Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

ブログ

リッカルド・シャイー
 2005年からライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカベルマイスターを務め、ライプツィヒ歌劇場の音楽総監督も兼任しているリッカルド・シャイーは、これまで各地の重要なポストを歴任。だが、素顔はとても気さくでオープン。
 もちろん、指揮台の上ではきびしい表情で集中力に富んだ演奏を展開するが、インタビューでは陽気で雄弁。イタリア人らしさ満載だ。
 シャイーは著名な音楽学者・作曲家のルチアーノ・シャイーを父にもち、1953年ミラノに生まれた。作曲を父に、指揮法をフランコ・フェラーラに学び、14歳で指揮デビューという早熟ぶりを発揮。19歳のときにマスネの歌劇「ウェルテル」を振ってオペラ指揮者としてデビューを果たした。
 第32回の「インタビュー・アーカイヴ」はそのシャイーの登場。彼は声が素敵で、低く深い声で話す。その声をほめたら、「いまはもうかなり時間がたってしまったからこんな声だけど、実は起きぬけの声はもっと低くていいんだよ」とニヤリ。うーん、さすがイタリア人。こんなことをさらりと口にする。こりゃ、まいりましたな(笑)。 

[FM fan 1991年11月25日〜12月8日号]


マーラーの音楽を聴いて、人生の扉が開かれたように感じた
 


 10月5日、指揮界の若武者ともいうべきシャイーに率いられたロイヤル・アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団は、以前とはまったく趣を異にするシャープで現代的な演奏を披露した。シャイーはムソルグスキーの「展覧会の絵」では極力テンポを抑え、プロコフィエフの交響曲第1番やラヴェルの「ダフニスとクロエ」では一瞬火花の散るような輝きを見せ、その個性を強く打ち出していた。演奏に先立ち、13日の朝に行われたインタビューでも彼の内なるエネルギーは強烈に伝わってきて、疲れを知らないタフぶりにイタリアの熱血魂を見る思いがした。

住まいもアムステルダムに移し
もうどっぷりです


――それではまず、ロイヤル・アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が創立100年を迎えた1988年に、35歳の若さで常任指揮者に就任されたわけですが、そのときはかなり重責だと感じられたのではないでしょうか。
シャイー もちろん指名されたときは、「私にとってこれは重大な転機になるな」と思いました。オーケストラにはいろいろな方針があるものですが、このオーケストラは非常に民主的なオーケストラで、常任指揮者を選ぶのも全楽員の投票で行っています。オーケストラの委員会などの承認を受けることも通常通り行われていますが、最終的には楽員の意見が大きくものをいいます。現在このオーケストラは創立してから104年目に入っていますが、歴代の常任指揮者を見ると、みんな40歳以下で就任しています。これはすでにオーケストラの伝統ともいえる事実になっていて、本当に若いときにポストに就いているんです。
――メンゲルベルクは20代前半でしたよね。
シャイー そうです。彼は24歳でした。ベイヌムはたしか、31歳だったと思います。ハイティンクだって30歳だったんですよ。本当に若いでしょ。ですから私の35歳はそんなに驚くことではないかもしれません。
――そうなると、いままで各地で指揮をしていらしたのを1本にしぼって、コンセルトヘボウに没頭という形になったのですか。
シャイー もう住まいもアムステルダムに移しましたし、どっぷりです(笑)。アムステルダムに家を買いましたから。1986年から音楽監督を務めているボローニャのテアトロ・コムナーレのオペラの仕事は続けていますが、ほかの客演はまったくできません。オランダとイタリアの往復だけという生活です。唯一、夏のシーズン・オフのときにヨーロッパで行われるサマー・フェスティヴァルには参加しています。
――コンセルトヘボウはヨーロッパでも指折りの音響のよさを誇っていますが、最初あのホールで指揮されたときはどんな印象をもたれましたか。
シャイー 私はあのホールはヨーロッパ一の音響だと思っています。いつも世界一だと思っていい気分で振っているのです。最初からすばらしいと思いました。でも、東京にもいい音響のホールはたくさんあると思いますよ。私は1983年にロイヤル・フィルと初めて日本にやってきたときに、東京にあまりにも多くのいいホールがあるのでびっくりしたことを覚えています。このとき私が日本に発つ前に、マエストロ・カラヤンから「東京にはいいホールがたくさんあるから、見ておいで」といわれました。

7歳のときマーラーの交響曲第1番を聴いて
ショックを受ける


――最近マーラーの録音が多いのですが、最初にマーラーの音楽に開眼したのはいつごろでしょうか。
シャイー 1960年に父に連れられてローマのラジオ放送局のオーケストラのリハーサルに行ったときに、今回日本で演奏するマーラーの交響曲第1番を初めて聴きました。そのときにものすごくショックを受けました。マーラーの音楽のすばらしさを知るとともに、このときに音楽のプロになりたいと心に決めたのです。私はたった7歳でしたが。
――そんな小さなころに感じるマーラーに対してのショックというのは、いったいどういうものだったのでしょう。
シャイー 実はそのとき初めてオーケストラをナマで聴いたのです。ですからまずオーケストラの音というものに強い感動を受けました。そこで聴くマーラーの音楽は、無限の宇宙の扉を開けたような感じを私にもたらしました。それはあたかも人生を感じさせました。人生というのは終わりがなく、いろいろと学んでいくプロセスのひとつだと私は思っていますから、マーラーの音楽を聴くことによって人生の扉が開かれた感じがしたのです。
――そうすると、今回マーラーの交響曲第1番をプログラムにもってきたというのも、そのころからの長い思い入れがあるからなのですね。
シャイー 自分自身の気持ちもありますが、このオーケストラとマーラーはとても強い結びつきをもっているのです。50年間常任指揮者を務めたメンゲルベルクは、マーラーとは非常に親しい友人でした。ですからマーラーはしばしばオーケストラを訪れ、自分の作品を自ら演奏していました。コンセルトヘボウの104年の歴史のなかでこの時代はとても大切な時期であり、いまでも私たちはこのころの楽譜から多くのことを学ぶことができます。というのは、この時代の楽譜がオーケストラの大切な資料としてすべて保存されているからです。私たちはそれを見ることによって、このオーケストラの歴史と伝統を実際に学ぶことができるわけです。マーラーの書き込みや注意事項がそこに残っているのですから。
――では、歴代の指揮者たちはみなそのマーラーの楽譜に触れて、彼の実際の解釈に接することができたわけですね。
シャイー マーラー以外にも、ブルックナーやショスタコーヴィチが指揮台に立っています。そのころのオーケストラにとっては、作曲家がやってきて実際に振るのは、ごく日常的なことだったのでしょう。

 インタビューが終わって雑談をしているとき、シャイーは「指揮者になっていなければ、建築家か自然科学者になっていたかもしれない。ピアニストになれると思ったことはあるけど、歌手なれるとは思わなかったなあ」と笑った。
 そしてこうつけ加えた。「きみは私の声をほめてくれたけど、指揮しているときについ旋律を歌ってしまうと、オーケストラの演奏はあまりうまくいかない。やっぱり歌手には向いていないんだね」と、またまたニヤリ。
 最近は貫録がつき、巨匠的な風格もただようようになってきたシャイー。また、インタビューをする機会があるといいなあ。あの声、聴きたいし(笑)。
 今日の写真はそのときの雑誌の一部。まだかなりスリムだよね。あっ、こんなこといったら怒られるか、ダンディが売り物なのに(笑)

| インタビュー・アーカイヴ | 22:55 | - | -
牛田智大
 毎回この時期になると締め切りが重なり、コンサートには行けず、自由な時間もほとんどなく、切羽詰まった状態の日々が続く。
 でも、今日はそんなすさまじい状態の私にひと吹きのみずみずしい風を送り込んでくれた人がいる。先日も録音風景を書いた12歳のピアニスト、牛田智大のインタビューに出かけたのである。これは次号のヤマハ「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に書く予定だ。
 すでに2度目だったためか、親しみをこめて笑顔でインタビューに答えてくれ、その知性の豊かさと大人っぽい対応にまたまた感動!
 デビューCDのライナーノーツを書くため、各々の作品について話を聞いたのだが、これがどんな質問にも当意即妙の答え。私は昔からロシアの神童たちに出会っているため、彼らに対して子ども用のことばは使わない主義。ひとりのアーティストとして対応する。
 牛田智大もそれを即座に理解し、いろんな話をポンポンと素早くしてくれた。なんてすばらしい才能なんだろう。
 そしてインタビューが終わって階下で広報を担当している人と話していたら、エレベーターでディレクターと追いかけてきて、「これ、どちらがいいですか。僕、決められなくて」とジャケット写真の異なったバージョンを見せられた。
 私は何でも即決タイプ。自分の直感を信じているほうなので、「こっちがいいんじゃない。あくまでも私個人の考えだけど」」と1枚を推薦。
「ありがとうございましたー」とにこやかにエレベーターに消えた彼を送り、うーん、写真に迷っているのか、とひと安心。だって、あまりにも優等生的だとつまらないじゃない。少しは迷いや悩んでいる様子が見えないとね(笑)。
 彼に会って、前向きでさわやかな風を感じ、一気にエネルギーが湧いてきた。さてと、また原稿と格闘しますか。
 今日の写真はインタビュー時のもの。お母さんが「よく女の子にまちがえられるんです」と話していたが、本当にキュート。「あまりかしこまっているのはつまらないから、何か好きなポーズしてよ」といったら、困った顔をしていたが、一瞬このポーズをした。私はその瞬間を逃さないもんねー(笑)。

| ああ愉しき(?)、締切り地獄 | 23:40 | - | -
ポモドーロ
 今日は細めのナマパスタが手に入ったので、シンプルなポモドーロを作ることにした。
 まず、オリーブオイル大さじ3でタマネギ小1個とニンニク小2個のみじん切りをじっくりと炒め、ここにホールトマト(400グラム)2個をつぶしながら加える。もちろんジュースごと。ローリエ1枚と塩小さじ1を入れて、アクをとりのぞきながらゆっくりと2分の1の分量になるくらいまで煮込んでいく。
 パスタをゆでて、できたてのポモドーロをかけ、パルミジャーノレッジャーノを振りかけ、パセリのみじん切りかバジルの葉をトッピングすればできあがり。
 とてもシンプルだけど、毎日食べても飽きない味。色もきれいで、イタリアの国旗を連想させる。
 休日のブランチには、レタス、ジャガイモ、ニンジン、ピーマン、キューリ、ツナ、ゆで卵、オリーブなど実だくさんのサラダ・ニソワーズを添えるとOK。イタリアとフランスの見事な融合となるでしょ。
 今日の写真は美しい色彩のポモドーロ。このトマトソース、多めに作っておくと、忙しいときにいろんなバリエーションができるからとっても便利。
 私はいつもお鍋にいっぱい作り、それをながめてはレシピを考えるのを楽しみにしている。パスタの種類を変えるだけでも、変化が生まれる。ポモドーロ、なんて有能なんでしょう(笑)。



| 美味なるダイアリー | 22:43 | - | -
ネマニャ・ラドゥロヴィチ
 セルビア出身の若きヴァイオリニスト、ネマニャ・ラドゥロヴィチの演奏を初めて聴いたのは、5年前にフランスのナントで開催された「ラ・フォル・ジュルネ」音楽祭に取材に行ったときだった。
 1985年生まれの彼は14歳で家族とともにフランスに移り、翌年パリ国立高等音楽院に入学。この時期にメニューインやアッカルドの薫陶を受けている。
 彼は長髪をなびかせながら、からだをぐっと反らし、躍動感あふれる劇的な演奏を行う。まるでパガニーニのようだといわれ、タルティーニの「悪魔のトリル」を収録したアルバムはふだんクラシックを聴かない若者たちの心をもとらえた。
「僕のモットーは自由な演奏。感情の赴くままに、豊かな歌心をもって弦を鳴らしたい。それは3人の先生が教えてくれたことなんだよ」
 こう語るラドゥロヴィチは、7歳のときに絶対音感があることを先生に指摘され、ヴァイオリンを始めた。
 3人の先生とは、生地で師事したオイストラフの弟子であるデヤン・ミハイロヴィチ、その後、戦争で祖国を離れざるを得なくなり、ザールブリュッケンで短期間就いたヨシュア・エプシュタイン、パリで学んだパトリス・フォンタナローザ。それぞれの先生が音楽する心と演奏する喜びを教えてくれたという。
 そんな彼には何度かインタビューをしているが、もっとも印象に残っているのは、東京の「ラ・フォル・ジュルネ」に参加したときに話を聞いたとき。このときは髪型を非常に気にしていて、髪に手を置きながらからだをくねらせ、こんなことをいった。
「ねえ、ホテルのドライヤーがすごく強くて髪がうまくいかないんだけど、どこかやわらかい風が出るドライヤー売っているところ知らない?」
 ヘアスタイルを何度も気にして、インタビューどころではない。実は、そのときの様子を私が形態模写しながら仕事仲間の男性に話したところ、「えーっ、すっごく似ている。ネマニャそのもの。うますぎるー」といい、のけぞって笑い出した。
「ねえねえ、ネマニャを知っている人みんなにその真似、見せてあげてよ」といいながら、「伊熊さん、職業まちがえたんじゃない」などといって、しばらくおなかを抱えて涙を流さんばかりに笑っていた。
 そんなわけで、私はネマニャに会うたびにそのときのことを思い出してしまう。そんな彼にまたまた会った。
 セルビアとフランスの音楽仲間15人を集めて3年前に結成したアンサンブル、ドゥーブル・サンスとの共演で、ついにヴィヴァルディの「四季」を録音したのである(キングインターナショナル)。彼は弾き振りを行っている。
 この「四季」のなんと推進力に満ちていることか。冒頭から疾走し、ドラマチックで視覚的。いままで聴いたどの「四季」とも異なる味わい。
 彼はインタビューで各々の季節に関しての聴きどころをことばを尽くして話してくれた。これは次号の「intoxicate」に掲載される予定である。
 エキサイティングで、聴き手をぐいぐい音楽のなかに引き込んでいく演奏をするのに、ふだんはとてもやさしい目をしたおだやかな笑顔が印象的。このコントラスト、悪魔的な演奏と天使のような笑顔。髪振り乱してロック歌手のような格好で演奏するのに、ステージを降りると「髪が気になって…」とブツブツ。あまりのギャップについ笑ってしまう。
 ネマニャという名前は11世紀の王族の名に由来しているそうだが、「僕の名前、日本人は発音しにくいでしょう。ごめんね」などと心優しき面を見せる。
 うーん、またまた携帯模写しちゃいそう(笑)。 新譜には日本を主題としたセルビア人作曲家アレクサンダル・セドラルの「日本の春・2011」がカップリング。これは東日本大震災への追悼として坂本九の「上を向いて歩こう」をモチーフに書かれた新作。ここでもおだやかさと恐怖の対比に耳が奪われる。 
 今日の写真はインタビュー時のもの。ねっ、不思議な魅力を放っているでしょう。


 
| アーティスト・クローズアップ | 00:10 | - | -
末っ子トリオの会
 仲よし3人組の「末っ子トリオの会」を久しぶりに行い、銀座でイタリアンを食べた。
 音楽事務所に勤務しているOさん、マネージメントとパブリシティを行っているUさん、それに私の3人は、いつも近況報告と仕事の話、家族の話、さまざまな悩み、これからのことを話していると、あっというまに時間がたっていることに気づく。
 それぞれいろんな悩みを抱えているが、それを率直に語り合うことができるというのが、この会の強み。3人寄ればなんとやら、悩みはすぐには解決しないが、話を聞いてもらうだけでストレスが軽減し、お互いにアイディアを出し合うこともでき、少し前に進むことができる。
 やはり、もつべきものは友だちだと痛感。
 今日のお料理を写真に撮ろうと思っていたのに、しゃべっていたらすっかり忘れてしまった。きれいな盛り付けだったのに、残念…。
 そして帰宅したら、オーストラリアン・オープン(全豪オープン)の準決勝でフェデラーがまたまたナダルに負けたことが判明。ああ、一気に肩の力が抜けてしまった。ロジャー、本当に残念。でも、気を落とさないでね。絶対に次は頑張れる。自分を信じて、王者の道を歩んでね。
 そんなこんなで、時間がどんどん過ぎ、また真夜中にたまっている原稿を書くはめになった。やれやれ、月末は辛いなあ。
 でも、今日はいっぱいおしゃべりしたし、彼女たちからエネルギーももらったし、もうひとふんばりしよっと(笑)。
 
| 親しき友との語らい | 00:22 | - | -
アレクセイ・ヴォロディン
 今夜は、すばらしいピアニストの演奏に酔いしれた。まさに心が浮き立ち、高揚し、最後は「ブラボー!」と叫んでしまったほどだ。
 ロシア出身のアレクセイ・ヴォロディンは、1977年サンクトペテルブルク生まれ。グネーシン音楽大学でタチアナ・ゼリクマンに、モスクワ音楽院でエリソ・ヴィルサラーゼに師事した、まさにロシア・ピアニズムの継承者。
 ヴォロディンの演奏を高く評価しているのは指揮者のワレリー・ゲルギエフで、両者は何度も共演を重ねている。
 以前も演奏を聴き、今回の来日チラシの裏には推薦文なども書いたが、今回の演奏は見違えるような成長ぶりを見せ、すでに大家の風格を示していた。
 彼の演奏は非常に手首がしなやかで、完璧なる脱力ができていて、からだのどこにも余分な力が入っていない。それゆえ、とてつもない速さのパッセージも可能で、音楽が推進力に富んでいる。
 プログラムはシューベルトの即興曲集作品90からスタート。弱音が美しく、詩的で幻想的な美を紡ぎ出した。
 次いでベートーヴェンの「悲愴」ソナタ。これを聴いて、私の脳裏にはエミール・ギレリスやラザール・ベルマンの演奏が浮かんできた。「悲愴」そのものの演奏ではなく、彼らのような構成力とタッチ、音色が存在していたからである。
 後半はラフマニノフの「楽興の時」とストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3楽章」というロシア作品。これこそ、ヴォロディンの本領発揮。前半とは奏法、ペダリング、打鍵、ダイナミズムの幅をがらりと変え、まったく別人が弾いているような違いを見せた。
 目を閉じて聴いていると、若きピアニストではなく、古き時代のヴィルトゥオーソが演奏しているよう。一気に時代が遡った錯覚に陥った。
 アンコールも5曲演奏されたが、とりわけ興味深かったのはカプースチンの「コンサート練習曲」第7番。リズム表現が最高におもしろく、ジャジーな空気を醸し出し、聴衆はからだを動かしたり、頭でリズムをとったり。みんなすごく楽しそうだった。
 今日の公演評は次号の「モーストリー・クラシック」に書く予定になっている。
 こういう才能に出会うと、いつもロシアの音楽の底力と、奥深さを痛感する。ピアノ好きには絶対聴いてほしい人である。人生が豊かになる、そんな稀有なピアニストだから。
 今日の写真は演奏会のチラシ。ひとつ残念だったのは、インタビューを申し込まなかったこと。次回の来日時にはぜひ、話を聞いてみたい。


 
| クラシックを愛す | 00:11 | - | -
野菜たっぷりヘルシーオムレツ
 オムレツというと卵がメインで中身の具はほんの少しという場合が多いが、家庭で作ると具だくさんの満足感が得られる一品になる。
 まず、具を作る。
 フライパンにオリーブオイル大さじ3を熱し、豚ひき肉100グラムを炒め、塩とコショウ各少々で下味をつける。
 ここに食べやすい大きさに切ったジャガイモ中3個、ニンジン中2本、タマネギ中1個、ピーマン小2個を堅いものから順に入れて炒めていく。
 全体がしんなりしてきたらひたひたの水を加え、ブイヨン1個とローリエ1枚を入れて野菜がやわらかくなるまで煮込む。もっと濃い味が好みの場合は、塩コショウやブイヨンで調節。
 卵3個は溶きほぐしてバター大さじ2でふんわりと焼き、肉と野菜の上に乗せる。ソースはトマトケチャップ、ウスターソース、粒マスタードを適宜混ぜ、好みでかける。トッピングはみじん切りのパセリ。
 今日の写真はできたてのヘルシーなオムレツ。卵で包んだりせず、上に乗せてたっぷりの中身を見せ、食欲をそそるように盛りつける。
 今回の分量はだいたい4人前だが、薄味で野菜が多いため、男性だと全体の約半分、いやそれ以上ペロリと食べてしまう人が多い。
 ランチの場合はおいしいパンとレタスのサラダと紅茶があればOK、ディナーにする場合は焼き野菜サラダと赤ワインとガーリックトーストを添えると、グッド!!



 
 
| 美味なるダイアリー | 15:23 | - | -
音楽事務所の新年会
 先日、ホテル・オークラで音楽事務所ジャパン・アーツの新年会が行われた。
 当日は所属アーティストが15人参加。食事会の途中で全員が檀上に集まり、ひとりひとりが今年の演奏会や録音などの予定と、抱負を語った。
 この新年会には毎年参加しているが、いつも親しいアーティストに出会え、いろんな話をすることができてとても楽しい。
 今年はピアニストの上原彩子、金子三勇士、寺田悦子、ソプラノの足立さつき、チェロの長谷川陽子、クラリネットの赤坂達三とあいさつをしたり、話をしたり…。
 みんな今年こそいい年にしたい、音楽のもつ力を信じていい演奏をしていきたいと、前向きな姿勢を見せていた。
 アーティスト以外にも、クラシック界で仕事をしているさまざまな人たちに会うことができ、有意義な時間となった。
 今日の写真はそのときのアーティストの様子。司会のかたの質問に答え、全員が予定を語っていく。
 真面目に答える人、ユーモアを交える人、列席者に話かけるように話す人、ほんの少ししか話さない人、会場にくるのにさんざん迷ってしまったと失敗談を話す人などバラエティに富んでいた。
 本当に今年はいい年にしたいと、心から願うひとときとなった。



 
| 親しき友との語らい | 21:15 | - | -
グスタフ・レオンハルト
 チェンバリストとして指揮者、教育者として国際舞台で活躍したグスタフ・レオンハルトが1月16日に亡くなった。享年83。
 生前何度かインタビューし、演奏を聴き続け、あるときはベルギーで開催された「フランドル・フェスティヴァル」まで足を運んだが、常に凛としたすばらしい演奏を聴かせてくれ、話も真摯で一徹な感じだった。
 インタビュー・アーカイヴの第31回はそのレオンハルト。来週と再来週アップのヤマハWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」でも以前のインタビュー記事を紹介するつもり。
 今日は別の雑誌の記事を取り上げたいと思う。

[FM fan 1996年6月3日〜6月16日号]

バッハはもっとも自分の心に近い作曲家。バッハを弾いていると作品のおもしろさ、深さにどんどん魅せられていく

 チェンバロ、オルガン、指揮と幅広く活動を続けているレオンハルトが来日し、チェンバロとオルガンのリサイタルを開いた。いずれも会場は超満員。静かな熱気に包まれた充実した演奏会となった。
 レオンハルトは余分なものを持つことを好まない。楽譜と着替えを入れた小さなバックひとつで来日し、お土産も必要とせず、常に身軽。その生きかたが演奏にも反映し、音楽は余分な物がそぎ落とされたシンプルな美しさ。
 演奏者自身もぜい肉のまったくないスリムないでたちで、楽器と相まって彫刻のようなフォルムを形成していた。

バッハの音楽は非常に多彩。演奏する側の気持ちを常に刺激します

――プログラムはバッハからフレスコヴァルディ、フローベルガーなど多岐にわたっていますが、何かテーマを決めているんですか。
「いいえ、私はプログラムにテーマのようなものを持たせたことはありません。ただし、2度続けて同じ曲を弾くことを好まないので、前の演奏会とは異なった形のものを組むだけです。チェンバロの場合は好きな曲を組んでいけばいいのですが、オルガンとなるとその場所、楽器が大きく影響してきますから、まず楽器を考えてから組み立てます」
――やはりバッハが一番の中心で…。
「そうです。私はチェンバロに目覚めたのがバッハだったんです。もうかなり昔のことになりますが、ピアノを弾いていたころバッハに出会い、バッハばかり弾いていました。でも、何か違うなと感じていた。そのころチェンバロの音色を聴き、これでバッハを演奏したら、自分が思い描いているような音が出るのではないかと直感しました。もちろんそれはモダン・チェンバロでしたが、私はすっかり魅せられてしまいました。それ以後、バーゼルで本格的に勉強したわけです」
――それから歴史チェンバロに出合ったわけですね。
「ええ、やがていろんな楽器にめぐり合うようになりました。でも、いつもバッハばかり弾いていました(笑)。もちろんほかの作曲家の作品も勉強しましたが、バッハはもっとも自分の心に近く、バッハを弾いていると作品のおもしろさ、深さにどんどん魅せられていってしまうのです。いまでもこの気持ちは変わりません。和声的な展開、フレーズの微妙なつなげかた、多彩なリズム、曲の構成など凡庸なものはひとつとしてありません。バッハはギャラント・スタイルを先取りしていたような、次の時代を見ていた面もあります。また一方、パレストリーナのような前の時代の様式を取り入れた部分もあります。音楽が非常に多彩で、とてもコンパクトにまとまっているかと思うと、次に長いフレーズが出てくる。演奏する側の気持ちを常に刺激します」
――指揮もバッハが多いですよね。バッハの映画「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」にも主演されましたし。
「一時は指揮ばかりしていると自分が実際に弾きませんから、なんだかなまけものになったような気がして辛かったんですが、いまは作品を勉強して演奏会までもっていく過程は同じだと考えています。指揮をしたことで学んだことも多いですし…。実は、あの映画はスタッフがチェンバロとオルガンの両方が弾ける人を探していたため、私に決まったんです。当時は、この両方を弾く人がごく限られていましたから選ばれただけで、選択の幅は狭かったというわけです。でも、尊敬する偉大なバッハを演じられて、とても光栄でした。またまた、バッハが好きになりました」

自分の好きな作曲家の作品を好きな楽器で演奏できる、こんな幸せはありません

――もうすでに多くのレパートリーを演奏し、また録音もしていらっしゃるわけですが、今後何か新しいことに挑戦するということは?
「いいえ、いまは新しいことに挑戦することはまったく考えていません。いままで行ってきたことを深めていき、少しずつ新しい方向が見つけられればと思っています。私はいま本当に自分の好きな時代の、好きな作曲家の、好きな作品を、好きな楽器で演奏できる。こんな幸せなことはありません。理想的な人生だと思って感謝しています。このスタイルがずっと続くことを祈っています」

 レオンハルトは17世紀から18世紀にかけて作られた「ハウス・バルトロッティ」と名付けられたオランダ最盛期の跡を残した大きな家に住み、古い家具や彫刻や美術品に囲まれて暮らしていると話していた。
 その家に関して話す彼の様子を見ているだけで、その時代に運ばれていくような感覚にとらわれた。レオンハルトの演奏、たたずまい、すべてがバッハの時代へといざなう。もう会えない、あの演奏を聴くことができないと思うと、たまらなく寂しい…。
 今日の写真はそのときの雑誌の一部。素敵な雰囲気をたたえているでしょう。

| インタビュー・アーカイヴ | 23:38 | - | -
三浦友理枝
 ピアニストの三浦友理枝とは、取材をするたびに話がはずむ。彼女はよく通る声ではっきり話し、テンポが速く、インタビューの時間があっというまに過ぎていく。
 先日も3月28日に東京文化会館小ホールで開催されるリサイタルについてインタビューをしたが、いずれの質問にも明快な答えが戻ってきた。
 今回は、ドビュッシー、フォーレ、プーランク、メシアン、ラヴェルというフランス作品がプログラムに組まれている。
「いつもプログラムを組むときはとことん選曲にこだわり、その時点ではすごくいい組み合わせができたと思うんだけど、いざ練習を始めると、ああ、なんて難しい作品ばかり組んでしまったんだろうって後悔する。その繰り返しですね」
 こう笑いながら話す彼女は、本当に以前からものすごくユニークで演奏が困難な作品を並べることが多い。
 でも、本番ではそれを感じさせることなく、完成度の高い演奏を披露する。この前向きな姿勢、チャレンジ精神、高いハードルを自分に課すところが三浦友理枝の最大の魅力でもある。
 このフランス作品のプログラムは夜がテーマで、夕暮れから翌朝にかけて時系列で並べるため、作品をじっくり探し、演奏時間を考慮し、長い間考え抜いたとか。
「こういうの考えているときが、一番楽しいんですよね」
 こう語る彼女の表情の輝いていること。うーん、こういう話だと、いくら時間があっても足りないようだ。
 このインタビューは次号の「音楽の友」に掲載される予定である。
 三浦友理枝もデビュー当初から取材を続けているひとり。最初は、話しかたや声の大きさ、スリムなのによく食べるところなど、私との共通点が多く、ふたりで笑い合ったものだ。
「でも、最近はそんなに多く食べなくなりました。量より質にこだわるようになったからかな」
 あらら、そうなんですか。もりもり食べるところが好きだったんだけどな。でも、質にこだわるのは私も同じ。また共通項、見つけちゃった(笑)。
 以前、オペラシティのリサイタルホールで行われたB→Cのリサイタルがすばらしかったが、今回のこだわり抜いたフランス作品のリサイタルも、きっと記憶に刻まれるものになるのではないだろうか。
 今日の写真はインタビュー時の1枚。いつ会っても美しくチャーミング。男性ファンが多いのも、当然ですなあ(笑)。

| 親しき友との語らい | 23:15 | - | -
牛田智大
 以前も書いたことだが、若手アーティストのデビューCDのライナーノーツを書くことは、無上の喜びである。
 今日は、3月14日にユニバーサルからCDデビューを果たす12歳のピアニスト、牛田智大(うしだともはる)のレコーディングを聴きにHAKUJU HALLを訪れた。
 彼は2011年10月に「題名のない音楽会」に出演した途端、大ブレイクとなった話題のピアニスト。そのデビューCDのライナーを書くことになり、録音を聴かせてもらうことになった次第だ。
 12歳と聞き、事前に資料や写真を見せてもらっていたのだが、ご本人に会ってびっくり。とても礼儀正しく、しっかりしていて、話しかたも大人っぼく、すでに一人前のアーティストの空気をただよわせている。
 演奏を何曲か聴かせてくれたが、いずれの作品も存分に弾き込んで、完全に自分の音楽になっている。
「でも、初めての録音だから、すごく緊張しちゃって…」 
 そりゃ、そうでしょう。でも、落ち着いて自分の持てる最高のものを表現している様子は、年齢を超えている。
 収録曲はリストの「愛の夢」、プーランクの「即興曲第15番(エディット・ピアフを讃えて)」、ヒナステラの「アルゼンチン舞曲集」、ショパンの「夜想曲第2番」など13曲。父親の仕事の関係で幼いころを上海で過ごしているため、1曲だけ中国の王建中の「彩雲追月」が入っている。
 すでに参加したコンクールのジュニア部門で優勝の栄冠に何度も輝いているという、実力の持ち主。
 レコーディングが終了した後に、またインタビューで会うことになっているから、そのときにいろんな話を聞こうと思っている。
 こういうみずみずしい才能が登場してくると、ピアノ界が活気づく。今日は若き新鋭から大きなエネルギーをもらった気がした。写真はレコーディングでの様子。大人顔負けのタフさで、いくら弾いても疲れないようだ。
「ピアノを弾いているときが一番幸せ」
 なるほどね。いくら弾いても疲れないのは、心からピアノが好きだからなのね。こういう才能はぜひ近い将来、世界の舞台へと大きく羽ばたいてほしいと願う。
 みんなで応援しましょうねー。すごくキュートで、会う人がみんなファンになってしまうような魅力を備えているので。

| 情報・特急便 | 23:39 | - | -
アレクシス・ワイセンベルク
 1月8日、偉大なピアニストであるアレクシス・ワイセンベルクがスイスのルガーノで亡くなった。享年82。
 この訃報を聞いたときはとてもショックで、その日は一日中ワイセンベルクの顔が脳裏から離れなかった。
 私がインタビューをしたのは、もう24年も前のこと。ワイセンベルクの広島公演に同行し、取材を行ったときである。
 もっとも印象的だったのは、新幹線の車中でのひとこま。彼は女性の秘書とともに東京から移動したのだが、私に「食堂車でカレーを食べないか」と声をかけてくれた。まだ食堂車があった時代だ。
 注文の段階になると、彼はカレーライスを頼んだので、私も同じものを頼んだ。すると、秘書の女性は「ライスだけ」という。
 私は怪訝に思って「ライスって、ごはんだけなの?」と聞くと、彼女は「そう、ライスよ。お米は畑で採れるでしょ。私にとっては野菜なのよ。ダイエットに向いているし、ヘルシーでしょ」と平然としている。(なんか、変…)
 さて、カレーライスが運ばれてくると、ワイセンベルクはお箸でカレーをすくって食べ出した。でも、すくってもすくってもこぼれてしまって、ちっとも食べられない。
「マエストロ、カレーは日本人でもスプーンで食べるんですよ」というと、「いやいや、これは箸で食べるものなんだよ。絶対、箸で食べなくてはいかん」といって、根気よくすくっている。
 その隣では、秘書がやはりお箸でお米の粒をひとつずつぎこちなくつまんでは食べている。
「ねえ、ごはんはひと口分くらいまとめて食べるものなのよ」というと、彼女も頑固にこういい張った。
「あら、ひと粒ずつ食べるからダイエットにいいのよ。まとめて食べたら、意味がないでしょ」
 あら、そう、なんとも変な理屈。このふたり、それから何分間これを続けていたと思いますか。私はペロリとカレーライスを食べた後、ひたすらふたりの格闘している姿をながめ続けていた。やれやれと思いながら(笑)。いまでも、このときのことを思い出すと、自然に笑いがこみあげてくる。
 ワイセンベルクは1929年7月26日ブルガリアのソフィア生まれ。若いころは相当苦労をしたようだが、1946年にニューヨークのジュリアード音楽院に入学し、翌年レヴェントリット国際音楽コンクールで優勝。同年、ジョージ・セル指揮ニューヨーク・フィルと共演した。
 その後、1956年から10年間は自身の音楽を鍛えなおすために活動を休止し、1966年にパリのリサイタルで復活。翌年からヘルベルト・フォン・カラヤンとの共演を続け、多くの録音も行った。
 このときのインタビューでは、恩師のアルトゥール・シュナーベルや、ワンダ・ランドフスカについて、熱心に語った。
「シュナーベルは私がいままで聴いた最高のベートーヴェン弾きだったと思う。本当にロマンティックに弾いていたよ。ランドフスカからはものすごく多くの影響を受けた。バッハをピアノで弾く場合、いかにチェンバロに近い響きにするか、また、バッハの各声部の組み立てや様式を教えてくれた」
 セルとカラヤンに関しても話が尽きないといった感じだった。
「有名な人と共演したのはセルが初めてだったね。私がコンクールで賞をいただいたとき、彼は審査員のひとりだったんだよ。とてもよく面倒を見てくれた。カラヤンはすばらしいピアニストでもあった。ファンタジーいっぱいのね。彼と話すだけで自分が高められる感じがした。カラヤンとともに仕事ができるということは、この上ない幸福なことなんだよ」
 ワイセンベルクの演奏はダイナミックで、ヴィルトゥオーソ的だったが、その奥に繊細さとあふれるロマンを内包していた。いまでもあのファンタジーあふれる豊かなピアニズムは私の心に深く刻み込まれている。
 今日の写真はそのときの3枚。バイキング形式の食事でご一緒したもの。インタビュー時のもの。そして主催者から和服を着せてもらってごきげんなワイセンベルク。すべてがなつかしく、胸が熱くなり、涙がこぼれる。
 なお、この追悼記事は次号の「音楽の友」に書く予定になっている。







| アーティスト・クローズアップ | 22:45 | - | -
アルカント・カルテット
 今日はトッパンホールで15時から行われたアルカント・カルテットのコンサートを聴きに出かけた。
 2002年夏より本格的な活動を開始したこのカルテットは、創立当初からヨーロッパで「衝撃のカルテット」「神業ともいえる精度と高いスピリット」と評され、いまやコンサートのオファーが何年も先まで詰まっている。
 アルカント・カルテットとは、「歌う弓」を意味する彼らの造語。メンバーは第1ヴァイオリンのアンティエ・ヴァイトハース、第2ヴァイオリンのダニエル・ゼペック、ヴィオラのタベア・ツィンマーマン、チェロのジャン=ギアン・ケラスといういずれ劣らぬ実力の持ち主。
 以前インタビューしたときはとても仲がいい4人という印象で、ふだんはそれぞれソリストとして、室内楽奏者として活動を行っているため、カルテットの活動で集まると、近況報告で夜中まで話が絶えないといっていた。
 現在は、2カ月に1週間ほど時間をとって活動。「心のすべてを捧げる演奏を目指している」と語っていた。
 今日のプログラムは、前半がバルトークの最後の弦楽四重奏曲である第6番と、あまりナマで演奏される機会に恵まれないハイドンの弦楽四重奏曲ロ短調作品64-2。そして後半は今年生誕150年を迎えたドビュッシーの弦楽四重奏曲ト短調作品10という、時代も構成も内容も表現も異なる3作品が組まれた。
 バルトークは彼らの得意とする作品。「メスト(悲しげに)」と記された旋律を全4楽章にわたって深く深く掘り下げていく。4人の演奏は、他の人の音に注意深く耳を傾けながらも自己を明確に主張し、ときに音をぶつけ合い、あるときは呼応し、はげしく強くバルトークの魂を表現していくスタイル。
 続くハイドンはガラリと表現を変化させ、自由で健康的で明朗。お互いのアイコンタクトもやわらかなものに変わっていた。
 休憩後のドビュッシーは、アラベスクのようにさまざまな旋法や色彩やリズムが多様性を織りなす作品。彼らは調性や主題が変化する第1楽章、ピッチカートを多用した第2楽章、弱音器を用いた静謐な第3楽章、光り輝く第4楽章とめまぐるしく変貌する曲想を楽しむように、のびやかな音を響かせながら演奏。まさに息の合った、「精度の高いスピリット」を披露した。
 これは次号の公明新聞の公演評に書くことになっている。
 ソリストが集まって定期的にカルテットを組むケースは結構見られるが、アルカント・カルテットはなかでも傑出した存在。室内楽のなかでもとりわけ弦楽四重奏曲のジャンルが大好きな私は、彼らのシリアスななかに音楽を心から楽しんでいる精神を見出し、その楽しさを演奏から存分に受け取ることができた。今日はすごく寒かったが、演奏を聴いた後は胸のなかがほんわか温かくなった気がし、笑顔で帰宅することができた。これだから、弦楽四重奏曲はやめられない。作曲家が心血を注いで書いた作品が多く、弦4本が宇宙的な広がりを持つ世界を表現する。ホント、からだ全体が温かくなった感じ(笑)。
 アルカントの4人、またすぐにでも来日してほしいな。
| クラシックを愛す | 22:51 | - | -
アドリアン・ユストゥス
 昨日は、日経新聞の「マンスリー・ミュージック・サロン」の連載ページの執筆者、編集者、担当者、関係者10人が一堂に会し、青山のタイ料理のレストランで新年会が行われた。
 ふだん全員が顔をそろえる機会はないため、お互いに再会を喜び、楽しいひとときとなった。
 それが深夜まで続き、帰宅すると、明日の朝までにひとつの原稿を急きょ書きあげてほしいとの連絡が入っていた。「えーっ、そんなの絶対無理」と、これはお断りすることにした。
 そして今日は午前中にメキシコ大使館に行き、黒沼ユリ子に師事している若きヴァイオリニスト、アドリアン・ユストゥスの記者会見に参加した。
 彼はメキシコ・シティー生まれで、現在はテル・アヴィヴ在住。数々の国際コンクールで優勝し、時代を担うヴァイオリニストとして期待されている。
 記者会見の前に少し話したら、とても感じがよく、「ぼくのメール・アドレスはこれだよ。いつでも連絡してね」と名刺を渡してくれた。
 記者会見では、1985年、14歳のときに「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」の生徒として初来日し、すでに7回目の来日であること。初来日のときにヴァイオリニストになろうと決心したため、自分は日本で生まれたヴァイオリニストだと思っていること。今回のプログラムのパガニーニの「24のカプリース」は超絶技巧を前面に出すことなく、各々の作品に込められた作曲家の人間的な感情を表現したいこと。ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタでは、印象派の絵画を思わせるような、風景が浮かぶような演奏をしたいことなどを話した。
 ピアニストのラファエル・ゲーラはメキシコ出身で、アンサンブル・ピアニストとしての評価が高いが、日本のフェリス女学院大学に客員教授として招かれているため、日本語が堪能。
「日本語、お上手ですね」といったら、「いえいえ、まだまだです。日本語は世界一難しい言語だと思いますよ」という返事が戻ってきた(もちろん、日本語で)
 ゲーラは今回ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタでユストゥスと共演する。その作品に関しては、「これはドビュッシーの最晩年の作品。当時は戦争で敗戦の色が濃厚でしたが、ドビュッシーはフランス人としての誇りを作品に託し、新しい響きや和音を探求し、楽譜にはわざわざ名前の下にフランス人の作曲家であることを明記しました。その思いを汲み取って演奏したい」と語った。
 これから地方公演が始まり、東京公演は1月19日に紀尾井ホール(19時開演)で行われる。
 なお、昨年の日本の震災に深く心を痛めたメキシコの音楽家たちが、ホルヘ・コルドバ、黒沼ユリ子の呼びかけのもとに集まり、3月27日に国立芸術センターで9時間におよぶマラソン・コンサートを行った。これは無料コンサートだったが、会場では日本への義捐金の寄付が行われた。
 今日の写真は記者会見の様子(左から黒沼ユリ子、ユストゥス、大使、ゲーラ)と、演奏するアドリアン・ユストゥス。パガニーニを2曲演奏してくれた。使用楽器はグァルネリ・デル・ジェス、1744年製。コンサートが待ち遠しい!!





 
 
| 情報・特急便 | 22:21 | - | -
根菜とゴマのパワー
 冬は根菜のおいしい季節である。
 いつもはたくさんの野菜や牛肉を入れた五目きんぴらを作るのだが、今日はゴボウとニンジンのシンプルなきんぴらを作った。とても新鮮なニンジンとやわらかそうなゴボウを見つけたからだ。
 まず、ゴボウ1本とニンジン1本を千切りにする。私はあまり細くは切らず、乱切りっぽくざくざく切る。このほうが、食べたときに素材の味が存分に楽しめるからである。ゴボウはさっと水に漬けてアク抜きを。
 フライパンにゴマ油大さじ1〜2を熱し、水気を拭いた野菜を炒める。しんなりしてきたら、砂糖大さじ1、酒・しょうゆ各大さじ2、水大さじ3を入れてさらに炒め煮に。
 ここに赤唐辛子のみじん切り少々を加え、汁がなくなるまで炒りつける。
 さて、ここからが今日のレシピのこだわり。
 いつもはお皿に盛りつけてから煎った白ゴマかすりゴマをパラパラとかけてトッピングにするのだが、今日は練りゴマ少々を熱いうちにざっくりと混ぜ込んでみた。ゴマだれの上澄みを少し混ぜてもいいと思う。ただし、その場合は味がついているので、きんぴらの調味料は少し控えめにしたほうがいい。
 今日の写真はできたてのきんぴら。ゴマのねっとりした感じがゴボウとニンジンにからみつき、なんともいえない深い味わいを醸し出している。
 こりゃ、ごはんが進むワ。熱燗にも合うかも(笑)。ヘルシーでシンプルで、まさに日本の冬の味覚。ぜひ、お試しあれー。


 
 
| 美味なるダイアリー | 15:54 | - | -
キュリー夫妻
 旅に出ると、音楽以外の思いもよらぬ新たな分野に出合い、視野が少しだけ広がる思いがする。
 2010年のショパン国際ピアノ・コンクールの取材でワルシャワに出かけたときは、この地の出身者である物理学者で化学者のマリ・キュリー(旧名マリヤ・スクウォドフスカ)と、フランス人の夫である物理学者ピエール・キュリーの博物館に足を運んだ。
 このノーベル賞学者の夫妻の博物館は、「キュリー夫人博物館」と名付けられ、彼女の生家が改装されたもの。旧市街からバルバカンを抜け、まっすぐ北に進むとフレタ通り16番地にその家が見えてくる。
 建物は3階建の堅牢な作りで、入口に看板が掲げられ、階段を上っていくと夫妻の大きな写真が出迎えてくれる。
 内部はかなり広く、ポロニウムやラジウムといった放射性元素の発見にいたる研究資料やさまざまな業績がジャンル別に展示され、実際にキュリー夫人が使っていた実験道具の数々も見ることができる。
 夫妻の生い立ちや出会い、その後の人生にいたるまで詳細に紹介され、二人の真摯な生きかたがとてもよく理解できた。
 写真も非常に多く、名前だけは知っていた偉大な学者がなんだか身近に感じられるような思いにとらわれた。
 今日の写真は博物館の入口の看板と、キュリー夫妻の大きな写真。博物館は世界各地から訪れた人々で満員状態で、並んで待ってから入館した。
 小学生や中学生の団体もいて、授業の一環だろうか、みんな興味深そうに見学していた。やはりショパンと同様、キュリー夫人はポーランドが世界に誇る偉大な人物なのだと実感した。





| 麗しき旅の記憶 | 22:32 | - | -
新年の始まり
 今日の午後は「朝日カルチャーセンター」の講座で、室井摩耶子との対談を行った。
 聴講生はかなり多く、教室は満杯。やはりみなさん「生涯現役」を目指すピアニストからエネルギーを受け取りたいと思って参加してくださるようだ。
 講座が始まってからも、室井摩耶子のエネルギッシュな語りと演奏に魅了され、教室全体が徐々に熱気を帯びていく。
 90分はあっというまに過ぎ、その後誘われて彼女と友人のドクターと3人でお食事をしたのだが、お二人とも人生の大先輩らしく話題は幅広く、また奥深い。
 なんでも、お二人はベルリン留学時代からの友人で、当時ベルリンの壁が作られるところに遭遇されたとか。いやあ、歴史を間近に感じました。
 帰宅すると、締め切りが待っていた。今年はドビュッシー生誕150年のメモリアルイヤー。「モーストリー・クラシック」の次号では、ドビュッシーとラヴェルの音楽の違いを特集する。そのピアノ部門が私の担当である。
 昨年からさまざまな資料を読み、調べ、音楽を聴き、原稿の内容を吟味してきた。ただし、この両者の違いを文で端的に表すのは非常に難しい。それでも、なんとか書き上げ、担当者に送った。
 今日は講座でドイツ音楽の話と演奏を聴き、その後はフランス音楽との対峙。新年が明けたばかりなのに、はや仕事は加速しそうだ。息切れしないようにしなくちゃ(笑)。
| 親しき友との語らい | 22:41 | - | -
きんかんのハチミツ漬け
 電車に乗っても、町を歩いていても、風邪をひいて咳をしている人が多い。こんなときにはビタミンCを摂るのが一番だ。
 私が毎年この季節になると作るのは、「きんかんのハチミツ漬け」。オーガニックのきんかんなら皮までまるごと食べられて安心。
 まず、きんかんをさっと洗い、それぞれ横半分に切り、箸の先で種をとっていく。この作業が一番時間がかかる。
 それが完了したらピンに入れ、上からタラリタラリとハチミツを入れていく。この分量はお好みで。
 私は煮たりせずにナマで食べるタイプ。4日から1週間ほどするとハチミツときんかんの水気がうまい具合に混じり合い、実がやんわりとしてくる。
 それを和食のデザートのようにして小皿に盛り、ちょっとおしゃれな楊枝を添えると、あらら不思議、手間暇かけたように見える。
 これは風邪の特効薬。たくさん作ってもすぐになくなってしまう。そんなに酸っぱくないから、男性でも大丈夫。
 今日の写真は漬けたばかりのきんかん。早くやわらかくならないかなあ(笑)。


| 美味なるダイアリー | 17:19 | - | -
室井摩耶子
 今日は1月9日(火)の13時30分から15時まで朝日カルチャーセンターで行われる、「ピアニスト80年」と題した講座の打ち合わせに、ピアニストの室井摩耶子のご自宅を訪れた。
 彼女には何度も取材やインタビューなどで話を聞いているが、いつもさまざまな方面に話題が広がり、時間を忘れて話し込んでしまう。
 室井摩耶子は1921年4月18日生まれの90歳。6歳よりピアノを始め、東京音楽学校(現・東京芸大)を首席で卒業。1956年にはドイツ政府給費留学生としてベルリン音楽大学に留学。ハウザー、ロロフ、ケンプの各教授に師事した。
 レパートリーは幅広く、録音も数多いが、ベートーヴェン、シューベルト、バッハ、ブラームスを得意としている。
 そんな彼女は、1995年から「音楽を聴きたいって何なの?」と題したトークを交えたコンサートを開催するようになる。テレビやラジオの出演も多く、その話は子どもから大人まで、幅広い人気を誇っている。
 今回の朝日カルチャーセンターの講座も、私との対談の合間に何曲か弾いてもらうことになっているが、その作品についても打ち合わせをした。
 私がご自宅を訪れるたびに驚かされるのは、彼女は何でも自分で行うことである。人には頼らず、常に自分自身で動き、ひとりですべてをこなす。
 家事も、お庭の手入れも、パソコンの操作もすべて楽しみながら行う。
「私は何かやり出すと、とことんやってしまうのよ。ピアノを弾いている時間が長いし、音楽について考えたり調べることに時間がとられるから趣味にかける時間はないけど、いろんなことに興味はあるし、おいしい物を食べるのも大好きよ」
 このポジティブ精神、エネルギー、音楽に対する真摯な取り組みにはいつも頭が下がる思いだ。
 講座では、その人生と音楽に対するひたむきさと純粋さを紹介したいと思う。今日は昨年の震災に関してもじっくりと話し、こういう時期だからこそ音楽が果たす役割が大きいという思いで一致した。なんとか、有意義な90分にしたいと思う。
 今日の写真はピアノの前にすわる室井摩耶子。実は、いつも講座ではアーティストと私はピアノの脇のテーブルで話をするのだが、今回は彼女の希望でアーティストはピアノのいすにすわり、私はその横で話をするという形に決まった。
 これまでこういう形をとったことはないが、新たな年の新たなスタイル、きっと音楽家の部屋にみんなが招かれて話や演奏を聴くという、親密な空気が生まれるに違いない。


 
| 情報・特急便 | 21:18 | - | -
インゴルフ・ヴンダー来日
 アーティストのデビューCDのライナーノーツを書く仕事は、大きな責任を伴う。そのアーティストが初めて自身の録音を世に問うものであり、生涯の宝物となるCDにほかならないからだ。
 ただし、この仕事は責任と同時に非常に名誉なことでもある。ひとりの若きアーティストのスタートラインにともに立つことができ、喜びを共有できるからである。
 昨年も、いくつかのデビューCDのライナーを書く幸運に恵まれた。そのCDは私自身の宝物でもあり、仕事部屋のCD棚のなかでも特別な位置を占めている。
 これと同様に、コンサートのチラシの裏面にそのアーティストのことを紹介する原稿を書く仕事も責任が重い。
 この原稿は、そのアーティストの音楽性、人間性を紹介するわけで、それを読んだ人たちがぜひその演奏を聴きたいと思ってくれなければ意味がない。
 やたらにほめたり、持ち上げたりすることは避けたいし、そんな文章はだれも読みたいとは思わないだろう。これまでステージや録音で演奏を聴いてきたことを踏まえ、インタビューで会ったときの印象や話の内容、素顔などを織り交ぜながらその人をクローズアップしていく。それに今回のプログラムの聴きどころを加え、端的に魅力を紹介する。
 ただし、ほとんどの場合、文字数は800字くらいだ。このなかですべてをいいきるのは至難の業。いつも書き始めるとすぐにオーバーしてしまい、削り落して行く作業に時間がかかる。
 つい先ごろ、4月に来日して全国4カ所(いずみホール、びわ湖ホール、紀尾井ホール、フィリアホール)でリサイタルを行うオーストリアのインゴルフ・ヴンダーのチラシ原稿を書いた。
 彼についてはショパン・コンクールの様子やガラ・コンサートで来日したときの模様をブログにも綴ったが、本格的なリサイタルは初めてとなる。
 豊かに歌い、情感あふれるヴンダーのピアノ。それをようやくじっくり聴くことができる。プログラムは前半がモーツァルトのピアノ・ソナタ第13番とリストの超絶技巧練習曲集より「夕べの調べ」「マゼッパ」、後半がショパンのピアノ・ソナタ第3番と「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」。
 ショパン・コンクールで唯一スタンディングオベーションを巻き起こしたヴンダーの演奏は、あれからどう変貌しただろうか。
 私はチラシの原稿に「ヴンダーは特別な音を備えている」と書いた。彼の音は少し聴いただけで、その特有の響きで聴き手を魅了する。だれのまねでもない、ヴンダーならではの音。4月にはその音を再び聴くことができる。
 今日の写真はそのチラシ。グラモフォンのデビューCDのジャケット写真が使われている。

| 情報・特急便 | 22:40 | - | -
仕事始め
 三箇日も過ぎ、いよいよ今日は仕事始め。最初の原稿締め切りの日である。
 まず最初はヤマハの「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」。今回は、ダニエル・ハーディングが指揮台に登場したヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場のニューイヤー・コンサートのライヴ(2011年1月1日 DVD コロムビア)を紹介することにした。
 これは2007年に大野和士がタクトを振ったことでも知られる人気のニューイヤー・コンサート。フェニーチェ歌劇場は以前内部を見学したことがあるが、このときは公演がなく、演奏を聴くことはできなかった。
 このライヴはイタリア国歌から始まり、次いでドヴォルザークの「新世界」が演奏され、やがてオペラ・アリアが次々に登場してくる。歌手はソプラノのデジレー・ランカトーレ、テノールのアントニオ・ポーリ、バス=バリトンのルカ・ピサローニ。いずれもハーディングと同世代の若々しい歌声で、最後は「椿姫」の「乾杯の歌」で華々しいフィナーレを迎えるという、まさにイタリア色満載のコンサート。
 このオペラハウスは2度の火災に見舞われているが、そのつどまさに劇場の名前通り「不死鳥」のように蘇り、現在の絢爛豪華で壮麗な姿を取り戻している。
 このライヴ、私の大好きな「ナブッコ」の「行け、思いよ、黄金の翼に乗って」が歌われている。これはイタリアの第2国歌とも呼ばれる人気曲。以前ブログにも綴ったが、この曲はとても思い出深い。これを聴いて、ぜひフェニーチェ歌劇場のニューイヤー・コンサートに出かけたくなった。
 ハーディングはいつ聴いても演奏がみずみずしく、躍動感にあふれ、オーケストラと一体化している。彼は2013年のミラノ・スカラ座の来日公演で指揮をすることに決まっている。大の親日家で、来日を多く重ねているが、今月の27日には新日本フィルの定期演奏会でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノはラルス・フォークト)、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」を指揮することになっている。
 こちらも楽しみだ。ハーディングは常に聴き手の心を高揚させてくれる指揮者だからだ。今日の写真はDVDのジャケット。


 
| クラシックを愛す | 22:50 | - | -
新春のサラダ
 おせち料理や和食が続くと、ワインに合う生野菜が無性に食べたくなってくる。
 いまは季節を問わずさまざまな野菜がいつも店頭に並んでいるが、やはり新春はみずみずしい色彩と香りと歯ごたえのある野菜が似合うのではないだろうか。
 年末、有機農産物の売り場を歩いていたところ、「ベビーリーフミックス」を見つけた。「野菜の一番おいしい、栄養のたっぷり詰まった幼葉(新葉)を詰めてあります」と書いてある。
 これには15種類の野菜が入っていて、聞いたことのない名前も多い。ロロロッサ、ミズナ、デトロイト、トレビス、スピナッチ、ターサイ、グリーンマスタード、レッドマスタード、ルッコラ、レッドケール、ピノグリーン、グリーンロメイン、レッドロメイン、エンダイブ、レッドオークと、こんな具合。全部知っている人、いるかなあ。
 このベビーリーフをシンプルで味わい深いサラダに変身させてみた。
 生ハムをざくざくと切り、メープルくるみをみじん切りにする。これらをリーフの上に乗せ、バルサミコ酢とホワイトワインビネガーを振り入れ、エキストラヴァージンオリーブオイルをまわしかける。食べるときにざっくり混ぜれば、ワインにピッタリのシンプルでピュアなサラダの出来上がり。
 今日の写真は出来立てほやほやのサラダ。胃が重いときにお勧めです!!



 
| 美味なるダイアリー | 21:28 | - | -
マリス・ヤンソンス
 明けましておめでとうございます。今年もいろいろ幅広い話題、情報を綴っていきたいと思います。
 さて、1月1日といえばウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート。今年の指揮者は、マリス・ヤンソンスが2006年に続いて2度目の登場。これまで演奏されたことのない作品や、初めてチャイコフスキーのワルツを組み入れるなど、画期的なプログラムを披露した。
 ヤンソンスは1943年1月14日、ラトヴィアのリガ生まれ。エフゲニー・ムラヴィンスキーとともにレニングラード・フィルの指揮者を務めたアルヴィド・ヤンソンスを父に持つ。レニングラード音楽院、ウィーン国立音楽アカデミーで学び、ザルツブルクではヘルベルト・フォン・カラヤンの薫陶を受けている。
 1971年にカラヤン国際指揮者コンクールで第2位入賞に輝き、以後各地のオーケストラを振り、日本にもファンは多い。
 その指揮は流れるように美しく、弦楽器は輝かしく、管楽器は黄金の響きを紡ぐ。彼は常に楽員に笑顔を見せ、全員で音楽を楽しむことができるよう、親密な空気を作り出す。
 今日のニューイヤー・コンサートもひとつひとつの音色がため息が出るほど美しく、ウィーン・フィルが底力を存分に発揮できるよう、新たな曲と伝統的な曲を組み合わせながら楽員の士気を高めるよう、曲順にメリハリをつけていった。
 なんと考え抜かれたプログラムだろうか。
 これを聴きながら、以前ヤンソンスにインタビューをしたときのことを思い出した。このときは時間がほとんどなく、マエストロが地方公演から戻って羽田空港に着いてから都内のホテルに移動するタクシーのなかだけ、というタイトなスケジュールだった。
 私はそのときの演奏作品について、新譜についてなど矢継ぎ早に質問し、ホテルが近くなった段階で、父親とムラヴィンスキーとカラヤンについて、彼らからどんなことを学んだかということに話を移した。
 するとヤンソンスは「きみ、まだ時間ある? ホテルのロビーで続きを話したいんだけど大丈夫かな」と聞いてきた。「ええ、もちろん。このことが一番お聞きしたかったことなんです」というと、彼は「実はね、この3人の話になると、私は一晩中でも話が尽きないんだよ。これこそ、私がもっとも話したいことなんだよ。よくぞ聞いてくれた」と笑った。
 空港からここまで約20分。それからロビーで30分。このロビーでの時間がなかったら、記事は非常に中途半端。どうしよう、という感じだったが、マエストロのひとことで目の前が急に明るくなった。
 ヤンソンスは父親からは指揮者としての精神性を、ムラヴィンスキーからは作品の洞察力を、カラヤンからはオーケストラとの一体化を学んだと語った。
 彼はとても温かく誠実な人柄で、ユーモアもあり、相手をふんわりと包みこむ不思議な力を持っている。これが多くのオーケストラから求められる理由のひとつかもしれない。
 一時期、体調を崩してステージから遠ざかっていたが、近年見事復活。今日のニューイヤーも、かろやかな動きを見せていた。もしも、次にインタビューをする機会に恵まれたら、今度はもっと時間をかけて恩師である3人の話を聞きたいと思う。また、「これが一番話したいこと」といってくれるかも(笑)。
 
 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:10 | - | -
CALENDAR
S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< January 2012 >>
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE