Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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フランシスコ・アライサ
 メキシコ生まれのテノール、フランシスコ・アライサは、私の大好きな声質のもち主だ。彼のドン・オッタービオはすばらしく、役にピッタリ。
 最近はあまり来日しなくなってしまったが、実は10年ほど前にマドリードに取材に行った折、ホテルのフロントにチェックアウトで並んでいたら、すぐ前にいたのがアライサだった。
 えーっ、こんな偶然ってあり? という感じで再会し、彼も以前インタビューしたことを覚えていてくれ、「本当に偶然だねえ。5分違っていたら会えなかったのに。昨夜はそこのオペラハウスで歌っていたんだよ」といっていた。
 インタビュー・アーカイヴの第36回はそのアライサ。いつ会っても真面目でひたむきで誠実さがにじむ。その歌声も役に一途に入り込んでいく歌唱法だ。

[レコパル 1991年10月14日〜10月27日号]

やすらぎを与えてくれる、貴公子アライサの歌声

 モーツァルト最晩年のオペラの傑作「ドン・ジョヴァンニ」の新録がリリースされた。指揮者のネヴィル・マリナー、ソリストのトマス・アレンをはじめ充実した演奏家が並ぶなか、唯一のテノールは、いまや世界中のオペラハウスからひっぱりだこのフランシスコ・アライサ。今作でも、ドン・オッタービオの役を非常に叙情的にこなしているアライサだが、先日来日した折に歌手の役作りについてなど、いろいろと話を聞くことができた。
 ドン・オッタービオはもともと一途な思いを恋人ドンナ・アンナに寄せている役だから、アライサのキャラクターによく似あう。彼はその甘く張りのある声を充分に生かし、愛する人の父親殺しの犯人であるドン・ジョヴァンニへの復讐に燃える青年役を熱唱している。
「ドン・ジョヴァンニ」は、大変な色事師である主人公ドン・ジョヴァンニの地獄落ちというデモーニッシュな内容を備えているが、モーツァルトの音楽は序曲から最後の六重唱にいたるまでこの上なく美しく、また劇的で、アリアも名曲ぞろいである。

「コミカルな役よりも、シリアスな歌が歌いたい」

 アライサの扮するドン・オッタービオの代表的なアリアは、第1幕の「彼女こそ私の宝」と第2幕の「恋人を慰めて」だが、アライサの歌声はまっすぐに伸びた若木のようで、モーツァルトがこの役に与えた珠玉の旋律と、テノールという音域がもつ魅力を充分に堪能できる。このオペラには次々に個性的なバリトンやバスが登場するけれども、そのなかにアライサの澄んだ高音域の歌声が聴こえてくると、そこだけがパッと明るく、やすらぎにも似た思いが感じられる。ドン・オッタービオこそアライサ自身、素のままで歌えるのではないかと思ったら、実際にはこんな答えが戻ってきた。
「モーツァルトのオペラはいままでいろいろな役を歌ってきましたが、私がもっとも自分に近い感情で歌えるのは《イドメネオ》のイダマンテです。あの役はシリアスで非常に難しいのですが、モーツァルトのなかで一番好きな役でもあります」
「イドメネオ」は、いわゆるオペラ・セリアといわれる正歌劇。モーツァルトの得意とした楽しいオペラ・ブッファ(喜歌劇)とはストーリーも音楽もひと味異なる。「イドメネオ」は海神との約束により、息子イダマンテをいけにえにしなければならなくなった父親イドメネオの苦悩を描いたオペラ。だが、アライサがデビューしたのはモーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」の青年士官フェルランドだった。これは多分にコメディー的な要素が含まれている役だ。
「私のなかにファニーな部分というのはまったくありません。ですから、あまり長い間コミカルな役が続くと、結構キツイですね(笑)。他のシリアスなものを歌いたくなります」
 笑顔のアライサは人形のような長いまつげのもち主。ステージでいつも王子を演じているからか、全体の雰囲気が貴公子然としている。話しかたには独特のリズムがあり、どんな質問にもゆっくりとことばを選びながら一生懸命答える。
 ファニーな部分はまったくないといった彼が、たったひとことジョークをいったのは、ドン・オッタービオのアリアは技術的に難しくて、たとえお風呂で歌ってもうまく聴こえないよ、と笑ったときだった。
 彼がときおり見せる笑顔は格別で、リサイタルのあと拍手が鳴りやまないときに、はにかんだような表情でアンコールを決める、あのときの笑顔と同質のものだった。
「アンコールというのは、聴衆に対しての私からのギフトです。聴衆と一体になり、親密で家族的な雰囲気に包まれたときは最高です」
 来年はいよいよアライサの得意なロッシーニ生誕200年にあたる年。音楽祭をはじめロッシーニを歌うスケジュールが目いっぱい詰まっている。

 今日の写真はそのときの雑誌の一部。もうあれから20年以上もたつのに、若々しいアライサの姿とみずみずしい歌声はいまだ脳裏に強く焼き付いている。

| インタビュー・アーカイヴ | 23:12 | - | -
沈丁花
 家にこもって原稿書きに追われているときに、ほんのひととき心が和む瞬間がある。庭の花々に水やりをするときである。
 この時期になると、毎年楽しみなのは沈丁花が強い芳香を放って、存在感をアピールすることだ。
 わが家の花はシロバナジンチョウゲで、真っ白な花をいくつもつける。これが咲き出すと、「ああ、寒さもひと段落したかな」という思いに駆られる。
 私はこの種の香りが好きで、似たような匂いをもつ庭木をいろいろ試しているのだが、なかなかうまく育たず、この沈丁花だけが元気いっぱい。毎年、庭の一角で「今年も咲いたよー」と私に呼びかける。なんといとおしいことか、ほとんど手入れらしい手入れをしていないのに、寒い季節に精一杯エネルギーをため込んで、春の息吹を伝えてくれる。
 今日の写真はその真っ白な花々。実は、もうひとつ元気に咲いているのが、ローズマリーの薄紫の小さな花。これはお料理に欠かせないアイテム。そのために植えたんだけど、花をいっぱいつけている姿を見ると、なんだかチョキチョキ切って、ハーブとして使うのがちょっと気の毒に思えてしまう。
 いまは、イタリアンパセリとセージも元気な緑色を誇示している。うーん、やっぱりこれはお料理に使わなくちゃ、彼らの役目が果たせないよな(笑)。


 
 
| ああ愉しき(?)、締切り地獄 | 23:12 | - | -
久元祐子
 3月16日から4月8日まで、「東京・春・音楽祭」が上野で開催されている。これは「春が訪れ、桜が開いて、音楽が始まる、上野の森に」というキャッチのつけられた音楽祭で、東京文化会館、上野学園石橋メモリアルホール、旧東京音楽学校奏楽堂、国立科学博物館、東京国立博物館、東京都美術館、国立西洋美術館、上野の森美術館、水上音楽堂を会場としている。
 昨年はプレイエルの楽器について原稿を書き、今年はエラールに関しての原稿がプログラムに掲載されたため、今日は国立科学博物館の日本館講堂で行われた久元祐子のピアノによるミュージアム・コンサート「名器エラールで聴くピアノ名曲選」を聴きにいった。
 上野駅に着くと、行楽客や観光客、音楽祭のお客さんなどでおおにぎわい。演奏会場も満杯の聴衆で、14時開演という時間帯にもかかわらず、幅広い客層の人々が集まっている。
 久元祐子の演奏は、1845年製のエラールの楽器のよさを存分に生かした奏法で、会場のノスタルジックな雰囲気とピタリとマッチ。現代のピアノとは音響も音質も異なり、残響は少なく、ペダリングも難しそうだ。
 しかし、こうした古い時代の楽器を自らも所有し、長年さまざまな楽器を弾き込んでいる彼女は、あたかもショパンやリストやシューマンの時代を蘇らせるように、自然なタッチで演奏。前半はベートーヴェンからスタートし、やがてリストやショパンへと移り、トークをまじえて作品をわかりやすく紹介、ときにユーモアやウイットを交え、聴き手の心をなごませた。
 今日の日中は珍しく温かい日差しが降り注ぎ、上野の森も春の香りに包まれた。こんな日に、伝統を感じさせる古雅なピアノの響きに触れ、とても幸せな気分に包まれた。
 終演後に久元さんに会ったら、彼女はプレイエルやベーゼンドルファーの歴史的な名器をもっていると語っていた。また、その貴重な響きをまた聴きに出かけたいと強く感じた。なぜなら今日の演奏は、作品が生まれた時代へと私の心を飛翔させてくれたからである。このエラールはダンパーも響板もすべての部品がオリジナルで、その時代の音そのものを保持しているそうだ。コレクターのかたが大切に保存しているのだろう。
 今日の写真はそのエラールと、終演後の久元祐子。彼女は今日のエラールを「宝石のような輝き」と語っていたが、まさにその通り。
 この音楽祭は4月もまだいくつか聴きに出かけ、そのレポートは5月発売の「音楽の友」に書く予定になっている。またすばらしい音楽との出合いがあるのでは、と胸が高鳴る思い。



| クラシックを愛す | 23:28 | - | -
フランチェスコ・トリスターノ
 またまた「フラくん」に話を聞くことができた。今回は、ヤマハのWEB「ピアニスト・ラウンジ」のインタビューである。これは今日サイトにアップされたばかり。ぜひ、訪問してネ。かなり長く詳しく書いているので。
 フランチェスコ・トリスターノは、いつ会ってもカッコよくおしゃれ。今回は私の大好きな色、グリーンのスカーフをアクセントに用いていた。186センチのスリムなモデル体型だから、何でも様になってしまう。
 彼はこの3月に京都でヤマハのCFXを使ってユニバーサルのセカンドアルバムを録音すると語っていた。もう終わったころだ。
 しかし、インタビュー時にはまだ曲目の詳細は発表できないそうで、「まだダメなんだ。ごめんね」と、いつもながらの優しい表情でいっていた。
 フラくんことフランチェスコは、常に伝統的なクラシック作品に現代の作品や自作を盛り込むことをモットーとしている。その話をし出したら、何時間でも話が続きそうなほど雄弁になる。
「ぼくは昔の音楽を昔と同じ方法で演奏していても、現代には合わないと思うんだ。人々のクラシック離れを防ぐためにも、現代に即した演奏が必要だと思う。だから自分が生きている時代と何か関連性がある形でプログラムを構成したい。ぼくにとっては、古典作品も現代作品も同じように大切で、特にバロック作品は大好きだよ。それらを現代に生きる人々に向けて自分なりの方法で発信していきたい。いま書かれている作品も同様にね」
 彼は常に一歩先を見て、自分の可能性を信じ、新たな方向を探求していく。以前も書いたが、大の日本びいきで、和食も日本の生活スタイルも文化も日本語も大好き。現在はバルセロナに住み、世界各地を飛び回っているが、日本は特別な存在だという。なんといっても、日本で録音するほどだものね。
 完璧主義者の彼は常に自己の限界まで演奏を極めていく。新譜がリリースされるのが楽しみだ。
 今日の写真は、インタビュー時のエレガントで粋なフラくん。足が長すぎて、ピアノを弾きながらの撮影では、足が楽器にあたって窮屈そうだった。長すぎて困ることもあるのね(笑)。

| 親しき友との語らい | 22:28 | - | -
グリーグのピアノ・ソナタ
 先日、デニス・マツーエフのインタビューの様子を綴ったが、そのときにレパートリーの話になり、彼が話したことでとても印象に残ったことがある。
 というのは、マツーエフはあまり知られていない作品や、いい作品なのになぜか埋もれてしまっているものに光を当てることに意義を見出しているそうだ。
 日本にくる前にニューヨークのカーネギー・ホールで弾いてきたのが、グリーグのピアノ・ソナタで、実はこの曲が大好きなんだという。
「ぼくは12歳のときにグリーグのピアノ・ソナタと出合い、弾き始めたんだけど、すばらしい作品だと思う。でも、このソナタはあまりステージで取り上げられない。なぜなんだろう。不思議だよねえ、こんなに美しくて多種多様なものが込められている曲なのに…」
 こういってマツーエフはいかにこの作品がすばらしいかを力説した。そしてこう付け加えた。
「この前、ユーチューブでグリーグ自身が1902年に演奏している映像を見つけ、大発見したとひとりで大騒ぎしてしまった。かなりヴィルトゥオーゾなスタイルで弾いていて、とても感動的だったし、演奏する際にすごく役立つ。より一層、このソナタが好きになったよ」
 
 ここで、以前書いた単行本「グリーグを愛す」のピアノ・ソナタ ホ短調 作品7の項を記してみたい。

 グリーグはピアノ・ソナタを1曲しか残していない。これはピアノ協奏曲と同様、20代の若いころの作品である。1865年に初稿が書き上げられ、1887年に改訂稿が完成した。
 1862年にライプツィヒでの留学を終えてコペンハーゲンに戻ったグリーグは、そこで情熱的なノルウェーの青年作曲家ノールロークに出会う。彼の影響からノルウェーの国民主義を目指すようになったグリーグは、翌年と翌々年にコペンハーゲンの北部の田園地帯ルンステッドに滞在し、やがて1865年になってこの土地でピアノ・ソナタを書き上げる。作曲は一気に進められたようで、詳しい日付は不明だが、季節は6月後半、作曲に要した期間はわずか11日間という記録が残されている。
 第1楽章 ソナタ形式とはいうものの、かなり自由な扱いを見せる。ホ短調で提示される第1主題はすぐにト長調の第2主題に変わり、力強い展開部へと発展していく。再現部では両主題とも前と同じ調で現れ、やがて第1主題に基づく力強いコーダで締めくくられる。
 第2楽章 おだやかで美しい歌謡的な楽章。グリーグらしさが満ちあふれているような美しいハ長調の主題が奏でられ、副主題が登場した後に分散和音がffで演奏され、やがて静かに曲は閉じられる。
 第3楽章 第1楽章の最初の主題がこのメヌエットに登場する。トリオはホ長調に変わり、最後に再びホ短調のメヌエットが再現される。
 第4楽章 短い序奏の後、リズミカルな第1主題が提示され、これがハ長調の第2主題に転じる。コーダはプレストのテンポで力強いフィナーレとなる。

 私もこのピアノ・ソナタは大好きである。ぜひ、一度聴いてほしい。本当にマツーエフがいうように、なぜ演奏される機会に恵まれないのか不思議だ。
| クラシックを愛す | 22:41 | - | -
春野菜のはさみ揚げカツ
 まだ風は冷たい日が続いているが、八百屋さんの店頭には春を告げる野菜がたくさん顔をそろえている。
 そこで春野菜を使った薄切り肉のカツを作ってみた。これは野菜がたくさん食べられ、お肉の量もそんなに多くないため、とてもヘルシーだ。
 まず、豚肉の大きめに切った薄切りをひとり2枚ずつ用意する。これに菜の花をゆでて水けをしっかり絞ったもの、ウドを薄切りにして酢水に放し、水気をとったもの、タケノコの薄切りを適宜用意する。
 肉の両面に軽く塩、コショーを振り、野菜をはさんで包み、小麦粉、卵、パン粉をトンカツの要領でまぶし、油で揚げる。
 お皿に盛りつけるときにカツを切って中身を見せるようにし、春の新鮮なやわらかいキャベツを千切りにして添える。
 これはマスタード、ケチャップ、ソースを合わせたトンカツ用のソースももちろんピッタリでごはんが進むけど、揚げたてに柑橘類をギュッとしぼってかけるとちょっと洋風な味わいになり、ワインにも合う。
 今日の写真は揚げたての「春野菜のはさみ揚げカツ」。あつあつをほおばると、菜の花の苦み、ウドの香り、タケノコの歯触りがカツと相まって絶妙!!
 日本の春を感じるレシピで〜す。


 
| 美味なるダイアリー | 22:48 | - | -
デニス・マツーエフ
 ロシアのバイカル湖沿岸の都市イルクーツク出身のデニス・マツーエフは、ステージとオフステージの表情がまったく異なるピアニストである。
 192センチの長身でがっしりした体躯。ピアノに向かうとエネルギー全開で、楽器はすさまじい迫力で鳴り響き、ホール全体が大音響に包まれる。ステージに登場するときからコワモテでのっしのっしという感じで現れ、まさにロシア旋風が吹き荒れる予感がする。
 ところが、インタビューではジョーク連発。話がどんどん本題から逸れ、「バイカル湖沿岸の女性は世界一」「近ごろの男性ピアニストは、くねくねしてチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を弾くからたまらん」「新しい楽譜を見るときは女性をハグするようにその楽譜をしっかり抱きしめ、大好きになるようにする」などと記事にできないことばかりに飛んでいく。
 ただし、真面目に答えるときはすさまじく真面目で、あらら、どうしたのかしらと、そのギャップに驚かされることもしばしば。
 今回も6月号の「intoxicate」のインタビューで、新譜のリストのピアノ協奏曲第1番、第2番、「死の舞踏」(ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア国立管弦楽団、ソニー)、ショスタコーヴィチとシチェドリンのピアノ協奏曲(ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団 マリインスキー・レーベル)について話を聞いたが、案の定脱線に次ぐ脱線。
 この日は午前11時に成田空港に着き、その足でオーケストラとのリハーサルに出向き、午後1時からリハ。それを終えて何本か取材に応じた。なんというタフさ。あまりに過酷なスケジュールゆえか、時差と寝不足ゆえか、いつもよりさらにテンションが高く、話は飛びっぱなしだった。
 いまマツーエフはビデオブログを発信しているそうだが、それを得意げに見せてくれたり、自分のサイトは「マッチャン、ボケボケ、ドットコムだよ」と冗談をいってみたり。なんと、ここだけ日本語になっていた。
 私がそれを聞いてギャーッと大笑いしたら、受けたと思ったのか、「マッチャン、ボケボケ、ドットコム」と大声で連発。いやはや、インタビューにはなりませんな(笑)。
 究極は身長の話。192センチメートルの「メートル」は、ロシア語では「偉人」を意味するそうで、「だからぼくは《偉人92》と呼ばれているんだ!!」と、ここでもまた話が果てしなく逸れていく。
 彼は以前、テニスのマラト・サフィンと親友だといっていたので、「サフィンは引退後どうしている?」と聞いたら、「ああ、マラトはすごく元気だよ。何かビジネスを始めたみたい」といっていた。でも、実はサフィンは昨年12月、ロシア連邦議会の下院選挙に統一ロシアから立候補して当選、政治家になったのだ。
 サフィンも身長193センチ。ふたりが並んで歩いていると、みんなが見るそうだが、そりゃそうでしょう、ふたりとも目立つもんね。
 というわけで、今回はいかにリストが好きか、ラフマニノフがすばらしいかという話がなんとか取材でき、記事はまとまった。でも、私はずっと笑いっぱなしだったので、マツーエフ以上に疲れてしまった、やれやれ(笑)。
 彼は11月にゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団との共演で日本公演を行い、名刺代わりというラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を演奏する予定になっている。きっと両者のエネルギーが爆発する演奏になるに違いない。
 今日の写真は、疲れでテンションあがりっぱなしのマッチャンです。イェーイ!!

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 22:02 | - | -
来福鞄
 私は昔からハンドバッグが大好きで、自他ともに認めるバッグフリークである。
 ストレス解消のためにバッグを買いに走ったり、海外出張のときはほんの少しでも取材の時間が空くと、ひとりでさっとどこかに消える。もちろんお目当てのバッグを探しに行くのである。
 そんな私のバックを見て、いつも友人や仕事仲間が「それ、飽きたらちょうだいね」「捨てる前に声かけてよ」「ガレージセールやるときは絶対呼んでね」「いっぱい似たような物もっているんだから、ひとつ分けて」などという。
 でも、とてつもなく高価な物や、有名なブランドが好みなわけではない。仕事にもって行くのに便利で、物がたくさん入って使いやすく、自分のティストに合う物がいい。
 今回見つけたのは、エド・ギルドの「来福鞄」と名付けられた会津木綿で作られたトート。会津若松市の和の伝統を守る製品のひとつに会津木綿があり、400年ほど前から微妙なニュアンスをもつ木綿製品が職人によって作られているそうだ。その美しさと丈夫さにほれ込んだ、江戸時代のよい物を現在に伝承しようと考えているエド・ギルドという会社が、現在は2社しか残っていない会津木綿の製造元に特注し、バッグを作り上げたという。
 これを雑誌の広告で見つけ、「来福鞄」というネーミングと、会津の地元の織元の心意気と、江戸の伝統を守るアイデアのすべてに魅了された私は、バッグフリークの精神を一気に発揮。
 わが家にやってきたトートはそれはそれは素朴で繊細で美しく、「Happy come bag」の名の通り、私を幸せな気持ちにしてくれる。
 これはチョコレートとストライプという色のほうで、もうひとつネイビーとスカーレットという色がある。持ち手は牛皮だ。
 大きさも価格も手ごろで、光の加減で色彩が変化して見える。資料もCDもテレコもどかどか入りそう。
 こうした東北の伝統を守る職人の技はとても貴重であり、将来に受け継がれていってほしいと切に願う。東北にはまだまだすばらしい伝統の技術が数多く存在する。会津木綿もそのひとつ。バッグをながめながら、その織元を訪ねたい気持ちになった。
 今日の写真はシンプルながら存在感のあるトート。前の下部には携帯を入れるポケットがついている。ねっ、すごく温かみのある色合いでしょ。今度、仕事にもって行ったら、まただれかにとられそうになるかな(笑)。

| 日々つづれ織り | 22:28 | - | -
アルペンスキー
 スキーをしなくなってから、もう何年たつだろうか。小学生のころから親しんできたスポーツだったが、いったん行かなくなるとどんどん遠のき、いまでは雪を見ると雪見酒のほうに魅力を感じる。あかんなあ(笑)。
 そんな私がもっぱらテレビ観戦して楽しんでいるのが、ヨーロッパで行われているアルペンスキーの大会。
 昨日はアルペンスキー・ワールドカップの最終戦の会場、オーストリアのシュラドミングでスラロームが行われた。今季、引退を宣言したスイス出身のスター選手、ディディエ・キュシュ(1974年生まれ)が滑るとあって、私は楽しみにしていたのだが、その最後に粋なセレモニーが用意されていた。
 キュシュの最後を観戦しにきた人々に向けて、彼は昔のウェアとスキーを身に着け、リュックまで背負って滑降したのである。すごく滑りにくそうで、何度もころびそうになりながら、ところどころで関係者や世話になった人たちと握手や抱擁を交わし、ようやくゴールにたどり着いた。
 そしておなじみのスキーをはずし、くるりと回転させて手でキャッチするポーズも披露。観客は沸きに沸いた。
 このときは参加した選手たちがみな滑り終わるとキュシュのこのポーズをまねしたのだが、彼のようにうまくいく人はいなかった。
 私は以前、「ミスター・メダリスト」と呼ばれたノルウェー出身のチェーティル・アンドレ・オーモット(1971年生まれ)を応援していた。彼は冬季オリンピック、アルペンスキー世界選手権、アルペンスキー・ワールドカップで多数のメダルを獲得。1993年には世界選手権盛岡雫石大会で大回転と回転で優勝し、複合で第2位に入った。
 私はスポーツを見る場合、力で押すタイプではなく、芸術的なプレーをする人が好きなのだが、オーモットの滑りはとても流麗で華麗で美しく、ほれぼれとしたものだ。しかし、どんなにメダルを取っても謙虚で、インタビューなどに応える素顔はとてもシャイ。そこもいいんだよね(笑)。
 でも、2007年に35歳で引退してしまった。残念無念…。
 昨日のキュシュの滑りを見ていて、急にオーモットをなつかしく思い出してしまった。実は、大分前のことになるが、ノルウェーのトランペット奏者、オーレ・エドワルド・アントンセンと話をしていたとき、ノルウェーでは著名な音楽家とトップアスリートの懇親会があり、そのなかで集中力や心身のコンディションのもっていきかた、バランスのとりかた、練習方法、食事の内容、モチベーションの維持などについて話し合うことがあるのだといっていた。音楽家とアスリートは多くの共通項があるため、国が率先してそういう交流の場を設けているのだそうだ。
 そのときに、私が長年オーモットを応援していると話したら、アントンセンは目を丸くて「ホント? いやあ、びっくりしたよ。日本でウチの選手を応援してくれる人がいるなんて、うれしいなあ。帰国したらみんなに報告しなくちゃ。それもスポーツを書いている専門家ではなく、クラシックのジャーナリストから名前が出るなんて、ホントうれしい驚きだ。でも、ノルウェーにはたくさんのいい選手がいるんだよ。オーモットだけではなく、もっとほかの人も応援してよ」といわれた。「でも、私はオーモットがいいの」と答えると、アントンセンは「ああ、ファンは偉大だー」といって手を広げ、肩をすくめ、天を仰いだ。
 ちなみに、アルペンスキーには滑降(ダウンヒル)、スーパー大回転(スーパー・ジャイアント・スラローム、スーパーG)、大回転(ジャイアント・スラローム)、回転(スラローム)、複合(コンバイン)、スーパー複合(スーパー・コンバイン)の種目があり、それぞれおもしろいが、私はなんといってもスーパーGのファン。こんなに心が高揚する滑りはありませんゾ。
 まだ観戦したことがない人は、ぜひ見てくださいな、テレビカメラが猛スピードで降りて行く選手を追いかけるので、あたかも自分が滑っているような疑似体験ができるんです。ああ、雪山の空気とあの上から一気に滑り降りるときの爽快感、なつかしいなあ。あったかいところでぬくぬくしながらテレビ見ているだけじゃダメだよね。からだがなまってくるから。さて、フィットネスに行って、少しは動きますか(笑)。
| 日々つづれ織り | 14:16 | - | -
新日本フィルハーモニー交響楽団
 昨年から、新日本フィルハーモニー交響楽団のプログラムに連載で記事を書いている。
 題して「伊熊よし子の『ここに注目』」。毎回、トリフォニー・シリーズ、サントリーホール・シリーズ、新・クラシックへの扉の3つのプログラムのなかから自由に題材を選び、聴きどころや注目すべきところをエッセイ風に紹介するという内容である。
 打ち合わせのときに希望されたのは、あまりマニアックにならず、幅広い聴衆に向けてわかりやすい記事を書くということ。ビギナーにも読みやすい文章にし、作曲家や作品や演奏家について「こんなところに留意して聴くのもおもしろいのでは」というようなユニークな視点を見つけること。さらに、私の自由発想的なスタンスで楽しく書いてほしいということ。
 うーん、これは一見楽しそうな記事をなりそうだけど、本当はすごく難しい要求である。
 もう連載が始まってからかなり時間が経過したが、いつもプログラムとにらめっこですぐには題材が選択できない。それほど難しいのである。
 よく「クラシックの初心者にわかりやすく、門戸を広く開いた感じで」とか、「専門用語はあまり使わず、堅苦しくない文章で」とか、「クラシックにこれから親しもうとしている人たちに向けて楽しく書いてほしい」などといわれるが、これは非常に困難なことである。何の世界でも、平易な文章を書くことが一番難しい。しかも内容が伴わないといけないからだ。
 毎回、うんうんとうなりながら題材を決め、それについてとことん調べ、自分のなかで咀嚼し、できる限りシンプルな文章で綴るようにしている。
 ただし、これはひとつの原稿が400字という短いもの。それを毎回複数本書くことになっている。そのなかで、それぞれ凝縮した内容にしなければならない。たいていは書き始めると、すぐに文字数がオーバーしてしまう。それからまたやり直し、練り直して400字で収めるようにしていく。
 何事も経験だから、最近はなんとか慣れてきて以前よりはすべてが早く進むようになったものの、まだまだ納得いく方法がつかめない。
 今月もまた、締め切りが近付いてくると、プログラムとにらめっこの日が始まる。なんとか、いい記事が書けないものかなあ。アーティストはよく「一生勉強です」と語るが、私もその思いをいつも感じている。さて、また今月もとことん悩みますか(笑)。
今日の写真は最新号のプログラムの表紙。毎回、定期演奏会の指揮者が表紙を飾る。今回はジャン=クリストフ・スピノジとトーマス・ダウスゴー。


  
| ああ愉しき(?)、締切り地獄 | 22:05 | - | -
雑誌の発売日
 毎月、20日付近になると各社の雑誌が発売され、記事を書いた掲載誌が相次いで送られてくる。
 ところが、私がそれらを見る前にいち早く書店で見つけた人から、記事に関して連絡が入ることがある。
 それも海外からメールで記事のお礼をいわれることがあるから、世の中ホントに狭くなったと感じる。
 雑誌や新聞の記事のみならず、WEBやブログに書いた文に関しても、連絡をいただくことが多い。
 いまはなんでもリアルタイムで動いている。その反応の速さに最初はとまどったが、次第に慣れてきて、海外からの連絡などはふつうのことに思えるようになった。これはメールが普及してからだが、このメールで困ることもある。
 最近は、原稿依頼などもほとんどメール。相手をよく知っている場合は何の問題もないのだが、以前フルネームではなく苗字だけで原稿依頼がきたことがあった。あるアーティストのインタビュー原稿である。
 その文面がとてもやわらかい感じでていねいだったため、私はてっきり相手は若い女性編集者だとばかり思っていた。
 取材当日、名刺交換をした相手は立派な体格の男性だった。
 ああ、メールって怖いなあ。こうして会う仕事だったからいいものの、もしも一度も会わない仕事だったら、私は相手をまったく違うタイプだと誤解したまま仕事を続けているわけだ。なんと恐ろしいことか。
 もうひとつ問題なのは、文章と実際の話しかたがまったく異なる人がいることである。メールの文章はすごくややこしくて、なんだか大変な原稿を書くことになるのかなあと思い、その打ち合わせに出かけて行くと、実にシンプルな内容だったりする。また、その逆もある。
 私は人に会うのが大好きで、だからこそインタビュアーとしてアーティストに話を聞くのが性に合っていると思うのだが、最近はできる限り会わずに仕事を済ませたいと思う人が多いようだ。できることなら、電話もしたくないと。
 だからメールが一番手っ取り早いんだろうな。相手の時間を気にしなくて済むしね。でも、こうしてどんどん人と人とのコミュニケーションが薄れていくような気がする。ただし、私が実際に会ったり、電話で話したりするほうが好きだということがよくわかっている人も多く、私のところにはやたらに仕事の悩みやプライヴェートの問題などで相談が持ちかけられる。これって、5分や10分では終わらない。
 人の話を聞くことが好きというのは、時間もとられることを覚悟しないといけないんだよね。「あなたって、すごく話しやすいのよ」「自分の話は聞いてほしいけど、相手の話は聞きたくない人が多いんだから」「ふつう時間がないときは知らん顔しがちだけど、いつもとことん聞いてくれるよね」「メールの返事もすごく早いよね」と、まあこんなことをよくいわれる。
 ハイハイ、インタビューの仕事大好き。みんなの話を聞くのも大好き。それで時間がなくなって、いつもパニック状態。この性格、なんとかならないかしらね(苦笑)。
| 日々つづれ織り | 23:06 | - | -
ロール・キャベツ
 私がホームページを作ろうと思ったときに、製作してくれたデザイン会社のかたたちが趣味のページを取り入れたいと提案してくれ、そのなかでもっとも注目されたのが「アーティスト・レシピ」だった。
 これはいままで多くのアーティストに会い、演奏を聴き、私がそのアーティストから触発された感覚でお料理を考案したもので、ご本人の嗜好とはまったく関係なく、自由に作っている勝手なレシピ。
 そのなかから、今回はブラジルのギター・デュオ、アサド兄弟の「ソースまでペロリのロール・キャベツ」を紹介したい。
 先日、「インタビュー・アーカイヴ」にも書いたが、作曲・編曲も行う兄のセルジオ・アサドはとても温厚で視野が広い理性派で、なんでも上手にまとめる兄貴分。一方、天才的なテクニックの持ち主である弟のオダイル・アサドは自由を愛し、気まぐれで個性的な、いわゆる芸術家肌。
 このふたりのギターは、あのピアソラが1983年に「タンゴ組曲」を献呈したほどの超絶技巧が特徴。しかも音色は多彩で、ギター2台とは思えぬほどの幅広い表現力に貫かれている。
 私はギターとはこんなにも多種多様な響きが可能なのかと、初めて彼らの演奏に触れたときからずっと魅せられている。
 そんな彼らの情熱的で躍動感にあふれ、いつ聴いても新鮮で決して飽きない音楽から私が考案したのは、ロール・キャベツ。バリアを超えて愛され、インターナショナルな響きをもつ彼らの音楽は、お肉たっぷり、ワインが隠し味のトマトソースがベースのレシピにピッタリ。キャベツはさまざまな国で愛される野菜というのもその理由だ。
 まず、キャベツは根元に包丁を入れ、芯をくりぬき、破れないように1枚ずつはがし、芯をそぎ取る。4人前で8枚用意する。これを塩少々を入れた熱湯でさっとゆがき、水気をとっておく。
 タマネギ2分の1個はみじん切りにしてオリーブオイル少々でいためてさまし、牛乳大さじ4でしとらせたパン粉2分の1カップと、塩、コショー少々で下味をつけた豚ひき肉200グラムと混ぜる。
 キャベツの内側に小麦粉少々をはたき、肉あんを包み、ようじで止める。
 鍋にスープ(水2カップ、ブイヨン1個半)とトマトピューレ大さじ2、ケチャップ大さじ1、白ワイン大さじ2、砂糖ひとつまみを入れ、キャベツを並べて弱火で20分ほど煮込む。
 お皿にロール・キャベツ2個を盛り、スープをまわしかけ、サワークリーム適宜をトッピングし、パセリのみじん切りをバラリとかければ出来上がり。
 今日の写真は出来立ての「ソースまでペロリのロール・キャベツ」。これはワインとおいしいパンがよく似合う。もちろん、アサド兄弟のギター演奏は必需品だ。心を刺激するギター・デュオを聴きながら食べていると、舌も刺激され、ロール・キャベツ2個では足りないかも。「もっとおかわりしたいー」という声がきっと聞こえてきますよ(笑)。





  
| 美味なるダイアリー | 15:37 | - | -
樋口達哉
 以前も、アーティストのデビューCDのライナーノーツを書くことの意義を綴ったが、またもや貴重なデビュー・アルバムのライナーを担当した。
「テノール界の貴公子」と呼ばれる、樋口達哉のソロ・デビューCD「君のために〜Per Te」(ソニー・ミュージックダイレクト)である。
 樋口達哉は福島出身。昨年の大震災に胸を痛め、気持ちを同じくする仙台フィルハーモニー管弦楽団と共演し、音楽で人々を元気づけようと熱い思いを込めたアルバムを作り上げた。
 ここには彼がミラノ留学時代から現在まで歌い続けているオペラ・アリア、カンツォーネ、歌曲など17曲が収録され、聴き手をイタリアの地へといざなう。
 とりわけ印象的なのが、彼が「コンクールやオーディションで歌ってきた、いわゆる勝負曲」と語るプッチーニの歌劇「妖精ヴィッリ」から「幸せに満ちたあの日々」。演奏される機会がほとんどないこの作品を、彼はオーケストラと一体となって美しく歌い上げている。
 先日インタビューも行い、各々の作品に対する思いや留学時代の思い出、バリトンからテノールに転向したときのこと、デビューCDならではの選曲へのこだわり、タイトルになった「君のために〜Per Te」との出合いなどを聞いた。そのインタビューは次号の「婦人公論」に掲載される予定だ。
 樋口達哉は、私の大好きなアルフレード・クラウスがマスタークラスの指導をしている様子を聴講したという。実際に歌いながら教えているナマの声を間近に聴き、その情感豊かで深々とした歌声に魅了されたそうだ。いいなあ、うらやましいなあ(笑)。
 イタリア時代に経験したことを嬉々として話す彼の様子を見ていたら、私もその場に居合わせたような感覚に陥った。さまざまな指揮者、歌手などの話が次々に飛び出し、まるでオペラの舞台袖にいるような気分になったから不思議だ。
 彼はこのCDを「ふるさと」で締めくくっている。この曲は震災後、さまざまな歌手によって歌われてきた。昨年ドミンゴがコンサートのアンコールで歌ったときには、みんな一緒に歌いながら涙を流したものだ。
 今回の「ふるさと」も、被災地への思いが込められた熱唱。私も聴きながらともに歌い、彼らと気持ちを同じくしている。
 今日の写真はインタビュー時の樋口達哉。おしゃれで人あたりがよく、とても真面目だが、話しやすい人である。ぜひ、歌声を聴いてみて!

  
| アーティスト・クローズアップ | 22:21 | - | -
モーストリー・クラシック座談会
 今月20日発売の「モーストリー・クラシック」の特集は、「最新格付け! 世界のヴァイオリニスト」。
 前回のピアニスト格付けのときと同様、今回も評論家座談会が行われ、片桐卓也さん、渡辺和彦さんと私の3人で、事前に行われた音楽評論家やジャーナリスト50人の投票による「故人・現役を合わせた総合ランキング」と「現役のヴァイオリニスト」のベスト10の集計について話し合った。
 こういう座談会はいつもさまざまな方面に話題が逸れて行き、それがまた新たな話題を呼び、収拾がつかなくなることもしばしば。3人はそれぞれ好きなヴァイオリニストも異なり、その音楽性、人間性、表現力、技巧などに関しても一家言をもつため、次第に話は白熱し、予定時間を大幅にオーバーした。
 そして担当の編集者がテープをオフにしてからも、なお話は続き、一向に終わる気配がない。
 こういうのって、テープ起こしをして原稿をまとめる人が本当に気の毒だよね。しゃべっているほうは、興が乗ってガンガン話し続けているけど、原稿には関係のない話題が多い。
 私も対談や座談会の原稿をまとめる仕事をすることがあり、最近はその司会進行役を担う場合が多いため、話題が逸れるとすぐに元に戻すように軌道修正してしまう。だって、あとでまとめるの大変なんだもの(笑)。
 さて、20日発売の号はどんな感じに仕上がっているだろうか。この格付けという特集は人気が高いそうで、指揮者、ピアニスト、ヴァイオリニストが登場し、あとは声楽家を予定しているという。
 声楽家だったら、私が一番に挙げるのはやはりヘルマン・プライだ。プライ以外には考えられない。次はアルフレード・クラウスかな。現役で注目株はメゾソプラノのエリーナ・ガランチャだ。
 なあんて、ひとりで格付けしていても始まらないよね(笑)。また特集が組まれるのを楽しみにしていようっと。
  
 
  
| 情報・特急便 | 21:27 | - | -
デオダ・ド・セヴラック
  昨日、「ムジカノーヴァ」の対談で舘野泉邸を訪れたと書いたが、そのときに対談相手になぜ私を指名したのかと編集部が理由を聞いた。
 すると舘野さんは、「伊熊さんとはさまざまな話が自由にできるから。そして以前、私がセヴラックのCDを出したとき、彼女はその批評を書いてくれたんです。その文章はとても温かく、心に響くものでした。ああ、日本にもこうしてセヴラックの音楽を理解してくれる人がいるのだと、とても感動したことを覚えています。ですから、今回もまた楽しくお話できるかなと思って…」
 そばで聞いていた私は、照れくさいやら、恥ずかしいやら…。もちろん編集部は、私にも舘野さんに対しての思い、演奏に対する感想などを求め、それを記事に反映させるという。
 私は昔から舘野さんの音楽には、聴き手の心をゆったりと惹きつけていくものがあると感じている。それは強引に音楽のなかに引き込むものでは決してない。じわじわと音楽が心の奥に浸透してきて、いつしかさまざまな感情を刺激するのである。
 もっと作品を知りたい、作曲家の人生も知りたい、その作品が書かれた背景や、その時代の文化、歴史、伝統なども学びたい。そんな知的欲求を促す演奏なのである。
 そんな対談を終えたばかりの今日の日経新聞の朝刊に、「デオダ・ド・セヴラック」の評伝を書いた椎名亮輔氏の記事が掲載されていた。
 なんという偶然なのだろう。昨日セヴラックの話をしたばかりなのに。音楽学を研究し、パリに留学していた椎名氏は、古書店でセヴラックの楽譜を見つけ、ピアノで弾いてみて、一気に魅せられたのだという。
 南仏のサン=フェリックス=ローラゲにあるセヴラック(1872〜1921)の生家も訪れ、美しい田園風景に囲まれた環境にセヴラックの音楽のルーツを見出したと綴っている。
 そういえば、舘野さんもCD「ひまわりの海〜セヴラック・ピアノ作品集」(ワーナー)をリリースした2001年に、「ひまわりの海」(求龍堂)というエッセイ集も出版。そのなかでセヴラックの音楽に出会ったのは19歳のときだということ、人口数百人の村にある生家を訪れたときのことを書いている。
「ひまわりの海」というタイトルは、そのときに小高い丘から見回すと、周囲は360度ひまわり畑だったため、これに決まったようだ。
 昨日からセヴラックが私に近づいてきた。また、CDを聴き、そして椎名氏の本も見つけたいと思う。できることなら、私も生家を訪れてみたい。
| 親しき友との語らい | 22:14 | - | -
舘野泉
 今日は、来月発売の「ムジカノーヴァ」の対談で、ピアニストの舘野泉のご自宅に伺った。
 これはピアニストがさまざまなジャンルの人から対談をしたい相手を自由に選び、いろんな話をふたりでするという企画。
 先日、編集部から舘野さんが私を指名してくださったと聞き、本当に驚いた。そしてとても光栄に感じた。
 舘野さんとは、私が「ショパン」にいた時代から長年にわたっておつきあいがあるが、実はインタビューの回数はそんなに多くない。だが、いつもお会いするたびに話がはずみ、心温まるひとときを過ごすことができ、演奏と同様のおだやかさと深遠さと思考を促す面に触発されている。
 久しぶりにお会いした今日も、2時間の対談予定を大幅に超え、3時間にわたっていろんな話題に話が飛び、心が癒されたり、高揚したり、人生を考えさせられたり…。
 舘野さんは2002年に脳出血で右半身不随となったが、2年後に「左手のピアニスト」として奇跡の復活を遂げた。以後、既存の左手のための作品のみならず、日本人の作曲家への委嘱作品を含め、さまざまな作品を演奏。
「いまは左手で演奏するとか両手で演奏するということはあまり考えません。音楽を演奏しているわけですから」
 こう語る表情は、昔のように平穏で自然で嬉々としている。そんな彼が「舘野泉フェスティヴァル――左手の音楽祭2012-2013」を今年5月18日から来年11月10日まで全16回行う。これは3年前から計画し、ようやく実現にこぎつけたそうだ。
 現在は、家族の住むフィンランドに1年の半分ほど、日本で半分ほど過ごすというが、実は世界各地を演奏旅行で飛びまわっているため、一か所でゆっくりはできないようだ。
 舘野さんの元には右手を故障したり不自由になった人が大勢駆け付け、指導してくださいと頼まれるそうだ。しかし、彼は「教えることは苦手でねえ」とゆったりとした笑みを見せる。ただ、左手用の作品の紹介や、新たな作品を生み出すことには大きな意義を見出し、同じ境遇にある人たちの力になれればと語る。
 舘野さんはひとりでいることが大好きだそうだ。長時間の飛行機や電車の移動も気にならず、その時間はひとりになれるから幸せなのだという。
 私とはまったく逆だ。私は乗り物があまり得意ではなく、その時間がとても辛く感じる。ひとりでいるよりも、だれかと一緒にいるほうがいい。
 いつも感じることだが、舘野さんと私は話のテンポもまったく異なる。彼はゆったりとひとことずつ考えながらリラックスした表情でおだやかに話を進めていく。声もそんなに大きくなく、静けさが宿っている。そこに私は2倍、3倍の速さで切り込み、声は大きく、パッパカパッパカ話を進めいく。舘野さんはそんな私を優しい笑顔で見つめながら、「うん、うん、そうねえ」という感じであくまでもマイペース。私は「ハイ、ハイ、それで」と追い打ちをかけていく。
 今日もこのリズムと速さの違いにふたりで大笑いしてしまった。
 いよいよ5月から「左手の世界シリーズVol.1 新たな旅へ…ふたたび」が始まる。聴き手もこの新たな旅を通じ、新たな発見があるに違いない。
 今日の写真は帰りにご自宅の玄関先で写した1枚。これだけで、ふんわりと温かい空気が伝わってくるでしょう。私はいまでもなんだか胸の奥があったかい。今日は風がすごく冷たかったのに、帰り道でも心はポッカポカだった。舘野さん、ありがとう!! 演奏会、楽しみにしています。

| 親しき友との語らい | 23:44 | - | -
夏ミカンのマーマレード
 行きつけのオーガニックショップで、近所の人の庭になったという夏ミカンのおすそわけをいただいた。
 大きな夏ミカン2個である。ただし、ものすごく酸っぱいとのこと。そこで、マーマレードを作ることにした。
 夏ミカンは大体500グラム。これを皮と身に分け、まず皮をたっぷりの水を入れた鍋で沸騰直前までゆでる。ゆでるといっても、沸騰する前だから、さらすという感じかな。こうすると、細く切りやすくなる。
 今日のミカンは皮についた白い部分が少なかったため、そのまま細切りにした。
 これを何度か水を変えて渋みを取り除き、たっぷりの水に漬けてひと晩寝かせておく。中身も外の皮がやわらかかったため、種を除き、そのままざくざくと切っておいた。この種は木綿の小さな袋に入れて、一緒に煮るため、とっておく。これはペクチンの役目を果たすからだ。
 翌日、水気を切った皮と身と種を入れた袋を鍋に入れ、水2カップとグラニュー糖(私は果糖を使っている)300グラム(夏ミカンの大体60パーセント)を入れて、約30分弱火でコトコト煮込めばできあがり。
 市販のマーマレードは甘くてあまり苦みが感じられないが、マーマレードはやはりちょっぴりほろ苦いほうがおいしい。
 今日の写真はできたてのマーマレード。これはスコーンにピッタリ。ああ、でもいまはスコーンを焼く時間がないよー。
 仕方ないから、厚切りのトーストにたっぷりバターを塗って、その上にこれでもかというくらい山盛りにマーマレードを乗せて、ぱくつきますか(笑)。
うーん、苦みがあっておいしい!! 早く仕事を片付けて、やっぱりスコーン焼きたいな。

| 美味なるダイアリー | 21:53 | - | -
諏訪内晶子
 ヴァイオリニストの諏訪内晶子に初めて会ったのは、彼女が高校生のころだった。当時、まだヴァイオリニストになるべきか道は定まっていないようで、医学の道にも興味を抱いていた。
 だが、16歳のころから世界各地で行われる国際コンクールに参加していた彼女は、やがて音楽の道にしぼり、まっしぐらに進んでいくことになる。
 1989年にはエリーザベト国際音楽コンクールのヴァイオリン部門でヴァディム・レーピンに次いで第2位となり、翌年のチャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で18歳という若さで優勝、大きな話題となった。
 しかし、彼女はすぐに演奏活動を開始せず、さらに研鑽を積むことを決意、ジュリアード音楽院、コロンビア大学、国立ベルリン芸術大学で学ぶ。
 そして6年後、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番と「スコットランド幻想曲」でインターナショナルな録音デビューを果たした。
 以後、世界各地で演奏、著名な指揮者やオーケストラとの共演を重ね、実力を磨いていく。
 パリに居を定めたのは1999年12月のこと。先日またインタビューで会った彼女は、「本当に早いもので、もうパリに住んで10年以上になるんですよ」といい、しばし月日のたつのは早いという話題で盛り上がった。
 諏訪内晶子に会うたびに私が感心させられるのが、なんでも自分で決めるという意志の強さ。子どものころからこの性格は変わらず、すべてを自分で決めてきたという。その代わり、責任もすべて自分で背負ってきた。
 このインタビューは今月発売号の「CDジャーナル」で紹介される予定だ。
 新譜も4年ぶりにリリースされ、その共演者はヴァイオリニストを知り尽くしているイタマール・ゴラン。リハーサルのときから議論に次ぐ議論で、「すごく大変だったのよ」と苦笑していた。
 ゴランは完璧主義者で主張が強い。今回のレコーディングは丁々発止の音の対話とともに、嵐のような議論も行われたとか。題して「エモーション」(ユニバーサル)。タイトルにピッタリですね(笑)。
 ここには彼女がこの作品は絶対入れたかったというエネスコのヴァイオリン・ソナタ第3番「ルーマニアの民俗様式で」をはじめ、民族色豊かな作品がズラリと勢ぞろい。ファリャ、バルトーク、サラサーテ、クライスラー、ドビュッシーの民謡に根ざした作品や舞曲を用いた作品が組まれている。
 記事にも書いたが、この録音にはイヴリー・ギトリスが顔を出してくれ、エネスコの弟子である彼はさまざまなアドヴァイスをしてくれたという。
 彼女の話を聞いていたら、いつしか私はレコーディングが行われたパリ、ノートルダム・デュ・レバン教会にいるような気分になってきた。
 諏訪内晶子の取材を始めてはや20年以上が経過、本当にときがたつのは早い、とため息が出てしまう…。いやいや、いかん。こんなことでは前に進めないな。彼女は常に前向きなのだから、ため息をついていてはダメだワ、とひたすら自分を鼓舞している私。
 今日の写真はインタビュー時の諏訪内晶子。リラックスして話してくれたから、表情もふだんっぽいでしょ。


 

  
| アーティスト・クローズアップ | 22:10 | - | -
ヤクブ・フルシャ&プラハ・フィル
 今日は大震災から1年。各地でさまざまなコンサートが行われ、音楽の力で人々を勇気づけようと、多くの演奏家が力を尽くした。
 私が聴いたのは1981年チェコ生まれの指揮者、ヤクブ・フルシャが音楽監督を務めるプラハ・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート。フルシャはいま大きな注目を集めている指揮者で、昨年のグラモフォン誌において「巨匠となる可能性の高い10人の若手指揮者」のひとりに選ばれた逸材だ。
 2010年には「プラハの春」音楽祭の65周年記念のオープニングの指揮を任され、スメタナの「わが祖国」を振って国際的な注目を集めた。
 今日は、まず冒頭に被災地に対する思いを込めたフルシャのメッセージが語られ、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の第2楽章が奏された。そして演奏後にはしばらく黙祷の時間が設けられた。
 プログラムはドヴォルザークの「セレナード」から開始、次いで三浦文彰のソロによるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が登場した。三浦文彰はウィーン留学からかなり時間が経過したためか、演奏は自信に満ちたもので、彼の特徴である流麗な美音と芯の強さを感じさせる前向きな演奏にはなおいっそう磨きがかかり、説得力が増した。
 後半はドヴォルザークの交響曲第8番。このオーケストラは正団員が50名で、95パーセントがチェコ人。室内楽的な響きを特徴としている。
 演奏は、まさにひとつひとつの楽器の音が明確に聴こえてくる緻密さと密度濃いアンサンブルが印象的で、弦はまろやかではつらつとし、管は深々とした味わいを醸し出し、音楽全体が健康的で斬新で明快だ。
 フルシャの指揮はエネルギッシュで躍動感にあふれ、しかも正統的で簡潔でリーダーシップに富む。若き巨匠の道をまっしぐらに進んでいる勢いを感じさせ、この人には何かあるという未知なる可能性も示唆した。
 終演後、三浦文彰に話を聞くと、マエストロとは最初にプラハで共演し、今回のツアーでは福岡公演に次いで今日が2度目とのこと。「すばらしい指揮者です」と目を輝かせていた。
 今日のコンサートは最初のメッセージや「新世界より」がプラスされたため3時間におよび、その間フルシャの集中力は一瞬たりとも途切れることがなかった。そして三浦文彰の演奏を讃え、包容している姿がとても温かい感じで、こちらの心もほんのりと温かくなった。
 ただし、演奏があまりにもすばらしかったため、ブログ用の写真を撮るのをすっかり忘れて楽屋を出てしまった。失敗失敗。できることだったら、三浦文彰とマエストロの並んだ姿を撮りたかったのに、ああ残念。私って、本当に器用じゃないよね。ひとつのことに集中すると、あとのことはどこかにいってしまうんだから(笑)。こういうことは、しょっちゅうある。ホント、器用じゃないワ。
| クラシックを愛す | 22:39 | - | -
ネルソン・フレイレ
 ブラジル出身で現在はパリでも多くの時間を過ごしているピアニスト、ネルソン・フレイレは、私の大好きなピアニストである。彼は正統的で情熱的で躍動感に満ちた演奏を得意とするが、そのピアノの奥にはえもいわれぬ内省的な美が潜んでいる。
 ショパンもグリーグもシューマンも、フレイレの手にかかると詩情豊かな色彩感あふれる音楽になるが、どこかに静けさとナイーブさが宿っている。
 素顔のフレイレはとても物静かでシャイ。口数は少なく、おだやかで、ちょっと気難しい。
 以前、ダン・タイ・ソンが、「ネルソンは、ぼくがブラジルに演奏にいくときはいつでも自宅のキーを貸してくれる。自由に練習していいよ、家も好きに使ってといってくれる。本当にいい人なんだ」と語っていたが、まさに性格のすばらしい人。
 インタビュー・アーカイヴの第35回はそのフレイレの登場だ。

[intoxicate 2005年夏号]

情熱的で繊細なピアノを奏でる心やさしき自由人

 ネルソン・フレイレは、いつもコンサートのアンコールでひとつの作品をそっと弾き出す。それはグルック作曲「オルフェオとエウリディーチェ」より「精霊の踊り」。ロマンあふれる美しい旋律とゆったりとしたリズムに彩られたこの作品は、聴き手の目を自然に閉じさせ、心身ともに曲に没頭させてしまう不思議な魅力を備えている。
 これはフレイレが子どものころから敬愛し、いまなお部屋に写真を飾り、彼女の思い出を大切にしているブラジル出身の名ピアニスト、ギオマール・ノヴァエスが好んで弾いていた曲である。
 ノヴァエスはフレイレにとって大先輩にあたるが、彼女はフレイレの才能を高く評価し、さまざまなアドヴァイスを与えてくれた。
「精霊の踊り」は、ノヴァエスも録音を残している。彼女の演奏はフレイレよりもテンポがゆったりとし、古雅で気高い雰囲気を醸し出している。そしてフレイレの演奏もまた、非常に味わい深く、涙が出そうなピュアな美しさを秘めている。
 世界各地でフレイレはこの作品を演奏しているが、いずこの地でも常に会場はシーンと静まり、ひとつの音ももらすまいとみな神経を集中させて聴き入る。
「私は幼いころから多くの偉大なピアニストの録音を聴いてきました。ルービンシュタイン、ホロヴィッツ、バックハウス、ギーゼキングなど。ルービンシュタインの実際の演奏を聴いたのは22歳のとき。ホロヴィッツはマルタ・アルゲリッチと一緒にニューヨークで聴きました。これらはいまでも強烈な印象となって残っています。ルービンシュタインの自由さ、明快さはすばらしい。ホロヴィッツはオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団とのコンチェルトでしたが、マルタとふたりでからだのなかを電流が走るほどの衝撃を受けましたよ」
 フレイレとアルゲリッチはともにウィーンに留学したころに出会った。ともに気が合い、音楽的にも共通項があると感じ、以後45年間にわたってよき友人としてのつきあいが続いている。
「私がウィーンに行ったのは14歳のとき。両親と離れ、ひとりになって自由を満喫。練習などせず、散歩したりカフェに行ったり、遊びまくっていた。そんなときラフマニノフがシューマンの《謝肉祭》を録音したものを見つけて大感激。自由でクレージーな演奏だった。早速まねをしてレッスンにもって行ったら、先生に唖然とされた。マルタに出会ったのもそのころで、最初から自然にコミュニケーションがとれた。性格も音楽もまったく違うのに、なぜかウマが合う。いまでは何もかもわかりあっている感じ。ふたりが一緒に演奏すると、どちらかに演奏が似るのではなくまったく異なった第3の人間が生まれ、その人が弾いているようになる。みんなにそういわれるんだよ」
 フレイレはブラジル時代、神童といわれ、両親はその才能を伸ばすべくあらゆる手段を講じた。やがて12歳でリオ・デ・ジャネイロ国際ピアノ・コンクールで優勝し、ウィーンに留学。ここでフリードリヒ・グルダの師であるブルーノ・ザイドルホーファーに師事する幸運に浴す。
「グルダはブラジル人にとってのヒーロー。彼はブラジルでベートーヴェンのピアノ・ソナタ全32曲を演奏した。それを聴いて若いピアニストはウィーンに留学することを切望するようになったんです。彼は私たちに新たな道を拓いてくれた。演奏は健康的で知的で男性的。みんなあこがれたものです」
 2001年、フレイレは長年の沈黙を破ってショパンの作品集をリリース。以後、シューマン・アルバム、そしてショパンのピアノ・ソナタ第2番「葬送」などを立て続けに録音している。
「私は束縛されたり、お仕着せが大の苦手。今回は好きな時期に好きな作品を録音していいよ、といわれたのでOKしたんです。コンサートのプログラムも変更はしょっちゅう。4回くらい変えることはざらだから、いつも関係者から怒られる。でもね、何年も先にどの作品が弾きたいかなんてわかるわけないでしょ。そのときになって、初めてこれがいま弾きたいとなるわけ。だから、私に関しては先のことはまったくわからないね(笑)」
 自由をこよなく愛し、海辺を散歩したり、ボーッとしている時間が大切だというフレイレ。リオ・デ・ジャネイロの家には4匹の犬、パリの家には1匹の猫がいる。彼らはフレイレの演奏するヴィラ=ロボスの作品が大好きなのだという。
「ヴィラ=ロボスの作品にはブラジルの魂が込められている。ジャングルや鳥など自然をほうふつとさせる面もあるけど、人々の心温かな気質も感じられる。ヴィラ=ロボスはまったくの独学で作曲家になった。これを聞いただけでも、ものすごく自由な魂を感じないかい。音楽の壮大さと人間のぬくもり、その両面が共存している」
 フレイレはとてもシャイでナイーブな目をした人である。話しかたもポツポツとしてゆっくり。決して雄弁ではない。しかし、そのことばからにじみ出てくるやさしさと温かさ。これが特有の空気感を生み、いつしか場をなごませる。
 話が終わるときにいつも「フフフッ」といった感じで短い笑い声が入るのも特徴だ。モットーは「小さなことでも幸せを感じること」。演奏も音色のひとつひとつが心に響くもので、ピアノを聴く真の幸せを存分に堪能させてくれる。こういうピアニストはひんぱんに来日してほしいと願うのだが…。
「さてね、先のことはわからないよ。日本は大好きで、和食に目がないからすぐにまた来日したいけど、どうなるかなあ。次の録音? これはレコード会社が決めてくれたよ。シャイー指揮のライブツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とブラームスの2曲のコンチェルトを入れる予定。ボーッとしていちゃいかんね、練習しなくちゃ(笑)」
 何か決められると息苦しくなり、夢の世界に逃げ込むというフレイレ。あくまでも自由を優先して人生を歩む。その人生哲学が演奏に投影され、聴き手の心を解放させ、私たちにも自由を与えてくれる。人はさまざまなしがらみを抱え、それから解き放たれることは至難の業。フレイレのような生きかたは現代人の理想かもしれない。
 今日の写真はその雑誌の一部。いつも彼に会うと、人見知りをするおとなしいクマちゃんのような印象を受ける(失礼)。演奏のみならず、その性格も私は大好きだ。




 
| インタビュー・アーカイヴ | 22:31 | - | -
樫本大進&コンスタンチン・リフシッツ
 昨夜は、樫本大進とコンスタンチン・リフシッツのベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲チクルスの第2回をサントリーホールに聴きにいった。
 このシリーズに関しては、大進に何度かインタビューを行い、作品に対する思い、リフシッツとの共演について、またプログラムの組み立てかたなどを聞き、さまざまなところで記事を展開してきた。
 昨夜は前半に第2番と第6番を、後半に第7番と第8番をもってきた。
 よく、「地位が人を作る」というが、まさにこのリサイタルでそのことばを実感した。大進の演奏はデビュー当初から聴き続け、人間的な成長とともに演奏が大きな変貌を遂げたと感じていたが、昨夜の演奏は、ベルリン・フィルのコンサートマスターとして日々緊張と責任と多大なる集中力のなかで演奏している成果が存分に発揮されたものだった。
 以前にくらべ、音楽全体に余裕が生まれ、音色が自由自在に変化し、ベートーヴェンの作品に対する洞察力が増し、自信がみなぎっていた。
 ここにリフシッツの真に天才的な自由闊達なピアノが加わると、えもいわれぬ味わい深いベートーヴェンが生まれる。
 大進はいつもおごらず、和を大切に、主張すべきところはきちんと主張するが、相手を気遣い、その一方でリーダーシップを発揮する。
 彼は、ベルリン・フィルのコンサートマスターに内定した段階では、口では気にしていない、なるようになるといっていたが、この時期はかなりストレスがたまっていたと思う。
 それがコンサートマスターに正式に就任してからは、もちろん重責だが、リラックスした表情を見せるようになった。
 こんなにも偉大な地位に就いたことが人間を変え、演奏を変えたことに驚いた。必死で弾いている感じはまったくなく、盟友とのデュオを心から楽しみ、ベートーヴェンに身も心も捧げていたため、私たち聴き手も作品のすばらしさに酔うことができた。
 次回は2013年1、2月の予定。またひとまわり大きくなった樫本大進に会えるに違いない。
なお、リフシッツは3月15日に紀尾井ホールでJ.S.バッハの「フーガの技法」でリサイタルを行う。これはバッハの絶筆となった未完の大作。どんな楽器で演奏されるべきか、どのような順序で配列すべきか、またどのような形にしたかったのかなど、謎の多い作品である。
 彼はすでに録音もリリースしているが、この大作にリフシッツがどう挑むのか、ナマを聴くのが非常に楽しみ。バッハを深く愛している彼ならではの宇宙が形成されるのではないだろうか。
| クラシックを愛す | 22:14 | - | -
魔弾の射手
 ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」が映画となって登場した。2010年にスイスで製作されたイェンス・ノイペルト監督によるもので、音楽はダニエル・ハーディング指揮ロンドン交響楽団が担当している。
 これは歌手がすこぶる豪華な布陣。ユリアーネ・バンゼ、ミヒャエル・ケーニヒ、オラフ・ベーア、フランツ・グルントヘーバー、レグラ・ミューレマン、ミヒャエル・フォッレらが俳優さながらの演技を行い、すばらしい歌声を披露している。
 特に印象に残るのが、隠者を歌っているルネ・パーペ。出番は最後だけなのに、その存在感の強さといったら…。まさにトリで締めるという役割だ。
 このオペラのストーリーなど詳細は、今週アップのヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」に詳しく書いている。興味のあるかたは、ぜひ立ち寄ってほしい。
 音楽映画というと、俳優が演技をして歌は吹き替えなどという場合があるが、「魔弾の射手」はオペラ歌手たちが役者を務めているから、実に自然な感じで、臨場感にあふれている。ドイツの深い森が舞台だが、その映像も美しい。
 しかし、なんといっても心に響くのは、ハーディング指揮によるロンドン交響楽団による重厚な演奏。これに歌手たちの熱唱が加わり、見るものを19世紀のドイツの深遠な森へといざなう。
 この映画は3月10日(土)より3週間限定で、ヒューマントラストシネマ有楽町(有楽町イトシア イトシアプラザ4F)で公開される。
 今日の写真は映画のプログラムの表紙。オペラ映画は、やはり大きなスクリーンで味わうに限りますね。インパクトの強さが違うし、音楽も大音響で聴くことができ、142分間本当に集中できるから。ウェーバーの音楽は、こうしてじっくりと味わうと、さまざまな面で新たな発見がある。
 映画が音楽の真髄へと導いてくれる、そんな思いを強くした。




  
 
| 情報・特急便 | 23:35 | - | -
デイヴィッド・ギャレット
 インタビューの間中、楽器を離さず、答えが戻ってこない。
 まだ演奏している、困ったなあ。ことばで返事がほしいのに、ヴァイオリンで答えられても、記事にはならないし…。
 先日、ヴァイオリニストのデイヴィッド・ギャレットにインタビューをしたときのことである。彼は以前はクラシックのヴァイオリニストだったが、最近はクラシカル・クロスオーヴァーのミュージシャンとして大活躍。前作の「ロック・プレリュード」も新譜の「ロック・シンフォニー」(ユニバーサル)も、ヒットチャートのNo.1を驀進し、いまや人気絶頂のスターになった。
 だが、私は10代のころにパガニーニなどを弾いていた彼しか思い浮かばなかった。
 久しぶりに会ったギャレットは、金髪のロングヘアに粋なヒゲをたくわえ、ロックミュージシャンといった様相。モデルをしているだけあって、着こなしも抜群だ。
 その彼が目の前でバリバリ演奏してくれるのだから喜ばないといけないのだが、私は答えをもらわないと記事が書けない。
「ねえねえ、ちょっとヴァイオリンを置いて、少し答えてもらえない」
「オッケー、なんでも答えるよ」
 といいながら、ひとつ質問したら、また演奏が始まった。
 ヒエーッ、時間がどんどん過ぎてしまうよー。
 というわけで、インタビューの半分以上はヴァイオリンの響きがこだましていたという次第。
 彼は私が大好きなイダ・ヘンデルに就いている。ヘンデルは80歳を過ぎた現在も現役で、来日も多く、日本でもファンが多い。ギャレットはそのヘンデルに関した話のときだけは、ヴァイオリンを弾くことなく、「イダは最高。ヴァイオリンを自由に弾くことを教えてくれた」と絶賛。そうそう、その調子。「それでレッスンはどうだったの?」
 ああっ、いけません。この質問、また彼を演奏へと向かわせてしまった。
「パガニーニをこうやって弾くでしょ。これがロックやホップスだと、こういうふうに弾けるわけ」とガンガンに大音量で弾いてくれる。ああ、うれしいなあ、どうしようかなあ、まいったなあ(笑)。
 というわけで、インタビューの制限時間がきてしまった。このインタビューは来週アップの「ヤマハ 音楽ジャーナリスト&ライターの眼」にアップされる予定。なんとか記事をまとめたので、興味のあるかたはのぞいてみてね。苦労した原稿なので(笑)。
 今日の写真はインタビュー後のカッコいいデイヴィッド・ギャレット。そう、こんなイケメンが目の前で演奏してくれたのに、文句をいうほうがまちがっているよね。でも、私は原稿が書けないと思い、冷や汗タラタラでした。

| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:21 | - | -
アンドレ・ルコント
 昨日プラッソンのブログを書いていたら、ある人の思い出が蘇ってきた。
 日本で初めてフランス菓子の専門店、六本木の「ルコント」を開いたフランス人パティシエのアンドレ・ルコントさんだ。
 1998年の6月にトゥールーズに取材に行った折、取材班は2つに別れて現地入りすることになった。マルセイユ経由と、カルカッソンヌ経由である。私はカルカッソンヌを選んだ。
 カルカッソンヌはヨーロッパ最大の城塞をもつ町として世界遺産に登録されている。シテと呼ばれるコンタル城を中心にした城壁内は、全長約3キロの城壁で囲まれ、52もの塔が建っている。
 実は、宿泊先がこのシテのなかに位置するホテルで、内部はまるで中世の騎士物語をそのまま描き出したかのよう。部屋も、ひとりでは怖いくらいに広く、中庭を見ながら入浴できる広々としたバスルームがついている。
 だが、レストランはない。夕食は城から出たところでいただき、城に戻ってカフェバーで夜中まで飲んだ。
 これが大失敗。私はゆっくりあのぜいたくなバスルームで庭をながめながらひとときを過ごしたかったのに、部屋に戻ったのは真夜中。まったく外は見えなかった。やっぱり、こういうぜいたくには縁がないのね(笑)。
 そして翌朝、城のすぐそばの指定されたレストランに朝食を食べに行った。数人で日本語で会話していると、すぐ横のテーブルで食事をしていた年配の恰幅のいい4人組の男性たちが話かけてきた。
「きみたち、日本から来たの? 仕事かい、それとも観光」
 取材だと答えると、そのなかのひとりがこういった。
「私たちはフランス人だけど、世界各地にちらばってそれぞれ異なる分野で忙しく仕事をしている。それで1年に1回こうして集まってフランス各地を旅しているんだよ」
 そのなかに、見覚えのある顔をした人がいた。
「えっ、私を知っているって。うれしいねえ。私は日本で店を開いているアンドレ・ルコントだよ。六本木の店にきたことがあるのかい。じゃ、今度店にきてくれたら、いくらでもケーキを食べていいよ(笑)」
 それから私たちはトゥールーズのオーケストラの取材にきたこと、2班に分かれ、カルカッソンヌを選んだことなどを話し、彼らはそれぞれの仕事の話をしてくれた。
 ところがその1年後、1999年にルコントさんの訃報を知った。残念なことに、私はあのあと六本木のお店にケーキを買いに行くことはなかった。後悔先に立たず、とはこのことだ。もう一度、あのおだやかな笑顔に会いたかったのに。
 旅とは、不思議なものである。トゥールーズの前にカルカッソンヌに寄ったおかげで、シテのホテルに泊まったおかげで、朝食の時間がルコントさんたちと重なったおかげで、すばらしい出会いに恵まれた。
「ルコント」は支店がいくつかあるため、いつもその前を通ると必ずおいしいケーキを買うことにしている。それは食べることが目的ではなく、ルコントさんの笑顔を思い出したいからである。 
 
 
| 麗しき旅の記憶 | 22:54 | - | -
ミシェル・プラッソン
 1998年6月、サッカー・ワールドカップのフランス大会が行われた年に、トゥールーズで指揮者のミシェル・プラッソンにインタビューすることになった。翌年2月に行われる「東芝グランドコンサート」でトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団とともに来日することになっていたからだ。
 このときは日本代表がトゥールーズで試合をすることに決まっていたため、私は町を散策しながらサッカーショップをのぞいたが、どのショップにも日本のサポーター向けの商品はいっさいない。
 そこでショップのオーナーらしき人に「もうすぐ日本から多くのサポーターがトゥールーズにくると思うから、日本人向けの商品があったほうがいいと思うわよ」というと、その人はびっくりした顔をしていった。
「えっ、日本は野球が好きな国じゃないのか。サッカーなんて見にくるとは思わなかった。そうか、もう時間がないからこれからすぐに日本代表のことを調べて、応援する人たちが好きな商品をたくさん仕入れることにするよ。商売のプラスになることを教えてくれて、ありがとよ(笑)」
 これは仕事以外のほんのひとときのリラックスタイム。さて、インタビュー・アーカイヴの第34回は、そのマエストロ・プラッソンの登場。

[アサヒグラフ 1998年冬]

「輝かしい色彩感に満ちた響きを引き出したい」

 オーケストラは、その土地の風土、気候、伝統や慣習、人々の気質を映し出す存在だといわれる。ベルリン・フィルにはベルリン・フィル特有の国際都市としてのインターナショナルな響きがあり、ウィーン・フィルにはウィンナワルツに代表される伝統に根差した舞踏のリズムが息づいている。そしてアメリカのオーケストラもまた、それぞれの都市の特徴を音色に反映させている。
 サッカー・ワールドカップの日本戦が行われたことで一躍知られることになった南フランスのトゥールーズにも、この町の特徴をリアルに映し出すオーケストラが存在する。1973年に創立されたトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団である。ここは当初、市立として発足したが、やがて県立に昇格し、1980年には国立の名を冠するまでになった。その立役者がミシェル・プラッソンだ。
「このオーケストラの指揮を始めて今年で30年になります。トゥールーズは昔からとても歌が盛んなところで、人々はオペラや歌曲、民謡などを愛好していました。オーケストラ音楽にはあまり興味がなかったんです。私はそんな人々の耳をオーケストラに向けたかった。フランス作品を演奏するフランスらしいオーケストラを育てたかったんです」
 トゥールーズの町は、古くから「ばら色の都」と呼ばれている。それは建物がレンガで造られているからで、教会も市庁舎も学校も住宅も、すべてこの美しいばら色の屋根や外壁に彩られている。スペインに近いからか日差しがとても強く、木々の緑も濃い。
「私の目指す音楽もまさにこの町の色。ぬくもりに満ちた、ばら色の音色なんです。私はこのオーケストラからそうした輝かしい色彩感に満ちた響きを引き出したいと思い、じっくりと育ててきました。いまでは黄金に輝くような音色、真っ赤な響き、または深い海を思わせるような青の音がほしいと思うと、即座にその響きをオーケストラから導き出すことができるようになりました」
 プラッソンはモンマルトル生まれの生粋のパリジャン。両親が音楽家という恵まれた環境に育ち、幼いころからピアノを始めた。パリ音楽院に入学したころから指揮者を目指すようになり、1962年のブザンソン・コンクールで優勝。その後トゥールーズに移り、このオーケストラと二人三脚で歩むようになる。
「子どものころからいろんな楽器を演奏しました。とにかく音楽家になりたかったんです。でも、戦争があったり、母を失ったり、さまざまなことを経験し、早い時期に自活しなければならなくなった。それでピアノで食べていくようになったんです。最初はクラシックばかりではなく、ピアフの伴奏などもしましたよ。コンクール受賞後は各地のオーケストラから申し込みがあったんですが、私はトゥールーズを選んだ。もう生活のすべてをトゥールーズに注ぎ込みました。いまではパリを捨て、トゥールーズに移住したような気分です」
 トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の演奏は、音楽がとにかく若々しく明快。ここは若いメンバーが目立ち、新しいことに挑戦したいという前向きな姿勢が見られる。
 もちろん、ふだんの定期公演では他国の作品や現代作品など、レパートリーを限定せずに広く取り上げているが、海外公演ではフランスの有名な作品に焦点を絞っているという。
 来年の初来日公演でもビゼーやラヴェル、ドビュッシー、ベルリオーズなどのフランス作品を披露する予定。
「この土地の人は標準語のフランス語とは少々ニュアンスの異なった、鼻にかかるような方言を話します。それはまるで歌うようなアクセントです。私たちの音楽も目指すのは歌うような響き。洗練された洒脱で粋なフランス音楽ではない、もっと人間的な地方色豊かな演奏。それがこのオーケストラの特徴です。ほとんどの楽員がこの土地の出身者ですから、いつも会話は方言のみ。南フランスの民謡のような素朴でシンプルで温かい音楽、それが理想ですね」

 プラッソンはこのオーケストラの指揮を2003年まで続け(現名誉指揮者)、現在は「すばらしい逸材」と称される北オセチア出身のトゥガン・ソヒエフが音楽監督を務めている。プラッソンが作り上げた色彩感豊かな温かい音楽はそのまま引き継がれ、そこにソヒエフの現代的で個性的な色合いが加わり、トゥールーズならではの特質を備えたオーケストラとして歩みを続けている。
 今日の写真はそのときの雑誌の一部。マエストロ自身もとても温かくおだやかな性格で、話を聞いている間中、ふんわりと大きく包みこまれる感じがした。



| インタビュー・アーカイヴ | 14:23 | - | -
春のおとずれ
 家のまわりにはまだ昨日の雪のなごりが見られるが、近所のオーガニックショップには、春の到来を告げる北海道産のナマ昆布が入荷していた。
 毎年この時期になると、決まって届くナマ昆布。これを見ると、ああ、春が近いなあと感慨深い。
 このナマ昆布、最初は茶色をしているものの、熱湯をさっとかけると鮮やかな緑色に変身。それをざくざくと切り、ショウガじょうゆで食べると最高。上質なゴマ油をひと振りすると、あらら、たまんないおいしさ(笑)。
 ユズをしぼってポン酢でいただくのも、またおつな味わい。
 でも、今日から3月。すでに2012年の6分の1が終わってしまったと、内心あせりまくるのは、私だけではないだろう。
「うーん、もう3月になってしまったか」と、複雑な思いでナマ昆布を味わう。
 今日の写真は、調理前の昆布と調理後の色鮮やかな昆布。さて、新鮮なナマ昆布からエネルギーをもらって、また原稿とにらめっこしますか。



| 美味なるダイアリー | 17:16 | - | -
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