Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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小鹿田焼
 先日、パトリア日田の講演の前日に、国指定重要無形文化財となっている「小鹿田焼(おんたやき)」の里を訪れた。
 日田の市内から車で約30分、深い緑に囲まれた道を分け入っていくと、皿山地区に着く。現在は10軒の窯元が存在し、ひとつずつ離れた場所に民家と窯が作られている。
 その集落の入口には陶芸館があり、ここでは小鹿田焼の歴史、これまでの歩みなどが理解できるようになっていた。古陶も展示され、映像で小鹿田焼ができるまでの工程が紹介され、特徴や技法を知ることができる。
 この映像を見てから各々の窯元を訪ね歩くと、置かれているさまざまな素材や道具からその工程の流れがわかり、偉大な職人芸を垣間見る思いにとらわれた。
 何より、ここは空気が違う。静謐な空間にゆったりとした時の流れ。聞こえてくるのは、風のそよぐ音と木々の揺らぎ、川を流れる水の音、そして時折、唐臼で土を粉砕する「カーン」という音が響いてくる。
 なんというのどかで心が落ち着く空間なのだろうか。
 今回、案内してくれたのは観光協会のKさんと、パトリア日田の館長Kさん。いろんな窯元を案内してくれ、ひとつの窯元で素朴でぬくもりに満ちた作品を購入することができた。
 小鹿田焼は現在でも一子相伝、約300年前と変わらず、脈々と技と心と伝統が受け継がれている。ひとつの窯元では、若い陶工がわざわざ私のブログの写真のために、製作風景を見せてくれた。感謝、感謝…。
 今日の写真は、まず小鹿田焼陶芸館の古陶の展示。



 唐臼による原土の粉砕。



 作業中の様子を見せてくれた若い陶工。



 里にある家には、塀に小鹿田焼が埋め込まれていた。



 選びに選んで購入した湯呑茶碗と小鉢。

| 麗しき旅の記憶 | 21:04 | - | -
第17回別府アルゲリッチ音楽祭
 昨日は、東京駅のすぐそばにある日本生命の会議室で、第17回別府アルゲリッチ音楽祭の記者会見が行われた。
 今年は5月9日から18日まで開催され、アルゲリッチ、ミッシャ・マイスキー、サーシャ・マイスキー、高関健指揮紀尾井シンフォニエッタほか実力派の演奏家が多彩なプログラムを披露する。
 1995年のプレコンサートから20年を迎える今年は、アルゲリッチ芸術振興財団の名誉理事、椎木正和氏から贈られた「しいきアルゲリッチハウス」と命名されたホールが完成。これは150人規模のサロンで、クオリティの高い演奏会が予定され、教育プロジェクトもスタートする。サロンにはアルゲリッチの愛称である「マルティータ」と名付けられたハンブルク・スタインウェイのピアノが設置され、5月15日に竣工する予定だ。
 しいきアルゲリッチハウスは未来への道を見つめ、100年後の人々へも音楽の喜びを運ぶことをモットーに、子どもたちの未来を見据えたプロジェクトやデビューコンサートシリーズも企画されている。
 なお、5月18日の音楽祭の最終日には、「〜子どもたちの未来を応援〜日本生命presentsピノキオコンサート支援チャリティin東京 アルゲリッチがつなぐもの〜未来への道」と名付けられたコンサートが東京オペラシティコンサートホールで開催されることになっている。
 記者会見には、ピアニストでアルゲリッチ芸術振興財団副理事長の伊藤京子、日本生命のコンサートの担当者が出席、音楽祭の概要と、しいきアルゲリッチハウスの内容などの説明が行われた。
 私は何度か取材に訪れたことがあるが、音楽祭の担当者の方々も関係者も、ボランティアの人たちも非常に熱心で、アルゲリッチはそうした人々に囲まれて、ここではとてもリラックスしたいい表情をしている。
 もちろん、演奏はすばらしく、いろんな人とのアンサンブルを心から楽しんでいるようだ。
 今年は、完成をとても楽しみにしているという自身の名を冠したハウスでの演奏に、アルゲリッチのすべてが注がれるに違いない。
今日の写真は記者会見の様子。右が伊藤京子、左が日本生命の担当者。



| 情報・特急便 | 23:03 | - | -
アンドレアス・オッテンザマー
 よく親の仕事は継がないという話を聞くが、オーストリアのクラリネット一家、オッテンザマー家は例外だ。
 父親のエルンスト・オッテンザマーは、長年ウィーン・フィルの首席奏者を務めていることで知られ、長男のダニエル・オッテンザマーはその跡を継ぎ、2009年にウィーン・フィルの首席奏者に就任した。このふたりには以前インタビューをしたことがあり、演奏も聴いてきたが、昨日は次男のアンドレアス・オッテンザマーに話を聞くことができた。
 彼は1989年生まれ。父はオーストリア人、母はチェリストでハンガリー人である。4歳からピアノを習い、10歳でチェロを学び、2003年よりクラリネットを習うようになった。そしてベルリンに留学し、ベルリン・ドイツ交響楽団首席クラリネット奏者を経て、2011年に21歳でベルリン・フィルの首席奏者に就任した。
 すばらしい経歴の持ち主だが、さらに2013年にはドイツ・グラモフォン/マーキュリー・クラシックスと契約、ソロ・クラリネット奏者として史上初めて「イエロー・レーベル」の専属レコーディング契約を結ぶという快挙を成し遂げた。
 昨日のインタビューでは、自身のルーツであるハンガリーとブラームスに焦点を当てた新譜に関しての話や、名手ぞろいの共演者について、現在の活動、ベルリン・フィルのこと、家族のこと、子ども時代のことなど、さまざまな話を聞いた。
 写真は、新譜「ブラームス ハンガリアン・コネクション」(ユニバーサル)のジャケット写真。




 アンドレアスは大変なイケメンで、モデルも務めているようだが、素顔は次男坊らしくやんちゃで陽気で、飾ったところがまったくない。父親も兄もクラリネット奏者なのに、どうして同じ楽器を?と聞いたら、「すごく自然に始めたんだ。家にはピアノがあってその下にチェロが置いてあって、ピアノの上にはクラリネットが乗っていた。みんな楽しそうに吹いていたから、ぼくもやってみたんだ」とのこと。
 このインタビューは、数か月先の「日経新聞」に書く予定である。
 そして今日は、トッパンホールにリサイタルを聴きにいった。アルゼンチン出身のピアニスト、ホセ・ガヤルドとの共演で、ウェーバーやブラームスの作品から、ピアソラ、ガルデル、アンヘル・ビジョルドというタンゴも演奏。ハンガリーのレオ・ヴェイネルも加わり、多彩なプログラムとなった。
 アンドレアスの演奏は、表現力豊かであくまでも自然体。クラリネットが人間の声のように多彩な表情をもち、豊かにうたい、語りかけ、ときにささやき、またあるときは天上の歌を奏で、タンゴでは躍動し、ブラームスではほの暗く晩秋のような音色を響かせる。
 しかし、その底にはクラリネットの名門一家で育った伝統と歴史、品格が宿り、ベルリン・フィルの首席奏者らしく王道をいく演奏に徹している。
 インタビューのときに印象深かったのは、「音楽を楽しむことができなかったら、やめていると思う。ぼくはいつも演奏を楽しみ、仲間とアンサンブルをすることに無上の喜びを感じる。ずっとこの気持ちを大切にしたい」と話していたことだ。
 今日の写真は、インタビュー後のリラックスした表情。彼は7月にアンサンブル・ウィーン=ベルリンのメンバーの一員として来日する予定。新しいメンバー構成になったアンサンブルは、弦楽四重奏曲の編曲版など、新鮮なプログラムが組まれている。


 

 
| 日々つづれ織り | 23:28 | - | -
ピョートル・アンデルシェフスキ
 今日は、東京オペラシティコンサートホールにピョートル・アンデルシェフスキのリサイタルを聴きにいった。
 彼は昨年インタビューしたときに、3年も前にプログラムを決めるのは無謀だ、そのときに弾きたい曲がわかるわけがない、と苦々しい顔をして語っていた。
 そして今回もやはり当初の曲目とは変わり、J.S.バッハ「フランス風序曲」「イギリス組曲第3番」が前半、後半はシューマン「精霊の主題による変奏曲」「幻想曲」がプログラムに組まれた。
 アンデルシェフスキは、完璧主義者で知られる。自分が納得いかないと、どんなに周囲が認めても、よしとしない。
 今日のリサイタルも、いずれの作品も完璧に磨き上げられ、表現力が深く、完全に自分の作品となっていた。
 もっとも印象的だったのは、「イギリス組曲第3番」。実は、この作品は私にとって、とても辛い思い出のある曲。聴いているうちにその思い出が鮮やかに蘇り、平常心では聴けない状態に陥った。
 アンデルシェフスキの「イギリス組曲第3番」は、装飾音が特別だ。とりわけ「前奏曲」と「サラバンド」において装飾音が見事なまでに多用され、あたかも自分が作曲したような曲想が展開した。これだけ聴くと、「イギリス組曲第3番」とは思えぬほど音符が増殖され、しかも内声の響きを際立たせるため、まるで新たな曲を聴いているようだ。
 シューマンに関しては、アンデルシェフスキは、プログラムにこう綴っている。
「シューマンは私の心に大変近い存在です。今回は2年間弾きこんできた《幻想曲》を初めて日本で弾くことになりました。私はひとつの作品を繰り返し弾き、時間をかけていろいろな考えや想いといった自分自身をその作品に投入します」
 このことば通り、「幻想曲」にはいまのアンデルシェフスキが投影されていた。彼はバッハに関しても、一家言をもつ。
 そして、プログラムの語りは、こういうことばで閉じられる。
「最終的には、なぜ音楽を演奏するのか、あるいは、なぜ聴衆を前に演奏するのか、という音楽家としての哲学の問題となるのだと思います」
 アンデルシェフスキの演奏は、まさにある意味の「哲学」といえる。彼は各々の作品が内包する深い思考や表現、作曲家の意図を存分に読み取り、自身の感性というフィルターを通して聴衆へと届ける。そこには特有の美学に貫かれた音楽が存在し、完璧なる美に支配された音楽が生命を帯びて描き出される。
 アンデルシェフスキのピアノを聴くと、こういう解釈こそ、この作品にふさわしいと思える。それほど完璧なフォルムで音楽が形成されているからである。
 今日のアンコールは、ベートーヴェンの「6つのバガテル」より3曲(作品126-5、2、3)だった。このベートーヴェンがまた非常に知的で深遠で、ある種の客観性に富み、アンデルシェフスキが自身の演奏をつねにクールに客観視している目を意識させた。
 新譜はバッハの「イギリス組曲第3、1、5番」(ワーナー)。写真はそのジャケット。この作品の新たな扉を開けた彼の次作が待ち遠しい。

| クラシックを愛す | 23:30 | - | -
第20回宮崎国際音楽祭
 アイザック・スターンが音楽祭の初代音楽監督を務め、亡くなるまでの6年間で音楽祭の礎を築いたことで知られる宮崎国際音楽祭が、20回という記念を年を迎える。
 メモリアルイヤーの今年は、4月29日から5月17日までの19日間、メディキット県民センターを中心にさまざまな会場で開催される。
 今日は、銀座の三笠会館で記者発表が行われ、総監督の青木賢児、音楽監督の徳永二男、宮崎県東京事務所長の桑山秀彦、宮崎県立芸術劇場館長の佐藤寿美の各氏が概要説明と質疑応答を行った。
 今年はピンカス・ズーカーマン、ジュリアン・ラクリン、ボリス・ベルキン、サーシャ・マイスキー、ミッシャ・マイスキー、アマンダ・フォーサイス、アンジェラ・チェン、リリー・マイスキー、シューイン・リーという外国人演奏家に加え、諏訪内晶子、三浦文彰、広上淳一、横山幸雄、仲道郁代、上原彩子、吉野直子、高木綾子、漆原朝子、漆原啓子、野平一郎、福井敬をはじめとする日本人演奏家も参加し、豪華な顔ぶれとなっている。
 メインプログラムは、日本人作曲家の現代音楽の室内楽や各アーティストによるアンサンブル、精鋭たちの集まりによる宮崎国際音楽祭管弦楽団によるオーケストラ演奏、演奏会形式によるオペラ、教育プログラムなどが組まれ、スペシャルコンサートも多数用意されている。
 今日は、青木総監督が20周年を機に退任されるとのことで、アイザック・スターンとの思い出、彼にまつわるエピソードなどが紹介された。
 これまで一度も取材に訪れたことはなかったが、今年はいずれの日かスケジュールを見て、足を運ぼうと思う。
 今日の写真は「春咲いてハミング」というキャッチとハミングバードが描かれたチラシ。まさに春爛漫の南国で花開く音楽祭となりそうだ。


 
| 情報・特急便 | 23:43 | - | -
パトリア日田音楽講座
 昨日は、大分県日田市で「パトリア日田音楽講座」が行われた。私の講座名は「伊熊よし子のティータイム音楽講座 2015年のピアノ・コンクール大予想」と題されている。
 日田市内の文化・芸術の拠点ともなっているホール、パトリア日田は、ガラスをふんだんに取り入れた外観がとても印象的で、内部も非常に凝ったデザインだった。
 天井はこの土地の名産である杉が使われ、床は小鹿田焼に用いられる土がかなり多く含まれた材料で敷かれていた。この床は一見するとタイルのようで、他に類を見ない特殊な材質という感じだった。
 私の講座は午後2時から。午前中に会場入りし、ホールの担当の方々とじっくり打ち合わせをし、椅子やテーブルの配置を決め、CDとDVDの確認を行った。さらにお茶とお菓子が出るため、そのタイミングなども話し合った。
 当初考えていたよりもずっと多くの受講生が集まってくれ、会場は満杯で、みなさんとても熱心に話を聞いてくれた。メモを取る人も多く見受けられ、私の話にうなづく人、身を乗り出して聞いてくれる人、女性同志でにこやかな笑顔を見せながら聞き入ってくれる人、男性同志でジョークに笑ってくれる人、ひとりでじっくり音楽に耳を傾けてくれる人など、さまざまな人たちが参加してくれた。
 すべての講演が終わり、ティータイムには私が各テーブルを回って声をかけ、感想を聞いたり、質問を受けたりした。
 檀上から質疑応答をするよりも、みんなのなかに入っていった方が、親密感が湧くと思ったからだ。
 みなさんそれをすごく喜んでくださり、「また近いうちにぜひ来てください」とか、「クラシックは遠い存在だと思っていたけど、とても身近に感じられるようになった」とか、「難しい話だと思ってきたけど、とてもわかりやすかった」とか、「こんなふうに私たちのところを回って話しかけてくれる講師は初めてだ」とか、いろんなことをいってくれた。
 なかには、「自分が亡くなったときにどんな音楽をかけたらいいか」という質問もあり、大笑いしたが、「ショパンはモーツァルトのレクイエムを希望したんですよ」というと、その男性は「じゃ、私もレクイエムにする」といっていた。その隣の男性は、孫に聴かせる音楽は何がいいかという質問だった。
 また、ある女性からは、「ショパン・コンクールとチャイコフスキー・コンクールはどちらが上か」と聞かれた。
 時間は90分間だったが、ほとんどの人が「もっと話を聞きたい」「もっと長くてもいい」といってくれたので、ホッと胸をなでおろした。「飽きたからもっと短い方がいい」といわれなくて、本当によかったワ(笑)。
 今回も、ティータイムの時間を確保するためにどんどん時間が押してきて、私の悪いクセであるマシンガントークが炸裂。みなさんにその旨を話し、「聞きにくかったらもっとゆっくり、と声をかけてくださいね」というと、どっと笑われてしまった。
 というわけで、和気あいあいとした雰囲気のなか、あっというまに講座は終了。担当者のUさんが運転するレンタカーで福岡空港に直行し、飛行機に飛び乗った。
 前日は日田の町歩きを楽しみ、いろんな新しい発見があった。次回はそれを紹介しま〜す。
 今日の写真は、パトリア日田のシックな色合いの大ホール(やまびこ)と、紅色の小ホール(せせらぎ)。私の講演はスタジオ1で行われたが、いずれの会場も音響がよく、美しい木がふんだんに使われたモダンなデザインだった。
 このホールは、廊下やホワイエ、各会場との間などに設置されている広場などが非常にゆったりとしていて、その広さに驚かされた。
 そうした場所には椅子やテーブル、ソファなどが多く置かれていて、朝から晩まで自由に人々がくつろぎ、本を広げている人、学校の勉強をしている人、話し込んでいる人など、いろんな形で市民が憩いの場所として使用していた。
 また、ぜひ近いうちに講演ができれば、と願っている。




 
| クラシックを愛す | 22:28 | - | -
舘野泉
 今日は、東京オペラシティコンサートホールで13時30分から舘野泉「奇跡の左手」と題したリサイタルが行われた。
 舘野泉とは、「ショパン」時代からの長いおつきあい。以前、私が仕事の人間関係で非常に落ち込んでいたとき、たまたまある雑誌の対談相手に私を指名してくれ、おだやかな表情で話をしてくれるのを聞き、悩みがスーッと消えていくような感覚にとらわれた。
 舘野泉と話すと、いつも心が自然に落ち着き、本来の自分を取り戻すことができる。もちろん、演奏も同様で、今日の左手の演奏も、胸の奥に深く浸透してくるピアノだった。
 舘野泉が脳出血に倒れたのは2002年1月。右半身不随となるが、不屈の精神で2年後に「左手のピアニスト」として復帰した。その後、世界各地の作曲家から左手のための作品が数多く寄せられ、委嘱作品も増え、各地で初演を行ってきた。
 舘野泉は、「左手だけの演奏でもなにひとつ不自由はない。要は音楽そのものを弾いているのだから」と語る。病の暗い闇のなかから希望の世界へと導いてくれたのは、音楽だからと。
 いまは、左手のための委嘱作品を充実させることを第一の目的とした「左手の文庫(募金)」を設立。これは文化・社会貢献を担い、将来は舘野泉の意思により、ハンデをもつ音楽家の支援に役立てることを目指している。
 今日は、リサイタルの後、16時すぎからこの文庫に関する記者会見が行われた。
 舘野泉のために書かれた作品(2004〜2014)は66作品にのぼり、助成作品は36作品になるという。ピアノ・ソロ、3手連弾作品、ピアノとヴァイオリン作品、ピアノとチェロ作品、ピアノとクラリネット作品、そのほかの室内楽、ピアノとオーケストラ作品、編曲作品が含まれる。
 現在78歳だが、2016年には80歳記念としてのコンサートが組まれ、そこでは4曲のピアノ協奏曲が演奏される予定。
 池辺晋一郎の「西風に寄せて」、ヒンデミットの「ピアノとオーケストラのための音楽」日本初演、ウィーン・フィルのヴァイオリニストで作曲家のルネ・シュタールのピアノ協奏曲、そしてラヴェルの「左手のための協奏曲」というラインナップだ。
 今後もスケジュールはいっぱいで、練習しなくてはならない作品が山積みとのこと。しかし、そういう話をするときも、ゆったりペースでおだやかで自然体。あくまでも自分のスタイルを崩さない。
 
 この「左手の文庫(募金)」は、だれでも募金活動に参加できる。
口座名:左手の文庫募金 代表 舘野泉
銀行:三菱東京UFJ銀行
支店名:渋谷明治通支店 口座種別:普通
口座番号:3440111

事務局 ジャパン・アーツ内 03-3797-7698

 今日の写真は、記者会見の席上での舘野泉。楽譜をたくさん抱えている。多くの聴き手の心を癒し、勇気を与え、前に進力を与えてくれるそのピアニズム。隣は作曲家の吉松隆。今日のリサイタルのアンコールには吉松隆編曲によるカッチーニの「アヴェ・マリア」が演奏され、会場の涙を誘った。
 シューベルトの「アヴェ・マリア」とシベリウスの「フィンランディア」の吉松隆編曲版もあるそうだが、この2曲は館野泉自身が弾いていて泣けてしまうため、まだ演奏できないという。だが、もうすぐステージに登場するだろうとのこと。私たちは、それが演奏されたとき、涙をこらえることはできるのだろうか…。





 
| 親しき友との語らい | 22:50 | - | -
講演の準備
 パトリア日田の講演の準備をしている。
 今回は、2015年がピアノ・コンクールの当たり年ゆえ、ショパン・コンクール、チャイコフスキー・コンクール、リーズ・コンクール、浜松コンクールなど、国際コンクールの開催について歴史や課題曲、優勝者の顔ぶれ、そのコンクールのもつ影響力などに触れ、コンクール出身者でいま国際舞台で活躍しているピアニストのCDやDVDを使って演奏を紹介しようと思っている。
 講演の時間は90分。しかし、この講座はティータイムを設けていて、お茶とお菓子が出るため、最後の方を多少切り上げてティータイムに移り、私が参加してくれた人たちのなかに入っていろんな質問を受けたり、みんなと話をする形にしたいと考えている。その方が壇上から質疑応答をするよりも、親密的な雰囲気になると思うからだ。
 まず、膨大なCDの棚から適切な音源を探し出し、DVDも用意した。
 いつもこうした講演では、早口が爆発し、マシンガントークになる。時間が押してくればくるほどトークは炸裂。自分ではもっと抑えなくちゃと思うのだが、舌が勝手になめらかになり、聞いている人は唖然とした表情。
 まあ、今回は、ふだん静かでおだやかな町だろうから、人々も物静かでゆったりしているに違いない。あまり強い刺激を与えるとマズイよね(笑)。
 とはいえ、できる限り内容の濃い講演になるよう、ちょっと多めの音源をもっていこうと思う。
 そうそう、昨日の雨ですっかり花が散ってしまった我が家の山茶花だが、ひとつ大きな花をつけていた。この元気な姿に勇気づけられます。


 
 
 
| クラシックを愛す | 21:18 | - | -
出張前の仕事
 今週の土曜日から日曜日まで2日間、九州の日田のホールに講演に行くことは先日書いたが、やはり出張前になると、仕事がたてこんでくる。
 昨日は本当に久しぶりにフィットネスに顔を出し、トレーナーに「ワーッ、よし子さ〜ん、お久しぶり―。お帰りなさい」といわれてしまった。
 そうか、「お帰りなさい」となってしまうんだ。それほど長い間、こなかったということよね。
 トレーナーが体調を気遣ってくれたため、ちょっとソウルに出張があって、忙しくてこられなくて、といいわけをタラタラ。
「じゃ、本当にお帰りなさい、ですね。海外出張からお帰りなさ〜い。今日は久しぶりですから無理せずに、ウォーミングアップのつもりでやってくださいね」と明るく優しくいわれた。
 ところが、今日はまた原稿書きで缶詰状態。あかんなあ、またからだがバリバリだワー。
 それでも、なんとか今日の締め切り分は入稿し、レコード会社から送られてきライナーノーツの校正も済ませ、ようやくひと息。
 いまはチョン・キョンファの原稿をあちこちに書くことが多く、依頼のあった約半数は終了した。
 原稿に追われていると、犠牲になるのはルーフバルコニーの花壇の植木や草花の水やりだ。今日は朝から冷たい雨模様ゆえ、しばらく滞っていた水やりをしなくても大丈夫になったが、そんなにサボっていても、山茶花は元気にたくさん花をつけている。ホント、植物はエライなあ。
 今日は写真が撮れなかったため、明日、晴れたら健気な山茶花を紹介します。
 
 
| ああ愉しき(?)、締切り地獄 | 22:27 | - | -
ベートーヴェンの家
 昨秋、「家庭画報」の取材でウィーンを訪れた際、ウィーン楽友協会資料室長のオットー・ビーバ氏から、ベートーヴェンの残された家に関して新たな事実をいろいろ聞くことができた。
 というのは、現在ベートーヴェン・ハウスとして公開され、彼が住んだとされている家の多くが、事実とは異なっているというのである。
 ビーバ氏は長年に渡り、偉大な作曲家の足跡を研究し、ベートーヴェンについても当時の番地の表記や史実を分析し、残された手紙や楽譜、資料などから真実を探求し続けているそうだ。
 ただし、長年ベートーヴェンの家として公開され、ウィーンの名所として世界中から観光客が訪れているため、それを覆すのは至難の業で、明確な研究結果を発表することができない限り、否定はできないという。
 この話になった途端、ビーバ氏は一気に雄弁になり、自身の研究について雄弁に語り出した。
 私たち取材班が、「ガイドブックの情報しかもっていない」と嘆き、本当はそうではないといろんな史実を教えてくれた。
 そのひとつに、ビーバ氏が「ここは本当にベートーヴェンが住んだ家」と断言する家があった。まだ公表されていないため、住所は控えるが、その家を訪れると壁面にプレートが掲げられ、ベートーヴェンの住んだ年号が記されていた。
 ただし、現在は一般の人々の住居となっているため内覧はできなかった。こうした事実が明らかになれば、これまでの研究に大きな変化が現れるに違いない。
 ビーバ氏は、こうした事実を発表するための研究に、これからの人生のすべてを賭けると明言した。
 偉大なる作曲家にまつわる研究は世界中でいまなお続けられているが、こうした話を聞くことができ、ベートーヴェンの遺品についても多くのことを教えられ、ビーバ氏のインタビューは本当に実り多きものとなった。
 今日の写真は、そのベートーヴェンが実際に住んだとされているウィーン市内の家の外観。観光客はまったく訪れないひっそりとした通りに面した家で、ビーバ氏の話を思い出し、なんだか謎に包まれた、不思議な感覚にとらわれた。




 
 
| 麗しき旅の記憶 | 22:31 | - | -
トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団
 いよいよ今週末からトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の日本ツアーが始まる。
 2月20日から3月2日まで、大阪、東京、広島、福岡、金沢、名古屋、仙台、川崎の順で8公演が組まれている。
 この東芝グランドコンサートは毎年プログラムの原稿を書いているため、今日はいち早くプログラムが送られてきた。
 今回は、ソリストのルノー・カプソンと、ユリアンナ・アヴデーエワのインタビュー記事を担当している。
 ただし、カプソンの出演は2月21日のサントリーホールゆえ、聴きにいくことができない。この日は、先日も書いたように、九州の日田に講演にいくことになっているからだ。ああ、本当に残念。カプソンのサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番は、すごく聴きたいのに…。
 アヴデーエワは、3月2日のミューザ川崎シンフォニーホールだから、聴くことができる。こちらはショパンのピアノ協奏曲第1番である。
 トゥールーズは、1998年6月に取材で訪れたことがあるが、とてもおだやかな美しい町で、レンガ造りの建物の色が統一された、「ばら色の町」と呼ばれるにふさわしいところだった。
 あれからオーケストラの響きはどのように変化しだたろうか。私が訪れたときは、名指揮者の誉れ高いミシェル・プラッソンが首席指揮者の任にあり(現在は名誉指揮者)、オーケストラがぐんぐんと実力を伸ばしている時代だった。2008年にはトゥガン・ソヒエフが音楽監督に就任し、楽員もかなり若返り、いまやフランスを代表するオーケストラのひとつといわれるまでになった。
 ソヒエフは、1977年ロシア連邦北オセチア共和国生まれ。いま、若手指揮者のなかでもっとも注目されるひとりで、2012年からベルリン・ドイツ交響楽団の首席指揮者、2014年からモスクワ・ボリショイ劇場の音楽監督・首席指揮者も務めているという超多忙な身。
 今回の演目は、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」、リムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」など、想像力を喚起する物語性豊かな作品が組まれている。
 今日の写真は、できあがったばかりのプログラムの表紙。さあ、各地にフランスの歌心あふれるオーケストラの音色が響く。ソヒエフの手腕が思いっきり発揮されるに違いない。


 
| 情報・特急便 | 23:13 | - | -
牛田智大
 牛田智大は、演奏を聴くたびに大きな成長を示し、若芽がぐんぐん空に向かって伸びていくような勢いを見せている。
 今日は、東京オペラシティコンサートホールでリサイタルがあった。
 最近は、モスクワ音楽院ジュニア・カレッジに在籍。ユーリ・スレサレフ(モスクワ音楽院教授)、ウラディミル・オフチニコフ(モスクワ音楽院付属中央音楽学校校長)の各氏に師事し、ロシア作品を学んでいるため、今日のプログラムにもプロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」と、ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番が入っていた。
 身長もだいぶ伸び、すっかり大人っぽくなった牛田智大は、まずモーツァルトのピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付」で、変わらぬ清涼で純粋でまっすぐな音楽を披露。ピアノを弾くことが楽しくてたまらない、といった表情も以前とまったく変わらない。
 次いでプロコフィエフが登場。ロシアの先生たちから学んでいるロシア音楽の神髄を遺憾なく発揮した演奏だったが、この作品はやはり肉厚で深遠で暗い情熱がただよう曲想ゆえ、より分厚く野太く強靭なタッチが必要だと思われる。
 ただし、全編を支配するロシア的な抒情、プロコフィエフならではの個性的な旋律美、斬新な和声やリズム、多分にシニカルでクールな表情、均整のとれた構成などを鋭敏な感性でとらえ、ひたむきに表現している様子に、日々のたゆまぬ研鑽と努力を強く感じさせられた。
 後半は、ベートーヴェン/ラフマニノフの劇付随音楽「アテネの廃墟」よりトルコ行進曲、バガテル「エリーゼのために」に次いでピアノ・ソナタ第14番「月光」が演奏された。
 この「月光」が、現在の牛田智大の心情を存分に表している。みずみずしく、淡々と、特有の美音で紡いでいく「月光」は、聴き手の心にゆったりと染み入ってくる演奏で、ベートーヴェンのあふれんばかりのロマンを描き出していた。
 そして最後はラフマニノフ。これは冒頭から強靭なタッチが飛び出し、最後まで一気に聴かせた。一瞬たりとも弛緩することなく、哀愁を帯びた表情、ラフマニノフ特有の情感、ラブソディックな表現など、フィナーレにいくにつれ、熱気を帯びてくる。
 牛田智大は、ラフマニノフが大好きなのだろう。その作品に対する深い共感が熱演につながっているようだ。
 終演後、楽屋で会った彼は、まだラフマニノフの余韻のなかにいるような、紅潮した表情をしていた。
 モスクワ音楽院の先生たちに師事し、ロシア作品のレパートリーを徐々に広げている彼は、ペダルリングも変わってきた。次回の演奏も楽しみだ。
 今日の写真は、演奏が終わってもなお、音楽のなかに身を置いているような牛田智大。もっともっと成長してほしい、もっともっと前に進んでほしいと切に願うのは、デビュー当初からずっと聴き続け、取材を行っている私の欲なのかもしれない。


 
| クラシックを愛す | 23:02 | - | -
雑誌の打ち合わせ
 以前、ある雑誌で編集を担当していた人が、会社を退社し、フリーのエディター兼ライターとして活動するようになった。
 今日、その彼と西荻窪で雑誌の打ち合わせをした。彼は荻窪に住んでいるからだ。
 Kさんとは何度も仕事を組み、いつもいろんな話をしてきた。私がその雑誌にクラシック以外の記事(サッカーのロベルト・バッジョについて)を書いたこともある。
 いまは、女性誌の仕事をメインにしているそうで、ふたりでクラシックの企画をいろいろ出し合い、話し込んだ。
 来週、編集長との打ち合わせがあるそうだ。なんとか、いい形でページが取れるといいな。
 いまは、女性誌など一般誌でクラシックのページを確保するのが至難の業だ。どんなに偉大なアーティストや実力派、または輝かしい新人などのインタビューを提案しても、担当者があまり興味を示してくれない。とても残念である。
 それでも、私はめげずに自分の紹介したい人、情報を発信すべき人、演奏を聴いてもらいたい人をプッシュし、前向きに対処していく。
 だが、本当にクラシックのアーティストを取り上げてもらうのは難しい。いつもどうしたら興味をもってもらえるか、頭を悩ませている。
 Kさんの話は、そんな私に大きな勇気を与えてくれた。すぐにページが取れなくても、いまに可能になるのでは、と希望をもたせてくれる。それまで、企画をどんどん出し続けようっと。
 
 

 
| 親しき友との語らい | 22:50 | - | -
伊藤恵
 ピアニストの伊藤恵と話すと、いつもいろんな方面に話題が広がり、インタビューということを忘れて、時間が過ぎても話し込んでしまう。
 今日は「CDジャーナル」のインタビューで、銀座の音楽事務所に出かけた。
 彼女に会うのは、久しぶり。最初は5月13日にリリースされる「シューベルト ピアノ作品集6」(フォンテック)と、4月29日に紀尾井ホールで行われる「新・春をはこぶコンサート 8年連続コンサート」の最終回(シューベルトのピアノ・ソナタ第19番、第20番、第21番)の話を聞いていたのだが、やがてそれがさまざまな方向に飛び火していき、ミュンヘン留学時代に聴いた偉大な音楽家たちの演奏からシューマンやシューベルトの作曲家への熱き思い、現代のピアニストたちの話、そして趣味の映画から読書までとめどなく広がり、あっというまに時間が過ぎてしまった。
 伊藤恵はいま哲学の本を読んでいるといい、その本に私も興味を抱き、さらに雑誌の編集担当のIさんも読書家ゆえ、またまた各地のこだわり書店の話まで拡散(笑)。
 だが、私はいつも伊藤恵の話を聞くたびに、真摯に作品と対峙している姿勢に感銘を受ける。彼女はそれがごく自然で、いかにも勉強していますという様子は見られない。本当にその作品が好きで好きでたまらない、という感じがひしひしと伝わってくるのである。
 こういう人が演奏するピアノは、聴き手をその作品の奥へと自然にいざなうもの。彼女はいまシューベルトに真っ向から向き合っているが、長年シューベルトは封印していた。ザルツブルク留学時代にザルツブルク音楽祭で聴いた、アルフレート・ブレンデルのシューベルト最晩年の第19番から第21番のピアノ・ソナタの演奏に大きな衝撃を受け、命を削るようなその演奏に涙が止まらなかったという。そのシューベルトを聴き、自分はなんて甘かったのだろうかと考え、長年シューベルトを弾くことはできなかった。
「ようやく8年前に封印を解いたのですが、弾けば弾くほど奥が深く、生涯学び続けなくては、と思います」
 こうした話が次々に現れ、本当に内容の濃いインタビューとなった。もちろん書店の話などにも広がったが、基本は音楽の話から逸れていない。
 今日の写真は、インタビュー後の1枚。シューベルトの新譜もリサイタルも、本当に楽しみだ。
「私も命を削るような演奏をしたい」
 最後にこう語った彼女の表情が忘れられない。


 
| 親しき友との語らい | 22:46 | - | -
ポチコロベーグル
 西荻窪南口から徒歩3分ほどのところに、ポチコロベーグルという小さなベーグル屋さんがある。
 仲通街をまっすぐ進み、洋食屋「華」の右横にある階段を上った2階にあるお店で、よほど注意していないと通りすぎてしまう。
 ところが、おいしい物はみんなよく知っていて、午前中に10種類ほどのベーグルとバナナケーキなどのスイーツが焼き上がるのだが、午後になるともうほとんど売り切れ。最初は知らずに夕方いったら、買いたい物はすべて、見事なまでになかった。
 というわけで、ポチコロベーグルにいくときは、お昼までにいくに限る。
 私は、特にベーグルが好きなわけではなく、あまり堅いパンは好きではないのだが、ここのベーグルはなかがモチモチで、横にスライスしてトースターで焼くと、カリッとしてとてもおいしい。
 今日の写真は、お店の入口にある看板。



 もう1枚は、お薦めベーグル。朝食に最適のプレーン(ジャムとバターをたっぷりつけると合う)、らい麦いちじく(おやつにも向いている。これはクリームチーズを乗せると、すこぶる美味)、オニオンチーズ(これは、まさにワインやビールの友)。このほか、じゃがいもの入った物もあり、それもクセになる味わいだ。



 女性3人がてきぱき働いていて、接客もとても感じがいい。ベーグル・ファンはぜひ一度お試しあれ。
 
| 西荻はおいしい | 18:58 | - | -
メルビッシュ湖上音楽祭ジャパン・ツアー2015
 今日は、オーストリア大使館の大使公邸で、「メルビッシュ湖上音楽祭ジャパン・ツアー2015」のプレス発表会が行われた。
 この世界最大級の野外オペレッタ・フェスティヴァルとして名高いメルビッシュ湖上音楽祭は、1957年にオーストリアのブルゲンラント州に位置する世界遺産ノイジードル湖上で開始され、約60年に渡り、門外不出の音楽祭といわれてきた。毎夏20万人もの観客が世界各地から集まり、湖に浮かぶ5000屬箸い広大な舞台で繰り広げられるオペレッタに酔いしれる。
 創設当初は沼地や草原のような場所で行われ、歌手もオーケストラのメンバーも蚊に悩まされたそうだが、徐々に規模が大きくなり、整備され、現在は7000席を有し、照明や音響設備も整い、衣装も華やか。レストランやカフェも充実するようになった。
 2012年に350名の候補者から選出された、ダグマー・シェレンベルガーが総裁に就任し、ようやく長年の交渉が実って日本公演が可能になったという。
 日本公演は9月3日(愛知県芸術劇場大ホール)、9月5日(ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ大ホール)、9月6日(グランシップ 静岡県コンベンションアーツセンター これはまだ予定)、9月8日(アクロス福岡シンフォニーホール)、9月10日、11日(河口湖ステラシアター)で開催される。
 演目は、J.シュトラウスの「こうもり」。
 今日は演出を手掛け、「こうもり」のフロッシュもうたうことになっているゲアハルト・エルンストが記者会見にも駆けつけ、日本公演への抱負、演出の内容、音楽祭の魅力などを雄弁に語った。
 この人は歌手ならではのトークで、演出について話していると、突然「ここはこういう感じで」とうたい出す。その声の肉厚でよく通ること。それも一度だけではなく、何度も歌声が飛び出した。
 体躯堂々、明朗で、まさにオペレッタの舞台にピッタリ。
 なお、今年の7月9日から8月22日にかけて開催されるメルビッシュ湖上音楽祭の演目は、J.シュトラウスの「ヴェネツィアの一夜」。
 会見を聞いているうちに、現地に取材に行きたくなってしまった。真夏の湖で聴くオペレッタ、きっと心に深く刻まれる思い出深い演奏になるに違いない。
 今日の写真は記者発表の様子。右からペーター・シュトーラー(オーストリア大使館文化担当公使)、松田暁子(ドイツ語通訳)、ゲアハルト・エルンスト(演出家、俳優)、原源郎(プロアルテムジケ代表取締役社長)。



 もう1枚は、ゲアハルト・エルンスト。近くで会うと、迫力十分。話し声も胸の奥から出てくる感じで、身体全体が共鳴していた。もっとうたってもらいたかったな(笑)。



 
 
| 情報・特急便 | 22:22 | - | -
ホールでの講演
 2月21日から22日まで、一泊二日で九州のパトリア日田(ホール)に講演にいくことになった。
 これはかなり前から決まっていた予定だが、仕事というのは重なるときは重なるもので、この2日間に仕事の依頼が集中した。
 名古屋でのコンサート取材、アーティストのインタビュー、公演評を書くことなど、1日でもずれてくれればいいのに、この日に集中している。
 どうしてこうなるのかよくわからないが、先日のソウル出張も、その2日間に仕事のオファーが重なっていた。
 なんとも不思議なものだ。
 地方に講演にいく場合、かなり前にスケジュールが決まる。ホールをおさえることと、聴いてくれる人を募集するため、半年くらいは必要となる。
 パトリア日田は、とてもすばらしいホールのようだ。
 羽田空港から福岡空港までいき、そこからレンタカーで移動することになっている。所在地は、大分県日田市である。
 最初は日帰りの予定だったが、担当者と打ち合わせをするなかで、日田には重要文化財に指定されている小鹿田焼きの窯元があることが判明し、私がぜひそこを訪れたいといったことから、一泊することになった次第である。
 というわけで、担当の女性ふたりと私の3人で、福岡空港から大分県の日田市までレンタカーで移動し、小鹿田焼きの里まで足を伸ばすことになった。
 いったいどんなところだろうか、胸が高鳴る思いだ。この町にはその土地独特のおいしい物がたくさんあり、食事処も充実しているとか。
 女3人で打ち合わせをしているうちに、仕事はそっちのけで食べ物や小鹿田焼きの話ばかりになり、かしましいことといったら(笑)。 
 でも、私は講演にいくわけだから、しっかり下準備をしていかなくてはならない。100人限定で、ティータイムも設けられている。みなさんが楽しく、飽きることなく聴いてくれるような工夫をし、90分の講演を成功させなくては…。
 また、そのときの様子はじっくり報告します。お楽しみに〜。
 
| 日々つづれ織り | 20:59 | - | -
韓国の焼肉
 先日のソウル出張では、みんなでおいしい焼肉を食べにいった。
 そのお店はおいしいと評判で、ホテルのすぐ近くだったため、極寒の外をそんなに長く歩かずに済んだ。
 焼肉はもちろん炭火。お肉はお店の人が焼いて、それぞれのお皿に切り分けてくれるスタイル。お肉ももちろんおいしかったが、全員がもっとも感動したのが野菜料理の多彩さ。辛いものだけではなく、甘みのある味付けや酸味の効いたものなど、次々に出てきてどれもびっくりするくらいおいしい。
 こんなにも野菜料理が豊富なんだと、関心してしまった。焼肉屋さんなのに、ヘルシーなのねえ。
 一番みんなの話題を集めたのが、「炭おじさん」の話題。お肉を焼いた後、アツアツの炭が入ったコンロを、手袋をはめた男性がやってきて、さっともっていってしまう。なんとも手際がいい。これは、炭を削って、お肉から落ちた油分を落とし、また使うのだそうだ。
 ところ変われば、いろんな発見があるものだ。韓国の焼肉屋さんにいっただけで、いままで知らなかったことをいろいろ学ぶことができた。
 今日の写真は、一番おいしかった野菜料理、青菜の炒め物。それからお店の人がお肉を焼いているところ。
 こういうお料理をいただいた後はからだがほかほかと温まり、食後にホテルまで歩いてもまったく寒さを感じなかった。やっぱり韓国料理って、からだを芯から燃やすのねえ、次の日もみんなとっても元気だったもの(笑)。




 
| 美味なるダイアリー | 22:03 | - | -
ネルソン・フレイレ
 昨年、ピアニストのネルソン・フレイレにインタビューし、そのときの様子を10月16日のブログに綴った。
 このとき動物好きの彼はスマホで自身のペットの動画を探し、それを見せてくれたのだが、「CDジャーナル」2月号にそのインタビュー記事が掲載され、編集部の方がYou Tubeの動画を調べ、そのアドレスを載せてくれた。
 リオデジャネイロのフレイレの自宅にいるボクサー犬が、彼の演奏するヴィラ=ロボスの曲を聴いて目がウルウルになるというのは、「Nelson Freire with his dog,plays Villa-Lobos」で視聴可能。
 なお、フレイレのドキュメンタリー映像は、「Nelson Freire-Documentary(Complete)」で視聴可能だ。
 フレイレのインタビューは短時間ながら、とても有意義な内容だったが、とにかく時間が短かすぎた。
 というのは、彼はこの来日時の共演者である指揮者のワレリー・ゲルギエフとランチを食べていて、つい話が長くなり、インタビューに遅れてきたのである。
 部屋に入ってくるなり、「申し訳ない、申し訳ない」と平謝り。私はフレイレが大好きなので、「大丈夫、すぐ始めましょう」といったのだが、インタビューの途中でこのペットの話題になり、動画を探す方に一生懸命になってしまったという次第。
 インタビューに不測の事態はつきものだが、このときも冷や汗をかいたものだ。
 でも、それによって動画が見られることになったので、まあ、終わりよければ、ということだろうか。許してあげましょう(笑)。
 ぜひ、フレイレの動画、見てくださいね。とてもおもしろいので。
 
 
| アーティスト・クローズアップ | 21:57 | - | -
新譜、資料、書籍が満載
 毎月同じことを書いているが、月末から月始めの時期は、レコード会社から新譜が一気に送られてくる。もちろん、新譜評を書くためにひとつひとつ吟味し、じっくり聴いていくわけだが、いつも時間が足りないのが悩み。
 ここに各社から、紙資料がドーンと送られてくる。これもまた、整理しなくてはならない。ちょっと気を緩めると、すぐにごちゃごちゃになってしまい、収拾がつかなくなる。
 宅急便、メール便、郵便、FAX、メールと、さまざまな方法で資料が届く。それに返事をするだけでも、かなりの時間を要する。
 これも大切な仕事だから、手を抜くわけにはいかないが、頭のなかはすでにごちゃごちゃだ(笑)。
 最近は、書籍がいくつかたまり、読まなくてはならない本がたまってしまった。読書は楽しいが、原稿の締め切りが重なっているときは、本はどうしても後回しになってしまう。
 それでも、原稿に関係した本から順次読み、1冊読み終わったころには、完全に眼精疲労が巡ってくる。ホント、困ったもんだよね。
 先日、あまり目が疲れたので、いつも通っている近所の自然食品屋さんのご主人にちょっと相談したら、親身になって聞いてくれ、発酵カシスを薦めてくれた。
 これは大体5倍に薄めて飲むといいそうだ。ニュージーランドのカシスに北海道産の甜菜糖が使われ、アントシアニンがたっぷり。
 早速、ちょっとずつ飲んでいる。少しは効き目があるだろうか。
 それにしても、目を酷使する時代になった。パソコンやスマホだけでも疲れるが、その上、何時間も読書をするとなると、やはり大変だ。
 今日の原稿は一応終わったけど、これから本を読むのは、もうやめにしよう。今日の写真は、私のお助けマンのカシス。「美と健康に大自然の恵み」と書いてある。また、ちょびっと飲もうかな。おや、もうだいぶ減ってきたなあ(笑)。


 
 
| ああ愉しき(?)、締切り地獄 | 22:27 | - | -
すんき
 松本に住む親友のTちゃんが、木曽名物のすんきを送ってくれた。
 今日は朝からみぞれ交じりの天気で、午後には雪が降るという。一日中、原稿書きに追われているため、外の天気はあまり関係なかったが、やはり雪は気になる。
 そのなかで、朝からねじり鉢巻きで原稿と取り組んでいたら、突然すんきの箱が届いた。
 開けてみると、すんきのほかに、木曽伝統の赤かぶ漬、安曇野の葉わさび、信州八坂自然村の花豆、そして彼女のいとこが作っているという紅芯というかぶも入っている。
 うわあ、すごい。山の香りがし、清涼な空気まで伝わってくるようだ。
 原稿の手を止め、花豆はすぐに水に浸して明日調理する準備をし、すんきは保存用の器に移し、赤かぶは刻んですぐ食べられるようにした。
 すんきは、植物性乳酸菌の宝庫として知られ、アレルギーに利くということでいま大人気だ。塩をまったく使用しない天然の健康食品で、木曽地方に古くから伝わる保存食のひとつだそうだ。
 赤かぶの葉を乳酸発酵させた漬物で、ちょっと酸っぱく、自然なうまみがクセになるという感じ。
 私もアレルギー性鼻炎があるため、ちょっと空気の変わったところに入るとくしゃみが止まらなくなる。ホールやデパートや飛行機など。特に仕事柄、コンサートホールではマスクが離せない。弱音の演奏のときにくしゃみを連発したら、にらまれてしまうからだ。
 このすんきは、私にとってとても大切な食材。少しずついただいて、アレルギーを吹き飛ばしたい。
 Tちゃん、ありがとう。原稿書きで、肩こり、腰痛、眼精疲労に悩まされていたけど、元気を取り戻しました。また、夜まで頑張れま〜す。
 今日の写真は、届いたばかりの山の幸。明日は、花豆を煮ようっと。

| 美味なるダイアリー | 21:33 | - | -
キョンファのティーカップ
 ソウルでのチョン・キョンファのインタビューは、現代アートの美術館で行われた。
 インタビュー終了後、取材陣がいろいろかたづけをしているとき、彼女がちょっと席をはずした。
 そして戻ってくると、各人にお土産をプレゼントしてくれた。その場で開けると、各人それぞれ異なるカップが入っていた。
 私のほかにもうひとり、名古屋から参加した新聞記者の男性がインタビューをしたのだが、彼は焼き物に興味があるといって、インタビューのときに韓国の陶器の話をしていた。その彼には、渋い色のコーヒーカップが贈られた。
 私は居合わせた全員が食後にコーヒーを頼んだのに対し、ひとりだけ紅茶を頼んだ。それを注意深く観察していたのだろうか、すばらしいモノトーンのティーカップが入っていた。
 これを見て、みんながチョン・キョンファの慧眼に驚いたものだ。
 これらのカップは美術館のなかにあるショップで売られているもので、すべて現代のデザイナーによる作品。
 私がいただいたティーカップは、ウーロン茶用になかに磁器の茶こしがしつらえてあるタイプと同様のもので、とてもどっしりとしている。
 いつも人にいわれるのだが、私は仕事のときは黒やグレーなどモノトーンの服装をしている。その洋服にも合う色合いのものだった。
 本当に、チョン・キョンファのこまやかで心のこもった、しかも人の趣味を即座に見抜く力に驚いてしまった。
 いまは、毎朝このカップで紅茶を飲むたびに、彼女のことを思い出す。
 今日の写真は、キョンファのティーカップ。モダンでしょう。

| 麗しき旅の記憶 | 21:11 | - | -
韓国の食材
 先日のソウル出張の折、仕事の合間を縫って、一緒にいったKさんとデパ地下巡りをした。
 彼女も私もブランド品にはあまり興味がなく、もっぱら食べ物に気持ちが向いている。それゆえ、デパートでは地下に直行。
 ソウルの食材は見事なまでに種類が多く、各売り場には商品が山積み。日本ではそういうことはあまりないが、ここでは通りかかる人に大声で商品の売り込みをする。その女性たちのエネルギッシュなことといったら、こちらがたじたじになるほど熱心だ。
 そうした営業からかろやかに身をこなしながら、自分の目指す物を探し出し、それをゲットするのは結構スリルがあり、また、おもしろい。
 イートインも多く、それぞれのお店で食べている物を横目でチラリと見たが、ものすごくおいしそうだった。
 肉まんを皮から作っているお店もあり、ビビンバ丼やご飯ものをパックにしてたくさん並べているところもあった。



 キムチや焼き肉はもちろんのこと、カニ、アワビ、海苔など海産物の豊富さにも目を見張った。本当に韓国人は、食べることに大いなる情熱を傾けているようだ。





 聞くところによると、ウィークデイには家庭でほとんど夕食を食べないそうで、みんな仕事の合間に外食をし、また職場に戻るのだという。残業もかなり多いようだ。それでこんなにもイートインが発達しているのかと納得した次第。
 今日の写真は、選びに選んで購入したコチュジャン味噌、ゆず茶、韓国海苔(岩ノリ)、えごまのごま油。これからゆっくり楽しめそうだ。
 ひとつだけ残念だったのは、チャプチェ用の春雨が買えなかったこと。これはかなりかさばり、トランクに入れないとダメな大きさ。1泊用の小さなキャリーバッグしかもっていかなかったため、入らないことと、投げられたら粉々に割れてしまうに違いない。というわけで、あえなく断念。



 Kさんとふたりで、「いくら見ても飽きないねえ」といいながら、隅々まで眺め、いろんな試食もし、大満足のデパ地下巡りだった。
 
| 麗しき旅の記憶 | 15:16 | - | -
アルド・チッコリーニ
 イタリア出身で、現在はフランス国籍のピアニスト、アルド・チッコリーニが、2月1日パリ郊外のアニエール=シュル=セーヌの自宅で亡くなった。享年89。
 日本の音楽事務所が伝えるところによると、ここ数週間、体調を崩して入院していたものの、退院して自宅に戻ったところで帰らぬ人となったそうだ。
 最後の来日公演は昨年の6月で、そのときの様子は6月18日のブログに綴った。
 今年は90歳を記念し、日本と日本の聴衆を深く愛していた彼は、11 月から12 月にかけて記念公演を行うことになっていた。
 実は、昨年インタビューを申し込んであったのだが、スケジュールの関係で行うことができず、今年は実現可能になる予定だった。本当に残念だ。
 チッコリーニは80歳を超えてなお精力的に舞台に立ち、エネルギーあふれる演奏を聴かせてくれた。そして、録音も数多く残されている。
 いまはそれを反芻し、すばらしい演奏を思い出すことしかできない。同時代に生きていてよかった、と心から思わせてくれるピアニストだった。
 今日の写真は、私の大好きなチッコリーニのアルバムの1枚のジャケット(キングインターナショナル)。モーツァルトの幻想曲、ピアノ・ソナタ第14番、第12番とクレメンティのピアノ・ソナタが入っている。チッコリーニはこの解説書のなかでこう語っている。
「私は何かを演奏するのに、急ぎすぎることはありません。自分をそこに見いだす時間が必要なのです」
 ゆったりと円熟したピアニズムで披露するモーツァルトとクレメンティが、そのことばの真意を表現している。


 
| 情報・特急便 | 19:49 | - | -
ミッシャ・マイスキー
 ミッシャ・マイスキーによるJ.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」は、これまで何度も聴いてきた。
 だが、今日の東京文化会館小ホールでの「プラチナ・シリーズ 巨匠マイスキーの無伴奏」は、特別な演奏だった。
 親密的で響きのよい小ホールに、マイスキーの深々とした肉厚なチェロの音色が朗々と響いていく。第1番、第4番、第5番というプログラムで、いずれも心に染み入る音楽だったが、とりわけ第5番が厳粛で繊細で優美、しかも豊かな歌が全編を彩っていた。
 今回のリサイタルは、東京文化会館の冊子「音脈」と演奏会チラシの原稿を書いたため、早くから公演を知っていて、非常に楽しみにしていた。
 この空間で聴くバッハは、本当に贅沢な音楽だ。いつもはもっと大きなホールゆえ、チェロの音が拡散してしまうことが多い。しかし、このホールでは弓のきしむ音や弦のこすれる音まですべてリアルに聴こえてくる。それゆえ、新たなバッハを発見する、えもいわれぬ喜びに満ちたひとときとなった。
 マイスキーは、この作品に関し、いつもこう語っている。
「年齢を経るごとに、私の演奏は若くなっていく気がします。バッハの無伴奏も、若いころは生真面目で一生懸命に演奏していて、多分に堅い感じでしたが、2度目の録音のころから自由で自然な演奏ができるようになりました。いまはもう、演奏するたびにより大きな自由が得られるようになっています」
 まさに、いずれの作品も装飾音が自由自在に加えられ、テンポも生き生きとした速さを保ち、その奥に演奏する楽しさが見え隠れしている。
 終演後、楽屋を訪ねると、パソコンに入っている子どもの写真をたくさん見せてくれた。
 マイスキーは、いまの奥さまとの間に3人の子どもがいるが、もうすぐ4人目の子どもが生まれる予定だ。
 彼は苦難の人生を経験し、当初はそれが演奏に全面的に反映していたが、いまは幸福な人生を歩んでいる。子どもの写真を満面の笑みをたたえながら見せてくれるその表情を見ながら、私は本当によかったと心から思った。
 マイスキーの本を書いたころは、彼が人生の闇を語るその辛そうな表情に、ここでインタビューをやめようかとも思った。いまのおだやかな表情は、想像ができないほどだった。
 彼はいう。
「私の人生は極端なんですよ。すごくいいか、すごく悪いか。いまはすべてを受け入れ、子どもたちの幸せを願っています」
 今日の写真はにこやかな笑みを見せるマイスキー。彼のタブレットには3人の子どもたちの写真が刻印されている。もうすぐ、ひとり付け加えた写真に変えなくちゃね(笑)。



| 親しき友との語らい | 21:40 | - | -
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