Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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退職する人が多い
 今日で3月が終わりである。
 この時期になると、「退職します」というお知らせが結構たくさん入ってくる。
 今年はかなり多く、親しくしている仕事関係の10人近い人から通知をいただいた。なかには、異動も含まれている。こちらはまだ仕事のつきあいは続くからいいけど、それでもまったく別の部署に移ってしまったときは、残念な気持ちが募る。
 退職する場合はみなさんそれぞれの理由があり、熟慮した結果だろうけど、急に連絡をいただくと正直いって驚いてしまう。
 やはり3月末というのは、ひとつの区切りなのだろうか。
 女性の場合、企業や会社に勤務していた人の多くが、フリーランスとして仕事を続けることが多いようだ。
 自分の適性や才能を見極め、フリーの道を選ぶ。
 私も会社員から独立してフリーになった人間なので、彼女たちを陰ながら応援したくなる。
 みなさ〜ん、会社をやめると人間関係のしがらみからは解放されて一瞬楽になった感じがするかもしれないけど、フリーはまた他の大変さがありますよ。
 だれも助けてはくれないし、すべて自分で開拓していかなくてはならないから。また他の意味で、人間関係のわずらわしさが待っていることもある。
 でも、私のところに連絡をくれた人は、きっとみんな頑張るに違いない。
 明日から4月。新たな気持ちで前向きにいきましょうね!
 
 
| 日々つづれ織り | 22:03 | - | -
盛り付けの参考に
 東京駅の周辺が、いまやレストラン激戦区である。
 通常、イタリアンというと味で勝負というところが多いが、先日いったところは前菜からデザートまで、盛り付けの美しさが際立ち、ひと皿ずつ運ばれてくるごとに「おおっ」と感動してしまった。
 もちろん味もシンプルながら奥深く、いろんな素材が使われていて、この日は「さくら」がキーワードとなっていた。
 さくらの香りが使われたムース、さくらの花の塩漬けを添えたスープ、さくらの花を練り込んだパスタ、さくら塩をつけて食べる魚料理など、すべてがさくらづくし。
 春ですなあ。こういうお料理をいただくと、気分もはれやかになり、満足感に満たされる。
 今度、れいの仲よし3人組「末っ子トリオの会」は、このお店でしようかな。3人ともストレスがたまっているし、どうも体調が万全ではないようだから、さくらの香りで癒されれば、少しは調子がよくなるかもしれない。
 今日の写真は前菜、スープ、パスタ、魚料理、デザートを並べてみた。このほか、違うパスタも肉料理もすばらしかった。
 写真を撮っておくと、自分が作るときの参考になる。ただし、さくらの花を練り込んだパスタや絶品スープは、とてもまねできる代物ではない。さすが、シェフのワザです。











 
 
| 美味なるダイアリー | 16:18 | - | -
マルリス・ペーターゼン
 いまは「東京・春・音楽祭」の真っただ中である。
 ここ数年、毎年プログラムのエッセイを書いているため、何度か音楽祭のコンサートに足を運んでいる。
 今日は、ドイツのソプラノ、マルリス・ペーターゼンのリサイタルを聴きに東京文化会館小ホールに出かけた(ピアノはイェンドリック・シュプリンガー)。
 プログラムがすばらしく、生誕150年のR.シュトラウスとシューマンを組み合わせたもので、現代作品を得意とするペーターゼンならではの、1990年に作曲されたヴォルフガング・リームの「赤」が挟み込まれていた。
 R.シュトラウスの「献呈」からスタートしたリサイタルは、シューマンの「女の愛と生涯」へと続き、R.シュトラウスの「おとめの花」で前半を閉じた。
 ペーターゼンの声は、クラシカル・コロラトゥーラといわれている。ヨーロッパのオペラハウスからはひっぱりだこで、リートにも意欲を注いでいる。
 確かに高い声で、その高音域は張りのあるクリアな歌声。しかもとても強靭なのどをもっているようだ。高音を張り上げる箇所など、ごく自然に楽々とうたい、けっしてぶれない。表現力もとても豊かで、ひとり芝居をしているよう。
 後半はR.シュトラウスの「オフィーリアの歌」から開始。徐々に狂っていくオフィーリアをあたかもオペラの舞台のような演技力でうたいきった。
 ここでリームの「赤」が登場。18世紀ドイツ・ロマン派の女性詩人カロリーネ・フォン・ギュンダーローデの詩による連作歌曲で、愛のせつなさや少年の悲しみ、戦乱の夕闇など、深い表現力が要求される曲を一瞬たりとも飽きさせずに、強い集中力をもって聴かせた。
 リームの曲では楽譜立てが使用されていたが、終わるとさっと楽譜立てを奥に運び、「さあ、最後の曲よ。じっくり聴いてね」とばかり、気分を変えてR.シュトラウスの「ツェチーリエ」をはなやかにうたい始めた。
 ペーターゼンの名前はまだわが国ではあまり知られていないが、かなりの実力者。著名な指揮者との共演や音楽祭にも招かれ、レパートリーも幅広い。
 かなり長身で大柄。R.シュトラウスの歌唱法はオクタヴィアンにピッタリだが、なにしろ声域は高いため、役柄には合わない。だが、今度はオペラをぜひ聴いてみたいと思わせた。
 今日は久しぶりに本格的なR.シュトラウスのリートを聴き、作品のすばらしさに改めて感銘を受けた。
 アンコールは3曲。R.シュトラウスの「万霊節」とシューマンの「献呈」と、即興で作ったという「さくら」。この即興にピタリとピアノが寄り添い、「お見事」のひとこと。
 最初のR.シュトラウス「献呈」と、最後のシューマン「献呈」を聴くことができ、もともと両曲が大好きな私は、その旋律が頭を離れなくなった。
 写真は「東京・春・音楽祭」10周年のプログラムの表紙。この音楽祭のメーンカラーは、季節そのもののさくら色です!


 
| クラシックを愛す | 23:30 | - | -
冬の号の特集
 今日は、女性誌の冬の号の特集ページの打ち合わせに、編集部に出かけた。
 まだ、本格的な春も訪れていない感じだが、もう冬の号の企画とは、本当に雑誌の企画というのは早くから準備をせねばならないものだ。
 とはいえ、いまから編集部の方で詳細を詰め、夏の終わりか秋に取材にいき、秋の終りに原稿を全部入稿し、冬に発売となることを考えると、案外時間は早く過ぎてしまうかもしれない。
 でも、この特集はとてもやりがいがあり、楽しそうで、ワクワクする。これからいろんな資料を調べたり、本を読んだり、しっかり準備をしなくっちゃ。
 本当に、こういうことを考えていると、1年があっというまに過ぎていく。つい先日新年が明けたと思ったら、もう3月も終わりだ。
 今日は急に暖かくなったためか、桜が少し咲き始めた。でも、お花見にはちょっと寒すぎる感じ。
 その陽気に誘われたわけではないが、女性誌の打ち合わせのあと、いつも私の好みの洋服を置いているお店に足を伸ばし、春物の洋服を購入した。ふだんはあまりゆっくり買い物をする時間がないため、今日は時間をとってじっくり探した。
 買ったのは、春から夏にかけて仕事着として活用できそうなワンピースとジャケット。ワンピースの方は、お店の人に「これ、昨日入荷したばかりなんですよ。ちょうどよかったですね」といわれ、やっぱり今日買いにいってよかったと思った。土日が入ると、売れてしまうだろうから。
 雑誌の打ち合わせも、かなり先の号のこと。洋服も薄い夏物。なんだか急げ、急げと自分をせきたててしまったような一日になった。
 
 
 
| 日々つづれ織り | 22:05 | - | -
キムチ専門店
 時間のないときには、お助けマン的なお店をいくつか知っておくと便利だ。
 ウチの隣の駅にキムチ専門店があり、自家製のキムチを置いている。ここにはさまざまな種類のキムチが並べられ、ナムルも数種類用意されている。
 このお店のキムチは結構ピリ辛で、最初はヒエーッと思うが、慣れてくるとその刺激がたまらず、もっともっと食べたくなる。
 私がよく利用するのは、王道の白菜キムチと、野菜のナムル。これをアツアツのごはんに乗せ、お肉は「クラシックはおいしい アーティストレシピ」のコバケンのレシピに登場する調理法で作り、半熟の目玉焼きとコチジャンを添えるというやり方。
 こういうビビンバ丼は、疲れたときや少々風邪気味のときに食べると、とても威力を発揮してくれ、食後はからだが温まり、元気が湧いてくる。
 もちろん、時間があるときはナムルもすべて作っているけど、こういうお店があると、ホント助かる。特に、月末入稿の時期は欠かせない。
 今日の写真は、私の定番であるナムルと白菜キムチ。
 これで思い出したのが、以前レコード会社のOさんと、スティーヴン・イッサーリスの取材でソウルに出張したときのこと。仕事がすべて終わり、Oさんと市内の有名な焼き肉店に出向いた。そこで出されたキムチのすさまじかったこと。
 ふたりとも口のなかが炎のように燃え、のどはひりつき、額からダラダラ汗が流れ、ことばも出なかった。
 でも、この刺激がたまらないということになり、お土産にキムチをたんまり購入した。
 ところが、帰りの飛行機のなかでにおうわ、におうわ、大変なにおい。本場のキムチはハンパではない。
 そして、ようやく都内に戻ってタクシーに乗ろうとしたら、ドライバーに拒否されてしまった。もちろん、電車のなかではイヤーな目で見られ、針のむしろ。
 ふたりで、「あれは、とんでもなかったよねえ」と、いまでも語り草だ。
 みなさん、キムチを買うときは、十分注意しましょうね(笑)。




 
 
 
 
| 美味なるダイアリー | 21:25 | - | -
ゾルタン・コチシュ
 ハンガリーが世界に誇るハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団が、音楽監督のゾルタン・コチシュとともに6月に来日し、各地でコンサートを行うことになった。指揮は、桂冠指揮者を務める小林研一郎も振ることになっている。
 コチシュといえば、ピアニストとして活躍していた時代を記憶している人も多いのではないだろうか。そのコチシュにあこがれていたのが、ハンガリーの血を引くピアニストで、バルトーク国際コンクールで優勝した金子三勇士である。
 今回の来日公演では、その金子三勇士がコチシュの指揮のもと、リストのピアノ協奏曲を演奏することになり、大きな話題を集めている。
 インタビュー・アーカイヴの第55回は、ゾルタン・コチシュの登場。彼のことをもっと知ってもらいたいと思い、来日前に紹介することにした。もうかなり前のインタビューだが、ぜご一読を。

[ムジカノーヴァ 2003年10月号]

ピアニスト、指揮者、編曲家… いつも一番したいことをしてきました

指揮で得たピアノのうたわせ方 

 ハンガリーのピアニスト、ゾルタン・コチシュが同郷のアンドラーシュ・シフ、デジェー・ラーンキとともに「ハンガリーの若手三羽烏」と呼ばれ、次代を担うピアニストとして注目されてからすでに30余年が経過した。この間、シフはJ.S.バッハやシューベルトの演奏で国際的な評価を得、ラーンキはアイドル的な人気から脱皮、近年はベートーヴェンやラヴェルなどに意欲を燃やしている。
 一方、ピアノのみならず作曲も勉強したコチシュは、最近ではオーケストラのために編曲し、自ら指揮も行い、ピアニスト、編曲家、指揮者と多彩な活動を展開している。
「私は子どものころからピアノだけではなく、さまざまな分野に興味をもっていたんです。8歳のころはベートーヴェンの交響曲全部を暗譜し、タクトを振るまねをしていたくらいですからね。ものすごく好奇心が旺盛な子どもだったんですよ。それが大人になり、まずはピアニストとして世に出た。そう、多くの仲間がいましたよ。でも、私は人と同じ道をいくのではなく、わが道を常に模索していた。ピアノを弾いていると、いつもオーケストラの音が耳の奥で鳴っていたものです。ちょっと人と違うでしょう(笑)。それが高じてオーケストラの創設にかかわってしまった。いまではオーケストラ抜きの生活は考えられません」
 1983年、コチシュはイヴァン・フィッシャーとともにブダペスト祝祭管弦楽団を創立し、87年からは定期的に指揮台に立つ。さらに97年にはハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。
「昔から指揮者になるのは夢でした。でも、正式に指揮を勉強したことはないんです。実践と経験で学んできたというべきでしょうね。私は指揮者のもっとも大切な面は、聴衆の目には見えないところで行われることだと思っています。リハーサルなんですよ。リハーサルで楽員ひとりひとりの気持ちをつかみ、彼らの能力を最大限発揮できるようリードすることができれば、本番は任せられます」
 ピアニストとして、指揮者として順風満帆に進んでいるように見えるコチシュにも、辛い時期はあった。
 伝統あるブダペスト国立フィルの音楽監督に就任したさい、よりよい方向を目指してメンバーチェンジを行ったときである。長年オーケストラに在籍していた楽員にやめてもらい、新しい実力のある楽員に入れ替える。当然、楽員側との衝突が起こった。
「最終的には演奏の質を向上させたいという私の願いが聞き入れられたわけですが、やはりかなり困難を伴いました。2000年10月に新メンバーで初のコンサートを行い、それが大成功を収めたときは、本当にうれしかったですね。このオーケストラのためにもっと力を尽くさなくては、と思いを新たにしました」
 今年6月、ハンガリー国立フィルとの来日公演ではドビュッシー、バルトークなどの作品を指揮、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番では弾き振りを披露した。
 そこには演奏することが楽しくてたまらない、といったはつらつとした表情のコチシュがいた。以前は、多分にストイックな面をステージで見せ、音楽も内面に向かっていく印象が強かったが、現在の彼はオーケストラとともに音楽を心から楽しみ、演奏が開放感に満たされている。
「それはオペラを経験してきたからでしょうね。私はリヒテルとシューベルトの作品で共演したことがあるんですが、リヒテルも最初は劇場で仕事をしていた。オペラを肌で感じ、オーケストラの響きを耳に浸透させ、それらをピアノに投影させたんです。旋律を豊かにうたわせることを心がけた。私もオーケストラを指揮することにより、ピアノをうたわせる方法を学びました。
 リヒテルの影響は共演したときではなく、もっとあとになって徐々に現れてきました。不思議でしょう。リストのコンチェルトを弾いているときに、ふと感じたりするんですよ。ひとつのフレーズをうたわせたいと思うときにね」

 
大切なのは「様式」

 コチシュは多くの作品の世界初演も行っている。それはピアニストとしてばかりではなく、オーケストラの指揮においても。さらに彼の好奇心、前向きな視線は次なる地平線に注がれている。
 ピアノ作品などをオーケストラ用に編曲することである。これまで多くの作品の編曲を手がけてきたが、完成したばかりの作品はバルトークの《20のハンガリー民謡》。原曲は歌曲で、1929年の作。バルトークが器楽化を考えなかった15曲を含み、今回全曲オーケストラ用に編曲した。
「きっとバルトークは忙しすぎたのでしょう。私も時間がたりない生活を送っているのですが、この編曲にはかなり時間をかけました。こうした新しい試みを行うと、オーケストラの楽員が新鮮な感覚を抱き、熱心に練習をしてくれるのです。今回、日本で行った演奏会形式によるバルトークの歌劇《青ひげ公の城》のような作品も、今後多くオーケストラで取り上げていきたいと考えています。色彩感のある響きを出すこと、旋律を人間の声のようにうたわせること、各々の楽器の音を聴き合うこと、作品の様式を把握することにつながるからです。
 私はこの様式ということをもっとも大切に考えています。各作品の様式を踏まえた演奏をすることができなければ、音楽はつまらないもの、意味合いの希薄なものになってしまいます。様式のない演奏を聴かされるほど退屈なものはないでしょう。作曲家はそれぞれの作品に様式を盛り込んでいる。それを楽譜から読み取り、その作曲家特有の意図を見出さなければ演奏する価値はなくなってしまいます」
 様式ということばをコチシュは何度も使った。それはそれぞれの作曲家らしさ、個性を意味し、作品がもつ特有の世界を演奏で描き出すこと。それをつかみ取るには、とにかくいろんな音楽を聴くことが大切だと力説する。
「クラシックばかりではなく、ジャズやロックやあらゆる音楽に興味をもつことが大切だと思います。ピアノを学ぶ学生はとかくピアノ音楽だけにしばられがち。それでは視野は広がらないし、楽しみも限定されてしまう。もっと世界を広げなくては。
 私はブダペストの家に、膨大なレコードコレクションをもっていますが、暇さえあればいろんな人の録音を聴いています。人間、学ぼうと思えば何からでも学べます。好奇心をもって、本当に好きなことをする。そこから力が湧いてくるんですよ。
 ピアノの練習、それも結構。一日何時間も楽器に向かうのはピアニストの宿命です。でも、疲れたら本当に自分がしたいことは何かを考えてみてください。私はいつも自分がいま一番したいことをしてきました。そのためには努力を惜しまない。だって、好きなことなんですから。好きなことなら努力するでしょう」
 コチシュの表情は自信に満ちていた。好きなことを存分にしている人の顔だ。さて、自分はいったい何がしたいのか、一度立ち止まって考えてみましょうか。

 あれからずいぶんときが経った。コチシュの音楽はどんな変貌を遂げているだろうか。
 今日の写真はその雑誌の一部。久しぶりに聴く、ピアニストから指揮者への道を歩んだヴラダー(先日ブログに書いています)とコチシュ。ふたりとも、とても楽しみだ。

| インタビュー・アーカイヴ | 23:15 | - | -
インタビューの難しさ
 私はアーティストへのインタビューの仕事が多い。インタビューの仕事は大好きで、人と話すこと、人の話を聞くことが楽しいため、この仕事は「天職」だとも思っている。
 ただし、インタビューというのは、非常に難しいのも事実。相手に信頼されなければ内容のある話は聞き出すことができないし、さまざまな知識も必要。さらに、話のテンポも重要だ。
 最初にする質問で、すべての流れが決まってしまう場合もある。相手は偉大なアーティストである。その人を前に、内容のないことやつまらないと思われる質問をしたら、時間の無駄と思われてしまう。
 それに加え、抽象的な話や比喩などもひんぱんに登場し、それらを記事にして読者にわかりやすく伝えるというのは至難の業である。
 先日、マリア・ジョアン・ピリスのことを書いたが、彼女のインタビューはいつもこの難しさに直面する。
 話をしているときは、こまやかなニュアンスまでつかむことができ、次々に質問を重ねていくことができるのだが、いざ原稿に起こす段階になり、彼女の語ったままを書いていくと、とてもわかりにくくなってしまうのである。
 そこで何度もピリスのことばを反芻し、前後のことばとの組み合わせを考慮し、文の流れをそこなうことなく自然につながるよう、組み立てていく。
 これが結構時間がかかる。読み直してみると、つながりが不自然だったり、唐突になってしまったり、ピリスのいおうとしていることが伝わりにくかったりと、問題があれこれ出てきてしまう。
 とにかく、集中力が必要だ。
 今回のインタビュー原稿は4000字ほどだったため、読者が飽きずに最後まで読んでくれるよう、細心の注意を払った。
 何時間も集中し、なんとかまとまり、「音楽の友」の担当者のNさんに入稿したときは、かなり疲弊していた。
 でも、今日の午前中に彼女から「お話を聞いているときはなんとなくわかった気になっていましたが、ニュアンスをことばにするのはとても難しいですよね。でも、伊熊さんの原稿はとても理解しやすく、ああ、そういうことだったのか、と改めて発見がありました。本当に貴重なインタビューでした、ありがとうございました」という連絡が入り、ホッと胸をなでおろした。
 これまでも、難しいインタビューはたくさん経験している。でも、そのつど乗り越えてきた。しかし、難しければ難しいほど仕事に燃える、というのも事実である。
 さて、次はどんなインタビューが待っているだろうか。楽しみでもあり、怖くもあり…。
 

 
| 日々つづれ織り | 22:10 | - | -
つかの間の息抜き
 またまた月末が近づき、締め切りが重なってフーフーいう時期になった。
 いまは、4月10日にコンサートが行われる庄司紗矢香&メナヘム・プレスラーのプログラム原稿、先日インタビューした三浦友理枝の記事(intoxicate)、ニコライ・ホジャイノフの連載記事(ヤマハのWEB 音楽ジャーナリスト&ライターの眼)を終えたところだが、急きょこのホジャイノフの来日が決まり、その公演チラシの原稿を頼まれた。
 それらを週末までにすべて入稿し、今週はレギュラー雑誌の原稿を進めなくてはならない。まず、マリア・ジョアン・ピリスのインタビュー記事(音楽の友)が、結構文字数が多い。おそらくカラーで4ページになるのではないだろうか。
 それが終わったら、ポリス・ベレゾフスキーのインタビュー記事(intoxicate)と、ヤマハのWEB連載と、アンドラーシュ・シフの公演評(モーストリー・クラシック)が控えている。
 こうした締め切りが重なると、心身ともに疲弊してくるので、そういうときはルーフバルコニーの植木や花やハーブに水やりをして、しばし息抜きをする。
 先日、イタリア製のちょっと珍しいデザインのじょうろを見つけ、早速手に入れた。鳥のような形をしていて、水の出るところがくちばしのようだ。
 こういう時間はとても貴重である。ひとつの原稿が終わってすぐに次の原稿にいくと、頭が切り替わらず、ちっともはかどらない。
 でも、ちょっと他のことをしたり、自然と触れ合うと、パッと気分が変わり、次の原稿にすんなり取り組むことができるようになる。
 今年は雪が多かったためか、花がだいぶ枯れてしまった。そろそろ新しい花を植え、気分も新たに花壇をにぎやかにしなくては。
 今日の写真は、新しくわがガーデンに加わったじょうろ。ねっ、ちょっとおしゃれなデザインでしょ。さすが、イタリアだよねえ。

| ああ愉しき(?)、締切り地獄 | 16:57 | - | -
はちみつ専門店
 ウチの隣の駅に、素敵なはちみつ専門店がある。
 緑に囲まれたヨーロッパ風の外観をもつお店で、世界中の養蜂家から届けられた60種類以上のはちみつが棚にずらりと並ぶ。
 ひとつずつテイスティングすることが可能で、じっくりと味を確かめてから購入できるシステム。珍しいはちみつや貴重なはちみつも、味わわせてくれる。
 主たる原産国はフランス、スペイン、ハンガリー、台湾、イタリア、シチリア、ギリシャ、タスマニア、ニュージーランドで、もちろん日本製もある。
 今回は、いろんな味を楽しみたかったため、ハンガリー産のはちみつを使用した「はちみつコンフィチュール 紅ほっぺ」というイチゴジャムと、ニュージーランド産の「ホワイトクローバー」、そして限定商品である「沖縄 宮古島の花々」の3種類の小瓶と、お店自慢のスイーツ、ロールケーキを購入した。
 このロールケーキ、お砂糖ではなくスペイン産のはちみつを使っているため、甘さがとても自然でヘルシー。
 いいお店をみつけたので、今度はだれかの家にお招きを受けたり、何かお土産をもっていくときは、ここのはちみつやスイーツにしようと思っている。
 今日の写真は、3種類のはつみつとケーキ。実は、はちみつを使ったレシピも教えてもらったため、近いうちに実践したいと考えている。
 あまりにもいろんな種類をテイスティングさせてもらい、すっかり口が甘くなって、心も癒されたため、ついほんわかした気分でお店を出てしまい、外観の写真を撮るのをすっかり忘れてしまった。ホント、残念。雰囲気のいい景観だったのに。
 人間、おなかが満たされると、頭がボーッとして、物忘れするのね(笑)。


  
| 美味なるダイアリー | 14:27 | - | -
ヴァシリー・ペトレンコのラフマニノフ
 昨日紹介したロシア出身の指揮者、ヴァシリー・ペトレンコの新譜は、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したラフマニノフの歌劇「アレコ」からの舞曲集と、交響曲第2番(ワーナー)だ。
 ワーナーの表記では、ワシリー・ペトレンコとなっている。
 首席指揮者を務めるロイヤル・リヴァプール・フィルと録音したこのアルバムは、10代後半にサンクトペテルブルクのムソルグスキー記念歌劇場(1994年から97年にかけて常任指揮者を務めた)で鍛えた底力が遺憾なく発揮され、作品の内奥へとぐんぐん聴き手を引き込んでいく。
 彼の演奏は、的確なテンポ、スケールの大きさ、ダイナミズム、躍動するリズム、みずみずしい表現など個性あふれ、無限の可能性を感じさせる。
 昨日オスロ・フィルのナマ演奏を聴いたときにも強く感じたことだが、この録音でもロイヤル・リヴァプール・フィルの各セクションごとの音色が非常に明瞭で、自信にあふれ、リハーサルでみっちりペトレンコと音楽を築き上げてきた様子が音から伝わってくる。
 ペトレンコは、ここでは得意とするロシア作品を水を得た魚のように生き生きと、自然に、流れるような音の運びで表現。ラフマニノフの疾走するリズムも、香り高い主題も、舞曲のテンポも、対位法の表現も、いずれもペトレンコの明快な意志に貫かれている。
 それゆえ、全編が立体的な演奏となって、聴き手の耳をそばだてる。
 今後、どんな作品がレコーディングされるのだろうか。そしてオスロ・フィルとの録音も聴いてみたい。
 今日の写真はラフマニノフの新譜のジャケット。この表情、ちょっとニヤッとしているけど、実際はもっと若々しくて素敵ですよ。ヘアスタイルも特徴があり、真ん中あたりの髪がツンツン立っている感じ。
 以前、サッカー選手がよくそういう髪型をしていたけど、クラシックの音楽家では初めてじゃないかなあ。もしも、次回インタビューの機会があったら、髪型ほめちゃおうかな(笑)。


 
 
 
| 情報・特急便 | 17:48 | - | -
ヴァシリー・ペトレンコ
 最近、実力と人気を兼ね備えた若手指揮者の台頭が目立つ。
 現在、オスロ・フィルが来日ツアーを行っているが、その首席指揮者ヴァシリー・ペトレンコもそのひとり。今日はその演奏を聴きに、ミューザ川崎シンフォニーホールに出かけた。
 モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲から始まったこのコンサート、冒頭から、ペトレンコの切れ味鋭い躍動感に満ちた音楽作りが全開。
 ペトレンコは1976年サンクトペテルブルク生まれ。名指揮者たちの薫陶を受け、国際コンクールでも好成績を残し、若いうちからめきめきと頭角を現してきた。
 彼の名前が広く知られるようになったのは、2005年に英国ロイヤル・リヴァプール・フィルの首席指揮者に就任してから。今回、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲でソリストを務めた諏訪内晶子に、この公演のプログラム用のインタビューをしたとき、「共演は初めてですが、ヴァシリー・ペトレンコという名前は英国で特に有名で、その演奏のすばらしさは伝わってきています」と語っていた。
 今日の彼女はインタビューで語っていた「このコンチェルトは、燃えたぎるようなものを内包している」ということば通り、はげしく情熱的でスケールの大きな演奏を披露した。
 後半は、マーラーの交響曲第1番「巨人」。ペトレンコはかなりの長身で、ステージ衣裳もスタイリッシュ。指揮はアグレッシヴでキレがあり、以前からオペラとシンフォニーの両方をレパートリーにしているためか、マーラーの旋律のうたわせ方も実にオペラティック。
 もっとも印象的だったのは、その左手の使い方。第2楽章の出だしの諧謔的なスケルツォを、ほとんどタクトをもっている右手を使わず、左手だけで指揮し、木管楽器とホルンを美しい自然を描き出すように響かせた。
 ペトレンコの指揮を見ているうちに、私の脳裏には、最近活躍している若手指揮者を何人かまとめて紹介する記事を書きたいと思う気持ちがふつふつと湧いてきた。
 第4楽章のホルン、トランペット、トロンボーンの咆哮するような響きはすさまじく、深く傷ついた絶望の叫びがら勝ち誇ったような熱狂的な歓喜まで、オーケストラ全体が揺れ動くようなはげしさを見せ、圧巻のフィナーレを築いた。
 ペトレンコは若さあふれる指揮で、スター性も備え、これから日本でも人気が出そうだ。
 明日は、ペトレンコの新譜をゆっくり聴いて、それを紹介したいと思う。
 さて、若手指揮者の記事、ゆっくり考えようっと。こういう若い才能がどんどん出てくると、クラシック界が活気づくからいいよね。
| アーティスト・クローズアップ | 23:10 | - | -
ミハイル・プレトニョフ
 ロシアのピアニスト、指揮者のミハイル・プレトニョフが指揮者に専念するためピアニストとしての活動をいっさいやめると宣言したのは、2006年末のことだった。
 知性的で洞察力に富む、だれにもまねできない個性的な解釈と奏法をもつピアニストゆえに、このニュースは世界の音楽ファンに衝撃を与えた。
 あれから8年、プレトニョフがピアニストとしてステージに戻ってくることになった。
 実は、彼は完璧主義者ゆえ、自分の目指す音楽を演奏することができる楽器をずっと探していたようだが、あるときモスクワ音楽院大ホールの隅にほこりをかぶっているピアノを見つけた。それは日本の「SHIGERU-KAWAI」のピアノだった。このピアノの音色が非常に気に入ったプレトニョフは日本の浜松まで出向き、カワイの同ピアノを何台も試弾。以後、もう一度ピアノを弾きたいという気持ちが湧き、すでにヨーロッパではこのピアノで演奏会を行っている。
 プレトニョフが初来日したのは1980年。とてもロマンティックな演奏をし、絶賛された。
 彼はモスクワ音楽院時代に作曲を学び、これまでチャイコフスキーのバレエ音楽などのピアノ用編曲も行っている。
 作曲家、編曲家の顔ももつプレトニョフの演奏は、作品の構成を深く見つめ、自身の個性をそこに融合させ、天才的な技巧を盛り込み、伝統にしばられない斬新な演奏を披露する。
 今回の来日公演は、5月27日(火)19時、東京オペラシティコンサートホールで「協奏曲の夕べ」が開かれる。プログラムはモーツァルトのピアノ協奏曲第8番、そして長いピアニスト人生のなかで初めて演奏するというシューマンのピアノ協奏曲が予定されている。
 もうひとつは5月29日(木)19時、会場は同じ。こちらはリサイタルで、バッハの「イギリス組曲」(番号はまだ決まっていない)、シューベルトのピアノ・ソナタ第4番と第13番、そしてスクリャービンの「24の前奏曲」である。
 今日は、この来日用のチラシ裏に掲載される鼎談が音楽事務所で行われ、音楽評論家のAさん、Tさんとともにプレトニョフの魅力について語り合った。
 彼の演奏は、いつも何が起きるかわからないようなスリリングな面があり、作品を完全に自分のものとし、生きた音楽として世に送り出す。
 プレトニョフの場合、手首の位置や上腕、ひじなどの使い方がとても変化に富み、ひとつひとつの動作が音色を幾重にも変容させていく。上半身をしなやかにバネのように動かし、ペダルにいたるまでからだ全体が有機的に作用し、ピアノと一体化するのである。
 私は、プレトニョフがオーケストラの指揮をすることにより、ピアノをオーケストラに見立て、よりシンフォニックに鳴らし、楽器から多彩な響きを導き出すような演奏に変化したのではないかと思っている。
 復活したロシア・ピアニズムの継承者であるプレトニョフの演奏、異次元の世界へと運んでくれる特有の美音に包まれた演奏に期待は募るばかりだ。
 今日の写真は、東京公演のチラシ。以前、何度かインタビューをしたが、彼の額はいわゆる「秀でた額」だった。この横顔にもそれが現れているよね(笑)。

| アーティスト・クローズアップ | 22:16 | - | -
アンドラーシュ・シフ
 いつもアンドラーシュ・シフのリサイタルにいくと、アンコールの多さに驚く。
 考え抜かれた盛りだくさんのメイン・プログラムだけでも、もう十分に彼の演奏のクウォリティの高さにどっぷりと浸ることができるのだが、その後、5曲も6曲もアンコールが続く。
 この集中力、体力、気力はどこからくるのだろうか。もちろん演奏することが楽しくてたまらないという感じは伝わってくるのだが、シフの場合、けっして派手なパフォーマンスはしないし、実直でひたむきで、作品の内奥にひたすら肉薄していくピアニズムである。それゆえ、エネルギーがあふれているという感じはまったくないが、アンコールの最後まで演奏の質は変わらない。なんともいえない、不思議な力がみなぎっている。
 今回の来日では、東京公演が3回あり、それぞれまったく異なるプログラムが組まれた。
 今日は、メンデルスゾーンとシューマンという同時代に活躍したふたりの作曲家の作品に焦点を当て、前半はメンデルスゾーンの「厳格な変奏曲 ニ短調」とシューマンのピアノ・ソナタ第1番、後半はメンデルスゾーンの「幻想曲 スコットランド・ソナタ」とシューマンの「交響的練習曲」が演奏された。
 いずれもシフ特有の柔軟性に富んだ美しい響きが全編を覆い、メンデルスゾーンのあふれんばかりのロマンと憧憬、ファンタジーが香り高く奏され、またシューマンでは大曲ふたつを一瞬たりとも弛緩することなく、内なる情熱と感情のはげしさ、独創性などを前面に押し出し、フィナーレまで表情豊かな美音で弾き進めた。
 心の奥に音がひたひたと沁み込んでくる、というのはこういう演奏をいうのだろう。
 シフのピアノは、演奏後、何時間たっても余韻が残る。すばらしい音楽を聴いた、有意義な時間を過ごすことができた、生きていてよかったと思えるのである。
 アンコールのメンデルスゾーン「無言歌集」より「甘い思い出」、「紡ぎ歌」、シューマン「アラベスク」「幻想曲」より第3楽章なども、シフならではのやわらかく情感あふれる美しい音色が満載。だが、淡々としたなかにも凛々しく、一本芯の通った精神性の高い奏法が顔をのぞかせ、それが聴き手の心に強い感動をもたらす。
 今日の公演評は、次号の「モーストリー・クラシック」に書く予定になっている。いま感じている素直な気持ちを綴りたいと思う。
| クラシックを愛す | 23:54 | - | -
焼き野菜
 時間がないときは、近くのオーガニックのレストランをよく利用する。
 ここは以前にも書いたが、60年ほど前に開業したお店で、1階が野菜や調味料、乾物などのお店になっていて、2階がレストラン。下から材料をもってきて、調理する。
 一番のおススメは八百屋さんらしく、季節の野菜をたくさん盛り込んだ「焼き野菜」だ。
 メニューの注意書きには、「新鮮で安全な野菜を使用しているため、塩だけで調味しました」と綴ってある。
 これがバツグンのおいしさ。塩味はきつくなく、ほどよい味加減で、なんといっても野菜が新鮮で旨みがあり、本当においしい。
 これにオーガニックのワインを合わせると、いくらでも食べられてしまう。
 もちろん、ここは魚料理も肉料理もいける。
 からだが自然に元気になるこういう食べ物は、私のお助けマン的な存在。この町には添加物を極力抑えたヘルシーなお店が多く、いずこも満員だ。
 今度は、お米にこだわっている、というお店にいってみようと思っている。
 今日の写真は、その「焼き野菜」。これ、家でもまねしてみたくなるレシピ。
いろんな野菜をそろえて、やってみようっと。納得のいく一品になったら、ぜひ友だちにふるまって、自慢しちゃおう(笑)。


 
 
| 美味なるダイアリー | 22:24 | - | -
リッカルド・シャイー
 いま、リッカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が来日している。
 今日は昼下がりのひととき、マエストロ・シャイーを囲んで銀座のブルガリで「お茶会」が開かれた。
 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の初来日は1961年、今回は13回目にあたる。シャイーとの来日は2009年が最初で、2012年に続いて3回目だ。
 実は、今夜が日本ツアーの初日。メンデルスゾーンの序曲「ルイ・ブラス」、ネルソン・フレイレをソリストに迎えたベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ショスタコーヴィチの交響曲第5番というプログラムだ。
 もうひとつのプログラムはコンチェルトだけが変わり、五嶋みどりをソリストに、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が組まれている。さらにマーラーの交響曲第7番「夜の歌」が演奏される日もある。
 この選曲に関し、シャイーはことばを尽くして熱く語った。
「今回のメンデルスゾーン、ベートーヴェン、マーラー、ショスタコーヴィチは、すべてこのオーケストラゆかりの作品なのです。メンデルスゾーンはよくご存じのように、ゲヴァントハウス管のカベルマイスターを務めていました。マーラーもニキシュの時代に2年間このオーケストラとのかかわりをもっていました。そしてベートーヴェンはこのオーケストラの重要なレパートリーのひとつです。さらにショスタコーヴィチはマーラーの影響を強く受けています」
 ベートーヴェンの「皇帝」はゲヴァントハウスで初演が行われた大切な作品であり、シャイー&ゲヴァントハウス管との相性がいいフレイレのソロとあって、今夜の演奏に期待が高まるぱかりだった。
 シャイーは2013年、同オーケストラとの契約を2020年まで延長したばかりだそうだが、初めてこのオーケストラを指揮したのは、1986年のことだったという。
「当時、カラヤンのアシスタント・コンダクターをしていたのですが、カラヤンが東ドイツに宝物のようなオーケストラがあるから、振ってみたらどうかと勧めてくれたのです。私はいまの年の半分くらいの年齢でしたので、イタリア人の指揮者がドイツの世界最古のオーケストラを振るなんて、ドキドキものでした。でも、ザルツブルク音楽祭でR.シュトラウスの交響詩《ドン・ファン》を振ったら、最初からとても自由にのびのびと指揮することができたのです。まさに相性のよさを感じました」
 すると、すぐにカラヤンから電話があり、1時間後に会いたいといわれた。
「もう叱られるのではないかと、ヒヤヒヤものでした。でも、ここはもう少しこうした方がいいとか、もっと向上できるなどと、ずはらしいアドヴァイスをしてくれたのです」
 そしてカラヤンの先見の明が、見事に的中した。2002年から2003年のシーズンの後、ブロムシュテットの後任のカベルマイスターを探していたゲヴァントハウス管から、シャイーに次期カベルマイスターの打診があったのである。
 これに関しては、同席していたオーケストラの総支配人、アンドレアス・シュルツが答えた。
「マエストロ・シャイーとの演奏を覚えていた楽員が多く、ぜひ彼を次期カベルマイスターにという声が上がったのです。実際、マエストロをお招きして、私たちはレパートリーも広がりましたし、チクルスも多く行うことができ、絆は深まる一方です。もっともすばらしいのは、“イタリアの炎“と呼ぶべき、マエストロの音楽に賭ける大きな情熱です。この情熱が私たちのオーケストラを引っ張っていってくれるのです」
 シャイーは、このオーケストラのもっとも大きな特質は、「特有の音」だという。伝統が培ってきた音。シャイーが就任してから40人の新しい楽員がオーディションによって選ばれたそうだが、彼らがゲヴァントハウス管の「音」とどう一体化できるか、じっくり見守っていきたいと語った。
 今夜のコンサートは、まさに伝統の「音」を存分に披露する形となった。特にショスタコーヴィチがオーケストラの底力を示した。もちろん、フレイレのピアノが大好きな私は、「皇帝」に深い感銘を受けた。
 この緩徐楽章は、ベートーヴェンの全作品のなかでもっとも好きな音楽。これまで涙がこぼれそうになった演奏は、ペライア、ブッフビンダー。そして今夜のフレイレである。
 ここでフレイレに関するビッグ・ニュースをひとつ。今秋のゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団のソリストとして再び来日し、ブラームスのピアノ協奏曲第2番を演奏する予定が決まったという。う〜ん、た・の・し・み!
 今日の写真は「お茶会」の後のマエストロ・シャイー。相変わらずダンディだけど、貫録ついたよねえ。地位が人を作るとは、こういうことなんだと納得。


 
 
| アーティスト・クローズアップ | 23:31 | - | -
マリア・ジョアン・ピリス
 マリア・ジョアン・ピリスとの話は、いつも禅問答のような感じになる。
 もちろん、ピリスの語っていることは彼女の真意であり、純粋で一途な性格を反映したもので、けっして難解ではない。
 だが、人間の生き方や、あるべき方向を示唆するもので、ひとつひとつの話に深く感銘を受ける一方、それをどう文章にして読者に伝えたらいいのか、悩んでしまうのも事実だ。
 ピリスの話は、実際に聞いているとよくわかるのだが、そのまま文章にしてしまうと、わかりにくくなってしまう。私は、これまで何度もインタビュー記事を書くのに苦労してきた。ピリスのすばらしい話をあますところなく読者に伝えるのは、かなり難しい。
 一昨日、銀座のヤマハ・アーティストサービスのピアノ・サロンでインタビューしたときも、いずれの質問に対しても真摯な答えが戻ってきて、ピリスの演奏をほうふつとさせた。
 彼女は、今回、「謙虚」ということばを何度も口にした。音楽家は「謙虚」にならなければいけないと。自分の存在ばかりアピールする演奏は、避けるべきだと。作曲家の意図に忠実に、楽譜を深く読み、作品を前面に出すことが演奏家の使命だと明言した。
 ただし、現在は演奏家の個性を表すことに主眼を置き、早く結果を出すことを求める人が多いと嘆く。
 今回のインタビューは次号の「音楽の友」に掲載される予定だ。
 できる限りピリスのことばに忠実に、よりわかりやすく、さらに読んで感動してもらうような文章を書きたいと思っている。今回の来日公演で私が深い感銘を受けたように、また、ピリスの話にも大いに触発されたように…。
 今日の写真は、読者プレゼント用の色紙にサインしているピリス。
 実は、「クラシックはおいしい アーティスト・レシピ」の本のピリスのページにサインをしてもらったのだが、彼女は「あら〜、私かぼちゃ大好きなのよ、ありがとう」といって、そのことばを添えてくれた。
「ねえ、このレシピちょうだい」ともいわれてしまった。早速、訳さなくっちゃ、大変だ(笑)。




 
 
| 親しき友との語らい | 17:23 | - | -
ピーター・ウィスペルウェイ
 昨日のウィスペルウェイの演奏の余韻に浸っているなか、今日は「インタビュー・アーカイヴ」の第54回として、彼のインタビューを振り返りたい。

 
[音楽の友 2008年4月号]

 2月3日の日曜日、東京は朝から雪が深々と降る寒い日だったが、紀尾井ホールで行われたピーター・ウィスペルウェイのJ.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」全曲演奏会は、冒頭から静かなる熱気に包まれた。
「この作品は力強く、地に足が着いた精神の落ち着きが見られる一方、生の躍動感がみなぎっています。舞曲を深く理解し、遊び心や歌心などさまざまな要素をバランスよく演奏に盛り込んでいかなければなりません。長年弾いていると解釈、表現は変化してきますが、各々の要素をどう混ぜ合わせるか、どんなカクテルを作り上げるかが重要になります」
 ウィスペルウェイは長年フランス製の楽器を使用していたが、数年前イギリスで発見された「奇跡のチェロ」と称されるジョヴァンニ・バティスタ・グァダニーニの1760年のチェロを手に入れた。
「以前はバロック・チェロで演奏し、アンナ・ビルスマ、ウィリアム・プリースに師事して基礎をみっちり学びました。でも、あるときイタリアの楽器を無性に弾きたくなった。その衝動が抑えられず、オークションでグァダニーニを手に入れたわけです。ええ、もちろんものすごく高い買い物でしたよ。同じ週に家も買ったんです。クレイジーでしょ(笑)。あとの支払いも考えずにね。今回はこのモダン・チェロでバッハを弾きました。弦や弓の材質はバロック・チェロと異なりますので、最初は奏法を会得するのに苦労しましたが、基本スタイルは同じです」
 1月31日には録音で高い評価を得ているドヴォルザークのチェロ協奏曲を披露したが、流麗で深々とした演奏は、作曲家の生地ネラホゼヴェスの緑豊かな景観を連想させた。
「このコンチェルトは出だしから気合いを入れ、思い入れたっぷりに演奏する傾向が見られますが、これはシンプルに演奏することが大切だと思います。作曲家は多くのメッセージを作品に込めました。演奏はその語りを雄弁に物語らせなくてはならない。でも、技巧を見せつけたり、表現過多になるのは避けなければ。それは大いなる知性が宿っているからです。高らかに旋律をうたい上げるときにも、ある種の抑制した知性が必要となる。オーケストラとの対話も非常に重要ですね。特に第2楽章はリリシズムがあふれていますから」
 師のビルスマもプリースも、どんな作品を演奏するときも創造的な芸術形態をもつことが大切だと教えてくれた。それを座右の銘としている。
「グァダニーニを手にしてから、すべての作品を一から学び直しています。それが私の好奇心を満たしてくれるからです。そして常に新しい方向、新しい道、新しい自分を探しています。見慣れた楽譜でも何か発見はないか、新鮮な驚きはないか、という目をもって探求しています」
 その好奇心は見知らぬ街の探索にも表れる。ウィスペルウェイはホテルで地図をもらい、新宿から下北沢、飯田橋、千駄ヶ谷と7時間ウォーキング。いろんな発見があったと目を輝かせる。スリムな体型は、きっとこの長時間の散歩の成果かも…。

 昨日のリサイタルでも「奇跡のチェロ」グァダニーニを使用。自然で気品にあふれ、しかも情熱的な響きをたっぷりと聴かせた。
 今日の写真はインタビューの雑誌の一部。彼はシリアスな表情で音楽論を語っているかと思うと、突然とんでもないジョークで笑わせる。昨日はCDのサイン会に多くの人が列を作っていたのだか、ひとりの女性がおそらく演奏に感動したと告げたのだろう。突然、大声で「ワオーッ」と叫び出した。その女性も、まわりの人もあっけにとられてウィスペルウェイを見つめるばかり。
 そう、そうなんですよ。この人はそういうユニークな人なんです。みなさん、ビックリしないでくださいね。感情表現がストレートな人なのです。だから音楽も実に率直で、聴き手の胸にストレートに迫ってきますよね。この感情表現のすばらしさ、ユニークさ、私はすごく気に入っていて、大好きなんですよ。サプライズがあっておもしろいもの(笑)。



| インタビュー・アーカイヴ | 20:08 | - | -
ピーター・ウィスペルウェイ
 チェロ好きの私は、来日アーティストの演奏のなかでも、特にチェロのリサイタルは欠かさない。
 なかでも、ピーター・ウィスペルウェイの演奏には目がない。古楽器と現代楽器の両方を演奏する彼は、2012年に3度目の「J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)」をリリースし(キングインターナショナル)、ここでは1710年のバロック・チェロと18世紀のピッコロ・チェロを用いてすばらしい演奏を披露している。
 今日のリサイタルは、オール・ベートーヴェン・プログラム(紀尾井ホール)。ピアニストのパオロ・ジャコメッティと組み、チェロ・ソナタ第2番、第5番、第3番を演奏し、その間に初期の作品であるモーツァルト「魔笛」の“娘か女か”の主題による12の変奏曲、同じく「魔笛」の“恋を知る男たちは”の主題による7つの変奏曲をはさみこむというユニークな選曲だ。
 ウィスペルウェイの演奏を聴くと、いつもなんと楽々と弾いてしまうのだろうと思う。超絶技巧も難解な箇所も、彼の完成度の高いテクニックにかかると、すべてが自然で流麗な歌となる。それゆえ、技巧的なことを考えずに、作品本来の姿を楽しむことができる。
 今夜は、若きベートーヴェンが書いた、あまり演奏される機会に恵まれない変奏曲を2曲も聴くことができ、しかもウィスペルウェイとジャコメッティの見事な音の融合で堪能することができて、とても有意義だった。
 とりわけふたりの音楽が一体化していたのが、チェロ・ソナタ第3番。これはベートーヴェンの5曲のチェロ・ソナタのなかで傑作といわれるばかりではなく、古今のチェロ・ソナタにおいても傑作の誉れ高い作品。緻密な構成、明るく輝かしい旋律、高度な技巧、力強くはげしい情熱、さらに精神性の高さと親しみやすさも備えている。
 ウィスペルウェイは、すべての作品を完全暗譜。ゆえに、演奏は変幻自在で自由闊達、ピアニストとの音の対話も即興性に富む。
 今夜は、ベートーヴェンの作品のよさを存分に堪能し、チェロの響きにどっぷりと浸った一夜となった。やっぱり、チェロっていいなあ…。
 
| クラシックを愛す | 23:18 | - | -
来日ラッシュと原稿ラッシュ
 先日、親しくしているレコード会社のKさんに、「伊熊さんは波が引くときがなかなかなくて、食事会をするのに予定が立てにくいから、今日空いたとか、明日なら大丈夫っていうときがあったら、すぐに連絡して」といわれてしまった。
 そうか、私は波が引かないのね(笑)。
 そういえば、いまは月末入稿の時期でもないし、それがこぼれた月初めの締め切りの時期でもないのに、やたらに時間がない。
 今日も入稿が重なって動きがとれず、せっかくノルウェー大使館から「オスロ・フィルハーモニー管弦楽団 来日記念レセプション」のご招待をいただいていたのに、欠席することになってしまった。本当に残念。
 そこで欠席に変更してもらうために大使館のDさんに電話をし、しばし近況報告をしあった。
 Dさんは、以前ベルゲンの出張でご一緒した人で、とても話が合う。
「ああ、残念。伊熊さんに久しぶりに会えると楽しみにしていたのに。いろいろお話したいことがあったのよ」
 こういわれて、私もなおさら残念な気持ちが募った。でも、締め切りを抱えていては、出かけられない。
 しばらくDさんとおしゃべりをし、気持ち新たに原稿を書いた。
 いまはかなりの来日ラッシュで、聴きたいアーティストが目白押し。それゆえ、夜はコンサートに出かけることが多い。当然、仕事はたまってくる。
 でも今日は、先日から懸案事項だったマリア・ジョアン・ピリスのインタビューができるという朗報がもたらされた。
 彼女は最近インタビューに応じることが少なく、前回の来日時にもできるかできないかが最後までわからず、結局ダメになったという経緯がある。
 それゆえ、今回も無理かもしれないな、と半ばあきらめていたが、可能になった。やったね!!
 というわけで、その時間をあけるために、また仕事の配分を考えなくてはならない。
 今日は事務所(仕事部屋)のカーテンができあがり、それをとりつけたら、少しばかり部屋らしくなった。
 ああ、どうしてこう次から次とやらなくてはならないことが押し寄せてくるのだろう。こういうときは、決まってグチグチになってしまう。いかんいかん。
 もっと前向きに対処しなくちゃね。さてと、また原稿に取り組みますか。


 
| ああ愉しき(?)、締切り地獄 | 21:53 | - | -
グッズをそろえて…
 原稿のめどがなかなかつかず、事務所(仕事部屋)の準備がままならない。
 大きな家具の引っ越しはかなり先になりそうなので、小さな備品から少しずつそろえている。
 先日、期間限定のデザイナーズショップで、ちょっとこじゃれたスリッパを見つけた。
 ひとつずつ微妙に模様が異なり、いろいろ迷ったが、気に入った絵柄のものを4足だけそろえた。
 まさか、5人以上が一度にくることはないよなあ、などと勝手に考え、シックな色合いのスリッパを4足ゲット。
 今日の写真は、来客準備が整ったスリッパ。そう、確かにスリッパだけ。
 でも、こうしてひとつずつそろえていけば、いつかは体裁が整うだろう。その日をひたすら楽しみに…。


 
| 日々つづれ織り | 22:32 | - | -
ヤン・リシエツキ
 昨日は、1995年にポーランド人の両親のもとカナダに生まれたピアニスト、ヤン・リシエツキのリサイタルを聴きに東京オペラシティコンサートホールに出かけた。
 彼は自分のルーツである祖国ポーランドの偉大な作曲家、ショパンを敬愛し、ことあるごとにポーランドで演奏している。そしてショパンの魂に近づくべく、ショパン時代の楽器で演奏したり、ゆかりの人に会ったり、オリジナル楽譜を研究したりしている。
「ショパンの時代の楽器で弾くと、すごく楽に弾くことができる。それを発見したとき、ぼくはショパンが作品に込めた気持ちが、より深く理解できたと感じました。楽器を通して、タッチやリズム、和声など多くのことを学ぶことができたからです」
 こう語るリシエツキは、今回のリサイタルではオール・ショパンでプログラムを構成した。
 まず、「華麗なる大円舞曲」作品18から始め、キレのある若々しい響きを披露。続いて、今回もっとも楽しみにしていた人が多いのではないかと思われる「24の前奏曲」をひとつひとつストーリーを描き出すように弾き進めた。
 後半は、「3つの夜想曲」作品9、「3つのワルツ」作品64をやわらかな音色でおだやかな空気をただよわせながら演奏し、最後は「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」で底力を発揮した。
 リシエツキは、国際コンクールの優勝者ではない。15歳という若さでドイツ・グラモフォンと録音契約を果たし、以後、世界各地で活発な演奏活動を行っている俊英である。
 これまで数多く来日し、そのつど演奏を聴いているが、自分の進むべき道をきちんと見据えている、という姿勢が印象的だ。
 インタビューでも、とても知的で年齢よりかなり大人びた発言をする。今回は、その様子をプログラムに綴った。
 終演後、楽屋にいくと、メガネをかけて登場。すぐにCDのサイン会へと駆け付けた。
 今日の写真は、珍しくメガネをかけたヤンくん。会うたびに身長が伸びた感じがするけど、まだまだ伸びるのかなあ。もう185センチくらいありそうだ。見上げなくちゃいけないから、首が疲れるんだけど(笑)。


 
 
| アーティスト・クローズアップ | 16:08 | - | -
マリア・ジョアン・ピリス
 ああ、もっとドビュッシーが聴きたい。ピリスの「ピアノのために」の演奏を聴き、こう切に願った。
 7日の夜、サントリーホールで16年ぶりというマリア・ジョアン・ピリスのソロ・リサイタルが開かれた。
 プログラムはシューベルトの「4つの即興曲」作品90とシューベルトのピアノ・ソナタ第21番の間に、ドビュッシーの「ピアノのために」をはさむという選曲。
 ピリスのシューベルトは、すでに両曲ともレコーディングがなされ、世界中で高い評価を得ている。
 冒頭の即興曲が鳴り響いた途端、スッとピリスの音の世界へと導かれた。はげしくたたきつけられるような和音は、凛とした立体的な音となり、湧き上がるような強靭で劇的な旋律は、強い主張をもった響きとなる。それらを大きく包み込むように素朴で色彩感に富む音色が全編を支配し、シューベルトの歌謡性が美しく表現されていく。
 ピリスの演奏は打鍵が深く、芯の強さに支えられているが、けっして力で押す演奏ではない。確固たる構成と全体を俯瞰する目が備わり、即興曲をこよなく香り高い歌として奏でていく。
 ピアノ・ソナタ第21番にもそれは如実に現れ、長大なソナタを一瞬たりとも弛緩することなく、幻想的で瞑想的で変幻自在なストーリーを淡々と紡ぐように弾き進める。
 ピリスは、シューベルトが短い人生の最後に深い悲しみの奥に微笑みを潜ませているように描いた作品を、あくまでも自然に弾きながら、聴き手にその感情の複雑さを知らしめる。
 なんと難しい作品だろうか。以前、ピリスはインタビューで「シューベルトの作品に近づくには、ありのままの自分と向き合わなければなりません」と語っていた。
 今回プログラムに彼女のインタビューの様子を綴ったが、いつもピリスは「シューベルトは難しい」と口にする。自然に表現することをあまりにも意識しすぎると、かえって作為的な演奏になってしまうため、それを抑えることが重要になるからだそうだ。
「人間は、自然にふるまったり、自然に生きようとすることがもっとも難しいと思うのよ」
 ピリスは真顔でこういう。
 確かに、気負わず気どらず、ありのままの自分を表現するのは、どんな仕事でも難しいと思う。
 いつもピリスの演奏を聴くと、私は自分の生き方を考えさせられる。ピリスのように真摯で自由で無垢な気持ちで生きられたらいいな、とあこがれの気持ちすら抱く。
 今回聴いたドビュッシーは、そんな私に新たなピリスの魅力を植え付けてくれた。あいまいさのかけらも見せず、明快な自己主張が存在し、しかも全体はこよなくエレガントで浮遊感もある。荘重さと多彩な色彩感に満ち、ドビュッシーの新たな魅力を放ったこの作品を聴き、今後ドビュッシーとのつきあいがより深まってくれることを願わずにはいられなかった。
 終演後、楽屋にあいさつにいくと、いつもながらの温かい笑顔でふんわりと抱きしめてくれた。
「ドビュッシーが素敵でした」というと、「あら、そう。よかったワ」といって、またにっこり。
 今日の写真は、楽屋でのワンショット。人が多くてごったがえしていたため、正面から撮れなかった。 
 ピリスのピアノを聴くと、心が浄化する思いにとらわれる。この夜も、えもいわれぬ幸福感に包まれた。これが音楽のもつ力だと実感!!


 
 
 

| クラシックを愛す | 22:00 | - | -
レフ・オボーリン
 最近、1960年代から80年代にかけて来日した、偉大な音楽家のライヴが相次いでリリースされている。
 そのなかで、レフ・オボーリンが1963年2月1日に演奏したディスクは、かけがえのない記録として、いまなお光り輝いている(キングインターナショナル)。
 プログラムはJ.S.バッハの「半音階的幻想曲とフーガBWV903」からスタート。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番へと続き、ショパンのマズルカ第25番、第51番が演奏される。次いでラフマニノフの前奏曲作品32の10、5、12が登場し、ショスタコーヴィチの前奏曲作品34の10、22、24へとつながる。
 最後はハチャトゥリヤンの「トッカータ」で幕を閉じるという趣向だ。
 いずれもオボーリンの特質である、やわらかな情感あふれる美音がみなぎるものだが、なかでもベートーヴェンのソナタは涙がこぼれそうになるほど美しい。
 冒頭から気負いや気どりのまったくない、清らかな水が流れるような流麗な演奏で、けっして力で押すベートーヴェンではなく、豪壮で堅固でダイナミックなベートーヴェンでもない。豊かな歌謡性と抒情性が全編を貫き、エレガントで気品あふれる表情がベートーヴェンの心情を伝える。
 レフ・オボーリンは1907年モスクワ生まれ。モスクワ音楽院のロシア・ピアニズムの4つの流派のひとり、コンスタンティーン・イグムーノフに師事し、1927年の第1回ショパン国際ピアノ・コンクールの優勝者となった。以後、世界各地を演奏してまわり、モスクワ音楽院教授として後進の指導も行い、歴史に名を残すピアニストとして人々の記憶に刻まれている。
 実は、以前ウラディーミル・アシュケナージと話していたとき、ロシアの音楽教育が話題となり、私が彼の恩師であるオボーリンについて質問したところ、こんな返事が戻ってきた。
「すばらしいピアニストで個性的な音楽性の持ち主であり、人間性も称賛すべき人でした。でも、あの時代、旧ソ連では強靭なタッチでスケール大きな演奏をするピアニストが好まれ、オボーリンのような優雅で流麗で自然体の演奏をする人はあまり認められなかったのです。本当に残念なことです。私はあるとき、オボーリンが深く落ち込んでいたことを覚えています。ある評論家が、彼の演奏を“女々しい”と批評したのです。それからというもの、オボーリンはこのことばをひどく気にして、悩んでいました。なんという悲劇でしょう。私は怒り心頭でしたよ。ですから、オボーリンはリヒテルやギレリスの影に隠れてしまったのです。まったく異なる個性の持ち主で、あのように心の奥に響いてくる演奏をする人はいなかったのに、本当に残念です」
 長年、私はこのアシュケナージのことばが胸の奥に突き刺さっていた。それが今回のベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番を聴き、まざまざとよみがえってきた。そうか、オボーリンの自然でエレガントな音というのはこれなんだ、と新たな感慨を覚えた。
 昨年アシュケナージにインタビューで会ったばかりだが、今度会う機会があったら、ぜひこのベートーヴェンの話をしたいと思う。
 それほどこのベートーヴェンは、私の心に深く浸透してきた。第31番のソナタはいろんなピアニストで聴いている。だが、オボーリンのようにひそやかに、ロマンあふれ、最後のフーガまで天上の音楽を聴かせる人は稀だ。
 もちろん、演奏に対する考えは人それぞれである。こういうベートーヴェンは苦手だという人もいるだろうし、ベートーヴェンらしくないという人もいるだろう。だが、私は一度聴いたらとりこになってしまい、何度も繰り返して聴いている。私の感性に合う、ということなのだろう。
 できることなら、ナマの演奏を聴きたかった。そう願わずにはいられない。この1963年の演奏を聴いた人は、本当に幸せだ。
 今日の写真は、そのCDのジャケット。久しぶりに現れた私の愛聴盤である。


 
| アーティスト・クローズアップ | 22:22 | - | -
三浦友理枝
 先日、久しぶりにピアニストの三浦友理枝に会い、インタビューを行った。
 4月23日にリリースされる「ピアノ名曲作品集(仮)」(エイベックス)に関して聞くインタビューとなったが、いつも通り、私は近況から私的なことまで幅広く質問し、彼女もノッて話してくれたので、有意義な内容となった。
 このインタビューは次号の「intoxicate」に掲載される予定だが、この新譜のライナーノーツも頼まれているので、それも頭に入れながら話をした。
 今回の名曲集は25曲で構成され、ショパン、メンデルスゾーン、シューマン、グリーグ、ブラームス、シューベルト、リストなどに加え、リャードフやリゲティなどが入っている。
 三浦友理枝は、現代作品やあまり演奏される機会に恵まれない作品にも目を向け、いつもリサイタルでは個性的なプログラムを組む。今回も長年弾き込んできた作品を中心に、かなり時間をかけて選曲したそうだ。
「やっぱりショパンははずせないですね。シマノフスキも入れたかったけど、今回は外しました。リゲティは絶対録音したかったんです」
 いつも会うと思うことだが、彼女は声が大きく明快な話し方をし、いいよどんだり、あいまいな表現をいっさいしない。
 最初からその話し方が自分に似ている、と感じていた。だから、ふたりで話していると、どんどん話が進み、あちこちに話題が飛び、いつしか時間がたっている。
「私、手芸が好きで、ビーズとかスパンコールとかヒカリモノに目がないんですよ。ピアニストにならなかったら、手芸のお店を開きたかった。宝石をただながめているのも好きで、大きなダイヤなんか、ボーッとして何時間もながめています」
 この話は初めて聞いた。その場に居合わせた全員が大笑いしながら聞いていたため、彼女の話はどんどん加速し、「ヒカリモノ」談議となった。お寿司の話ではないんだけどね(笑)。私はお寿司のヒカリモノの方が好きなんだけど…。
 一時期、三浦友理枝は髪を短くしてボブのようになっていたけど、また元に戻ってロングヘアになっていた。
 彼女の活動は着実に広がっているようで、新曲の演奏も経験し、室内楽も増えているという。
 多くのファンが待っていたであろう名曲集の新譜。話し方と同様、明快で凛とした弾き方が印象的なアルバムに仕上がっている。
 今日の写真はインタビュー後のワンショット。ねっ、また前のように美しいロングヘアになっているでしょ。


 
| 親しき友との語らい | 22:02 | - | -
事務所のしつらえ
 月末入稿が終わったと思ったら、月初めの原稿締め切りが重なり、あれやこれやと、また追われる日々を送っている。
 どうしていつもこうなるのだろう。
 とはいえ、いまはできたばかりの事務所というか仕事部屋のしつらえもしなくてはならない。
 先日、「事務所開き」のブログを読んで、何人かが「いきたいよ〜」「すぐいってもいい?」と連絡してくれた。
 実はまだ、人を呼べる状態にはなっていない。荷物の引っ越しが済んでいないのである。
 締め切りがひと段落したら、あちこちに散らばっている机やいす、書棚、CDケース、文具一式などを移したいと思っているのだが、なにしろ時間がない。
 というわけで、原稿の合間の時間を見て、ひとつずつ地道にこなしている。
 今日は、親しくしている電気屋さんから冷蔵庫が届いた。そんなに大きくないものだが、使いやすいサイズで、キッチンのスペースにピッタリと収まった。
 電気屋の社長のKさんは、部屋を見て、とても気に入ってくれた。
「すごくいいじゃないですか。日当たりがよくて明るいし、きれいにリノベーションされているから使いやすそうで、特にフローリングの色がいいですねえ。これで仕事がまたはかどるでしょうけど、無理しないでくださいよ」と、いわれてしまった。
 そうなんですよ、それが問題ですな(笑)。
 まだ、冷蔵庫にはミネラルウォーターしか入っていない。
 それから近くの材木屋さんにいって、観葉植物の鉢の下に置く木を切ってもらい、それを敷いた。
 こんなことをしているとどんどん時間がなくなってくるけど、少しずつ物が増えてきて、部屋らしくなってきた。
 先日、友人のKさんから「遊びにいきたい」と連絡が入った。でも、まだ無理なので、3月10日すぎに延ばしてもらった。どうもこの調子だと、3月中旬以降にならないと、まとまりがつかないかも。Kさん、もうちょっと待ってね。
 とにかく、原稿を早く終わらせるのが先決だ。それがある程度メドが立てば、荷物の移動に本腰を入れることができる。
 無理をしないように、無理をしないように、でも、急がなくっちゃ。このバランスをとるのが一番大変だ。
 からだのケアのためにフィットネスもいかなくてはならないし、マッサージにもいきたい。その時間をひねり出すのも至難の業。やっぱり、仕事部屋は、しばしガランとしたままになりそうだワ。
| ああ愉しき(?)、締切り地獄 | 22:04 | - | -
愛する美容院
 美容院は、やはり長年通い続けたところが一番だ。
 引っ越し先の町で新しいところを探すほうが、時間のないときにはいいのかもしれないが、やはり通い慣れた美容院にいきたくなる。
 先日は、1カ月ぶりにその行きつけのお店にいき、いつもお世話になっている3人の写真を撮った。
 2月2日のブログにも書いたが、れいのお魚のルーちゃんは、あまり大きくなっていなかった。でも、からだの色が微妙に変化し、背中など黒くなっているところがあった。なんとも不思議なお魚くんだ。
 いつも、この愛する美容院にいくと、お店の人たちといろんな話をする。それが私にとってはとても心癒される時間なのである。
 シャンプーが終った後には、頭や首や肩などをマッサージしてくれるのだが、いつも「凝っていますねえ」「バリバリ音がしていますよ」「頭も硬くなっています」といわれる。それをどんどんほぐしてくれるから、なんだかうとうとと眠くなってしまう(笑)。
 ここは「家庭画報」をとっていて、私が書いた記事を必ず読んでくれる、たのもしい読者である。
 今日の写真はお店の3人。オーナー店長の今井さん(右)、スタッフの菅谷さん(中)と野田さん(左)。実は、前にあるのがルーちゃんの水槽。
 もうすぐ30センチほど大きな水槽に変えなくてはならないそうだ。でも、レッドテールキャットの平均寿命は約10年で、いまはまだ1歳になっていないとか。これから先、どれくらい大きくなるのだろうか。お店が水槽に占領される日も近い(?)


 
 
| 日々つづれ織り | 21:43 | - | -
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