Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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bond(ボンド)
 2000年にロンドン・デビューを果たしたセクシー・ストリング・カルテット、ボンドが10年余りを経て日本に戻ってきた。
 初来日のときにインタビューしたが、今回はメンバーが少々代わり、もとのメンバー、タニア・デイヴィス(ヴァイオリン)、エイオス・チャーター(ヴァイオリン)に、エルスペス・ハンソン(ヴァイオリン、ヴィオラ)が新メンバーと加わった。ボンドでの担当はヴィオラである。
 さらにゲイ=イー・ウェスターホフ(チェロ)が来日できなかったため、急きょリジー・メイ(ヴァイオリン、ヴィオラ)がサポートメンバーとして来日した。リジーはエレクトリック・チェロの奏者でもある。
 久しぶりの来日は、新譜「プレイ・フォー・スマイル」(ユニバーサル)のプロモーション。今回のアルバムは、ヴィヴァルディの「四季」のボンド・バージョンをはじめ、映画音楽やローリング・ストーンズの曲、また彼女たちの自作も含まれたバラエティに富んだ内容。エレクトリック・ヴァイオリンなどで躍動感あふれる演奏をする、元祖クロスオーヴァーの面目躍如といったところだ。
 なお、日本のみのボーナストラックとして、レディー・ガガ・メドレーが収録されている。
 昨日インタビューに行ったところ、タニアとエイオスが私のことを覚えていてくれた。もう10年も前のことで、たった1度インタビューで会っただけなのに、「わあ、しばらくね!」「以前会ったわよねえ」とハグ。なんという記憶力のよさ。すばらしい!!
 よく、アーティストの記憶のすばらしさには脱帽するが、まさにこのふたりの記憶力にも唖然とするばかり。
 でも、それからインタビューは温かい雰囲気に包まれ、新メンバーもよく話してくれ、笑いが絶えなかった。
 このインタビューは、ヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」10月13日アップ分で公開される。
 多忙な時期に、こういう楽しいインタビューが入ると、なんだか心が軽くなった気がする。4人の美女の笑顔はすばらしく、演奏と同様エネルギーに満ちたトークで、人生についてもしっかり前を向いて考えていることに好感が持てた。
 私は、ふだんはエレクトリックな楽器の演奏を聴く機会はないが、ボンドの前向きな演奏は疲れた心身に活力を与えてくれるから好きだ。
 今日の写真は、そんな4人の自然なスマイル。左からエイオス、タニア、リジー、エルスペス。バッチリとメイクをしたオフィシャルな写真とはまた違った、ふだんの表情もいいでしょ。

| 日々つづれ織り | 21:56 | - | -
ミルクティー・ジャム
 おとりよせの香り高いオーガニックのアールグレイ紅茶が届いたので、早速飲んでみたが、待てよ、これはもっと何かできると考え、ミルクティー・ジャムを作ってみた。
 まず、紅茶の葉5グラムをホーロー鍋に入れ、牛乳200CCとグラニュー糖50グラムで煮出す。あまり長く煮ると苦くなるので、沸騰したら約1〜2分で漉す。
 これを鍋に戻し、生クリーム200CCを加えてごく弱火で20分ほどじっくりと煮ていく。次第にトロリとしてくるが、ここは根気が必要だ。
 木べらでかきまぜ、鍋底にのの字を書いて底が一瞬見える程度になったら火を止める。ちょっとゆるいかな、と思うくらいで大丈夫。冷めるとかたくなるので、あまりかためにしないほうがいい。
 今日の写真はできあがったミルクティー・ジャム。旬の巨峰とマスカットを添えて、「さあ、お好きなパンにつけてどうぞ」
 こんなに時間がない月末に、悠長なことをやっていないで、速くウチの原稿書いてくれえと叫ぶ編集担当のかたの叫び声が聞えてきそうだか、夜中までパソコンと仲良くしていると、自分がだんだん煮詰まってきちゃうんだよね。
 というわけで、今日はミルクティーを煮詰めてみました、なあんてね(笑)。
 このジャム、アールグレイの葉が残っていたり、ミルクのかたまりがあったりするけど、そこは手作りのよさ。ぜーんぜん、気にしなくてOK。みんながほんのり笑顔になれる味、私もこれで煮詰まりからしばし解放され、次なる仕事に向かう元気が湧いてきた。
 やっぱりおいしい紅茶はエライよなあ。こんな力を与えてくれるんだもの。

| 美味なるダイアリー | 11:28 | - | -
O夫妻との会話
 締切りに追われて休日返上で仕事をしていると、だんだんストレスがたまり、精神状態が悪くなってくるから困る。
 そんなときは、おいしい紅茶を飲んだり、ストレッチをしたりして心身をニュートラルな状態に戻すよう努力をすることが必要だ。
 一番の気分転換は食材を探しに行くことなのだが、時間がないときはこれもままならない。
 ところが、今夜は親しいO夫妻から予期せぬ電話をいただき、気分が一気に明るくなった。
 このご夫妻は、長年私の家の近所で酒屋さんを営んでいたが、数年前に事情があってお店を閉めることになり、1時間ほど離れたご自宅に移ってしまった。以前はコンサートの帰りにも必ず寄ってその日の報告をしたり、よもやま話をしたり、ワインを買ったりして親密なおつきあいをしていたが、それがあるときからプッツリと途絶えてしまった。
 最初はその状態に慣れることができず、なんだか胸の奥にポッカリと穴が開いた感じがしたが、それはいまでも続き、寂しくてたまらない。
 ご夫妻とは本音でいろんなことを話すことができ、お二人は私のことを親戚の一員のように思ってくれた。そしていつもいつも私の仕事を一生懸命応援してくれ、ちっちゃな悩みまで親身になって聞いてくれ、ひたすら励ましてくれた。人間関係がうまくいかなくて辛い思いをしていたときなど、お二人のことばによって、何度助けられたことか。
 ここまで仲良くなれたことに本当に感謝している。現在は、家族やよほど親しい友人でない限り、他人の話を身を入れて聞くなどということはない。
 ただし、ご主人がいまは体調があまりよくないため、気軽に会いに行くことはできない。今日は、奥さまとはいくら話しても話たりないくらいおしゃべりに花が咲き、以前のような状態に戻った。ご主人もいつもながらのジョークを交えて話してくれ、冗談をいってニヤリと笑う顔が見えるようだった。
 Oさん、本当にありがとう。元気をもらいました。明日からまた頑張ります。早く体調を戻してくださいね。すぐに会いに飛んで行きますから。
| 親しき友との語らい | 22:39 | - | -
台風の影響
 今週は、月末の締切りに追われながらもコンサートやインタビューに駆け回る日々が続いていたが、21日の台風の影響をもろに浴びて、大変な目に遭った。
 この日は午前中にひとつインタビューを行い、午後3時からノルウェー大使館で行われたピアニストのレイフ・オヴェ・アンスネスと小説家の佐伯一麦対談「いま音楽にできること」を聞きにいった。
 この対談では、2011年にノルウェーと日本の両国を襲った未曾有の災厄に関し、ふたりがいま考えていることを率直に話し合い、今後の自らの役目、方向性などについて意見を述べ合った。
 それが終了したのが4時半過ぎ。原稿がたまっていたので大使公邸でのレセプションをパスして帰宅の途に着いたのだが、地下鉄が台風の影響により途中で止まってしまった。JRも地下鉄も私鉄もほぼ全面運転見合わせ。私は恵比寿に4時間以上も足止め状態となった。
 幸い、駅の近くのお茶を飲める場所に避難したが、全身ビショビショ。風が強くてとても傘をさせる状態ではなく、建物に入ったのはいいが、今度は濡れたからだを冷房が襲い、寒いのなんの。「ああ、いつまで待つんだろう」と一時は絶望的な気持ちになったが、自然の猛威には逆らえない。
 ようやく家に戻ったら、もう疲労困憊。それから原稿を仕上げて夜中にベッドに入った途端、「クシャーンッ」ときた。ううっ、明日もインタビューとコンサートで詰まっているのに、風邪なんかひいたら大変だ。ヒエーっ、どうしよう。
 幸い、なんとか無事に切り抜け、22日も仕事ひと筋。アンスネスのリサイタルはゆっくり聴くことができたし、体調はなんとか戻ったし、やれやれ。
 でも、この日も実は台風の影響が残り、インタビュー後、一度帰宅してからコンサートに向かおうと思ったが、カメラマンのクルマに乗せてもらったら、とてつもない渋滞。おそらく前日の台風がまだ尾を引いているのだろう。
 というわけで、結局家には帰れず、2時間半もかかってようやくホールに着いたという次第だ。もうこの2日で体力と気力のすべてを使ってしまった感じ。でも、大きな被害に遭った人たちのことを考えたら、私などは文句をいうべきではない。今回の両氏の対談でもそのことを強く感じた。
 今日の写真はアンスネスと佐伯氏の対談のひとこま。この時間は、まだ外の状態は想像もつかなかったんだよね。

| 日々つづれ織り | 23:54 | - | -
ヴァレリー・アファナシエフ
 ヴァレリー・アファナシエフは、ちょっと変わっていると思われている。それは個性的な風貌、ピアニスト以外の文学的な活動をしていること、不思議な空気を生み出すステージなどが影響しているようだ。
 しかし、実際にインタビューで会う彼は、おだやかな笑みを浮かべた物静かで思索的な芸術家という感じ。今秋、リスト・プログラムで来日が決まっているが(11月18日、浜離宮朝日ホール)、ずらりとリストを並べるだけではなく、「リストとその時代へのオマージュ〜葬送〜」と題し、他の作曲家の作品も加え、リストの時代を浮かび上がらせる。
「インタビュー・アーカイヴ」第25回は、そのアファナシエフの登場。ちょうど20年前の彼の「いま」を切り取った感じだ。

[FMレコパル 1991年12月9日〜12月22日号 No.26]

ゆったりとしたテンポが、異様とも思える独特な世界を生む

 アファナシエフの新譜「展覧会の絵」(コロムビア)を初めて聴いたとき、そのあまりにもゆっくりとしたテンポ設定に唖然とした。冒頭の「プロムナード」から、異様とも思える雰囲気を醸し出して曲が進められていくのだ。彼のテンポはただ遅いだけではない。どこか奇々怪々とした趣が曲全体にみなぎり、聴き始めると徐々にこの一種独特の世界に引き込まれていってしまう。
 それは音楽全体の作りかたがあたかも大きな芝居のようで、アファナシエフ自身が主役を演じているような、また彼が演出にまわってもうひとりの分身に演じさせているような、そんな感じがする。
 それもそのはず、彼はこの曲をもとに戯曲を書き(今回のディスクの解説書にはその戯曲の掲載されている)、それを人形芝居炒りで演じたりしている。
 特に「チュイルリー」とか「殻をつけたひなたちのバレエ」などふつうは速くこちゃこちゃっと弾かれるところだが、ここでは打鍵が深く1音1音かみしめて演奏されている。音と音との間のとりかたも長く、私はつい、次の音の出を待って前のめりになりそうな感覚を抱く。
 アファナシエフはナマのコンサートの場合も常に斬新なプログラムを組んできたが、今回の来日公演ではシューベルトの最後のピアノ・ソナタ3曲を一夜で弾くという、これまた彼ならではの画期的な試みを見せた。
 なにしろ、通して弾くと2時間半はゆうにかかるというプログラム。聴き手も相当の体力と気力を要求される。だが、当の本人は超人的な集中力をずっと持続し、バリエーションの部分ではすばらしい構成力と美音を響かせ聴衆を魅了した。
 彼の場合は、ステージに現れた瞬間からすでに音楽が開始されているといっても過言ではない。ちょっとアンニュイな表情でゆったりと歩を進め、いすにすわるやいなやピアノの弦の部分に両手をあてがって何か祈るような仕草をする。そして手をひらひらと宙に浮かせたかと思うと、腕まくりをするがごとく上着の袖から両腕をニョキッと出し、かなり高い位置から鍵盤にバーンと手を下ろし、第1音が鳴り響く。しかしここまでくる間に、もう私の頭のなかには彼の奏でるピアノが鳴っているような気がした。
 演奏中も一瞬たりとも目が離せない。手のひらひらはしょっちゅう行われるが、これが下ろされる瞬間の音に、全神経を集中して気をつけていないと音楽の流れがつかめない。
 アファナシエフはこの両手の屈伸運動とでもいうべき動作でリズムを刻んでいるのだ。シュワーッという感じで上に持ち上げられていくので、聴き手は何か魔法にかかったように彼の手の動きにつられてしまう。
 しかし、演奏はじっくりと練られたもので、曲が進むにつれてその密度の濃い音楽性に身も心もどっぷりとひたってしまった。

これからは小説よりも英語の詩を書いていきたい

 そんなアファナシエフだから、さぞ気難しいか、話の内容がわけのわかならい抽象的なことに終始するのではないかと懸念したが、それはまったく杞憂に終わった。彼はとてもエレガントな物腰で自然な笑みを浮かべながら雄弁に語った。
「ずいぶん前から音楽に戯曲を付けることは考えていました。次にはシューマンの《クライスレリアーナ》を予定しています。ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》もそのうち自分なりのストーリーを付けてみようと思っています」
 アファナシエフはこの「展覧会の絵」の戯曲はたった4日間で書き上げたという。その替わり、こまかい箇所の質問をすると「ああ、もう忘れてしまった。いったいどんな話だったっけ」と逆に聞き返す始末。きっと創作時に全神経を集中するタイプなのだろう。
 彼はピアニストとして演奏しているときは聴衆の反応にはまったく目がいかず音楽に没頭してしまうが、戯曲の場合は少なからず自分が演技をするので、それが観客にどう受け入れられるかとても気になるそうだ。
 ふだんの彼はものすごい読書家で、自らも小説を6作書いて出版している。
「このへんで小説はしばらく休みます。いまは戯曲がありますしね。私は同じことを繰り返して行うことに興味がないのです。常に何か新しいことに挑戦したい」
 彼は現在フランスのベルサイユにひとりで住んでいるが、この家にはお気に入りの家具がたくさんあり、そして何よりも2000本のワインが貯蔵してあるという。もっとも好きなワインはリヨンの南の「ライヤース」という銘柄とか。
 紅葉の時期に日本に来られてとてもよかったとアファナシエフはいった。紫式部や清少納言の書いたものに強く惹かれるというから、きっと次回は戯曲に日本の文学が顔を出すかもしれない。

 今日の写真はその雑誌の一部。アファナシエフが部屋に入ってきたとき、タートルネックのセーターが日本の秋を表しているような色だったので、そうことばをかけると、すごくうれしそうな表情をして恥ずかしそうに「こんな古いセーターをほめられて、とてもうれしい。このセーター、益々好きになりそうだよ」といった。なんてキュートな人なんでしょう(笑)。

| インタビュー・アーカイヴ | 23:17 | - | -
ちりめん山椒とセロリの炒り煮
 子どものころは両親の仕事の関係で毎年のように京都を訪れ、この土地特有の食材に小さいながらも心を奪われていたものだ。
 大人になってからも、時間さえ許せば京都に足を運び、日本の伝統的な味に舌鼓を打っていたが、最近はとんと御無沙汰。寂しい限りだ。
 ところが、知り合いの京都に実家があるという人が、しばしば「ちりめん山椒」を届けてくれる。これが実に上品でやわらかな味付けの、まさに老舗の味。いつもは炊きたての白いごはんに乗せてハフハフいいながらいただくのだが、今回は、ちょっとひと手間かけてみようと思い立った。
 オーガニックショップのみずみずしく筋のない細めのセロリが手に入ったため、これをまず3本用意。茎も葉もザクザクと切り、ゴマ油大さじ1でさっと炒める。ここに日本酒大さじ1を入れてセロリになじませる。さあ、ここでちりめん山椒の出番。大さじ5を加え、ざっくりと混ぜたら、火を止めて生醤油をほんの少々たらり。これでできあがり。
 もちろんごはんにも合うし、おつまみにも最適。お豆腐に乗せたり、焼きナスに添えても美味。炒りゴマやかつおぶしをかけると、また風味の異なる味わいが楽しめる。
 ほんの数分でできるから、時間のないときには強い味方。ぜひ、お試しくださいませー。
 今日の写真はできたての「ちりめん山椒とセロリの炒り煮」。そうそう、これはおにぎりの具にしてもバッチリですゾ。

| 美味なるダイアリー | 22:13 | - | -
ソン・ヨルム
 最近は、韓国の音楽家の台頭が著しい。多くの若き才能が世界の舞台へと飛翔している。
 第14回チャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で、ダニール・トリフォノフに次いで第2位を獲得したソン・ヨルムもそのひとり。彼女は2009年のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールでも第2位入賞に輝き、第1位の辻井伸行とすっかり仲良くなったという。
 その辻井との共演によるコンサートのために来日した彼女に、インタビューを行った。これは「音楽の友」の次号に掲載される予定になっている。
「辻井さんはとってもチャーミングな人柄。演奏も好きだけど、彼の性格が大好きになってしまったの」
 にこやかな笑顔で語るソン・ヨルムも、とても素直で感じがいい。ストレートの黒髪が美しく、肌もすこぶるなめらか。演奏はアスリートを思わせるようなテンポの速さとリズミカルな動きが印象的。磨き抜かれたとてつもないテクニックに唖然とさせられるが、それは楽譜の読みの速さも影響しているようだ。
「私、子どものころから譜面を読むのが趣味だったのよ。いつも複数の楽譜を持っていて、サーっと読んでいく。これがすっごく楽しいのよ」
 譜読みを充分にしていれば、実際にピアノに向かったときに練習はとても少なくて済むそうだ。やはり天才肌なのだろうか。
 来日に合わせて新譜もリリースされ、2004年に録音した「ショパン:練習曲集」と2008年に録音した「ショパン:夜想曲集(弦楽伴奏版)」(ユニバーサル)の2枚を聴くことができる。
ここでも底力を発揮している。とりわけ、18歳のときに録音したショパンのエチュードがみずみずしく、抜群のテクニックが全編に息づき、輝かしい未来を予感させる。
「私、室内楽が大好きなの。ソロやコンチェルトももちろん数多く演奏しているけど、室内楽が一番楽しいし、自分らしい演奏ができる感じがする」
 今年の11月6日には、東京オペラシティコンサートホールでチャイコフスキー国際コンクール入賞記念リサイタルが開催されることになった。
 プログラムは同コンクールで話題を呼んだ作品が組まれ、バッハ、ドビュッシー、ショパン、カプースチン、リスト、シチェドリンが並ぶ。
 チャイコフスキー国際コンクールの模様はネット配信されたから多くの人が彼女の演奏に触れ、天空に駆け上がっていくようなピアニズムに驚きの声を上げたと思うが、いよいよ今秋そのライヴを聴くことができる。とても楽しみだ。
 今日の写真はインタビュー時のもの。上からのライトが強く、ちょっと顔に影ができてしまったのが残念。

| 情報・特急便 | 22:36 | - | -
いちじくのコンポート
 昨日のお昼は、乃木坂のフレンチレストランでランチミーティングをした。メンバーは親しいレコード会社のディレクターFさんと、ピアノを教えていらっしやるKさんと私の3人。
 さまざまな話題が出て、とても有意義なひとときを過ごしたが、帰りにKさんに「バナナ&チョコチップ・ブラウニー」をいただいた。
 家に帰って箱を開けた途端、とても上品ないい香りがただよってきたため、「うん、これはおいしい紅茶を入れなくちゃ」と思った。しかし、ちょっと待てよ、もうひと工夫しておいしいデザートプレートを作ろう。
 すぐに脳裏に浮かんだのは、いま旬のいちじくを使ったコンポート。
 でも、連日夜はオペラやコンサートが目白押し、来日ラッシュで昼間は取材やインタビューに駆け回り、いったいいつ原稿をじっくり書けばいいのかと日々悩んでいるのに、こんなことやっていられないなと思ったが、すでに足はいちじくを買いに向かっている(笑)。
 さて、お料理開始。いちじくは大きめのものを4〜5個用意し、まず熱湯でさっと湯がく。これはアク抜きにもなる。それを冷水にとり、ていねいに皮をむく。
 ホーロー鍋に赤ワイン100CC、水50CC、ハチミツ大さじ2、レモン汁大さじ1、シナモンスティック半本を入れて熱し、いちじくを入れて弱火で10分ほど煮含める。ワインの赤色が均等につくように、ときおり上下を混ぜ、きれいな色になるまでじっくりと煮ていく。多少煮崩れても大丈夫。
 デザート皿にブラウニーを乗せ、コンポートを半分に切ったものを横に置く。今日はスペアミントの葉とストロベリーソースを飾ってみた。ストロベリーソースは、いちごを砂糖と洋酒(ラム酒でもシェリー酒でも好みのものでOK)で煮たもの。ジャムよりも多少とろみがあるくらいで大丈夫。
 今日の写真はそのデザートプレート。おいしそうでしょ。でも、このいちじく、なんだかおイモみたいに映っちゃったなあ。味はよくできたのに。ひとつは内側の種のほうを見せればよかったのかも。まあ、今回はブラウニーの引き立て役だから、いいとしよう(笑)。
 最近は寝不足と不規則な時間による食事で体調がよくなかったが、このブラウニーですっかり元気を取り戻した。Kさん、ありがとう!! エネルギーをもらいました。また元気に仕事しま〜す。

| 美味なるダイアリー | 22:14 | - | -
ロジャー・フェデラー
 シーズンが始まり、来日ラッシュにあたふたしている時期に、私の心はテニスのUSオープンへと向けられていた。
 以前も書いたが、長年ロジャー・フェデラーを一途に応援している身としては、なにがなんでも優勝して、今年のグランドスラム無冠という風評を吹き飛ばしてほしかった。
 だが、フェデラーは準決勝でノバク・ジョコヴィッチに逆転され、失意の底に沈んだ。私の心もここ数日は曇り空、いや雨模様、正直にいえばどしゃぶりだ。
 ああ、フェデラーの心中を察すると、私も心が痛くなるほど。あとほんのちょっとで勝利を手にできたのに、なんという不運。
 試合後のフェデラーが、おそらくロッカールームでひとしきり大泣きしたであろう顔で記者会見に臨み、「来年のオーストラリアン・オープンを楽しみにしている」と精一杯平常心を保ちながら話したときには、もう胸が引きちぎられそうな思いがした。これがファン心というものなのだろう。
 ああ、5年前にナマのフェデラーの試合を見たときのことが忘れられない。あのあと、すぐにスイスのフェデラー・サイトに申し込んで翌年のカレンダーを購入したっけ。今日の写真はそのカレンダーの表紙。仕事部屋の壁を飾り、いつも私はその顔をながめては、「次は頑張って!」と話しかけている。
 ロジャー、いまはどん底にいる気分だろうけど大丈夫。あなたは、いつも私の「王者フェデラー」よ。何位になろうが、関係ない。復活は絶対に成し遂げられる。あなたのような美しく芸術的なプレーができる選手は、これまでもこれからもいない。オンリーワン、ロジャー。勇気を持って立ちあがって!!



 
| ロジャー・フェデラー | 22:49 | - | -
アロンドラ・デ・ラ・パーラ
 昨日は、すばらしい女性指揮者と出会った。メキシコ人のアロンドラ・デ・ラ・パーラである。
 アロンドラは1980年ニューヨーク生まれ。2歳のときに両親とともにメキシコに移り住んだ。最初はピアノとチェロを習っていたが、13歳のときに指揮者になりたいと思い、各地で勉強を重ね、23歳でフィルハーモニック・オーケストラ・オブ・ジ・アメリカスを創設。以後、南北アメリカの若手演奏家や作曲家の紹介をこのオーケストラとともに行っている。
 今回の来日は9月13、14日にジャパン・ヴィルトゥオーゾ・シンフォニー・オーケストラを指揮するため(サントリーホール)。それに先駆け、インタビューに応じてくれた。このインタビューは次号の「フィガロ・ジャポン」に掲載される予定になっている。
 アロンドラは女優のような美貌と、音楽的な才能と、前向きな精神を持った人。その話は明快で率直で常に前進あるのみという姿勢を崩さない。
「子どものころから、こうと決めたら一直線に進む性格でした。指揮者になりたいと思い立ってからは、どんな困難にぶつかろうが、絶対にやり遂げようと努力を重ねました。いつも大きな壁が目の前に立ちはだかっていて、それはいまも変わらないけど、ひとつひとつ乗り越えていくしかないですよね」
 澄んだ美しい瞳をきらきらと輝かせながら、彼女は芯の強いところを見せる。そして男性の多い指揮者の世界に関しては。
「ステージに立って指揮を始めたら、男か女かということはいっさい関係ない」
 と、きっぱり。いやー、潔いですなあ。惚れ惚れしちゃいます(笑)。
 アロンドラは音楽に関しても、自らのオーケストラに関しても、その生い立ちに関しても、正直にストレートに話してくれる。こんなに美しいのに、それを鼻にかける雰囲気はまったくなし。とっても感じがいい。
「両親の存在なくしては、いまの私はないですね。母は教育者で、人生でもっとも大切なのは勤勉さだということを植え付けてくれ、小説家で映画関係の仕事もしている父は、どんどん夢を追いかけて進むことを教えてくれました」
 まさに、ふたりのDNAを受け継いでいるのだろう。彼女はひとつの作品を学ぶときも、とことん研究し、納得いくまで研鑽を重ね、膨大な時間をかけるという。新譜の「アロンドラ・デビュー!〜華麗なるメキシコ・オーケストラ作品集」(ソニー)の選曲も、ありとあらゆる手段を用いて作品を探し、楽譜を検討し、アーカイヴを巡り、さらにメキシコ文化の全体像をつかむような試みをしたそうだ。
「メキシコには偉大な文化、歴史、伝統があります。でも、世界中の人々はまだ表面的な面しか見てくれません。これから私はさまざまな土地で演奏を通してメキシコのすばらしさを伝えていくつもりです」
 現在、アロンドラはメキシコ観光省文化大使でもある。少し話を聞いただけで、メキシコの奥深さに触れる思いがし、こんなにも前向きで努力家で迷いのない生きかたをしている人がいるんだと気付かされ、メキシコの新たな面を発見することができた。きっと、各地で彼女に会った人はみな同様の思いを抱くに違いない。
 今日の写真はインタビュー後に撮ったもの。美しさと性格のよさと知性がすべてこの表情に表れていると思いませんか。ウーン、それにしても美しい…。




 
| 情報・特急便 | 20:55 | - | -
ダニール・トリフォノフ
 8日のチャイコフスキー国際コンクールの優勝者ガラ・コンサート、9日のリサイタルと、2日続けてダニール・トリフォノフの演奏を聴いた。
 彼のピアノを初めて聴いたのは、昨年10月のショパン国際ピアノ・コンクール(第3位入賞とマズルカ賞受賞)の会場でのこと。このときは繊細で、ひとつひとつの響きを大切にする特有の美しいピアニズムに魅了されたが、他の入賞者たちがあまりにも強烈な個性の持ち主だったため、ナイーブな特質が前面に出にくい感じだった。
 ところが、たった11カ月経過しただけで、トリフォノフのピアノは長足の進歩を遂げた。彼はショパン・コンクール後、今年5月にはイスラエルのルービンシュタイン国際コンクールで優勝し、続いて7月にはチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で優勝を遂げ、ここでは史上ふたりめのグランプリに輝いた。
 なんというステップアップの速さか。今回耳にしたトリフォノフの演奏は、確固たる自信に満ちあふれ、ピアノを思う存分自由に鳴らし、自分の演奏は「これだ」という明確な方向性を打ち出していた。
 これが若さというものだろうか。いや、それだけで片づけてはならないだろう。実は、記者会見の前にインタビューをしたが、そこでは大変な努力をして現在の演奏ができあがったことが判明した。このインタビューは9月29日の日経新聞の夕刊と、ヤマハのWEB「音楽ライター&ジャーナリストの眼」9月29日アップ分に書くことになっている。
 トリフォノフは1991年3月5日、ロシアのニジニ・ノヴゴロド生まれ。5歳よりピアノを始め、17歳のころから内外の複数のコンクールで優勝、入賞を成し遂げ、2009年にグネーシン音楽院(タチヤーナ・ゼリクマンに師事)を卒業。現在はクリーヴランド音楽院でセルゲイ・ババヤンに師事している。
 ショパン・コンクールに参加する前にすでにレコーディングを行ったり、ニューヨークのカーネギー・ホールにデビューしたりしている。このCDは「トリフォノフ・プレイズ・ショパン」(ユニバーサル)で、日本では来日に合わせ、つい先ごろリリースされたばかりだ。
 インタビューでは、私が「ショパン・コンクール後に2つのコンクールで優勝するなんて、本当に驚いた。どうやって準備をしたの」と聞いたら、その間の状況を詳しく教えてくれた。
「ショパン・コンクールまでの準備も結構大変だったけど、その後すぐにルービンシュタイン・コンクールの準備に取りかかったんだ。ここで優勝できてとってもうれしかったけど、大変だったのはそのあと。だって、優勝者に与えられるコンサートが13日間で12回もあったんだよ。もう時間がたりなくてどうしようかと思っちゃった」
 この「時間がたりなくて」には理由がある。彼はチャイコフスキー・コンクールの課題曲であるチャイコフスキーのピアノ協奏曲をまだ仕上げてなかったのだそうだ。
「白状しちゃうとね、チャイコフスキー・コンクールでこのコンチェルトを演奏したのは2度目の本番にあたるんだ。最初は、ぼくがまだオーケストラとこの曲を合わせた経験がないと知って、友人たちの学生オーケストラが一緒に演奏してくれた。だから、チャイコフスキー・コンクールのときがたった2度目。本当に緊張したよ」
 こういいながらケラケラ笑っているところは、なんとも大物。そしてこんな短期間で大きなコンクールをいくつも受けた理由は。
「コンクールは、若いうちに受けたほうがいいと思ったから。だから必死で練習した。チャイコフスキー・コンクールを終えて、ああ、もうコンクールを受けなくていいんだと思ったら、肩の力がドーッと抜けたよ」
 そりゃ、そうでしょう。全部門の最優秀賞にあたるグランプリを受賞したのだから。
「ぼくは、子どものころからいつも時間がたりないという悩みを抱えている子だった。それがいままでずっと続いていて、いつも時間がもっとほしいと切実に思っている。だからこの11カ月の猛練習も子どものころからの延長で、ぼくにとってはふつうのこと。いまは世界中からコンサートのオファーが入ってきて、本当に夢がかなった感じ。これで気をゆるめず、また練習練習の日々を続けていくよ(笑)」
 ハハーッ、まいりました。20歳の俊英がいうことは違いますね。彼の目下の課題は「レパートリーを増やすこと」。あまりにも多くのコンサートが入ってくるため、同じ作品を続けて弾くようになってしまう。それは避けなければならない。そのためには、練習が欠かせない。というわけで、当然のことながら何度も「時間がたりない」ということばが口に出る。
「ぼくは昔からすべてのことを自分で決めてきた。これからもそれを貫き通すつもり。でも、すばらしい恩師に恵まれてきたから、その教えや助言を守りながら、自分にできる限りのことをして、聴いてくれる人たちに楽しんでもらえる演奏をしたい」
 トリフォノフは、今回のコンチェルトではオーケストラをリードし、いまは完全に自分の音楽となったチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を高らかに歌い上げた。そしてリサイタルではショパン、リストなどの作品を磨き抜かれたテクニックとみずみずしい表現力で弾ききった。さらにアンコールを何曲もプレゼント。疲れを知らない躍動感あふれる演奏に、会場からため息がもれた。
 今日の写真はインタビュー後のおふざけポーズ。ホテルのバンケットルームの照明ゆえか、彼の瞬間のポーズをとらえたためか、多少ピンボケ。でも、本人は「こんなはじけたポーズで写真撮られたの、初めてだよー」といっていたから、ピンボケは御愛嬌ということで…。 


 
| アーティスト・クローズアップ | 23:59 | - | -
チャイコフスキー国際コンクール 優勝者ガラ・コンサート
 昨日は6月にモスクワとサンクトペテルブルクで行われた第14回チャイコフスキー国際コンクールの優勝者&入賞者が出演する、明日のコンサートのための記者会見が行われた(9月8日 午後7時開演 サントリーホール)。
 出席者はグランプリ、ピアノ部門第1位、聴衆賞のダニール・トリフォノフ(20歳、ロシア)、ヴァイオリン部門第2位(1位なし)、聴衆賞のセルゲイ・ドガージン(23歳、ロシア)、チェロ部門第1位、聴衆賞のナレク・アフナジャリャン(22歳、アルメニア)、声楽部門・女声第3位、聴衆賞のエレーナ・グーセワ(25歳、ロシア)の4人。
 ガラ・コンサートはオール・チャイコフスキー・プログラムで、歌劇「エフゲニー・オネーギン」より「手紙の場面」、ヴァイオリン協奏曲ニ長調、ロココの主題による変奏曲、ピアノ協奏曲第1番が演奏される。
 会見ではそれぞれが質問に答えてさまざまな返答を行ったが、全体的に非常に思慮深く視野が広く、バランスのとれた人間性の持ち主であることが判明した。
まず、エレーナ・グーセワから。
「2度目の来日です。日本が大好きですので、震災のことを考えて来日をやめようとはまったく思いませんでした。私は1年半前からようやく劇場で実際に歌えるようになり、いまは仕事が正しい形でプランニングされていくことを願っています。ステージで歌うことが大きな経験となり、学ぶ場でもあり、そこで個性を見つけ、自分らしさを付け加えていきたいと思っています。録音もたくさん聴きます。好きな作曲家はラフマニノフ、ウェーバー、J.S.バッハです」
 続いてナレク・アフナジャリャンは。
「昔からピアティゴルスキーを敬愛しています。ボストンでは彼の弟子に2年間学びました。シャフランもロストロポーヴィチも好きです。ロシア音楽全般を好みますが、特にプロコフィエフ、バッハ、ベートーヴェンの名を挙げたいです。アルメニアも1988年に大地震があり、何万人もの命が奪われました。ですから3月11日の日本の悲劇は他人ごととは思えません。自然災害のおそろしさにいま顔をそむけてどうするのかと考え、自分が力になれることはしようと思い、来日しました。今回は4回目の来日です。震災のときはアメリカにいたのですが、ぼくは日本の友人も多く、本当に心配しました。ぼくたちが公演を行うことで、日本は大丈夫だと世界に知らせることができればと思っています。今回のチャイコフスキー・コンクールはこれまでとは異なる運営がなされ、さまざまな面で大幅な変更がなされたため、非常に重要なコンクールとなりました。今後はあふれるコンサートのなかで迷子にならないよう、基盤をしっかり整えていきたいと思います」
 そしてダニール・トリフォノフは。
「日本人はとても勤勉だと思います。この1月にショパン・コンクールのガラ・コンサートで初来日し、それを強く感じました。この勤勉さは国の力となり、成功の素であり、復興の足がかりとなると思います。こうした時期にぼくも何か力になれればと思って来日しました。日本に行くことに対して、両親もサポートしてくれましたし。昔からソフロニツキー、シュナーベル、ラフマニノフらのピアニストに惹かれていますが、現在はアルゲリッチ、ペライア、ブーニンが好きです。ぼくはいま弾いている作曲家が好きになるタイプで、弾けば弾くほどその作品のすばらしさに魅せられていきます。ショパン、スクリャービン、バッハには特に魅了されています。いまはコンサートに追われる日々ですが、常に新しい作品にチャレンジしていきたい。チャイコフスキー・コンクールは、そのチャンスを与えてくれたと思います」
 最後にセルゲイ・ドガージンは。
「もっとも心惹かれているのはヴェンゲーロフです。明るい個性と限りない可能性を秘めているからです。最近は指揮活動が多いですが、ケガが治ってまたヴァイオリンを弾き始めたので、うれしく思っています。あと、オイストラフも大好きです。チャイコフスキー・コンクールはロシア人にとって特別なコンクールで、入賞するとたくさんのコンサートが約束されます。ぼくもここで一気にレパートリーが広がりました。日本の震災に関しては、ゲルギエフの姿勢をお手本にしたいと思います。彼はオセチアが大変な時期に慈善コンサートをしました。ぼくの両親はオーケストラの奏者ですが、何度も日本を訪れています。ふたりからいつも日本の文化、道徳のすばらしさを聞かされていました。ですから、初めて来日できてとてもうれしい。自分ができることは小さいかも知れませんが、世界はひとつだと思っていますし、自分にできることは何でもやるつもりです」
 とてもさわやかな記者会見だった。そして、自分の心の声をしっかりことばにできる能力と主張する力を備えていることに感動を覚えた。やはり、音楽家として若いときに頂点を目指して頑張る人は何かが違うのだと思い知らされた。
 明日のコンサートでは、そんな4人が今度は演奏で明確な自己表現をする。本当に楽しみだ。
 今日の写真は記者会見後のひとこま。左からドガージン、グーセワ、アフナジャリャン、トリフォノフ。シリアスな会見のあとだったから、ちょっと表情が堅いかな(笑)。

| 情報・特急便 | 14:45 | - | -
サルヴァトーレ・リチートラ
 昨日リチートラのことを書いたが、本日彼の訃報が届いた。5日、脳死と判定され、彼の家族が臓器提供に同意したそうだ。享年43。
 たくさんのすばらしい思い出を残してくれた。いまはショックで多くのことを語れないが、ある程度時間がたったら、リチートラのことを多くの人に知ってほしいため、彼のインタビュー記事を全文公開したいと思う。
 サルヴァトーレ、あなたの明るく情熱的な歌声と、おおらかな性格と、前向きな精神はいつまでも忘れません。ご冥福をお祈りします。
| 情報・特急便 | 10:41 | - | -
サルヴァトーレ・リチートラ
 8月28日、ボローニャ歌劇場の来日公演でヴェルディ「エルナーニ」のタイトルロールを歌う予定になっていたサルヴァトーレ・リチートラが事故に遭ったというニュースを、イタリアの報道機関が報じた。
 シチリアのラグーザ近郊でスクーターを運転中に起きた事故で、すぐにヘリコプターでカターニャの病院に運び込まれたそうだが、重傷だという。
 これを聞いて本当に驚き、非常に心配になった。リチートラには何度かインタビューをし、そのたびに明るい笑顔とおおらかな性格、ときには歌声も披露してくれたからだ。
 最初に出会ったころよりも、最近はひとまわりスリムになり、「ダイエットが成功したんだ」と喜んでいた。
 足の運動と肩と腕の筋肉をつける運動をミックスした方法を行ったことが功を奏したそうで、さらに食事療法をプラスして体重を26キロ落としたという。
 その食事療法を詳しく聞いたら、イタリア人らしからぬ食事をとっていることに驚いた。
「パスタ、ピッツァなどをやめ、寿司、さしみ、焼き魚、果物、野菜を中心にしたんだ」
 本当だろうか。よく耐えられるなあ。子どものころから食べていた物をやめるのは、大変な努力を要すると思うのだが…。
 彼は18、19歳のころ大きな声で歌っているのを母親が聴き、彼女が「声楽を習ったほうがいいんじゃない」と真剣にいってくれたため、レッスンに通うようになった。それから10年間必死で学び、プロの歌手を目指したが、ダメな場合を考えてそれまで勉強していたグラフィックデザイナーの資格を取ることも並行して行っていた。
「ぼくは7つのコンクールに落ちたんだよ。審査員には受け入れてもらえなかったんだ。もう歌手になるのはあきらめたほうがいいのかと、本当に悩んだ。でも、1998年にようやく劇場でデビューすることができ、それからは各地のオペラハウスから声をかけてもらえるようになった。コンクールに失敗したのは、自分の声に合う役を歌っていなかったから。重いタイプのアリアばかり勉強していたから。でも、カルロ・ベルゴンツィに師事することになり、それまでのことはすべて忘れなさい。自分の持っている自然な声で歌うようにといわれて、その教えに忠実に従うようにしたら、道が開けたんだ」
 以後、短期間で著名なオペラの主役をいくつも歌い、演技力も磨いていく。
「ぼくはこれまでいくつもの壁にぶつかってきた。そのつど、それを懸命によじのぼるようにしてきた。困難がふりかかってくるのが人生だと思う」
 リチートラはいつも全力投球。インタビューでも一生懸命に話してくれる。それはステージでも同じ。これでもかと声を張り上げる。
「そうなんだ、どんなに調子が悪いときでも目いっぱい声を張り上げる。手を抜くことができないタチなんだよね。こういう性格だから、失敗も多いよ。最近は行動する前に少しは考えるようになったけど、ついつい思い立ったらそのまま行動してしまう。少しは大人にならないとね」
 こういって高らかな笑い声をたてていたリチートラ。
 早く治って、また元気な声を聴かせてほしいとひたすら祈るばかりだ。
 今日の写真はインタビュー時のリチートラ。いい笑顔でしょ。


 
| 情報・特急便 | 22:16 | - | -
マルセロ・アルバレス
 今月来日するボローニャ歌劇場の「カルメン」でドン・ホセを歌う予定だったヨナス・カウフマンの来日がキャンセルとなり、代役としてマルセロ・アルバレスが決まった。
 アルバレスは何度もその歌声を聴いているが、常に全力投球型。演技もすばらしく、最近はどっしりとした体型になり、声も以前とくらべると深みと重みが増してきた。
 アルバレスに最初にインタビューをしたのは2000年の春。このときはガルデルのタンゴを歌うために来日した。「インタビュー・アーカイヴ」の第24回はそのアルバレスの登場。

[テレパル 2000年7月15日〜7月30日 .15]

歌声でも、人柄でも魅せる大注目のテノール、アルバレス 

 いま、3大テノールに続く新しい才能として世界のオペラハウスが熱い視線を注いでいるのが、アルゼンチン出身のテノール歌手、マルセロ・アルバレスである。その彼が、アルゼンチンが世界に誇る歌謡タンゴの確立者、カルロス・ガルデルの歌を録音した(ソニー)。
 バックを務めるのはピアソラと共演していたマルコーニやスアレス・パスらの現代屈指のタンギストたち。そのメンバーとともに来日し、スタジオで演奏を行った模様が放送されることになった。あわせて、アルバレスやアルゼンチンの人々のガルデルへの思いを綴ったドキュメンタリーも登場する(NHK)。
 アルバレスは最初タンゴを歌うことに抵抗があったそうだが、録音が進むうちにガルデルの偉大さに目覚め、最後は人生のなかでひとつの大きな仕事を成し遂げた気持ちになったという。
「アルゼンチンではガルデルはいまだに天使とか神のように思われている存在。それを歌うんだからね。大変なプレッシャーだった。大きな声で旋律の流れを重視しながら歌うオペラと違って、タンゴは語りかけるように歌わなければならない。マイクを使って小さな声で歌えといわれても最初はとまどうばかり。
 映像も同時進行で、ガルデルを知っていた人や研究者などにインタビューしたんだけど、それが人間ガルデルを知る大きな手がかりとなった」
 アルバレスは1962年生まれ。アルゼンチンで家具工場を経営していたが、30歳のときに歌手になりたいと思い立ち、本格的な勉強を開始。1995年にイタリアのコンクールで優勝し、その年の秋にデビューしてセンセーションを巻き起こしたという異色の経歴の持ち主だ。
「私はキャリアが始まったのが人より遅い。でも、焦らずに声の成長に合わせてゆっくりとレパートリーを広げていくつもり。歌う喜びをかみしめながらね。
 いまは暗いことが多い世の中だけど、私の歌を聴いてくれた人が一瞬でも喜びが味わえるような、そんな歌を歌いたい。今回、ガルデルの歌と人間性を知って、その思いを強くした」
 アルバレスは、完全に手の内に入るまで新しい役は歌わない主義。自分の唯一の美徳は「努力家であること」という彼は、いま世界の頂点を目指してマイペースで歩みを進めている。

 今日の写真はそのときの雑誌の一部。アルバレスは大変な苦労と努力をして歌手としてのキャリアを得ただけあって、性格がすばらしい。会った人がみなファンになってしまうような、温かく広い心の持ち主。このときのインタビュー後、破竹の勢いで各地のオペラハウスを席捲、とりわけフランスでは評価が高い。
 今回のドン・ホセも当たり役として知られる。舞台が楽しみだ。



| インタビュー・アーカイヴ | 23:28 | - | -
動物好き
 子どものころから動物が大好きで、実家では常に4、5匹の犬や猫を飼っていた。ウチでは父親や子どもたちがみんな動物好きなため、すぐに捨て猫を家に連れ帰ったりするのだが、あとの面倒を見るのはもっぱら母親の役目。母は特に動物好きではないため、いつもブーブー文句をいっていた。
 いま私はペットは飼えないため、とても寂しい。というわけで、海外に行くとその土地の犬や猫を見つけては写真を撮っている。
 アテネでは国立考古学博物館から出てくると外にカフェがあり、歩き疲れたためそこでちょっとお茶をしていた。すると、動物好きだということがわかるのか、とってもキュートな子猫が寄ってきた。「ワーッ、かわいい」といってなでていたら、もう1匹すごい形相の大きな猫がのっしのっしとやってきた。
「何やってんだお前、かわいがってもらってんのか」
 その猫は確かにこういう表情をしていた。
 どこから見ても、とてつもなくかわいくない。一緒にいるだけで、なんだか不愉快になりそうな猫だ。
 早々に席を立ち、かわいい子猫にさよならをして立ち去ろうとしたら、そのコワモテの猫に思いっきりにらまれた。ああ、コワッ(笑)。
 イスタンブールでも、アヤ・ソフィア聖堂から出てきたところの大きな石の階段にみんなが思い思いにすわって日光浴をしていたため、私もひょいとすわったら、途端に茶色のきれいな毛並みをした猫が擦り寄ってきた。
 この猫は私の隣にくるや、ゴロゴロとのどを鳴らしながら私にからだを預けるようにし、陽を浴びてなんとも気持ちよさそうな顔をして眠ってしまった。
 放っておいて席を立つわけにもいかず、しばし一緒にうとうとしていたものだ。なんというのどかなひとときだろうか。旅の思い出とは、こんなちょっとしたことが印象に残る。
 今日の1枚目の写真はその茶色の猫。なでているのは私の手。偶然、私が着ているのは茶色の皮のコート。いいコンビネーションでしょ(笑)。
 ザルツブルクでは、音楽祭の合間にお土産屋さんをのぞいていたら、そのお店の前に店番をしているちっちゃなワンちゃんがいた。
 この犬は世界各地の観光客や音楽祭の聴衆、地元の人たちがぞろぞろ通ることなどいっこうにおかまいなしで、じっと動かずお店を守っている。なかなか賢く、なでられてもじゃれつくこともせず、こんなにかわいいのに、実にクール。自分はアイドルではなく、店番をしているのだという誇りを持っているようだった。ついおかしくて、パチリ。今日の2枚目の写真はそのザルツブルクの店番ワンちゃん。
 また、各地でいろんな動物に会いたいな。





| 麗しき旅の記憶 | 22:05 | - | -
ニコライ・デミジェンコ
 5月27日のブログでも紹介したが、6月にロシアのピアニスト、ニコライ・デミジェンコのコンサートを聴き、インタビューを行った。
 録音で聴いたときに感じていた以上に、ライヴでは非常に美しい弱音が際立ち、ディミヌエンドの表現も息をのむようなニュアンスに富んでいた。
 特にショパンのピアノ協奏曲第1番では、ショパンが愛したプレイエルの楽器をほうふつとさせるような繊細かつ気品あふれる響きをピアノから引き出し、オーケストラとの対話も自己を決して強く主張するわけではないのに、確実にデミジェンコがリードしていく絶妙のテクニックを披露した。
 インタビューでは、やはりこの弱音の美しさが話題となったが、彼は開口一番こういった。
「みんなロシア・ピアニズムというと、大きな音量でガンガン力任せにピアノを弾くと考えているようだけど、本当の奏法はまるで違うんですよ。もちろん、楽器を歌わせることは必要ですが、必ずしも大きな音は必要ない。私はロシア・ピアニズムのルーツはジョン・フィールドからきていると思います。フィールドはロシアで30年間も演奏し、教えていたのですから」
 それからは自身の考えを滔々と述べ、ロシア・ピアニズムをまちがってとらえてほしくないと力説した。このインタビューは「ムジカノーヴァ」の今月発売号に掲載される予定である。
 デミジェンコはとても真面目な人だった。ひとつの質問に対し、ゆっくり考え、じっくりとことばを選びながら、本当に相手が理解しているだろうかとこちらの表情をのぞきこみながら話を進める。
 たとえ話や比喩なども多く挟み込まれ、その内容はすこぶる濃密で、「よくわかりました」とひとつひとつ納得してしまうような説得力の強さを備えていた。
 こういうピアニストに教えを受けたら、さぞ内容の充実した演奏が身につくだろうなと思ったら、生徒は持っていないそうだ。教えることは責任を伴うし、膨大な時間を要する。ほんのちょっとだけの時間で教えられるわけがない、とこれまた真摯な答えが返ってきた。
 でも、本当に心の底から学びたいと切望している生徒がいたら、いつでも教える準備はできていると語った。
 デミジェンコのピアノを聴くと、これまで聴いてきたその作品が異なる光を浴びたように鮮やかに輝き、あたかも新しい作品のように思える。彼は1970年代に、ロシアのさまざまな名手の実演に触れ、それがひとつひとつ強烈な印象としていまなお心に残っているという。それらが自身の糧となり、自分が演奏するときに道を照らしてくれるのだそうだ。
 またすぐにでも来日してほしいピアニストである。こんなにもインパクトの強い演奏をする人はそうそういないのだから。
 今日の写真はインタビュー時のもの。「笑って」といっても、ニコリともしなかった。一瞬たじろいだけど、またそれが彼らしくていいかも(笑)。

| アーティスト・クローズアップ | 22:53 | - | -
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