Yoshiko Ikuma - クラシックはおいしい -Blog

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チョン・キョンファ
 昨年1月、極寒のソウルに取材に行き、チョン・キョンファのインタビューを行ったが、先日彼女が来日して、新譜のインタビューに応じた。
 この新譜は、ソウルのときには「まだまだ演奏は先になると思うわ」と語っていた、J.S.バッハの「6つの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」(ワーナー 9月30日発売予定)。
 このライナーノーツも頼まれたため、レコード会社から事前に録音のニュースを聞いていたわけだが、その一報が届いたときは、「ついに録音したんだ!」と感慨深かった。
 インタビューでは、その録音にいたるまでの様子、録音時のこと、バッハの作品に関すること、各々の作品との出合い、どのように解釈と表現が変ってきたかなど、さまざまな角度から話を聞いた。インタビューは次号の「intoxicate」に書く予定である。
 キョンファは、とても雄弁だ。大声でガンガンまくしたてる。そのスピードとリズムに、演奏を重ね合わせることができる。
 ジョークやユーモア、ウイットに富んだことも交え、身振り手真似も豊かで、芝居をしているようだ。
 このバッハは、本人いわく、「大きな挑戦」とのことで、満を持してレコーディングに臨んだという。
 今後はロンドンやニューヨークで、このバッハの無伴奏を演奏する予定が入っていて、2017年には日本公演も考えているそうだ。
 彼女は、長い間、手の故障でヴァイオリンが弾けない時期を乗り越え、いまはじっくりマイペースで演奏活動を行っている。
「バッハと向き合うと、自分のことがよくわかるのよ」
 彼女はこういって、このときばかりは真摯な表情を見せた。まだ、音源は届いていないが、届き次第、ライナーノーツの執筆に取りかからなければならない。
 今日の写真は、インタビュー後のチョン・キョンファ。写真を撮っている間も、ずっと「よく撮ってね〜」といいながら、ケラケラ笑っていた。
 それにしても、とてつもなくエネルギッシュな人である。



 
| 情報・特急便 | 22:30 | - | -
ルノワール展
 4月27日から8月22日まで、国立新美術館で「ルノワール展」が開催されている。
 オルセー美術館とオランジュリー美術館所蔵の100点を超える絵画、彫刻、デッサン、パステルなどが展示され、ルノワールの全貌を知ることができる。
 とりわけ、今回は日本初公開のルノワールの最高傑作と称される「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(1876)が展示され、大きな話題を呼んでいる。
 会場を訪れると、やはりこの絵のところだけ人の数が違う。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」と「田舎のダンス」「都会のダンス」の部屋は、他の部屋よりも広々とした空間がとってあり、人が多くても、じっくりと見ることができるよう工夫が施されている。
 私は、以前にもパリで見た、ルノワールのバラの絵が忘れられず、今回も「桟敷席に置かれたブーケ」の白いバラに魅了された。
 ルノワールは特有の人物画を描くことで知られているが、彼の静物画もまた実に色彩と陰影と存在感があり、バラの香り立つような美しさが際立っている。
 今回、実際の絵をゆっくり鑑賞して新たな発見があったのは、「草原の坂道」。ほのぼのとした絵で、淡い色彩と人物配置が、どこかのどかでぬくもりに満ちた空気を生み出している。
 もうひとつ、心惹かれたのは、ルノワールの絵具箱、パレット、絵具皿、容器、筆、ナイフ、チューブ入り油絵具。とてもリアルで、画家の存在を身近に感じることができた。
 会場には、ルノワールの晩年の映像もほんの短いながら映し出され、画家の素顔を垣間見ることができて興味深い。
 美しい絵を見ると、感性が磨かれ、精神的に豊かになる感じがする。
 今日の写真は、日本初公開の「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(チケットより)。光の描写のすばらしさに見入ってしまう。





| 日々つづれ織り | 21:45 | - | -
中村紘子
 昨夜から今日に日付が変わるころ、音楽事務所からピアニスト中村紘子(本名:福田紘子)の訃報が送られてきた。7月26日午後(22時25分)、大腸がんのため自宅で逝去したとのことだった。享年72。
 彼女は2015年に大腸がんの診断を受けたことを公表し、治療しながら演奏活動を行ってきたが、最近は治療に専念するため、コンサートを休止していた。
 訃報が届いたときは信じられない思いでいっぱいとなり、しばらく何も手につかなくなった。
 思えば、中村紘子にはずいぶんインタビューや取材を行ってきた。ショパン・コンクールのときも、現地で審査員としての感想を聞いたり、プラハでも取材を行った。自宅でのパーティにも招いていただき、ずいぶん前のことになるが、ご主人の庄司薫氏とともに食事に出かけたこともある。
 そんなさまざまな思い出が走馬灯のように脳裏に蘇り、完全に脳が覚醒し、眠れなくなってしまった。
 今朝は、9時過ぎから次々に新聞や雑誌の担当者から追悼文の依頼が入り、週明けまでに原稿を入稿することになった。
 今日は、もっとも最近のインタビューを「インタビュー・アーカイヴ」第71回として紹介したいと思う。

[レコード芸術 2014年10月号]

“あるがままの現在(いま)”を写しとる デビュー55周年記念アルバム

 日本を代表するピアニストのひとりとして、長年第一線で活躍を続けている中村紘子がデビュー55周年を迎え、記念アルバムを作り上げた(DREAMUSIC)。プログラムはモーツァルトのピアノ協奏曲第24番&第26番「戴冠式」と、ショパンのマズルカ集という組み合わせ。モーツァルトは山田和樹指揮横浜シンフォニエッタとの共演である。

山田和樹との出会い

 開口一番、「55周年とは早いものですね」という問いかけに対し、彼女らしいウイットとユーモアに富んだひとことが戻ってきた。
「私ね、1歳でデビューしたものですから(笑)」
 今回のアルバムは、昔から好きだったという作品を選んでいる。
「私とモーツァルトは、ちょっとミスマッチのような感じがするといわれ、モーツァルトのコンチェルトはこれまで圏外にあるような作品だったんです。でも、あるコンサートですばらしい指揮者と巡り会い、この人との共演ならとひらめいたわけです」
 2014年2月17日、中村紘子は山田和樹指揮横浜シンフォニエッタとともにベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を演奏した。そのときに初めて山田和樹に出会ったわけだが、そのコンサートの成功が今回の録音における共演へとつながった。
「山田さんは音楽的素養がすばらしく、人柄も誠実で人徳を備え、とてもさわやか。一緒に演奏して、一度でその音楽性と人間性に魅せられてしまったの」
 この共演話はすぐに決まったが、山田和樹がスイス・ロマンド管弦楽団との来日時だったため、2日間しか空き時間がない。そこでオーケストラのリハーサルとピアノの準備、マイクセッティングなどに1日を当て、コンチェルト収録はたった1日で行った。
「山田さんは横浜シンフォニエッタと入念なリハーサルを行ったのですが、このオーケストラは実力派ぞろいゆえ、どんどん音楽がよくなっていき、最後はすばらしい演奏を聴かせてくれました。もちろん私も短時間に集中して取り組みました」
 山田和樹に絶対的な信頼を置き、彼にすべて任せたと明言する中村紘子。これまでは、結構こまかいことまで気にしたが、今回は「なるようになる」という精神で臨んだ。
「うまくいくことも、そうでないことも、録音の現場ではいろいろなことが起こります。以前は、それを気にしていましたが、最近はいいじゃないか、これもひとつの運命と、こまかなことにこだわらなくなったの。年齢と経験のなせるワザかしらね(笑)」

新垣隆作曲のカデンツァ

 今回のピアノ協奏曲第26番第1楽章のカデンツァは、新垣隆が担当している。
「新垣さんも短時間で仕上げてくれました。でも、できあがった譜面を見ると、彼の人柄がよく表れているようなとても控えめなカデンツァでした。スケールの大きさなどがなくこぢんまりとした感じで、音域の幅も小さかったので、もうちょっと華やかにしてくださいとお願いしました」
 その結果、ごく自然な形でカデンツァに入っていくことができる作品に仕上がり、納得のいく演奏ができた。
「カデンツァというのは、ソリストのすべてを大公開して見せるところ、デモンストレーションのようなものなんですね。華やかさもあり、奏者の知識も盛り込まれます。私はこれまでブラームスやパウル・バドゥーラ=スコダをはじめ、いろんな人が作ったカデンツァを見ていますが、本当に多種多様。今回の新垣さんの作曲によるカデンツァは、オーソドックスで知的な感じです」

ワルシャワで勉強したショパン《マズルカ》

 一方、ショパンの《マズルカ》に関しては、さまざまな思い出がある。マズルカは非常に数多いが、今回選んだ第18番ハ短調作品30―1には、とりわけ深い思い出が刻まれている。
「このマズルカは、私がショパンにのめりこむきっかけとなった作品で、ポーランドに留学する機会を与えられたともいうべきものなのです。私が16、17歳のころ、1955年のショパン国際ピアノ・コンクールで優勝したアダム・ハラシェヴィチが初来日し、演奏会を開いたんです。オール・ショパン・プロで、演奏は流麗で伝統的なスタイルでした。なかでもマズルカのハ短調作品30―1がすばらしく、心に深く響いてきたんです。とても率直なショパンで、聴き手の心に飛び込んでくるようなところがあったのです」
 そこで、中村紘子はハラシェヴィチに会い、「あなたに弟子入りしたい」と申し出る。すると彼は「自分は教える仕事はしていないので、代わりに私の先生を紹介してあげよう」といって、ポーランドのピアニストであり、最高のピアノ教師として知られるズビグニェフ・ジェヴィエツキを紹介してくれた。
「当時、私はジュリアード音楽院で学んでいたのですが、夏休みの3カ月を利用してワルシャワに勉強に行きました。そのころ、ポーランドは食べ物にも事欠くような状態で、治安もよくなく、ジェヴィエツキ先生はとても心配してくれ、あらゆる面倒をことこまかに見てくれました。私はとても尊敬していますし、感謝もしています。当時のワルシャワで学んだショパンの音楽というものは、私にとって忘れられないものとなりました」
 その後、1965年、21歳のときにショパン国際ピアノ・コンクールを受けて入賞とともに最年少者賞も受賞するわけだが、このときに弾いた《マズルカ》は、第20番変ニ長調作品30―3と第21番嬰ハ短調作品30―4。この2曲も今回収録している。
「これらの《マズルカ》は、ワルシャワで勉強した作品です。2曲とも大好きな曲で、ショパンらしさが現れていると思います。今回、モーツァルトのピアノ協奏曲と一緒にレコーディングするのなら、ショパンの《マズルカ》しかないと思ったのです。でも、ショパンの《マズルカ》というのは、大きなステージで聴衆を相手に演奏するには少しためらいがあったのも事実。というのは、《マズルカ》はショパンの心情がもっとも素直に現れ、ショパンのエッセンスが凝縮している作品。もちろん家では好んで弾いていますが、これまであまりステージでは弾いていません。今回は、それをさまざまな思い出を掘り起こしながら録音しました」
 実は、《マズルカ》第20番変ニ長調作品30―3は大好きな作品なのだが、ショパン国際ピアノ・コンクール後、ウラディーミル・ホロヴィッツの演奏を聴いてあまりのすばらしさに衝撃を受け、以来あまり自身では演奏しなくなったのだという。それを今回、ようやく封印を解いて録音した。

55年という歳月が刻まれたアルバム

 中村紘子がこうしたショパンの舞曲の要素が盛り込まれた作品に強く惹かれるのは、もちろんワルシャワで学んだことも大きな理由だが、もうひとつ、10歳のころに師事したポーランド出身のレオニード・コハンスキの影響も考えられる。
「コハンスキ先生のレッスンで一番覚えているのは、ショパンの《ワルツ》や《マズルカ》を私と一緒に踊ってくれたことです。私はまだ子どもでしたから、大きなからだの先生が私を抱えるようにしてワルツやマズルカのリズムを踊って示してくれたのは、貴重な経験となりました。いまなお、私がこうした舞曲に根差した音楽を抵抗なく楽しんでいられるのは、先生の教えのおかげです」
 こうした多くの記憶が鮮明に刻まれた今回の録音。次はぜひ、ショパンの《マズルカ》全曲録音を、という声も聞かれる。55周年という年月には、さまざまな人との出会い、各地で演奏した経験、そしてそれにまつわる作品との思い出などあらゆるものが詰まっている。それらすべてが演奏に投影され、聴きごたえ十分のディスクが出来上がった。
「モーツァルトとショパンのエッセンス、それを聴き取ってほしいですね」 

 こう語っていた中村紘子。残念ながら《マズルカ》の全曲録音は、かなわぬ夢となってしまった。このインタビュー後も、何度か彼女に会う機会があり、病気の公表後も前向きに明るく話していた。
 これから機会を見て、これまでの取材記事を徐々に紹介していきたいと思う。
 今日の写真は、その雑誌の一部。謹んでご冥福をお祈りいたします。




 
 
| 情報・特急便 | 23:27 | - | -
ソル・ガベッタ
 アルゼンチンから国際舞台へと彗星のごとく躍り出たチェリストのソル・ガベッタは、陽気でオープンな性格。演奏も前向きでパワフル、聴き手の心を瞬時にとらえるインパクトの強さを備えている。素顔も明るく、太陽のようだ。
「インタビュー・アーカイヴ」の第70回は、そんなソルの登場。

[弦楽ファン 2007年 Vol.10]

私は人間味あふれる音楽が好き 

 ソル・ガベッタの名前が日本で知られるようになったのは、ある1枚のCDがリリースされてからのことだった。2005年にアリ・ラシアイネン指揮ミュンヘン放送交響楽団と共演して録音した「ロココ風の主題による変奏曲〜ソル・ガベッタ・デビュー」(BMGジャパン)は、みずみずしい音楽性に彩られたポジティブな演奏で、チェロと一体となった若き奏者の音楽は、多くの人々を魅了した。以後、彼女はひんぱんに来日を重ねていく。
「でも、正直いうと、このデビュー・アルバムの録音は、私自身ものすごく入れ込んで集中し、あまりにも感情過多になりすぎたため、終わってから約1年ほどはCDを聴くことができなかったくらいです。どんな結果か、怖かったんです。ようやく1年を過ぎたころに聴いてみて、自分としては納得のいく演奏になっていたので、ホッと胸をなでおろした感じ。録音のきびしさを知らされました」
 つい先ごろ、セカンドアルバムでヴィヴァルディの協奏曲を取り上げたが、今回は自分の演奏を冷静に受け止めることができた。
「バロックの弓を使用しています。奏法も表現法も、作品の時代に合う様式をずいぶん研究しました。今度は、第1テイクのプレイバックをすぐに聴きなおして、いろいろ考えることができました。少しは成長したかしら(笑)。私の場合は、デビューCDが出てからすぐに各地から招待をいただき、海外でも演奏ができるようになりましたが、以前は友人たちからCDを出しても何も変わらないよ、といわれていました。ですから、とてもラッキーだったと思います」
 いまはスケジュールが満杯、世界各地を飛び回る生活だ。本拠地はスイスのバーゼル郊外の緑に囲まれたオルスベルク。ここでは2006年6月から音楽祭を開催している。
「たまたま家を探していて、静かでゆっくりできる環境のところが見つかったんです。ここは隣がチャペルで、演奏する場所もいくつかあったため、気の合う友人たちと小さな音楽祭を始めたの。名前は私の名と村の名を合わせたソルスベルク。私の名前は太陽という意味で、ベルクはドイツ語で山。陽のあたる山という名の音楽祭になりました。最初は週末だけの小さな規模だったのに、今年は一気に大きくなって、12公演も行ったんですよ。好きな人たちと好きな作品を好きな場所で演奏する、これが基本ポリシーです」
 ソルという名前は、母親が命名した。実は、ガベッタ家には自閉症の長女がいて、2番目はヴァイオリニストの兄、その下に双子が生まれたが、生後まもなく亡くなってしまった。母親は深い悲しみに襲われたが、ぜひもうひとり子どもがほしいと願い、今度の子は家に太陽をもたらしてくれると信じた。
「私は家族の願い通り、明るい性格になりました。でも、これは母から受け継いだもの。母はどんな苦境にあっても、絶対にへこたれない強い人で、いつも物事を前向きに考える。私もそうありたいといつも思っています」
 ソルは3歳半でヴァイオリンとピアノを始めた。5歳上の兄がスズキメソードに通っていたため、それについていったのがきっかけだ。その後、4歳半でチェロに転向。以後、この楽器ひと筋となる。
「幼かった私は、兄がヴァイオリンを弾く姿を見てうらやましくてたまらなかったのです。でも、どんな分数楽器でも楽器は大きすぎる。だから聴覚を鍛えるレッスンを主体に行っていたの。1年後に、当時アルゼンチンに初めてハーフサイズのチェロが入ってきて、それにひと目惚れ。実際はものすごく大きくて、私にとってはコントラバスのような存在だったけど、ヴァイオリンやピアノを習っていたので、上達は早かったみたい」
 その後、10歳からイヴァン・モニゲッティのもとに10年間通い、基礎をじっくりと学ぶことになる。
「最初に師事したときは10歳でしたので、本当に基礎的なことから勉強しました。モニゲッティ先生は私のコンサートにも同行し、その地の美術館や博物館に連れていってくれ、文化的な面の勉強も大切だと教えてくれました。私の成長を形成する上で、非常に多くのものを与えてくれた恩人です。そして20歳になったとき、自分の恩師であるダーヴィド・ゲリンガス先生のところにいきなさいと薦めてくれたのです。ゲリンガス先生はとてもきびしいレッスンをすることで知られていますが、私には自分自身のパーソナリティを生かす演奏、音質の大切さを教えてくれます。先生は本当にすばらしい美音の持ち主で、私もいつの日かそんな音色が出せたらと願って、日々練習に励んでいます」

演奏は、大切な生きがい

 ソル・ガベッタは、これまで多くの偉大な指揮者と共演を重ねているが、そうした指揮者の多くが彼女の人間性と音楽性にほれ込み、支援を申し出ている。まず最初に出会ったのは、2004年9月にルツェルン音楽祭でショスタコーヴィチの協奏曲で共演したワレリー・ゲルギエフである。
「マエストロ・ゲルギエフはとてもエネルギッシュ。そのパワーに負けないよう頑張りました。ショスタコーヴィチはロシア音楽の大切な位置を占める作品ですから、リハーサルのときから、いろんなアイディアを与えてもらいました。その後、大きな影響を受けたのはネーメ・ヤルヴィ。彼は経験も知識もとても豊富。ともに演奏するだけで勉強することは山ほどあります。そしてレナード・スラトキンも、初めて共演したときに、きみは北米で演奏したことがあるか、なかったら私が手を貸そうといってくれ、その後、マエストロ・スラトキンは私の北米での演奏の扉を開いてくれたのです」
 明るく人なつこく前向きな彼女は、だれにでも好かれるようだ。
「そんなことはないですよ。私のことを結構うるさいと感じる人もいるみたい。遠慮せずにどんどんしゃべるからかも。でも、いまはせっかくいただいたチャンスを目いっぱい生かすよう、何にでも積極的にチャレンジしていきたい。もちろん、人とうまくやりながらね。私はすごくストレスがたまる方で、ヘルペスになることが多い。これは最近、日本の鍼灸治療が効くとわかったの。これでも、結構周囲に気を遣っているのよ(笑)」
 彼女は日本にくるのが長年の夢だった。いつもマネージャーにどんな仕事でもいいから日本で演奏させて、と頼んでいたとか。
「日本の文化、歴史、人々の仕事に対する熱意、礼儀正しく人を尊重する態度など、全部大好き。夢はかなったけど、この夢はいま始まったばかり。今後はもっと日本を知りたい」
 趣味は新体操。子どものころから飛んだり跳ねたりが好きだったが、腕や指を痛めるからと、中止することになってしまった。
「私たちはからだが資本。いい演奏をするためには、健康が一番。空港とホテルとホールの往復で心身が休まるときがないけど、できる限り自分の時間をもち、精神と肉体を健全な状態に保ちたい。私は人間味あふれる音楽が好きなの。テクニックに頼った、無機的で機械的な演奏はしたくない。そのためには自分を磨かないと。演奏はけっして仕事ではなく、大切な生きがい。生きる意義を問われるもの。生き方すべてが演奏に表れてしまいます。ですから、もっと内面の強さをもつ人間になりたいし、きびしい局面に出合ってもへこたれない人間になりたいの。そうすれば、音楽的な面や奏法で悩みにぶつかったときも、きっと乗り越えられると思うから」

 ソル・ガベッタは、とてもひたむきで向上心に富んだ人だった。このインタビューからかなり年月が経ったが、またインタビューする機会に恵まれたら、もっと彼女の内面に触れたいと思う。明るさと繊細さ、行動的な面と思慮深さ、さまざまなコントラストを併せ持つ人である。
 今日の写真は、その雑誌の一部。


 

 
| インタビュー・アーカイヴ | 21:50 | - | -
檸檬オリーブオイル
 小豆島のオリーブオイルの専門店、井上誠耕園は、私が愛するオリーブオイルやジャム、トマトソースなどを幅広く製造している。
 先日、吉祥寺の東急百貨店にこのお店の商品が期間限定で出店したため、すぐさま飛んでいって、いろんな商品を購入してきた。
 なかでも逸品は、檸檬オリーブオイル。摘みたてのオリーブとレモン果実を同時に生搾りしたもので、いま日本とは季節が逆のオーストラリア生まれのエキストラバージンオリーブオイルとレモンを用いている。
 このオイルはモッツァレラチーズやトマトのサラダ、白身魚のカルパッチョ、海老と完熟トマトのサラダ、ソテーした鯛などに合うと教えてもらった。
 もっともストレートに味わえるのが、パンにつけて食べる方法。最初にレモンの香りがフワーッとただよい、口のなかでオリーブオイルと混ざり、えもいわれぬおいしさに酔ってしまいそう。
 ふつうにオリーブオイルにレモンを絞っただけでは、こうはいかない。やはり搾りたての新鮮さが勝負なのだろう。
 なるべく早く召し上がってください、と何度も店員さんにいわれたが、鮮度が命ということなんだろうな。
 これは、自宅で人を招いてお皿にタラリと入れておいしいパンを添えたら、あっというまにひと瓶なくなってしまうだろうと思う魅力的な味わい。
 本当に食材探しはおもしろい。
 日本は各地にこだわりの商品を作っている人がいて、そういうものを探すのは宝探しのようで興味が尽きない。
 今日の写真は、季節限定の貴重な檸檬オリーブオイル。この瓶、とっておいて、自分でレモンとオイルを混ぜて入れてみようかな。
 でも、そういうケチなことはしない方がいいよね。せっかくおいしいものに出合ったのだから…。


 
| 美味なるダイアリー | 00:00 | - | -
オペラ入門の取材
 今日は、女性誌のエディターによる私へのインタビューが行われた。
 タイトルはオペラ入門で、その雑誌の読者がオペラを楽しむためにはいかにしたらいいか、という内容の質問がいくつか出された。
 事前に質問状が送られてきていたので、いろんな角度から答えを用意し、インタビューに応じたわけだが、編集・ライターのYさんと話しながらちょっとした雑談などを交え、さまざまな話をした。
 私がフリーとして独立したころは、一種のオペラブームで、世の中の景気がよかったためか海外のオペラハウスの引っ越し公演が相次ぎ、ずいぶんオペラ入門の記事を書いたものである。
 海外のオペラハウスなどにも取材に出かけ、指揮者や歌手や演出家、また総監督や劇場支配人などにインタビューを行い、特集記事も手がけた。
 しかし、時代は変わり、現在は海外のオペラハウスの来日公演の前に現地に取材にいくというスタイルはなくなった。
 今日の記事は、リニューアル・オープンした日生劇場のNISSEI OPERAの関連ページで、Yさんが私の話をもとに記事を作成してくれる。
 彼女と話をしながら、オペラの記事を数多く書いていたころのことを思い出した。
 思えば、「Hanako」の連載を書いていた10数年間に、どれほどオペラを取り上げただろうか。他にも女性誌やカード誌、新聞など、オペラの記事をずいぶん依頼されたものだった。
 その多くが「オペラを楽しむためには」「何を着ていけばいいか」「どんなことを予習していったらいいか」「どんな作品を選んだらいいか」「敷居が高そうだけど、何か注意することは」「何を基準に選んだらいいか」「演奏者を選ぶ基準は」「作曲家によってどう作品が違うのか」「まずどこから入ったらいいか」という、基本的な内容だった。
 あれからずいぶん時間が経ったけど、オペラは本当に浸透したのだろうか。
 まず、聴いてみる。劇場に足を運んでみる。これが大切なんだけど、その第一歩を踏み出すのが大変なようだ。
 今日のインタビューでも、そのことを力説した。オペラはPAを使わず、ナマの声で勝負する世界。オーケストラの序曲からフィナーレまで、別世界へと運ばれる。そんな至福の時間、なかなかあるものではない。
 Yさん、楽しい記事を期待していますよ〜。
 
| クラシックを愛す | 22:20 | - | -
てんぷらの会
 井の頭線の浜田山駅に、おいしいてんぷら屋さんがある。
 今日は浜田山に住む友人のKさんのお声掛けで、ピアニストの小林愛実、Kさんの友人のSさんと私の4人がこのてんぷらの名店「藤吉」に集まり、食事とおしゃべりを楽しんだ。
 Kさんに案内され、以前もこのお店にきたことがあるが、旬の材料をふんだんに使ったてんぷらは、どれもすこぶる美味。
 話が弾んでいると、絶妙のタイミングでいろんな揚げたてのてんぷらが少しずつ間を置いてお皿に供される。
 愛実さんと私は、ひとつのてんぷらがくるとすぐにパクついてしまい、ふたりで「なんだか意地汚いねえ」と笑った。
 KさんとSさんは、昨年のチャイコフスキー・コンクールやショパン・コンクールを聴きにいっていて、そこで知り合った仲だそうだが、ふたりは今後も国際コンクールを積極的に聴きにいくそうだ。
 みんな本当にエネルギッシュですごいなあ。
 愛実さんには今後の勉強と活動のことを聞き、現在直面している問題などにも触れた。
 こうして音楽にまつわる話で花が咲き、時間はあっという間に過ぎていく。
 今日の写真は、コースの最後に出された「天茶」。てんぷらの〆に出されるお茶づけで、小エビのてんぷらのかき揚げがお茶づけに見事にマッチ。もうすでにおなかがいっぱいだったが、天茶の誘惑には勝てなかった。
 そして最後のデザートは、生姜のシャーベット。すっきりしゃっきり、ピリッとした辛さがほどよく効いて、これまた絶品でした。
 さて、おいしい天ぷらをいただいてエネルギーをチャージしたし、明日からまた目いっぱい仕事をしなくっちゃ。
 
| 親しき友との語らい | 23:46 | - | -
かわいいチョビの想い出
 猫や犬の大好きな私は、ペットを飼いたいと常々思っているが、出張があったり京都の仕事部屋に出かけたりすることを考えると、う〜ん、無理だなあと思ってしまう。
 以前、目黒の洗足に住んでいたころ、近所の家にものすごくかわいい子猫がいた。私は勝手に「チョビ」と名付けてかわいがっていた。
 この子は私にとてもなついていて、仕事から帰ってくると家の前の道路でずっと待っていたかのように喜んで寄ってきたり、朝刊を取りに出るとすぐに駆け寄ってきたり、ちよっと留守が続くと、私の顔を見るなり「プイッ」と横を向いて、「なんで、ちっともいないの?」という表情をしたり…。
 まるで人間のような喜怒哀楽の感情を表す子で、もうたまらなく愛くるしかった。
 ところが、ある日、不慮の死を遂げてしまった。
 ああ、もっと一緒にいてやればよかった、本当はさらってしまえばよかった、チョビちゃん、どうして急にいなくなってしまったのと、しばらくはペットロスのような状態に…。
 これまで実家ではいろんな猫や犬を飼っていて、それぞれ想い出がたくさんあるがチョビは特別な猫だった。
 私が、自宅の鉢植えを2、3個日陰になってしまうのを避け、朝一番で前の日当たりのいい道路に並べていると、チョビはずっとその鉢植えを守っていてくれた。
 私が仕事から帰ってくると、よく手を鉢に乗せて、「よっちゃん、守っていたよ〜」といっているかのように「ニャーッ」と鳴いて迎えてくれたものだ。
 ああ、ダメだ。涙がこぼれてきてしまった。チョビは、天国でもきっとみんなに愛されているに違いない。
 今日の写真は、鉢植えに手を乗せているチョビの様子と、私が玄関のドアを開けるとすぐに寄ってくる様子。
 いまほど感度のいいカメラではなかったため、ボケボケだが、私にとっては宝物のような写真である。




 
| 日々つづれ織り | 23:39 | - | -
DUO 5 岡崎慶輔&伊藤恵
 CDのライナーノーツはひと月に何枚か原稿を書いているが、ライナーの依頼が入ると録りたてのほやほやの音源が送られてくるため、繰り返し何度もじっくりと演奏を聴くことになる。
 最近、担当したライナーのなかで、特に繰り返して聴いているのが、ヴァイオリニストの岡崎慶輔とピアニストの伊藤恵による「DUO 5」(フォンテック)である。
 2008年にスタートしたふたりのコンビによるこのシリーズ、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを必ず1曲収録し、さまざまな作曲家の作品と組み合わせるというコンセプトのもとにプログラムが組まれている。
 第5作は、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第3番、サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ第1番、ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタという組み合わせだ。
 岡崎慶輔は、2005年にミュンヘン国際音楽コンクールの優勝者となり、日本人では21年ぶりの快挙となった。ドイツ留学を経て、ソリストとして内外で活躍していたが、2010-2011年シーズンよりチューリヒ歌劇場管弦楽団のコンサートマスターを務めている。
 伊藤恵は、ザルツブルク、ハノーヴァーで研鑽を積み、1983年にミュンヘン国際音楽コンクールで優勝を果たした。以来、多くの著名な指揮者と共演を重ね、録音ではシューマン、シューベルトをレパートリーの根幹に据えている。
 ふたりはこれまで何度も共演を重ね、お互いの呼吸を呑み込んだデュオを聴かせているが、ここに聴く3曲も、情感豊かな歌と熱意と前向きな精神を映し出すもの。何度聴いても、また最初から聴きたくなる、引力の強さを備えている。
 ヴァイオリニストは、本当に自分とピタリと合うピアニストを見つけるのは至難の業で、世界中のヴァイオリニストが生涯この問題と戦っている。
 音楽性と人間性の両面で合う人を探すのは本当に難しく、インタビューでもそうした苦労話を何度も耳にしてきた。
 岡崎慶輔は、その意味で伊藤恵という最良のパートナーに巡り会えて、実に幸せである。
 彼らのデュオは作品との真っ向勝負であり、その気概がビシビシと伝わってきて、痛快ですらある。
 今日の写真は、新譜のジャケット写真。次なる第6弾も楽しみ…。



| アーティスト・クローズアップ | 22:18 | - | -
取材後の栄養補給
 今週は、次なる単行本のインタビューを月曜日、金曜日と行い、長時間に渡ってアーティストに話を聞いた。
 これまでどのような構成にしたらいいか、どういう章立てにしたらいいか、どの時代のどのエピソードから始めたらいいかなど、全体の流れがなかなかつかめなかったが、今日のインタビューで、ようやく自分のなかで骨子が見えてきた気がした。
 こうなると、しめたものである。具体的な作業に入ることができる。
 長時間に渡って話を聞いているテープ起こしをし、資料をさらに読み込み、おおまかな流れと章立てを考慮し、文章の構成を考えていく。
 月曜日は約4時間、今日は5時間におよび、腰痛の私は同じ姿勢を続けているため、立ち上がるのに苦労するほど腰が痛かった。
 そこで、今日は途中から床にじかにすわることを許してもらい、アーティストも私の正面でじかにすわり、まさに対話スタイル。
 5時間といっても、この間にお茶を飲んだり、お菓子を食べたり、雑談をしたり…。
 終わるともうすっかり夜になってしまい、栄養補給をしなくちゃと、西荻のオーガニックレストラン「バルタザール」に飛び込んだ。
 最近、新たなメニューが増え、「今日のごはん」というセットメニューがお目見え。
 今日は「真あじの梅煮」と「なすの大豆ミートソース」。これにスペインの赤ワインを頼み、デザートは「白玉入りぜんざい」と「三年番茶」。すべてが自然な味わいで、疲れたからだにスーッと入っていく。
 さて、明日からこの単行本の具体的な作業に入らなくっちゃ。
 本当は、京都の祇園祭の後祭を見にいきたかったが、ちょっと今年は無理だ。残念無念…。五山の送り火はいけるかなあ。
 今日の写真は、「バルタザール」の美味なるお料理の数々。家で作ったような飾らない味付けで、玄米ごはんもすっごくやわらかくておいしかった。






| 美味なるダイアリー | 23:11 | - | -
快気祝い
 最近、私の仕事仲間が大きな病気で倒れるケースが相次いでいる。
 今春、親しいOさんが入院し、その後、仕事に復帰したわけだが、なかなか快気祝いができなかった。
 昨日は、OさんとKさんと私の仲良しトリオが池袋の和食屋さんに集まり、快気祝いを行った。
 もちろん、Oさんの体調や、食欲、お酒の飲み方などが気になるため、Kさんと私はメニューの選び方にも気を遣ったが、一応なんでも食べられるということで、ホッと胸をなでおろした。
 Oさんは以前とあまり変わらず、よく食べ、よく飲み、よくしゃべっていたので、Kさんと私は次第に快気祝いということを忘れ、自分たちの仕事のことを話し始め、お互いに近況報告をし、5時間半にわたって盛り上がり、「閉店ですが…」とお店の人にいわれるまで居座っていた。
 いつものことだが、この3人(女ふたり、男ひとり)が集まると、いつまでも話は尽きない。
 でも、お互いに健康に注意しようね、ということで解散となった。
 ストレス解消というのは、とても大切なことで、人それぞれ発散の仕方が異なると思うが、私はこういう歯に衣着せぬおしゃべりに興じる仲間と話すことが、一番いい方法となる。
 人間関係のストレス、仕事のストレスは日々生じてくるもので、ひとつの問題が解決したと思っても、すぐに次なる問題が起こる。それをひとつずつクリアし、前向きに対処しようと考えるわけだが、これがなかなか難しい。
 OさんもKさんも、いろんな問題を抱えている。それをすべてぶっちゃけて話すことにより、少しだけ胸のなかが軽くなる。
 昨日は、ふたりからいい助言をもらい、さて今日は問題を解決するゾと意気込んでいたら、またまた新たな問題が目の前に高い頂となって現れた。
 仕事をするということは、こうした問題に対応できるタフさが必要で、特に私のようにフリーで仕事をしている場合は、すべてひとりで対処しなければならない。
 でも、話を聞いてくれ、親身になって考えてくれる仲間がいると、救われる気分になる。さて、また難題と取り組みますか…。
 
| 親しき友との語らい | 22:41 | - | -
チョン・ミョンフンの焼肉
 夏はビールと焼肉である。
 忙しいときは、とにかく体力をつけなければならない。
 それには、おいしい焼肉をもりもり食べて、冷えたビールを飲み、ごはんもたくさんいただく。
 これに限ります!
 今日は「アーティストレシピ」を更新し、チョン・ミョンフンに登場してもらい、昔から私が愛用している秘伝ダレの焼肉を紹介している。
 ぜひ、調味料を加減し、自分流の味、わが家の味にして、楽しんでくださいな。
 私は、この時期ルーフバルコニーにホットプレートを出して、外でガンガン焼いて食べている。もやし、にら、なす、キャベツ、チンゲンツァイなど、野菜も一緒に焼くと栄養のバランスがとれる。
 チョン・ミョンフンのように、元気になれますよ〜。
 
| 美味なるダイアリー | 22:04 | - | -
単行本の取材
 いま、次の単行本の取材の真っただ中である。
 これまで何度かそのアーティストにインタビューをし、さまざまなことを聞いてきたが、今日もぶっ続けで4時間ほどインタビューを行った。
 でも、ふたりとも途中で集中力が欠如し、お茶を飲んだり、スイーツを食べたり…。
 やはり、4時間続けてインタビューをしていると、心身ともに疲弊してくる。
 アーティストの自宅で話を聞いているため時間制限はないのだが、ときどき雑談を交えながらペースを落とすことも必要で、それゆえ取材はどんどん長引く。
 なにしろ、7月いっぱいでおおよそのインタビューを終え、8月には原稿に取りかからなくてはならない。
 この強行軍にからだは正直に反応し、自宅に戻ったら、同じ姿勢でずっと椅子にすわっていたため、腰痛がぶり返した。
 なんともなさけない話である。
 この連休は長野出張もあり、ロングインタビューもありで、からだが悲鳴を上げているのだろう。
 あ〜あ、まいったなあ。
 こういうときは、好きなことをして、ゆっくりした方がいいんだよね。
 いま、京都は祇園祭の真っ最中である。あ〜、京都に飛んでいきたいよう。
 今週末の祇園祭の後祭り、すべての仕事を投げ打って、行っちゃおうかな。
 
 
 
| ああ愉しき(?)、締切り地獄 | 22:42 | - | -
NCAC音楽大学「音楽の分かる大人になろう」講座DX
 7月16日のナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)の第1回定期演奏会は無事に終了し、その直後に行われた柴田克彦さん、加藤昌則さんと私の3人によるNCAC音楽大学「音楽の分かる大人になろう」講座DXのベートーヴェン講座もようやく終わった。
 ナガノ・チェンバー・オーケストラのメンバーは選び抜かれた実力派が勢ぞろいし、ベートーヴェンの交響曲第1番は、聴きごたえのある演奏となった。
 ただし、昨日はコンサートがかなり伸びたため、講座の時間が押してしまい、翌日の仕事のために松本への移動の電車を予約していた加藤さんはハラハラドキドキ。
 3人で講座の進め方をあれこれ考慮したり、コンサート後に聴衆が帰ってしまわないかと懸念したり、いろんな意味で3人とも気が気ではなかった。
 ひとりの持ち時間は20分。そして1時間後、少しだけ3人でまとめて話をする時間を設け、〆の時間とすることになっていた。
 演奏を聴いていた私たちは、終演後すぐに楽屋へと直行し、マイクを渡され、前日のリハーサルのようにひとりずつ講義を行い、最後に3人でベートーヴェンについてわいわい話し、エンディングを迎えた。
 私はベートーヴェンの人間性をクローズアップする内容を用意していたため、作曲家ゆかりの地で撮影した写真を10枚紹介しながら、ベートーヴェンがそのときに書いた作品や環境、状況、心理状態などをまじえながら話した。
 それから素早く着替えをして駅にかけつけ、それぞれ次の仕事に向かう人、帰路に着く人と、一気に解散となった。
 長野市芸術館は、木をふんだんに使った美しいホールで、メインホール、リサイタルホール、アクトスペースがあり、コンサートの行われたメインホールは壁と床に県産材のクリを使用している。ホールの壁は信州の山並みをイメージしたデザインが施され、音響も柔らかく、音がゆったりと響いてくる。
 新しいホールというのは、まだできたばかりという香りがして、とても感慨深いものがある。ただし、控室やスタッフルーム、楽屋などに通じる通路はたくさんあるため、何回も迷ってしまい、3人とも「これ、ひとりで来たら、出られなくなるねえ」などといって笑った。
 聴衆はとても熱心で、講座もかなり多くの人が残ってくれ、ひと安心。ホールはこれから秋まで、オープン記念のコンサートが次々に開催される。
 今日の写真は4枚。まず、メインホール(1階916席、2階376席 うちバルコニー席10席)から。



 次はリサイタルホール(293席)。



 ホールの1階にあるカフェ、CHOUCHOU。ランチにいただいた夏野菜カレー。野菜たっぷりのまろやかな味わいで、彩りも美しく、とてもおいしかった。





 実は、2017年秋から2018年初春にかけて6回ほど私の講座が予定されていて、そのときは、このカフェで講座の内容に合わせた「アーティストレシピ」をメニューに載せる計画がある。私のレシピをもとにシェフがお料理を作って、提供してくれるのだそうだ。
 まだ先のことなので詳細は未定だが、そんな大それたことしていいのかなと思ったり、新たな挑戦にわくわくしたり、いまはまだ複雑な心境だ(笑)。



 
| 終わりよければ…取材奮闘記 | 23:29 | - | -
カフェ・ラントマン
 昨夜は、親しい仕事仲間のYさんと、青山の大好きなお店、カフェ・ラントマンでお食事&おしゃべり会を楽しんだ。
 彼女とはさまざまな形で仕事を組んでいるが、いつもとても前向きで真摯で、一緒に話していてとても楽しい。
 昨日は18時に集まり、閉店の23時まで、5時間も話し込んでしまった。
 このお店は、以前もブログで紹介したが、落ち着いて話せるし、ワインもお料理もとてもおいしい。
 Yさんとは、今後のそれぞれの仕事についてあれこれ意見を出し合い、いい意味で協力体制を取っていこうということになった。
 昨日は次の単行本に関し、午後一番で音楽事務所に関係者が集合し、あらゆる面での打ち合わせを行った。
 いまはアーティストへの取材の真っただ中で、これをなんとか7月中に終わらせ、8月末には約9万字をすべて入稿しなければならない。
 いつもながら、「なんでこうなるの?」と思うほど、タイトなスケジュールである。
 執筆期間が1カ月あるといっても、連載やレギュラーの仕事があり、ライナーノーツや特集記事、インタビューなども入っている。というわけで、それらをどうこなして、単行本の時間を捻出するかが鍵となる。
 いろいろ考えていると心臓がバクバクしてくるので、こういうときは深く考えないようにする。
「なんとかなるでしょ」という心境だ。ほとんどやけっぱちかもしれない(笑)。
 こういう時期に、今日は午後から長野に出かけ、リハーサルに参加し、明日は長野市芸術館で講義。夜遅く戻る。
 明日は11時にホテルのチェックアウトを済ませると、16時からのコンサートまで5時間も空いてしまう。
「観光でもしていたら」
 みんなに話すと、かならずこういわれるが、私はいまそれどころではない。
 長野市芸術館の担当者にひと部屋ミーティングルームを確保してもらって、テープ起こしや資料の読み込みをすることにした。
 というわけで、これから荷作りをし、ベートーヴェン講座の最終的な準備と、もっていく資料を詰めなければならない。
 それでは、講義にいってきま〜す。新たなホールがどんな感じか、また報告します。
 今日の写真は、ディナーコースの前菜サラダ。この後、スープ、メイン料理、デザート、飲み物が続き、ウィーンのワインも一緒にいただいた。
 写真の奥の方に見えるのが、ウィーンの名物ツェンメル。このパンは大好きで、これを食べるだけでウィーンへと心は飛んでいく。ウィーンのツェンメルはもう少し硬めのハード系だが、このお店のツェンメルは少しやわらかめ。ほんわかあったかくて、とてもおいしい。


 


 
| 親しき友との語らい | 11:32 | - | -
ベートーヴェンの講座
 今週の末、長野市芸術館でベートーヴェンの講座を受け持つ。
 HPの「選抜情報倶楽部」でも紹介しているナガノ・チェンバー・オーケストラ(NCO)第1回演奏会の後に行われる「音楽の分かる大人になろう」と題した講座で、講師は柴田克彦さん(音楽ライター)と加藤昌則さん(作曲家・ピアニスト)と私の3人。
 15日(金)夜、現地で講座の打ち合わせとリハーサルが行われ、翌日16日(土)の16時から久石譲指揮によるベートーヴェンの交響曲第1番他のコンサートがあり、その後、講座に移るという予定である。
 いま、その準備をしていて、私はベートーヴェンの人間像に触れるという面を受け持つ。以前、作曲家ゆかりの地を訪れたときのことを交えて話し、そのときに撮影してきた写真を10枚ほどホールのステージに映し出すという趣向である。
 実は、HPのカバーフォトもベートーヴェンの像と「田園」の構成を練った場所として知られる「ベートーヴェン・ガング(ベートーヴェンの散歩道)」を使用しているが、この散歩道の写真の一番右側には細い小川が流れている。
 ベートーヴェンが有名な「遺書」を書いたハイリゲンシュタットは、いまや高級住宅街となり、散歩道も小川もほんの少しだけ残されているにすぎない。
 ベートーヴェンの像はその小径のはずれ、ハイリゲンシュタット公園に建っている。
 ベートーヴェンはこの小径の散歩を日課としていて、大声を出してうたいながら歩く姿が見られたという。
 耳は聴こえなくても、あふれる楽想は尽きることなく、想像力と表現力により美しい交響曲第6番「田園」を書き上げた。
 そんなさまざまなことを講座では紹介したいと思う。
 今日の写真は、ベートーヴェンの散歩道。無機的な素材で作られたフェンスを外し、なんとか小川の流れを入れようと、苦心した1枚。もうこのごく近くまで住宅が迫っている。

| 日々つづれ織り | 00:12 | - | -
アレクサンダー・ガヴリリュク
 アレクサンダー・ガヴリリュクの演奏は、ぐんぐん若芽が空に向かって伸びていくような爽快感と躍動感を感じさせる。
 2000年、16歳のときに浜松国際ピアノコンクールで優勝したときは、まだ少年のような表情をしていたが、いまやがっしりした体格の、エネルギーのかたまりのような、ロシアの大地を思わせる風貌の持ち主となった。
 今日はヤマハホールでリサイタルがあり、シューベルトのピアノ・ソナタ第13番、ショパンの幻想曲、夜想曲第8番、ポロネーズ第6番「英雄」が前半に演奏された。弱音の美しさと、柔軟性を備えた幅広い音色が特徴で、とりわけシューベルトが歌謡的な美しい音色を響かせた。
 後半はロシア・プログラム。プロコフィエフのピアノ・ソナタ第3番、ラフマニノフの練習曲集「音の絵」より第1、2、5、7、9番と続け、最後はバラキレフの東洋風幻想曲「イスラメイ」で、圧倒的なテクニック、深い表現力に満ちたダイナミックなピアニズムを披露した。 
「イスラメイ」が終わると嵐のような喝采が巻き起こり、アンコールを5曲もプレゼント。
 シューマンの「子供の情景」より「見知らぬ国の人々について」、フィリペンコの「トッカータ」、シューマンの「トロイメライ」、メンデルスゾーン=リスト=ホロヴィッツの「結婚行進曲と変奏曲」、ラフマニノフの「楽興の時」より第3番と、情感の豊かさを表す曲と超絶技巧を発揮する曲を交互に配置し、プログラムの妙を示した。
 このリサイタルの公演評は、「公明新聞」の8月発売の号に書く予定になっている。
 今日の写真は、プログラム掲載のもの。1984年生まれだから、すでに30歳を超えたことになる。若芽が伸びていくような、という表現はもう古いかな。実力派としての評価が高いわけだから、地にがっしりと足を着けた、という言い方に変えようかな。それにしても、貫禄ついたよねえ(笑)。


 
| クラシックを愛す | 23:38 | - | -
横坂源
 初録音にJ.S.バッハの「ガンバ・ソナタ集」をレコーディングするのは、とても勇気のいることである。
 若きチェリスト、横坂源が9月14日にこの作品でワーナーから録音デビューを果たすことになった。
 2002年、チェリストの登竜門として知られる全日本ビバホール・チェロコンクールで最年少優勝(15歳)を遂げ、2009年には全ドイツ学生音楽コンクール第1位(室内楽)を獲得、そして2010年ミュンヘン国際音楽コンクール・チェロ部門で第2位入賞に輝いた。
 先日、横坂源にインタビューしたが、彼はデビューCDは絶対にバッハのガンバ・ソナタにしようと決めていたそうである。
 現在は、ドイツでジャン=ギアン・ケラスに師事。
「ケラスはとてもリーダーシップのある人で、生徒をみんな引き連れて、見聞を広めるためにいろんなところに連れて行ってくれます」
 この話を聞き、ケラスのあとに生徒たちがチェロを携えてぞろぞろついていく様子が 目に浮かび、「なんだかカルガモの行進みたいねえ」といったら、横坂源も「そうそう」といって大笑いしていた。
 ケラスはやわらかく自然で温かい音を保持し、それを弟子たちにも伝授してくれるそうだ。
 このインタビューは、「CDジャーナル」に書く予定である。
 とても人あたりがよく話しやすいタイプで、ドイツで学んだすべてをこのバッハの録音に投入したと語る。
 数年前にNHKの企画でピアニストの藤井一興と共演し、そこで演奏したバッハのガンバ・ソナタが横坂源の目を新たに拓くことになり、今回の録音につながったそうだ。
「録音でも藤井さんとの共演が実現し、かけがえのないすばらしい体験となりました」
 横坂源は、各作品を徹底的に探求し、バッハの奥深い部分に肉薄し、イマジネーション豊かでみずみずしい歌心にあふれる演奏を生み出している。
 新譜がリリースされるのが待ち遠しい。
 今日の写真は、愛器1710年Pietro Giacomo Rogeri 制作のチェロとともに(サントリーホールディングスより貸与)。




 
| アーティスト・クローズアップ | 23:20 | - | -
伊藤若冲
 生誕300年を迎えた、江戸時代に活躍した画家・絵師の伊藤若冲(1716〜1800)が大人気である。
 京都・錦小路の青物問屋の長男に生まれ、やがて動植物を独自の手法で描く画家となった若冲は綿密な写生をもとに、幻想的で生き生きとした、写実と想像力を駆使した絵を生み出していく。
 京都の細見美術館では、同館の所有する屏風絵や掛け軸に描かれた絵、木版画などと個人所有の作品を集め、若冲展が開催されている。
 ただし、鶏を描いた作品が圧倒的に多く、鶏肉や羽の生えた物が苦手な私は、どうも鶏の絵ばかり続くと、「これは芸術だ」と自分にいいきかせなければならなかった。
 なかでも印象的だったのは、菊の絵と詩を描いた屏風。いずれの菊もまったく趣が異なり、黒一色の濃淡が実に繊細で美しい。
 ネズミの婚礼で、酔っぱらったお客たちが騒いでいる様子を描いた絵も、シュールレアリスムの様相を醸し出し、その遊び心に感服してしまった。
 孤高の天才画家と称された若冲は、84歳の長寿をまっとうしている。いくつかゆかりの寺があるようなので、次はそれらを巡ってみたいと思う。
 京都は、本当に奥深い。
 仕事部屋を訪れるたびに、さまざまな意味で感性を磨くことができる。これがすべて仕事にいかされるといいのだが…。
 今日の写真は、細見美術館の入口に置かれたポスター。やっぱりこれも、鶏だった(笑)。

| ゆったりまったり京都ぐらし | 23:11 | - | -
スポーツ誌の記事を参考に
 ユーロ2016が始まったときから、「Number」(ナンバー)の記事を愛読している。
 この雑誌は、写真がとてもインパクトが強いことと、何より記事が充実していて、読みごたえがある。
 いろんなスポーツ界の選手のインタビューも実に興味深く、ノンフィクションライターの記事もリアリティがある。
 いつも読むたびに、「こういう雑誌がクラシックでできないだろうか」と考えてしまう。
 アーティストのインタビュー、コンサートの様子、さまざまな事前の情報、取材記事など、絶対にできるはずだ。
 でも、実際にはなかなか難しい問題があり、こういう特集号でダーンとインパクトを与える、ということができない。
 私も編集者だったころは、日々どういう特集を組もうか、いかにしたら多くの人が読んでくれるか、タイアップはどうしたらいいか、海外取材はするべきか、経費の問題はどう解決するか、時間をどうやりくりするかなど、目の前の山積みとなっている問題と闘っていた。
 もちろん「Number」はスポーツ誌ゆえ、華やかで勢いがあり、登場する花形選手も多い。一般の人々のニーズに応えるべく、ドラマチックな記事展開も存分になされている。
 でも、でもですよ。クラシックでこういう記事ができないはずはない。
 私は、雑誌を隅から隅まで読み、参考になる点を探している。
 原稿の書き方もとても勉強になり、とりわけ取材記事がおもしろい。
 ああ、こういう雑誌、作りたいなあ。あまり夢ばかり見ていても現実味に欠けるから、自分のHPを充実させることを考えなくちゃね。
 今日の写真は、「Number」のユーロ2016の特集号。


 
 
| 日々つづれ織り | 22:34 | - | -
ダニール・トリフォノフ
 本日、「音楽を語ろうよ」のコンテンツにダニール・トリフォノフの記事をアップしました。ぜひ、寄ってくださいね。
 彼はいまもっとも勢いのある若手ピアニストといわれ、世界中から演奏のオファーが絶えない。
 2010年のショパン・コンクールから聴き続けているが、一気に天空に飛翔していくような凄みを見せ、著名な指揮者や器楽奏者からも共演依頼が殺到している。
 素顔は、知的で思索的で完璧主義者の様相を呈しているが、ジョークも忘れない。
 とてもおしゃれで、インタビューの撮影が終わるとすぐに革ジャンをはおり、ラフないでたちに変身。
 実は、私も革ジャンが大好きで、とくにイタリアやスペイン製のジャケットを愛用しているが、トリフォノフが来ていた柔らかなラムスキンのカッコいい黒の革ジャンにひと目ぼれ。
「あらあ、ステキ。こんな皮ジャンがほしい」
 と、まじまじと見てしまった(笑)。彼は、私があまりジャケットばかり見ているので、不思議そうな顔をしていたけど…。
 トリフォノフは来日ごとに大きく成長した演奏を聴かせてくれる。次回の来日も待ち遠しい。
 今日の写真は、スマホではなく、きちんとカメラで撮った1枚。HPの「音楽を語ろうよ」の方には別の写真を載せたので、ブログではこちらを紹介。
 凛としたいい表情に撮れているでしょう、いかがでしょうか。


| 情報・特急便 | 11:17 | - | -
バッハの像
 ヤマハのWEB「音楽ジャーナリスト&ライターの眼」で、J.S.バッハのシリーズを書いていることは先日ブログに綴ったが、今週木曜日アップの記事でひとつの区切りとし、またしばらくしたら再開しようと思っている。
 バッハの足跡をたどる旅は何度か行い、そのつど写真も撮っているが、どうやってもバッハに似ていない像に出会うことがある。
 私が、もっとも似ていないなあと感じたのは、アルンシュタットの広場にある像だ。
 訪れたのは、2009年1月。100年ぶりの寒波がドイツを襲ったときで、まさに極寒の地だった。
 アルンシュタットは、チューリンゲン州最古の都市といわれ、歴史と伝統を誇るところ。バッハが18歳のときに過ごした土地で、初めて独立して仕事に就いた場所として知られる。新教会(1935年にバッハ教会と改称)のオルガニストとして赴任したのである。
 この市庁舎広場にあるバッハ像は、若きバッハの生き生きとした表情が映し出されているものの、私が訪れたときは雪にまみれて顔の表情はわからない。雪のサングラスをしているような感じになっていた。
 もちろん写真で見ているため、その像は知っていたが、やはりバッハだといわれなければわからないほど、似ていない。
 だが、椅子に腰かけて足を前方に伸ばしているそのスタイルは、とてもバッハ像としては珍しく、斬新である。かなり大きな像で、存在感たっぷり。
 バッハ生誕300年を記念して、1985年に建立されたという。
 この広場に面したレストランで、暖をとるためにランチを食べたため、この像はよく覚えている。
 今日の写真は、寒波のなかにたたずむバッハ像。このつま先をみんながなでるため、ピカピカになっていた。なんでも、なでると願いが叶うそうだ。


 
| 麗しき旅の記憶 | 23:01 | - | -
牛田智大
 牛田智大に会うと、そのつど身長が伸び、声が低くなり、2012年のデビュー時から取材を続けている私は、年月の経つ早さを思い知らされることになる。
 今日も、久しぶりに会ったら、もう174センチ、55キロくらいの青年の体格に成長していた。
 もう高校2年生である。大きくなったよねえ、なんて親戚の伯母さんのような感覚を抱いてしまった(笑)。
 さて、仕事、仕事と。
 9月14日には7枚目のアルバムをリリースする予定で、チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」から「間奏曲」(ミハイル・プレトニョフ編)、「花のワルツ」(ヴャチェスラフ・グリャズノフ編)、「瞑想曲」、「夜想曲」、グリンカの「ひばり」(ミリイ・バラキレフ編)、ムソルグスキーの「展覧会の絵」(ヴラディーミル・ホロヴィッツ編)というプログラムである。
 その録音の様子、選曲に関して、現在のロシア人の教授たちによるレッスンの内容、近況などを聞いたが、特に「展覧会の絵」に自身で編曲を加えたことに関し、雄弁に語った。
 いま、ロシア人の先生たちは、作品の構成、作曲家の意図などを非常にこまかく分析して教えてくれるそうで、「それがたまらなく楽しい」そうだ。
 この新譜に関しては、ライナーノーツも執筆することになっているため、こまかく先生たちの教授法について聞いたが、実に楽しそうに、レッスンの内容を語ってくれた。
 ロシアのピアニストたちは、ピアノのみならず作曲、編曲、指揮など幅広く手がける人が多く、それらの活動をごく自然に行っているという。牛田智大も、そうした視野の広い音楽家になりたいと願っているようだ。
 会うたびに、話の内容も深くなり、作品論などもことばを尽くして話すようになってきた。
 まだ録音の編集が終わらないため、音を聴くことはできないが、このアルバムは非常に楽しみである。
 今日の写真は、すっかり大人っぽくなった牛田くん。手が大きいよねえ。顔が小さくスリムゆえ、そんなに大きく見えないけど、まだまだ伸びる感じ。新譜の音にも、伸び盛りゆえの熱き音楽がめいっぱい詰まっているに違いない。



 
| 親しき友との語らい | 00:00 | - | -
前橋汀子
 ひとつのコンサート・シリーズを長年続けるのは、さまざまな意味で大変である。
 前橋汀子は、「珠玉の名曲にひたる ひと時」という「アフタヌーン・コンサート」と題したシリーズを12年間続けている。
 今日は、サントリーホールで14時からその12回目のリサイタルが行われ、J.S.バッハの「G線上のアリア」からスタート。ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」、バッハの「シャコンヌ」が前半のプログラム。
 後半は、クライスラーやドヴォルザーク、シューベルトなどの名旋律を聴かせ、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」でフィナーレを迎えた。
 その後、アンコールを数曲披露し、最後は「タイスの瞑想曲」ですべてのプログラムを閉じた。
 前橋汀子のこのシリーズは、リピーターの聴衆が多く、すでに来年のチケット売り出しのデスクの前は、長蛇の列となっていた。
 彼女の演奏は、ひたむきで品格にあふれ、情感豊かである。サントリーホールを満席にする力があり、男性ファンも多い。
 終演後、ピアノを担当した松本和将、関係者とともに食事会が行われ、私も招待されたため、おいしい中華料理を囲んで団らんのときをもった。
 8人で丸テーブルを囲んで音楽談義に花を咲かせ、前橋汀子もコンサート終了後のホッとした表情を浮かべていた。
 7月10日にはザ・シンフォニーホールで同様のリサイタルが開かれるが、後半の曲目は少し変わる。
 彼女はその後もリサイタルと前橋汀子カルテットの演奏がびっしり入っていて、このカルテットはベートーヴェンの作品が3曲組まれている。
「移動も多いし、このカルテットの演奏は大変なのよ」
 こういいながらも、弦楽四重奏曲の演奏を楽しみにしている様子が伝わってきた。
 今日の写真は、リサイタル終了直後の安堵の表情。
 前半は、美しいグリーンのドレスが着用されたが、グリーン好きの私は、そのエレガントなドレスがバッハの「シャコンヌ」の凛とした演奏にとても合っている感じを抱いた。本当は、その写真を撮りたかったくらいだ。

| クラシックを愛す | 00:03 | - | -
ビートルズ狂想曲
 50年前の今日、私は初めて動いているポールを見た。
 10代の最大にして、最高の思い出である。
 当時、ビートルズに熱狂していた友だち7人ほどで日記をつけていて、自分の好きな人のことをフィクションで綴り、みんなで回覧して楽しんだ。
 私はポール・マッカートニー。ポールが学校にきたとか、我が家に食事にきたとか、英語を教えてくれたとか、たわいもない話を作り出し、みんながそれを読む。
 定例会もしていて、新譜が出るとすぐに集まってキャーキャー叫びながら聴き、当番になった家の親はあまりにもうるさくて逃げ出す始末。
 そのときに日記のなかで、一番おもしろいことを書いた人は、みんなの前で朗読をする、なんていうこともしていた。
 そこへビートルズ来日のニュースが飛び込んできた。映画はもう全部の台詞を暗記するほど何度も観ていたが、実際のポールに会えるなんて…。
 それからチケット争奪戦が始まった。ひとりで何枚も往復はがきを出し、ようやく当選したのが4人。Mちゃんと、その妹Yちゃんと、Fちゃんと私。外れた人の落ち込みようはひどかった。
 私たちが当たったのは7月2日の最終公演。私の年の離れた姉が、キャーキャー騒ぎまくる4人のギャルの責任者を任され、武道館の送り迎えを担当した。
 そのときの警備のすさまじさは、ことばにならない。警官や警備の人たちがものすごい数で、少しでも列から離れたり余分な動きをすると、大変なことになった。
 武道館に入ってからも、通路にずらりと屈強の若者が並び、おそらく体育大学の学生ではないかと思うが、にらみをきかせていた。
 ただし、ビートルズが登場してからは、何も目に入らなくなった。
 ギャー、ポールが動いている〜。私は隣の「ジョージ!」と叫んでいるFちゃんと、抱き合いながら叫び続けた。
 実際のところ、音楽は何も聴こえなかった。
 ポールの栗色のマッシュルームカットの髪が左右に揺れているのが印象的で、ジョンのがっちりした体型と、ジョージのしなやかなギターの弾き方と、リンゴのリズミカルなスティックの動きが目に飛び込んできて、もう我を忘れ、こんなに興奮したことはないと思うほど、泣き叫んだ35分間だった。
 あっというまに演奏は終わり、アンコールもなく、夢の世界は一瞬にして終幕を迎えた。
 それからが大変だった。
 Fちゃん、Yちゃん、私は約束通り、姉が待っている出口にたどりついたのだが、どこを探してもMちゃんがいない。
 姉は真っ青になった。
 みんなで必死になって探したのだが、なにしろすごい人で、警備の人に注意されるため、自由に動けない。
「大丈夫。きっとフラリと戻ってくるから」
 個性的で奔放で、人と同じことをするのが嫌いなMちゃんのことをよく知っている妹のYちゃんは、茫然自失となっている私の姉に「大丈夫、大丈夫」といい続けた。
 だが、いま考えてみると、姉は親たちに合わせる顔がなかったに違いない。携帯などない時代である。Mちゃんは忽然と消えてしまったのだから。
 その夜はみんなで集まり、一睡もせずに泣き明かした。よくもあんなに涙が出たものである。
 ところが、明け方すぎに、Mちゃんはひょっこり帰ってきた。
「ヒルトン・ホテルにもぐりこんだの。よし子ちゃん、これ、ポールの髪の毛だよ」
 こういって、茶色のウェーブのかかった髪を2〜3本見せてくれた。
「ええっ、うそー。飛びついて引きちぎったの? まさかあ」
 みんなが口々に「うそー」といって信じようとしないため、彼女はプンとむくれてしまい、それ以後、いっさいその夜の武勇伝を口にしなかった。
 Mちゃんは、のちにアメリカ人と結婚し、ボストンに住んでいた。私は出張でボストンにいったときに、彼女に街を案内してもらったのが最後となった。
 Mちゃんは、若くして不慮の事故で亡くなってしまったからである。
「Mちゃん、ごめんね。あのとき、ポールのこと、もっと話してほしかったのに、信じようとしないでごめん。若かったというか、幼かったというか、きっとその行動力と冒険心がうらやましかったのだと思う。私にはできなかったから」
 私のビートルズの思い出は、悲喜こもごも。7月2日が巡ってくるたびに、複雑な思いに駆られる。 
 もう50年経ったなんて、信じられない。昨日のことのように、ポールのうたっている姿が鮮やかに脳裏に蘇ってくる。


 
| アーティスト・クローズアップ | 22:48 | - | -
大好きなプチホテル
 旅に出ると、路地裏にひっそりとたたずむプチホテルを探して宿泊する。
 観光客でにぎわうマンモスホテルは設備も充実し、アクセスも便利で、朝食などもビュッフェスタイルで種類が多い。
 だが、ヨーロッパの貴族の館を改装したり、修道院をリノベーションしたり、個人宅を開放したりしているプチホテルは、別世界へといざなわれる特別な場所である。
 私が大好きなパリのプチホテルに、オテル・デ・サン・ペールがある。
 サンジェルマン・デ・プレ大通りから1本入った、とても静かなサン・ペール通りに面していて、気をつけていないと通り過ぎそうな感じの入口である。
 ドアを押して入ると、こぢんまりとしたロビーがあり、その奥のガラス扉を押すと中庭に出る。ここでは朝食を摂ることもできる。
 貴族の邸宅を改装したホテルで、ひとつ部屋ずつすべて内装が異なっている。
 私は最上階のメゾネットになった部屋が好きで、下の部屋から細いらせん階段を上ると、上階にバスルームがある。とても優雅なたたずまいである。
 ここはアルフレート・ブレンデルのパリの定宿だそうで、外の喧騒が嘘のように静かな落ち着いた雰囲気が彼のお気に入りなのかもしれない。
 このホテルは地下鉄の駅が近く、どこにいくのもとても便利。夜遅く帰っても、怖い感じがしない。
 こういう場所にゆっくり滞在すると、歴史の息吹を感じ、パリの奥深さを思い知らされる。ホテルの周辺は美術関係や骨とう品のお店も多く、芸術家が足しげく通ったカフェなども点在している。
 ああ、またオテル・デ・サン・ペールにいきたくなってきた。
 本を抱え、新譜をipodに入れ、旅に出たい。
 締め切りが重なって動きが取れないときに限って、こういう思いが頭のなかをグルグル、ちょっとアブナイ状況かも(笑)。
 今日の写真は、ホテルの外観とガラス扉の奥の中庭。ねっ、いい雰囲気でしょう。


 
| 麗しき旅の記憶 | 22:26 | - | -
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