Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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クレール・デゼール&アンヌ・ガスティネル
 フランスのピアニスト、クレール・デゼールは、クリアな響きと楽器全体を豊かに鳴らす奏法の持ち主である。これは25年前にロシアに留学したことが影響しているようだ。
 そんな彼女と息がピッタリ合うチェリスト、アンヌ・ガスティネルとのデュオが10月25日に東京文化会館小ホールで開かれた。
 ふたりは初めて共演したときから自然に音楽が流れ、長年の友のように親しい気持ちが湧き、ずっと一緒に演奏したいと思うようになったという。
 当日のプログラムはベートーヴェン、プーランク、ドビュッシー、フランクのチェロ・ソナタだったが、いずれも集中力と緊迫感に富む演奏で、両者の丁々発止の音の対話が非常にエキサイティングだったが、その奥に不思議な静けさが宿っているのが印象に残った。
 ガスティネルには以前インタビューを行ったが、デゼールのインタビューにも同行してくれたため、デュオの秘訣と醍醐味を聞いた。
「クレールとは、本当にウマが合うの。デュオというのは、音楽性と人間性が合わないと、絶対にうまくいかない。特に海外の長いツアーになったら、性格的に合わないと、音楽にも微妙な影響が出てしまうわね。音楽的にいくら合っても、お互いに何でも気軽に話せるような間柄でないと、息がつまってしまうから」
 これに対し、デゼールも。
「私たち、いつも冗談ばかりいいあって大笑いしているのよ。学生時代の延長みたいで、本当に楽しい。でも、演奏が始まると緊張感がみなぎり、決して妥協はしない。お互いに尊敬しあっていて、音楽で寄り添うべきところはしっかり寄り添うけど、自分の音楽の主張はきっちり通すのよ」
 彼女たちはほとんどノーメイクでラフな格好をしている。話すときもリラックスし、見事なまでに自然体。「ああ、こんな友だちがいたら最高だろうなあ」と思わせる。
 ふたりはふだんは離れた土地に住んでいるため、お互いのソロ演奏を聴く機会がないのが悩みだそうだ。
「でもね、リハーサルで合うと、もうすぐに毎日会っているような親密な感じになるの。こんなパートナー、なかなか見つからないと思うわ」
 コンサートに先駆けてリリースされた新譜は、来日公演とほぼ同じ曲目。それらの作品に対するふたりの意見もまた、似ているようで各々の主張があり、とても興味深かった。このインタビューは次号の「intoxicate」に掲載される予定である。「intoxicate」とは、「夢中にさせる」「興奮させる」「酔わせる」という意味。その雑誌名を聞き、ふたりは大笑いしていた。
 フランスには、こうした真の実力を備えた「大人の女性」といった雰囲気をもつアーティストが何人か存在する。デゼールもガスティネルも飾らず気負わず、しかも粋でユーモアとウイットに富んでいる。ああ、こんな雰囲気を身につける女性になりたいなあ、とつくづく感じ入った。
 今日の写真は、そんなふたりのとってもいい雰囲気の1枚。左がアンヌ、右がクレール。ねっ、友だちになりたいと本気で思っちゃうでしょ(笑)。

| アーティスト・クローズアップ | 23:39 | - | -
美しく力強いテニスが与えてくれたもの
 今シーズンの最強8人が戦うテニスの年間最終戦、ATPワールドツアーファイナルが、先週ロンドンで行われた。
 全試合とも非常に密度の濃いすばらしい試合だったが、結局ディフェンディングチャンピオンのロジャー・フェデラーが優勝に輝いた。彼がトロフィーを掲げる姿を見て、本当にうれしく感慨深く、フェデラーのいつもながらの目のウルウルにつられて涙が出そうになった。
 私はこの1週間、ずっとビデオを撮りながら、ライヴで見られるものはすべてテレビで観戦したが、月曜日の夜中2時半からのツォンガとの決勝はとても難しい試合で、胃がキリキリと痛むほどだった。
 以前にも書いたが、フェデラーは今シーズンとても辛い思いをした。グランドスラムの優勝が一度もなく、USオープン後はひどく落ち込んでいた。だが、そこからポール・アナコーン・コーチをはじめスタッフ、家族、友人の励ましに支えられ、ハードなトレーニングを積んで自信を取り戻し、バーゼル、パリと優勝を重ね、ついにファイナルで優勝し、またもやいくつもの記録を塗り替えた。
 私は、いつもロジャーのテニスから多くの勇気をもらう。30歳になったいま、より進化と深化を重ね、そのテニスは芸術的な美しさと自然な力強さと情熱を感じさせる。
 最近、仕事でもやもやと悩んでいる私は、彼がラウンドロビン(予選)を勝ち上がっていくごとに大きな力をもらってきた。
 そして決勝に臨むロジャーの表情から優勝を確信したが、それでも大変な試合だった。その難関を見事に乗り越え、ロジャーは再び栄冠に輝いた。紙吹雪の舞い散るなかでトロフィーを掲げる雄姿は、なにより元気を与えてくれた。
 翌日のCNNのニュースにも登場し、ATPのサイトでも記者会見の模様が流されたが、ロジャーは「本当にこれほど疲れた試合はない。でも、まだ自分が記録を塗り替えられる試合ができることを証明でき、とてもうれしい」と語っていた。
 もう2日近くたったのに、私の心のなかはあったかいものがいっぱいに詰まっている。ロジャー、ありがとう。あなたはいつもいっている。
「いまやるべきことは何か、自分がやれることは何か。それを考え、前に進むだけ」
 偉大なアスリートのことばは本当に心に深く響く。私ももんもんと悩んでいないで、前に進まなくちゃ。

| ロジャー・フェデラー | 22:09 | - | -
田部京子
 ピアニストの田部京子とは、昔からインタビューの合間に何度も脱線してしまう。ふとした話題からどんどん話が逸れていき、仕事モードではなく、雑談に発展していってしまう。
 今回も「intoxicate」のインタビューで、彼女が満を持して録音したブラームスの「後期ピアノ作品集」(コロムビア)について話を進めていたところ、かなり前のメンデルスゾーンの録音のときのジャケット写真の話になり、私がそのときの髪がものすごく多くてフワフワしていた写真を覚えているといったところ、彼女が実は髪で悩んでいるという話になった。
 それから話は髪の多さや質の問題に移り、美容院探しから髪型の苦労話へと発展、インタビューはまたもや仕事から遠く離れてしまった。
 それでもなんとか話題を戻し、田部京子とブラームスのつながり、この作曲家にいかに魅了されているか、後期の作品の難しさなどを話してもらい、仕事は無事に終了した。
 いや、まだ終了しなかった。彼女が引越しをした話が残っていたのだ。これもまた苦労話で、私は以前の住まいにおじゃましたことがあるため、またまた話題沸騰。長年取材を続けているアーティストとの話はとてもおもしろいが、ついつい話題が広がって脱線しっぱなし(笑)。編集担当者は、さぞ気をもんだでしょうね。
 この田部京子のブラームスは研鑽の賜物。彼女はベルリンに留学しているが、ベルリンに着いた翌日フィルハーモニーホールでクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルの演奏するブラームスの交響曲第3番を聴き、ノックアウトされたそうだ。いまでもこのベルリンの部屋に行くたびに北国特有の空気を感じ、静けさのなかでブラームスへの思いを馳せるそうだ。
 ブラームスの作品は、渋さと寂寥感と特有の深い響きを要求される。田部京子も10代のころはその内面性が理解できず、非常に苦労したそうだ。やはりブラームスは奏者が成熟することを望む音楽なのだろう。彼女も徐々にその内奥に分け入り、ようやく幾重にも重なった音の層を理解できるようになったという。
 今日の写真はインタビュー時の田部京子。すっごくきれいに撮れているでしょう。まるで女優のよう。私の自慢の1枚になりそう。彼女もとても気に入ってくれた。インタビューで思いっきりいろんな話に花を咲かせたあとに、ちょっとこんなポーズしてみてといったら、この美しい姿になったというわけ。やったね!!
 来年5月31日には浜離宮朝日ホールで「B×B Worksシリーズ」と題したリサイタルを行い、ベートーヴェンとブラームスを演奏する予定になっている。こちらも楽しみだ。

| 親しき友との語らい | 23:12 | - | -
ダヴィッド・フレイ
 先日、フランスのピアニスト、ダヴィッド・フレイのインタビューを行った。これがすこぶるおもしろく、楽しいひとときとなった。
 フレイはスリムでおしゃれな、いわゆる美形。これまで「バッハ&ブーレーズ」「モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番&第25番」(EMI)がリリースされ、いずれもみずみずしく創造性に富む演奏。音の響きが特有で、微妙なニュアンスに彩られ、粋で洒脱。ライナーノーツも自分で執筆している。
 その録音を聴き込んでいたため、さぞ気難しく知性派で、インタビューしにくいタイプかと思ったら、まったく違っていた。
 子どものころから浮いていて、自己主張がはげしいため扱いにくい子で、「両親はすごく苦労したと思うよ」などと笑っている。
 ライナーノーツまで書くなんてすごいといったら、「あっ、もうそれやめるよ。周りにいろいろいわれるし、ぼくの文章なんかたいしたことないしね」とひとこと。昔は野性派と先生にいわれ、結構自由きままに練習していたとか。
「フランス人は先生からいわれたことに素直に従うことは少ないね。みんな自由主義、個人主義。だからぼくは室内楽が大好きなんだけど、合う人をみつけるの、大変なんだよ」
 今日は、そんなフレイのコンチェルトを聴きに出かけた。パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団との共演で、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調だ。
 フレイの音はやはりとてもエレガントで柔軟性に富み、弱音が美しい。ユニークな性格がそのまま音に反映し、これまで聴いたどのラヴェルとも違った豊かな色彩感にあふれる演奏だった。
 彼はドイツ作品がとても好きだという。リサイタルでもモーツァルトとベートーヴェンを組んでいたが、今後の大きな挑戦はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィア」だそうだ。
 このインタビューは「日経新聞」、ヤマハWEBの「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に書く予定にしている。
 今日の写真はインタビュー時のフレイ。実は、子ども時代の話になったとき、「ちょっと待って、写真があるんだよ」と携帯の写真を探していて、ものすごくかわいい2歳くらいのときの金髪の写真を見せてくれた。あまりにかわいいので、それを私の携帯で写そうとしたら、「ダメ、ダメ。これは秘蔵品」といわれてしまった。ああ、残念。両親を困らせるような子どもではなく、すごく素直そうで、みんなに愛される顔をしている写真だったのにな。いまとは大違い。ウソ、ウソ、ごめんね(笑)。
 ともあれ、演奏も性格もとてもユニークで今後が楽しみ。今日のアンコールではシューマンとバッハを演奏したが、やはりドイツ作品に秀でているようだ。


| アーティスト・クローズアップ | 20:57 | - | -
ベルリン・フィル
 昨日はベルリン・フィル・デーだった。
 まず、午前11時からホテルオークラ東京で記者会見があり、ベルリン・フィルの首席指揮者兼芸術監督のサイモン・ラトル、首席チェリストでメディア担当のオラフ・マニンガー、来日公演で細川俊夫作曲のホルン協奏曲「開花の時」のソリストを務める首席ホルン奏者のシュテファン・ドールの3人が出席した。
 ラトルは冒頭、日本の震災に対し、「日本とは長年いい関係を築いてきた。今こそ私たちが支えるとき。共通言語である音楽が両者をつないでくれると思う。3日間のサントリーホールでの公演は小さな一歩でも、意義深いこと」とあいさつ。それから他に先駆けて3D映像によるラフマニノフの「交響的舞曲)&マーラー「巨人」のリリースに関し、「最初にみんなで見たときは本当に驚いた。クラシック音楽における新たな旅立ちの始まりだと思う。これはいじりまわしたものではなく、正真正銘のナマの演奏。限りない可能性を感じる」と語った。
 マニンガーも今後はさまざまな最新メディアを駆使して、ベルリン・フィルの日常を発信していくと熱く語り、ベルリン・フィルの全世界のユーザーの5パーセントから10パーセントを日本人が占めていると発表した。
 ドールは、細川作品を「ベルリンと日本をつなぐ意義深い作品」といい、「旅する作品」という感じがすると語った。
 ラトルは今回の来日プログラムで取り上げるマーラーの交響曲第9番、ブルックナーの交響曲第9番に関して指揮するたびに新たな発見のある作品だといい、ベルリン・フィルも演奏するたびに質が一気に向上していくと灌漑深げに語った。そして「指揮者の悪いところはしゃべりすぎることなんだよね」といいながら、作品論、演奏論から今後のオーケストラのレパートリーまで滔々と語り、記者会見は当初の予定時間を大幅にオーバーした。
 そして夜は初日の演奏会、マーラーの交響曲第9番を聴きに出かけた。
 これは死を予感したマーラーが、その心の動きを作品に投影させたものであり、最後の完成された交響曲で、まさに「死の音楽」である。ラトル、ベルリン・フィルは冒頭からすさまじいまでの集中力に富んだ演奏を展開、第1楽章の「永遠に」のモチーフ、第2楽章のレントラーのおだやかさとグロテスクな性格との対比、第3楽章のシニカルなユーモラスを映し出す「死の舞踏」まで、一瞬たりとも聴き手の耳を逸らさない濃密な演奏を繰り広げた。そして終楽章の「アダージョ」。瞑想的で神秘的で幻想的な曲想をオーケストラ全体が朗々と奏でていくが、その奥にはマーラーの痛切な心の叫びが宿っている。
 95分におよぶ演奏は静かに消え入るような音で終わりを告げ、最後の音が天上のかなたへと高く飛翔していった後、長い沈黙がホール全体を包み込み、ようやく拍手が沸き起こった。
 この夜のコンサートマスターは樫本大進が務めた。彼が偉大なベルリン・フィルをリードしていく雄姿を間近にし、デビュー当初からずっと大進の演奏を聴き続けてきた私はとても誇りに思い、晴れがましい気分になった。
 大進はひたすら練習あるのみの生活で、いつもベルリンではリハーサルを終えていったん家に戻り、夕食後に再びフィルハーモニーに戻って深夜までひとりで練習するという。その努力の成果がこの夜のソロの部分に表れていた。
 ラトルはオーケストラがステージから去った後にもう一度鳴りやまない拍手に応えて登場したが、そのときに大進を呼んで包容を交わした。ああ、なんてすばらしい瞬間なのだろう。ダイシン、頑張れ。もっともっと大きくなって!!
今日の写真は記者会見の3人。左からドール、ラトル、マニンガーの各氏。

| クラシックを愛す | 23:26 | - | -
神尾真由子
 来年2月の「東芝グランドコンサート2012」のもうひとりのソリストは、ヴァイオリニストの神尾真由子。曲はシベリウスのヴァイオリン協奏曲だ。
 これは彼女が小学校6年生のときに初めて演奏した作品で、チャイコフスキー国際コンクールの本選でも選んだコンチェルトである。
 萩原麻未と同様に、プログラムの記事用のインタビューをしたさい、神尾真由子は「シベリウスはメチャメチャ弾きにくい作品を書いた。あの人、ヴァイオリニストになろうとして諦めた人でしょう。だからきっとヴァイオリニストに意地悪しようってんで、難しい曲書いたんだと思う。イケズやわー」とズバリ。
 彼女の話は以前からすごくユニークだと感じている。口数は決して多くないし、むしろインタビュアー泣かせという定評のある人だけど、ひとことひとことがとってもおもしろい。すごくストレートで飾りっ気なし。
「シベリウスのコンチェルトは楽譜に忠実に、オーケストラにピッタリと寄り添わないと、絶対にうまくいかない。ちょっとでもテンポを揺らしたりすると、途端に失敗する。ホント、怖い作品。とりにくい和音も多いしね」
 彼女はつい先ごろ、チューリヒ留学を終え、ニューヨークに居を移した。髪も茶髪から真っ黒のストレートに戻し、少しスリムになって大変身。
「ニューヨークは町が煩雑で汚いし、どんな格好していてもだれも気にしない。すごく開放的な気分になったの。だれかに気楽に声をかけたり、かけられたり。これをチューリヒでやったら、すぐに警察沙汰。電車に乗っているだれかに声をかけようものなら、きみはいったい何が欲しいんだ、なあんていわれちゃって大変(笑)。でも、ニューヨークだったら全然平気。私、毎朝パジャマみたいな格好でパン買いにいってるもん」
 おやまあ。こりゃ、困ったもんだ。アーティストなんだから、だれが見ているかわからない。もうちょっと注意してくれないとね。でも、「ううん、ホントに平気よ。だーれもなーんも気にしてないもん」とケロリ。
 これからは室内楽に興味があるので、いま一緒に演奏する仲間を探している最中とか。アメリカに移ってから、本当に雰囲気が変わった神尾真由子。きっと演奏も解放感が影響し、大きな変貌を遂げるに違いない。
 今日の写真はそんな彼女の得意のポーズ。でも、説明されないとだれだかわからないですよね。だけど、彼女いわく「いいの、いいの」。
 このポーズ、神尾真由子はスイッとやったけど、まねしてみると、すごく難しい。彼女、余程手首がしなやかなのね、まいりました(笑)。



| 日々つづれ織り | 21:57 | - | -
NHK音楽祭
 夏前からさまざまな形でかかわってきた「NHK音楽祭2011」が、今日のパーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団、ピアノ:ダン・タイ・ソンのコンサートで最終日を迎えた。
 今日のプログラムはメシアンの「忘れられたささげもの」からスタート。次いでダン・タイ・ソンのソロによるシューマンのピアノ協奏曲。後半はストラヴィンスキーの「バレエ音楽《ペトルーシカ》。
 これは11月26日(土)の午後11時30分から翌午前3時30分まで、先日行われたシドニー交響楽団の演奏とともにBSプレミアムのプレミアムシアターで放送されることになっている。
 ダン・タイ・ソンのシューマンのコンチェルトは初めて聴いたが、特有の詩情あふれるタッチ、透明感に満ちた音色が全編にただよう演奏で、ヤルヴィ指揮パリ管との音の対話も濃密で、ダン・タイ・ソンのいまの心身の充実を見る思いがした。
 彼はショパンのマズルカの作品17の4はいつも特別な存在と語っているが、今夜のアンコールでもそっと弾き出し、広いNHKホール全体を静謐かつ繊細な空気で包み込んだ。
 明日はまた、横浜みなとみらいホールにヤルヴィ指揮パリ管を聴きに行く予定が入っている。今度はビゼー、ドビュッシー、ベルリオーズとフランス作品がズラリ。どんな演奏が生まれるだろうか。
ヤルヴィとパリ管は2010年秋からコンビを組んだばかりだが、今日のストラヴィンスキーを聴く限り、いわゆる両者の蜜月は上々のようだ。これまでヤルヴィはフランス作品をあまり手がけてこなかっただけに、パリ管というパートナーを得て新たな魅力が引き出されることに期待がかかる。
| 情報・特急便 | 23:46 | - | -
萩原麻未
 今日は萩原麻未の本格的なデビュー・リサイタルを聴いてきた。彼女は以前にも書いたが、室内楽やコンチェルトが好きで、リサイタルはなかなか実践されることはなかったが、ようやく聴くことができた。
 今日のプログラムは、今後は古典派をレパートリーにしていきたいという彼女の願いが詰まったハイドンのピアノ・ソナタニ長調Hob.X-33からスタート。クリアで健康的な音が小気味よく奏でられ、チェンバロ的な響きが随所に顔をのぞかせる。
 次いでベリオの「5つの変奏曲」。これはジュネーヴ国際コンクールの第2次予選で弾いた作品。音色の変化や変奏の妙を前面に出し、叙情的な雰囲気を醸しだしたかと思うと、次なる瞬間には電子音楽的な技法のコントラストを際立たせ、一瞬たりとも弛緩しない演奏が非常に印象的だった。
 前半の最後はラフマニノフの「コレルリの主題による変奏曲」。これもコンクールの第3次予選で演奏した作品。それゆえ、充分に弾き込み、手の内に入った演奏だった。とりわけ、イベリア半島の古い舞曲フォリアの旋律が浮き彫りになるところが美しかった。
 後半は、彼女が生涯弾き続けていきたいと語るシューマン。まず「アラベスク」で萩原麻未の特徴である個性的な「音」を存分に聴かせた。そして「謝肉祭」では舞踏会のさまざまな情景や登場人物を明快なタッチと創造性に富む音で表現。音のダイナミズムも非常に幅広く、エネルギー全開。シューマンの初期の作品を若々しく生きた音楽として表現、限りない可能性を感じさせた。
 萩原麻未は来年2月に行われる「東芝グランドコンサート2012」で、フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮南西ドイツ放送交響楽団バーデン=バーデン&フライブルクと共演し、ラヴェルのピアノ協奏曲を演奏する予定になっている。このコンチェルトこそ、コンクールの本選で演奏し、彼女が大好きだという作品である。
 先日、このプログラムの記事用のインタビューを行ったが、彼女はラヴェルのコンチェルトの第2楽章のイングリッシュホルンとの掛け合いのところにもっとも魅了されるそうだ。イングリッシュホルンがあまりにも美しいため、自分の演奏をつい忘れてしまいがちだと笑っていた。
 今日の写真はそのインタビュー時の1枚。実は、「一番好きなポーズしてみて」といったら、人差指で鼻をクイッと押し上げ、笑いながらブタさんのポーズをした。するとマネージャー氏がすっ飛んできて、「ダメ、ダメ、そんな顔しちゃダメ。その写真が伊熊さんのブログに載ったら、大変なんだから」。「エーッ、ダメですかあ」と彼女はとっても残念そう。
 私は思わず吹き出しそうになったが、「まあ、無理でしょう。もっと自然な感じで行きましょう」というわけで、いつものおだやかな笑顔になったという次第。でも、萩原麻未って、いつ会ってもとってもユニーク。おなかがよじれそうになる。でも、今夜の演奏は、本当にすばらしかったですよ。来春のコンチェルトにも期待しています!!

| 親しき友との語らい | 23:20 | - | -
ヘルシー・サンドイツチ
 今日は、近所の行きつけのベーカリーでサンドイッチ用に食パンを切ってもらい(一斤を12枚切り)、ヘルシーなサンドイッチを作った。
 まず、一種類目はパンにバターと大好きなマイユのマスタードを塗り、もう一方はバターとマヨネーズを塗る。両方にサニーレタスを乗せ、マスタードのほうはロースハムとキュウリの薄切りとゆでタマゴの輪切りを乗せる。
 もう一方のマヨネーズのほうはサニーレタスの上にスライスチーズ、アボカド(レモンかシークワーサーの絞り汁で変色を防ぐ)の薄切り、ツナを乗せる。
 マスタードのほうはミニトマトの半分に切ったもの、マヨネーズのほうはキュウリのピクルスの薄切りをトッピングしてできあがり。

 今日の写真はできたての具だくさんのサンドイッチ。余分なものは入っていないし、パンはおいしいし、塗るものもすべてオーガニックだから、とってもヘルシー。
 ただし、パンは焼き上がりの時間に行くと、やわらかすぎて薄く切れないといわれるため、多少タイムラグが必要。それを待って駆けつけるというわけ。おいしいサンドイッチのためにはそれくらいの時間、がまんしなくちゃね(笑)。


 
| 美味なるダイアリー | 14:42 | - | -
サイモン・ラトル
 来週、サイモン・ラトルとベルリン・フィルのコンビが3年ぶり、4度目の来日公演を行う。今回は、樫本大進がコンサートマスターに就任してから初めての来日公演となる。私は初日22日のマーラーの交響曲第9番を聴きに行く予定になっているが、本当に楽しみだ。
 そこでインタビュー・アーカイヴ第27回はマエストロ・ラトルの登場。2004年の晩夏にベルリン・フィルの指揮者室でインタビューを行ったものである。

[Relax 2005年1月号]

「この映画は子どもたち、そして私とベルリン・フィルの人生を変えた。みんな自分の未知なる可能性と創造力に気づいたんだ」

 いま、ベルリン発のひとつのドキュメンタリーが話題だ。それは、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル演奏のバレエ曲「春の祭典」を、ベルリンの子どもたち250人が踊るというトライアルの熱い記録。古典と現代、そして世代を超えたエネルギーの渦をラトル自らが語る!

「どんな曲を使うか、これがもっとも重要な点だった。だって、考えてみてよ。チャイコフスキーの『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』だったら、どんなダンスをしてもプロのダンサーには勝てない。もっと自由でエキサイティングで、子どもたちが身近に感じられる音楽にしたかったんだ。ストラヴィンスキーの『春の祭典』は若者にとって聴きやすいし、リズミカルで踊りやすい。からだが自然に動き出すと思うし」 
 ラトルはドキュメンタリー映画「ベルリン・フィルと子どもたち」の話になると、途端に早口になる。エネルギッシュな語りはあたかも彼の音楽のようで、ことばが次々とあふれ、手の動きも交えてからだ全体で意思表示をする。ふだんはじっくりとひとことずつかみしめるように話し、相手の反応を見ながら次の話題へと進むが、映画に関しては、とどまるところを知らない。
「現在は世界中の人々が問題を抱え、壁にぶつかり、悩みやストレスにさらされる毎日を送っている。この映画はそうした人たちにぜひ見てほしいと思う。きっと現状から立ち上がる勇気が湧くと思うから」
 ラトルは2002年春、ベルリン・フィルの芸術監督に就任したとき、ひとつのアイディアを契約に盛り込んだ。「教育プロジェクト」と題した、子どもや青少年のための音楽教育プロジェクトである。これは「子どもたちにもっと音楽のすばらしさを感じてもらいたい」というラトルの願いから発したもの。「ベルリン・フィルと子どもたち」はその願いが結実したドキュメンタリー。2004年2月、ベルリン国際映画祭でのワールドプレミアでは観客を熱狂の渦に巻き込み、その後各国映画祭でも特別招待作品として上映されている。
「不思議だよねえ、子どもたちを主役に撮影したものなのに、大人がみんな感動してくれる。音楽に国境はないというけど、年齢も何も関係ないってことがこれで証明されたよね。実際、音楽を説明するのにことばはいらない。いい演奏をすればみんながわかってくれる。映画は子どもたちに“きみたちは自分を変えることができる”ということを音楽を通して訴えているんだけど、これは大人にも通じることだと思う」
 サイモン・ラトルはビートルズゆかりの地、リバプールに生まれた。幼少のころよりパーカッションに親しみ、やがて指揮者の道を歩み始めたラトルは、いまや世界の最高峰に位置するオーケストラ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者および芸術監督に上り詰めた。
 だが、素顔のラトルはちっとも偉そうではない。Tシャツやジーンズを愛し、楽員たちとトレーを持ってオーケストラの本拠地であるフィルハーモニー大ホールのカフェでランチの列に並び、「サイモン」と気軽に呼ばれることを好む。1994年、39歳の若さで音楽界への多大なる貢献を称えられて爵位を授与され、サー・サイモン・ラトルと呼ばれるようになったというのに。
 そんなラトルは、幼いころからジャズを聴き、「音楽の大切な要素はリズムだ」と感じてきた。そして、20世紀に生まれた作品や現代の作曲家が生み出す作品を好む。このドキュメンタリーの原題も「RHYTHM IS IT!」。20世紀初頭、ロシアの作曲家、I.ストラヴィンスキーが書いた最高傑作といわれる「春の祭典」の幻想的な響き、神秘的な旋律を強烈なリズムを前面に出しながら指揮している。
「春の祭典」は異教の祭典で春の神の心を鎮めるためにいけにえの処女を捧げ、彼女は死ぬまで踊り狂うというストーリー。音楽ははげしく哀しく美しく、さまざまな表情を持ちながらすさまじいクライマックスへと突入する。初演当時はあまりに前衛的で、大スキャンダルとなった作品である。
 映画では、冒頭からラストシーンまで多くの子どもたちや振付師、ラトルらが自分の人生を淡々と語る。そのことばは非常にリアルで、見る者の心の奥の扉を強烈にノックする力を備えている。人は悩み、困難に直面し、それを必死で乗り越えていくものなのだということが伝わってくる。
「音楽は勉強するものではなく、からだ全体で感じるもの、そして表現するものだと思う。『春の祭典』はリズム、色彩がすばらしく、万華鏡のような作品。音楽が私たちを成功へと導いてくれたんだ」
 ラトルは「コミュニケーション」ということばが大好きだ。指揮者である自分とオーケストラとのコミュニケーション、子どもたちとのコミュニケーション、そして作品とのコミュニケーション。
「でも、忘れてはならないのは聴衆とのコミュニケーション。これなくしては演奏は成り立たない。私は常に聴衆が何を求め、どんな音楽を聴きたいかを把握していたい。自分だけ満足していたのでは時代に置いていかれてしまう。いま現在、みんなが何を欲しているか、それを見極めないとね」
 時代の寵児と呼ばれるラトル。彼の目は世界を見、時代を見、未来を見つめている。

 今日の写真はその雑誌の一部。カメラマンが百面相のようなラトルの表情を撮影し、編集者がそれをページ全体にちりばめた。

| インタビュー・アーカイヴ | 22:11 | - | -
テニスとサッカーとフィットネス
 今日は毎週通っているフィットネスのクラスに行き、トレーナーと昨日のテニスの話をした。
 ロジャー・フェデラーがパリ・マスターズで初優勝を遂げ、先週のスイス・インドアに続けてトロフィーを掲げたからである。
 フェデラーは今季のグランドスラムをまったく取ることができず、USオープンのあとは深く落ち込んでいたが、ここにきて見事に復活。パリでは顔の表情がまったく異なり、終始「闘う表情」をしていた。
 長年フェデラーの試合に臨む顔を注意して見ているので、コートに出てきたときの一瞬の表情で心理がほぼ読めるようになってきた。
 笑顔が出たり、おだやかな表情のときはあまり結果がよくない。ただし、今回のパリでは、怖いほどの緊迫感がただよい、最後まで集中力が途切れず、ニコリともしなかった。
 この顔を見て、さらにプレーを見て、ロジャーはものすごく努力したのだと知った。ポール・アナコーン・コーチの表情も同様に笑顔はない。ただひたすらロジャーを信じ、積み重ねてきたことを信じ、結果を信じている感じだった。
 そしてフランスのジョー=ウィルフリード・ツォンガを6-1、7-6で破り、念願のパリ・マスターズの勝利を手中に収めた。
 もう1週間後にはロンドンでのATPワールドツアー・ファイナルが控えている。去年はロジャーが優勝している。さあ、もうひと頑張りだ!!
私はサッカーも大好きで、本来はリーガ・エスバニョーラのファンだが、いまはディディエ・ドログバとフェルナンド・トーレスがいるため、プレミアリーグのチェルシーを応援している。しかし、なんといっても興味深いのはゴールキーパーだ。私はサッカーを見るときはいつもキーパーに注目。W杯でも各国のキーパーがみんな実に個性的で、とてもおもしろかった。
 でも、今日フィットネスのトレーナーと話していたら、フィギュアスケートもライヴで見たいよね、ということになり、彼も私も高橋大輔のスケートをぜひ見てみたいと意見が一致。あのエレガントで流麗なスケートをぜひナマで見てみたい。
 フィットネスのクラスに通い始めてから約半年がたったが、パソコンの影響による腰痛は激減。やはりからだを動かすことは大切なのだと痛感。トレーナーもみんな本当にさっぱりしていて一生懸命教えてくれるし、会員もいい人ばかり。その時間だけは日常から離脱し、運動に集中するため、精神的にもとてもいい。
 だれか、運動不足で悩んでいる人がいたら声をかけてね。このフィットネス、ゆる〜いものからちょっとはげしいものまでいろんな種類があるから、自由に選べますよ、お勧めです。
| ロジャー・フェデラー | 22:30 | - | -
レイフ・オヴェ・アンスネス
 ノルウェー出身のピアニスト、レイフ・オヴェ・アンスネスは、初来日のときからずっと取材とインタビューを続けている。2007年のグリーグ没後100年のメモリアルイヤーのときにノルウェーに取材に行ったときもベルゲンで会い、話を聴いたり、コンサートに行ったりした。
 そんなアンスネスが9月に来日。このときの様子は以前ブログにも書いたが、インタビューも行った。これは今月発売の「モーストリー・クラシック」に掲載される予定である。
 アンスネスはずっとEMIで録音を行ってきたが、新たにソニー・クラシカルと契約を交わしたという。その第1弾として、ベートーヴェン・プロジェクトを考えているそうだ。
 これはピアノ協奏曲全5曲を彼の弾き振りで収録するもので、共演はマーラー・チェンバー・オーケストラ。2012年から3年がかりで取り組むことになっており、2012年秋にまず第1番と第3番を録音、2013年に第2番と第4番、そして2014年に第5番「皇帝」を録音する予定が組まれているという。
 そして2013年にはエサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニー管弦楽団と来日し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を演奏することになっているそうだ。
 彼はいつもいま取り組んでいるプロジェクトについて熱く語ってくれるが、このときもベートーヴェンの各コンチェルトについていろんな話が次々に出てきた。アンスネスは決して雄弁なほうではなく、初来日のころはボソボソッと話していたが、何度かインタビューを続けているうちに、話が多方面に広がるようになった。
「だって、いつも日本にくるときみがこうして会いにきてくれるし、なんだか旧友に会った気持ちがするんだよ」
 ハイハイ、旧友ね。この話を友だちにしたら、「えっ、旧友。なんと色気のない。もっと色っぽいいいかたしてもらえるようにならなきゃダメじゃない」とズバリといわれてしまった。そんな無理ってもんでしょ(笑)。
 アンスネスは先ごろ娘が生まれ、もうメロメロ。「女の子が生まれると、父親はひたすら心配になるんじゃない」といったら、真顔でこんなことをいった。
「いまはまだ小さいからいいけど、もう少し大きくなったらヘンな虫がつかないように見守っていなくちゃならないよ。日本にくるのは時間がかかるし、長いツアーになるから、そうなったら遠くへの演奏旅行はできないなあ。家にいないとまずいし…」
 オイオイ、いまからそれじゃどうすんだ。困ったもんだなあ。
 アンスネスは実直で素朴で気どらないタイプ。音楽にもそれは現れているが、ふだんの彼も思った通りのことを真っ正直に話す。そして時折、あまり正直に話したため、しまったと思うのか、「ヘヘヘ」と苦笑いしながら「きみ、誘導尋問うまいねえ」などという。
 アンスネスは最初のころはホールが埋まらず、マネージメントも苦戦を強いられた。私は限りない才能を秘めていることに気付き、当初から「北欧のピカイチ」と太鼓判を押していたが、日本でその真価が認められるまで何年もの年月を要した。
 欧米では巨匠的な扱いを受け、演奏は高い評価を得ているにもかかわらず、国際コンクールの優勝者ではないからか、地味な存在だと思われているからか、人気が出るのが遅かった。そのころからこうした悩みを彼から聞いていたため、いま日本でも本来の実力が評価されるようになり、私は本当にうれしい。
 今日の写真は、そんなアンスネスのはにかみながらの笑顔。まだナマの演奏を聴いていない人は、ぜひ次回のベートーヴェンを聴いてほしい。きっとファンになると思うから…。

| 親しき友との語らい | 23:00 | - | -
馨しきティータイム
 もうかなり前のことになるが、フランスのピアニスト、マルク・ラフォレの取材にパリを訪れた折、オフの日にリモージュの窯元で美しいカフェオレカップを購入した。
 これはとても繊細な作りで、大切に扱わないと、すぐにヒビが入ったり欠けたりしてしまう。だからいつもていねいに扱っている。
 私はひとつの原稿が終わると、必ずといっていいほど紅茶を飲んでひと息入れるのが習慣となっているが、今日は久しぶりにこのリモージュのカップを出してみた。
 というのは、先日ボリス・ベレゾフスキーのコンサートにご一緒した知人のKさんが、私の紅茶好きを知って、おいしいリーフティの缶をプレゼントしてくれたからだ。これはインドのダージリンとスリランカのイングリッシュブレックファースト。
 クラシックティが好きな私の好みが、どうしてわかったんだろう。これらの紅茶をいただくには、やはり正統的な入れかたが必要となり、カップもおいしくいただけるものを用意しなくてはならない。
 というわけで、リモージュのカフェオレカップが登場したという次第だ。これにたっぷりと紅茶をそそぎ、まずはストレートでいただく。次はミルクをほんの少し入れて、もうひと口。ウーン、至福のひとときですなあ(笑)。
 このカップを眺めていたら、そのときに一緒だった仕事仲間の顔が浮かんできた。ひとりは亡くなり、ひとりはクラシック界から去ってしまった。ラフォレにも長い間会っていない。なんと年月の経つのは速いことか。
 ひとつのカップからさまざまな思い出が蘇る。そのときにパリの教会で演奏したラフォレの音も鮮明に覚えている。フランスのレコード会社の担当者が紹介してくれたプチホテルは、以後私の定宿となっている。
 さて、旅の記憶をおつまみに、もう一杯紅茶をいただきますか。
 今日の写真はエレンガントなカフェオレカップ。そのうしろにはおいしい紅茶の缶が控えて…。Kさん、ありがとう、ごちそうさま。






 
| 美味なるダイアリー | 15:50 | - | -
ニコライ・カプースチン
 最近、ニコライ・カプースチンの名前をよく耳にする。
 1937年11月22日ウクライナに生まれたカプースチンは、作曲家であり、ピアニストであり、ミュージシャンでもある。
 クラシックとジャズを融合した独特の作風は、子どものころからのジャズ好きによるところが大きい。ピアノはモスクワ音楽院でアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルに師事し、大変な技巧派として知られている。
 長らくその作品は演奏される機会に恵まれなかったが、近年ニコライ・ペトロフ、スティーヴン・オズボーン、マルク・アンドレ・アムランという個性的な技巧派ピアニストによって演奏され、その真価が評価されている。
 私が最近インタビューした若手ピアニスト、長富彩、菊地裕介からもカプースチンに興味があるという話を聞き、いまやその作品の魅力は広がりつつあると感じている。
 実は、昨夜は宮田大のチェロ・リサイタルを聴きに行ったのだが、彼がアンコールの最後に弾いたのがカプースチンの「ブルレスク」。超絶技巧のジャジーな旋律をかろやかに演奏する柳谷良輔のピアノに乗せて、チェロがときに哀愁に富み、またあるときはアンニュイな表情や自由闊達な歌を奏で、弦を豊かに響かせていく。非常に印象深い音楽で、もっともっと多くの作品を聴きたいという欲求が湧いてきた。
 こういう一種のウェーブはじわじわと広がり、やがて大きな波となってブームへとつながっていく。
 ぜひ、カプースチンの作品を多く取り上げた演奏会を聴きたいと思う。
| 日々つづれ織り | 22:48 | - | -
メンヒスベルクの美味なるランチ
 旅の楽しみのひとつに、その土地で味わう食事がある。
 ザルツブルクに行くと、いつも必ず足を伸ばすのがメンヒスベルクの丘の上にあるレストランM32。ここは丘の上に位置する近代美術館と同じ建物内にあり、広いテラス席からはザルツブルクのすばらしい街並みとホーエンザルツブルク城塞が一望できる。
 夏の音楽祭に出かける際は、ぜひ立ち寄ってほしいレストランである。
 パスタやザリガニ料理、肉料理などさまざまなメニューが用意されているが、なかでもお勧めはクラブ・サンドイッチ。パンも自然なおいしさで、すべての具が日本人の舌に合うシンプルながら深い味わい。
 テラス席で風に吹かれながら頬張るクラブサンドは、ピクニックに行っているようなリラックスした気分と、おしゃれなレストランの雰囲気と、美術館の近くならではの知的な空気がプラスされ、印象に残る味となる。
 メンヒスベルクは、ゲトライデガッセから徒歩5分ほどのところにあるエレベーターで一気に上ることができる。近代美術館は2004年10月にオープンした白亜の美術館。夏は観光客が多く、美術館を訪れた人は必ずといっていいほどこのレストランに立ち寄るため、予約したほうが安心。もちろん、お茶だけでもオーケーだ。
 今日の写真はM32のテラス席。眼下に広がる景色がすばらしい!! ここは、何時間でもボーっとすわっていたくなるんだよね(笑)








| 麗しき旅の記憶 | 23:21 | - | -
内田光子
 内田光子のリサイタルは長年聴き続けているが、昨夜のシューベルトの最後の3曲のピアノ・ソナタは、聴き手にも集中力と緊張感を抱かせる、ピーンと張り詰めた空気のなかで演奏された印象深いものとなった。
 シューベルトは死の2カ月前にD958、D959、D960のソナタを書いている。それぞれ異なった内容と奏法と様式を備え、尊敬するベートーヴェンに対する意識が強く感じられ、演奏時間約30分、約45分、約55分と長大なソナタである。
 内田光子は、先日の「シューベルトを語る」のなかで各作品に関してこう話していた。
「D958のハ短調は、地上の苦しみのなかには業がたくさんあることを音楽で表現していると思うわ。この作品には救われたいという欲望、渇望、地獄の祈りなどが次々に現れるから」
「D959のイ長調は明るく、生きていることのすばらしさが表現されていると感じるわね。ただし、第2楽章は狂気の世界よ。このソナタはコラールのような箇所や鐘がガンガン鳴るところなどさまざまな面が描写され、人生のすばらしさとおそろしさを表現していると思う」
「D960の変ロ長調は、すでに達観している感じね。おそろしさや苦しみから逃れ、そこには救いが見られるわね。悲劇のドラマの余韻がただよっているもの」
 まさにこのことば通り、演奏はシューベルトの死生観を色濃く映し出すものだったが、ときおりのぞく生への狂おしいまでの渇望、幻想的で夢見るような旋律を内田光子は特有の美しい弱音でゆったりと紡ぎ、シューベルトの歌謡性を描き出していった。
 シューベルトは長年病気に苦しんでいたが、自分が2カ月足らずで世を去るとは思っていなかったようで、死の直前になってから対位法の勉強を始めている。
 内田光子もトークでその点に注目していた。
「シューベルトは、死ぬ1年前から対位法のクラスに通い始めていたの。自分に足りないところを学ぼうとしていたんでしょうね。なんて純粋な人なんでしょう。病気が判明し、悩み、死と手をつないでいた人生だったけど、最後まで創作意欲を失わなかった。私はこれら最後のソナタは、生涯ずっと弾き続けていきたいと思っている」
 この夜の演奏では、とりわけ緩徐楽章の美しさと清らかさが際立っていた。しっとりとしたリリシズムが、いまでも心の奥に温かな光を灯している。
 
| クラシックを愛す | 23:06 | - | -
ロジャー・フェデラー&錦織圭
 昨夜、バーゼルで行われた男子テニスのスイス室内の決勝で、ロジャー・フェデラーと日本のライジングスター、錦織圭が対戦。
 試合はフェデラーの6-1、6-3での圧勝となったが、準決勝で世界ランキング1位のノバク・ジョコヴィッチを破った錦織は、挑戦者として持てる才能を存分に発揮、潔いテニスを見せた。
 今日発表されたランキングで錦織は24位に上がり、来季は各大会でシード権を得る機会が増える。日本男子テニス界の期待を一身に背負い、世界の実力派選手からも一目置かれている錦織。「天才」と称されている才能をぐんぐん伸ばしていってほしい。
  錦織のテニスはアイデアが満載。次に何が出てくるかわからないほど多彩なショットを繰り広げ、観客を魅了する。以前、ナブラチロワに「あなたのテニスはとても興味深いわ」といわれ、照れまくったとか。いいですねえ、純粋で。
 一方、ロジャーはようやく今季2度目の優勝を獲得し、優勝カップを手にした途端、またもやいつものように涙ぐんでいた。春から夏にかけて優勝から遠ざかり、ランキングを落とし、相当落ち込んでいたに違いない。その思いが胸に押し寄せてきたのだろう。
 でも、自身の故郷バーゼルで優勝カップを手にすることができた。私もモヤモヤが吹っ切れ、すっきりした気分(笑)。
 これでいまもう始まっているパリ大会、ロンドンの最終戦に向けて一気にギアを上げていってほしい。頼むぞ、ロジャー!!
| ロジャー・フェデラー | 22:50 | - | -
マレイ・ペライア
 昨夜はすばらしいペライアのリサイタルを聴き、一昼夜経たいまでもその演奏は心の奥に深い記憶と感動を伴って刻み込まれている。
 今回のプログラムは彼が指を故障していた時期に「バッハの音楽によって救われた」と語る、J.S.バッハの「フランス組曲」第5番から始まった。ペライアの演奏はバッハ時代の楽器の響きを特に意識することなく、現代のピアノの特質を生かす奏法。しかし、ペダルの使用は極力控え、音のダイナミズムも抑制し、かろやかさと繊細さを際立たせ、ひとつひとつの舞曲のリズムを鮮やかに弾き分けていく。
 次いでベートーヴェンのピアノ・ソナタ第27番の登場。先日聴いたチッコリーニのベートーヴェンのときもそうだったが、ペライアのベートーヴェンもとりわけ第2楽章のロマンあふれる旋律の表現が美しく、つい涙腺がゆるむ。
 ベートーヴェンの作品の緩徐楽章というのは、なぜこんなにも人の心を打つのだろうか。名手による演奏は、涙なくしては聴けない。ペライアは映画「不滅の恋」のサウンドトラックを担当し、なかでもベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第2楽章がえもいわれぬほど美しい。これはベートーヴェンの弟子が「不滅の恋人」の謎を解明するために馬車に揺られていく冒頭のシーンのバックに流されるのだが、もう最初から目はウルウル状態だ。
 リサイタルの前半の最後は、録音でも大評判のブラームスの「4つのピアノ小品Op.119」。これと後半の最初に置かれたシューマンの「子供の情景」がいまのペライアの心身の充実を物語っていた。何かをプラスしたり、何かをマイナスする必要がまったくないほどの完璧なる演奏を披露したからだ。あるべき音がそこにある、という美しいフォルムで作品が紡がれていった。
 そして最後は彼が大好きなショパンの作品を3曲。「24の前奏曲」第8番、マズルカ第21番、スケルツォ第3番を続けて演奏。アンコールでもショパンを何曲か演奏し、深い感動をもたらして幕を閉じた。
 先週ペライアにインタビューをしたとき、彼はこのブラームスとシューマンについて熱く語った。ウィーンのムジークフェラインの図書館でブラームスの貴重な資料を見て新たな発見があったこと、シューマンのテンポ設定についてなど、ふだんは決して雄弁ではない彼がこうした話題ではひざを乗り出して話す姿が印象的だった。
 このインタビューは今月24日の「日経新聞」夕刊に掲載される予定である。さらにヤマハWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」にも書こうと思っている。
 ペライアは、演奏のみならずステージマナーにもその実直な人柄が現れている。現役のピアニストのなかで、私がもっとも好きなピアニストである。
 今日の写真はインタビュー時のもの。来日した直後だったが、時差も気にせず誠実に対応してくれた。またまた惚れ直してしまったみたい(笑)。


 
 
 
| クラシックを愛す | 22:50 | - | -
秋なのか、夏の名残りなのか…
 最近、日中は蒸し暑いほどなのに、夜はぐんと冷え込み、何を着たらいいのか迷ってしまう。
 いったい、季節は秋なのか、夏をまだひきずっているのか理解に苦しむ。そんな気候だから、まわりに体調を崩している人が多い。
 もっとも驚くのは庭の花壇に水やりをするとき。初夏から毎日というほど元気に花をつけているハイビスカスが、まだ咲いていることだ。
 ピンクや赤のハイビスカスもあるが、一番活発に咲いているのは南側に植えてあるオレンジ色の花。これがすこぶる元気で、11月だというのにほぼ毎日いくつか花をつける。
 なんと健気なことだろう。季節の変動もなんのその、立派に自分の役目を果たしているではないか(笑)。エライなあ。植物からエネルギーをもらうというのは、こういうことをいうのかもしれない。
 さて、今日もまたすばらしいピアニストの演奏を聴きに行く。マレイ・ペライアのリサイタルだ。
 ハイビスカスのようにきちんと自分の仕事をしなくちゃね。

| 日々つづれ織り | 12:41 | - | -
ルドヴィコ・エイナウディ
 先日、イタリアのピアニスト&作曲家のルドヴィコ・エイナウディに話を聞いた。彼はヨーロッパで絶大な人気を誇り、これまでリリースしたディスクは100万枚を超えるヒットを記録している。
 幼いころからクラシックのみならずジャズやポップスなどジャンルを超えた音楽に興味を示していたが、最初はピアノを学び、やがて作曲をルチアーノ・ベリオに師事している。
 そのピアノはジョージ・ウィンストン、溝口肇、加古隆、アンドレ・ギャニオンら、いわゆるヒーリングミュージックとかニューエイジと呼ばれるジャンルに入るものとされ、またミニマルミュージックとも呼ばれる。
 だが、エイナウディの音楽は特有の響きを備え、優しさと情感の豊かさと浸透力の強さも持つ。
 彼は祖父がイタリア共和国第2代大統領を務めた経済学者、父は老舗出版社の創設者、母はピアノを弾き、その父はエンリコ・カルーソーの声楽コーチでシドニー・オペラ・カンパニーの創設者という名門の出身。
 このインタビューは、「音楽の友」の今月発売号に掲載される。
 エイナウディは、作曲するときに各地の民族音楽やその楽器に触発されること、これまで多岐に渡る音楽を聴いてきたこと、自分が音楽で何を表現したいかなどをゆったりとした口調で語ったが、次第に話題は人生論に発展。現代社会に生きる人々はあまりにも時間に追われ、ストレスがたまり、人生をゆっくり考えることができないということに触れ、「他人のことばや評価に振り回されることなく、自分の可能性をとことん追求し、夢を追いかけ、決してあきらめず、それに向かって進むことこそ人生を豊かにすることだと思います。だれでも、人生は一度しかないのだから」と切々と話した。
 まさに言い得て妙。近ごろ、いろいろと悩んでいる私はとてもいいアドヴァイスをもらった気がして、彼の顔をまじまじと見つめてしまった。
 エイナウディはまた、こんな表現もした。
「オープンな考えかたの持ち主で、ある程度の知性が備わっている人であれば、あなたの箱はここですよといわれても、その箱にとどまってはいないでしょう。もっと自由に積極性をもって、自分の可能性を求めながら大きな箱を探すと思います。そういう気持ちがその人の人生を豊かなものにするのではないでしょうか。常に新たな物を発見して学んでいく。それこそが生きる喜びにつながるのだと、私は考えています」
 うーん、まいりましたなあ。彼はそれを自分の音楽で示しているのだという。来日記念盤は「エッセンシャル・エイナウディ」(EMI)。こういう音楽を聴くと、なんだか日常のあわただしい歩みがふと止まる気がする。もっとゆったりとした時間の流れに身をゆだねないといけないなあと、つくづく考えさせられた。
 今日の写真はインタビュー時のルドヴィコ。最初はちょっとコワモテでとっつきにくかったけど、インタビューが終わるころには「ちょっときみの写した写真見せて」とか、私の携帯にグリーグの作曲家小屋が映っているのを見て、あわててマネージャーを呼んで「ほらほら、前にぼくがいっていた小屋はこれだよ」などとにこやかな表情に変わった。
 ついに本格的に日本上陸したルドヴィコ・エイナウディの音楽。きっと日本でも一気にファンが増えるのではないだろうか。

| 日々つづれ織り | 22:46 | - | -
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