。このときはリハーサル中に自分の歌に納得できず、途中で歌うことをやめてしまい、バーンスタインをがっかりさせたことがある。しかし、翌日カレーラスは完璧に歌いこなし、バーンスタインをうならせた。この一部始終が映像に残されているわけだが、カレーラスは自分のそんなプロらしからぬ姿を映し出したビデオの発売を禁じることなく、OKを出した。
 ここにはひとりの人間としてのカレーラスが存在している。カレーラスといえども、完璧に歌えないことはある。まして『ウエストサイド・ストーリー』はふだん歌い慣れたクラシックの作品とは歌唱法も表現力も異なったものを要求される。
 カレーラスが止まってしまった曲は、この作品の大切な部分だった。それをひと晩で納得いく形に仕上げたのである。どんなに大変だったことだろう。そんな努力の過程をカレーラスはみんなに見せてしまった。悩み、苦しみ、もがき、そしてついにすばらしい輝きに満ちた歌を歌い上げる。その過程を…。
 以後、カレーラスは「ウエストサイド・ストーリー」を完全に自分のレパートリーとし、各地で歌っている。バーンスタイン亡きいま、カレーラスはこの曲をどういう思いで歌っているのだろう。きっと、あの苦難のときを乗り越え、納得いく歌が歌えた喜びの瞬間を思い出しているに違いない。
 私はカレーラスのこの歌を聴くと、いつもひとつずつ階段を駆け上がろうとする彼の姿勢に触れる思いがし、胸が熱くなる。

ひとりの生身の人間の不器用そうな姿に引きつけられる

 だが、カレーラスはいまではステージで努力の痕跡は一切見せない。楽々と余裕をもって歌っている姿を披露する。だからこそ、聴き手は作品のよさに存分に酔えるのである。ただし、カレーラスの歌には常にヒューマンな味わいがただよっているのも事実である。ひとりの生身の人間が歌っている、そのぬくもりが伝わってくるのである。
 現在はなんでも簡単にすませられること、楽をして大きな成果を得ること、苦労しないことにこしたことはないとされる時代である。カレーラスのようにコツコツと実績を積み上げ、ビッグスターになってからもひたすら努力あるのみ、などという生きかたは敬遠されるのかもしれない。しかし、そんな生きかたに引きつけられる人もいるのである。
 私はカレーラスのどこか世慣れていないような、恥じらいに満ちた、なんだか不器用そうで、うまく立ち回れないような姿を見ると、無性に引きつけられる。スターらしくなく、礼儀正しく、知性的で、しかもどこか危なっかしい。ひとつのことを思いつめると、善悪の判断なしに飛んでいってしまう。そんなカレーラスの生きざまそのものが歌に表れている。

極寒の教会での記憶を彷彿とさせるカレーラスの歌声

 ここに聴くクリスマス・アルバムでも、カレーラス節は健在。曲の冒頭から情熱を傾け、一気に感情がほとばしるように歌い上げていくカレーラスの歌唱法は、クリスマス・ソングを聴き流すものではなく、じっくりと耳を傾けるものに変える。欧米ではクリスマスは祈りに始まり、祈りに終わる。そこに必要なのは敬虔で美しい歌の数々。人々は教会で歌い、家庭で歌う。その伝統をカレーラスの歌声は伝えてくれる。
 以前、カナダからの大寒波を受けてマイナス15度にもなろうという極寒のニューヨークでクリスマスを迎えたことがあった。仕事を終えた私はあまりの寒さに耐えきれず、近くの教会に避難した。そこでは人々がみな目だけ出しているようなものすごい防寒スタイルで、震えながらクリスマスの歌を歌っていた。
 一歩なかに入ったら暖かいだろうという甘い考えは、すぐに氷解した。石造りの建物特有のしんしんとした寒さが足から押し寄せてくる。それでも人々の歌声を聴いているうちに次第に心が暖まってきた。みんな熱心に神父の説教に耳を傾け、ミサのオルガンと聖歌隊に静かに和すように歌っていたからだ。
 広い教会に朗々と響きわたる歌声は荘厳さに満ち、クリスマス本来の祝いかたを知らされる思いがした。キリストの降誕祭は祈りと清らかな歌に彩られる。カレーラスの歌声は、あの凍てついた教会の空気をまざまさせと思い起こさせてくれる。

今日の写真はその雑誌の一部。胸の前に手を置く得意のポーズだ。

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