Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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エリソ・ヴィルサラーゼ
 2014年、11年ぶりに来日公演を行ったエリソ・ヴィルサラーゼ。ユーリ・テミルカーノフ率いるサンクトペテルブルク・フィルとの共演、そしてリサイタルとわれわれ聴衆を感動の渦に包み込んだ。
 その来日時、霧島国際音楽祭のコンサートやマスタークラスを控えている彼女に、音楽家としてのポリシーや、指導者としての思いを聞くことができた。
 インタビュー・アーカイヴ第68回は、ヴィルサラーゼの登場。数多くのインタビューのなかでも、とりわけ印象深いひとときとなった。

[音楽の友 2014年4月号]

音楽家であるために必要なこと 

20年間同じ曲を弾いていても、常に作品に新たな息吹を吹き込むという思いが大切。音楽は生き物なのよ。

私のモットーは、常に驚きをもつことなのです。 

 真のピアノ好きに愛されているエリソ・ヴィルサラーゼが、オーケストラとの共演とソロ・リサイタルの両方で1月末から2月にかけて待望の来日を果たし、まさにピアノ・ファンの心を深く魅了する演奏を披露した。
 コンチェルトは自家薬籠中の「チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番」。ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルとの共演で、冒頭からこれまで聴いたことのないような新しい光を帯びたチャイコフスキーが登場。フィナーレまで作品の奥に潜む本質に迫る洞察力の深さを示した。
 テミルカーノフは、事前に「今回のエリソのチャイコフスキーは、まったく新しい作品に出合うような衝撃を与えるだろう」と語っているが、まさしく彼女の演奏は、聴き慣れた作品とは思えぬ光輝くような新鮮さを与えてくれた。 
 今回は、まずそのチャイコフスキーの話題から開始。まるで異なった作品のように思えたが、特別な版を使用しているのだろうか。
「いいえ、みんなと同じ版よ。特別なものはまったく使っていないわ。私の演奏が新鮮に聴こえたとしたら、それは私の信念が演奏に反映したからだと思います。聴衆が新鮮さを感じないような演奏をする音楽家は、もうステージから去るべきね。20年間同じ曲を弾いていても、常に作品に新たな息吹を吹き込むという思いが大切。音楽は生き物なのよ。マエストロ・テミルカーノフは、今回もまるで30歳の指揮者のような若々しくみずみずしい音楽を生み出したでしょう。これが音楽家たる姿勢であり、感動を呼ぶことにつながるの」
 ヴィルサラーゼはどんな質問に対しても凛とした口調でことばを尽くし、本音で語る。
「私のモットーは、常に驚きをもつことなんです。驚いたり、好奇心をもったり、感激したりという感情をもつことにより、自分のなかの感性が磨かれ、それが音楽と対峙するときにとても役立つわけです」
 たとえば、といって彼女は京都の清水寺の舞台から見た風景を例に挙げた。
「私はあの舞台から見る美しい光景に、いつも息が止まるような思いを抱きます。でも、毎回同じではありません。より深く見て感じて、自分の感情と向き合うから。自然に勝る芸術はないと思いますが、自然の美しさに近いのが音楽だと思います。ですからもう何度弾いたかわからないチャイコフスキーのコンチェルトも、毎回異なる演奏を心がけています。これまでザンデルリンク、コンドラシン、スヴェトラーノフ、ドラティなど多くの指揮者と共演してきましたが、そのつど違う音楽が生まれます。もちろんこの曲に関してはテミルカーノフとの共演がもっとも多いですね。目指している方向が同じなので、有意義です」

ピアニストはエゴイストなんですよ。でも、それでは教える仕事はできません。


 リサイタルでは「シューマン弾き」と称される彼女の「交響的練習曲」が披露され、ロシア・ピアニズムの伝統を引き継いだ奏法、表現力が遺憾なく発揮された。19世紀から20世紀初頭にかけてのロシアの偉大なピアニストの演奏をほうふつとさせ、アンコールにいたるまで夢のなかにいるような錯覚を覚えた。
「シューマンは8歳のころ《子どものためのアルバム》を弾き始めたのですが、すべての曲が楽しくてたまらなかったわ。以後いろんな曲を弾くようになったけど、シューマンは時間をかけて少しずつ作品に近づいていく作曲家だと思います。急いではダメ。現在はコンピューター社会で、なんでもすぐに調べられ、早く結果が出せるようになり、若いピアニストも早く成功したいと望んでいます。でも、それでは作品の真の意味合いに近づくことはできません。楽譜を深く読み、ひとつひとつの音符、記号をじっくり考え、完全に自分のものにしていかなくては…」
 ヴィルサラーゼはモスクワ音楽院とミュンヘン音楽大学で教鞭を執っているが、最近の生徒はみな時代の変化に振り回されていると嘆く。先生の質も低下しているのが現状だと。
「ピアニストはエゴイストなんですよ。自分が苦労して学んで身につけてきたこと、積み重ねてきたことは他人に譲りたくないものなのです。でも、それでは教える仕事はできません。演奏家と教育者はまるで別物。教えることは責任を伴うし、もっとも大切なのは教えることが好きなこと。いまは先生の質が変化し、残念ながら本気で教えることに命を賭ける人が少なくなっていますね」
 ヴィルサラーゼはトビリシ音楽院教授の祖母アナスターシャ、彼女の親しい友人だったゲンリフ・ネイガウス、そしてヤコフ・ザークから学ぶことができた。そうした人たちの誠意ある教え、音楽と真摯に向き合う姿勢がいまの自分の糧になっているという。
「私は幸運なことに、すばらしい先生に巡り会うことができました。でも、ピアノを本格的に始めたのは8歳で、かなり遅かったですし、祖母は最初のころは身内に教えたがらなかった。そこで私は自分で学ぶ方法を見つけたのです。祖母のお弟子さんが弾く曲を耳からすべて覚えて弾くことができたので、子どものころは楽譜を読むのは大嫌いでした。あるとき祖母が足を怪我して外に出られなくなってしまったため、私は自分で学ばざるをえなくなったのです。そのときに楽譜をしっかり読む訓練をしました」
 このころから「音楽は無限の力をもって聴き手の心の奥に感動を届けることができる」と信じ、作品の本質に迫っていくようになる。
 ヴィルサラーゼの演奏が聴き手の心を強く捉えるのはこうした考えゆえだろう。彼女はひとつひとつの音符、フレーズ、リズムなどに時間をかけて対峙し、その音楽がもつ性格や法則をとことん探求していく。
「焦りは禁物」と何度も口にし、けっして同じ演奏はしない、常に新鮮でありたいという。最後にひとこと、「ひとつのシーズンである曲を取り上げたら、しばらく置いておく。10年後にまたそれを弾くと驚きがあるのよ!」。これがエリソ・ヴィルサラーゼの音楽の神髄ではないだろうか。

 このインタビューの数日後、あるパーティでヴィルサラーゼに会った。すると、「あらあ、この間はありがとう」といって、強く抱きしめてくれた。
 こちらがお礼をいうべきなのに、逆にいわれてしまった。
 なんと温かく、ヒューマンで、優しく、寛大な人なのだろう。こういう人に指導を受けるピアニストは、とても幸せだ。レッスンはとてもきびしいといわれているが、それこそヴィルサラーゼの身上である。
 今日の写真は、その雑誌の一部。真っ黒な髪のボブスタイルが、彼女の個性を際立たせている。


| インタビュー・アーカイヴ | 21:32 | - | -
MUSIC BIRD
 今日は、TOKYO FMの高音質「音楽専門」衛星デジタルラジオMUSIC BIRDの収録にいった。
 番組名は「ウィークエンド・スペシャル」で、タイトルは「エリソ・ヴィルサラーゼ〜ロシア・ピアニズムの継承」である。
 放送は2016年6月12日(日)16:00〜22:00、再放送は6月18日(土)12:00〜18:00の予定となっている。
 5時間半に渡る演奏は、やはりヴィルサラーゼの得意とするシューマンやシューベルト、ショパンを中心に選んだ。
 その曲の間に、4分ほどのトークを入れていく形で収録が進められた。全部でトークは8箇所くらいである。
「伊熊さん、ラジオで話すの、慣れていますね」
「すごくわかりやすい解説で、時間もバッチリです」
「何度もラジオ収録していますか」
 担当のスタッフ、渡邊未帆さんと篠崎めぐみさんにいわれ、「ええ、何度か出演しています」と答えた。
 実は、中学時代に、学校放送のアナウンサーをしていたことがある。
 そのときは原稿を読むだけだったが、マイクに向かうことだけは慣れた。
 ヴィルサラーゼに関しては、これまで取材やインタビューをしたときの内容や彼女の素顔、演奏のスタイルや表現などを話し、プロフィールにも触れ、曲を進めていった。
 ヴィルサラーゼは、以前インタビューでとても内容の深いことを話してくれたため、時期を見て、「インタビュー・アーカイヴ」で紹介したいと思う。
 最近、ナマの演奏を聴いたのは、2015年11月21日のすみだトリフォニーホールのリサイタル。2014年には11年ぶりに来日し、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を披露した。
 これらの来日公演は、胸の奥にいつまでも感動が残る演奏で、いまだ忘れることができない。
 今年の来日は予定されていないようで残念だが、ぜひ近々来日してほしいピアニストである。
 今日の放送は、リスナーからのリクエストがあったために実現したそうだが、その人はヴィルサラーゼの来日公演を聴いたのではないだろうか。
 今日の写真は、収録後のワンショット。渡邊さん(右)と篠崎さん。
 マイクがオフのときには、いろんなアーティストの話や取材時のこぼれ話で盛り上がってしまった。 




 
 
| アーティスト・クローズアップ | 23:15 | - | -
山くらげ
 先日、友人が送ってくれた安曇野の野菜のなかに、山くらげという珍しい野菜が入っていた。
 これは、説明書によると、「中国で300年以上もの間栽培されてきたレタス科の植物で、きくらげ同様独特の歯ごたえがあります。17種類のアミノ酸やビタミン、ミネラルが豊富で、特に鉄分はほうれんそうの10倍というかなり栄養価の高い乾燥食材として人気があります。山くらげは炒め物、あえ物、漬物、煮物にとさまざまな料理に利用できます」とのこと。
 早速、炒め物に挑戦してみた。
 まず、水に3時間ほど漬けて戻す。灰汁が出るため、何度か水を変える。
 3〜4倍に増えたら、さっと湯がく。
 次に、水気を絞って、食べやすい大きさに切る。
 中華鍋にごま油を入れ、山くらげを炒め、砂糖、みりん、酒、しょうゆで味をつけてきんぴら風にする。
 最後に、京都の一味をパラリとトッピングして出来上がり。
 う〜ん、まさにコリコリした歯ごたえだ。これまで食べたことのない味で、お酒のおつまみにピッタリの滋味豊かな味わいと独特の風味がある。
 栄養価が高いと知ったからには、たくさん食べなくちゃね。
 本当に、安曇野は食材の宝庫だ。初めて食べる物も多く、そのつど驚かされる。
 今日の写真は、出来立ての「山くらげのきんぴら風」。ちょっと上質なごま油を使ったら、それを山くらげが吸ってくれ、深い味わいを醸し出した。うん、成功、成功(笑)。

| 美味なるダイアリー | 21:34 | - | -
ペール・ギュント
 グリーグの劇付随音楽「ペール・ギュント」は、全曲演奏される機会はそんなに多くない。
 今日は、東京オペラシティコンサートホールで、ミハイル・プレトニョフ指揮東京フィルハーモニー交響楽団がこの作品の全曲演奏を行った。
 演奏が進むにつれ、私は2007年にノルウェーを訪れ、「グリーグを愛す」という単行本を書いたことを思い出した。
「ペール・ギュント」は、ノルウェーが世界に誇る文豪イプセンが1867年に発表した同名戯曲の付随音楽として作曲されたもので、1875年に完成を見ている。
 ストーリーは、ノルウェーの古い伝説に基づいており、空想家で喧嘩っ早く、自慢話が得意なペール・ギュントの冒険を描いた物語である。
 この作品は、随所に耳になじみのある美しい音楽がちりばめられていて、「朝」「オーゼの死」「アニトラの踊り」「山の魔王の宮殿にて」などの曲が有名だ。
 なかでも忘れがたほどの強烈な印象を残すのが、「ソルヴェイグの歌」。今日はノルウェー出身のソプラノ、ベリト・ゾルセットがソールヴェイ(ソルヴェイグ)をうたい、透明感あふれる凛とした歌声が舞台を引き締めた。
 彼女の声は、ホールの隅々まで浸透する強さと、自然な高音が美しく、ソルヴェイグの心情を切々とうたい上げた。
 特筆すべきは石丸幹二の語りで、ペール・ギュント、母オーゼ、ソルヴェイグなどの声を使い分け、ひとり芝居を巧みに繰り広げた。
 指揮のプレトニョフは、プログラムのなかでこう綴っている。

――「ペール・ギュント」でイプセンが描いているのはまさに人生そのものです。生きることの意味を問いかけている。若いころ、母の死、その後のこと。だれもがプロジェクターを見るように自分の人生を振り返ることでしょう。そこにグリーグはただ美しいだけではない、非常に深い音楽をつけた。

 音楽を聴くうちに、私の脳裏にはノルウェーのフィヨルドの風景が浮かんできた。音楽は、想像力を喚起する。今日は、19時開演、22時近くの終演だったが、この3時間というもの、ノルウェーの偉大なイプセンとグリーグの芸術の衣を全身にまとうことができた。
 終演後、プレトニョフの満足そうな、ちょっとはにかんだような笑顔が印象に残った。
 今日の写真は、グリーグの本のために撮影したノルウェーの風景。グリーグの像、ベルゲン、ロストフース。






 
  
  
| クラシックを愛す | 23:57 | - | -
ヘルベルト・フォン・カラヤン
 もうすぐ、「家庭画報」700号記念の6月号が発売される。
 今回は、サントリーホールの30周年の特集記事と、「祝祭」のベスト・オブ・クラシックの付録CDの選曲と解説を担当した。
 サントリーホールは、ヘルベルト・フォン・カラヤンと深いつながりがある。
 取材のときに、私が昔、レコード会社に勤務していたころに「カラヤンの直筆サインをもらったことがある」と話したところ、「家庭画報」の編集者のSさんがとても興味を示してくれ、「ぜひ、それを誌面で紹介したい」と頼まれた。
 しかし、大昔のことゆえ、資料の整理が下手な私は、どこにサインが紛れ込んでいるのか皆目見当がつかない。
 それでも特集号の役に立つのならと、半日かけてあちこち探し、ようやく見つけた。
 実は、色紙に書いてもらったとばかり思い込み、厚い紙を探していたのだが、見つけてみると、ごく薄いレコードのジャケット大の用紙に書かれていた。
「ああ、そうだった。仕事の書類を抱えていたときに、マエストロがヒョイとその紙を1枚抜いて書いてくれたんだっけ」
 大昔の様子がまざまざと思い出された。
 まだ若かった私は、レコード会社に入ったばかりの若輩の身。新譜の即売のためにカラヤンのサインをもらわなくてはならず、何枚も色紙をもってマエストロにくっついて歩いていた。
 すべての仕事が終わり、深々とおじぎをしてカラヤンの前から立ち去ろうとしたとき、「きみもサイン要る?」といって、私が抱えていた紙の束からスイッと1枚抜いてさらさらと書いてくれたのである。
 私は仕事ゆえ、あまりサインには興味がなかったが、それでも会社に戻って上司や先輩に「これ、いただきました」と報告すると、みんなが「ええっ、ぼくたちももらったことないよ」と驚かれた。
 それ以来、資料の奥にしまってあったのだが、いまやすっかり忘れていた。
 今回、「家庭画報」のサントリーホールの仕事がなければ、思い出すこともなかっただろう。
 こうして見つけてみると、本当に貴重な宝物だということがわかった。
 額縁に入れて飾っておかないと、カラヤンに怒られてしまうな(笑)。 
 今日の写真は、その直筆サイン。長年、奥にしまってあったため、紙が変色している。やっぱり怒られるな…。


| 巨匠たちの素顔 | 21:24 | - | -
エリソ・ヴィルサラーゼ
 TOKYO FMの「ミュージックバード」のクラシック番組には、何度か出演したことがある。
 今回は、私の大好きなピアニスト、エリソ・ヴィルサラーゼの特集を組むということで、出演依頼が入った。
 これは5時間半ほど演奏を流し、30分くらい私が話すという構成である。
 その選曲を任され、ヴィルサラーゼの得意とするシューマン、シューベルト、ショパンなどをメインに据え、ブラームス、ショスタコーヴィチ、リストを加えた。 
 さらに、チェロのナターリヤ・グートマンとのベートーヴェンとメンデルスゾーンのチェロ・ソナタをプラスして、選曲は終了。29日に収録する予定である。
 トークの部分は、当日スタッフとの打ち合わせをしてから、おそらくぶっつけ本番になるのではないだろうか。
 それゆえ、話す内容をしっかり決めていかなくてはならない。
 この仕事が終わってから、今月末の仕事部屋の引っ越し準備をした。
 4月30日に引っ越し便の積み込み予定で、翌日の5月1日に京都に荷物が届く手筈だ。
 こんなふうにドタバタしている最中に、先日また親友のTちゃんが送ってくれた安曇野の野菜をいくつか調理した。
 今回は、前回とは少し内容が変わっていて、鞍掛豆がレシピ付きで入っていた。「鞍掛豆のドライトマト煮」という、思ってもいない素材の組み合わせである。
 ほかにはビールの友についつい手が出て止まらなくなる結び豆、かしくるみ、凍み豆腐、珍しい山くらげなど盛りだくさん。
 もっとも春の息吹が感じられたのが、友人の自宅の庭で育てているという山椒の若芽。「こんなにたくさん!」と驚嘆の声を上げてしまうくらい入っていて、みずみずしい緑と馨しい香りに酔いしれるほどだ。
 もうひとつ、私の同じく料理好きの彼女が山椒の花を手に入れて、昆布とみりんとしょうゆで煮たという物が瓶に詰まっていた。
 この山椒の花の薄味の煮物は、まさに手作りの味で、おそばやうどんにも合うし、たけのこの煮物に添えてもおいしい。
 ああ、安曇野はすばらしい!
 忙しい時間にこういう自然を感じることのできる食材に出合うと、心身が浄化する思いにとらわれる。
 今日の写真は、安曇野からの産地直送便。レシピを考えていると、時間が経つのを忘れてしまう。
 そうだ、まだ仕事が残っていたっけ。締め切り、締め切りっと。野菜としばし別れなくっちゃ(笑)。

| マイ・フェイバリット・ピアニスト | 21:51 | - | -
京都の仕事部屋
 朝から晩まで、休日返上で仕事をしていると、心身ともに疲弊してくる。集中力もなくなり、体力と気力も落ち、ストレスがたまる一方だ。眼精疲労もひどい。
 そこで、長年考えていたことを実行に移した。
 自宅の近くに仕事部屋というか、資料室をもっていたのだが、それを京都に移したのである。
 京都は、私が心から愛する街。小学生のころから両親の仕事の関係で、毎年訪れていたところである。
 大人になってからも、京都は私の心の故郷とも呼ぶべき場所だが、近年の観光客ラッシュには目を見張るばかり。
 いつの季節にいっても、京都駅に着いた途端に人、人、人。老舗の料亭もおしゃれなカフェも、ホテルも、バスも、神社仏閣も、混雑を極めている。
 そのなかで、ようやく何カ月も探して、自分の居場所を見つけた。
 駅に近く、治安がよく、便利で、居心地のよいところ。けっして広くはないが、遠くに清水寺を臨むことができる眺望のいいマンションの一室である。
 ここには月に何日か滞在し、たまっている本をゆっくり読んだり、新譜を聴いたり、資料を整理したり、長い物を書く時間に当てたいと思う。
 要は、気分がガラリと変わり、心身が癒され、目を休ませることができればいいのである。
 この週末、京都でいろんな契約事項を済ませた。 
 この季節、京都は「ひやしあめ」がお目見えする。これは最上級の米飴と中双糖を地釜でコトコト焚き上げたもので、しょうがの風味がピリリと効いている。
 なんとも懐かしい味で、京都の初夏から秋までの風物詩ともいえる。
 これをひと口飲んだだけで、自分が子ども時代に戻った気がするから不思議だ。
 さて、週末の2日間だけだったが、古都の空気をからだにまとうことができ、かなりリフレッシュした気分…。
 明日からの新しい1週間を、元気に乗り切ることができそうだ。
 今日の写真は、名物のひやしあめ。内外の観光客で押すな押すなの人気の清水寺。


 

| ゆったりまったり京都ぐらし | 21:43 | - | -
斎藤雅広
 昨日は、親しいピアニストの斎藤雅広さんと、神楽坂の和食屋さんで食事とおしゃべりを楽しんだ。
 斎藤さんに会うのは、本当に久しぶり。会おう会おうといっていながら、長い時間が経ってしまった。
 このお店は斎藤さんの行きつけとのことで、福井の海と山の幸をすばらしくおいしいお料理に仕上げ、美しい盛り付けで楽しませてくれる。
 地酒もあり、私は最初から熱燗をいただいてしまった。
 斎藤さんは、「杉並公会堂・華麗なるピアノ3重弾!」と題する新譜をリリースする(5月25日 ナミ・レコード)。これは杉並公会堂開館10周年記念盤で、ホールのスタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインの3台のピアノを使用して、斎藤雅広&フレンズが3重弾きするというもの。2015年4月13日から15日にかけて録音セッションで収録された。
 このライナーノーツの一部を担当したため、事前に音源を聴かせてもらったが、近藤嘉宏、熊本マリ、松本和将、三舩優子、関本昌平、須藤千晴、高橋多佳子、富永愛子という個性的なピアニストが録音に参加。ベルリオーズ、シャブリエ、リストからカルロス・ジョビン、J.ウィリアムスまで多彩な作品を嬉々として演奏している。
 斎藤さんとのおしゃべりは、いつも笑いっぱなしだ。昨夜も彼の武勇伝を聞いていたら、あまりにおかしくて、涙が出てしまったくらい。
 お互いの仕事の話、近況、友人たちの話までさまざまな話題が出て、深夜までお酒、食事、話を楽しんだ。
 それにしても、福井の食材の奥深いこと。前菜のおさしみやお作りから焼鯖寿司、豆腐の味噌漬け、へしこ、らっきょう、おろしそば、ごまプリンまで、それぞれうなってしまうくらい見事なお料理だった。
 彼とは長いおつきあいだが、いつも「ここだけの話ね」という話がいくつか出てくる。絶対に他言しないという信頼感がないと、こういう話はできないものだ。
 彼は2017年、デビュー40周年を迎えるという。それに向けて、今年はいろんなことを考えているようだ。録音にも積極的に関わっていく様子、たのもしい限りである。
 今日の写真は、元気なエンターテイナー、斎藤雅広さん。そして美味なるお料理の数々。和食好きの女友だちをぜひ誘いたい、と思う素敵なお店だった。








 
 
 
 
| 親しき友との語らい | 22:27 | - | -
モイツァ・エルトマン
 ハンブルク生まれの「新時代のソプラノ」と称されるモイツァ・エルトマンは、透明感のあるリリカルな歌声で人気を博している。
 今日は、東京文化会館にリサイタルを聴きにいった。ピアノはイギリス出身の名伴奏者として知られるマルコム・マルティノーだ。 
 今回の来日では、エルトマンのもっとも得意とするR.シュトラウス、現代作品をメインに据え、その合間にロマン派の作品をちりばめたプログラム。
 エルトマンは、まずR.シュトラウスの「もの言わぬ花」から始め、モーツァルトの「すみれ」、R.シュトラウスの「花束を編みたかった」、シューベルトの「野ばら」、R.シュトラウスの「イヌサフラン」と、色とりどりの花を咲かせていく。
 やがてシューマンの「重苦しい夕べ」、R.シュトラウスの「オフィーリアの3つの歌」、リームの「オフィーリアは歌う」へと進み、空気は一変し、暗く陰うつな雰囲気をただよわせるように変容していく。
 エルトマンの表現力の見事さがここで一気に開花。彼女は歌詞に寄り添う姿勢が印象的で、明快な発音で詩の世界を描き出していく。
 とりわけ親交の厚いヴォルフガング・リーム(1952〜)の「オフィーリアは歌う」では、狂気のあまり叫んだり、つぶやいたり、緊張の極致でうめいたりするなど、ひとり芝居のような凄みを見せた。
 後半は、アリベルト・ライマン(1936〜)の「オレア」よりヘレナで開幕し、やはりR.シュトラウスをメインにさまざまな曲を挟み込んでいくスタイル。特にエルトマンの声質に合っていたのが、シューベルトの「万霊節の連祷」だった。
 彼女はアンコールの最後も、R.シュトラウスの「あすの朝(モルゲン)」で締めくくった。日本語で「アシタ、アサ」と紹介しながら。
 今日の写真は、プログラムの一部。実は、今日のモイツァのステージ衣裳は、渋いモスグリーンの美しいラインのドレス。こういう色が大好きな私は、そのドレスにも見とれてしまった。
 いいなあ、美しい容姿とブロンドにグリーンが映えて…。うっとり(笑)。


 
| クラシックを愛す | 23:57 | - | -
ラヴェルに魅せられて
 ある原稿を書いていたらラヴェルのことが出てきて、そのアーティストがラヴェルに魅了されているとわかり、私とまったく同様だと思った。
 ラヴェルの音楽は、官能的で幻想的で知的でクール。現代的な感覚と機知が感じられ、えもいわれぬ色香がただよっている。 
 生涯独身を貫き、よき友人に囲まれ、その生き方は粋なダンディズムを感じさせる。
 数年前の夏、パリのラヴェルの家を訪ねた。
 パリのエトワール凱旋門から放射状に伸びる12本の大通りのひとつ、カルノ通りとティルシット通りの角地に当たる4番地に残る家で、ラヴェルが1908年から1917年まで住んだアバルトマンである。
 現在は、1階がカフェ・レストランになっており、静かだった往年の面影はないものの、堅牢な建物の壁面のプレートには、ラヴェルがここでバレエ音楽「ダフニスとクロエ」を書いたと記されている。
 この時期、ラヴェルは作曲家としての完成期に入り、管弦楽曲「スペイン狂詩曲」、ピアノ曲「夜のガスパール」「高雅で感傷的なワルツ」、連弾曲「マ・メール・ロワ」などの代表作を次々に生み出した。
 1914年には、彼の室内楽曲のなかでもっとも円熟した作品と称されるピアノ三重奏曲に取りかかる。このトリオは私が深く魅了されている作品で、冒頭の繊細かつ神秘的な旋律がなんともいえない美質を放っている。
 私は、なぜこんなにもラヴェルの曲に心奪われるのだろうか。フランス・バロックの大作曲家であるフランソワ・クープランに敬意を表して書かれた「クープランの墓」も、ジャズのイディオムをふんだんに盛り込んだピアノ協奏曲も、作曲に5年かけた労作であるヴァイオリン・ソナタも、パリ音楽院時代の20歳のときの「亡き王女のためのパヴァーヌ」も、ディアギレフの委嘱による「ラ・ヴァルス」も、ラヴェルの名を世界中に広めた「ボレロ」も、すべて現代的な感覚ただよい、いまなお斬新である。
 ラヴェルがこのパリのアバルトマンに別れを告げ、ランブイエの森の近くのモンフォール・ラモリに望楼荘(ベルヴェデーレ)と題する家を見つけ、移り住んだのは母親の死と弟の結婚がきっかけだった。彼は静かな環境を欲し、作曲に専念するべく小さな愛らしい家に移ったのだが、友人たちはひっきりなしにモンフォール・ラモリを訪れたという。
 作曲家の足跡をたどる旅は、その作品へと一歩近づくことができる。
 ラヴェルのパリの家は、現在は内部に入ることはできないが、彼が歩いたであろう道や街並みを散策することで、心のなかに何かが生まれる。
 それはラヴェルの作品に内包されているさまざまなイディオム、表現、音楽性、詩的感情などに迫ることであり、作曲家の情熱を垣間見ることにつながる。
 ラヴェルの作品は、通り一遍に弾かれると、興ざめしてしまう。いずれも匂い立つような色香が必要であり、リズム表現も特別なものが要求される難しい作品だからだ。
 原稿を書いていたそのアーティストも、「ラヴェルは難しい」と語っている。
 ピアニストの多くが「夜のガスパール」を最高傑作に挙げているが、この曲集もそのストーリー性と絵画的要素、各々の微妙なリズムと音色を的確に表現するのは至難の業である。
 それゆえ、「夜のガスパール」はいろんなピアニストの演奏を聴き比べると、まったく趣の異なる奏法と表現と解釈を味わうことができ、作品の奥深さに改めて驚かされることになる。
 今日の写真は、パリのラヴェルが住んだ家。記念のプレートが掲げられている。


 
| クラシックを愛す | 22:18 | - | -
マウリツィオ・ポリーニ×ステージマネージャー
 先日、サントリーホールでポリーニの演奏を聴きながら、あるエピソードを思い出した。
 ステージマネージャーというのは、バックステージのすべてを把握する仕事で、ホール内の空調から照明、楽屋のアーティストの様子、リハーサルの立ち合い、オーケストラの配置や楽器に関することまで、ありとあらゆることに気を配らなくてはならない。
 サントリーホールには、Iさんという、15年間このホールの仕事に携わるベテランのステージマネージャーがいるのだが、彼に取材したとき、ポリーニの話が出た。
 クラシックのアーティストは繊細な神経の持ち主で気難しい人が多く、完璧主義ゆえ、リハーサルのときからとても気を遣うそうだが、ポリーニはステージ上のピアノの位置をこまかくチェックするのだという。
 端から何センチとか、現代作品を弾くときはピアノを前方に置くとか、とてもこまかい指示が出るそうだ。
 そこで、Iさんは一計を案じ、ノートにこまかく楽器の位置を書き込み、次の来日のときには「前回はこうでしたよ」とノートを提示した。
 するとポリーニは、そこまで考えてくれたかと安心して、それ以上はいわなかったそうだ。
 さらに、ポリーニは楽屋で完全に精神を集中させてステージに歩みを進めるため、Iさんは、コツコツと足音が聞こえてきたのを見計らい、絶妙のタイミングでステージへのドアをさっと開けるのだという。
 もうその時点で、ポリーニの目は完璧に演奏モードに入っているからだ。
 こうしたアーティストのその日の調子をすべて呑み込み、あらゆるケアをするステージマネージャーの仕事は、さぞ神経が疲れるに違いない。
 しかし、Iさんは切り替えが早く、終わったことはすぐに忘れ、翌日へと気持ちを向けるのがストレスをためないコツとか。
 アーティストを陰で支えるステージマネージャー、通称「ステマネ」の仕事は、取材をして初めて詳細を理解することができた。
 ひとつの演奏会というのは、実に多くの人の力で成り立っている。その一端を垣間見る思いにとらわれた。
| 巨匠たちの素顔 | 22:42 | - | -
春の香りを食卓に
 ふだんはあまりゆっくりお料理をする時間がとれないが、お休みの日はちょっと頑張って、まとめて作っておく。
 今日は、先日友人からいただいた安曇野の野菜をいろんなお料理に変身させ、春の香りで食卓を飾った。
 まず、カンゾウの酢みそあえ。たらの芽やふきのとうなどの山菜は天ぷらにし、クレソンとマッシュルームとミニトマトと巨峰レーズンのサラダを作った。
 こうしてまとめて作っておくと、ランチに夕食にと、使い分けができる。
 友人の家の庭には山椒が植わっているそうで、まさにいまは春の香りがいっぱいとか。うらやましい…。
 今日は、朝から単行本の最終校正にかかりっきり。じっくり見て、夕方にはすべて終え、ほっとひと息ついた。
 あとはアーティストの返事待ち、無事に5月下旬の出版を願うばかりである。
 今日の写真は、春の香り豊かな野菜料理の数々。
 でも、時間をかけてたくさん作っても、すぐになくなっちゃうんだよね。バクバク食べて、からだが山の幸で元気になるんだから、まっ、文句いえないか。






 
 
| 美味なるダイアリー | 22:26 | - | -
マウリツィオ・ポリーニ
 近ごろ、これほどまでに人生を考えさせる演奏に出合ったことはない。
 今日は、ポリーニのリサイタルを聴きにサントリーホールに出かけた。プログラムは、前半がシェーンベルクの「6つのピアノ小品」作品19、シューマンの「アレグロ ロ短調」「幻想曲ハ長調」。後半がオール・ショパン・プロで、「舟歌」「ノクターン 作品55の1、2」、「子守歌」、「ポロネーズ第6番 英雄」。
 実は、初来日の1974年4月24日の東京文化会館で行われたリサイタルを聴いているのだが、そのときに演奏された曲のひとつが、シェーンベルクの「6つの小品」作品19だった。
 ポリーニはゆったりとステージに登場すると、何年も弾き続けている自家薬籠中のシェーンベルクをモノローグのように弾き出した。弱音を生かした奏法で、静謐で幻想的とも思える空気がホールに広がっていく。
 ポリーニといえば、コンピューターのように正確無比な奏法で、透徹した知的でクールな響きを特徴とし、完璧なるテクニックに支えられた演奏というのが一般的な評価だ。それが初来日では炸裂した。
 まだ若かった私は、ポリーニのシェーンベルクに驚愕し、「こんなピアニストがいるのだろうか」と、衝撃を受けたことを覚えている。
 以来、ずっとポリーニを聴き続けてきた。
「彼は変わったのだろうか」というテーマで、原稿を書き続けたこともある。
 今回、ポリーニの演奏は、大きな変貌を遂げていた。
 いかなる難技巧も楽々と自然にクリアしていくテクニックは影を潜め、音楽が内省的で熟成し、内なる感情を吐露するものに変容していたのである。
 打鍵の強靭さと目の回るような指の動きも変化し、テンポはかなり抑制され、詩的な感情を表出するようになり、聴き手の心にしっとりと語りかける音楽となった。
 それがもっとも強く表れたのが、後半のショパン。以前の疾走するような輝かしい光を放つショパンではなく、人間味あふれる演奏となり、じわりじわりと聴き手の心の奥に浸透してくる。
 やはり、ポリーニはショパンだ。なんという滋味豊かな演奏だろうか。
 もちろん、往年のバリバリのテクニックは望めない。しかし、演奏の感動というものは、完璧無比な演奏だから生まれるものではなく、多少のミスタッチがあろうが、伝わってくるものが深ければ、忘れえぬほどの感銘を受けることができる。
 後半のショパンは、いまのポリーニをリアルに映し出していた。彼のショパンは、ひとつひとつの音が静かな存在感を示し、ある種の不思議なオーラを放っていた。とりわけ、ショパンの晩年の傑作「舟歌」と「子守歌」が、いまのポリーニの奏法、表現、音楽性によく似合っていた。
 私はショパンの作品を聴き込むほどに、彫刻のような顔をした若きポリーニを思い出し、自分の人生も回顧する思いに駆られた。
 これまでの人生が走馬灯のように脳裏に浮かんできて、ポリーニの音楽を聴いているのに、そのバックに自分の人生が映し出されているような錯覚に陥った。よくオペラの演出で、ステージのバックにいろんな絵柄が流れていくものがあるが、あんな感じなのである。
 なんとも不思議な感覚を味わった。最初のシェーンベルクが引き金となったのだろう。
 ポリーニは「英雄ポロネーズ」が終わったあと、嵐のような喝采を受け、何度もステージに呼び戻され、アンコールを3曲弾いた。
 ショパンの「エチュード 作品10 革命」「スケルツォ第3番」「ノクターン作品27の2」である。
 このノクターンは、えもいわれぬ詩情と古雅な雰囲気と深い憂愁をたたえていたため、つい涙がこぼれそうになった。
 最後はホールを埋め尽くした聴衆が総立ちになり、ポリーニを称えた。
 胸がいっぱいになり、感情を抑えるのがやっと、という状態のときに、ピアニストの伊藤恵に会った。
「ねえ、今度、仕事抜きでごはん食べない?」と誘われ、「ええ、もちろん!」と答え、再会を約束して別れた。
 帰路に着く間、ずっと私の頭のなかには初来日のときのポリーニが浮かび、胸が痛いほど感動を覚えていた自分の姿も思い出した。
 これが「音楽の力」だろうか。シェーンベルクを聴いた途端、記憶が一気に年月を飛び越え、鮮やかに蘇った。
 今夜は、さまざまなことを考えさせられたため、脳が覚醒してしまい、なかなか眠りにつけそうもない。
 今日の写真は、ポリーニのプログラムの一部。今回の演奏を聴き、ぜひブラームスの晩年の作品を弾いてほしいという気持ちが強くなった。


 
 
 
  
 
| マイ・フェイバリット・ピアニスト | 00:02 | - | -
安曇野の野菜
 先日、松本の親友のTちゃんが送ってくれた安曇野の野菜は、箱を開いた途端、春の香りがフワーッと広がった。
 クレソン、こごみ、ふゆ菜、せり、ふきのとう、カンゾウ、乾燥きくらげ、巨峰レーズン(干しぶどう)、ミニトマトがびっしりと詰まっている。
 早速、野菜をながめながら、レシピを考える。こういう時間が、最高なんだよね。
 清らかな水で育ったクレソンは、マッシュルームとともにサラダにするのが一番だ。上質なエクストラ・バージン・オリーブオイルとホワイト・ワイン・ビネガーがあればばっちり。ここにちょっと巨峰レーズンをプラスしてみよう。
 ふゆ菜はおひたし、ごまあえ、卵とじに向いている。
 こごみとふきのとうは、なんといっても天ぷらだ。
 カンゾウは、酢みそ和えにしようかな。
 いろいろ考えているうちに、せりのおいしいレシピが浮かんだ。春のやわらかいごぼうと豚ひき肉を炒めて味付けをし、炊いたごはんに混ぜ、最後にせりを散らすという炊き込みごはんである。
 これは、明日、材料を仕入れて、作ってみようと思う。
 今日も、朝から晩まで単行本のことでいろいろこなさなければならないことがあり、あっというまに時間が過ぎてしまった。
 夜になって、モンテカルロで行われているATPテニスツアー1000を観戦したが、ひざの手術明けのロジャー・フェデラーは、残念ながらベスト4には進めず、ジョー・ウィルフライ・ツォンガに敗れてしまった。
 どうも今日の試合は集中力に欠け、ミスが多かった。まだ万全ではないようだ。
 さて、明日はサントリーホールにマウリツィオ・ポリーニを聴きにいく予定である。久しぶりに聴くポリーニ、非常に楽しみだ。
 今日の写真は、安曇野から届いた春の野菜。以前、松本の老舗のかごやさんで購入したかごに入れてみた。あらら、入りきらないほどだ…。

| 美味なるダイアリー | 22:44 | - | -
アンドレア・シェニエ
 昨年インタビューしたウルグアイ出身のソプラノ、マリア・ホセ・シーリが、新国立劇場のジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」に出演している。
 今日は初日で、同じくウルグアイのテノール、カルロ・ヴェントレがアンドレア・シェニエをうたい、ジェラールはイタリアのバリトン、ヴィットリオ・ヴィテッリがうたった。
「アンドレア・シェニエ」は、難曲中の難曲といわれ、主役3人の実力派をそろえるのが難しいためか、日本では上演される機会に恵まれているとはいえないオペラだ。 
 今日は主役3人が持ち味を出し切ったが、やはりマリア・ホセ・シーリのマッダレーナが圧巻だった。
 彼女は以前のインタビューで、共演者も指揮者もよく知っている人ばかりだから、「絶対に舞台は成功するわ」と確信に満ちた様子で話していた。
 印象に残ったのは、歌ばかりではなく、演出と舞台美術。「アンドレア・シェニエ」は、フランス革命前夜のパリ郊外の伯爵邸からストーリーが開始され、最後はサン・ラザール監獄の中庭で、永遠の愛を誓い、死を覚悟して断頭台に向かうシェニエとマッダレーナの姿で幕となる。
 パリ生まれのフィリップ・アルローの演出は、斬新な斜めの壁を切り裂くような舞台装置を取り入れ、各幕ごとに世相を象徴する絵画を映し出す。
 色彩は、衣裳も装置も終始、白が基調。これに赤と青がポイント的に用いられ、フランス国旗をイメージさせる。
 今後の上演予定は、17日、20日、23日。演奏される機会がそう多くないオペラゆえ、今回は貴重な上演である。
 今日の写真は、プログラムの表紙。トリコロールカラーが全編を覆っている。
 それにしても、このオペラの代表的なアリア、シェニエが第1幕でうたう「ある日、青空を遥か遠く眺め」は、名曲中の名曲である。これは多くのテノールが、好んでオペラ・アリアの夕べなどで取り上げる曲。まだ、頭のなかでその旋律が鳴っているほどだ。

| クラシックを愛す | 23:48 | - | -
校正戻し
 ようやく、今年ひとつ目の単行本の初校戻しをした。
 190ページほどの分量となり、当初予定の160ページを大幅にオーバーしてしまったが、一応これで進めることになった。
 午後、宅急便で出版社に送り、ひと息ついているところへ、東京FM「ミュージックバード」の出演依頼が入り、電話でその打ち合わせを行った。
 これはエリソ・ヴィルサラーゼの特番だそうで、5時間以上にわたって彼女の録音を流し、私はその間に30分ほどヴィルサラーゼに関して話すということになった。
 ヴィルサラーゼは大好きなピアニストゆえ、話したいことは山ほどある。
 4月の末に収録することになった。
 その後、連載原稿に取りかかり、食事の用意などをしていたら、あっというまに夜になってしまった。
 この間にも、メールのやりとりや電話、FAXなどがきて、いろいろなことに対応していかなくてはならない。
 でも、夜になったら、松本に住む親友のTちゃんから「また安曇野の野菜を送ったよ」との連絡が入り、疲れが一気に吹き飛んだ。
 明日には届くかな。ルンルン(笑)。
 単行本に関しては、まだ初校の段階だから、これからまた別の問題が起こりそうだ。アーティストがその校正を見て、どう対処するかにかかっている。
 まだまだ気が抜けないゾ。
 そのうちに、次の単行本の大波が押し寄せてくるし…。
 安曇野の野菜で心身をリラックスさせないと、長丁場の闘いを乗り切れないかも…。早く、野菜がこないかなあ。
 
| ああ愉しき(?)、締切り地獄 | 22:32 | - | -
集中する単行本
 今年はなんという年だろう。
 今日また、1冊アーティストの単行本の依頼が入った。
 これでもう4冊だ。どうして同じ年に重なるのだろうか。
 今日は午前中に永田町のホテルでその単行本の打ち合わせがあり、それから神保町の出版社に雑誌の打ち合わせにいった。
 でも、私の頭のなかは、ずっと単行本4冊のことでパニック状態。
 なぜなら、ほとんどの本が似たような時期に出版される予定で、私の締め切りも今秋から来春初頭にかたまっている。
 さて、どうやって頭のなかを整理していったらいいのだろうか。かなり先のことを考えず、先ずは目の前のことをひとつずつこなしていかなくてはならないとわかっているのだが、どうも足元が地に着いていない状況だ。
 何をしていても、フワフワしている気分で、まったく落ち着かない。
 要するに、頭のなかが整理されていないため、いま何をすべきかがわからないのである。
 ホント、困ったもんだ。
 こういうときは、大好きな京都の食材をいただき、心とからだを癒すしかない。
 先日、友人のTさんが京都にお花見にいき、粒味噌ちりめんをお土産に買ってきてくれた。
 これは、ちりめんじゃこにほんのり粒味噌と実山椒の香りがプラスされた、白いごはんがガンガン進む逸品。こういうのって、本当に心身が休まるよねえ。
 Tさん、ありがとう。やっぱり究極は和食ですね。
 というわけで、今日の写真は「じき宮ざわ」の粒味噌ちりめん。
 ようやく心が平静を取り戻し、なんとか仕事の場に戻り、次なるステップへと歩みを進めることができるようになった。
 とはいえ、4冊だよ〜、4冊。どうしたらいいんや、真っ青だ…。


 
| ああ愉しき(?)、締切り地獄 | 20:58 | - | -
ルノー・カピュソンの楽器
 ヴァイオリニストにインタビューすると、大切な楽器を見せてくれることがある。
 ルノー・カピュソンも、インタビュー後に2005年から使用しているグァルネリ・デル・ジェス「パネット」を拝ませて(?)くれた。
 グァルネリ・デル・ジェスはイタリア・クレモナの弦楽器製作者一族のひとり、バルトロメオ・ジュゼッペ・アントーニオ・グァルネリ(1698年8月21日〜1744年10月7日)の製作した名器で、イエスのグァルネリを意味するデル・ジェスと名付けられている。
 音は深々と情熱的で、さらに男性的で野性的な響きを備え、アントニオ・ストラディバリの楽器と並び称される。
 ルノー・カピュソンがこの楽器に出会ったときのことは、インタビュー・コンテンツ「音楽を語ろうよ」に綴ったが、まさに近くで見る名器は生命を帯びた生き物ようで、何世紀も生き続け、さまざまなヴァイオリニストの手に渡り、人々を感動させる音楽を奏でてきたその歴史と伝統を秘め、ミステリアスな輝きを放っていた。
 カピュソンは、「すばらしい楽器でしょう。ぼくはこのヴァイオリンに出会ってから、自分の音楽が大きな変貌を遂げたと思っているんですよ。楽器が教えてくれることが多く、最初はなかなか楽器に見合う音を自分が出すことができなかったけど、ようやく最近になって楽器がすごく鳴るようになってきたんです。もっともっとデル・ジェスと仲良くなって、秘められた部分を探求し、よりよい音を出せるようにしたいと思っています」
 カピュソンは、こういって楽器をじっくりと見せてくれ、「みんな表ばかり見るけど、裏側も美しいんですよ。ほら、裏も見て」といって、楽器をくるりと回し、裏側も見せてくれた。
 本当に美しい。これぞイエスのグァルネリである。
 私はカピュソンのえもいわれぬ官能的な音色に魅了されているが、その魅惑的な響きは、この貴重な楽器から生まれるわけだ。
 以前、「レッド・ヴァイオリン」という映画があり、数奇な運命をたどるヴァイオリンの話で、その映画のプログラムの解説文を書いたことがある。
 このときも、ヴァイオリンという楽器の神秘的で幻想的なストーリーに心が動かされたものである。
 今日の写真は、デル・ジェスの表と裏。先日、諏訪内晶子のインタビューでも楽器の話に花が咲いたが、やはりヴァイオリニストにとっては、自分にピタリと合う楽器に巡り会えるか否かで、音楽性が大きく変化するようだ。



| クラシックを愛す | 23:17 | - | -
HPのアイディア
 昨日は、ホールの要職に就いているSさんと、「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」の仕事をメインにしているTさんと、食事をしながらいろんな話をした。
 彼らは、私がHPの更新がなかなか思うようにできないこと、時間がなくていろんなことに着手できないこと、バナーに関すること、ページビューを増やすためにはいかなることが必要か、今後の展開についてなどの悩みに関し、さまざまな面で一緒に考えてくれ、有益なアイディアを出してくれた。
 やはりひとりであれこれ考えていると、どうしても堂々巡りになってしまい、突破口が見つからなくなってしまう。
 こういうときに、彼らのように客観的に考えてくれる人がいると、自分のなかでもやもやとしていた考えが、少しずつ形になってくる。
 Sさんとも、ホールの情報告知において、どんな方法がもっとも有効かをじっくり話し合い、お互いのプラスになることをしていこうと話し合った。
 ところが、Tさんから、また爆弾発言があった。
 私に単行本を1冊書いてほしいというのである。
「エーッ、いまようやく1冊の初校が出てきて、てんやわんやになっている上に、次のアーティストの本もこれから取材を始めて今年の暮れに出版しなくてはならないから、無理よ」
 こういったのだが、その本は来春の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」開催までに出版したいのだという。
 逆算すると、来年の1月末ころにはすべての原稿を入稿しなければならない。
 いったい今年はどうなっているのだろう。
 少し時期がずれればいいのに、3冊も重なるなんて、どうしたらいいのだろう。
 その話もあり、結局レストランの閉店時間まで、3人であれこれ話し合った。
 というわけで、またまた時間のやりくりをしなければならなくなった。
 だが、みんなで、「まずは健康だよね。からだに気をつけなくちゃ」ということで意見が一致し、「また会おうね〜」といいながら、解散となった。
 さて、目の前にやることが山積みである。
 とにかく、ひとつずつ対処していかなければ…。

 
| 親しき友との語らい | 11:44 | - | -
テディ・パパヴラミ&萩原麻未
 今日は、テディ・パパヴラミ&萩原麻未の特別チャリティーコンサートを聴きに、Hakuju Hallに出かけた。
 プログラムは、先日パパヴラミの本の出版記念会で聴いたJ.S.バッハの「シャコンヌ」からスタート。この作品は弦1本で勝負する孤高の音楽である。
 パパヴラミのバッハは、魂の叫びのようだ。彼の生きざまが映し出され、ひとつひとつの音が胸に突き刺さってくる思いがする。
 次いで萩原麻未とのデュオでドビュッシーの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」、ラヴェルの「ツィガーヌ」が演奏された。
 萩原麻未は、以前インタビューで室内楽がもっとも好きだと語っていたが、ヴァイオリンとのアンサンブルは、まさに堂に入ったもの。パパヴラミの渋く深く暗い情熱を秘めた音色に、みずみずしさとエネルギーを加味していった。
 ラヴェルの「ツィガーヌ」は、ハンガリーの民俗舞曲チャールダーシュの流儀で書かれ、本来ロマの音楽である。ゆるやかなラッサンと、急速なフリスカのふたつの部分で構成されている。
 これはヴァイオリンとピアノとの音の掛け合いがとてもユニークで、いつも心が高揚する思いにとらわれる。
 ラヴェル好きの私としては、この曲がプログラムに入っているだけで、ワクワクしてくる。
 たいぶ前のことになるが、私がこの曲が好きだといったら、樫本大進との録音に臨んでいたイタマール・ゴランが、ピアノ・パートだけをガンガン弾いてくれた。アメリカ録音取材のなつかしい思い出である。
 後半は、フォーレの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番」がしっとりと演奏され、最後はサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」で華やかに終幕を迎えた。
 しかし、どんなに華麗な音色を用いた作品でも、超絶技巧を盛り込んだ作品でも、パパヴラミのヴァイオリンは慟哭するような響きを放ち、深く沈静していく。もちろんテクニックは存分に披露し、すべてにおいて緻密な音楽作りだが、その奥に静謐さが宿り、微笑みながらも嗚咽をこらえているような感覚を見せる。
 なんという個性的なヴァイオリンだろうか。
 先日紹介した彼の単行本「ひとりヴァイオリンをめぐるフーガ」(藤原書店)に表現されているように、ひとりのヴァイオリニストの稀有な人生がリアルに映し出された音楽である。
 今日の写真は、その単行本の表紙。この帯の右下には、「章末のQRコードにより、ストーリーに合わせてセレクトされた演奏が聴けます」と記されている。
 時代は変わったもんだ。
 この本の章末のQRコードから、イザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番第1楽章「妄執」より、パガニーニの「24のカプリース」第5番より、バルトークの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」第4楽章より、J.S.バッハの「チェンバロのための組曲」BWV822「アリア」よりなどの曲を聴くことができる。
 本から音楽が聴こえてくるようだ。
 これからの音楽に関した本は、こうした最新技術がどんどん用いられるようになるのだろうか。


 
 
 
| クラシックを愛す | 22:36 | - | -
美味なるランチ
 今日はレコード会社の方たちと、渋谷のホテルでランチをいただいた。
 いろんな話をしながら、この時期ならではの旬の素材を使った和食を食べ、とても有意義なひとときを過ごすことができた。
 ランチのメニューには、もちろんイタリアンなどの洋食もあったが、3人が迷わずに選んだのが和食。
「やはり、究極は和食だよねえ」といいながら、ランチミーティング。
 2時間半もあれこれおしゃべりし、今後の仕事の展望なども話し合い、渋谷駅で別れた。
 その後、帰宅して雑誌の特集ページの校正を時間をかけて行い、たまっていた原稿に取り組み、メールの返事をあちこちに送っていたら、もうあっというまに11時過ぎ。あ〜あ、今日もあくせくしてしまった。
 でも、おいしいランチをいただき、たっぷりおしゃべりしたから、からだはヘルシーで心にも少しゆとりができた感じ。
 今日の写真は、その美味なる和食ランチ。上から前菜のホタルイカの酢みそあえ。なんともみずみずしい味わい。
 次いでたけのこごはん、季節の野菜とさわらの蒸し物、メンチカツ、かきたま汁、あえもの、香の物、ふきなどの煮物などが盛られた御膳。最後は、桜のクリーム入りのミニエクレア、抹茶クッキー、桜の香りのプリン、あんみつの4種盛りの豪華なデザート。
 おいしい食事と楽しいおしゃべりをし、「ぜひ、仕事を一緒にしよう」という話になったため、前向きな思いで彼らと別れることができた。
 気持ちよく仕事をすることができる、これが一番大切である。さて、今後はどうなるか、アイデアを練らなくっちゃ。






 
| 美味なるダイアリー | 23:39 | - | -
ブラッドオレンジ
 連日パソコンに向かって仕事をしていると、目も疲れ、腰は痛くなり、頭の回転も鈍くなる。
 こういうときは、ビタミンCを取りたくなるから不思議だ。
 先日、愛媛県で栽培されているというブラッドオレンジを手に入れた。
 ブラッドオレンジは果肉が血のように赤いということで命名されているオレンジで、シチリア製のジュースが有名だ。
 そのナマの果実というのは、なかなか目にすることができない。でも、見つけてしまった。愛媛産である。
 本当になかが真っ赤で、アントシアニンが豊富に摂れそう。
 皮は結構かたいので、日本のみかんのようにむいて食べるよりも、オレンジのように切り分けた方が食べやすい。
 う〜ん、かなり濃厚な味わいで、ビタミンとミネラルがたっぷり含まれている感じ。
 これでまた原稿と向き合うことができそうだ。
 いまは、女性誌の特集号の校正と単行本の校正が重なり、雑誌のインタビュー記事と新聞の連載が詰まっている。
 でも、なんとか原稿書きの方はめどが立ってきた。
 これからこまかい校正に取り組まなければならない。これが、眼精疲労を招くんだよね、やれやれ…。
 ひとつ原稿が終わると、新譜を聴くことにしている。これも山ほど積み重なっていて、整理が追いつかない。
 もう、完全に私のキャパシティを超えているわね。整理しても、散らかっていく一方なのだから。
 だれか〜、キャパシティを広げる術を伝授してくださいな〜(笑)。
 今日の写真は、疲れにカツを入れてくれるお助けフルーツのブラッドオレンジ。やっぱり、愛媛県って暖かいのねえ。


 
| 美味なるダイアリー | 23:04 | - | -
テディ・パパヴラミ
 私たちは、アルバニアという国をどれだけ知っているだろうか。 
 共産主義独裁政権下のアルバニアからパリに移り、パリ国立高等音楽院でピエール・アモイヤルに師事したヴァイオリニスト、テディ・パパヴラミは、その国と日本の架け橋的な存在となった人である。
 パパヴラミは、「ひとりヴァイオリンをめぐるフーガ」という本をフランスで出版し、その邦訳が刊行された(藤原書店)。 
 新譜はバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番(エマニュエル・クリヴィヌ指揮ルクセンブルク・フィル、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ、パガニーニの無伴奏ヴァイオリンのための「24の奇想曲」、スカルラッティのソナタ編曲版(パパヴラミ編)などが収録された6枚組(マーキュリー)。
 今日は彼のインタビューがあり、22歳までの人生を綴った本に関して、ハイフェッツの録音を聴いた衝撃、アモイヤルの指導、ヴィクトリア・ムローヴァとの出会い、バッハの無伴奏作品について、ボウイングの話、今後の課題と夢など、多くを語ってくれた。
 パパヴラミは演奏ばかりではなく、文筆家としても才能が豊かで、翻訳も編曲も俳優業もこなす。
 素顔は、まさに俳優のよう。話をしながら表情が幾重にも変化し、顔を見ているだけで感情が読み取れる。
 その後、出版記念のミニパーティがあり、そこではJ.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのバルティータ第2番」から「シャコンヌ」が演奏された。
 使用楽器は、LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトン貸与の1727年製ストラディヴァリウス「Reynier」。とてもこぢんまりとした部屋だったため、ごく間近にストラドの音を聴くことができ、その演奏の奥に宿るパパヴラミの波乱万丈の人生が伝わってくるようだった。
 今日のインタビューは、「CDジャーナル」に書く予定である。
 なお、4月7日にはHAKJU HALLで、ピアノの萩原麻未との共演によるリサイタルが開かれることになっている。
 今日の写真は、インタビュー中のテディ・パパヴラミ。とてもスリムで黒ずくめの服装がよく似合う。
 インタビュー中はとても真摯な表情をしているが、笑うと目がおだやかな光を放ち、温かな人柄を思わせる。



 
 
| アーティスト・クローズアップ | 23:47 | - | -
読書の時間をいかに確保するか
 休日も返上で、たまっている原稿と格闘していると、どうしても本を読む時間が確保できない。
 いろんな出版社からアーティストの本、作曲家や作品にまつわる本などが送られてくるが、机の上に山積みになっていて、この山はいっこうに低くならない。
 いまは、来週インタビューするヴァイオリニストの単行本を読破しなくてはならないのだが、これが360ページもある分厚い本。ありゃりゃ、どうしよう。
 じっくり読んでいかなくては、インタビューに臨めないし、その時間もないし…。
 そうこうしているうちに、インタビューをする雑誌の担当者から、そのアーティストのCDがドーンと送られてきた。ウワーッ、これも重量級だ。
 というわけで、本とCDをにらみながら、どう時間をやりくりするか頭を悩ませている。
 でも、このアーティストは、とても興味深い人なのである。
 また、月曜日に、その報告をします。まずは、資料を頭にたたき込まなくては…。
 
| 日々つづれ織り | 21:46 | - | -
ボッティチェリ展
 時間に追われ、あわただしい毎日を送っていると、アイデアが枯渇してくる。
 こういうときこそ、美のオーラを浴びなくてはならない。
 早くいかなくては、とずっと思っていたボッティチェリ展がもうすぐ終わってしまうため、思い切って東京都美術館に出かけた。というのは、金曜日は20時まで開館しているからだ。
 だが、今日の上野は肌寒い気候にもかかわらず、週末とあって上野公園は夜までお花見の人、人、人。
 それをかきわけ、美術館に着いたら、またもや人、人、人。
 エーッ、こんなに遅いのにまだ混んでるよ〜、みんな週末だというのに、どうして?
 でも、私も4月3日に終わるからと滑り込みセーフをねらったのだから、みんな同じ気持ちなのかもしれないわね。
 ボッティチェリの作品は、いろんなところで見ている。
 今日は、フィレンツェのウフィツィ美術館の「ラーマ家の東方三博士の礼拝」、ミラノのポルディ・ペッツォーリ美術館の「聖母子(書物の聖母)」、グラナダの王室礼拝堂の「オリーヴ園の祈り」などの絵に再会することができ、その絵を見たときの現地の様子がまざまざと脳裏に蘇ってきた。
 本物の絵というのは圧倒的な存在感を放ち、見る者を釘づけにする。絵のなかから長年の歴史と伝統の重みが伝わり、何世紀も生き抜いてきた絵の生命力に敬意を表し、ひざまづいて祈りたくなるような思いを抱く。
 ボッティチェリの絵は繊細で緻密で、匂い立つような馨しさが感じられる。特に人物の目の表情がすばらしい。
 会場の出口には、「ラーマ家の東方三博士の礼拝」に描かれた自画像のレプリカが飾られ、多くの人たちがボッティチェリと並んで写真を撮っていた。
 今日の写真は、そのボッティチェリのレプリカ。



 やはり、これだけ存在感のある上質で美しい絵に触れると、疲れが一気に吹き飛ぶ。記念に、ボッティチェリの聖母子から触発されてデザインしたというネックレスを購入した。
 いろんなデザインと色があったけど、私はかなり色彩を押えた繊細なネックレスを選んだ。こういう美術館グッズは、なんとなく心が癒されるから不思議だ。




 
 
| 日々つづれ織り | 23:36 | - | -
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